ほごログ(文化財課ブログ)

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古文書解読勉強会の成果(その6)

去る5月19日(土)に古文書解読勉強会を行いました。
写真:勉強会の風景
引き続き、市内の神間地区に伝わった神間村文書(館蔵)を解読しています。
次回は、6月30日(土)14時~16時。教育センター4階にて、以前に配布した神間村文書の史料番号№40、№49を解読する予定です。

【史料番号14】
   差上申詫書一札之事
此度私身上困窮ニおよび御年貢ハ不及申ニ諸払方ニ

差詰、無拠本家一同相談之上借金方江我等家持田地方

質物ニ差出し候処、御組合衆中ニ而夫々金主方江

御詫入引請被成下候処、右家田地売払申義不便ニ

御思召有之、本家りい方右地所家財共買置呉候様

又ハ本家組合出金致呉候歟、両様ニも御懸合

被成下候処、同人方ニ而一円取敢不申、無拠

組合一同相談之上御知行所取締之方迄伺

之上、有夫之家田地売払配分之趣ニ相成候処、此

節ニ至り、本家当人申合之上勝手合申出候処、

御組合一同より厚御利解御申被聞、一言返答無御座候、

依之同村名主源蔵殿唯々取縋歎相頼、厚御詫申入

候処、早速御聞済被成下忝存候、以来右躰

不埒之儀ハ堅相慎、此以後御組合御世話被成下候、右儀催促之儀ニ付而は

何様之御取斗ニ御座候共一言之儀申上間敷候、

依之為後日詫書差入申処如件

            当人

            本家

写真:神間村文書14
【ひとことメモ】
この史料は詫証文(わびしょうもん)といわれる種類の文書で、甲のある行為により乙が被害を受けたとき、甲が乙へ謝罪の意を表すために提出した文書である。下書であるため、いつ作成されたのか、差出の「当人」が誰なのか、宛所は誰なのかが判然とせず、文面も書き直されており意味は取りにくい。困窮のため経営が傾いた「当人」が「金主方」に田地を質に入れたところ、「当人」の組合の者が不憫に思い、「当人」の本家りい方に買い戻しを掛け合ったが、取り計らってもらえなかった。組合では、知行所(旗本の役所)にも伺ったりもしたが、最終的に名主源蔵に(金主方と当人との間を?)調停をしてもらった。この証文では、今後「不埒」な行いを慎むとしているので、「当人」は日頃の悪い素行によって田地を失ってしまったのかもしれない。

【史料番号22】
   入置申替地議定証文之事

一、別紙本書証文之質地此度御請戻しニ相成候ニ付、

 右地内に有之候我等居宅鋪何程之場所年来

 住来候義ニ付、拝借致し度相願候処、格別之御慈悲

 を以御相談御聞済被下忝存候、然ル上は替地

 として右畝歩丈之外地所貴殿江相渡し置申候、

 若向後何ヶ年過候とも右御地所御入用之節は

 早速相戻、預ケ置御地所御請取可申御約

 談、少も相違有之間鋪候、為後日組合

 請印証文入置申候処、仍而如件

  弘化四未年  下総国葛飾郡

    十二月     神間村

             久左衛門

            同村 請人

             源次郎

        同国同郡同村

          源太郎殿
写真:神間村文書22
(ひとことメモ)
神間村の源太郎は代金を支払って質地を取り戻した。同村の久左衛門は源太郎が取り戻した土地に屋敷を構え、長く暮らしていたので、その土地を源太郎から拝借することになった。この文書は、久左衛門が拝借する土地の代替地を、源太郎に預けることを契約したもの。冒頭に「別紙本書証文」とあるので、証文本紙の添付書類(添え証文)だったとみられる。

星 夏季展示の予告

平成30年8月4日(土)~9月16日(日)に「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展を開催します。
写真:空からみた神明貝塚
神明貝塚(しんめいかいづか)は市内西親野井に位置する、3800年前の縄文時代の貝塚です。市では、この神明貝塚を後世へ伝えていくため、平成21年度から8年にわたり調査を実施しました。
写真でみるように、馬の蹄(ひづめ)のような形で貝がらや動物の骨が分布しています(写真は加工してあります)。
本展示会は、発掘された土器や装身具、人骨などを展示し、最新の調査成果をもとに、神明貝塚に暮らした縄文人の生活や文化、当時のムラの様子などを紹介します。
ただいま、埋蔵文化財担当の学芸員さんが、絶賛準備中です。お楽しみに。
夏季展示(第59回)「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展

展示会概要


発見された縄文人の女性。右手首に腕輪を、右耳に耳飾りをしていました

市北東部の西親野井地区には、3,800年前につくられた縄文人のムラの跡である「神明(しんめい)貝塚」があります。
市では、この神明(しんめい)貝塚を末永く、後世へと伝えていくため、平成21年度から8年にわたり、調査を実施しました。その結果、神明(しんめい)貝塚は、クリやクルミなどの植物を盛んに利用した内陸的な貝塚として、縄文文化の多様性を示す貴重な遺跡であることが分かりました。また、腕輪や耳飾をつけた縄文人の骨や、貴重なヒスイの玉などが発見されています。
本展示会は、発掘調査の写真や発見された土器や装身具、人骨、動植物遺体などを展示し、最新の調査成果をもとに、神明(しんめい)貝塚に暮らした縄文人の生活や文化、当時のムラの様子などを紹介します。
この夏は、郷土資料館で、3,800年前の先人の暮らしをのぞいてみませんか。


神明(しんめい)貝塚の土器

会期

平成30年8月4日(土曜日)~9月16日(日曜日)
月曜日・祝日休館

会場

郷土資料館 企画展示室
(春日部市粕壁東3-2-15 教育センター1階)

南桜井小学校「伝統芸能クラブ」が始まりました

5月16日、南桜井小学校では今年度のクラブ活動が本格的に始動しました。「伝統芸能クラブ」では4年生~6年生まで計15名(男子4名・女子11名)の生徒さんたちが、西金野井獅子舞保存会の染谷会長他2名の指導のもと練習に励みました。7月22日の獅子舞の公開や2月のクラブ発表会に一年間で習得した舞が披露されます。


◆女子は囃子役に。まずは指の動きをレクチャー。


◆保存会の鈴木さんの指の動きをじっくりと観察!すんだ音色が教室中に響きました。


◆男子4名は染谷会長の笛に合わせて『芝舞』の練習。年間20回ほどの練習の積み重ねで例年「芝舞」を舞うことができるようになります。

本年も保存会のみなさま、ご指導よろしくお願いします。

貝の内遺跡出土の瓦と出土状況『新編図録春日部の歴史』からのご紹介46

西宝珠花(にしほうしゅばな)の宝珠花小学校周辺にひろがる貝の内遺跡では、下総国分寺軒平瓦(しもうさこくぶんじのきひらがわら)が出土し、春日部市有形文化財に指定されています。

瓦は、竪穴住居跡で煮炊きを行うカマドから発見され、長さ38.5㎝、重さ4.9㎏を測ります。軒平瓦は、屋根の一番下の軒(のき)の部分に、瓦の一辺が見えるように葺(ふ)かれますが、その部分に宝相華文(ほうそうげもん)と呼ばれる特徴的な模様がみられます。
この模様は、現在の千葉県市川市に奈良・平安時代に存在した下総国分寺の建物に使われた瓦と同じ文様で、文様を付けるために使用されている范型(はんがた)が下総国分寺で見つかっているものと共通します。

この瓦は、奈良・平安時代、貝の内遺跡と約40㎞離れた下総国分寺との間につながりがあったことを物語る貴重なで資料です。

「国分寺の造営と貝の内遺跡」『新編 図録 春日部の歴史』36ページ

貝の内遺跡出土の下総国分寺瓦
貝の内遺跡出土の下総国分寺瓦

瓦の出土状況
出土状況(文様部分を上にして縦に設置されている)

旧庄和村役場『新編図録春日部の歴史』からのご紹介45

今からさかのぼること59年前の昭和34年(1959)5月10日、新しい庄和村役場で業務が開始されました。

庄和村は昭和29年(1954)7月1日、川辺村、南桜井村、富多村、宝珠花村の四村が合併して、人口14,725人をもって誕生しました。新村名の「庄和村」は「古来庄内領と称していたので、庄内領の一致和合、将来の発展を望む」として決定しました。

新しい役場は木造洋式2階建てで、正面中央に庄和村章を掲げました。新役場ができる前は、下柳にあった旧南桜井役場を役場として使用していました。

新しい役場で業務を開始した5年後の昭和39年(1964)、庄和村は町制施行し、庄和町となりました。

昭和の大合併」『新編 図録 春日部の歴史』250ページ

旧庄和村役場
旧庄和村役場(撮影年不詳)

庄和村章
庄和村章

武里大枝公民館に手作りジオラマを展示しました

本日、武里大枝公民館に手作りの粕壁宿ペーパークラフトを展示しました。一昨年度から各地の公民館を巡回して展示しているジオラマです。

写真:大枝公民館の展示風景

手づくりの粕壁宿模型は、粕壁宿再現プロジェクトに参加した子どもたちが造ったペーパークラフト模型をもとに、江戸時代の粕壁宿の町並みを復元したジオラマです。
模型の詳しい解説については、
「ペーパークラフトでめぐる粕壁宿」(郷土資料館ホームページ)をご覧下さい。

「粕壁宿の模型?武里・大枝には関係ないや」っと思った方、そんなことありません。
当時、公用の通行などで宿場町で提供する人馬が不足すると、周辺の農村に人馬の提供が求められていました。宿場町に人馬を提供する村を助郷(すけごう)といいます。
武里地区の村々、具体的にいえば、一ノ割・備後・薄谷・中野・大場・大畑・大枝村は延宝8年(1680)に粕壁宿の「大助」(大助郷:臨時に動員された助郷)でしたし、享保8年(1723)には一ノ割・備後・薄谷・中野・大場村が定助郷(じょうすけごう)に指定されていました(『春日部市史通史編Ⅰ』570~571頁)。助郷の村から動員された人馬は、宿場町の問屋場というところに集められ、隣の宿場町まで人や荷物を運びました。
粕壁宿の問屋場は、現在の埼玉りそな銀行のあたりあったといわれています。手作りのジオラマには馬が放牧されています。

写真:問屋場
江戸時代、武里・大枝から問屋場に向かった先人たちに思いをはせて、ぜひ手作りジオラマをご覧いただければと思います。7月上旬まで展示予定です。

小淵山観音院で円空仏祭が開催されております

 前夜からの荒天から風雨が静まった5月3日、小淵山観音院では埼玉県有形文化財である「小渕観音院円空仏群」の公開が始まりました。
 境内には市民ボランティアの皆様によるカフェの出店のほか、円空仏の案内コーナーが設けられ、円空や作像された作品についてお答えしております。3日の午後1時からは県内外の修験寺院による護摩焚きも行われ、本堂では”円空”の空間がよみがえりました。
 

 ▲新緑に覆われた境内には五月の爽やかな風が吹き抜けています。

▲円空仏が公開されている本堂。護摩焚きと共に時空を超えた円空が造像した江戸時代に時がさかのぼったような静寂に包まれました。

▲市民ボランティアの皆様による”円空仏”に関する案内コーナーもあります。親切・丁寧に解説していただけます。
円空仏の公開は6日まで行われます。
年1度の貴重な機会ですので、是非とも足を運んでみてはいかがでしょうか!

ゴールデンウィーク中の指定文化財公開

このゴールデンウィーク中、春日部市内では、『牛島のフジ』や、『大凧あげ祭り』、『小淵山観音院の円空仏』と各種の文化遺産が続々公開されます。
郷土の宝の見学に出かけみてはいかがでしょうか。

藤花園の開園
「牛島のフジ」国指定特別天然記念物)
日時:
平成30年4月14日(土)~5月6日(日)8:00~18:00 
場所:藤花園(春日部市牛島786)
入園料:
大人1,000円 、子供500円(4歳以上小学生まで)
詳細は下記ページをご覧ください。
藤花園サイト
 
大凧あげ祭り
「宝珠花大凧揚げ」春日部市指定無形民俗文化財・国選択無形民俗文化財)
日時:平成30年5月3日(木)、5日(土)
場所:西宝珠花江戸川河川敷
大凧は3日、5日とも午後2時ごろにあげられます。
詳細は下記ページをご覧ください。
大凧あげ祭り(春日部市公式サイト)

円空仏祭
「小渕観音院円空仏群埼玉県指定有形文化財)
「小渕山観音院仁王門」(春日部市指定文化財)
日時:平成30年5月3日(木)~6日(日)10:00~17:00
場所:小淵山観音院(春日部市小渕1634)
拝観料:500円(お1人様1日限り、中学生以下無料)
詳細は下記ページをご覧ください。
小淵山観音院仁王門と円空仏群の公開(春日部市公式サイト)
観音院公式サイト

古文書解読勉強会の成果(その5)

平成30年4月14日(土)に古文書解読勉強会を行いました。
引き続き、郷土資料館所蔵の神間村文書を解読しました。
次回は、5月19日(土)14時~16時(場所:視聴覚センター4階研修室1)を予定しております。みなさま奮ってご参加ください。
※前回までの成果は、上の「郷土資料館からのお知らせ」のリンクをご参照ください。

 【史料番号3】

   米借用一札之事

 一、米 六俵   但し 四斗入

     両ニ 八斗七升五合がへ
右は摏米ニ御無心借用仕、慥ニ請取申所

実正ニ御座候、然上ハ月五合のべ之勘定を

以当十一月ニ相成候ハヽ右米代金無相違

不残御勘定仕候、為念米借用一札入置申所

仍而如件
  嘉永二酉ノ年

    閏四月    宝珠花村

              釜屋次兵衛(印墨抹消)
(後筆)「不用書」

         神間村

            源兵衛殿

神間村文書3
(ひとことメモ)
本史料は宝珠花の商人釜屋次兵衛が神間村源兵衛に搗米(つきごめ・白米)6俵を借用した証文。ひと月に五合の利息を加え、十一月に米の代金(1両につき白米8斗7升5合の相場)を返済すると契約している。おそらく返済を終え、この証文は失効したため釜屋次兵衛の印が墨で抹消され、後筆で「不用書」と記したものとみられる。

 

