校長室より
「幸せとは何だろう?」
3月2日の全校朝会で子ども達に「幸せとは何だろう?」というお話をしました。
最初に、「皆さんに聞きます。幸せという意味を知っていますか?」
国語辞典には、運が良いこと・幸福と書いてあります。
「では、皆さんにとって幸せなことはどんなことでしょうか?」
「目を瞑って、思い浮かんだ幸せなことを指で折りながら五つ考えてみて下さい。」
どんなことが思い浮かんだでしょうか。
例えば、食べている時・寝ている時・好きなスポーツをしている時・ゲームをしている時・趣味の物を集めている時・お友達とおしゃべりをしている時などがあるかもしれませんね。
でもそういう自分自身の好きなことだけで幸せと感じるのは、一瞬であり長くは続かないかもしれません。
今日は、皆さんに次のような言葉を紹介します。
6年生は1学期に職場体験の事前学習会の時にお話をしたので覚えていることでしょう。
「幸せとは、幸せを探し続けることである」
さて、この意味が分かるでしょうか。
例えば、
宝くじに当たって何億円も突然ももらい大金持ちになった人は幸せになったかな?
オリンピックで金メダルを取った人は幸せになったかな?
人間は、突然に大きなお金が入ると幸せになったように思いますが、家族でもめてしまいケンカが起きたり、生活が贅沢になったり、最後はお金が無くなり哀しい結果になることもあります。
又、オリンピックで優勝して金メダルを取って一躍有名になっても、その後、記録が伸びずにどんどん若い人に抜かれてしまい苦しむ人も多いようです。
では、本当に幸せになれるにはどうすればいいのでしょうか?
私は、三つのことがあると思います。
・一つ目は、満足しないことです。
あることを追い求めることです。極めることです。辛いことに勝つことも幸せです。
・二つ目は、自分以外の物に求めないことです。
物は飽きます。キリがないです。いつか壊れるかもしれません。
・三つ目は、人の為に役立つことです。
感謝されます。褒められます。自分のことよりも他人の為に何かをするのです。
人は人として生まれたからには、やはり誰でも不幸になりたいとは思わないでしょう。
幸せは、人によって違うと思います。
三番目の人の役に立つ幸せは、将来の仕事にしてもいいし一番大事なことかもしれません。
一小の皆さんにもぜひ、自分の本当の幸せとは何かを考え続けて欲しいと思います。
開校記念日(142年前の第一小学校)
開校記念式で、開校当時のことを「第一小学校百年史」を参考にしながら子ども達に話しました。
今から142年前の明治6年2月20日、延寿院(えんじゅいん)とうお寺を使って学校がスタートしました。このお寺は現在のイトーヨーカドーの近くにありました。教師は杉山 英(えい)先生一人で子どもの数は、82名の一クラスでした。
当時は、5歳から14歳までの適齢児童が我孫子小学校に通うことができました。学区は今よりもかなり広く、我孫子宿・高野山村・久寺家村・柴崎村等でした。実は、我孫子第一小学校に通える学区内にいた子どもの数は、約1千人もいたそうです。
では、なぜ1千人の子ども達が学校に通わなかったのでしょうか。
明治初期の小学校では、村からの寄付金や家からの授業料があり、貧しい農家では家の手伝いや子守、留守番等で子どもを学校に通わせる余裕がなかったそうです。我孫子近郊の村は大変に貧しい農家も多く就学率は低かった記録が残っています。
又、杉山英先生のお給料も大変安くて、初めてのお給料が3円50銭だったそうです。軍人(少尉)さんが50円もらっていたそうですから、学校の先生のお給料がいかに安かったが分かります。
授業は、読書・算術・習字がありました。高学年になると地理や歴史等も習いました。その後、音楽や体操もやっと行われるようになりました。
実は、学校の名前も時代と共に変遷しています。
「我孫子小学校」「草麻尋常小学校」「我孫子尋常小学校」「我孫子第一尋常小学校」「我孫子尋常高等小学校」「我孫子町中央国民学校」そして、戦後の昭和22年に「我孫子市立我孫子第一小学校」となりました。
