2024年1月の記事一覧
令和5年度の文化財防火デー防災訓練を開催しました
1月27日(土)に小渕地区の浄春院にて令和5年度の文化財防火デー防災訓練を開催しました。 当日は快晴となりましたが、北風が強く吹き、まさに火災の発生しやすい条件下での訓練となりました。
この文化財防火デーは、昭和24年1月26日に奈良の法隆寺金堂が火災に遭い、当時世界最古の木造建造物と共に貴重な壁画が損傷したという痛ましい事故を契機に定められました。毎年1月26日前後に、全国各地で歴史的建造物や文化財を保存管理する社寺などで防災訓練が行われています。
本年は訓練会場である浄春院に伝わる、市指定文化財の「円空仏」(不動明王坐像)を対象に訓練を実施しました。本堂より火災が発生したという想定のもと、関係者の皆様を中心に通報訓練、文化財搬出、水消火器による初期消火訓練を行い、消防団による放水訓練で無事、鎮火というシナリオでした。
訓練の第二部では、模擬電話による通報訓練、水消火器による消火訓練、スモークハウス体験を行い、実際の火災の際に備えた訓練を実施しました。参加者の皆様からも「貴重な体験ができた」、「火災や震災の際に役立てたい」などの感想が聞かれ、有意義な訓練となりました。
浄春院のご住職、関係者の皆様、消防団の皆様、消防本部の皆様、寒い中、参加いただきありがとうございました。これからも所有者と地域の皆様との連携・協働をとおして貴重な文化遺産を未来に確実に残し伝えられるよう、ご協力をお願いいたします。
【出張授業】でばりぃ資料館in備後小学校
令和6年1月25日(木)に備後小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
今日は多目的室を2つに仕切り、2クラスが入れ替わる形式で開催しました!
1つは昔の学校の道具と、60年前の春日部の様子を紹介するブースです。
備後小学校が開校したのは52年前の1972年(昭和47年)です。なので今回持って行った約60年前の空中写真には、備後小はまだ存在しません。
子どもたちは空中写真に身を乗り出しながら、かつては春日部には田んぼが多かったことなど、楽しく昔の備後小周辺の様子を学びました。
もう一方のコーナーでは、昔の家で使われていた道具と、千歯扱きを使った脱穀体験をしました。
初めて見る道具にワクワクしている様子♪
実際に道具を触って、重さや使い方などを確かめながら学びを深めました。
各コーナー20分ずつという短い時間でしたが、その分集中が途切れることなく学んでくれたようです!
職員の説明に対する反応が良く、静かにしっかり聞く姿勢も持ち合わせている備後小3年生!資料館に来た子がない子も多いようなので、ぜひ今度来てみてくださいね♪
子どもたちからも先生方からも好評をいただいている「でばりぃ資料館」!
来週は桜川小に伺います!お楽しみに♪
【出張授業】でばりぃ資料館in豊春小学校
令和6年1月23日(火)に豊春小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
1月18日に開催した牛島小学校と同じく体育館を使用し、3つのブースを1~3組の各クラスが順番に回っていく形式での開催です!
まずは、昔の学校の道具・約60年前の春日部の様子を紹介するブースの様子から。
昔の春日部駅周辺の風景や、学校の周りはどうなっていたのかなど、現在の様子と比較してみてもらいました。
また、昔の学校の道具コーナーに展示した石盤(せきばん)など、今は毎日当たり前のように使っているノートが、70~100年くらい前は全然形の違うものだったことに驚いたみたいです。
昔の農業ブースでは、昔ながらの方法で稲から白米にするための過程をまなびました。
千歯扱き(せんばこき)を使った脱穀の体験や、唐臼(からうす)を使用する籾摺り(もみすり)の工程を簡易バージョンで体験しました。
籾の殻は固いので、手で剥くのではなく、唐臼のように2つのもの(唐臼の場合は木)で籾を挟んでこすることでもみ殻を外します。今回はすり鉢とボールを使っての疑似体験です。“プチッ!カリッ!”と音を立て殻が外れていくのが楽しいみたいです♪
そして昔の家の道具ブースでは、現在郷土資料館で展示中の資料をいつくかチョイスして、出張展示をしました。
手回し洗濯機などは特に人気で、子どもたちも興味津々!その他にも、昔のアイロンなどを手にもって体感してもらいました。
お話しを聞きながら頑張ってメモを取る様子も印象的でした!どうやらこの後、新聞を作るのだとか。
今日学んだことを生かして素敵な新聞に仕上げてくださいね♪
職員の言ったことをしっかりと聞いて、ルールを守って行動できる豊春小3年生でした!