  【史料番号5】

   当辰御年貢米永皆済目録
一、米七拾五俵五合三勺九才  但し四斗入

   内

   米弐俵         名主給米被下候

   同三斗弐升      人足扶持被下候

   同壱斗六升八勺   堀式引

   同壱俵         大豆代米

 〆米四俵八升八勺

残而

   米七拾俵三斗弐升四合五勺九才

    此内

     米拾三俵弐斗   源兵衛御扶持高被下候

 残米

   五拾七俵壱斗壱升九合壱勺九才

           両九斗五升かへ

   此永弐拾四貫百弐拾五文四分

   畑方

一、永九貫九百七拾六文壱分

一、同五百文        大豆弐俵之

                  代両石六斗かへ

一、同七百九拾文     夫給金

一、鐚壱貫八拾文     竹莚縄之代

     此永百六拾四文七分  
右は当辰御年貢米永小物成共、書面

之通り御上納仕候所相違無御座候以上


                 葛飾郡神間村

天保三年辰閏十一月      名主 山崎源兵衛㊞

 能勢十次郎様御内

       御役人中様

 

(裏書)

「表書之通相違無之もの也

  能十(朱印・印文「福徳」)」
神間村文書5
(ひとことメモ)
神間村のうち、旗本能勢氏の知行所の分の、天保3年(1832)の年貢皆済目録。年貢皆済目録とは、一般に、江戸時代、村方が年貢を完納した際に領主側が出す年貢の領収書をいうが、本史料からは、旗本能勢氏知行所では、村の名主が能勢氏の役所に年貢の上納を報告し、これを受けて旗本能勢十次郎が自ら「皆済目録」の裏面に署名捺印をして、名主あてに返却し、年貢完納の証明としたことがわかる。裏書の能勢氏の印は、江戸時代には特に高貴な身分の者しか用いれなかったとされる朱印であり、珍しい事例と思われる。
神間村文書5裏書

お知らせ 牛島のフジのゆかりの歴史的な資料を展示しています

藤の花が見ごろな季節となりました。そして、4月22日(日)は第37回「春日部藤まつり」。
藤は春日部市のシンボルとして親しまれています。藤の花が春日部の象徴となったのは、市内幸松地区にある国の特別天然記念物「牛島のフジ」が伝統的な観光地だったためです。
郷土資料館では、藤の花が見ごろなこの季節に合わせまして、常設展示の一部を展示替し、牛島のフジゆかりの歴史的な資料を展示しています。

春日部が観光地となり、町がどうかわっていったのか、どのような人が訪れたのか、については絶賛開催中の
春季展示「かすかべの宝もの15近代の交通・流通」展で紹介しています。
牛島のフジの古写真は、郷土資料館HPのかすかべデジタル写真館でもご覧になれます。
あわせてお楽しみください。

手作り季節展示を展示してます

手作りの可愛らしい兜や、鯉のぼりなど
端午の節句をテーマとした季節展示を展示中です。
皆さま、ぜひご来館ください。

なお、郷土資料館は、毎週月曜と、祝日の4月29日(日)と5月3日(木)から5日(土)まで休館となりますので、ご注意ください。

季節展示

観音院の円空仏『新編図録春日部の歴史』からのご紹介44

春日部市内では、江戸時代の修験僧、円空が彫った円空仏が22体確認されています。これらは、円空が日光道中や日光御成道(にっこうおなりみち)を使って旅をした際に、彫ったものといわれています。

このうち小渕の観音院には、7体の円空仏が伝わっています。

円空仏の聖観音立像(しょうかんのんりゅうぞう)は、高さ194㎝と円空仏の中でも大きく、円空の神髄ともいえる”ほほえみ”の表情が特徴的です。

観音院の円空仏7体は、5月3日~6日に行われる円空仏祭で公開されます。年一度の限られた機会ですのでぜひご来場いただき、円空の大胆な彫りの芸術をご堪能ください。

<円空仏祭>
開催日時:平成30年5月3日(祝日)~6日(日曜日) 午前10時~午後5時
開催場所:小淵山正賢寺観音院(春日部市小渕1634)
交通機関:東武伊勢崎線(スカイツリーライン)「春日部駅」「北春日部駅」東口からいずれも徒歩約20分
費用:500円(拝観料)

春日部市公式サイトイベントカレンダー「小淵山観音院仁王門と円空仏群の公開」
小淵山観音院公式サイト

「不動院・観音院と円空仏」『新編 図録 春日部の歴史』106ページ

聖観音立像
聖観音立像(観音院提供・前田邦臣氏撮影)

国特別天然記念物「牛島のフジ」の公開が始まりました

 市内の文化遺産の中で唯一、「特別」が冠される国天然記念物である『牛島のフジ』の公開が4月14日(土)から始まりました。
例年、薄紫色の壮大なカーテンを演出する古木は樹齢1200年を超すといわれ、フジでは国内唯一の特別天然記念物として昭和30年に国指定となりました。
4月18日(水)にはフジの生育を祈願する「鎮花祭(ちんかさい)」が太く絡み合う古木の根元で行われました。

また、古くから幾多の文化人がフジの開花にあわせて足を運んでおり、詩人三好達治が「牛島古藤花」という詩を残しています。

▲明治44年の消印が押された絵葉書からは春の名所であることがわかります。

根元周囲は4メートル余り、藤棚は600平方メートルにもおよぶ国内最大級に加え、可憐な花房から漂う甘美な香りが園内を包んでおりますので、国を代表する天然記念物を間近に楽しんでみてはいかがでしょうか。

▲4月18日の園内の様子

藤花園の詳細・アクセスは
http://www.ushijimanofuji.co.jp/forecast.html#02ja

春季展示初日。展示資料を少し紹介

本日、4月17日(火)より春季企画展示「かすかべの宝もの15近代の交通・流通」がはじまりました。
本展示会は交通・流通に関する収蔵品や市域に伝来する貴重な資料を展示し、近代の交通・流通の歴史を紹介するものです。それほど広くない展示室ですが、実物資料101点、写真や図など53点の計154点が並びました。
今回は、展示資料のなかから、展示会の見どころともなる、貴重な資料を紹介させていただきます。
まずは、荷札です。
写真:荷札
大正~昭和初期に西金野井の河岸場(かしば)で使われていたものです。西金野井は、江戸時代以来の河岸場として賑わった地域であり、明治時代以降には蒸気船が停泊しました。この荷札は、蒸気船で東京の青果市場などに発送された白菜や甘藷苗(サツマイモの苗)などに付けられたのでしょう。荷札は大量にあり、河岸に周辺の農産物が大量に集荷されたことがうかがえます。

次に、桃の出荷用の木箱です。
写真:桃の木箱
詳しい伝来はわかりませんが、豊野地区の藤塚で昭和30年ごろに使われていたものと考えられます。河畔砂丘という内陸性の砂丘が分布する藤塚では、古くから果樹園があり、桃を栽培していました。高度経済成長期になると、道路の舗装やトラックの普及があって、東京の中央卸売市場に出荷されるようになります。この木箱は、東京に出荷された桃を梱包したもので、市域の交通・流通の歴史の一端を物語る貴重な資料といえます。古写真もあるので合わせてご覧ください。
写真:昭和37年藤塚の桃の出荷風景
普段は藤塚小学校の郷土資料室で展示しているものなのですが、とても珍しいものなので展示させていただきました。

このほかにも、現在では想像もつかない、失われつつある市域の交通・流通の歴史の一コマを紹介しています。春日部の新たな一面を発見できるかもしれません。
7月8日(日)まで開催しておりますので、ぜひご覧ください。

不動院野の神楽が公開されました

4月15日(日)に東不動院野の大杉神社の祭礼にあわせて、市指定無形民俗文化財『不動院野の神楽』が公開されました。
午前中には地区内の五穀豊穣、無病息災を祈願する「辻切り」が6箇所でお神輿と獅子舞の奉納が行われました。

午後はあいにくの降雨により、地区集会場で神楽が公開されました。お囃子では保存会の皆さんが指導されている地元幸松小学校の児童や中学生による堂々とした笛や太鼓の演奏が披露され、大きな拍手をいただきました。

神楽では五穀豊穣・家内安全を祈願する「大黒様」、そして保存会の見事な掛け合いで会場を楽しませていただいた「大江山」の2演目が公開されました。

不動院野の神楽は、地元のこの春例祭のほか、春日部夏祭りでもみることができます。郷土の文化遺産を間近に感じることができる貴重な機会ですので、ぜひ、足を運んでみてはいかがでしょうか。

4月15日(日)不動院野の神楽が公開されます

茨城県稲敷市(いなしきし)にある大杉神社は「あんばさま」と呼ばれ、現在、全国に670社ほどある大杉神社の総本宮です。江戸時代、船を守る神、また疱瘡(ほうそう・天然痘:てんねんとう)から人々を守る神として信仰されました。

不動院野の大杉神社は、江戸時代に稲敷市の大杉神社から勧請(かんじょう)された神社です。不動院野の神楽も、この時に同時に伝えられたと考えられており、「三番叟(さんばそう)」や「種蒔(たねまき)」などの曲目が継承されています。

不動院野の神楽は、毎年4月15日に近い日曜日に地元の大杉神社の祭礼の際に奉納されるほか、7月に開催される春日部夏まつりの際に山車(だし))の上でも奉納されます。

開催日時:平成30年4月15日 (日曜日) 午前9時~地区内で辻切り、午後1時30分~境内舞台で神楽の奉納が行われます(雨天時は集会所内で公開されます)。


開催場所:大杉神社(東不動院野集会所・春日部市不動院野615番地)


【交通機関】
最寄の公共交通機関はありません
国道16号バイパス八丁目(東)交差点を西宝珠花方面に折れ、埼葛広域農道との交差点にある1つ目の信号を杉戸方面へ、400メートル程度進むと左手に集会所あり


不動院野の神楽


筆子塚『新編図録春日部の歴史』からのご紹介43

江戸時代、人々は生活や生業のために、文字や計算を学びました。学ぼうとする人々の存在は、学んだ人たちが亡くなった師匠のために建てた筆子塚(ふでこづか/筆子塔:ふでことう)とよばれる石造物から確認できます。
筆子塚は、寺社や墓地などにおかれ、「筆子中」や「筆子三十人」といった銘文や、時にはその師匠の経歴も書かれています。
市域には、下柳に所在する薬師堂の明和二年(1765)のものをはじめ、約20基の筆子塚が確認できます。地域別では粕壁宿が7基と多く、他に、中曽根、大衾、椚、米島、金崎、西宝珠花、永沼、木崎などの地域に所在しています。

「学び」『新編 図録 春日部の歴史』118ページ
筆子塚
下柳 薬師堂の筆子塚(明和2年)

4月1日(日)圓福寺所蔵の市指定有形文化財が公開されます

4月1日(日)一ノ割の圓福寺では『圓福寺まつり』が開催され、曼陀羅堂内に所蔵されている市指定有形文化財の年1回の公開が併せて行われます。

圓福寺(えんぷくじ)には、江戸時代の元禄年間(1688年~1704年)に光世上人(こうせいしょうにん)が作成した木彫当麻曼陀羅図(もくちょうたいままんだらず)、釈迦涅槃図(しゃかねはんず)、閻魔王宮(えんまおうきゅう)ならびに八大地獄図(はちだいじごくず)が伝えられています。
一般的に曼陀羅図は絵画によるものが多く、本例のように木彫りで立体的な曼陀羅図は、非常に珍しいものです。大きさは、縦287.85㎝、横242.4㎝と大型です。共に伝えられている版木(はんぎ)には、光世上人が2~6年をかけて、これら仏教美術の大作を作成したことが記録されています。

開催日時:平成30年4月1日(日曜日) 午前10時~午後3時(雨天決行)
開催場所:圓福寺(えんぷくじ・春日部市一ノ割一丁目30番17号)
交通機関
東武伊勢崎線(スカイツリーライン)一ノ割駅下車、踏切または地下道を渡り、徒歩5分
(一ノ割駅の改札は東口のみ、圓福寺は駅の西側になります)

圓福寺サイト

【厨子入木彫当麻曼陀羅図】
  

急ぎ 「かすかべの宝もの15近代の交通・流通」展、目下準備中です

江戸時代の春日部は、日光道中の宿場町粕壁、江戸川の河岸場西宝珠花・西金野井が交通の要衝地、地域流通の結節点としてにぎわっていきました。次回の展示会「かすかべの宝もの15近代の交通・流通」では、近現代の交通・流通をテーマに、収蔵資料を中心に展示して、春日部市や周辺地域の街道・鉄道・舟運の歴史について紹介します。

目下準備中ですが、特に展示担当者がこだわり、重点をおきたいのは、舟運の歴史です。技術革新にともない近代に登場した鉄道や自動車におされて、衰退していったといわれる舟運業。ファンが多く、華やかな鉄道の歴史に対して、近代の歴史のなかではなかなか光が当てられません。
今回は、収蔵資料の西金野井の河岸問屋の資料を再検証して、新たに見えてきた近代の舟運業の実態から、市域や周辺地域の農産業・手工業などについても考えてみたいと思っています。西金野井は西宝珠花とともに、蒸気船通運丸が停泊する「汽船宿」でした。では、西金野井では蒸気船でどこに、どんなもの、どれほどを運んでいたのでしょうか。実は、最近、蒸気船で運搬していたものがわかる新たな史料を見出しました!準備しながら担当者も新たな発見にワクワクしています。詳細は下記の展示会で。お楽しみに。

展示会名:春季企画展示(第58回)「かすかべの宝もの15近代の交通・流通」
会期:平成30年4月17日(火曜日)~7月8日(日曜日)、月曜日・祝日休館
会場:郷土資料館 企画展示室(春日部市粕壁東3-2-15 教育センター1階)
観覧料:無料
展示会ポスター

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

平成30年3月24日(土)、郷土資料館で「体験ワークショップ」が開催されました。
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「ぴょんぴょんカエル」や「紙てっぽう」を作りました。
電気を使わず再生する蓄音機の、やわらかく温かみのある音を楽しみ、自分で作ったおもちゃで嬉しそうに遊んでいました。

ワークショップ風景

ワークショップ風景

郷土資料館の体験ワークショップは、平成30年度にも開催する予定です。申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。どうぞ、お気軽にご参加ください。

3月28日(水)埼玉県指定有形文化財「板石塔婆」が公開されます

3月28日(水)、西親野井の大王寺別院では、埼玉県指定有形文化財の「板石塔婆(いたいしとうば)」が公開されます。

大王寺別院(だいおうじべついん) の板石塔婆は、年号は刻まれていませんが、南北朝時代(1336年~1392年)に製作されたのものと推定されます。表面には、大日如来(だいにちにょらい)や倶利伽羅不動(くりからふどう)などが刻まれています。これらは「弘法大師が爪で掻(か)いた」との伝承があり、「爪掻き不動(つめかきふどう)」とも呼ばれています。

開催日時:平成30年3月28日 (水曜日) 午後2時~午後4時(雨天決行)
開催場所:大王寺別院内不動堂(春日部市西親野井464番地)
交通機関
・東武伊勢崎線(スカイツリーライン)春日部駅東口から朝日自動車バス「関宿中央ターミナル・はやま工業団地」行きで約30分、大凧公園入口で下車、徒歩約12分

