校長室より

校長室より

人と猿の違いとは?映画「猿の惑星」から

あけましておめでとうございます。

3学期の始業式、私は全校の子ども達に言いました。

「今年の干支は何でしょう。何年でしょうか。」

「猿・・・」

「そうですね。今年は申(サル)年です。」

「では、人と猿はどこが違うと思いますか。私達人間と動物の猿はどこが違うのかを考えて下さい。

今から1分間あげますので隣や近くの人と話し合ってみて下さい。」

子ども達は直ぐに一所懸命に考えてそれぞれ話し合っていました。

「人は言葉を使える。人は火を台所で使うことができる。道具を使う。二本足で歩ける。・・・」

「では、人と猿とでは、どちらが優れているのでしょうか。どちらが賢いでしょうか。」

今から48年前の1968年、私が小学校5年生の時に「猿の惑星」というアメリカの映画上映されており友達と一緒に見に行きました。

当時、子ども心ながら凄いショックを受けたことを覚えています。

あらすじは次のようなものです。

 

アメリカのケネディー宇宙センターから打ち上げられた宇宙船が、長い宇宙飛行を続けており4人の宇宙飛行士は、光と同じ位に早いスピードの宇宙船に乗っておりました。

そのために、4人は冬眠装置の中に入って冬眠状態で眠っており、地球の時間で言えば約2千年も過ぎてしまっていたのです。

ある時、宇宙船がトラブルに見舞われて近くの惑星に不時着しました。

男性3人は冬眠から覚めて無事でしたが、仲間の女性宇宙飛行士は、冬眠装置がこわれていて既にミイラになってしまっていました。

男性3人の宇宙飛行士は、何とか宇宙船から脱出して初めて見る惑星を歩き続けました。

砂漠地帯をやっと通り過ぎると、緑の森がありました。

しかし、そこで見たものとは・・

猿の兵隊が、馬に乗って裸の人間を鉄砲で撃ちながら、追い詰めて捕まえているのです。

3人も逃げ切れず、2人は猿に殺されます。主人公も首に玉が当たり気を失います。

 

この星では、人間と猿の逆転現象が起こっていたのです。

猿の方が賢くて、弱い人間は捕まると檻の中に入れられてしまっていたのです。

主人公のチャールトン・ヘストンが馬に乗って、波打ち際の海岸線を逃げているとついに彼が見たものとは、

海岸の砂浜に胸まで埋まっていたニューヨークに建っていた自由の女神像でした。

彼は、「オーマイ ゴッド!」と叫び、ここは地球だったのだ。ここは故郷だったのだ。

本当にやってしまった。バカども。このザマは何だ。
皆、地球で苦しめ。

と言って映画は終わります。

 

私は、冬休みにもう一度DVDでこの映画を見ることにしました。

分かっているとは言え、ラストの衝撃はやはり凄いものがありました。

始業式で、子ども達には「どうして人と猿が逆転してしまったのか?考えてみて下さい。」

と言って終わりました。私からは答えらしきものは何も言っていません。

始業式の数日前に、折しも北朝鮮が水爆の実験が成功したという重大ニュースが流れていました。

約50年前に皮肉を込めて寓話として撮った映画が、今も真実味を帯びているとしか言いようがありません。

映画の中では、優秀な猿の科学者が、「人間の知恵は愚かさと同居している。感情が理性を支配し、戦いを好む動物だ。自分を含むすべての者と戦う。」と人間のことを評価しています。

現在、核兵器を持っている国は10ケ国あります。
原子爆弾・水素爆弾等の核弾頭の数は、1万7千発あるそうです。
地球何百個分を破壊する武器を私達人間は持っています。
過去に人間が作った武器は、必ず使用してきた歴史があります。

 

申年に思うこと。

本当に、私達 人間は賢い動物なのでしょうか。

 

今も生きる吉田松陰の教育と言葉

 「今日よりぞ幼心(おさなごころ)を打ち捨てて、人と成りにし道を踏めかし」

「志を立ててもって万事の源となす」

これらの言葉は、現在も山口県萩市にある市立明倫小学校で、毎朝、各教室で子ども達が全員で朗唱(ろうしょう)をしています。上の言葉はなんと小学校1年生の1学期に声に出して暗記する言葉です。子ども達は学期に一つ朗唱し、卒業するまでに18の言葉を覚えることになります。

江戸時代の末期、長州藩士であり将来を嘱望されながら30歳の若さで亡くなった吉田松陰は、教育に関する言葉を数多く残しています。

 

 私はこの夏に、山陽山陰地方を旅行してきました。

昔から機会があれば一度は行きたかった場所の一つが萩です。

折しも現在放映されているNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台にもなっています。

この番組は毎回欠かさず楽しみに観ています。

 

 城下町の萩を歩くと、必ず訪れる場所が松下村塾です。吉田松陰は、江戸で投獄された後、生まれ故郷の萩に帰されて幽囚生活をしますが、約1年間囚人の身でありながら多くの逸材を育てます。彼の門下生には、高杉晋作・久坂玄端・伊藤博文・山形有朋など明治維新の原動力となった人物がいます。

