校長室より

校長室より

いじめを許さない(その2)

 6月2日の全校朝会で、私が全校児童に「私の妹」という悲惨ないじめの話をしたことを受けて、各学級で再度いじめについて話し合いました。そして、学年集会を開き「いじめゼロ」の具体的な取り組み(いのちを大切にするキャンペーン)を始めました。 
 以下は、学年ごとに取り組んだ内容です。(報告書を簡単にまとめたものです)

☆1学年

 ・学年目標「なかよし」について・・・友達と仲良くするにはどうし
    たらよいかな?

・ふわふわことば、ちくちくことばをかんがえよう!

 ・いろいろな友達のことを知ろう。「補聴器」「装具」「にこにこ
    教室」って何?

☆2学年

 ・校長先生が読み聞かせしてくれた「私の妹」をもとに話し合お
    う!

 「あの妹があなたのクラスにいたら,どんなことをしてあげたいですか?」

   と学級毎になげかけ、「自分だったらこうする」ということを
      ワークシート
に書いた。

②ワークシートを学年集会に持ち寄り,「あの妹」の友達として
      どうしてあげ
たいのかを話し合った。

③最後に2年生の約束を確認した。

・いじめを見たらだまっていない 

・友だちの気持ちを考えて行動しよう 

・いやなことは「いや」とはっきり言おう

☆3学年

 ・「いじめとは何か」「いじめられたらどうするか」「いじめを見
    たらどうするか」

を学年で話し合った。

・その後,教師が子どもの頃のいじめに関する体験を話した。いじめを防ぐために自分ができることを一人一人紙に記入し,学年掲示板に掲示した。

☆4学年

・各学級でいじめのないクラスにするためにできることを話し合い
    発表した。

 ・その後各担任から話をし、校長先生からも命の尊さについての話
    を頂いた。

☆5学年

 ・事前に各クラスでいじめをしないためにどうしたらよいか話し
    合った。

 ・学年集会では、各クラスの話し合いの内容を発表し合い絶対にい
    じめをしな
い・させない・いじめられないを宣言し合った。

 ・そしていじめをすることは犯罪であることをよく肝に銘じた。
    いじめられて
いる人を見かけたら、声をかける・助ける・先生や
    家の人に相談する。一緒
に遊ぶ、いじめている人を見かけたら、
    止める・やめさせる・大人に相談す
る・・・など勇気をもって取り
    組もうと誓い合った。

☆6学年

 ・各学年で話し合ったことを発表し、学年の3人の教師からそれぞ
    れの経験や
思いを話した。

 ・最後に校長先生から,星野富弘さんの詩集から「いのちより大切
    なもの」を
朗読していただき,いのちについて考える時間をもっ
    た。昨年度行った校長
先生の「いのちについて考える授業」の際
    の卒業生の感想を紹介し、いのち
の重みについて真剣に考える時
    間を全員で共有した。

   本校では、各学級で第1回目のいじめのアンケートを実施してい 
 るところです。
昨年度の秋の調査において、「あなたは今、いじめ 
 られていますか」との最初の質問に
14名の児童が「はい」と答え
 ております。その後、担任が詳しく話を聞いたり、指導したりして
 高学年の1件まで解決することができました。低学年においては、
 ケンカ等のトラブルで少し叩かれたり嫌なことを言われたりしたこ
 とでいじめを受けていると回答している場合もあります。いじめへ
 と発展しないためにもこの初期の段階で問題解決に向けて速やかな
 対応をしていく必要があります。高学年での1件は保護者に詳細に
 説明し謝罪して、継続して学級・学年で解決に向けて取り組んでい
 るところです。
 
  我孫子市全体では、小学校で約6%、中学校で約2%の子ども達
 が「いじめを受けている」との結果が出ています。
小学校で多いい
 じめは、「嫌なことを言われた」「仲間はずれをされた」「暴力を
 受けた」等があります。
又、誰に相談しましたかについては、先生
 が41%、親が33%、友達が24%となり学校の先生に相談して
 いる割合が前年度よりも増えております。