今週は明後日25日にも備後小に出張ってきます!
3年生に限らず、他の学年の授業でも随時出張いたしますので、お気軽にご相談ください!
郷土資料館【手作りおもちゃクラブ】を開催しました
令和6年1月21日(日) の午前と午後各1回ずつ、郷土資料館手作りおもちゃクラブ「からくり屏風を作ろう」を開催しました。
今回は今年度最後の手作りおもちゃクラブ!
しかし、外はあいにくの雨。寒さも相まって外出するのがおっくうになるようなお天気。
「みんな来てくれるかなぁ。。」などと心配していたのですが・・・
この盛況ぶり!
いつも来てくれる子から初めましての子までたくさん参加してくれました♪
特に午前の部は参加者数が、過去6年間で最大の人数でした!
手作りおもちゃクラブでは、蓄音機の上演、紙芝居の読み聞かせ、おもちゃ作りの3つを行います。
先日、牛島小の3年生を対象にでばりぃ資料館を開催した際に、おもちゃ作りの宣伝をしたことで興味を持ってくれた子も参加してくれました♪
今日のおもちゃは「からくり屏風」です。2枚の板から4枚の絵柄が現れる不思議なおもちゃ!
来てくれた方に対して職員が少ない状態でしたが、保護者の方のご協力のおかげで、みんな上手に作り上げることができました!
そしてお土産の缶バッジ作り!
ちゃんと並んで順番を守ってくれましたね♪えらい!
これをもって今年度の手作りおもちゃクラブは終了です。
来年度も開催を予定していますので、広報かすかべや郷土資料館ブログなど、今後も欠かさずチェックをお願いします!
今年度もたくさんの子どもたちと楽しく過ごすことができました♪またお会いできる日を楽しみにしています!ありがとうございました!
こんな資料の活用、いかがですか?
本サイト内の「学校の先生方へ」を更新しました。 #かすかべプラスワン #教材 #小学校の先生 #館蔵資料総活躍社会
学校の先生方向けに郷土資料館所蔵資料を活用して、学校の授業を充実させてみませんか?と提案する情報を追記したものです。
資料館所蔵資料が最も利用される教科は、ほぼ8割が社会科の教材利用です。ただ、学校の教科書をめくってみると、ほかの教科でも資料が活躍する余地がありそう。執筆者は、わが子の音読を聞いたり、教科書をパラパラめくっていたりして気づいた次第。そんな小さな発見(思い付き)を具体化したのが、この「こんな資料の活用、いかがですか?」のリストです。
リストは、今年度の博物館実習生の協力のもと作成したもので、市内の小学校の教科書(全教科)をひたすらにめくって、授業の単元で資料館の所蔵資料が入り込む「余地がありそうなもの」をリストアップしました。
その後、リストを整理するなかで、郷土資料館所蔵資料は、大きくわけて3通りの活用法に大別できることがわかってきました。
第一に、体験して学びを発展させる。
教科・単元に関わる道具や資料を実際に使ってみたり、触ってみたり、実物を見たりして「体験」することで、学びを深めたり、より高度な学習に発展させたりする活用法です。例えば、小学校4年生の国語「世界にほこる和紙」では、古文書などの和紙の資料を実際に触ったり、古いものであるにも関わらず、状態がよいものが残っていることを見て知ることで、和紙の特徴を実感させることができるのではないでしょうか。また、理科などの教科で、古い図鑑と現在の図鑑を比較することで、今と昔の認識の違いを理解し、科学的な認識の進歩・展開が理解できるようになるのではないでしょうか。
第二に、作品の場面を想像する。