・東武伊勢崎線(スカイツリーライン)東武動物公園駅東口から朝日自動車バス「関宿中央ターミナル」行きで約23分、塚崎入口で下車、徒歩約5分


*バス時刻などのお問い合わせは、朝日自動車 株式会社 境営業所(電話:0280-87-0780)



大王寺別院の板石塔婆

坊荒句遺跡出土の板碑『新編図録春日部の歴史』からのご紹介42

平成4年9月に内牧公園の造成に先立って、公園予定地内の坊荒句(ぼうあらく)遺跡で発掘調査が行われました。調査では、縄文時代の住居跡や貝塚とともに、中世から近世までの墓のあとが44基も発見されました。
11号土壙(どこう)からは、板碑(いたび)7基が墓に対してふたをするように折り重なる状態で発掘され、これらの板碑の下からは青年男子の頭蓋骨が見出されました。遺体を板碑で覆っていたものと想定されます。
板碑に刻まれた年代は、延文2年(1357)、貞治7年(1368)、応安7年(1370)、康暦2年(1380)、応永16年、25年(1409、1418)、永享9年(1437)です。

板碑は明らかに二次的に利用されているので、これらの年代以降に内牧周辺で活動していた人物が葬られた墓と考えられます。

『坊荒句北(1,2次).坊荒句.立山遺跡』春日部市遺跡調査会報告書第4集 1996年
「中世の石造物」『新編 図録 春日部の歴史』68ページ
坊荒句遺跡出土の板碑

古文書解読勉強会の成果(その4)

平成30年3月10日(土)に古文書解読勉強会を行いました。
今回も、郷土資料館所蔵の神間村文書を読みました。
前回までの成果は、上の「郷土資料館からのお知らせ」のリンクをご覧ください。
次回は、4月14日(土)10時~12時(場所:視聴覚センター4F研修室3)を予定しております。みなさま奮ってご参加ください。

【史料番号37】

   入置申一札之事

私親九平代より数拾年已来厚思召ニ預り、

彼地江住居罷在候処、此度酒狂之上

用意不成義申出し、心得違之兼々

被仰聞一言之申訳ケ無御坐候ニ付、当村へ

御先達様江相歎き御詫仕候処、早速

御勘弁被成下難有仕合ニ奉存候、然ル上は

向後右様之義無之様相慎、已来不埒

之義仕出し候節は何時成共我等引請、

貴殿江御苦労相掛ケ申間敷候、為後日詫書

入置申処、仍而如件

           神間村

   安政三年     当人

   辰十二月       作左衛門㊞(墨抹消)

           古布内村

            引請人

              金左衛門㊞(墨抹消)

           神間村

            立入人

              弥右衛門㊞(墨抹消)

           〔(切取抹消)〕

       同村

        源兵衛殿
(ひとことメモ)
本史料は、神間村の作左衛門が酒に酔って迷惑をかけてしまい、源兵衛に謝罪した詫び証文。もともとの署名者は4名だったとみられ、奥の1名は切り取りで抹消されている。ほかの3名の印判も墨により消されており、文書の効力を反故にしたことがわかる。古布内村は、現在の千葉県野田市古布内。
神間村文書37

大凧会館の被災『新編図録春日部の歴史』からのご紹介41

大凧会館は、西宝珠花(にしほうしゅばな)に平成2年(1990)に開館しました。
大凧あげ祭りであげられる縦15m、横11mの実物大の大凧4張をはじめ、日本のみならず世界各地の凧や郷土資料などを展示していた施設です。
しかしながら、平成23年(2011)3月11日に発生した東日本大震災により被災し、1~4階まで吹き抜けの展示室に設置されていた大凧や他の展示品が破損しました。
建物本体にも大きな被害があったことから、平成26年、大凧会館は解体され、跡地は大凧公園として利用されています。
(大凧公園は現在整備工事中で、3月下旬からの一般開放を予定しています。)

「春日部市の景観1」『新編 図録 春日部の歴史』294ページ
大凧会館1階展示室の被災
◆東日本大震災で被災した展示室の様子

第6回民俗文化財講習会を開催しました。

3月4日(日)教育センターの視聴覚ホールにて、「第6回民俗文化財講習会」を開催しました。例年、市内の指定無形民俗文化財の保持団体を対象に講習会を開催しています。今回は、「お囃子」などの音声の保存を目的に、銚子口獅子舞保存会、やったり踊り保存会、赤沼民俗文化財保存会、東中野獅子舞保存会の計4団体の参加をいただきました。

民俗芸能には楽譜がなく、先輩方の笛の指先の所作を見たり、奏でられる音色を耳で覚える方法でお囃子などが伝承されています。そのため近年では、伝承方法に限界があり、各団体でお囃子の音色の変化が危惧されています。こうしたことから、音声を録音し、記録することで後継者の養成にお役立ていただくものです。
改まって舞台での音声の録音ということもあり、終始、緊張した空気が流れていました。皆様のご協力のお陰で、無事録音が終了しました。各団体の皆様には、お忙しい中ご出席いただき大変ありがとうございました。
今後の後継者の養成や地域で育まれた伝統の技の継承の一助になればと思っております。

【銚子口獅子舞保存会では12曲を録音しました】


【やったり踊り保存会では3曲を録音しました】



赤沼民俗文化財保存会では神楽を含め14曲を録音しました


【東中野獅子舞保存会では獅子舞10曲を録音しました】

粕壁小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年3月2日に粕壁小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

見学の様子

昭和期に実際に粕壁小学校で使われていた机や椅子をさわったり、木造校舎の粕壁小の写真を見たりして、今との違いに驚いていました。

見学の様子

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

市場之祭文写『新編図録春日部の歴史』からのご紹介40

今回は、戦国時代、市が開かれるときに修験者(しゅげんじゃ)が市の繁栄を祈祷(きとう)するために、神前で読み上げた「市場之祭文(いちばのさいもん)」をご紹介します。
延文6年(1361)の奥付がある「市場之祭文」には、応永22年(1415)に追記で武蔵、下総にかけての33か所の市の開催地が書かれています。
この中に「下総州春日部郷市祭成之」とあり、春日部でも市が開かれていたことがわかります。市域の周辺では、現在のさいたま市岩槻区内に推定される「末田市」、「かゝさねかふ道いち」、「ふち宿市」、「くほ宿市」、宮代町内に推定される「久米原市」、「須賀市」、白岡市内に推定される「野田市」などがあげられます。
また、開催地の33か所は、戦国時代、岩付太田氏の勢力圏にあったとする説もあります。

「市場之祭文写」『武州文書』国立公文書館内閣文庫
「川と陸の道」『新編 図録 春日部の歴史』60ページ

市場之祭文
「市場之祭文」の市開催地
赤枠内には「下総州春日部郷市祭成之」の記載がみられます。

「人と昆虫のかかわりを考える」有意義な時間に

本日、2月24日(土)歴史文化講演会を開催しました。
今回は、柏田雄三先生をお招きして、「供養碑・虫塚を巡る楽しみ~人と昆虫のかかわりを考える」と題して、ご講演いただきました。柏田先生は、昆虫芸術研究家で、全国各地の「虫塚」(昆虫を慰霊した供養碑・記念碑等)を巡り、研究されている方です。
柏田先生
今回、受講された方は4分の1が市外の方で、遠くは長野県・山梨県からもおいでになられた方もいらっしゃいました。

講演では、虫塚の話題の前提として、犬・鯨・蛙など様々な動物や、文房具・石橋・道路などさまざまなモノの供養碑が存在することを紹介されました。春日部には、今のところ虫塚は発見されていないようですが、猫・魚・鳥・石橋の供養碑があることが紹介され、会場からは「知らなかった」と声があがっていました。
講演会2
次に、ご専門の昆虫の世界に話題をうつし、多様な昆虫が私たちの身近にいることや、「益虫」「害虫」とは何かなど、人と昆虫の歴史を概観され、虫塚の始まり・種類について、各地を踏査され、収集された様々なエピソードを交えながら、楽しくお話しいただきました。

最後に、虫塚を巡り、研究することは、人文学的な視点から昆虫をとらえる意義があるとともに、調査先で認知度が低く、忘れられているケースが多いことを踏まえ、失われかねない伝統・歴史を掘り起こし、後世に伝えていく意味がある、と位置付けられました。

会場からは、「虫」のつく地名についてどう考えたらよいのか、など身近な昆虫の文化についての質問がでるなど、受講されたみなさんも「人と昆虫のかかわりを考える」有意義な時間をお過ごしいただけたのかと思います。
個人的にも、農業生物学をご専門とされている先生だけあって、昆虫愛に溢れたエピソードや、関連する音源などを交えてのお話だったので、大変興味深く拝聴させていただきました。
講演会1

「また、お母さんやお父さんといっしょに見に来たい」立野小感想文より

1月31日に見学にきた立野小学校3年生の皆さんから感想文をいただきました。
立野小感想文表紙
せっかくいただいたので、感想文をいくつか紹介させていただきます(名前は伏せています)。
立野小感想文1
「なんと、れいぞうこにれいとうこがないなんて、はじめてしりました」
昭和30年代の電気冷蔵庫を実際に開けて、気づいてくれたようです。
「なんと」の表現が、とても驚いた気持ちを伝えてくれて、いいですね。
常設展示の木製冷蔵庫とも比較してもらえたでしょうか。

立野小感想文2
「また、お母さんやお父さんといっしょに見に来たいと思いました。」
小学校の団体見学のあった週末の土・日は、家族連れのお客さんが意外と多くいらっしゃいます。その多くは、見学した3年生がおうちの方に頼んで来るリピーターです。小学生が見学して学んだことを家族の方に説明したり、家族の方が「昔はこうだった」と子どもたちに伝えたり、家族のコミュニケイションの場になるようです。
昔の道具やくらしを学習するのに一番よい教材になるのは、ご家族の経験・体験談だと思いますので、まだ一緒にいらしていないなら、ぜひご家族と来てください。

皆さん、昔のくらし・道具について、楽しんで学んでいただいたようで何よりです。皆さんの感想は、今後の展示・解説の参考にしていきたいと思います。

武里南小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年2月23日に武里南小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
少し前のおもちゃや学用品・家庭で使われていた道具・農具を見ながら、生活の変化を理解していました。

見学の様子

いつも遊んでいる物とは違う”昔のおもちゃ”にも興味津々でした。

見学の様子

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

縄文人の新たな道具『新編図録春日部の歴史』からのご紹介39

縄文時代は約15,000年前、縄文土器が作られ始めたことをもって開始するとされています。しかしながら、遺跡から発掘される石器からは、旧石器時代と縄文時代の移り変わる頃には大きな変化はありませんでした。今回は旧石器時代から縄文時代に変わるころに作られた尖頭器(せんとうき)と縄文時代を代表する石鏃(せきぞく)という2種類の石器を紹介します。

旧石器時代の終わりから縄文時代への移行期には、尖頭器(写真上段)と呼ばれる槍の先に付けた石器がみられます。市内でも、内牧(うちまき)の竹之下(たけのした遺跡や坊荒句北(ぼうあらくきた)遺跡、西金野井(にしかなのい)の作之内(さくのうち)遺跡、風早(かざはや)遺跡、西宝珠花(にしほうしゅばな)の貝の内(かいのうち)遺跡で発見されています。
その後、狩りの道具として弓矢が誕生し、これまでの手で槍を投げる方法から弓の反発力によって、より確実に獲物を狩りする方法に発展しました。この矢の先に付ける石器が石鏃(写真下段)です。
旧石器時代の狩りが大型獣を狙っていたことに対し、縄文時代には中型・小型獣へ変わっていったことも、この変化の理由と考えられています。石鏃は、地域や縄文時代の時代の経過に伴って改良が加えられたり、大小様々な形をみることができます。

「縄文人の新たな道具」『新編 図録 春日部の歴史』12ページ

尖頭器


風早遺跡出土の石鏃

幸松郷土カルタすごろくで遊びました

2月19日(月)、幸松(こうまつ)小学校の放課後子供教室にお邪魔して、郷土資料館で作成した、幸松郷土カルタ双六(すごろく)で小学生と遊びました。



この双六は、郷土春日部や身近な地区について楽しく学べるよう、昭和初期の「粕壁町商売繁栄双六」をベースに、郷土カルタの札をコマとして作成したものです。幸松地区の文化財のコマにあたると、ボーナスがあります。



幸松地区の民具などが飾ってある幸松ルームを会場に、参加者は小学生13人に、ボランティアの大学生のお兄さん・お姉さん、係の方などを加えて16人ほどでした。



ふじむすめさん、まちむすめさん、なりひらくん、ゆりかもめさん4チームに分かれ、巨大サイコロを振るごとに歓声が。単純にサイコロの出目を進めるのではなく、いろいろなトラップが多い双六なので、なかなかゴールできません。終わるまで40分ちょっとかかりました。みんな楽しくプレイできたようで、1~3位のチームの子は、ご褒美の記念の賞状をもらって喜んでいました。

中野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年2月20日に中野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
児童たちは、カタカナで書かれた小学校の教科書を見て、ひらがなで書かれた今の教科書との違いを発見したり、少し前まで実際に使われていた冷蔵庫や洗濯機など身近な道具を見て、昔との生活の違いに驚いていました。

見学の様子

実際に、今より小さい昔のランドセルを背負ってみたりもしました。

見学の様子

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

平成30年2月17日(土)、郷土資料館展示室で「体験ワークショップ からくり屏風を作ろう!」が開催されました。
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「からくり屏風」を作りました。裏と表の2面しかないように見える屏風が、開き方によって4面の絵柄が出てくる不思議な屏風に、参加した子供たちは大変喜んでいました。

ワークショップ
ワークショップ風景

ワークショップは、小学生までを対象とした、昔の遊びを気軽に体験できるイベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。
 次回ワークショップは、平成30年3月24日(土)に「ぴょんぴょんカエル」や「紙てっぽう」を作ります。ご参加をお待ちしています。

ワークショップ風景

写真週報『新編図録春日部の歴史』からのご紹介38

『写真週報』は、内閣情報部(のち内閣情報局)が刊行していた週刊のグラフ雑誌です。ちょうど80年前の昭和13年(1938年)2月16日に創刊号が刊行され、昭和20年(1945年)7月11日付の374・375合併号まで、370冊が刊行されました。春日部市郷土資料館では、ご寄贈いただいた一部を所蔵しています。
写真が多く使われた誌面では、戦時中の国民精神総動員運動を進め、銃後(じゅうご*)の団結がうたわれました。