沢山の先人達の素晴らしい努力の上に今の我孫子第一小学校が存在していることがよく分かります。この良き伝統を引継ぎながら、未来に活躍できる子ども達を教えていきたいと思います。
寿命100年の時代をどう生きる
今から30年後、2045年の日本人の平均寿命は100歳になると言われています。
NHKの「ネクストワールド」のテレビ番組でもその話題が取り上げられていました。織田信長の時代は、「人生50年」でした。明治時代でも平均寿命は男女共に45歳位、戦後の1947年初めての全国調査でも男性50歳、女性53歳です。私が生まれた1957年は、男性63歳、女性67歳です。定年までどんなに一生懸命働いてもその後の余生は、数年間という時代でした。本当に哀しい時代だと感じます。昔の人の楽しみは何だったのだろうと思います。短い人生を潔く散っていったのでしょうか。
2015年の現在、男性80歳、女性86歳の時代となりました。1日平均で5時間ずつ寿命が延びているそうです。60歳定年後、平均寿命までの約20年間、寝る食べる以外の余暇時間は10万時間あるとも言われています。定年後にもう一つの新しい人生が始まると思っていいのかもしれません。生涯現役で働く、生涯学習をする、趣味に生きる、地域貢献する、ボランティア活動をする等の幅広い選択肢があります。定年後、いきなり新しい仕事や趣味は恐らくリスクが高いことが予想されます。現役の時代に少しずつ慣れておくことの方が良いと老後に備える様々な指南書には書かれています。
長生きが本当の意味で「幸せ」に繋がるには、健康が大前提かもしれません。健康寿命は平均寿命より10歳位前倒しの状態です。どうしたら頭も体も健康でいつづけることができるのでしょうか。若い世代の人にとっては更に大事な問題です。
6年生を対象にした「思春期講座」を1月に実施しました。講師は、助産師さん2名の方です。「大人に向かって、見つめ直そう体・命・心」のお話をして頂きました。子ども達全員が授業後の感想文を書きました。その中である男子は、「どれだけ命が貴重か分かった」「このようなことを真剣に教えてくれる人達がいるのはありがたいと思った」ある女子は、「赤ちゃんが産まれる時には、自分も母親も頑張っていることを聞いて少し自分が誇らしくなりました。あのビデオを見て私も産みたいと思いました」又、感想で多かったのは、「自分の命は自分の物ではなく、その他にもお父さんお母さんや自分に関わっている人の物なのだと思いました」
子ども達は、命の具体性を今回の性教育で学んだことと思います。
自分のことを好きになり、自分の命を大切にできる子どもに育つような支援を続けていきたいと思います。
自分の命を大切にできることが、他人の命のことも本当に大切にできることに繋がると思います。
3人のレンガ職人
新年あけましておめでとうございます。
2015年のスタートです。今年もどうぞよろしくお願いします。
本日の始業式で、私は全校児童に次のような話をしました。
今日から、いよいよ平成27年になり3学期が始まりました。
西暦で言うと2015年になります。
日本が戦争をしてその戦争に負けてどん底の時代から今年で70年になります。
「戦後70年」という言葉を今年は色々なところで聞くことが多いと思います。私達は二度と戦争をしてはいけません。
さて皆さんにとっては、今年はどんな年にしたいですか。
この後、教室に戻ったら担任の先生と是非話し合ってみてください。
今日は、イソップ童話から「3人のレンガ職人」のお話をします。
世界中を旅している人が、ヨーロッパのある町に来ました。
そこでは、教会の大聖堂を造っていました。
旅人が1人目のレンガを積んでいる男に尋ねました。
「ここで何をしているのですか?」
すると、男はこう答えました。
「見れば分かるだろう。親方に言われてレンガを積んでいるのさ。
毎日毎日同じ事をしているだけだ。全くついていない。」
旅人がしばらく歩くとまた2人目のレンガを積んでいる男に会いました。
「ここで何をしているのですか?」
