2024年7月の記事一覧
実習3日目は宝珠花地区を訪問しました
本日7月30日は宝珠花地区にある大凧文化交流センターを訪問しました。
1階の宝珠花サロンには宝珠花小学校と富多小学校の校歌や校旗のほか、このセンターの近くにある神明貝塚についての展示などがしてありました。
また、貝塚で発見されたヤマトシジミは自由に触ることもできるようです。
2階には、宝珠花名物である大凧について解説する大凧文化展示室をはじめ、宝珠花小学校の歩みを知ることができる展示室、旧庄和町の歴史について知ることができる展示室、宝珠花地区と川とのかかわりを知ることができる展示室がありました。
展示室には民具が多く展示してありましたが、どれも実際に触ることができ、体験を通して地域について学ぶことができるようになっていました。小学校の歩みを知ることができる展示室は教室をそのまま使用していて、小学校時代を思い出させる雰囲気が魅力的でした。
3階には、民具や郷土資料が保管されていました。
最後にディスカッションを行い、「より良い展示になるには他にどこを工夫すべきか」をテーマに実習生同士でアイデアを出し合いました。
様々な意見がありましたが、キャプションの補足を記した冊子配布、施設内に散らばった卒業制作を見つけるゲームを作る、市内の校歌を集めてその歌詞と楽譜を置くという意見が印象に残りました。
開館した後もこれらの点において工夫が続けられると思うので、ぜひ皆さんお越しください。
7月の近隣博物館・資料館の考古学情報
7月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。(毎月28日ごろに掲載します。)
見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。
(展示会_閉会日順)
・8月3日(土)、4日(日)そごう大宮店3階連絡通路「ほるたま展2024_古墳時代の祈り」埼玉県埋蔵文化財調査事業団
・8月31日(土)まで 杉戸町文化財展示室(杉戸町大字木津内524エコ・スポいずみ内)「幸手と杉戸の古墳時代~下総台地の集落と墓~」*幸手市ホームページ
・9月1日(日)まで 粕川歴史民俗資料館(群馬県前橋市)「発掘された銅銭ー前橋市内の一括出土銭ー」
・9月1日(日)まで 埼玉県立さきたま史跡の博物館「埼玉の考古おひろめ展―地中からのメッセージ」
・9月1日(日)まで 栃木県埋蔵文化財センター(栃木県下野市)「出土したカオ・かお・顔」
・9月16日(月・祝)まで 千葉市立加曽利貝塚博物館(千葉県千葉市)「市原歴史博物館×加曽利貝塚博物館2024―縄文時代の土偶の顔―」
(講演会・講座)
・8月24日(土)さきたま講座3 埼玉県立さきたま史跡の博物館 黒坂禎二氏 「加須市長竹縄文盛土集落の復元」(要申込)
・9月14日(土)さきたま講座4 埼玉県立さきたま史跡の博物館 篠川賢氏 「稲荷山鉄剣銘を読む」(要申込)
(現地見学会)
・9月7日(土)塚原南遺跡(東松山市) 埼玉県埋蔵文化財調査事業団(事前申込制)
*春日部市郷土資料館では「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」を開催中です。9月1日(日)に関連のリレー講演会も開催します。
「都鳥が見た古代」展示解説講座を開催しました
7月28日日曜日、夏季展示解説講座を開催しました。
当日は、ホールで開催する予定だったのですが、空調に不備があり、急遽、研修室での開催となりました。ご参加いただいた方にはご迷惑をおかけしました。
講座では、展示内容に沿って、なるべく春日部で発見された奈良時代・平安時代の遺物を多くとり上げて解説しました。
春日部の奈良時代・平安時代の遺跡は、台地上では、宝珠花地区の貝の内遺跡や陣屋遺跡、低地では、春日部駅から八木崎駅の東武アーバンパークライン(野田線)北側の自然堤防上に広がる浜川戸遺跡や八木崎遺跡などが代表的です。
春日部市域は大部分が中川低地という低地ですが、低地の中には、自然堤防と呼ばれる川によって作られた微高地があります。川は、洪水のように多くの水が流れた時に、同時に流されてきた土砂を川の両岸に積み上げ、あたかも堤防のように川に沿って微高地が形成されます。この自然堤防を地図上に落としていくと、現在の河川が、現在とは違う流れになっていることや、現在全く川が流れていない地区にも、かつては川が流れていたことを推測することができます。自然堤防の分布は、国土地理院の「地理院地図」→「治水地形分類図」などでお確かめください。(地理院地図)
川は、奈良時代・平安時代、船を使って、荷物を運んだり、人が行き来するための重要な交通手段であったと考えられます。浜川戸遺跡や八木崎遺跡は、こういった舟運の拠点であった可能性もあります。
ちなみに、今回の夏季展示では、平成9年、埼玉県立春日部高校の新校舎建設の際に行われた発掘調査で発見された八木崎遺跡の遺物を多く展示しています。
郷土資料館の夏季展示は以下の通りです。またこの後も、イベントも予定しておりますので、どうぞご参加ください。
春日部市郷土資料館 第70回企画展示
東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」
会期:令和6年7月20日(土)から9月1日(日)
開館時間:午前9時から午後4時45分
休館日:毎週月曜日・祝日
会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)
共催:東部地区文化財担当者会
(関連イベント)