『写真週報』については、
国立公文書館アジア歴史資料センターで平成19年3月より、特別展「『写真週報』にみる昭和の世相」 としてとりあげられ、掲載された戦時中の写真がトピックスごとにまとめられています。
国立公文書館アジア歴史資料センターは、国立公文書館、外務省外交史料館、防衛省防衛研究所から電子化されたアジア歴史資料の提供を受け、インターネットを通じて公開している機関です。

*銃後:戦闘に直接参加していない一般市民のこと

「『写真週報』にみる昭和の世相」国立公文書館アジア歴史資料センターサイト
「写真週報」『新編 図録 春日部の歴史』233ページ

写真週報
春日部市郷土資料館で収蔵している写真週報

「古文書解読勉強会」の成果(その3)

「古文書解読勉強会」の成果、第三弾です。
引き続き、当館所蔵の神間村文書です。今回から「勉強会」に参加された皆さんの(復習のための)読みやすさに配慮して、少し大きな文字で入力しました。担当者が一言加えた「ひとことメモ」もあわせてご覧ください。
第一弾(史料番号1・4)第二弾(史料番号2・12)はそれぞれのリンクをご参照ください。

【史料番号10】
神間村文書10(1)

神間村文書10(2) 
   乍恐以書付御届奉申上候
御知行所武総五ケ村惣代
神間村名主源兵衛奉申上候、当午田
方之義植付後稲草生立も宜敷
一同大悦ニ相心得居候処、当月六日
之大雷雨ニ而追々雨天打続田方
一円水深ニ相成居候処、猶又十四日十五日
之大雨ニ而江戸川通拾合余之出水
相成、水防人足夥敷差出相防候
処、漸々此節人足引払ニ相成、然ル処
内郷村々殊ニ低場村之義ハ田方水冠
ニ相成、殊ニ畑方之儀も同様水押上り
難渋悲歎仕罷在候、乍併此侭水干ニ
相成候は、何程相立帰り可相成候哉、暑
中之儀ニ候は(傍書)「得は」、案心不仕ニ奉存候、
猶見極メ之上、御注進可奉申上候間、
右之段宜敷御聞済被下置度、偏ニ
奉願上候、以上
   安政五年六月 御知行所
          千塚村
           名主
             粂次郎
          芦橋村
           名主
             利右衛門
          神間村
           名主
             源兵衛
          上柳村
           名主代組頭
             忠兵衛
      五ケ村惣代神間村
             源兵衛
  御地頭所様御内 
      御役人中様

(ひとことメモ)
本史料は、神間村等5か村が旗本能勢氏の役所に提出した文書。『埼玉県史調査報告書 旧旗下相知行調』(1986年)によれば、能勢氏の所領は600石あり、神間村のほか、下総国葛飾郡芦橋村・上柳村・永沼村(現春日部市)、武蔵国葛飾郡千塚村(現幸手市)、下総国豊田郡牛縊(うしくびり)村(実際は常陸国筑波郡、現茨城県つくば市)、伊豆国田方郡間宮村(現静岡県函南町)・長崎村・三輪(実際は三福)村(現静岡県伊豆の国市)に分散していた。文書に中の「武総五ケ村」とは神間・永沼・芦橋・上柳・千塚の5か村とみられるが、なぜか永沼村の役人の署名がない。

【史料番号13】

神間村文書13
   差上申一札之事
           下総国葛飾郡
              神間村
             百姓作左衛門倅
               八郎左衛門
                当寅弐拾二才
右之もの儀、当村地内ニおゐて御召捕ニ相成、
私共立会罷在、所持之品相改メ候処、一切
無御座候、且又御召捕筋之義ニ付御非分成
御取計毛頭無御座候、依之場所書一札
差上申処、仍而如件
          能勢十次郎知行所
  慶応二年寅二月廿六日 右村
              名主
               源兵衛㊞

関東御取締御出役
    安原燾作様


(ひとことメモ)
関東取締出役とは、江戸幕府が文化2年(1805)に創設され、関東八州の幕領・私領を巡回し、無宿人や博徒などの取締まりや、農民への教諭活動等を行なった幕府の役人。

豊春小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年2月15日に豊春小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
児童たちは、展示されている実際に使われていた民具などを見たり体験したりして、春日部の生活の変化を理解していました。

小学校見学の様子

江戸時代末期の日光道中粕壁宿の街並みの模型を見たり、

小学校見学の様子

千歯こきを使った脱穀体験など、教科書とはまた違った学び方をしました。

小学校の見学の様子

最後は、体験に使った千歯こきをスケッチしたりして、今日見たことや体験したことを、一生懸命まとめていました。

小学校の見学

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

南桜井小学校伝統芸能クラブの皆さんが舞を披露しました。

南桜井小学校のクラブ発表会が2月14日に同校の体育館で行われ、伝統芸能クラブの皆さんが演目「芝舞」を披露しました。年間をとおしたクラブ活動の時間には、西金野井獅子舞保存会の染谷会長による指導が行われています。毎年4月のクラブ活動の時間に「発表会の時には、生徒さんだけで舞ができるように」とお約束をしているそうです。急遽3名がお休みをした中、堂々とした舞を披露されました。発表終了後に、「伝統芸能を絶やさないために、皆さん伝統芸能クラブに入ってください」と生徒さんから呼びかけがありました。一人でも多くの生徒さんに郷土春日部の伝統芸能に触れてもらいたいと思います。

笛とささらの音色に合わせた入場


演目「芝舞」の様子
 6年生は小学生生活最後のクラブ活動で4、5年生を引っ張っていただき、また、会長さんをはじめ、保存会の皆さまにもお忙しい中での継続したご指導、誠にありがとうございました。

資料をご寄贈いただきました

2月14日、市内にお住まいの方から資料をご寄贈いただきました。
今回、受け入れた資料は「埼玉箪笥同業組合員」の看板です。
埼玉箪笥同業組合看板

寸法は縦60.5cm、横13.2cm、厚さ1.6cm。
聞き取りによると、豊春地区で職人さんだった明治生まれのお祖父さんは、昭和戦後まで桐細工をしていたそうです。昭和32年の春日部市『商工名鑑』にはこの方のお名前がみえないことから、昭和30年ごろまでには箪笥づくりをやめられていたのかもしれません。
箪笥職人さんの実の娘にあたるお母さん(故人)が、「子どものころ、製造した桐箪笥を粕壁の箪笥問屋の島忠にリヤカーで運んでいて、よく粕壁に連れて行ってもらった」というご記憶を、生前によくお話しになられていたそうです。
島忠さんは、春日部発祥の家具・ホームセンターとして著名な会社です。元は粕壁の老舗の桐箪笥の卸問屋で、現在の学校通りに店を構えていました。『粕壁町誌』(昭和11年刊)に往時の島忠さんの店先の写真がありましたので、せっかくですから掲載したいと思います。その雰囲気を感じてみてください。
島村箪笥店

『埼玉の桐細工』(埼玉県立民俗文化センター、1987年)によると、埼葛一円には古くから箪笥組合があったようで、昭和2年に品質向上を図るため「埼玉箪笥同業組合」が結成されました。その後昭和7年には同組合は解散し、別の団体が結成され、戦中には川越の箪笥組合と統合し、埼玉県箪笥組合連合会が設立されました。
ですから、本資料は昭和2年~7年の間に掲げられていたものと考えられます。

春日部市の特産品として広く知られる桐箪笥ですが、調査・研究としては『埼玉の桐細工』や小泉和子著『箪笥』が底本となっていますが、実はそれ以上のことはあまりわかっておりません。引き続き調査をすすめていきたいと思います。

ご寄贈いただいた方には、改めてお礼を申し上げます。

「古文書解読勉強会」の成果(その2)

市民のみなさんが中心となってすすめている「古文書解読勉強会」。
現在は月1、古文書講座(中級)の後の時間に古文書を読んでいます。
先月、その成果をお披露目したところですが、今回はその第二弾。
その前に、みなさんのご了解を得て撮った勉強会の風景です。
古文書勉強会の風景
講座とはちがい、机を円卓にしてみなさん顔を向き合わせてすすめています。

今回、お披露目するのは前回に引き続き、当館所蔵の神間村文書です。
どちらも少し長いですが、解読できました。

【史料番号2】
神間村文書史料番号2

   質物ニ相渡シ申田地証文之事

一中田壱反六セ六歩          小沼耕地
  此分米壱石六斗弐升
一下畑拾五歩             同断
  此分米三升
一中畑壱反五セ六歩          八町耕地
  此分米壱石弐斗壱升六合
下畑五畝弐拾五歩之内
一下畑四セ弐拾七歩          同断
  此分米弐斗八升九合
 田畑合三反六畝弐拾四歩   御水帳面東道円名前
   分米合三石壱斗五升五合
右は能勢大学様御知行所
右是ハ当巳御歳貢其外払方ニ指詰り申ニ付、貴殿江
御無心申、右之田地三反六畝弐拾四歩質物ニ相渡シ、金子合拾
弐両借り、慥ニ受取申所実正也、但し年季之儀ハ当巳十一月より
来申ノ十一月まで中三歳季ニ相定申候、此田地ニ付何方より
も構無御座候、若シ何方より如何様之六ケ敷儀出来致候共、
われ等加判之もの何方までも罷出、急度埒明貴殿質
地ニ可致候、少も御苦労かけ申間敷候
一御公儀様御年貢諸役之儀ハ貴殿方ニ而御勤可被成候、
 尤歳季月ノ申十一月ニ本金拾弐両急度返金可致候間、
 右田地不残御返し可被下候、若請返し申儀不罷成ハヽ流し
 可申候間、此証文ヲ以右田地貴殿所持可被成候、自然御
 縄入候ハヽ貴殿名前ニ御請可被成候、又ハ御勝手ニ而何方へ
 何程の質物ニ御渡し被成候共、われ等義ハ不及申、右加判之
 もの致印形為質物入替可申候、少も違儀申間敷候、
 勿論此証文貴殿御所持被成候内ㇵ何歳過候而も少も
 違儀無御座候、乍去組中致加判証文入置申候、依而
 如件

     天明五歳巳十一月 庄内領宝珠花村
                地主  孫右衛門㊞
              同領神間村
                五人組 藤右衛門㊞
                 同  源蔵㊞
                 同  仲右衛門㊞
                 同  兵左衛門㊞
                 同  岩松㊞
                 与頭 多兵衛㊞
                 名主 源右衛門

      同領神間村
         名主  源右衛門殿

(ひとことメモ)
 神間村の小字には、町田、木塚、神間沼、小沼、和田沼、八町、原田、があります(『武蔵国郡村誌』)


【史料番号12】
神間村文書史料番号12の1
神間村文書12の2

  取替証文之事
一下総国葛飾郡関宿江戸町六左衛門并ニ代名主同国
 庄内領東神間村冶右衛門訴候ハ、右東神間村八町耕地 
 中道ニ六左衛門田地之悪水吐有之、土橋懸置候処、相給
 名主共理不尽ニ六左衛門田地之土を取、道普請致シ、剰
 右悪水口築留候故、田地水湛、及亡所候間、土橋并
 土取跡共如元仕立為相返度旨申上之候
一相手方名主并惣百姓答候ハ当村之儀土取場無之、
 前々より普請場最寄之田地より土取来、此度も村方
 一同致シ道普請仕、外百姓共ハ土取跡引ならし作毛
 仕附候処、六左衛門田地ニ限掘荒候と申上候儀一向無謂候、
 其上前々六左衛門と庄右衛門田境ニ用水口有之候処、六左衛門
 無故築留古来土橋無之場所ニ悪水吐有之由
 申掠候、此所悪水口有之候而は道下之田地江悪水
 落込迷惑之旨申上之候
右出入立会絵図面を以御吟味之処、六左衛門田地土取跡
作毛仕附候場所多ク、殊ニ六左衛門田地ニ限掘荒候無
証拠、土橋之儀も古来より有来、証跡無之出訴之趣
難相立旨被 仰渡、御尤ニ奉存候、然上ハ何分ニも悪水
不湛候得ハ申分無之旨訴訟方申上之候、相手方は
六左衛門庄右衛門田境之用水口、前々之通六左衛門取払候ハヽ
武右衛門田地之悪水口迄銘々水口附、用水悪水共
無滞可通旨双方口書差上候、依之被 仰渡候ハ六左衛門と
庄右衛門田境之用水口六左衛門浚之、夫より武右衛門田地迄之
田境各水口明用水悪水共無障可相通旨被
仰渡双方奉畏候、此旨相背重而及出入候ハヽ
御科ニ可被 仰付候、為後証連判取替証文差上申所
仍如件
           久能伊兵衛知行
              下総国東神間村
  享保十七年子十月廿一日    家守 冶右衛門㊞
           訴訟方
             久世隠岐守知行
              同国関宿江戸町
                                                             地主 六左衛門㊞
             能勢吉三郎知行
              同国東神間村
                 名主 政右衛門㊞                 
           相手方   組頭 兵左衛門㊞      
                 百姓 武右衛門㊞
             武嶋数馬知行
              同村 名主 市右衛門㊞

    御評定所

(ひとことメモ)
訴訟方の家守治右衛門は、本文の冒頭で「代名主」と名乗っています。これは家守を意味しているので、もしかすると「だい(かわり)なぬし」ではなく「だい(かわり)みょうしゅ」と読んだのかもしれません。市域周辺には、家守小作と呼ばれる地主小作慣行がありました。家守小作については、『春日部市史 庄和地域 原始・古代・中世・近世』309頁に解説があります。

正善小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年2月13日に正善小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
明治から昭和期の民具・農具や、少し前の家庭用品を見て今の暮らしとの違いを実感していました。

正善小学校見学

体験コーナーでは、赤電話の使い方を教わり、実際にかけて初めての体験をしていました。

見学の様子

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

よいこと運動広場に幸松小の神楽体験が発表

 2月10日(土)に「第11回よいこと運動広場」が教育センターの視聴覚ホールで開催されました。その中で、幸松小学校で取り組まれている、地元で伝承されている『神楽』の体験をとおした地域の伝統を学ぶ事例発表が行われました。
 幸松小学校の地元で伝承されている、市指定無形民俗文化財「不動院野の神楽」を伝承されている東不動院野神楽保存会の皆さまのご協力で、お神楽体験が授業に取り入れられています。

 
児童による神楽体験の感想発表

 大太鼓・締め太鼓・笛によるお囃子の演奏

 保存会の神楽の舞も加わりました
 4名の児童による堂々としたお囃子の演奏では会場一杯に祭りの雰囲気を醸し出し、割れんばかりの盛大な拍手をいただきました。こうした取り組みは、郷土春日部の貴重な文化遺産を次世代へと受け継ぐ、貴重な機会になっています。
 不動院野の神楽は、3月4日(日)の備後須賀稲荷社での初午祭、4月上旬には地元の東不動院野大杉神社での春季祭でも公開され、若き後継者の皆さまの演舞を現地でご覧になってはいかがでしょうか。