  いじめそのものの数は減少傾向にありますが、いじめを見た子どもは小中学校とも「黙って見ている」「一緒に笑ったりからかったりしている」子の割合は増えています。

  「相手がいやがることはすべていじめ」であり、いじめを見ている周りの子の力が大きく影響することを肝に銘じて、子ども達と一緒に今後も考え続ながら、具体的対応策をしっかりと取っていきたいと思います。

 

 

いじめを許さない

「ばか」「あほ」「ちび」「ぶす」・・・いじめの最初の言葉です。何気なく始まるこの言葉が次に「うざい」「消えろ」となります。そして最後は「死ね」という言葉まで出てくることが多いです。いじめは犯罪と同じです。

6月は全校でいじめゼロを目指す取り組みをします。6月2日の全校朝会では、いじめを題材にした実話「私の妹」というお話をしました。自分の妹が小学校時代に悲惨ないじめに合い、不登校になり最後は命を落とすお話です。妹をいじめた人達はやがて高校生になり窓の外を笑いながらおしゃべりしながら通っていくというストーリーです。

 合唱部の協力を得て、ユーミンの「ひこうき雲」のピアノ伴奏と合唱を披露しながら読み聞かせをしました。黙って聞き終えた子ども達の中で泣いている子もおりました。

子どもの心に本当にいじめは怖いことなのだと実感できたのだと思いました。

いじめの構造は、いじめられる子・いじめる子・はやし立てる子・見て見ぬふりする子がいます。大事なのは、大多数の見て見ぬふりをする子の存在です。

先月下旬の新聞報道で、長崎県の中学3年生の男子生徒がいじめを苦にして自殺した事件が紹介された記事がありました。無料通信アプリ「LINE」(ライン)を使って複数の同級生に自殺意志を伝え、一部の保護者もそのことを知っていたが、誰も自殺した両親や学校に伝えていたかったそうです。子どもを亡くした父親は、「子どもが自殺しようとしていることを知っているのに、死ぬまで誰も私達や学校に教えてくれなかった。それこそが最大のいじめではないか。」と語っています。

いじめを見たら黙っていてはいけないということです。周りからの力が解決するのに大事です。

文部科学省の調査でも、小学4年生から中学3年生までの6年間で約9割の子ども達が「いじめられる側」又は「いじめる側」に少しでも関わっているデータがあります。いじめは本当に人ごとではありません。自分自身の問題としても真剣に考えることが必要です。

去年、国が作成した「いじめ防止対策推進法」の第四条(いじめの禁止)の条項に、

 児童等は、いじめを行ってはならないと明記されています。

いじめはどの学校でも、どの学級でも起きることがあり得ます。本校では、どの学級もいじめを担任教師と共に解決できる集団となるよう真剣に取り組みます。

子供同士のいじめ問題で心配なことがありましたら些細なことでも学校までお知らせ下さい。

失敗学とは?

 私は小さい頃から落ち着きが無く、熟慮せずに行動してよく失敗をしたものでした。そして、先生や親から「もっとちゃんと考えなさい」「落ち着いて行動しなさい」と叱責を受けたものでした。じっとしていられない性分だったことは間違いありません。

大人になり自分が教員となってからは昔の自分を見ているような子供も小学校には多くいるような気がします。

今回はその失敗についてお話をします。この世に「失敗学」という学問があることをご存じでしたか。今から7~8年前に、あるテレビ番組で「失敗学」という言葉を初めて聴いて直ぐに興味を持ちました。それから、機会あるごとにこの学問について色々と本を読み調べてきました。

「失敗学」とは、「失敗を正しく学び、生かす」ことであります。

想像力が必要な現代社会は、多くの失敗も必要となります。この失敗を否定的に捉えるのではなく、むしろプラス面に着目して、有効利用しようとするものであることが分かりました。 

 人は、必ず失敗をします。

これが「失敗学」の基本にあります。

失敗とは隠すものではないという文化をつくることが大切であると「失敗学」を長年に渡り研究されてきた東京大学名誉教授の畑村洋太郎先生は述べております。

畑村先生の様々な著書から失敗について私の心を揺さぶった言葉(キーワード)について簡単に書きました。

 