●東部地区文化財担当者会40周年記念リレー講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」
埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代の遺跡や資料について、東部地区文化財担当者会考古部会のメンバーが報告します。
講師:鬼塚知典(春日部市)、守谷健吾(杉戸町)、篠田泰輔(行田市)、杉山和徳(白岡市)、関絵美(八潮市)、油布憲昭(幸手市)
日時:9月1日(日)13:30から17:00
場所:教育センター視聴覚ホール
定員:100人(申込順)
費用:無料
申し込み:7月10日(水)から電話(048-763-2455)、直接、電子申請
●ミュージアムトーク
企画展示会場で郷土資料館学芸員が展示解説を行います。
日時:7月20日(土)、8月15日(木)、8月25日(日)各日10:30~、15:00~(30分程度)
場所:郷土資料館企画展示室
費用:無料
申し込み:不要
”神明貝塚”ボランティア講座を開催しました
広報7月号で募集しました”神明貝塚ボランティア講座”を7月26日(金)午後に開催しました。
今回は教育センターで初めての顔合わせの会、市内各所から14名の皆さまが参加いただきました。
「何をするの?!」「どんなことをやらせるの?」「わたしでできるのかしら」、という不安と期待を抱きながら応募された方々ばかり。この機会に何らかの形で”神明貝塚”に携わっていただきたい、広めていただきたいという、文化財課からの趣旨説明を皮切りに、これまでの神明貝塚のあゆみと現在の進捗状況、そして神明貝塚の実態と特徴をパワーポイントにより共有しました。
▲先ずは座学で神明貝塚が縄文時代のムラ貝塚として知られる経緯と現在の状況、発掘調査から得られた神明貝塚の特徴と国史跡に指定されるに至った実態と魅力を講義。
その後は懇談と交流。「遺跡に興味があったので、神明貝塚に携わりたかった」、「長年、春日部は眠りに帰ってくる場。埼玉都民だったので、自分の住む地域を知りたい」、「もっと歴史を学びたい、調査し、深めたい」という、積極的な応募理由と多様な興味関心を伺うことができました。
▲自己紹介や応募の経緯などの交流をとおして和やかに。「こんなことができれば」「こうしたい!あぁしたい!」がたくさん出るよう、様々なメニューを準備していきます。
次回は『土器のふれあい体験』として、貝塚から発掘された土器や石器の道具と、貝類や獣骨などの縄文人の食料資源を見て・触っての機会に。11月には神明貝塚現地の散策を予定しています。
10月号広報紙でも改めて募集を行いながら、史跡神明貝塚の輪を広げてまいります。興味関心のある方は随時の応募をお待ちしております。
手づくりおもちゃクラブを行いました #博物館実習
7月28日(日)は、午前、午後に手づくりおもちゃクラブを行いました。ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。
今回のおもちゃクラブでは、私たち博物館実習生の3人も設営・補助に加わりました。私たち実習生は、参加いただいた皆さまに、春日部市飯沼にまつわる伝説の紙芝居を読み聞かせを行いました。読み聞かせは前日から練習を行った成果が出て、話すスピードや声量、読み聞かせ最中の目線の意識など参加した皆さまに最も良い結果で披露できたのではないかと思います。
その後の手づくりおもちゃ・缶バッジの作成では、参加した皆さまは、みんな笑顔でケガをすることなく無事に終えることができました。重ねまして、本日ご参加いただいた皆さま、本当にありがとうございました。
#かすかべ地名の話 (6)#武里 その2
前回、武里は明治22年に誕生する、それほど古くない地名であることを紹介しました。 #かすかべプラスワン
また、明治17年には、備後村に聯合戸長役場が置かれ、地域・行政の中心的位置にあったにもかかわらず、22年の合併の際には、備後村の地名が採用されず、むしろ反対運動が起こったことを紹介しました。
反対運動があったことは、合併直前の明治21年の大枝村の議定書から明らかになります(『春日部市史近現代資料編Ⅰ』№14)。当時の南埼玉郡長は、近隣の「大村」であるとの理由をして、備後村を合併後の新村の名称にすると想定していたようですが、これに対して、大枝村では次のように反発しています。
何ントナレバ従来一ケ村ニ名ケラレ、備後村ノ称ヲ以テ、数ケ村ヨリ成レル新制区画ニ被ラシムルノ実ハ、新ニ他ニ数ケ村ヲ併呑センカ如キノ名アレバナリ聞ク、或村ノ人民ハ郡長ノ仮定スル所ヲ是レ認シ、七ケ村ヲ己ガ村名ノ下ニ立タシメン事ヲ希望セバト、夫レ或村人民ノ希望ハ我々他村人民ノ彼カ村名ヲ頂ヲ欲セザル所以ノ情実ヲ徴スベキ反応的ノ現象ナリトス、苟モ如斯ンバ、彼我相睥睨スルノ原流ヲ今日開キ、長ク名義上ノ争ヲ以テ実際交渉ノ円滑ヲ害フノ結果ヲ生セン、是レ我々人民カ永久ニ迎フベキ幸福アル自治ノ新天地ニ惜ムナキ能ハザル所トス、
すでに村名として使われていた「備後村」を合併後の名称とするのは、他の村を併合する場合だと聞いている。ある村の人は「備後村」の案を認め、またある村の人は「備後村」となることをよく思わない状況になっている。新たな村の誕生にあたり、村名をめぐって、住民が見下したり、軽蔑したりすることは、今後の自治の弊害となってしまう、と。
したがって、新村は「新撰ノ村名」を用いなければならない、と議定書に記されています。
備後村以外の七か村(大畑村、市ノ割村、中野村、大枝村、薄谷村、増田新田、大場村)では、村名について協議する委員を設置し、議論を重ねたようです。がしかし、議論は暗礁に乗り上げたようです。
