ほごログ(文化財課ブログ)

カテゴリ:郷土資料館

桐の企画展示やります!

先日、調査の経過を報告しましたが、7月20日(火)から、春日部市郷土資料館で企画展示「語り出したらキリがない!桐のまち春日部」展を開催します。展示のチラシができましたので、お披露目したいと思います。

画像:チラシ表面

今回の展示は、春日部の特産品である桐箱と桐箪笥を中心に、桐細工産業の歴史を紹介するものです。

チラシには、江戸時代の桐細工職人が信仰した小渕・観音院の聖徳太子立像、昭和34年に皇太子殿下御成婚記念の献上品の桐箪笥、昭和40年代後半の市内箱屋の出荷風景の写真を掲載しました。背景は、桐箪笥の開き戸の錠前と帯金具です。「桐」の文字は、明治期の市内の箪笥職人の帳面からトレースしてみました。チラシは順次、市内の施設などで配布します。

展示の内容やこぼれ話などは、このブログで追々紹介していければと思っています。お楽しみに。

 

事業名:春日部市郷土資料館夏季展示(第64回)「語り出したらキリがない!桐のまち春日部」展

会期:令和3年7月20日(火)~9月5日(日) 月曜祝日休館

会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15 教育センター内)

入館料:無料

関連イベントもあります。詳しくはチラシ(PDF約4MB)をご覧ください

【7/7まで新収蔵品展】貞治6年銘の板碑

新収蔵品展では、金崎の方から寄贈された、板碑(いたび)を展示しています。板碑は、板石塔婆(いたいしとうば)とも呼ばれ、中世に、死者の供養などのために建てられました。日本全国で確認されるものの、埼玉県はとりわけ数が多く、約27,000基の板碑が確認されています。
春日部市内には、486本(『埼葛の遺跡』)の板碑の存在が確認されており、資料館に収蔵されているもののほか、地域のお寺や住宅などで、信仰の対象として大切に保管されています。これら板碑のうち、浜川戸遺跡から出土したもの(郷土資料館常設展示)が市指定文化財に、西親野井の大王寺別院に安置されているものが県指定文化財に指定されています。貞治6年の板碑

埼玉県周辺でみられる板碑は、緑泥片岩(りょくでいへんがん)という、長瀞町や小川町でとれる石を使っています。青い色が目立つ石であることから「青石塔婆(あおいしとうば)」と呼ばれることもあります。形は、板状に整形され、頭部を三角に整えます。上部より、二条線、梵字(ぼんじ)で表された主尊(しゅぞん)、蓮台(れんだい)、花瓶(かへい)などを刻みます。梵字は古代インドのブラーフミー文字から発展した文字で、仏教と結びつきが強く、仏教の仏を1字で表すことができます。板碑に彫られる梵字は、キリークという阿弥陀如来(あみだにょらい)を示す梵字が最も多く見られます。

板碑の多くには、このほかに供養者名や建てた年号などが刻まれます。建てられた具体的な年号を知ることができ、展示している板碑にも貞治(じょうじ)6年(1367)の年号と「八月廿八(にじゅうはち)日」という日付が刻まれています。

西暦1367年当時は、朝廷が北朝と南朝に分かれた南北朝時代でした。年号も北朝、南朝それぞれで定めており、この「貞治」という年号は、北朝の年号です。埼玉県周辺の板碑に刻まれる年号は、北朝の年号のものが多いようです。

一方で、春日部市内には、「元弘(げんこう)」という南朝で1331~1334年に使われた年号をもつものが4本あり、春日部にかかわりの深い武士の春日部氏が南朝側についたからではと考えられています。

さて、7月3日(土)13:30より、今回ご紹介した貞治6年の板碑を中心に、市内の板碑の概要などについての展示解説講座を教育センターで開催します。また、6月27日(日)と7月7日(水)は、展示室内の展示解説「ミュージアムトーク」を開催します。開催要項は以下のとおりです。ぜひご参加ください。

 

◆展示解説講座「春日部の板碑」
日時:7月3日(土)13:30~
場所:教育センター
対象:定員50人(申し込み順)
費用:無料
申し込み:直接、または電話(048-763-2455)で郷土資料館まで。