<失敗学の主なキーワードベスト10> 

 失敗は確率現象である

 ヒヤリ体験の時から真剣に向き合う姿勢が大切である。ハインリッヒの法則

 失敗は放っておくと成長する

 未然の防止策を取らないと、いつか大きくなり破裂する。「知りながら害をなすな」

 途中変更が諸悪の根源になる

 生産現場の失敗はほとんどがこれ。最終計画を常に最終として組織全体が認識する。

 特に運動会・林間学校・修学旅行・入学式・卒業式等は最終の訂正版を配布する。

 失敗には階層がある

 個人の無知・不注意・誤判断からの失敗(個人性)。組織や企業の運営不良、行政や政治の怠慢(社会性)。未知への遭遇(誰も防げない失敗・良い失敗)。

 失敗は予測できる

 失敗を隠さず失敗の体験を積極的に学ぶ。失敗の特性をきちんと分析する。

 失敗情報は時間が経つと急激に減衰する。

 過去に津波の大被害(明治29年にも2万人以上の死者)があった東北の三陸地方にある石碑。「ここから下に家を建てるな」。家が立ち並び今回も大被害に遭った。

 失敗は隠れたがる

 失敗の原因は変りたがる。責任問題等で失敗の本当の情報は組織の上には行かない。

8 リーダーの資質と失敗

 トップが安全管理に意識しているか否かで、罹災率は3倍違ってくる。

9 失敗情報を「知識化」していく

 現実の失敗事例を自分や他人が将来使える知識としてまとめる。

10 「想定外」を想定する

 東日本大震災で行政や専門家は、「想定外」として責任逃れをしてきた。

 

運動会は負ける練習の場

いよいよ新緑の季節である5月になりました。今月の一大イベントはなんと言っても24日に予定されている運動会です。学校行事であり日頃の体育学習の成果を発表する場でありますが、私は「運動会とは負ける体験をする絶好の機会」だと思ってきました。

 だいぶ前のことですが、勤務していたある学校でこんな場面に遭遇しました。運動会の閉会式後、校庭の片隅で6年生女子応援団が10名位丸くなって嗚咽を上げて泣いていました。訳を聞くと総合優勝できず、しかも応援賞も取れず悔し泣きをしていたのです。応援団女子が、今日までいかに真剣に応援練習に向き合ってきたかがその姿から分かり大変感動したことを覚えています。

 練習を一生懸命に積み重ねて、ダンスなどで上手に演技したり徒競走で良い結果を出したりすることは素晴らしいことであります。

子ども達は必要以上に勝ちにこだわります。自分が一番になりたいと願うのは当然です。しかし、現実は誰もが一等賞は取れません。どんなに頑張っても結果が伴わないこともあります。大人になれば、絶対に勝ち続けることはあり得ないと分かります。子どもの時期に、「負ける体験や失敗する体験」をすることで、冷静に自分自身と向き合うことができます。

負けた時にこそ学ぶことが多いものです。その時に教師や保護者の助言が大切であり、そして仲間からの思いやりの言葉が何よりも心の糧になり、大きく成長できる機会にもなると考えます。運動会の時にこそ負けた時の態度も学ばせたいものです。

 

 

挨拶の溢れる学校・挨拶のできる子

平成26年度の我孫子第一小学校が始まりました。

始業式から早くも2週間が過ぎました。今年度、学校経営の重点目標の一番目に「挨拶」をおきました。挨拶とはなぜ大事なのでしょうか。そして、挨拶はどのような心持ちでしていけばいいのでしょうか。挨拶とは、相手の存在を認めていることを相手に積極的に伝える行為であります。

つまりコミュニケーションを取るための最初の大事な手段であるとも言えます。すれ違いざまに相手にお辞儀をすることも立派な挨拶であります。先ずは、子ども達に挨拶の意味をしっかりと教えていきたいと思います。