上沖小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年2月9日に上沖小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

見学の様子

春日部の古い写真を興味深そうに見たり、家庭で使われていた道具・農具を見学しながら、生活の変化を理解していました。

見学の様子

質問も色々として、興味をもってくれたようです。

見学の様子

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

古隅田川『新編図録春日部の歴史』からのご紹介37

岩槻方面から春日部市の中心部へ東西に流れる古隅田川は、江戸時代以前、北側の武蔵国(むさしのくに)と南側の下総国(しもうさのくに)を分ける国境の河川でした。
かつては利根川の本流として、小渕(こぶち)付近から南西へ流れ、浜川戸(はまかわど)や内牧(うちまき)の台地の縁辺を蛇行し、荒川(現在の元荒川)と長宮(ながみや・さいたま市岩槻区)で合流していました。
現在は直線的な流路で、岩槻方面から小渕方面へ、逆の流れになっています。

古隅田川流域には、謡曲(ようきょく)「隅田川」(
ほごログ2017年4月10日「謡曲「隅田川」の舞台と梅若塚」)にちなむ梅若(うめわか)伝説や在原業平(ありわらのなりひら)の東下り(あずまくだり)の伝承があります。
また浜川戸地区には、利根川を流れた砂によって形成された浜川戸河畔砂丘(埼玉県指定天然記念物)や、新方袋(にいかたぶくろ)から南中曽根(みなみなかそね)にかけては、堤防跡である古隅田公園があります。これらは、古隅田川が利根川本流として大河川であった時代の名残を今に伝えています。

「古隅田川ミステリー」2017『kasukabe+(かすかべプラス)』第9号10ページ(PDFファイル1.4MB)
「古利根川と古隅田川」『新編 図録 春日部の歴史』128ページ
古隅田川
古隅田川(梅田地区の古利根川との合流点付近)

業平橋
古隅田川にかかる業平橋(県道2号線豊春小付近)

陣屋遺跡『新編図録春日部の歴史』からのご紹介36

庄和地域の北部、西宝珠花(ほうしゅばな)地区や塚崎(つかさき)地区では、貝の内(かいのうち)遺跡や塚崎遺跡といった、奈良時代から平安時代の竪穴住居が多く作られたムラの跡が発見されています。
今回ご紹介する陣屋(じんや)遺跡も、そういった地域にある遺跡の一つです。

陣屋遺跡は、西宝珠花の南西部、低地に向かって西に突き出した幅250mほどの台地上に立地します。遺跡の標高は約10mをはかります。昭和39年の第1次発掘調査以来、今日まで合計9回の発掘調査が行われ、古墳時代から奈良・平安時代の竪穴式住居跡29軒が発掘されています。

陣屋遺跡で注目されるのは、平安時代の住居跡から『帯金具(おびかなぐ)』や『円面硯(えんめんけん)』といった、主に当時の役人が使う道具が出土していることです。
帯金具は現在のベルトにあたる帯につけられた金具です。円面硯は、筆に墨をつけるくぼみが円形となっている古代のすずりの一つで、中央が平らで高い墨をする部分、周囲は溝状(みぞじょう)で墨をためる「海」と呼ばれる部分になっています。

また、陣屋遺跡では文字が墨で書かれたり刻まれた,、墨書土器(ぼくしょどき)や刻書土器(こくしょどき)が出土しています。円面硯ですった墨を使って土器に文字を書いたのかもしれません。

「古代の葛飾郡・埼玉郡」『新編 図録 春日部の歴史』32ページ

帯金具
帯金具(巡方(じゅんぽう)という金具の裏金具)

円面硯
円面硯(筆に墨をつける円形の部分の一部)

墨書土器
刻書土器・墨書土器(左から刻書「月」、墨書「太」、墨書「月」)

立野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年1月31日に立野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
少し前の生活の様子を聞き、実際に使われていた色々な道具等を見たり触ったりしていました。

立野小見学の様子

児童たちが、集まっているところがあります。何があるのでしょう?

見学の様子

そこにあるのは、昔の電卓でした。今の電卓とは違って大きく、コンセントを利用して使うものです。

見学の様子

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

八木崎小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年1月30日に八木崎小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
児童たちは、少し前に使われていた学用品や農具等の説明を聞き、千歯こきの体験をしました。

見学の様子

今と比べると小さい昔のランドセルを実際に背負ったりして、自分のランドセルとの違いを実感していました。

見学の様子

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

名都借城跡『新編図録春日部の歴史』からのご紹介35

今回ご紹介するのは、千葉県流山市にある名都借城跡(なづかりじょうあと)です。
戦国時代に対立した古河公方(こがくぼう)第3代足利高基(あしかがたかもと)と小弓公方(おゆみくぼう)足利義明(あしかがよしあき)の戦いの前線に立地する城です。高基、義明はともに足利政氏(あしかがまさうじ)を父に持つ兄弟です。

高基は永正2年(1505)ごろから、父の政氏との間に確執があり、雪下殿空然(ゆきしたどのこうねん)と呼ばれていた弟の義明も一時は高基に味方し、永正9年(1512)ついに父の政氏は古河城(茨城県古河市)から追われ、小山城(栃木県小山市)に入りました。
義明は永正15年(1518)、上総国真里谷(かずさのくにまりやつ・千葉県木更津市)の武田氏に擁立されて下総国千葉郡小弓城(しもうさのくにちばぐんおゆみじょう・千葉市)に御所を構えて小弓公方(おゆみくぼう)と呼ばれました。

政氏の失脚後、高基と義明は古河公方の地位をめぐって対立し、その前線基地として義明が名都借城を築いたと推定されています。この近辺には、高基側の高城(たかぎ)氏が築いた根木内城(ねぎうちじょう・千葉県松戸市)が存在します。

高基、義明の戦いは高基の子、晴氏(はるうじ)の代になっても続きましたが、天文7年(1538)、国府台(こうのだい・千葉県市川市)の合戦で、晴氏と手を結んだ北条氏綱(ほうじょううじつな)に義明は討たれ、関東足利家は統一されました。
しかしながら、この戦いにより後の時代の北条氏台頭へとつながりました。

「古河公方・両上杉氏・後北条氏」『新編 図録 春日部の歴史』52ページ

名都借城跡(千葉県流山市)
名都借城跡(千葉県流山市)

幸松小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年1月26日に幸松小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
明治から昭和期の民具・農具を見たり、脱穀の時に使用した「千歯こき」の使い方などの説明を聞きました。

千歯こき説明

その後、実際に千歯こきを使い脱穀し、少し前の農家の仕事を体験!
今は機械で行う作業が、少し前は、手作業で労力と時間をかけて行っていたことに、児童たちは、びっくりしていました。

千歯こき体験

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

平成30年1月20日(土)、郷土資料館展示室で「体験ワークショップ」が開催されました。
まず、春日部の伝説をもとにした紙芝居や、電気を使わない蓄音機によるレコード鑑賞を楽しみました。

蓄音機鑑賞

そのあと、昔のおもちゃ「パタパタ(板がえし)」を作り、一番上の板をひっくり返すと、”パタパタ”と音をたてながら下の板もひっくり返るのを、何度も楽しんでいました。

ワークショップ風景


ワークショップの様子

ワークショップは、小学生までを対象とした、昔の遊びを気軽に体験できるイベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。
次回ワークショップは、平成30年2月17日(土)に「からくり屏風」を作ります。ご参加をお待ちしています。

小渕小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年1月18日に小渕小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
児童たちは、展示してある昔の道具を見ながら一生懸命メモを取ったりしていました。

小渕小見学の様子

昔の小さくて中に物が少ししか入らない電気冷蔵庫のドアを実際に開閉し、ドアの重さと冷蔵庫の小ささに、自分の家の冷蔵庫との違いに驚いていました。

電気冷蔵庫の見学

上の電気冷蔵庫より前に使われていた木製の冷蔵庫も触り、電気で冷やすのではなく、氷を使って冷やすことに驚いていました。

木製冷蔵庫の見学

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

1月21日銚子口の獅子舞が公開されます

1月21日(日)、銚子口香取神社にて銚子口の獅子舞が公開されます。
当日は、約70年ぶりに復活する「ウヅメの舞」が披露されます。
どうぞ皆様お誘いあわせの上、ご来場ください。

日時:平成30年1月21日(日)14時~15時20分
場所:銚子口香取神社(春日部市銚子口551)

交通機関:朝日自動車バス(春日部駅東口~豊野工業団地行)豊野小前バス停下車、徒歩5分

宮川小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年1月17日に宮川小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
児童たちは、昭和期の民具・農具を見たり、実際に千歯こきを使い脱穀し、少し前の農家の仕事を体験しました。

宮川小千歯こき体験

また縄文時代の竪穴式住居や江戸時代の宿場町粕壁宿の模型を目の前で見て、昔の春日部を身近に感じてもらえたかもしれません。

宮川小ジオラマ見学

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

「古文書解読勉強会」の成果(その1)

郷土資料館の収蔵庫には、未解読の古文書が膨大に眠っています。当館としては、これらを市民のみなさんにもご利用・ご活用いただきたく、また、開講から20数年経った古文書講座受講者のみなさんに、主体的に古文書解読の学習をすすめていただきたいと、長年思案していたところです。
「古文書解読勉強会」は、昨年11月より、古文書講座受講者の有志が集まって、古文書の解読をすすめるサークルとして月1回のペースで活動しています。
史料目録(リスト)からみなさんが興味をもった古文書を選んで、解読の担当者を決めて、くずし字の解読、口語訳をしています。テキストは、もちろん郷土資料館所蔵の古文書群。現在、講読しているのは市内の神間地区伝来の古文書群、神間村文書です。
講師がテキストを選定する古文書講座とは進め方が違いますので、読みづらい古文書にも出逢いますが、その分新たな発見も多いです。
ここでみなさんで解読した成果の一部をお披露目したいとおもいます。
横書きで読みにくいですが、ご了承ください。
ご興味のある方はぜひご参加ください。今後も当ブログで成果をご披露していきますので、お楽しみに。

【史料番号1】
写真:神間村文書1
(釈文)

   下知書之事

一金百八両弐朱也

 右は年来過納之分上納ニ有之候儀相違無之候、

 然ル処当年暮方仕法も相立兼候ニ付、

 右金子当寅年より無利足永年賦ニ取極置、

 下ケ金之儀は来ル辰年より年々収納之内ニ而

 引取勘定可被申候様、右之段頼入候、左候得は

 此上過納之義決而申入間敷候、為後日仍如件

 

            能勢十次郎内

  嘉永七寅年二月       渡邊宗輔

右は前書之通相違無之、依之奥印致候

 能勢助左衛門

 能勢十次郎

 

【史料番号4】
写真:神間村文書4
(釈文)

   申渡

一名字帯刀        山崎源兵衛

   当時

    弐人扶持

   帰国之後

    三人扶持

其方義数年来之間、
自分身上之儀ニ付彼是数度心配掛、

其上勤向一通り不成骨折有之候ニ付、兼而

是迄度々申聞置候、右之通り当年より差遣シ申候、

尤勤役中は勿論首尾能帰国之後迄も永々

前書之通り差遣シ置申候、依而下知書相渡置候所

相違無之候
                     山崎源兵衛江

   文政七申年

    二月廿二日

   能吉三㊞

武里図書館で作家三上於菟吉のパネル展を開催中です


昭和7年(1932) 将棋を指す三上於菟吉と長谷川時雨

武里図書館の一角で、郷土出身の大衆作家三上於菟吉のパネル展示を開催しております。昨年開催いたしました、「直木賞初代選考委員 三上於菟吉を知っていますか」展のダイジェスト版です。

展示風景(1)

於菟吉の生涯、「雪之丞変化」や「百万両秘聞」などの代表作、夫人の長谷川時雨などにつきまして、写真を交えて紹介しています。代表的な著書をお手に取ってご覧いただけるコーナーもございますので、武里図書館へお越しの際には、ぜひお立ち寄りください。

展示風景(2)

【歴史文化講演会】人間と昆虫の文化を考えてみませんか?

みなさんは昆虫に対してどんな印象をおもちですか?

農村に伝来した古い資料をひもとくと、しばしば「畜昆虫除守護」「昆虫災之御祓」などと印字された、虫除けの護符を目にすることがあります。郷土資料館にも、市内の旧家に伝来した「虫除」の護符を収蔵しています。
写真:護符
「御嶽権現 深秘禁厭 苗稼等之鳥獣波府虫災異撥止守護攸」と印字されています。
「御嶽権現」の神社は特定できませんが、「波府虫」(はふむし)とは昆虫のことで、このお札は農業の害鳥・害獣・害虫を払い除けることを祈念したもののようです。

市内の下大増では、平成初めごろまで、悪霊と一緒に害虫を追い払う「虫追い」という年中行事が行われていました。
下大増の虫追い
前近代の人々にとって、昆虫は愛玩する対象になることもありましたが、農業を生業とする人々にとっては、養蚕や養蜂など生産活動を支えた生き物であるとともに、農作物に被害をもたらす害虫でもありました。害虫を退けるために、上に示したような呪術やまじないに頼ったり、年中行事が営まれたりしたのでしょう。

さて、今回の歴史文化講演会では、「供養碑・虫塚を巡る楽しみ~人と昆虫のかかわりを考える~」と題して、昆虫芸術研究家の柏田雄三先生をお招きします。柏田先生は、全国各地の昆虫を慰霊した供養碑・記念碑・虫塚(むしづか)を巡り、考察され、『虫塚紀行』(創森社、2016年)を著されております。
虫塚は人のために働き、あるいは駆除された昆虫に対する先人の思いを伝える興味深い資料です。今のところ、市内には虫塚の所在は確認できないそうですが、全国各地の事例から、人間と昆虫がはぐくんだ文化について考える機会となることは間違いありません。
ご興味のある方は、ぜひ、講演会にご参加ください。
画像:チラシ
歴史文化講演会「供養碑・虫塚を巡る楽しみ~人と昆虫のかかわりを考える~」
日時:平成30年2月24日(土)14時~16時
会場:春日部市教育センター 2F 視聴覚ホール
費用:無料 定員:100名(申込順)
お申込みは郷土資料館まで(℡048-763-2455)

武州銀行粕壁支店『新編図録春日部の歴史』からのご紹介34

明治28年(1895)12月、粕壁町に粕壁銀行が設立され、翌年1月3日に開業しました。資本金は10万円で、幸手、岩槻、大宮、草加支店を開設しました。

大正7年(1918)11月には、浦和町に現在の埼玉りそな銀行の前身となる武州銀行が資本金500万円で設立されました。当時、埼玉県内には58の小規模の銀行がありましたが、武州銀行は埼玉県の中央銀行として、県内銀行と合併を繰り返し規模を拡大していきました。

