ほごログ(文化財課ブログ)

2019年3月の記事一覧

上喜蔵河岸場跡『新編図録春日部の歴史』ーその81

古利根川にかかる新町橋のたもとには、江戸時代、上喜蔵河岸(かみきぞうがし)という河岸場がありました。現在も長方形に整形された石を積む「切込みハギ」という工法による石垣が2~3段、現地でみることができます。
河岸場はこのほかに、碇神社(いかりじんじゃ)付近に下喜蔵河岸(しもきぞうがし)があったといわれ、いずれも江戸時代中ごろに粕壁宿の名主であった見川喜蔵(みかわきぞう)の名前が由来とされています。

粕壁宿は、このような河岸場を利用して、日光道中の陸路と古利根川の舟運の結節地として発達しました。

幕府により江戸川が開削、整備されると、江戸への物資の輸送には江戸川が使われるようになりました。古利根川は、流域の新田開発が進み、途中に溜井(ためい)などの利水施設が設けられたため、江戸へ直接、荷物を運ぶことが難しくなり、地域間の舟運路として使われました。

「春日部の河川と水上交通」『新編図録 春日部の歴史』102ページ
上喜蔵河岸
上喜蔵河岸跡(左側は新町橋)

上喜蔵河岸の石垣
石垣(新町橋の粕壁側のたもとに石垣が残る。表面は長方形、裏面は先細りに整形されている)

武里村の矯正会規約『新編図録春日部の歴史』ーその80

戊申詔書(ぼしんしょうしょ)は明治41年(1908)、明治天皇の名で、第2次桂太郎内閣により発布されました。国民に勤勉と節約を説き、国家主義的な道徳の標準を国民に示しました。これとともに、町村の財政基盤の強化や風俗改良などを目標とした地方改良運動が、当時の内務省で進められました。
これらの一環で、武里村大字大枝では、大正4年(1915)9月、農村自治の発達、土地風習の矯正などを掲げて矯正会(きょうせいかい)を結成し、37名が加盟しました。具体的な会員の仕事には、出兵、帰郷の送迎、道路、用排水路の改修などがありました。
大正8年(1919)には、粕壁町でも矯正会が結成されました。


春日部市教育委員会1991『春日部市史 第4巻 近現代資料編I』280ページ
春日部市教育委員会1995『春日部市史 第6巻 通史II』
「第一次世界大戦前後の社会」『新編図録 春日部の歴史』173ページ

武里村矯正会規約

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

平成31年3月23日(土)、郷土資料館で「体験ワークショップ」が開催されました。
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「紙てっぽう」を作りました。


ワークショップの様子

初めて見る蓄音機にはワークショップに参加した子供たちは興味津々でしたよ。

ワークショップの様子

最後は、自分で作った紙てっぽうを振り下ろし、”ぱんっ!!”とういう音を響かせ遊びました。
新聞紙でも作ることができるので、家でも作ってみてくださいね。

関宿道の追分と道しるべ『新編図録春日部の歴史』ーその79

江戸時代には日光道中などの五街道とともに、「脇往還(わきおうかん)」と呼ばれる主要な道がありました。粕壁宿周辺では、岩槻城と粕壁宿を結ぶ「岩槻道」、関宿城と粕壁宿を結ぶ「関宿道」が重要な脇往還でした。

関宿道は、粕壁宿から新町橋を渡り日光道中を進んだ小渕村の追分(おいわけ)から北東へ分岐します。
追分には現在も写真の道しるべが残ります。右は宝永6年(1709)に建てられた道標で、「左 あふしう(奥州)道、右せきやと(関宿)道」と記されます。左は宝暦4年(1754)に建てられた庚申塔(こうしんとう)ですが、「左 日光道」と側面に記されます。
関宿道は、その距離が約16㎞であることから、「四里八丁(よりはっちょう)」という通称もありました。