国語や道徳など物語などの作品に登場する道具を実際に使ってみたり、触ってみたりすることで、物語の臨場感や場面の再現性を高め、作品の理解を深める活用法です。実習生の言い方だと「音読空間を創る」とのこと。実際の活用例として代表的なものは、小学校1年生の国語「たぬきの糸車」です。または、戦時中の道具は、戦争の悲惨さを伝える国語の単元の理解を深めるものにもなるのではないでしょうか。
第三に、郷土の事例から学びを発展させる。
教科書に登場するモノ・コトを、郷土春日部のモノ・コトと比較・対照することで、学習を深め、発展させる活用法です。代表的な活用例では、縄文時代の学習単元で、市内出土の土器に触ってみたり、市内の遺跡について学んだりして、教科書的な出来事を身近に感じることができるでしょう。小学校4年の音楽では、地域に伝わる音楽を調べる単元があるようですが、市内の神楽・囃子・獅子舞などのお囃子の音源や映像を鑑賞してもよいのではないでしょうか。これらの方法は、春日部オリジナルの学びにもなると期待されます。
今回のリストは、あくまでも郷土資料館からの提案です。学校の授業現場・教科の指導法を理解していない博物館実習生(大学生)と学芸員が考えたものですので、実現性は低いものかもしれません。ただ、資料の活用法は無限にあるはずで、そうした試みを提示して、百あるうちの一つでも学校の先生に利用・活用していただけたらと願い、恥を顧みず提案するに至りました。
関係者の皆様からご意見をいただき、館蔵資料が活躍する場が増えることを願ってやみません。
【出張授業】でばりぃ資料館in牛島小学校
令和6年1月18日(木)に牛島小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
今回は体育館を使用し、1組、2組合同でのでばりぃ資料館です。
3つのブースに分かれ、①昔の家の道具 ②昔の農業・60年前の春日部の様子 ③昔の学校の道具・昔のおもちゃ の展示や紹介をしました。
昔の家の道具ブースでは、郷土資料館から「電気釜」「手回し洗濯機」を持参し、牛島小の郷土資料室から「ダイヤル式電話」「おひつ」「羽釜」「炭火アイロン」「火のし・こて」「七輪」を体育館に運んで展示をしました。運ぶお手伝いをしてくれた子たち、ありがとう♪
ちなみに牛島小の郷土資料室にある民具は牛島地区の方から提供されたもので、まさに郷土学習にはうってつけの資料たちです!
でばりぃ資料館は車で現地に向かう都合上、どうしても持っていく資料の数が限られてしまうため、こんなときは郷土資料室に活躍してもらいます!おかげで充実した展示ができました。
昔の農業・60年前の春日部ブースでは、稲から白米にするための昔ながらの精米方法を、体験を通して学び、また、約60年前の春日部を写した空中写真を床に広げ、当時の様子を観察してもらいました。
昔の学校の道具・昔のおもちゃブースでは、約90年前の教科書や、ノートの代わりに使用した石盤(せきばん)、給食で使用したアルマイト製の食器などを展示・解説しました。
昔のおもちゃはでばりぃ資料館での出張の機会は少なめです。しかしながら、子どもと遊びは切っても切り離せない関係があり、実は時代の変化をもっとも身近に感じるこのとができる良い資料だと思います!
今回は授業時間も十分あり、各ブースで学びを深めてもらえたのではないでしょうか。今日見た資料以外にも、郷土資料館にはたくさんのものが展示してあるので、ぜひ遊びに来てくださいね!
おかげさまで、1月、2月はでばりぃ資料館のご依頼をたくさんいただいております!
でばりぃ資料館以外にも、郷土資料館の団体見学など随時受け付けておりますので、日程等ぜひご相談ください!お待ちしています!