のちに埼玉県でまとめられた「町村編制理由書」には、武里村の村名の選定の理由として次のように記されています。
大村名若シクハ各村名ヲ参互折衷シテ新村名ヲ付セント欲スルモ、協議整ハス、而シテ各村皆武里村ト称センコトヲ切望シテ止マス、其文字ノ依ル所ナシト雖トモ、之ヲ採ラサレハ、合併シ能ハサルニ至ル故ニ之ヲ採ル(『春日部市史近現代資料編Ⅰ』№17)
大きな村であった備後村は旧来の地名であり避けられ、また、新村を構成する村名の文字なども取り入れない方針がとられた模様で、「武里」の案が推されました。「武里」とは「武蔵野里旧称」によるものとされています(大正2年「武里村郷土誌」)。かつて、武里の地は、武蔵国埼玉郡に属していたため「武蔵野」、「里」は田んぼやお社のある農村という意味でしょうか。「武里」は、のどかな田園地帯が広がる当時の風景が思い起こされます。
この「武里」という地名を発案したのは、備後村の医師・石井立敬という人だったといわれています(武里中学校創立50周年記念誌『三色旗』、1996年)。確たる古記録はなく、地元に伝わる口伝のようですが、はじめは「武野里」と命名されたが、中野村(現武里中野)の「野」と重ならないように最終的に「武里」になったそうです(『三色旗』)。旧村の地名に重ならないように「野」を取ったというあたりが、上述した新村の名称をめぐる動向ともマッチしています。
さて、石井立敬は、幕末から明治後期の人で、在村医としてのみならず、国学・漢学も嗜んだ在村知識人でした(石井敬三「東武地方武里の俳人石井文竜翁について」『武蔵野史談』1-2、1952年)。晩年は牡丹の栽培に傾倒し、自らを「牡丹老人」と称しました。立敬の牡丹園は、明治中頃に備後の石井の牡丹園として知られ、東京から千住馬車鉄道で観光客が多く来客したといわれています。
郷土資料館では、立敬の肖像を所蔵しています。備後村の人でありながら、他の村の人たちも納得させる「武里」という地名を生み出したのですから、立敬が知識人として、いかに頼りにされていたのかが想像されます。以前の展示では、立敬を「春日部の牡丹の父」として紹介したことがありましたが、「武里の生みの親」でもあるのです。
何気なく普段つかっている「武里」という地名は、旧村の序列することなく、8か村が納得して合併するために生み出された造語の地名であったといえるでしょう。
ちなみに、「武里」は確かに武蔵国であり、武蔵野ともいえますが、それは江戸時代のこと。戦国時代以前は下総国であったはずです(それは香取神社の分布からよく主張される)。明治期の在村知識人の郷土の歴史認識が窺える地名ともいえましょうか。明治の造語とはいえ、様々な歴史的な背景・経緯のなかで、当時の人たちが考えた地名ですから、地元の皆さんはこれからも誇りにして伝えていただきたいなぁ、と思う次第です。
令和6年度博物館実習初日の活動
令和6年度の博物館実習が始まりました。今回のブログは実習生が担当いたします。
実習初日の午前中は、明日の子供向けワークショップに向けての準備を行いました。他の実習生や指導してくださった郷土資料館の学芸員の方と共におもちゃの作成や明日行う紙芝居の練習をしました。
特にぶんぶんゴマの遊び方には意外と苦戦しましたが、明日のワークショップでは子どもたちのいい体験になるように楽しんで帰れるように頑張りたいと思います。
午後には、まず、収蔵庫の見学を行い、資料の収蔵までのプロセスや保管方法について説明して頂きました。
収蔵庫には、実際に春日部郷土資料館の展示でみられる資料よりも多くの資料が保管されており、なかなか見られることのない資料館の裏側が見られてとても貴重な体験になったと思います。
その後は、博物館に関するディスカッションを行いました。
ディスカッションでは、理想の博物館について、そして春日部郷土資料館についてどう考えるかというテーマで話し合いました。
理想の博物館については、「地域を身近に感じることができる館」が理想であるという考えが多く出ました。
一方で、春日部市郷土資料館については、「体験的なワークショップが行われている点が良い」「狭いスペースでありながらも地域についてわかりやすい展示がされている」といった意見が出ました。
郷土資料館での実習期間を通して、地域を身近に感じられる、地域を知ることができる博物館とはどのような博物館であるのか。そのような博物館を作り上げていくには自分たちはどのようにしていくべきなのかを考えられたらと考えています。
#かすかべ地名の話 (5)#武里 その1
久しぶりの春日部市内の地名の話題。今回は武里について。 #かすかべプラスワン #地名の由来
「武里」(たけさと)という地名は、小学校・中学校、市民センター(公民館)、団地の名称、それから東武鉄道の駅名として使用されており、春日部市の南部を構成する地域名称として、今も幅広く、そして根強く使われている地名の一つです。しかし、実は「武里」という地名は、それほど古くはない、というと驚く方も多いかもしれません。
「武里」が生まれたのは、明治22年(1889)4月の市制・町村制の施行(江戸時代以来の町村の合併)に伴う武里村の誕生をきっかけとしています。武里村は、備後村、大畑村、市ノ割村、中野村、大枝村、薄谷村、増田新田、大場村の8か村が合併して成立しました。現在も武里地区内で、住居表示で用いられている備後東・備後西、大畑、一ノ割、武里中野、大枝、薄谷、増田新田、大場は、江戸時代以来の地名ということになります。