◆ミュージアムトーク
日時:6月27日(日)、7月7日(水)
各日10:30~、15:00~(30分程度)
場所:郷土資料館企画展示室
費用無料、申込不要

 

参考文献

埼玉県立歴史と民俗の博物館展示解説シート 『第6室 板碑ー武士の心』

埼葛地区文化財担当者会 2007 『埼葛の遺跡』埼葛地区文化財担当者会報告書第6集

春日部市教育委員会 1994 『春日部市史第6巻 通史編1』P.372~P.395

春日部市史編さん委員会 2012『春日部市史 庄和地域 原始古代中世近世』P.239~P.241

 

【7/7まで新収蔵品展】小流寺の聖徳太子像

新収蔵品展では、小流寺の文化財として、令和3年4月22日に市指定文化財となった「木造小島庄右衛門正重座像(もくぞうこじましょうえもんまさしげざぞう)」、「小流寺縁起(しょうりゅうじえんぎ)」(春日部市指定文化財)、そして今回ご紹介する「聖徳太子像」を展示しています。

7月7日(水)まで、かすかべの宝もの18新収蔵品展を開催しています。

小流寺小流寺

小流寺は、浄土真宗の寺院で、現在は西宝珠花に所在します。もとは上吉妻にあり、昭和28年(1953)、江戸川改修工事に伴い、現在地に移転しました。坐像になっている小島庄右衛門正重は、小流寺の開祖であり、江戸時代、庄内領と呼ばれた現在の庄和地区の新田開発にたずさわりました。

聖徳太子像は、ながく小流寺でまつられてきたもので、江戸川を漂流してきたものと伝わります。像の高さは約90㎝、髪を中央で分け、両手に柄香炉(えごうろ)をもち、袈裟を身に着けています。髪型は本来は、長い髪を耳のわきで結ぶ角髪(みずら)であったようですが、結ばれていたであろう部分は欠損しています。表情はやや険しく、私たちがよく知っている旧1万円札の聖徳太子とは違う印象を受けます。制作年代は不明ですが、江戸時代の早い時期と考えられます。

この像の形は、孝養像(きょうようぞう)と呼ばれ、聖徳太子が16歳の時、父である用明天皇の病気快復を願って祈る姿と言われます。「孝養」とは、「こうよう」とも読むようですが、子が親に孝行をすることを表します。

柄香炉の持ち方は、浄土真宗本願寺派の勤式指導所のサイトによれば、作法としては「保持の仕方は、右手で上から柄の端の曲がっている部分を持ち、左手は下から柄の中央部より少し香炉寄りを持つ」とのことです。小流寺の聖徳太子像は、左右逆に持っており、これは手の部分を本体から抜くことができるため、誤って取り付けられた可能性もあります。しかしながら各地の聖徳太子像や絵画をみてみると、右手側に香炉をもつ小流寺の聖徳太子像と同じものもあるので、一概に間違っているとは言えないようです。

聖徳太子像

日本に仏教を取り入れた聖徳太子への信仰は、日本の仏教史とともに歩んできました。奈良時代の歴史書『日本書紀』では、生まれながらの聖人であったことが記されました。平安時代から中世には、様々な太子の伝記が書かれ、文学、芸能、美術など、さまざまな面で聖徳太子への信仰が関わりました。

鎌倉時代には鎌倉新仏教と呼ばれる新しい宗派が生まれ、各宗派を始めた祖師たちは、やはり聖徳太子を敬います。とりわけ小流寺の宗派である浄土真宗を開いた親鸞(しんらん)は、聖徳太子を大変尊敬しており、浄土真宗のお寺には、聖徳太子像など、聖徳太子にかかわるものがまつられることが多いようです。小流寺に伝わる「小流寺縁起」にも、聖徳太子の事績を書く部分があります。

江戸時代には、聖徳太子が、四天王寺(大阪府)や法隆寺(奈良県)の建設にたずさわったことから、大工や左官、鍛冶屋、桶屋などの職人の信仰が盛んになりました。太子が亡くなった日に集まって、太子像などをまつる太子講が広まりました。

