2025年2月の記事一覧
市民の方から、戦後の小中学校の通信簿をご寄贈いただきました
郷土資料館には収蔵品が数えられるだけで9万点ほどありますが、その約9割は、市民の皆様からの寄贈品、寄託品で成り立っています。
先日、豊春小学校、豊春中学校の卒業生の方から、ご自身の通信簿(通知票)をご寄贈いただきました(画像のお名前は伏せています)。
まず、驚いたのは、小学校1年生~6年生、そして中学校1~3年のものがすべてそろっていること。
小学校1年の通信簿は、昭和23年(1948)3月付けですから、豊春村立豊春小学校です。資料は下の通り。
この年度(昭和22年9月)にはカスリン台風による水害も発生しています。戦後、直後とあって物資等がまだ豊かになかった時代でしたから、わら半紙にガリ版刷りの簡素な通信簿兼修了証です。紙質は決して良いとはいえないので、「よくぞ遺った」と思える通信簿です。戦後の学校・教育の様子をよく伝えてくれる大変貴重な資料です。
2年生からは、業者が印刷した規格化された通信簿となります(最初の画像は2年生のもの)。
寄贈者の方からもお話いただきましたが、当時は、給食はまだなく、学校にお弁当を持ってきていたそうです。卵焼きや梅干しがあれば上等だったそうで、貧しい家庭では、ごはんの下に芋を敷き、かさまししたお弁当だったそうです。また、小学校5年生のころまでは、疎開していた家庭がいたそうです。
中学校の通信簿も興味深いものになっています。
中学校の通信簿は、1年から3年までの共用で、五段階評価になっています。
当時の世相がうかがえるのは、画像の右隅の欄。
寄贈者いわく、「当時、豊春中では高校へ進学する人はほとんどいなかった。中学校三年生になると、英語(外国語)の授業はやらず、裁縫など家庭科の授業をした」とのこと。当時は、中学校を卒業し、家業(農家)を継ぐ人、職人の弟子になって仕事を身に着ける人が多かったそうです。豊春中学校だけでなく、周辺の中学校も同様だったそうです。
資料から時代がみえるのは、寄贈いただいた方のお話しや様々な想いがあってのこと。
今回の寄贈にあたって、カスリン台風のことや、戦後直後の学校の様子、豊春地区の様子など、さまざまなこともご教示いただきました。資料だけでなく、伺ったお話しもきちんと記録・保存し、郷土資料館の事業に活用させていただきたいと思います。
ご寄贈者の方、お取次ぎいただいた関係者の皆様に感謝申し上げます。