武里村の誕生する以前、明治17年(1884)には、備後村聯合戸長役場が設置されました。備後村聯合戸長役場が管轄する村は、備後村、大畑村、市ノ割村、中野村、大枝村、薄谷村、増田新田、大場村で、のちの武里村の範囲を同じくするものでした。このなかで、当時、戸数・人口が最も多かったのは備後村でした。備後村に聯合戸長役場が設置されたのは、周辺村の中心的な村であったのかもしれません。以下は、備後村聯合戸長役場の文書(明治18年1月地誌編修)。
そして、明治22年に武里村の誕生を迎えるわけですが、村名は聯合戸長役場時代に中心的な位置を占めた備後の地名が採用されると思いきや、そうはならなかったのです。合併し、備後村となる事を、反対する動きがみられました。
・・・少し、長くなりそうなので、続きは後日にすることにします。
「都鳥が見た古代」開幕ーミュージアムトークを行いました
夏季展示「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」が開幕しました。
7月20日(土)は、午前、午後にミュージアムトークを行いました。ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。
今回の展示のポスターでは、八木崎遺跡で発見された紡錘車(ぼうすいしゃ)をメインにしました。ポスターでは30㎝を超える大きさに拡大していますが、実際には5㎝にも満たない小さなものです。紡錘車は糸をつむぐ際に、中央の穴に棒をさしこみ、コマのように回して使われた道具です。
この紡錘車には、針のような工具で、6文字の文字が刻まれています。時計回りに「奉念随□道足」と書かれます。□としている文字は「佛」に近い字(”にんべん”が”しんにょう”)です。
読み下せば、「念(ねん)じ奉(たてまつ)り、仏(ほとけ)に随(したが)う 道足(みちたり)」となり、仏に何かを祈願することが想像され、仏教的な意味合いを持つのではと考えられています。(宮瀧交二 2002「3.八木崎遺跡第6号住居跡出土の刻書紡錘車について」『八木崎遺跡』埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書第281集)
なぜ、紡錘車にこのような文字を刻む必要があったのかは謎ですが、文字が刻まれた紡錘車は多く発見されており、単に糸をつむぐ以外にも、何らかの意味を持った道具であった可能性があります。
ミュージアムトークは、このあと8月15日(木)と8月25日(日)に予定しています。どうぞご来館ください。
春日部市郷土資料館 第70回企画展示
東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」
会期:令和6年7月20日(土)から9月1日(日)
開館時間:午前9時から午後4時45分
休館日:毎週月曜日・祝日
会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)
共催:東部地区文化財担当者会
(関連イベント)
●東部地区文化財担当者会40周年記念リレー講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」
埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代の遺跡や資料について、東部地区文化財担当者会考古部会のメンバーが報告します。
講師:鬼塚知典(春日部市)、守谷健吾(杉戸町)、篠田泰輔(行田市)、杉山和徳(白岡市)、関絵美(八潮市)、油布憲昭(幸手市)
日時:9月1日(日)13:30から17:00
場所:教育センター視聴覚ホール
定員:100人(申込順)
費用:無料
申し込み:7月10日(水)から電話(048-763-2455)、直接、電子申請
●展示解説講座「春日部の奈良時代・平安時代」
春日部市の奈良時代・平安時代の遺跡を中心に、郷土資料館学芸員が解説します。
講師:郷土資料館学芸員
日時:7月28日(日)10:00から12:00
場所:教育センター視聴覚研修室
定員:50人(申込順)
費用:無料
申し込み:7月10日(水)から電話(048-763-2455)、直接、電子申請
●ミュージアムトーク
企画展示会場で郷土資料館学芸員が展示解説を行います。
日時:7月20日(土)、8月15日(木)、8月25日(日)各日10:30~、15:00~(30分程度)
場所:郷土資料館企画展示室
費用:無料
申し込み:不要
土器作り教室を開催ー1日目ー形づくりにチャレンジ!
7月21日(日曜日)、市役所1階のひだまりホールで土器作り教室を開催しました。コロナ禍の令和3~5年はご自宅でオンラインによる制作でしたが、今年は5年ぶりに対面で実施。広報7月号の募集では、早々に募集定員を超える人気講座はコロナ感染前と同様、大変好評です。
開講式ではビデオの視聴をとおして、土器作りと野焼きの手順を確認し、家族単位で制作を開始。
▲動画をみながら土器作りの流れをみていただきました。作り方のポイントが確認できました
今回の粘土は瀬戸・美濃焼にも使われている愛知県産の陶芸用粘土ですが、機械練りのため、まずは粘土を手で練り込む作業から開始。練れば練るほど粘りが出て粘土中の鉱物も均一になり、積み上げ易くなるため、一仕事。空調が効いたホールですが、うっすらと汗をかきつつ、次の工程は底づくり。球状にまとめた粘土を両手で押し潰し、厚さ1㎝ほどの円盤を作りました。その後は、粘土紐の積み上げ、考古学では「輪積み」技法と呼んでいますが、粘土紐を一段ずつ積み、底や下段と馴染ませるよう整形していきます。ここでの注意点は積み上げた粘土紐がわからないよう指先を使って痕跡を消す作業です。粘土ひもはあたかも粘土工作のヘビに似ているため、土器の表面にヘビがいなくなるよう、丁寧にヘビを消す作業が最大のポイント。