小渕の観音院にも、聖徳太子像が伝えられていますが、太子像がおさめられていた太子堂の修理のために、市域周辺の大工などの職人たちがお金を出し合った記録「小渕太子堂奉加帳」(春日部市指定文化財)が残されています。

小渕太子堂奉加帳と観音院の聖徳太子像は、7月20日から9月5日まで開催される「語り出したらキリがない桐のまち春日部」に出展予定ですのでお楽しみに。

西暦2021年の今年は、聖徳太子の亡くなったといわれる622年から1400年であり、4月には法隆寺で100年に1度の大法要が営まれました。このような特別な年に、偶然にも2回続けて「聖徳太子像」を企画展に出展する春日部市郷土資料館にぜひおこしください。

 

参考文献

武田佐和子 1993 『信仰の王権 聖徳太子 太子像をよみとく』 中央公論社

石井公成 2016『聖徳太子ー実像と伝説の間』春秋社

【近隣館の紹介】幸手市郷土資料館

幸手市郷土資料館では企画展「彰義隊士横山光造の陣笠」展を開催しています。

当館のような小さな館は、近隣の博物館さんと助け合い、支え合いながら日々運営できています。その日ごろの感謝を込めて、少し新しい試みですが、今回は近隣館を紹介してみたいと思います。

幸手市郷土資料館さんは、平成30年10月に設置された比較的新しい施設です。

写真:幸手市郷土資料館

当館は、埼玉県博物館連絡協議会などで、日ごろからお世話になっており、先日打ち合わせと資料調査でお邪魔し、その折に企画展を拝見しました。

写真:展示風景

戊辰戦争で歴史の表舞台に登場する、幸手ゆかりの彰義隊隊士横山光造に焦点をあて、遺されたわずかな資料からその実像を紹介しています。

常設展示は、充実した『幸手市史』の成果により、体系的に幸手の通史が学べます。民具の展示を質量ともに圧巻されます。おすすめは常設展の「武蔵国絵図写」。「かすかべ」の記述もあり、いずれ借用・展示させていただきたいなぁと、目をつけています。まだ見学されたことのない方はぜひともお出かけください。

 

展示期間:令和3年5月25日(火曜日)から7月18日(日曜日)まで

開催場所:幸手市郷土資料館 歴史展示室内 企画展示エリア

詳しくは幸手市郷土資料館ホームページ

粕壁小学校6年生が郷土資料館を見学しました。

令和3年6月9日(水)、粕壁小学校第6学年の皆さんが、社会科の歴史単元「縄文のむらから古墳のくにへ」の学習のため郷土資料館を見学しました。

写真:竪穴式住居を見学する

学芸員による縄文・弥生・古墳時代の解説を聞いたあと、児童各々は竪穴式住居原寸大模型や神明貝塚の出土品、須釜遺跡の土器、塚内古墳群の埴輪などをじっくり観察していました。縄文時代の土器や石器を触ってみたり、なかには匂いをかいでみる児童もいました。はたまた、神明貝塚の人骨と自分の顔を比べる児童もいました。自らの身体をフルに活用して郷土の縄文時代を体感してくれたようです。写真をブログに載せてほしいとリクエストをいただきましたので載せます。タイトルは「人骨と小学生」

写真:人骨と小学生

目的の学習を終えると、粕壁宿の模型で自分の家の位置を確かめたり、粕壁小学校の木造校舎の写真や粕壁の昔の風景をみて、まちの移り変わりを考えたり、学芸員に詳しく話を聞いたりして、身近な物事に基づきながら、さまざまな時代について楽しみながら歴史の理解を深めてくれていたようでした。

なかでも、航空写真から自分の家や友達の家を探すことや、

写真:航空写真をみる小学生

「かすかべ弁」として掲示している県東部地域の方言の意味を考えることに夢中になっているようでした。

写真:方言を考える小学生

最近では、文化財保護課による出張授業当館の「でばりぃ資料館」などの出張メニューも好評をいただいていますが、先史時代から現代まで、すべての時代の歴史を順を追って体感できるのは郷土資料館しかありません。6年生の皆さんには、江戸時代の参勤交代や宿場町を学習する単元でも、日光道中や粕壁宿の模型を身近な教材として活用していただき、もう一度社会科見学に来ていただけるといいなぁと思います。