武里村の矯正会規約『新編図録春日部の歴史』ーその80
戊申詔書(ぼしんしょうしょ)は明治41年(1908)、明治天皇の名で、第2次桂太郎内閣により発布されました。国民に勤勉と節約を説き、国家主義的な道徳の標準を国民に示しました。これとともに、町村の財政基盤の強化や風俗改良などを目標とした地方改良運動が、当時の内務省で進められました。
これらの一環で、武里村大字大枝では、大正4年(1915)9月、農村自治の発達、土地風習の矯正などを掲げて矯正会(きょうせいかい)を結成し、37名が加盟しました。具体的な会員の仕事には、出兵、帰郷の送迎、道路、用排水路の改修などがありました。
大正8年(1919)には、粕壁町でも矯正会が結成されました。
春日部市教育委員会1991『春日部市史 第4巻 近現代資料編I』280ページ
春日部市教育委員会1995『春日部市史 第6巻 通史II』
「第一次世界大戦前後の社会」『新編図録 春日部の歴史』173ページ