▲二時間ほど制作に集中。大人の皆さんも久しぶりに一心不乱にモノ作りにできた!との感想をいただきました
職員からの再三の注意が功を奏したようで、粘土のヘビを残す作品はほぼありませんでした。2時間ほどかけて思い思いの形の作品が無事完成!参加された皆さんも笑顔で会場を後にされました。
▲43名の参加者の作品。思い思いの土器が完成!「貯金箱」にしたいから埴輪型にという、既に用途を決められた方もいました。
このあとは約1ヶ月間、作品を預かり、ゆっくりと日陰干しを行います。水分を含んだ茶褐色の土器は徐々に水分が抜けて乾燥し、土器の表面は白色へと変化していきます。お盆の頃は最後の乾燥に向けて直射日光による日干しを行います。
8月18日に大凧文化交流センターでの野焼きによって作品は完成となります。
野焼きの様子は改めてブログで報告します!参加者の皆さん、2日目もよろしくお願いします。
夏祈祷「西金野井の獅子舞」の公開
各地で猛暑が続いていますが、7月14日(日)に引き続き、郷土の伝統の舞が公開されました。
7月21日(日)には、埼玉県無形民俗文化財に指定されています「西金野井の獅子舞」が西金野井香取神社とその周辺地で、悪疫退散・家内安全・五穀豊穣を祈願する夏祈祷が舞われました。
神社拝殿での神事後、三匹獅子による「芝廻り」に加え、保存会の皆さまがてしおにかけて指導した南桜井小学校の伝統芸能クラブの子ども獅子の「芝廻り」、猛暑をしのぎやすいよう保存会三匹獅子の「雨乞い」などの演目を披露。その後は、神社正面の大鳥居や、江戸川堤の改修の歴史を伝えるかつての参道に配された鳥居(裏参道鳥居)の2か所で「辻切り」により地域の家内安全が祈願されました。
▲南桜井小学校の伝統芸能クラブの「辻廻り」と「辻切り」の演舞。5月から7月の練習成果を発揮。6学年はこれまでの積み重ねを舞いに表現。素晴らしい舞に地域の皆さまからも盛大な拍手をいただきました。
この日は、5年生が林間学校と重なってしまったため、4,6年生の参加となりましたが、クラブ活動や神社で練習を繰り返した成果が素晴らしい演舞となって地域の皆さまに披露されました。また、このクラブ活動を経験した高校生、大学生の卒業生2名が笛役で参加いただきました。数年の空白期間がありましたが、身体で覚えた音色は褪せることなく、境内に鳴り響きました。引き続き参加いただけそうで、頼もしい後継者になりそうと、保存会会長さんも大粒の汗と共に満遍の笑顔がみられました。
▲保存会の三匹獅子「花見の舞」
激しさの中にストーリー性のある演目で今年も演目の解説も加えていただきました。
▲祭礼の締めの演目「注連切り」。太夫獅子による注連縄を切ることにより悪疫払いを表現。中獅子、女獅子もそれぞれ華麗の中でも激しさ、厳しさをみる伝統の演舞の代表演目です。
西金野井の獅子舞は年に一度、海の日に近い日曜日が公開日となっています。市内の伝統芸能は10、11月に秋祈祷の舞が公開されますので、近づきましたらお知らせいたします。
#夏休み #自由研究 のお手伝い
いよいよ夏休み。多くの子どもたちが初日を迎えた7月20日。早速、郷土資料館に夏休みの自由研究のお問い合わせが。。。宿題をすぐにやるタイプですね。素晴らしい。 #かすかべプラスワン
問い合わせの一つは、自分の先祖調べ。身近な歴史を調べるという、学校の夏休みの宿題が出されたそう。昔の地図や絵図の調べ方、先祖の調べ方について、簡単にレクチャーしました。
もう一つは、自分の住んでいる地区の形(境界)がなぜそのようになっているのか、というもの。非常に難しいのですが、多くの場合は、江戸時代の検地(土地丈量・測量)に境界が定められ、こんにちに至っていると考えられます。水路や道が境界となったり、村に属する人(家)の所持地が境界となる場合もあります。近代や現代の開発などによって、境界が再設定されることもあるようですが、個別のケースを追跡するのは、限界があります。が、境界について考える資料を提供することができました。
夏休みの自由研究は、理科的分野がテーマとして設定されることが多いようです。たしかに、実験とか観察とか楽しいですからね。
けれども、夏休みにおうちの方といっしょに、自分のルーツ、住んでいる土地のルーツを調べてみるのも、悪くないと思います。そうした学習は「調べ学習」とか「郷土学習」とか言われ、地味で、大変そうですが、自分のルーツについて深く知ることで、ルーツについて誇りをもち、2学期を迎えることができるのではないでしょうか。
そうした「調べ学習」「郷土学習」に対するお問い合わせ、レファレンスに、郷土資料館は力を惜しみませんので、自由研究を何にしようか悩んでいるあなた、ぜひ挑戦してみてください。ただし、資料がなく、わからないこともあります(それが人文学の醍醐味ですが)。その点、ご了解ください。
【手作りおもちゃクラブ】ぶんぶんゴマと吹き上げパイプを作ろう!
7月28日(日)に“手作りおもちゃクラブ”を開催します。
「手作りおもちゃクラブって何?」「どういうことをやるの?」と思われる方にちょっとご説明。
“手作りおもちゃクラブ”は、
①約100年くらい前に使われていた蓄音機を使って音楽鑑賞
②春日部に伝わる様々な伝説の紙芝居の読み聞かせ
③みんなで手作りのおもちゃ作り
の3つを取り入れた、お子様にっこりのイベントです!
作るおもちゃによって終了時間は異なりますが、全部で1時間満たない程度の時間なので、お気軽にご参加ください♪
今回作るおもちゃは「ぶんぶんゴマ」と「吹き上げパイプ」です。
皆さんも遊んだ記憶があるのではないでしょうか?