「おはよう○○さん!今日の洋服とっても素敵だね。」先生との朝の挨拶で学校は始まります。大事なのは、挨拶プラスワンです。「おはよう」だけでは、お互いに次の会話に発展しません。挨拶を交わす瞬間、見たことや感じたことを言葉に出してみると二人の親密度は増してきます。
 我孫子第一小学校を挨拶に溢れる学校にしていきたいと思っています。子どもが挨拶をできるようにしていくのは、大人(教師や保護者)が率先垂範することです。学校では教職員が挨拶を進んで行っていきます。挨拶がしっかりできる子は、やはり学習や生活習慣全般においても立派に頑張れる子が多いです。ご家庭でも朝起きて来た子どもと顔を合わせたら、「おはよう!今日はとってもいい天気だよ。」と毎日のように保護者から先に声を掛け続けて頂きたら有り難いと思います。
 私は3月中にこの挨拶に関して感動する事が二つありました。
 一番目は、3月上旬に起きた正門付近でのできごとです。
 この数日前に皆様もご存じの柏市での通り魔事件が発生し犯人が逃亡しているため、全校一斉での集団登校を実施しておりました。私も正門に立って子どもを迎えておりました。我孫子警察署からも若い警察官が朝になると一緒に校門で警備をしてくれており、大変有り難く心強かったものです。その2日目の朝、登校してきた中学年のある女の子が、私に「おはようございます。」と言った後、
警察官の方へ一人で行き「ありがとうございます。」と言って頭を下げて学校の中に入って行きました。小学生が瞬時にそこまでの挨拶ができたことに感動しました。

 二番目は、3月中旬の卒業式間近のある日のできごとです。毎日地域パトロールをしてくださっている年配の男性が校長室へ来られました。最初は、下校途中に子ども達がご迷惑を掛けてしまったのだろうと思っておりました。「校長先生、6年生の男の子が手紙をくれたのです。本当に嬉しかったのでお持ちしました。」と言うのです。

次のような内容でした。

僕は我孫子第一小学校の6年○組の○○です。6年間、雨の日でも台風が来た日でもどんなに寒くても、暑くても、毎日僕たちを見守って頂きありがとうございました。

皆さんがいたから6年間、安全に登校することができました。

4月から白山中学校へ入学します。そして、中学生になります。なので朝早く家を出ることが多くなると思いますがこれからもよろしくお願いします。

お体に気をつけてこれからも僕たちを見守って下さい。

 

 私は、改めて挨拶とは感謝を表すことだと子ども達から教わりました。こんな素晴らしい子ども達が我孫子第一小学校に居たことを誇りに感じました。

挨拶に溢れる学校を目指していきたいと思います。

 

人生の決定権は子供です(ある詩より)

最近、ある教育関係資料から素敵な詩に出会うことができました。
直ぐに、職員にもこの詩を紹介しました。
作者は、皆様もよくご存じの作詞家 秋元 康 さんです。
秋元さんは、あのAKB48をプロデュースした人でもあります。
ご本人は小さい頃から東大を出て官僚になろうと思っていたが、紆余曲折して私立大学を中退して放送関係のアルバイトをしながら、今は本業として芸能活動を続けている方です。
詩の題名は、「芽の出る早さはちがうから」です。
秋元さん自身の生き方からこの詩が生まれたと思います。
人生にはもちろん正解はありません。
大人は自分の人生が上手く行かなかったことや夢を自分自身の子供に押しつけていないでしょうか。もちろん子供の幸せを十分に考えてのことですが。・・・・・            
「人生の決定権を持っているのは本人だ。」「僕にできるのは少しでも選択肢を増やすこと。」
学校でも家庭でも、子供達自身に「あなたは、どうしたいの?」と問うて、あたながよく考えて決定し、結果についても本人に納得させていく。そうありたいと思います。                 色々と考えさせられた詩ですので、ご紹介します。


   「芽の出る早さは違うから」 作詞家 秋元 康

子供は花の種。
同じ花の種でも芽の出る早さはそれぞれ違う。
小学校の一時期にクラスで何番かなんて
長い人生には関係ない。
妻は娘の勉強に厳しいけれど
僕は「まあ、いいんじゃないの」と見守る。
誰も隣の人を見て息を吸うのが速いとか遅いとか考えない。
皆、自分の体に合わせて勝手に呼吸している。
呼吸するように自分のペースで生きればいい。
人生に正解なんてないんだから。

僕は正解がないような仕事をしているから
正解がないことはすごく大事だと思っている。
親や大人たちはどうしても正解を求めがちだ。
一番やってはいけないと思うのは
子供を親の人生の雪辱戦に使うこと。