埼葛地区文化財担当者会 1996 『埼葛の道しるべ』
「城と宿とを結ぶ」『新編図録 春日部の歴史』96ページ
関宿道の道しるべ

古墳時代前期の集落「尾ヶ崎遺跡」『新編図録春日部の歴史』ーその78

尾ヶ崎遺跡は、西金野井地区に所在する遺跡です。
昭和52年(1977)に調査され、縄文時代前期(約6,000年前)の住居跡7軒、古墳時代前期(約1,600年前)の住居跡15軒、古墳時代後期(約1,400年前)の住居跡3軒(うち1軒は滑石製模造品(かっせきせいもぞうひん)の工房跡)が発見されています。

古墳時代前期の住居跡は15軒のうち、10軒に火災を受けた痕跡があります。火災を受けた住居跡に残された炭化した建築材を分析したところ、コナラやクヌギなどが使われていたことがわかりました。

「古墳時代の生活と文化」『新編図録 春日部の歴史』30ページ
昼間孝次ほか1984『尾ヶ崎遺跡』埼玉県庄和町・尾ヶ崎遺跡調査会

尾ヶ崎遺跡空撮写真
尾ヶ崎遺跡空撮写真

尾ヶ崎遺跡の古墳時代前期の住居跡
尾ヶ崎遺跡の古墳時代前期の住居跡

幕末維新期のミニ企画展開催します

春日部市郷土資料館の企画展示室で、平成31年3月30日(土)から、ミニ企画展示「幕末・明治維新と春日部」を開催します。ポスターが完成しましたので、ご披露します。
画像:ミニ企画展示ポスター

展示会では、嘉永6年(1853)のペリー来航から、明治10年(1877)の西南戦争直前まで、資料館収蔵の幕末維新期の古文書・歴史資料を展示します。
主な展示資料としては、元治元年(1864)の水戸天狗党浪士の借金証文や関宿県や葛飾県など新政府の直轄県時代の古文書などのほか、新規収蔵品も展示します。
収蔵資料を改めて読み直すと、これまで知られていなかった記事が見いだされます。下のものは、八丁目村の御廻米(年貢米)を東京に回送する際に、菊の御紋の御用の建幟をたてるよう命じられたものです。
写真:八丁目村文書

展示会では、古文書や歴史資料にみられる時代・世相を象徴するキーワードに着目して、幕末・明治維新の市域の歴史を紹介します。目下、準備中です。お楽しみに。

展示名:ミニ企画展示「幕末・明治維新と春日部」
会期:平成31年3月30日(土)~4月28日(日)
会場:春日部市郷土資料館企画展示室

粕壁小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成31年3月5日に粕壁小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

見学の様子
昭和期に実際に粕壁小学校で使われていた机や椅子をさわったり、木造校舎の粕壁小の写真を見たりしました。

見学の様子
見学していて疑問に思ったことは、すぐに質問!!したり

見学の様子
昔の道具を手に取り実際に使ってみたりもしました。
”そろばん”を初めて見た児童もいて、人生初の”そろばん”体験をしていました。

見学の様子

郷土資料館では、3月24日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください

昭和47年(1972)3月 公害パトロールカー導入ー広報かすかべ182号

昭和46年(1971)、春日部市では公害パトロールカーを導入しました。排気ガスや騒音の測定器を常備した公害対策の専用車です。
この当時、公害は社会問題になっており、昭和42年(1967)に国は公害対策基本法を制定、春日部市でも昭和46年度より「安全対策課」という課を新設し、市内の公害の対応にあたりました。


広報紙では、昭和46年8月号から昭和47年1月号で「生活と公害」というシリーズが連載され、社会の関心の高さがうかがえます。

広報かすかべ182号(昭和47年3月号)
広報かすかべ176号(昭和46年9月号)

公害パトロールカー
公害パトロールカー

公害と生活
「生活と公害」(広報かすかべ176号(昭和46年9月号))