こどもだった頃、楽しく遊び、
大人になり、懐かしく振り返るもの。
そんなおもちゃをこれからの世代にも伝えていきたいですね!
本講座はお申し込み不要、おもちゃの材料は資料館で用意しています。
当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!
【手作りおもちゃクラブ】
日時:令和6年7月28日(日)午前10時30分~・午後2時~
場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)
内容:蓄音機と紙芝居の上演
おもちゃづくり(ぶんぶんゴマ・吹き上げパイプ)
費用:無料
申込:不要(開催時間までに郷土資料館にお越しください)
市内各所で伝統芸能ー市指定無形民俗文化財ーが公開されました
7月14日(日)には、榎、赤沼、銚子口の3地区で伝統芸能が公開されました。
榎地区では、榎の囃子神楽が公開、午前の小雨の中、地区の役員さんによる辻切りが行われ、集会所に戻ると神楽の奉納へ。
▲狐役と大太鼓は江戸川小中学校の5年生が担当、4年生で経験した神楽の授業がきっかけで今夏の祭礼に参加してくれました。授業で指導を受けた保存会のみなさんと肩を並べ堂々とした太鼓の打ち鳴らしでした。
保存会の皆さんが週一度、江戸川小中学校へ神楽の指導に対応されている中、5年生の二人が例祭に参加してくれました。昨年、4年生時に学校での授業を契機に囃子と神楽に興味を抱いてくれたようで、本日は大太鼓を担当。もう一人は授業で覚えた大黒天を堂々と演じてくれました。
この例祭では、神楽の演目は小学生と高校生が演じてくれました。長年の学校での授業での指導が実りつつあるようです。
赤沼地区では、赤沼の獅子舞が公開されました。今夏は子ども獅子を担う小学生が11名と、大きく増えたところも見どころです。昨年秋に地元豊野小学校開校150周年で舞ったことが契機?と社中会長も手応えを感じていたようで、地区の皆さまも愛らしい子ども三匹獅子に期待が高まっていました。また、祭礼冒頭の庭入では天狗役を先頭に奉納舞の場を清める所作がありましたが、さまざまと検証した結果、『猿田彦』に行き着きました。衣装の新調も相まって新たな役が加わりました。
▲衣装や面の修繕を契機に「天狗?」検証を重ねた結果、『猿田彦』と解釈したという。また、今夏も女性による女獅子が活躍。激しさの中でも優雅な舞には拍手喝采。近いうちに三匹獅子を女子が担う機会がありそうだ。
また、三匹獅子のうち、女獅子(めじし)には女性が加わり、激しい演舞の中、女獅子らしい優雅さを兼ねそなえる舞が披露されました。
▲赤沼の特徴である子ども獅子。今夏は小学生1年生から総勢11名が愛らしい獅子舞を披露してくれました。高学年、そして中学生、高校生になっても継承に期待したい。また、祭礼の終盤には迫力ある「弓くぐり」。降雨で室内での公開となったが、見事に弓の弦を通過してくれました。
そして例祭最後には五穀豊穣を祈願する「弓くぐり」が舞われ、通常は境内地であるものの、降雨のため集会場室内と限られた空間の中で太夫獅子が見事に弓をくぐり抜け、秋の豊作が占われました。
銚子口地区では、銚子口の獅子舞が公開されました。今夏の見どころは、元禄10年(1697)の伝承以来初めて三匹獅子の太夫、中、女獅子を女性が担う三匹獅子です。これまで三匹のうち、一役を女性が担ってきた経緯はありますが、練習を重ね三匹獅子の奉納となりました。祭礼開始の午後2時には雨が止み、急遽、境内地での公開へと変更されましたが、天狗を先頭に庭入りから、出端では女獅子が、中獅子の舞では中獅子が、さんぎりの舞では太夫獅子が、それぞれの一演目を堂々と演舞され、地区の皆さんからも盛大な拍手をいただきました。
▲天狗を先頭に三匹獅子が境内を清める「天狗の舞」と女獅子による「出端の舞」と中獅子の「中獅子の舞」に転換するタイミングもスムーズに。優雅な演舞に地域の皆さまからも大きな拍手をいただきました。
▲祭礼の締めは「弊がかりの舞」。天候が回復し、境内での奉納舞となったため、コロナ後、初めての獅子頭の被り直し。女性3人から急遽、若衆の出番になったが、同世代の息のあった勇壮な舞が披露され、御幣によって「家内安全」「五穀豊穣」が祈願された。
伝統芸能に携わる皆さんが長年にわたって守り・悩まれてきた伝統や慣例が時代の流れと共に、継承を第一に受容されてきました。今秋の祭礼でもさらなる伝統の舞の継承に向けた活躍が期待されます。
7月21日(日曜日)には、西金野井地区の香取神社で県指定無形民俗文化財の西金野井の獅子舞が公開されます。南桜井小学校の児童が練習を重ね、保存会の皆さんともども、江戸時代から継承される伝統の舞を是非ともご覧ください。
やったり踊りの公開ー県指定無形民俗文化財ー
天候不順が続いた祝日海の日を絡めた週末には、市内各所で伝統芸能の公開がありました。 その初日、7月13日(土曜)には、武里駅からほど近い大畑香取神社境内では、埼玉県無形民俗文化財に指定されている「やったり踊り」が公開されました。
午後8時、香取神社から南東方向400mほどの西光寺から太鼓と笹笛の囃子に合わせて「練り込み」を開始、約50分かけて奉納舞の会場に到着。
▲西光寺から大畑香取神社にかけての道中はゆったりとした「練り込み」で向かう。地域の皆さまの歓声で小若も祭り気分が高揚する場面である。