企画展示「花の彩り*春日部」展のチラシができました
次期、企画展示「*花の彩り*春日部*」展のチラシができました。 #かすかべプラスワン
次の企画展示では、春日部ゆかりの「花」をテーマにしました。春には、牛島のフジをはじめ、市の花フジが町を彩ります。展示では、そうした牛島のフジに関わる歴史や、かつては桃の花、牡丹の花の名所でもあった春日部の歴史を紹介します。フジ・モモ・ボタンについては、数年にわたり春先の展示で紹介してきましたが、今回は「花」をもう少し広げてとらえてみたいと思っています。
市内には「花積」や「宝珠花」といった「花」のつく地名があります。「花」の地名は、直接フラワー(花)を意味するものではないようですが、なぜ「花」が地名に付されたのか、両地区にゆかりのある資料を展示し、迫ってみたいと思います。
チラシも、スマートなデザインで上手く仕上がりました。こうご期待。
展示名:春日部「春の花」企画展「*花の彩り*春日部*」展
会 期:令和6年3月16日(土)~5月2日(木)(月曜・祝日休館)
会 場:春日部市郷土資料館 企画展示室
市民の皆さんと古文書を読みました
1月14日、毎月定期的に市民の皆さんと館蔵の古文書を読む「古文書勉強会」を開催しました。 #かすかべプラスワン
引き続き、粕壁の旧家に伝わる「宝暦度より酒造用留」を講読しています。史料も終盤に入ってきて、皆さん、だいぶ読み慣れてきました。また、事前に有志の方々で読み合わせをする機会も設けているそうで、文字の分量が多くても、円滑に読み進めることができました。
今回は、慶応3年(1867)3月に粕壁宿寄場組合から関東取締出役内山左一郎に提出された酒火入れの願書、内山から寄場組合あての御用状などを読みました。取締出役が願書を受理するまでの組合と出役とのやり取りがわかる史料で、貴重な記録だと思いました。
次回以降の予定は、2月25日(日)、3月17日(日)。いずれも14時から、教育センターの視聴覚研修室で開催します。気になる方は、見学だけでも構いませんのでお越しください。
新春の舞「銚子口の獅子舞」の公開
1月14日(日)春日部市無形民俗文化財に指定されております「銚子口の獅子舞」が披露されました。
前日は雪が降り、天気が心配されていましたが、当日は見事に快晴になりました。
冷たい風が吹く中で、多くの皆さんが新春の獅子舞を見るために集まっていただきました。
「宮参り」「天狗の舞」「小獅子の舞」「幣掛り」の4演目が行われました。
宮参りでは、天狗の先導により境内の外から参道を歩いて入場します。境内を清める意味合いをもち、
箱獅子を被る子どもたちも寒い中でも立派に努めていました。
続く「小獅子の舞」を舞うのは14歳の中学生女子で、今回が初舞台となります。今年21歳を迎えたお姉さんに続いて姉妹での小獅子役です。
皆さんが注目する中でも、練習とおり、元気いっぱい跳ね回る小獅子の舞を披露してくれました。
最後の「幣掛り」は三頭獅子の舞で、親子の情愛を表したものです。
三頭の獅子が頭を揺らしながら、踊るのはとても迫力を感じます。
舞いの後には、太夫獅子が観客を頭の上で御幣を振り清めて一年の健康と家内安全などを祈願、さらに神饌が撒かれました。
新春から獅子に福を授けてもらい、地域の皆さんも笑顔が溢れていました。
今年も各所で民俗芸能が公開されます。当日の情報をブログでお知らせしますので、ご期待ください!
#かすかべ地名のはなし (0)
#かすかべプラスワン #地名の由来
春日部市には、市全体の地名「春日部」、「庄和」「豊春」「南桜井」のような地区名の地名、「粕壁」「藤塚」「西宝珠花」などの住居表示として使われる地名、「三枚橋」「馬草場」「花輪下」などの小名(こな)・小字(こあざ)と呼ばれる土地区画、あるいは自治会・町内会ごとの地名があります。
「なんで「大沼」というの?」とか「春日部と粕壁の二つの表記があるのはなぜ?」など、地名は生活に密着した事柄であることから、市民の方にしばしば尋ねられます。先日も、地名の由来について知りたいという方が来館されました。
今後、「ほごログ」では、地名の成り立ち、由来、歴史について、シリーズ「かすかべ地名のはなし」として、なるべく定期的に(限りなく不定期で)発信していこうと思います。
知っているようで意外と知らない地名の由来。今回はその予告編。第一回目はやはり「春日部」「粕壁」でしょうか・・・こうご期待。
【ロビーに展示中】手押し消防ポンプについて調べてみた
