ほごログ(文化財保護課ブログ)

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【出張授業】「でばりぃ資料館」in備後小学校

令和3年5月7日(金)に備後小学校出向き、第3学年の児童に向けた、『でばりぃ資料館』を開催しました。

今年の3月にも3年生向けにでばりぃ資料館で訪問させていただきましたが、新年度となり3年生の顔ぶれも新たになりました。

 

今回のでばりぃ資料館は社会科ではなく、総合的な学習の時間「備後のカルタ作り」の一環として、身近な地域の様子を学習してもらうという趣旨でのご依頼でした。

また、GWあけということもあり、長期休暇から日常の授業へ急に戻るのではなく、体験的な楽しさを取り入れた授業を行うことで、緩やかに通常授業に戻してあげたいという先生の計らいでもあるようです!

 

紙芝居の上演

地域学習風景

授業は体育館と郷土資料室で行い、体育館では武里地区にまつわる伝説の紙芝居の上演や、

武里地区の航空写真、郷土かるたを用いながら身近な文化財について学びました。

 

郷土資料室風景

郷土資料室では、展示してある昔の生活道具を学芸員が解説し、自由時間には実際に触ったり、昔の体重計に乗ったりして体験学習をしました。

 

昨年度から実施しているでばりぃ資料館は、主に10月~3月の小学校第3学年向け社会科郷土学習のために生まれた事業ですが、社会科に限らず内容や日程の調整をさせていただければ随時受付可能です。

私どもとしても、児童にもっと郷土資料館を知ってほしい気持ちがありますので、ぜひお気軽にご相談ください!

小淵山観音院~県指定文化財~”円空仏”の公開

 本日、5月3日から5日まで、埼玉県立歴史と民俗の博物館から年1回の里帰りとなります「円空仏祭」が小淵山観音院の本堂で開催されております。

 ”円空仏”の作者である円空さんは寛永9年(1632)に美濃国(現岐阜県)で生まれ、近畿地方から北海道にかけて各地を行御し、12万体の仏像を彫ることを祈念し、実行した修行僧・遊行僧として知られております。特に鉈彫(なたぼり)の仏像制作が特徴的でおよそ5千体以上の円空仏が全国で発見されています。

 さて、埼玉県は生誕の岐阜県、そして愛知県に次いで約200個体の作例が発見されており、特に霊山日光へ向かう日光道中沿いの越谷市や春日部市、蓮田市周辺で多くが確認されております。

▲本堂ではスケッチをしたり、何をモデルとして作られたのかを家族で話したり、本堂の静寂の中で様々な拝観の光景がみられました。もちろん、本堂の空間は「密」にならぬよう、人数を制限しながら、じっくりと円空仏を拝むことができます。

 

▲像高194㎝、一つの材から彫り出された円空仏では県内最大の「聖観音菩薩立像」

頭巾(ずきん)様の宝冠には阿弥陀如来もみられる

 

 

 

 

 

 

 

▲像高134㎝、両手で宝塔を捧げもつ「伝毘沙門天立像」

 ケープ状の頭巾(ずきん)には竜頭様の兜が描写されている

 

 

 

 

 

 このように円空仏には様々な彫り物がみられます。

このゴールデンウイークは、ゆっくりと静寂な時間の中、新緑が映える観音院本堂で円空が一心に鉈を振るった木造仏を拝観してみてはいかがでしょうか。

【4月28日】 #今日は何の日? in春日部

今から109年前の4月28日は、春日部に #渋沢栄一 が訪れた日です。 #かすかべプラスワン

明治45年(1912)4月28日、天気は晴れ。渋沢栄一は、粕壁中学校(現県立春日部高校)の父兄会より講演の依頼をうけ、粕壁に向かいました。その様子は、渋沢栄一伝記資料に詳しく記述されています。

これによると、栄一は朝6時に起床し、王子停車場から汽車に乗り、午前10時に粕壁駅に到着しました。「多数ノ人士来リ迎フ」と記録されており、大勢の人々に駅前で出迎えられました。その足で人力車に乗り牛島へ。

牛島には何をしにいったのかというと、藤を見に行きました。そう、かの有名な牛島のフジです。藤樹をみて渋沢は「頗ル大木ナリ、開花ハ未タ充分ナラサルモ、棚ノ広サ凡ソ二百坪アルヘク、真ニ稀ニ見ル所ナリ」と称賛しています。