小学生低学年、そして高学年の小若から「扇子踊り」。先月の練習の成果が出せたようで、元気な掛け声、大きな舞が披露されました。
若衆では、高校生と大学生が加わり、若手の後継者も奮闘。ベテラン組にしっかりと追随した大きく迫力のある舞でした。
▲小若は赤の鉢巻きと半被、若衆も赤の鉢巻きに薄藍色の浴衣を片袖掛け、赤の鼻緒の草履という装束。上下動の激しい「扇子踊り」は屈伸と強い反り返りが特徴になっている。
続く「手踊り」でも最後まで小若は練習で指導を受けた、手のひらから指先までの細かな動き、足さばきと、一生懸命な姿をみることができました。
▲哀愁を帯びた唱に合わせ、手は蓮の花を表現。県内でも数少ない念仏踊りとも称される「手踊り」。それでも身体の動きが激しく勇壮な舞でもある。
今夏の伝統芸能の参加が一時ではなく、後継者として引き継がれることに期待しています。
#展示替 100年前の春日部夏祭り
週末は、夏の恒例 #春日部夏祭り というわけで、常設展の一部を展示替しました。 #かすかべプラスワン
といっても、せま~いので、ケース一つ分です。企画展示の展示替えもあり、急遽、スペースができたので、構想と準備は半日、という突貫展示です。
春日部夏祭りは、もともと、粕壁宿(町)の牛頭天王社(八坂神社)の祭礼を起源とします(詳しくは以前の記事参照)。古くは江戸時代の記録もありますが、資料館収蔵品には、大正10年(1921)の古写真や記録があり、すでに知られている写真絵葉書も一同に会します。そして、初公開の資料も。
この写真は、大正10年の上町の子どもたちの集合写真です。みな、着飾って、女の子は化粧をしています。
上町の「油米」「永庄」「厚見本店」などの半纏を着た保護者(?)が後方に立っており、粕壁町を代表とする上町の商家の子息たちのようです。初公開です。
夏季の期間には展示していますので、夏祭りを楽しむ方(事後・楽しんだ方)は要チェック。資料館に涼みに来たついでにご覧ください。
企画展が終わりました(反省)。そして、次期展示へ。
7月7日(日)で「まちをみつめて50年」展が終了しました。次期の企画展示がまもなく始まりますので、企画展示室を早速撤収しました。 #かすかべプラスワン #展示の反省
設営のときは、あーでもない、こーでもないと試行錯誤をしながら時間に追われ展示していくのですが、撤収はあっという間に終わります。
撤収作業のなかで、今回の企画展について、いろいろと顧みながら、反省もしました。
今回は、旧春日部市の市制施行70周年の区切りの年であり、新しい庁舎で業務が始まった年でありましたので、おおよそ70年間の市政の歩みについて紹介する企画でした。とくに、昨年度閉庁した旧庁舎にスポットをあて、市制の周年事業を柱にたてながら、展示を構成しました。
郷土資料館としては、企画展「1960年代の春日部」以来の現代史の展示になりましたが、1960年代の春日部にも重なる部分も多く、展示資料に苦労しましたし、昭和30年代から平成初頭に至るまでの資料が限られ、『広報かすかべ』の縮刷版が頼りであることや、縮刷版が出ていない平成10年代は資料がさらに限られており、現代史としての市政の歴史を見ていく限界を感じながら、展示をつくりました。
市政の歩みについては、油断すれば、市役所の建設に象徴されるように、建物(ハコモノ)やインフラの整備が進んだこと自体に目が移りがちになってしまいます。市が作成した市政の各種の年表も、おおざっぱにいえば、ハコモノやインフラの建設年表になっています。
資料館の展示としての目指すべき理想像は、市政に関わる人・人の顔がわかるような展示ですが、これも広報縮刷版や、わずかな行政資料では限界があり、また現代の方々のプライバシーなどに配慮すべきこともあり、展示ではうまく表現ができませんでした。また、何よりも市政の歴史的に歴史的な評価を下すことが難しい。現在にモロに直結する現代史の難しさを痛感しました。
そういうわけで展示は、旧庁舎と周年事業を柱立てにして構成しました。というより、せざるを得なかったというべきでしょう。暗澹たる思いで準備をはじめましたが、腹をくくって、市制40周年の「かすかびあん」にスポットを当てようと密かに画策して展示を設営しました。
「かすかびあん」については、前にも触れた通りですが、今年で「かすかびあん」誕生からちょうど30年の年でもありました。様々なグッズがあるなかで、実際に展示するなかで、おっ!と思ったのはこちら。
市制施行40周年で特産品協議会が制作したこのティッシュボックス。
正面には「かすかびあん」が。
この箱は、当然、春日部市の特産品である桐箱です。
だけど、ポピュラーな印籠蓋ではない。背面をみると・・・
なんと、茶道具や木彫などを入れる「オトシド」と呼ばれる技法の蓋になっています。
手がかかっているといえるでしょう。
さらに、天板と側面もよくみると・・・
ティッシュの出し口は麦わら帽子の形で、縁には麦わら真田が付されています。
「かすかびあん」もよくみると、少しモッコリしています。これは、押絵羽子板の押絵の技法で作られています。
いわずもがな、麦わら帽子も押絵羽子板も、春日部市の特産品です。
何気ない周年グッズだと思いきや、特産品の技術が集約されたティッシュボックス。市制の資料としても、伝統工芸の資料としても、春日部市を象徴するとても良い資料です。展示室が広ければ、常設展示に出してもおかしくない、「優品」です。