郷土資料館の展示室は狭いので、大型資料は展示できないので、教育センターのロビー展示しています。今回は、ロビー展示の、手押し消防ポンプ(腕用ポンプ・腕用喞筒)にスポットを当ててみましょう。 #かすかべプラスワン
この手押し消防ポンプは、粕壁地区の内出町内会から平成3年(1991)6月に寄託されたものです。
手押しの消防ポンプは、ガソリンなどを動力とする内燃機関が普及する以前のもので、明治時代後半から大正時代にかけて、各地方で主流となった消防ポンプでした。当時の言葉では「腕用喞筒」(わんようそくとう)と呼ばれていました。「腕用」は手動、「喞筒」はポンプの意味です。少しシャレた言い方では「腕用ポンプ」とか「ハンドポンプ」とも。以下、当日の言い方にならって「腕用ポンプ」と呼びたいと思います。
「腕用ポンプ」が台頭する以前、日本ではの放水器具は「龍吐水」(りゅうどすい)とよばれた複数人で動かす手押し式のポンプや、一人で使う水鉄砲型のポンプでした。「龍吐水」については、辰年ゆかりの資料として前に紹介しています。いずれも木製で、給水を水桶で行い、水圧が低かったため、放水量が少なかったとされています。当時の消火方法は、建物を破壊して延焼を防ぐ破壊消防が主流でした。江戸の火消たちが纏や梯子をつかったのも破壊消防のため。火消たちは鳶口や水桶などをもって火災現場に駆け付け、「龍吐水」は火事装束を湿らす程度だったといわれています。郷土資料館には、粕壁地区の内出町で使われた「龍吐水」や「纏」を常設展で展示しています。粕壁宿(町)でも、江戸時代から明治時代半ばにかけて、破壊消防による消火活動が行われていたことがうかがえます。
明治時代の初め、西洋式の腕用ポンプが本格的に輸入されると、国内でも金属製の腕用ポンプの製造がはじまりました。これまでの木製の龍吐水(在来の腕用ポンプ)は、水を桶で汲み、本体に入れなければなりませんでしたが、西洋式の腕用ポンプは、給水用のホースが備えられ、空気の圧力で、放水と給水を同時に行え、また、空気圧により安定した放水を可能としました。
市内に遺される腕用ポンプは、明治時代後半から大正時代にかけて製造されたもので、その時代に、春日部で腕用ポンプが普及していったようです。腕用ポンプの普及により、破壊消防による自然消火から放水による積極的な消火へと、消防のあり方が変わっていきました。
ロビーの腕用ポンプには、次のような銘板が付されています。
「製作所 東京神田通新石町 清水弥七」と刻まれています。清水弥七は、内出町で使用されていた明治17年の龍吐水の焼印にもあった名です。龍吐水に続き、腕用ポンプも内出町に販売していたようです。市内に遺される腕用ポンプは、いずれも「清水弥七」の製造のようですが、清水については今のところ詳しくは不明です(宿題とさせてください)。
台車にのるものがポンプです。
ポンプの側面には「内出町自警団」と記されています。
ポンプの四角い風呂桶のようなものは「水槽」(すいそう)というそうです。水槽のなかの複雑な機械がポンプの主要部分にあたります。真ん中にみえるのが、「空気室」(圧力タンク)です。その両側には「円筒」(シリンダー)があり、上の「搖桿」(ようかん・レバー)を上下することで、圧力がかかり、水を吸い上げるとともに、放水します。
水槽の側面の「警」の字の下には吸口(きゅうこう・吸水口)があり、これに「吸管」(きゅうかん)と呼ばれる給水ホースを取り付け、水源から給水します。
水槽の反対面にも「内出町自警団」とありますが、「警」の字の下のノズルが「放口」(ほうこう・放水口)になります。これに「水管」と呼ばれたホースをつけて、消火対象に放水するのです。
通常、腕用ポンプは、通常3名の消防員と、6~8名の「搖桿手」(ようかんしゅ、レバーを操作する人)が一組になり運用されました。使用にあたっては、台車からポンプ本体をおろし、給水ホース・放水ホースをつけ、「搖桿」(ようかん・レバー)の両先端に「木挺」(もくてい・レバーの持ち手)を1本ずつつけて、3~4名ずつ「木挺」を握り上下することで、圧力がかかり、ポンプが稼働します。
さて、「水槽」の後方には次のような文字がみえます。
「昭和十一年十一月塗替」昭和11年(1936)11月に、塗装をし直し、現在の外装になったようです。残念ながら、もともとの外装や、おそらく書かれていたであろう製造年月日は塗替えのため不明です。
ただ、なぜ昭和11年に塗り替えがされたのでしょうか。調べてみると、内出町のあった粕壁地区(粕壁町)の消防の歴史が、その背景にあるようです。