松下村塾の記念館を訪れて、私が感動してメモを取った言葉があります。

教育の本質として、「学は人たる所以を学ぶなり。」人間としての自覚を促し、更に当時、世界の中の日本人として自覚を高める必要性を説いています。

志を大変に重んじた人で、「士規七則」の中に、特に大事な三つを挙げています。

1 立志(志を立てる)

2 択交(たくこう・多くの人と交わる)

3 読書(多くの本を読み学ぶ)

 

 今、第一小学校ではアクティブラーニングの研究をしているところです。いかにして、教師主導型の教育を子ども中心の学びに変えられるかです。

そんな折、この江戸時代末期にこの松下村塾での教育方針に更に感動したのです。

 立志を核にした個性伸張の実践教育が基本である。

 授業では、会読・対読が中心となる。

 討論会・野外活動を通して対話や意見交換を重んじる。

まさに、私達が取り組もうとしている教育の姿がこの時代に既に実現されていたのだと

驚かされました。

新しいこととは、昔を知ることなのかとつくづく思いました。

温故知新です。

「人を育てる・プロ野球選手と職人」

 今年のプロ野球シーズンも終了し、ストーブリーグに入り小学生の多くが「将来の夢」であるプロ野球の選手になれるドラフト会議も10月に行われました。毎年約100人近くの新人選手が晴れてプロ野球の道に入ります。小学生の頃から全国各地のリトルリーグ等で人一倍練習をして試合でも大活躍をしてやっと掴んだ夢だと思います。

ある新聞の特集テーマで「運命のドラフト会議」を読みました。スカウトは有望な高校生や大学生、社会人野球の金の卵を何年間も追い続けています。特定の選手への思い入れは人一倍だと思います。大会や練習を何度も視察して「本当にプロで活躍できるか」を見定めるそうです。投球フォームや打撃センスなど様々な技術的な面から考察していきます。

しかし、何よりも一番重視するのは、「努力できる才能」を持っているかを見極めることだそうです。例えば、早めにグラウンドに来て練習の準備をしているか、個人練習に取り組んでいるか、帰宅後にランニングをしているかを観察しているそうです。一人で練習できない選手はプロ野球では埋もれてしまう場合が多いからです。後の大スター選手でも学生野球の頃は、陰で人知れず2時間素振りをしているのをスカウトが見て、惚れ直したこともあるそうです。

この秋、ある研修会で感動する講演を聴く機会がありました。

「一流の職人を育てるには、人間性を高めることです。」

それは、入社3~4年目の若い社員が技術オリンピックの大会で金・銀・銅メダルを独占している秋山木工グループ社長の秋山利輝氏の話でした。

秋山木工の特注家具は、国会議事堂や迎賓館、宮内庁、有名ホテル等で使用されている知る人ぞ知る手作り高級家具です。又、秋山社長は若手職人を育てる独自の研修制度でも注目を集めておりテレビで取り上げられ映画も作成されています。

現在でも丁稚(でっち)制度を取り入れ、全員住み込みで携帯電話・恋愛は一切禁止、男子は勿論のこと20歳前後の女子でも丸坊主になります。丁稚の期間中は仕事のみに没頭できる環境を徹底するとのことです。社長自身が入社希望者の実家を訪れ、両親や祖父母等とじっくり話をしながら家族と本人の覚悟を確かめて、入社を決めるそうです。愛情溢れる家庭環境でないと4年間もの辛い修行に我慢できず、辞めてしまうことが多い。大事なお子様を住み込みで預かるのは、相撲部屋にも似ているなと感じました。

秋山社長が考えた「職人心得30箇条」を丁稚奉公人全員が暗記するそうです。

「挨拶のできた人から現場に行かせてもらえます。」

「明るい人から現場に行かせてもらえます。」

「返事をきっちりできる人から現場に行かせてもらえます。」

「時間を気にできる人から現場に行かせてもらえます。」

「感謝できる人から現場に行かせてもらえます。」

これらのことは技術よりも人として大事なことが中心です。

 人は心が一流になれば、後から技術も必ず一流になれると言われました。このことは、どの道どの職業でも同じことが言えるのかもしれないと思いました。

アクティブラーニングとは何?

数年前、アメリカの学者が未来予測を発表してかなりの衝撃がありました。

「今の小学校に入学した子ども達は、大学卒業時にはなんと、65%の人は今現在、存在していない職業に就くだろう」というセンセーショナルなものでした。

それだけ、現代は劇的な変化をしていく時代に突入したことを改めて実感しました。

現在でも少し前まではなかった文明機器を私達は利用しています。

例えば、お掃除ロボット・音声認識ソフト・電車や車の無人運転(ゆりかもめ)・車の自動運転・スーパーの無人レジ・スマートフォンでの買い物等です。

実に様々なものが機械化されるようになってきています。

では、今の子ども達に本当に必要な力とは何でしょうか。

学校ではどのような学力を付けさせればこれからの時代を生き抜くことができるのかが問われています。

暗記するだけの勉強は、簡単にスマホで検索して調べられる時代になりました。

私自身も今やほとんど辞書を引く機会がなくなりました。

スマホの音声認識アプリを活用して、スマホにボソボソと語りかけることが増えました。

 