といった具合に、展示の準備をしながら、様々な発見が今回もありました。資料を実見していると、当時の人たちの思いや考えがヒシヒシと伝わってきます。市政の歩みとは、過去の人たちの様々な思いの積み重なりである、と改めて実感しました。展示で、その思いが皆さんに伝わったかどうかはわかりませんが、ご覧いただいた方には、過去の市政の歩みを振り返りながら、今の春日部市について考えていただく機会に少しでもなったのならば幸甚です。ただ、現代史の展示は、しばらくは勘弁してほしいなぁというのが本音ですが。
長くなりましたが、次期展示は絶賛準備中。ご期待ください。
東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」
埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代の販売を開始しました
埼玉県東部の市町で組織される東部地区文化財担当者会より、『埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代』が刊行されました。東部地区の奈良時代、平安時代を考古学調査の成果から紹介します。郷土資料館、図書館等でご覧いただけるほか、販売もしております。
東部地区文化財担当者会:春日部市・越谷市・久喜市・八潮市・三郷市・蓮田市・幸手市・吉川市・白岡市・宮代町・杉戸町・松伏町・行田市・加須市・羽生市の文化財担当者で構成
(書名)『埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代』東部地区文化財担当者会報告書第9集
(価格) 1冊2,000円
(購入方法) 直接、次の頒布場所で購入できます。
春日部市役所本庁舎4階文化財課
春日部市郷土資料館
宮代町郷土資料館(宮代町西原289)
(目次)
<プロローグ>
<1 東部地区の奈良時代・平安時代の遺跡の概要>
はじめに
対象とする時代
対象とする地域と地形
東部地区に関係する代表的な河川
河川が作った地形
行田市の概要
羽生市の概要
加須市の概要
久喜市の概要
幸手市の概要
杉戸町の概要
宮代町の概要
白岡市の概要
蓮田市の概要
春日部市の概要
越谷市の概要
松伏町の概要
吉川市の概要
八潮市の概要
三郷市の概要
<2 住まいと建物>
竪穴建物
役所と掘立柱建物
<3 道具>
古代の土器
須恵器の流通
墨書土器
土師器焼成坑
鉄の道具と鉄作り
織物生産と紡錘車
<4 いのり>
仏教関連遺物
火葬墓
コラム
吉川市深井新田の自然堤防
万葉遺跡
屋敷裏遺跡の鉄製口琴
小敷田遺跡の木簡
条里
<エピローグ>
調査の経緯
スポットガイド
用語集
遺跡一覧
文献集
県指定無形民俗文化財「やったり踊り」公開に向けた練習
7月13日(土)の祭礼での公開に向け、やったり踊りの練習も仕上げとなった、7月7日(日)は午後4時を過ぎたにも拘わらず、気温は34℃。茹だる 外気ではありましたが、小・中学生の小若、そして成人の若衆の気勢の上がる掛け声の下、境内の大銀杏の木陰では、祭礼当日、西光寺から舞を奉納する大畑香取神社に向けて練り歩く「練り込み」、そして神社境内で奉納する「扇子踊り」「手踊り」の3演目を幾度となく繰り返しました。
▲大太鼓と笛を先頭に西光寺から大畑香取神社までは
「練り込み」と呼ばれる舞で移動
6月から重ねた練習により、小学生低学年の小若も可愛らしい所作を、高学年は堂々とした大きな舞に仕上がってきました。また、小中学生に舞に参加してくれた大学生3名も若衆の呼びかけに応じて久しぶりに復帰し、小若の指導にも手伝ってくれていました。地域の伝統の舞の継承が各世代で引き継がれること、期待しています。
▲扇子を持ち身体を大きく反る躍動感が特徴的な「扇子踊り」
▲哀愁の曲調の中で大きな屈伸や跳躍が入る激しさが入り交じる「手踊り」
祭礼当日は天候が不安の予報ですが、保存会の皆さんも昨年以上の舞が披露できるよう総意で準備を進めております。春日部東口の日光道中で開催される春日部夏まつりと共に、郷土春日部の恒例の夏の行事を現地で観覧してはいかがでしょうか。
とあるおもちゃの開発記録
郷土資料館では例年7,8、10、11、12、1月に“手作りおもちゃクラブ”という、こども向けのワークショップを開催しています。
当日は蓄音機で音楽の上演、春日部に伝わる伝説の紙芝居の読み聞かせ、おもちゃ作りの3本立てです。
作るおもちゃは、昔から親しまれているものや、電気を使わずに遊べるものに限定しており、だいだい6~7種類ほど。作るおもちゃは毎回1~2種類なので、年間を通して参加すると、全種類のおもちゃを作ったことになります。
なかなか同じおもちゃを2度作りに来てくれる子は少ないので、担当としてはおもちゃの種類を増やそうと、日々新作の開発に余念がありません。とはいっても年に1種類増やせるかどうかですが。。。
現在は郷土資料館のおもちゃコーナーにも設置してある、人気の「アレ」をミニサイズにして簡易的に作れないか模索中です。
作成可能であれば講座で作りたいのですが、材料を揃え、どの程度まで準備しておくかなどの検討も必要なため、お披露目の予定はまだたっていません。現在も開発を進めていますので楽しみに待っていてください♪
“手作りおもちゃクラブ”の開催日は広報かすかべや郷土資料館のブログでお知らせしますので、ぜひチェックしてくださいね!