自分が甲子園に行けなかったから
本当はサッカー好きな子に野球をやらせたり
親の反対で自分の夢が叶わなかったから
娘を宝塚に入れようとバレエを習わせたり。
それは違うと思う。
逆に失敗したり苦労するのを心配するあまり
子供の夢や希望に耳を傾けないで
親が先回りして無難な道を歩ませようとする。
それも違うと思う。

僕の両親はしつけにとても厳しかったけれど
僕の意思を尊重してくれた。

大学を辞めようが、どんな仕事をしようが
僕が自分で決めて行動したことを
黙って温かく見守ってくれた。
そんな仕事がいつまでも続くわけがないと
茨の道が見えていたのかもしれないけれど
「茨があるから行くな」とは言わなかった。
だから僕もそうしようと思う。

もし娘にやりたいことができて
僕の目には茨の道と映っても、黙って見守ろう。
否、頑張れぐらいは言おうか。
もしかしたら彼女は
たくましく茨を跨いでいくかもしれない。
賢く茨を避けてゆくかもしれない。
茨で傷ついたそのときは
黙って手当てしてあげればいい。

たった一度しかない人生
やりたいことをやらせてあげたい。
人生の決定権を持っているのは本人だ。
僕にできるのは少しでも選択肢を増やすこと。
漫画家の友人も小説家の友人も
その道に入ったきっかけは些細なことだった。
些細なことを子供の周りにたくさん集めれば
ピンボールのようにコンコンと当たって
どこかで必ずチーンと花開くと思うのだ。

 


「夢中になる子」

子供達を見ていて夢中になれることは素晴らしいと思います。

学校の中では日々、様々な子供の姿を目撃します。

「夢中になる子」「熱中する子」「情熱を傾ける子」「打ち込む子」「はまる子」「集中する子」「時間が経つのを忘れる子」「陶酔する子」「無我夢中になる子」「楽しんでいる子」・・・・・

 孔子は、次のようなことを言っています。

「これを知る者は、これを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」

(よく知る人も、好む人には勝てない。好む人も、楽しむ人には勝てない)

現代を生き抜く子供には、いかに小さい頃より人と上手に関わる力を身に付けることができるかが大事だと思います。コミュニケーション能力と言っていいかも知れません。では、いかにこの人と関わる力を付けるかは、「体験と感動」が大事であると様々な先人達も述べてきております。私も全くもって同感であります。

 さて、冒頭の「夢中になる子」とは夢中になれる何かをしている状態です。何かに没頭していることです。これこそが楽しんでいることなのでしょう。

孔子の教えのとおりに考えると一番強い状態にあります。

子供達は、小さい頃は色々なことに興味を持てる状態にあります。好きなことに出逢って夢中になっている状態がいかに素晴らしいことかは、大人になれば分かることです。

集中力とは、この幼少時の「夢中になる経験」によって大きく育まれます。

学校での学習や部活動でも、また、習字・絵画・合唱・合奏等でも、集中力のある子供は本当に上手になっていくパターンをしばしば見ます。

 

お天道様が見ている

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

7日の3学期始業式で私は「お天道様が見ている」のお話をしました。今の子供達は恐らくこのお天道様という言葉自体をほとんど耳にしたことはないと思います。

私はこの言葉の影響から幼い頃は、いつもどこにいても空から神様が見ているんだと思っておりました。周りに誰一人いなくても自分なりに良いことをしていると思った時は「どうぞ、神様(お天道様)見ていて下さい。」と口ずさんだものです。また、悪いことをしそうになった時(実は色々と悪戯等は沢山しているのですが・・・)は、「どうぞ、お天道様許して下さいね。」と祈ったこともありました。

 私の体験談は、次のようなことです。

小学生の低学年のある日、田舎のお爺ちゃんの家に泊まりがけで遊びに行った時のことです。お爺ちゃんの家は農家でした。畑で野菜や花を大事に育てていました。私は、昼間夢中になって田舎の広い庭を走り回っていました。翌日の朝ご飯の時、お爺ちゃんから突然に「悟、お前はきのう畑で遊んでいたな。」「遊んでいたよ」「花を踏まなかったか」「うーん、わからない」と言いました。私は本当に花を踏んだかどうかは、夢中に走り回っていただけに自分でも分かりませんでした。そして、静かにこう言ったのでした。「爺ちゃんは見ていなくても、お天道様が見ているんだぞ」