その後、粕壁銀行は大正9年(1920)に武州銀行と合併し、武州銀行粕壁支店となりました。

粕壁商工会『粕壁町誌』1936
「粕壁銀行と宝珠花銀行」『新編 図録 春日部の歴史』217ページ

武州銀行粕壁支店
武州銀行粕壁支店(左一番手前の建物。街灯下の看板に武州銀行の文字がみえます。)

教育センター『新編図録春日部の歴史』からのご紹介33

明けましておめでとうございます。
今年も<ほごログ>をよろしくお願いいたします。

春日部市教育委員会文化財保護課と郷土資料館がある春日部市教育センターは、28年前、平成2年1月4日に開所しました。現在も、春日部市の教育の中核施設として、教育委員会各課と教育相談センター、郷土資料館、視聴覚センターが設置されています。

  当時の広報記事からは、最先端の設備を備え、大きな期待をもって開所した施設であったことが読み取れます。すでに開所から30年近くが経過しましたが、施設のほとんどが開所当時に期待された機能を保っており、未来まで見通した設計であったといえます。

視聴覚センターでは、教育センター内の研修室やホール、また視聴覚機材の貸し出しを行っています。また生涯学習推進担当として生涯学習の拠点を担っており、「出前講座」や生涯学習関連の様々な事業を展開しておりますので、ぜひご利用ください。

「教育施設の充実」『新編 図録 春日部の歴史』286ページ

教育センター


広報かすかべ平成元年12月号
広報かすかべ平成元年12月号

小淵山観音院仁王門『新編図録春日部の歴史』からのご紹介32

 小渕地区にある小淵山観音院(こぶちざんかんのんいん)では、春日部市指定文化財の仁王門が参詣者を出迎えてくれます。元禄2年(1689)に建てられたといわれる、お寺の門としては市内で最も古い建造物です。

仁王門は、正面から見ると、4本の柱によって三つの柱の間がつくられるので「三間(さんげん)」、そのうち一つの間が通路となることから「一戸(いっこ)」となっています。また2階部分に回廊(かいろう)が巡る門を「楼門(ろうもん)」と分類するので、これらをまとめて「三間一戸形式の楼門」と呼ばれます。
仁王門の屋根は、現在は瓦葺きですが、創建当初は茅葺き(かやぶき)でした。また、門の内部には鐘(かね)がつるされ、鐘楼(しょうろう:鐘つき堂)の役割もありました。

平成23年の東日本大震災で、仁王門に柱のゆがみなどが生じたため、平成25~26年度に半解体をし、修理工事を行いました。修理工事では、ジャッキアップをして鉄骨の仮柱を設置し、ゆがみを直しました。また柱の最も下の痛みがひどい部分を、根継ぎ(ねつぎ)という方法で、新しい部材に交換しました。

お正月の三ヶ日には境内がライトアップされます。小淵山観音院に初詣にお出かけの際は、ぜひ仁王門もじっくりとご覧ください。

*小淵山観音院は、寺の名前を示す際は地名の「小」ではなく、「小」という漢字を使用します。

「小渕山観音院仁王門」『新編 図録 春日部の歴史』106ページ
小渕山観音院仁王門

手作り季節展示を展示してます

もういくつねるとお正月~♪
資料館も小さな手作り門松をかざり、新年を迎える準備をしました。
ぜひ、見にきてください。
資料館は、12月29日(金)から1月3日(水)まで休館させていただきます。
門松

イチゴの出荷『新編図録春日部の歴史』からのご紹介31

12月も終わりが近づき、イチゴがおいしい季節になりました。
今回ご紹介する写真は、昭和48年ごろの庄和農業協同組合でのイチゴの出荷作業の様子です。

昭和30年ごろから、米の生産調整や農業経営の転換が呼びかけられたことにより、米以外の作物を生産する農家の方が増えました。市内では、フリージアの花やトマト、ナス、キュウリ、モモなどが作られました。
イチゴの栽培は、最初は水田の裏作として露地栽培で始まり、トンネル状のビニールをかけての栽培から、ビニールハウスでの栽培に変化しました。作られたイチゴは、春日部市内や東京、横浜の市場に出荷されました。イチゴ狩りができる観光農園が始まったのは平成に入ってからです。

市内で昭和40~50年ごろ生産されたイチゴの品種は、写真の出荷箱に表示されているように「埼玉ダナー」です。「イチゴといえば埼玉ダナー」というほど、全国的に知名度が高い品種でした。現在流通している品種と比べると酸味が強く、牛乳と砂糖をかけてつぶして食べたことをご記憶の方も多いかと思います。現在は「女峰」や「とちおとめ」の品種が主に作られています。

今回ご紹介した写真のように、昭和時代の写真でも、市内の当時の様子を記録したものとして非常に貴重な資料になる場合があります。大掃除でアルバムなどを処分をする際は、文化財保護課、郷土資料館にご提供いただければ幸いです。

「イチゴの出荷」『新編 図録 春日部の歴史』260ページ
イチゴの出荷

体験講座しめ縄づくりを開催しました

「よいお年を!」という挨拶が飛び交う季節になりましたね。
先週に引き続き、平成29年12月16日(土)、郷土資料館体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」を開催しました。
はじめに、半紙をつかって紙垂(しで)をつくった後、稲わらから縄をつくる縄ない。実は、この作業が今日一番の難しいところ。しかし、大人も子どもも、参加された皆さん、縄がなえました。
写真:縄ない
お子さんの縄ないをお母さんがパチリ。「はじめての縄ない」記念になりますよね。

そして最後に稲束を三つ編みにする「ごぼうじめ」(しめ縄)をつくりました。写真:しめなわづくり
ご家族や隣の方と皆さん、力を合わせて、立派なしめ縄をつくっていただけたようです。
写真:しめ縄をもって記念撮影
参加者からは、「よい年が迎えられそう」「すべて手作りで感激しました」と感想をいただきました。
郷土資料館主催の年内行事も今日で最後。よいお年を。
・・・でもブログは更新しますよ。

豊春駅前で市内の古写真展

昨日、豊春駅に併置している東武ストア豊春店さんにうかがいました。
東武ストア豊春店さんで、開店30周年を記念として「いにしへ写真館」という催しものを開催しています。
写真:いにしへ写真館のチラシ
この「写真展」には、郷土資料館で所蔵する市内の古写真を展示していただいています。
写真:古写真の展示
古写真を展示するだけでなく、「30年後の東武ストア」として宮川小学校の児童の皆さんが予想して描いた未来の「東武ストア」も展示されていました。
写真:宮川小学校の皆さんの描いた絵
夕食前でお忙しい時間帯でしたが、この催しものを企画された店長さんにお話をうかがったところ、お客様の反響がよく、大変好評とのことでした。
この「いにしへ写真館」は年内いっぱいは開催するそうです。
東武ストア豊春店さんは、豊春駅構内改札口を出てすぐです。
お近くの方はお立ち寄りいただければと思います。

細石器『新編図録春日部の歴史』からのご紹介30

細石器(さいせっき、細石刃(さいせきじん))は、今から約1万5千年前、日本列島の旧石器時代最終末期に使われた石器です。日本だけではなく世界各地で発見されており、英語では、microlith(マイクロリス)と呼ばれています。
細石刃は長さが1~1.5㎝と、大変小型で厚さも2㎜程度で、あたかもカミソリの刃のような石器です。春日部市内では、米島地内の「米島貝塚」や西金野井地内の「風早遺跡」で発掘されています。この他、細石刃核(さいせきじんかく)と呼ばれる、細石器を作り出す素材の石器も見つかっており、細石刃核に残る溝状の跡から、連続して剥ぎ取りながら細石器が作られた技術がわかります。

細石器は、動物の骨や木などに複数埋め込まれ、全体として大きな刃を作って、槍の先やナイフとして用いられたと考えられています。海外の遺跡では、木製や骨角製の柄についたままの細石器が発見されています。また、刃の欠損した細石器のみを取り換えながら使われていたと考えられ、石器の作り方に技術の大きな進歩がうかがえます。これらの一部は郷土資料館の常設展示で公開しています。
 

「旧石器人の道具」『新編 図録 春日部の歴史』8ページ

1は米島貝塚、2~5は風早遺跡出土。1、2が細石刃核、3~5が細石器。

収蔵資料の紹介更新しました

郷土資料館の収蔵資料の紹介ページを更新しました。
今回は追加したのは、
北条氏政の感状三峰神社の眷属箱西金野井回漕店の板木、の3点です。

北条氏政の感状は、春日部市の指定有形文化財の中世文書です。
わかっている限りでは、市内に現在ある中世文書としては唯一のものです。
昨年度、市内個人の方から郷土資料館にご寄贈いただきました。

三峰神社の眷属箱は、以前このブログでも少し紹介したものです。
三木一彦先生の講演会をうけて、いろいろわかったことを解説に書き加えさせていただきました。

西金野井回漕店の板木は、出前講座の準備で、当館で所蔵している資料群を見直していたときに発見した、収蔵庫の掘り出し物です。
西金野井は江戸川の河岸場としてにぎわいましたが、残念ながら史資料があまり残っておらず、詳しいことがよくわかっておりません。
この板木は回漕業の一端を伝えるものとして貴重な資料です。

詳しい解説は各ページをご覧ください。

郷土資料館体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」を開催しました

平成29年12月10日(日)、郷土資料館体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」が開催されました。
    最初に、半紙を使い紙垂を作成した後、しめ縄本体の作成をしました。2人が両端を持ち、ねじって作成したしめ縄は、新年を迎えるのにふさわしい立派な物が完成しました。
    参加者からは、「手作りのしめ縄は、感激です」「難しかったけど楽しかった」と感想をいただきました。2回目のしめ縄作りは、12月16日(土)に行います(事前申込必)。
講座の様子
全体

不動院の図『新編図録春日部の歴史』からのご紹介29

春日部市小渕にあった不動院は、戦国時代から近世を通じて関八州(かんはっしゅう)の修験宗(しゅげんしゅう、修験道:しゅげんどう)を支配しました。関八州とは、江戸時代までの国である相模(さがみ)・武蔵(むさし)・安房(あわ)・上総(かずさ)・下総(しもうさ)・常陸(ひたち)・上野(こうずけ)・下野(しもつけ)の8国のことで、現在の関東地方にほぼ一致します。また、修験宗とは、山伏(やまぶし)の活動に代表される山岳で修行し悟りをひらく宗教です。
このような不動院は、徳川幕府からも100石(こく)という寺領を認められた大寺院でした。

江戸時代に隆盛をきわめた修験宗は、明治5年(1872)の修験禁止令によって衰退します。不動院は、明治42年(1909)から大正5年(1916)にかけて、東京の砂村(現:江東区南砂)へ移転しました。この砂村の不動院は、昭和20年(1945)の東京大空襲で焼失し、昭和23年(1948)に正法院(現:東京都台東区竜泉)に合併されました。

今回ご紹介する「不動院の図」は、文政元年(1818)に記された『日光巡拝図誌』という書物に掲載されているものです。不動院入口からの広大な境内地と、巨大な本堂、また小渕砂丘と考えられる山の上には、祠(ほこら)とともに「神変大菩薩(しんぺんだいぼさつ)の祠 役ノ行者ナリ」と記され、最も高いところには修験宗の宗祖である役行者がまつられている様子がわかります。

出典:『日光巡拝図誌』国立公文書館内閣文庫所蔵
「不動院・観音院と円空仏」『新編 図録 春日部の歴史』106ページ

不動院の図

武里小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成29年12月6日(水)午後に武里小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
児童たちは、カタカナで書かれた小学校の教科書を見て、ひらがなで書かれた今の教科書との違いを発見したり、少し前まで実際に使われていた冷蔵庫や洗濯機など身近な道具を見て、昔との生活の違いに驚いていました。
見学の様子
見学の様子

ちょうど武里小学校が見学している時に、ご年配の方が郷土資料館に来館してくださり、児童たちと一緒に展示を見学して、楽しそうにお話しをされていました。


郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

第7回春日部市民俗芸能公開事業が開催されました。

今年度は、「神楽囃子が聴こえる~榎・倉常・不動院野の共演~」をテーマに神楽囃子を継承する3団体(榎囃子神楽連、倉常神楽ばやし保存会、東不動院野神楽保存会)の方々が素晴らしい神楽囃子を披露されました。
第1部は各団体の神楽を、第2部では3団体が一堂に舞台に上がり、団体ごとにお囃子(五人囃子)をメドレーし、迫力のあるお囃子の音色が会場を包みました。各団体からは小学生の出演者を交え、日頃の練習の成果を発揮し、堂々とした神楽囃子を披露いただきました。通常は地域の祭礼に限って披露される民俗芸能を、舞台で観覧できる貴重な機会ですので、ぜひ来年度には多くの皆さまのお越しをおまちしております。(開催については、広報やホームページでお知らせします。)

【第1部】
榎の神楽

          榎の神楽「天コサンバ」

倉常の神楽
          倉常の神楽「ヒョットコ」

不動院野の神楽
         不動院野の神楽「種蒔き」

【第2部】
お囃子メドレー
             
お囃子メドレー

庄和図書館で作家三上於菟吉展開催中

 庄和図書館のふれあいギャラリーにて、郷土資料館の出張展示を行っております。
 夏季展示「初代直木賞選考委員 三上於菟吉を知っていますか?」展のダイジェスト版です。

展示風景(1)

 展示では、三上於菟吉と夫人長谷川時雨の写真や、於菟吉の代表的な著作など69点を紹介しております。写真は今回初めて紹介させていただくものもあります。また、著作は、一部お手に取ってご覧いただけるものもございます。

展示風景(2)

 小さなスペースではありますが、大正から昭和前期にかけて文壇で活躍した、郷土ゆかりのベストセラー作家である三上於菟吉について、ぜひご観覧ください。
 
 
 会期は12月25日(月)までとなっております。文学ファンの方は、お見逃しなく。

神楽囃子が聴こえる~榎・倉常・不動院野の共演~

いよいよ12月3日(日)「神楽囃子が聴こえる~榎・倉常・不動院野の共演~」と題しまして、第7回民俗芸能公開事業が行われます。
春日部市指定文化財の榎の囃子神楽(はやしかぐら)、倉常の神楽ばやし、不動院野の神楽を一度に見られる舞台となっております。特に3つの保存団体の皆様による「祭り囃子」のリレーが見どころです。
皆様のご来場をお待ちしております。