東武鉄道の開通以後、牛島のフジは「粕壁の藤」と呼ばれ、関東地方で最も著名な藤の名所地として知られていました。渋沢も見たかったのか、それとも地元の人たちに請われ、見に行ったのか、わかりませんが、いずれにしても牛島のフジは、「渋沢栄一もみた春日部の藤」なのです。藤について詳しくは「渋沢栄一もみた春日部の藤」展をご覧ください。

さて、渋沢は「小亭ニ休憩シテ」とあり、園内の建物で休息をとり、その後、粕壁税務署で「地方人士」たちと昼食、懇談しました。当時の税務署の庁舎は完成して間もなかったようです。「地方人士」とは、おそらく粕壁の町中の有志たちでしょう。この点について少し補足しておきましょう。

さかのぼること10数年前、渋沢は男爵を授爵した明治33年(1900)に帝国ホテルで埼玉県の有志者90余名を集めて祝賀会を開いています。当日招待された名前をみると、市域からは粕壁の田村新蔵、練木市左衛門、山田半六、清水寿太郎といった粕壁の大店層の面々や、のちに「成金」として知られる鈴木久五郎、その一族で鈴木銀行役員の鈴木善五郎が招かれています。ですから、明治45年に粕壁税務署で会食した「地方人士」たちは、こうした渋沢と親交のあった人たちだったと考えられます。

さて、渋沢は午後2時に粕壁中学校に向かい、本来の目的である講演をします。「国家経済ト教育」に関する演題で話をし、聴講者は600~700名あり、盛会だったといいます。

午後5時40分、粕壁駅発の汽車に乗り、午後8時に王子停車場に到着しました。

以上の行程について、郷土資料館では「図説渋沢栄一の一日inかすかべ」というリーフレットを作りました。このときの渋沢の足跡が一目でわかるものです。このリーフレットは、観光ガイドさんにもご協力いただき、藤花園内でも配布していただき、牛島のフジに訪れたお客様から大変好評を得たと聞いています。ミニ展示のネタバレにもなってしまい、手前みそですがなかなかの出来栄えなので、「ほごログ」にもあげておきたいと思います。

画像:渋沢の足跡渋沢の足跡.pdf(1.1MB)

ところで、なんと渋沢はもう一度粕壁にやってきています。そのことについては、5月2日までのミニ展示「渋沢栄一もみた春日部の藤」展でちょこっとだけ紹介しています。気になる方は、展示を見に来てくださいね。

ミュージアムトーク開催しました

令和3年4月25日(日)郷土資料館ミニ展示「渋沢栄一もみた春日部の藤」展のミュージアムトークを開催しました。

写真:ミュージアムトーク

今回も多くの方にお集まりいただきました。渋沢栄一について詳しく話が聞けるものと、ご期待いただいた方も多くいらっしゃったようですが、展示解説の主題は「牛島のフジ」について、です。渋沢栄一ではなく、藤の展示なのです。牛島のフジのスゴさについては前にもブログで紹介しています。

牛島からお越しいただいた方によれば、花の最盛期には、藤の牛島駅から藤花園まで、長蛇の列で、行列が途切れなかったこともあるとか。また、最近、春日部に越してきたという方は、「春日部は住みやすい上に、歴史ある牛島のフジもあって誇らしい」と話していました。

先日22日(木)の定例教育委員会終了後、教育委員の皆さまにもご見学いただきました。「牛島のフジ」の新たなる側面をお楽しみいただけたようです。

写真:教育委員の見学

多くの方にご覧いただいた「渋沢栄一もみた春日部の藤」展は、5月2日(日)まで。4月26日(月)と4月29日(祝・木)は休館日なのでご注意ください。

4月22日開催の教育委員会で文化財が新たに指定されました!

 令和3年4月22日(木)開催の4月定例教育委員会の審議で、新たに文化財が指定されました。

この文化財は西宝珠花の小流寺に伝わる江戸時代、宝永8年(1711)に制作された「木造小島庄右衛門正重坐像(こじましょうえもんまさしげざぞう)」で、有形文化財(彫刻)となります。

▲教育委員による文化財の実見の様子

 小島庄右衛門正重は、江戸幕府の代官伊奈忠治の下で活躍した人物で、現在の庄和地域を含む庄内領の開発や江戸川の開削にも携わった人物としても広く知られています。像の形態からは市域の江戸時代肖像彫刻の基準作として、また、郷土の治水の開発に功績があった人物の彫像としても歴史的価値があることからも評価されたものです。本資料で市指定文化財は46件となりました。

▲ 新たに文化財に指定された「木造小島庄右衛門正重坐像」

 今後は郷土資料館での公開を予定しております。日程が決まりましたら、改めてお知らせいたします。ご期待ください!