『消防発達史 第1編 埼玉県』によれば、粕壁町では、かつて町内を10部に分け、腕用ポンプを10台配備していましたが、大正13年(1924)10月24日、町営の消防組を設け、町内を4部編制としました。編制替えがされた背景は、おそらく、直前の関東大震災で県下三大被災地とされた粕壁町の事情があるかもしれません。4部編成の内訳は次の通りです。第一部は、上町、仲町、春日町、旭町、陣屋、内出、金山。第二部は、仲町の一部、富士見町、元町、新宿組、三枚橋、新々田、松の木、大砂、大下。第三部は川久保、元新宿、大池、内谷、太田。第四部は内出の一部、八幡前、八木崎、幸町、浜川戸。
すなわち、内出町は、第一部(もしくは第四部)に編成されました。4部編成を前後して、大正12年(1923)3月30日、第一部となる町内会では、ガソリンポンプを購入し、同14年(1925)4月2日には第二部でもガソリンポンプが購入されました。
ガソリンポンプは、その名の通り、ガソリンエンジンを搭載した消防ポンプで、当時の消火用具としては最新鋭のものでした。関東大震災が発生した大正12年9月1日にも、粕壁町では新町橋でガソリンポンプの運転が行われ、粕壁小の子どもたちをはじめ、多くの野次馬が見物をしています。ガソリンポンプの導入によって、手動で動かす腕用ポンプは、追いやられていったようです。また、かつて10部編制の消防組が4部編制となり、腕用ポンプがおのずと余分になっていったようです。そこで、町内会では、町内9か所に自警団を組織し、腕用ポンプを備え、自衛消防に備えるようになりました。
このように、大正時代には、粕壁町では、町営の消防組の組織や、町費で鉄塔の火の見櫓の建設など、町の消防設備・組織が整えられていく時代だったようです。町営の消防組で、消防用具の主力から追いやられた腕用ポンプは、町内会で組織した自警団により、再活用され、継承されていったものと考えられます。
ロビーにある「内出町自警団」の腕用ポンプは、このとき追いやられたものなのかもしれませんが、塗装されているため詳しくは不明です。しかし、いずれにしても、この腕用ポンプの存在は、内出町の自衛消防組織が、昭和時代になっても機能していたことを示すものといえましょう。
これまで、気の利いた説明キャプションもなく、ロビーにたたずんでいた腕用ポンプ。重量物で見栄えもしないので、文字通り「お荷物」だと思っていました。ところが、今回調べてみると、消防の歴史や、地域を自らの手で守り、継承していく町や町内会の歴史を物語る、大変重要な資料であることが(いまさら、恥ずかしながら)わかりました。
詳しいキャプションを付け、生き返らせたいと思いますので、ぜひ実物の腕用ポンプをみてやってください。
主な参考文献 横浜開港資料館編『横浜の大火と消防の近代史』(2019年)/消防発達史刊行協会編『消防発達史 第1編 埼玉県』(1933~1935年)/静岡県警察部保安課編『消防全書』(1926年)/嶋村宗正ほか「手押し式消防ポンプの構造と放水性能」『千葉科学大学紀要』6、2013年
2月25日に凧作り教室を開催します
昨年度開催し好評だった「凧作り教室」を2月25日(日)に開催します。
今回も、講師に春日部市「庄和大凧保存会」の方をお招きし、本格的な和凧を作ります。
凧作り教室(紙に骨をつける)
日程:令和6年2月25日(日曜日)午前10時~正午
講師:春日部市「庄和大凧文化保存会」の講師
募集人数:小学生 30人(申し込み順、保護者同伴、参加可)
材料費:一人500円
申し込み
郷土資料館に直接、電話(電話:763-2455)、春日部市電子申請で申し込み
凧作り教室電子申請入口(別ウインドウで開く)
申し込み後、下記の期間内に郷土資料館にご来館いただき、材料費(500円)をお支払いの上、凧紙をお受け取りください。
凧紙配付期間:令和6年1月10日(水曜日)~2月24日(土曜日)
(月曜日・祝日を除く午前8時30分から午後5時15分)
講座当日までに好きな絵や文字を書いてきてください。講座会場では、骨組みと糸付けを行います。
完成した凧(郷土資料館に展示しています)
【手作りおもちゃクラブ】からくり屏風を作ろう!
1月21日(日)に“手作りおもちゃクラブ”を開催します。
今年度最後の手作りおもちゃクラブです!お見逃しなく!
今回作るおもちゃは「からくり屏風」です。
“なにそれ?”と思う方も多いはず。
からくり屏風は2枚の板と紙を組み合わせて作る不思議なおもちゃなんです。
こちらはパンダの絵柄。
この面をたたんで、開くと・・・
ネコの絵柄になりました!