開催日時:平成29年12月3日(日)13時10分開演(12時50分開場)
開催場所:庄和地区公民館(正風館)大ホール
所  在  地:春日部市大衾307番地1(南桜井駅北口より徒歩8分)
定員:500人
費用:入場無料
申込:不要。直接会場へお越しください。
※駐車場に限りがありますので公共交通機関のご利用をお願いいたします。
第7回春日部市民俗芸能公開事業開催のおしらせ

歴史文化講演会「三峰信仰と関東平野」

本日、三木一彦先生をお招きして、歴史文化講演会を開催しました。
講演のテーマは「三峰信仰と関東平野」です。
講演では、江戸時代に流行した代参講の三峰講の実相、三峰山の眷属数(配札数)の歴史的な変遷、関東地方や埼玉県東部における三峰信仰の分布などを示され、江戸時代には、関東地方のみならず、埼玉東部、そして春日部の人々も、火防や盗難除けなど現世利益の神様として広く信仰していたことを、わかりやすくお話しいただきました。
写真:講演される三木先生
当館所蔵の江戸時代の三峰山のお札や、お札を入れる木箱について、受講者の皆さんに示しながら、お話しいただきました。資料館の所蔵資料について、より深く理解することができました。
写真:お札を紹介する三木先生
個人的にも、お札を入れる木箱が「眷属箱」と呼ばれていたこと、ご著書『三峰信仰の展開と地域的基盤』を拝読させていただき、初めて知りました。

ちなみに、講演にも登場した、元治元年(1864)三峰山の表参道の丁目石を寄進した粕壁宿の国田屋七右衛門は、三枚橋に所在した旅籠屋です。三枚橋というのは、今の市民文化会館あたりになります。今回のお話が、意外に身近なところにリンクしていているんですね。

受講された皆さまからも、とてもわかりやすかったとのご感想を多くいただき、大変有意義な講演会となりました。

足利氏満御判御教書写『新編図録春日部の歴史』からのご紹介28

室町時代、室町幕府は東国支配のために鎌倉府をおき、市域の一部も含まれていた太田荘(おおたのしょう)は、鎌倉府の御料所(ごりょうしょ)となりました。
太田荘花積郷の元荒川、古隅田川には、御厩瀬の渡(みまやせのわたし)が設けられ、慈恩寺(現・さいたま市岩槻区)に、この渡の管理が任されていました。慈恩寺は当時、鶴岡八幡宮(現・鎌倉市)の遍照院頼印(へんしょういんらいいん)という僧侶が管轄していました。

ご紹介する文書は、この渡が、渋江郷(しぶえごう、現・さいたま市岩槻区)の渋江加賀入道(しぶえかがにゅうどう)に押領された際、鎌倉公方(かまくらくぼう)の足利氏満(あしかがうじみつ)が、鎌倉府奉行人(かまくらふぶぎょうにん)の壱岐弾正大夫入道希広(いきだんじょうだいふにゅうどうきこう)に対し、現地におもむき、渋江加賀入道から渡を取り戻すよう命じたものです。永徳3(1383)年4月11日の出来事です。
翌月の5月8日には渡を取り戻し、現地の当事者に引き渡したことを記す文書も別に残っています。

『相州文書』鎌倉郡文書 所収 国立公文書館内閣文庫所蔵
「利根川流域と鎌倉府」『新編 図録 春日部の歴史』50ページ

足利氏満御判御教書写

中学生社会体験事業3日目

本日は社会体験事業の最終日でした。
一日かけて、体験講座「しめ縄づくり」の準備をしてもらいました。
社会体験事業では、準備だけでなく、実際に「しめ縄」を作るまで体験してもらいました。
まずは、稲わらをわらすぐり。
わら細工に不要な葉やわらくずを取り除いていきます。
世間話をしながらの作業で、今時の中学生の流行りがわかって楽しかったです。
もちろん、手は動かしながら。皆さん、真剣に取り組んでいました。
写真:わらすぐり

午前中に松戸市から団体見学がみえたので、昨日と同様に古写真やパネルを説明してもらいました。
写真:団体見学の説明をする中学生
午後は、いよいよ「しめ縄」づくりです。
わら打ちをして、わらを柔らかくしてから、まずは縄ないの練習。
それから、しめ縄を編み込んでいきます。半紙でつくった「紙垂」(しで)をつけて完成。そのあと、輪飾りもつくりました。
写真:しめ縄づくり
みなさんの作った「しめ縄」は大変出来栄えがよかったので、市のHPの体験講座しめ縄づくりのページの写真に使わせていただく予定です。最後は並べて写真にとってもらいました(展示業務の体験ということで)。
写真:中学生の作ったしめ縄と輪飾り
あわただしい3日間、いろいろなことを体験して、大変だったかもしれませんが、最後に楽しかったとの感想を話してくれました。
少しでも、春日部の歴史や文化に少しでも興味をもってもらえたのならば、喜ばしい限りです。3日間、お疲れさまでした。

めがね橋(倉松落大口逆除)『新編図録春日部の歴史』からのご紹介27


八丁目のめがね橋は、正式名称を倉松落大口逆除(くらまつおとしおおぐちさかよけ)といい、春日部市指定有形文化財です。
倉松落は普段は悪水路として、水田の排水を古利根川へ流す役割を担っています。しかし大雨が降ると古利根川の水位が上昇することにより、倉松落に水が逆流し、周辺に被害をおよぼすことから、逆流を止めるために設置されたのが、このめがね橋(倉松落大口逆除)です。

明治23(1890)年の洪水で、もともとあった木製の逆除が流されたため、明治24年6月、工期3か月、工費3,630円で、めがね橋は完成しました。焼しめられた様々な色のレンガで築かれ、また装飾性の高いアーチがその特徴となっています。
川と用水路や悪水路を結ぶ水路を樋門(ひもん)と呼びますが、めがね橋は県内に残るレンガ造りの樋門では、明治24(1891)年4月に竣工(しゅんこう)した越谷市の谷古田元圦(やこたもといり)に続き、2番目に古いものです。ちなみに同じくレンガ造りの樋門である水角地区の五ヶ門樋(ごかもんひ)は、めがね橋の翌年明治25(1892)年竣工で、県内で4番目に古いものとなっています。

めがね橋は、貴重な文化遺産であることから、日本土木学会により、「日本の近代土木遺産」にも認定されています。
現在は、倉松落の水は大部分が庄内古川に流れ、またほかの排水施設が稼働していることから、めがね橋は本来の逆流防止の役割を終え、道路橋として使われています。

さて、めがね橋は、11月18日(土)、午前8時30分からテレビ埼玉の「いまドキッ!埼玉」という番組で紹介されます。当日11月18日は日本土木学会の定める「土木の日」で、県内のほかの近代土木遺産とともにとりあげられます。
ぜひご覧ください。
県政広報テレビ番組 「魅力まるごと いまドキッ!埼玉」サイト

「庄内古川をめぐる苦悶」『新編 図録 春日部の歴史』178ページ

中学生社会体験事業2日目

昨日に引き続き、中学生社会体験事業です。

本日は、団体見学のお客様向けの展示解説の補助をしてもらいました。
日光道中粕壁宿の解説の補助資料として、それぞれが粕壁の町の古写真を説明しました。
お客様が帰られた後、「本番は緊張した」と感想をもらしていましたが、
みなさんしっかりと自分の役割を果たしていました。お客様も大変満足されようです。
写真:古写真を説明する中学生
本日のメインは、市内の旧家からいただいた資料の整理です。
古書のほこりをはらって、1つ1つ封筒に収めます。
そののち、資料を解読しながら、資料調書をとってもらいました。
当時の人たちが、版木で出版された本を読んでいたことや、筆で本を書き写していたことに大変驚いていました。「伊蘇保物語」(イソップ物語)や葛飾北斎の画集「北斎漫画」なども取り扱い、古い本からも親しみを感じ取ってくれたようです。
写真:資料整理をする中学生
最後に、
粕壁の町の商家の双六(すごろく)について、調査してもらいました。
この双六は昭和初期に印刷されたもので、商店の広告がマスに見立てられています。
中学生のみなさんには、双六の商店がどの位置にあったのか、様々な文献資料を比較しながら、現在の地図上に落とし込んでもらいました。
なくなってしまった商店も多く、探すのに苦労していましたが、「ウォーリーをさがせ」ならぬ、春日部の「商店をさがせ」のようで、楽しみながら作業をしてくれました。
みなさんの調査の成果は、ゆくゆくは展示に反映する予定です。
写真:資料調査をする中学生
今日は盛りだくさんでした。明日の最終日は、しめ縄づくりの準備・練習です。

庄和高齢者憩いの家の歴史講座に出張しました

平成29年11月14日(火)、高齢者支援課の主催で庄和高齢者憩いの家で歴史講座を行いました。
演題は「庄和高齢者憩いの家周辺の歴史」で、同施設の南側には西金野井の香取神社が所在しますので、香取神社と西金野井の歴史についてお話ししました。庄和高齢者憩いの家が完成した昭和49年(1973)ころの話、江戸川が開削される前は西金野井と東金野井(現野田市)が一体だったこと、西金野井は河岸場のある集落として大変栄えていたこと、などなど。

講演の途中、地元のご高齢の方より、昔は船が通っていたことや、古くからの屋敷があったことなどをご教示いただきました。本当は講座の話をやめて、お話をじっくり伺いたかったのですが、時間がなく残念でした。
地元のみなさんのお話を伺える意味でも、出前講座は大変貴重な機会です。
ご来場いただきましたみなさま、ありがとうございました。

写真:庄和憩いの家での講座風景

中学生社会体験事業1日目

本日から3日間、市内中学生が郷土資料館の業務の「社会体験」にきています。
初日の本日は、郷土資料館の収蔵庫の整理整頓や資料の取り扱いを体験してもらいました。
資料の取り扱いでは、市内で発見された弥生式土器を手にとって観察したり、古い巻物を開いてみたり、江戸時代の絵図から春日部を探してみたりしました。
郷土資料館や学芸員の業務についてみなさん理解いただけましたでしょうか。

写真:巻物を取り扱う中学生

写真:江戸時代の絵図をみる中学生

資料の取り扱いの時はもちろん、初日だったので、みなさん、終始緊張した面持ちでした。

東中野の獅子舞、赤沼の獅子舞の公開

さわやかな秋空の下、各地で伝統芸能が公開されました。
市指定無形民俗文化財『東中野の獅子舞』は午前中に地域の無病息災・悪魔祓いなどを祈願した辻切りが、午後には東中野神社境内で奉納舞が行われました。


花掛りの舞―いたずら狐と三匹獅子の掛け合いが特徴的です

赤沼神社では『赤沼の獅子舞伝承300年祭』が伝承元の「下間久里の獅子舞(越谷市)」(県指定無形民俗文化財)と兄獅子である「銚子口の獅子舞」(市指定無形民俗文化財)の2団体を迎え、盛大に行われました。

銚子口の獅子舞―年明け1/21の春例祭では70年ぶりとなる「ウヅメの舞」の公開が予定されています


下間久里の獅子舞華麗で堂々とした伝承元の舞に会場がうっとりしました


赤沼の獅子舞ー保存会の熱意で復活した神楽「種まきの舞」。神楽獅子とも呼ばれる赤沼の獅子舞では年次的に神楽の演目の復活に取り組んでいます。


赤沼の獅子舞ー
300年祭のフィナーレをかざる「弓くぐりの舞」。例年7月に、豊作を祈願して太夫獅子が弓をくぐります。

「銚子口の獅子舞」
は次回、1月21日(日)に、「下間久里の獅子舞」は例年7月、「赤沼の獅子舞」は7月・10月に公開されます。
ぜひ、現地で郷土の文化遺産をご覧になってみませんか。

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

平成29年11月12日(日)、郷土資料館で「体験ワークショップ」が開催されました。
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「ぴょんぴょんカエル」や「紙てっぽう」を作ました。
紙てっぽうの音と、子供たちの笑い声が響いた楽しい時間になりました。
 次回ワークショップは、平成30年1月20日(土)に「パタパタ(板がえし)」を作ります。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です! !  ご参加をお待ちしています。
蓄音機

ワークショップの風景

第7回春日部市民俗芸能公開事業開催のおしらせ

第7回春日部市民俗芸能公開事業を開催します。
今年度は「神楽囃子が聴こえる~榎・倉常・不動院野の共演~」をテーマに、神楽を継承する3団体(榎囃子神楽連、倉常神楽ばやし保存会、東不動院野神楽保存会)の方々が一堂に会し、神楽囃子の魅力を皆さまに広くご紹介します。
特に地域の伝統文化を担う子供たちによる神楽やお囃子、そして3団体による「祭り囃子」のリレーが見どころです。
ぜひご来場ください。

第7回春日部市民俗芸能公開事業

開催日時:平成29年12月3日(日)13時10分開演(12時50分開場)
開催場所:庄和地区公民館(正風館)大ホール
所  在  地:春日部市大衾307番地1(南桜井駅北口より徒歩8分)
定  員:500人
費  用:入場無料
申  込:不要。直接会場へお越しください。
     ※駐車場に限りがあります。

11月12日に東中野の獅子舞、赤沼の獅子舞が公開されます

11月12日(日)は、いずれも春日部市指定文化財である『東中野の獅子舞』『赤沼の獅子舞』が公開されます。ぜひ、皆さまお誘いあわせの上、お出かけください。

○東中野の獅子舞
日時:平成29年11月12日 (日曜日) 午前9時~午後4時
雨天の場合は19日(日曜日)に順延

午前9時~正午は地区内を辻切り、午後2時から神社境内で奉納舞

場所:東中野香取神社(春日部市東中野366)

南桜井駅から徒歩30分

○赤沼の獅子舞300年祭
獅子舞伝承300年を記念して、獅子舞や神楽が奉納される他、「下間久里の獅子舞」と「銚子口の獅子舞」が特別出演します。
日時:平成29年11月12日 (日曜日) 午前10時45分~午後3時30分
(10月29日(日)から再順延となりました。)
場所:赤沼神社(春日部市赤沼770)

茨城急行自動車バス(せんげん台駅東口~大正大学・松伏町役場・まつぶし緑の丘公園行)赤沼バス停下車、徒歩5分


東中野の獅子舞
東中野の獅子舞

赤沼の獅子舞

赤沼の獅子舞

動物 歴史文化講演会「三峰信仰と関東平野」受講者募集中です!