私はお爺ちゃんの言っている意味が分からず、後で母親に聞きました。

「お母さん、お天道様が見ているってどういうこと」

「それはね、人間はみんな良い心と悪い心の両方を持っているのよ。もし、悪いことをした時に周りに誰もいなくても空の上の太陽、つまりお天道様は必ずあなたの行いをしっかりと見ているのよ。お天道様とは神様のことよ

私はこんなに怖いことはないと思いました。私の行いを全て見ているなんて。
 

あれから50年ちかく経ちました。

自分の中にもう一人自分を冷静に見つめる神様を作ることは大事だなと今でも思います。

一小の子供達には、「どんな時も神様が見ているから、神様に恥じない生き方をしていきたいですね」と最後に言って結びました。

 

捨てることも大切<いかだ理論>

12月に入りいよいよ年末に近づくと大掃除をして部屋にある様々な物を整理整頓される人が多いと思います。

整理整頓と言えば、数年前に有名になった「断捨離」が浮かびます。

「断」とは、入ってくる要らないものを断つ。

「捨」とは、家にずっとある要らない物を捨てる。

「離」とは、物への執着から離れる。

さて、今回のお話はある教育雑誌に掲載されていた大事であった物でも捨てることが必要という

内容です。どこまで納得されるかはこの話を読んだ人によって違うとは思いますが、大事な物を捨てることの罪悪感を少しでも消すには一つの有効な考え方だと私は思いました。

 

 「ある人が旅をしていたところ、橋はなく渡し船もない大きな川に行き当たった。もちろん、泳いで渡ることもできない。旅人の目的地は川を渡ったはるか先にあり、どうしてもこの川を渡らなければならなかった。そこで旅人は、付近にあった葦(あし)や木の枝などを集めていかだをつくり、そのいかだに乗って川を渡り、無事に向こう岸に着くことができたのだった。」

 

 さて、旅人はこのいかだをどうすることが正しいのでしょうか。

そのいかだが自分にとって大変役に立った大事な物だとしても、そのいかだを頭に乗せて目的地へ進んで行くべきなのでしょうか。

 これより先は、いかだを捨てて目的地へ向かうことが正しいのです。いかだを大事に持って旅を続けることではなく、いかだに執着しないで捨てることなのです。

 大事な物でも、それがいかだかどうかを考え、いかだと考えた場合は、気楽に捨てることができないでしょうか。

 時代はどんどん進化しています。

 私自身も過去のいかだがまだ押し入れの中にあります。数年間、押し入れの中に入れっぱなしでも困らない物はきっと現実的に必要ない物なのでしょう。しかし、思い出の品としてやはりどうしても残したい物もあります。難しい問題です。

いかだを捨てる時は、手を合わせて「今までありがとう」と感謝していきたいと思います。

 

 

守破離(しゅはり)の意味とは

「守破離(しゅはり)の意味とは」

 

守破離(しゅはり)は、日本での茶道・武道・芸術等における師弟関係のあり方の一つで、日本文化が発展・進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。我孫子市内の中学校の武道場にもこの守破離(しゅはり)を壁に大きく掲げている所もある。

「守る」

最初は、師匠に言われたことを徹底して受け継ぐ。

型を守ることである。型を守る修行を行うことから始めるのが肝心
 である。

「破る」

その後、受け継いだ型を自分と照らし合わせていく。

自分に合ったより良い型を造ることで、既存の型を破る。

自分流の誕生である。

「離れる」

師匠の型を破り、そして自分自身が造りだした型の上に立脚した個
 人は、
型から自由になり型から「離れて」自在になれる。

 

今、どの学校現場にも若い先生方が増えている。

長く培ってきた教育技術も正しく適正に受け継がれていってもらい
 たいと願う。

ベテランの先生方の持っている教育技術を守り(受け継ぐ・盗む)
 そして若い
先生方が自分の技術に造り替え(破り)、自分自身が造
 り出した技術に立脚した
個性的な教員(離れる)に将来なっていっ
 て欲しいものである。