さらに、たたんで開くと・・・
さらにペンギン、ヒツジと2枚の板から合計4枚の絵柄が出現します!
そんな不思議なからくりおもちゃ、みんなで一緒に作ってみましょう♪
本講座はお申し込み不要、おもちゃの材料は資料館で用意しています。
当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!
【手作りおもちゃクラブ】
日時:令和6年1月21日(日)午前10時30分~・午後2時~
場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)
内容:蓄音機と紙芝居の上演
おもちゃづくり(からくり屏風)
費用:無料
申込:不要(開催時間までに郷土資料館にお越しください)
謹賀新年 #辰年 ゆかりの資料
本年も春日部市郷土資料館、そして「ほごログ」をよろしくお願いいたします。 #かすかべプラスワン #辰年
新年一発目は、一昨年の寅、昨年の卯に引き続き、今年の干支にちなんで、展示室から #龍 に関するおめでたい資料を紹介します。
辰(龍、竜、ドラゴン)に関する資料あるかなぁと悩んでいたところ、灯台下暗し。常設展示にありました。「竜吐水」(りゅうどすい)です。
「竜吐水」とは、手押しの消防用ポンプ。放水する様子が竜が水を吐き出しているようなので、そのように呼ばれたとか。水鉄砲から発展した小型の手押しポンプを竜吐水と称する場合もあるようですが、小型のポンプよりも、水の勢いがよく、15mほど放水が可能だそうです。木製の手押しポンプは、明和元年(1764)、幕府より江戸の町火消組に下げ渡されて以後、江戸で普及していったといわれます。
常設展示の「竜吐水」には、いくつか銘があり、様々な情報が読み取れます。
まず、本体の水をためる部分には、「打出」「う組」と文字があしらわれています。
この資料は、粕壁地区の内出町会から寄託されているものですので、内出(町)の消防自衛組織を「う組」と呼んでいたものとみられます。
本体の側面には、次のようにあります。
「明治十七年七月」と大きく刻まれています。また写真右手には「テレキスイ」、写真では切れていますが左手には「請合」「本家 東京神田筋違通新石町 細工人清水弥七」の焼印がみえます。
この竜吐水は「テレキスイ」と呼ばれ、明治17年(1884)7月に、東京神田新石町の清水弥七の手によって製造されたことがわかります。「テレキスイ」は「手力水(てりきすい)」から転じて名付けられたといわれます。清水弥七は、神田新石町20番地で消防ポンプの製造・販売する職人だったようで、明治時代後半に普及していく、鉄製の腕用ポンプ(手押しの消防ポンプ車)の製造・販売にも携わっています。教育センターのロビーに展示している腕用喞筒(わんようそくとう)にも「清水弥七」製造の銘盤が付されています。喞筒(そくとう)とは、ポンプのことです。
市内に残されている消防用具をみると、おおよそ明治時代後半から大正時代初めを境に、鉄製の腕用喞筒に替わっていったことがわかります。このころ、各町村では消防組織を再編し、町村の予算で腕用ポンプ購入しているようで、粕壁町では、町内を十部に分けて自衛の消防組を組織していましたが、大正13年10月24日に町営消防の四部編制になり、各部でガソリンで駆動する消防喞筒を備えます。内出町が属した第一部(上町、仲町、春日町、旭町、陣屋、内出、金山)では、大正12年(1923)3月30日に「ガソリン喞筒(森田式)一台」を3200円で購入しています(『消防発達史 第1編 埼玉県』、昭和8年~10年刊)。
上に紹介した内出町の龍吐水(テレキスイ)が、どれだけ活躍したのかは詳しく知ることができませんが、ガソリンポンプが購入される大正12年(1923)までのわずか40年ほどの間しか、消防道具の主役として活躍されなかったのかもしれません。
この龍吐水の背景をみると、粕壁町=行政主体で消防を行う以前、つまり、地域主体で自分たちの地域を守るため、備えられた道具といえそうです。今日も、防災は自助、共助、公助の3つが連携しあうことで、災害を予防・軽減できるといわれています。龍吐水は、内出町の共助の歴史の証(あかし)ともなる資料といえましょう。
皆さまにとりましても、龍が勢いよく水を吐くように、繁栄の一年になりますようご祈念申し上げます。そして、本年も郷土資料館と「ほごログ」をよろしくお願いいたします。令和6年卯年 元旦