平成29年11月25日(土)、三木一彦先生(文教大学准教授)をお招きして歴史文化講演会「三峰信仰と関東平野」を開催します。

・日時:平成29年11月25日(土)14時~16時
・場所:春日部市教育センター4階研修室2
・費用:無料
・定員:100名(申込順)
・申込方法:郷土資料館に直接、または電話で(℡048-763-2455)

三峰信仰とは、埼玉県秩父地方の三峰山に対する信仰のことです。三峰山の山上には三峰権現を祀る三峰神社が鎮座しています。三峰権現の眷属である大口真神(おおぐちのまがみ)は俗に「お犬様」などと呼ばれ、ニホンオオカミを神格化したもので、江戸時代には庶民に火難・盗難除けとして信仰されました。
市域でも、江戸時代より、三峰神社と呼ばれる祠や石造物が祀られ、また、三峰講と呼ばれる代参講などが組織されていました。
郷土資料館にも、市内の旧家から寄贈された、「お犬様」のお札やお札を入れる木箱などを収蔵しています。

写真:三峰神社の護符

三木先生は、歴史地理学の視角から、江戸時代の三峰信仰の歴史的な展開をご研究されている著名な研究者です。
どなたでも受講いただけますので、ご興味のある方は郷土資料館までお問合せください。


正風館に手作り粕壁宿ジオラマを展示しました


本日、正風館(庄和地区公民館)に手作りの粕壁宿ペーパークラフトを展示しました。粕壁南公民館、幸松地区公民館で展示していたジオラマです。



手づくりの粕壁宿模型は、粕壁宿再現プロジェクトに参加した子どもたちが造ったペーパークラフト模型をもとに、江戸時代の粕壁宿の町並みを復元したジオラマです。
模型の詳しい解説については、
「ペーパークラフトでめぐる粕壁宿」(郷土資料館ホームページ)をご覧下さい。



さっそく興味津々の公民館利用者のみなさまが、ジオラマをのぞき込み、手作りの模型に感激されていました。



正風館でも、2階からの全容をご覧いただけます。来年1月末まで展示予定です。お近くの方はぜひご覧ください。

須釜遺跡2号墓土器出土状況『新編図録春日部の歴史』からのご紹介26

市内北部の倉常地区の須釜遺跡では、弥生時代の「再葬墓」(さいそうぼ)というお墓の跡が発見されています。
「再葬墓」とは、縄文時代の終わりごろから弥生時代の中頃にかけて関東地方から東北地方において広まったお墓の形です。人が亡くなった際、一度、遺体をそのまま土に埋めたりして葬(ほうむ)りますが、一定の時間がたったのち、その遺体を掘り出して、さらに骨だけにし、再び葬るものです。「再び葬る」ことから「再葬墓」と呼ばれています。

倉常の須釜遺跡は、埼玉県東部地域では唯一の弥生時代の本格的な遺跡です。また台地上ではなく、低地部分に位置することから、すでに弥生時代には市域に広がる中川低地で、人々の活動が始まっていたことを示しています。

須釜遺跡から出土した弥生土器は、埼玉県有形文化財に指定され、一部を郷土資料館にて展示しています。
また11月3日(金)から朝霞市博物館で行われる下記の展示会で展示されます。ぜひお出かけください。

第32回企画展「装飾壺からみた弥生時代の朝霞」
会期:平成29年11月3日(金)~12月10日(日)
会場:朝霞市博物館(埼玉県朝霞市岡2-7-22)
「装飾壺からみた弥生時代の朝霞」 朝霞市博物館サイト

「墓制から見た社会」『新編 図録 春日部の歴史』22ページ

須釜遺跡2号再葬墓出土状況
須釜遺跡2号墓土器出土状況

グループ 介護施設(デイサービス)の方が見学にきました。

昨日に引き続き、本日は、午前・午後あわせて3団体の介護施設(デイサービス)の方にご来場いただきました。
昔の写真をみたり、昔の教科書にさわって読んだりして、みなさんの経験をお話ししてくださいました。
今日は、回想法ボランティアのふれあい幸齢倶楽部(こうれいくらぶ)の方が、映像や写真をもとに、みなさんに語りかけてくださいました。


映像を解説する、ふれあい幸齢倶楽部の方


昔の市内の写真を懐かしくご覧いただきました


昔の国語の教科書の文章を憶えていらして、音読されていました。

昔のことを想い出されて、みなさん活き活きした表情でお帰りになりました。
またのご来館をお待ちしております。

桜川小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成29年10月27日に桜川小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
児童達は、昔の道具を見たり、少し前までは家庭で使われていたダイヤル式黒電話を実際にまわしてみて、今の電話との違いに驚いていました。
郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。ぜひ遊びに来てください。

小学校見学の様子
小学校見学の様子

春日部の神楽と囃子 『新編図録春日部の歴史』からのご紹介25

春日部市内には不動院野の神楽(かぐら)、榎の囃子(はやし)神楽、倉常の神楽囃子(ばやし)という3つの神楽囃子があり、それぞれの保存団体が大切に守り伝えています。
これらの神楽、囃子は、地理的に近い場所で行われているだけでなく、演目や曲目、伝来過程にも共通点があります。

不動院野の神楽は、道具入れの箱書きに嘉永(かえい)六年(1853)とあり、茨城県の大杉神社の神楽を習得したと伝えられています。

榎の囃子神楽は、由来が2つあり、一つは「正徳年間(1711~16)に疫病が流行したので、疫病退散と五穀豊穣を願って、茨城県の大杉神社から分霊を迎えた際、大杉様に奉納するために習った」というもの、もう一つは「明治時代に東京の太夫元に頼んで来てもらい神楽の伝授を受けた」というものです。

倉常の神楽囃子も、正徳年間に疫病が流行したとき、茨城県の大杉神社から分霊を受け、疫病退散を願って囃子を演奏して祭りを行ったといい、具体的な伝授元は不明ですが、江戸囃子の系統である榎の囃子と同系統と考えられます。

12月3日(日)13時10分から正風館(大衾307-1)にて、第7回春日部市民俗芸能公開事業

「神楽囃子が聴こえるー榎・倉常・不動院野の共演」

と題しまして、これらの神楽を舞台上で演じていただきます。三団体によるお囃子のリレーが見どころです。
市内の神楽とお囃子が一度に鑑賞できる絶好の機会ですので、皆さまお誘いあわせのうえ、ぜひご来場ください。

「春日部の神楽と囃子」『新編 図録 春日部の歴史』234ページ


榎の囃子神楽
榎の囃子神楽
倉常の神楽囃子
倉常の神楽囃子
不動院野の神楽
不動院野の神楽

くらしのうつりかわり展は大人の方もお楽しみいただけます

企画展示室で開催中の「くらしのうつりかわりー懐かしの暮らしの道具展」は、小学校第3学年の社会科地域学習に即し、ひと昔まえの道具や生活の再現を展示しています。
この時期、市内小学校の団体見学でにぎわっているところですが、本日は、介護施設(デイサービス)の方にご観覧いただきました。




昔の道具をご覧になって昔のことを想い出されたり、道具を手に話しかけたりして、懐かしい暮らしを想い出され、楽しんでいただけたようです。

「くらしのうつりかわり」展は、平成30年3月18日(日)まで開催しています。
お子さんだけでなく、大人の方も”むかし”を想い出してみませんか。

赤沼の獅子舞300年祭は11月12日に再延期となりました

10月29日に開催が予定されておりました『赤沼の獅子舞伝承300年祭』が天候不順により再延期となりました。
 
【変更日】11月12日(日曜日)
なお、公開時間(午前10:45~午後3:20)、場所(赤沼770 赤沼神社)の変更はございません。


赤沼の獅子舞は、享保3年(1718)に越谷下間久里の香取神社に伝わる「雨下無双角兵衛」系統の獅子舞が伝承され、今年で300年の節目を迎えます。
当日は伝承元であります越谷市の「下間久里の獅子舞」(県指定無形民俗文化財)と兄弟獅子の「銚子口の獅子舞」(市指定無形民俗文化財)の伝統の舞をみることができます。
秋のひと時、ぜひ、郷土春日部の伝統芸能をご堪能してはいかがでしょうか。

竪穴式住居が学習マンガに紹介されました


よく学べ みんなの郷土 資料館
かすかべ郷土カルタでもおなじみの、
竪穴式住居の原寸復元模型
カルタの図柄になっているので、郷土資料館に来たことのない方も知っているようです。
郷土資料館のシンボルといっても、言い過ぎではないと思います。
春日部では、野原しんのすけ一家の次に有名な家族かもしれません。

さて、このたび、竪穴式住居模型が子供向け学習マンガに紹介されました。


河合敦監修『縄文世界へタイムワープ』(朝日新聞出版、2017年10月30日発行)

一昔前の学習マンガはとっつきにくい感じの絵が多かったように記憶していますが、現代の学習マンガはカラフルで楽しく学べそうですね。
内容が気になる方はお近くの本屋さんでチェックしてみてくださいね。

宝珠花小・富多小学校3年生が郷土資料館を見学しました

平成29年10月24日に宝珠花小学校・富多小学校の第3学年が合同で、郷土資料館を見学しました。

昔の小学生の格好や教科書を見て、「くらしのうつりかわり」について、興味をもってもらえましたでしょうか。3学期の社会科の学習に役に立つといいですね。


少人数とあって、体験コーナーなど堪能できたようです。

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示していますので、おうちの方とまた遊びに来てくださいね。

内牧小学校選挙事務所 『新編図録春日部の歴史』からのご紹介24

10月22日(日)は、衆議院選挙、春日部市長選挙が行われます。
昭和29年(1954)7月1日、春日部町、豊春村、武里村、幸松村、豊野村が合併し春日部市(旧)となり、同年8月7日、初の市長選挙が行われました。
写真は、その時の選挙で内牧小学校に設置された投票所の一コマです。現在と同じく、投票立会人の前に投票箱が置かれている様子がわかります。

なお、投票所内の撮影は、公職選挙法第60条「投票所における秩序保持」に抵触する恐れがありますのでご遠慮ください。

「自治制度の再出発」『新編 図録 春日部の歴史』48ページ

緑小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成29年10月19日に緑小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
昭和期に使われていた冷蔵庫やテレビなどを実際に触ったりして、今との違いに驚いていました。
郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。ぜひ遊びに来てください。

見学の様子
見学の様子

赤沼の獅子舞伝承300年祭の順延

10月22日に開催が予定されておりました『赤沼の獅子舞伝承300年祭』が天候不順で延期となりました。
 
【変更日】10月29日(日曜日)
なお、公開時間(午前10:45~午後3:20)、場所(赤沼770 赤沼神社)の変更はございません。

赤沼の獅子舞は、享保3年(1718)に越谷下間久里の香取神社に伝わる「雨下無双角兵衛」系統の獅子舞が伝承され、今年で300年の節目を迎えます。
当日は伝承元であります越谷市の「下間久里の獅子舞」(県指定無形民俗文化財)と兄弟獅子の「銚子口の獅子舞」(市指定無形民俗文化財)の伝統の舞をみることができます。
秋のひと時、ぜひ、郷土春日部の伝統芸能をご堪能してはいかがでしょうか。

武里西小学校・豊野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成29年10月18日に武里西小学校・豊野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
明治から昭和期の民具・農具を見たり、実際に千歯こきを使い脱穀し、少し前の農家の仕事を体験しました。
郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。ぜひ遊びに来てください。

武里西小見学の様子

豊野小見学の様子

民俗文化財の公開

10月15日(日)に「榎の囃子神楽」「銚子口の獅子舞」の公開が行われました。

当日はあいにくの降雨でしたが、富多神社の秋例大祭では、富多小学校の日曜公開授業の一環で、日頃の総合的な学習の時間で神楽や囃子に取り組まれている3、4学年の児童のみなさんの練習成果が披露されました。授業で指導されている『榎囃子神楽連』の皆さんも子供たちの堂々とした舞に目を細めて見守っていただきました。

大黒様 
★元気よく口上を唱える「大黒様」
 
銚子口香取神社では、勇壮な三匹獅子が神社拝殿で所狭しと舞われ、秋の収穫に感謝が捧げられました。銚子口の獅子舞は年明けの1月中旬にも公開され、『銚子口獅子舞保存会』の皆さんは約70年ぶりとなる「ウズメの舞」の復活に向けて練習を重ねております。

三匹獅子
★勇壮な三匹獅子による「千島の舞」

10月15日に榎の囃子神楽と銚子口の獅子舞が公開されます

10月15日(日)に、榎の囃子神楽、銚子口の獅子舞が公開されます。
場所、日程は下記の通りです。いずれも雨天でも実施します。
ぜひお出かけください。

○榎の囃子神楽
日時:10月15日午前10時から
場所:富多神社(春日部市神間663)
*雨天でも実施します。

○銚子口の獅子舞
日時:10月15日午後2時から
場所:銚子口香取神社(春日部市銚子口551)
*雨天でも実施します。(神社拝殿内で舞います。)

榎の囃子神楽
榎の囃子神楽

銚子口の獅子舞
銚子口の獅子舞

郷土資料館体験講座「ミニぞうりを作ろう」を開催しました

平成29年10月8日(日)、郷土資料館体験講座「ミニぞうりを作ろう」が開催されました。
長さ3mの江戸打ち紐を3本使い、10cmほどの大きさのミニぞうりを作りました。ぞうり本体は、江戸打ち紐を互い違いに編んで作り、最後に鼻緒を、かぎ針を使い本体に編み込んで完成させます。
参加された皆さんは、「可愛い、友達に自慢したい」「家で、もっと小さな物を作ってみよう」「難しかったけど楽しかった」と喜んでいました。
 次回体験講座「しめ縄を作ろう」は、12月10日(日)・12月16日(土)です。ご参加をお待ちしています(事前申込必要・広報かすかべ11月号でご案内いたします)。

講座全体の風景

講座の様子

後醍醐天皇綸旨写『新編図録春日部の歴史』からのご紹介23

元弘3年(1333)、後醍醐天皇は鎌倉幕府追討の命令を全国に発し、足利尊氏は京都の六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻略、新田義貞は鎌倉を攻めて、ついに鎌倉幕府は滅びました。同年6月(建武元年)、後醍醐天皇は建武の新政を開始しました。しかし足利尊氏はこれに反して室町幕府を開き、南北朝時代が始まりました。
この時代の歴史に春日部氏の一族である春日部重行が登場します。重行は後醍醐天皇方で足利尊氏と対立し、一時は尊氏を破りました。

後醍醐天皇綸旨写は、これら春日部重行の一連の活躍に対して、建武3年(1336)、現在の千葉県東金市あたりの上総国山辺南郡(かずさのくにやまのべみなみぐん)と春日部市あたりの下総国下河辺荘春日部郷(しもうさのくにしもこうべのしょうかすかべごう)の地頭の職を、後醍醐天皇が重行に与えたことを示す資料となっています。

出典:『武州文書』国立公文書館内閣文庫所蔵
「春日部市と建武の新政」『新編 図録 春日部の歴史』48ページ

後醍醐天皇綸旨写