これからの社会で求められる人材とは、どういう人でしょうか。

新しいアイデアを出せる人

他の人同士を結び繋げる人

適切に判断できる人

プレゼンが上手い人

論理的に考えて、他者に分かり易く表現できる力、汎用的能力が求められるようになります。

 

本校は今年度より3年間に渡り文部科学省の指定を受けて、「アクティブ・ラーニング」研究を推進していきます。
課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習です。

全国で10地域が指定されました。

千葉県では我孫子市の我孫子第一小学校と我孫子中学校です。

アクティブラーニングの実践フィールド校として「深い学び」「対話的な学び」「主体的な学び」を第一小学校のやり方で追究していこうとしているところです。

第一小学校の職員は、私も含めて全員が大変重責を感じているしだいです。

私たち教員は、文部科学省が出す「学習指導要領」に則って、日々の授業をしています。これは、約10年毎に改定をしてきています。時代の変化と共に指導内容も変わってきます。

数年後に学習指導要領が改定されますが、今までと大きく違う所は、今までは何学年では何を教えるといった教科の指導内容が中心でしたが、次は指導方法も明示する点です。

学校の先生方は、授業は自分流での教え方・その学校流の教え方で指導してきました。

これからの我孫子一小では、「子供中心の学び」を中心に授業を展開していきます。

「何を教えるか」「どのように学ぶか」です。

先生方のチョーク&トーク、教師主導の一斉指導とは異なる指導方法になります。

 

アメリカで面白い調査結果があります。

「学習定着率」です。一度覚えた学習内容を半年後にどれくらいの子供が覚えているか。

先生中心の講義は5%、グループでの話し合いは50%、体験活動は75%そして、子供同士の教えあいは90%です。

学んだことを自分だけの知識にしないで、グループや仲間に伝え合うことで飛躍的に学習理解が深まります。
学び合いは大変に優れた学習なのです。

伝え合うには、先ず人の話を最後まできちんと聴けることが大事になります。

そのような「我孫子一小の聞き方名人」あいうえおをしっかりと身につけさせていくことも学力向上の柱になると思います。

この秋は本校でも校内研究会が沢山実施されます。

そして、県内外からも沢山のお客様が参観に来られます。

「全ては子ども達のために」・・・一歩一歩着実に歩みたいと思います。

 

 

家族とは何だろう・・・

  ある教育雑誌の最新号の特集記事のテーマが、「親」でした。

作家の下重 暁子(しもじゅう あきこ)氏は、「親は子を、子は親を知っているか」についての文章を掲載されていました。読み進めるうちにかなりの衝撃を受けてしまいました。殺人事件そのものは減ってきているが、唯一増え続けているのが親子間の事件であるということである。私が生まれた1950年代は年間3千件あった殺人事件の数は、現在は1千件まで減少している。しかし親子間の殺人事件が最も多い現状があるそうです。

 

なぜだろう。そんなにしてまで親子間で憎しみあうのか。

 

下重氏は「家族という病」という本を出しておりベストセラーにもなりました。

私もこの機会にこの本を読んでみました。

テレビやドラマのCMでは親子、家族の愛情ほど深いものはない。家族は仲良くなければならないという錯覚で自分を縛ってしまうものだと下重氏は言っています。

又、下重氏は次のようなことも書いています。

家族間では、親と子の間では全てを分かり合っていると思い込んでいるから始末が悪い。

実はもっとも知っているようで知らないのが家族なのだ。他人なら例えば友達、知人と付き合う時は客観的に観察し理解しようと努力する。ところが、家族間では理より情が先に立って、分かっているものと思っているから努力しようとしない。その結果、誤解がたまりたまってある日爆発する。

私の父母は、既にこの世を去ってしまっていますが、生前どれだけ本当に父と母を理解していたかは甚だ疑問です。今では本当は良く知ってはいなかったのではないかと思います。

自分は両親に沢山甘えて育ち、幼い頃から自分のことをもっと分かってくれ、もっと褒めてくれと自己中心主義で成長したのではないかと感じています。

中学生から高校生の時は、父母にかなり反抗的な態度を取っていたことも事実です。

 

成長とは何かというと、自分の目の前にある権威を一つずつ乗り越えることである。

 

先ず一番身近にある権威が親である。それと戦ってそれを乗り越える。学校の権威は先生である。社会に存在する大人への反発、それを一般に反抗期という。反抗期のない子どもが増えているというが、こんな気持ち悪いことはない。と同じく下重氏は言っています。

 

親は子どものことをもっと知る努力をする。そして、自分の両親のことも知る努力をする。

兄弟がいても一人ひとり個性が違います。同じ家族の一員としても決して比べてはいけないものなのです。それぞれの違いを認めて、個として独立してけるように強く願って育てていければ大きく曲がらないのではないでしょうか。

 学校の子ども一人ひとりを知る努力を保護者の方と共に真剣に続けていきたいと思います。
 家族とは何だろう。子どもとは何だろう。・・・