すると、男はこう答えました。
「俺はね、ここで大きな教会の壁を造っているんだよ。
この仕事でお金をもらい家族を養っているんだ。
大変だなんて言ったらばちが当たるよ!」
旅人が更に歩き続けるとまた3人目のレンガを積んでいる男に会いました。
「ここで何をしているのですか?」
すると、男はこう答えました。
「俺は、歴史に残る立派な大聖堂を造っているんだ。
この大聖堂ができれば町中の人が喜ぶだろうな。素晴らしいだろう。
俺は、この仕事を誇りにしているよ。」
さて、第一小学校の皆さんは、何番目のレンガ職人でしょうか。
同じレンガ積みの仕事をしているのに、なぜ、こんなにも違うことを言うのでしょうか。
その人の心の持ち方次第で全然意味が違ってしまいます。
皆さんが毎日やっている勉強、掃除、係活動、挨拶、高学年の部活動はどうですか。
どういう気持ちで取り組んでいますか。
「何のためにやっているのか」
「誰のためにやっているのか」
「本気でやっているのか」
やらされているのか。
ただやっているのか。
自信と誇りを持ってやっているのか。
同じことをやるなら、3人目のレンガ職人のように目的意識を持って生き生きとして自分のやっていることに自信と誇りを持ちたいと思います。
お手伝いは「できる大人」への第一歩
私の子ども時代は、お手伝いはどの家庭でも当たり前のことであり自然とやるべきことだと感じていたし抵抗感もそうなかった気がします。風呂洗い、買い物、弟妹の面倒、ガラス磨き、掃除、料理等があったものです。小学生だった私が今でも一番覚えているのが、保育園に通っていた妹をよく迎えに行き引き取ったことです。今なら小学生に渡すことは、あり得ないかもしれませんが、「お兄ちゃんが迎えに来たよ!」と保育士さんが大きな声で妹に言っている場面を思い出します。
さて、お手伝いを日常的にしていると、失敗もそれを乗り越えて褒められる経験も増えるので、子どもの自信に繋がり少々の失敗は恐れない心の強さを育みます。また、お手伝いは手伝う相手への気遣いも必要です。大人になって周囲への気遣いができるかどうかは、社会人として仕事を円滑に進めるのに欠かせない能力となります。つまり、お手伝いは将来必要となる「仕事力」の原点でもあります。
更に、お手伝いを通して一度やると決めたら最後までやる「責任感」、お手伝いを継続する「持続性」、お手伝いを終わらせる「計画性」を育てることにも繋がります。この責任感・持続性・計画性は、学力を上げる大切な要素であり、お手伝いの内容によっては応用力や活用力を育みます。与えられた情報や条件を整理して、自分なりに答えを導き出す「考える力」が養えます。
例えば、「食器を並べる」お手伝いを頼んだとします。すると、子どもは、先ずテーブルの上を片付け、拭いて、食器を並べるという段取りを思い浮かべ(イメージ)なくてはなりません。そうした経験を積み重ねることで、子どもは少しずつ「段取り力」を身につけていくのです。
特に心を育ててくれるお手伝いは、「食器を並べる」から一歩進んだ「料理」であると思います。料理する時は、家族の好みや健康を考えなければいけません。工夫を凝らし準備をして、食べた家族が喜ぶ顔を見たり感謝されたり、遠慮のない意見を聞いたりして人の心にふれることが出来ます。
このように、子どもはお手伝いを通して、責任を持ってやり遂げる力や相手を気遣う心、段取りを考えて物事を進める力などを養うことができ、将来の「できる大人」へと成長していくことと思います。
【お手伝いをさせる時の心構え】
① 良いところは褒める
よくできたら、きちんと褒めてあげる。それだけで子どもには自信がつき、愛情を確認し、またやろうという気になります。
② 待ちの姿勢が大切
先回りせず、子ども自身が気づくまで待つ。挨拶なら「こんなときは何て言うんだっけ?」と自分で気づかせる言葉かけが大切です。
③ 「叱る」と「教える」を区別する
上手にできなかったら叱るのではなく、その都度教えればいいだけです。叱るのは危険なことをした時だけにする。