【新発見!】見川喜蔵の文書
見川喜蔵といえば、天明の飢饉前後、粕壁近辺で水害が多発した時、私財を投げうって堤防の修復や、地元の人たちを指揮し、地域を水害から守った郷土の偉人として知られています。喜蔵は、のちに江戸幕府から褒賞され、また地域の人々からも慕われ、粕壁の成就院の見川喜蔵の墓(市指定文化財)には供花が絶えなかったといわれています。
史料整理を見直していたところ、一通の借金証文に目がとまりました。今回はマニアックです。
古文書は次のように記されています(画像は紙が折れて一部文字が読めませんが)
借用申金子之事
一、金壱両壱分也
右は当午ノ御年貢ニ差詰り、貴殿江
御無心仕、只今不残慥ニ請取申所
実正ニ御座候、然上ハ何様之義有
之候共、当暮迄之内急度返済
可仕候、為後日仍而如件
粕壁町
安永三年午七月 安左衛門(印)
同所 半六殿
内容は、安永3年(1774)7月に、粕壁町の安左衛門が粕壁町の半六から金1両1分を借用した、いわゆる借金証文です。借金の理由としては、当午の年貢の支払いに支障があるから、というものですが、「御年貢差詰り」は江戸時代の借金証文の常套句ですから、実態はよくわからず、詳しい理由は不明です。7月なので、夏に支払う「夏成年貢」の年貢金に不足が生じたのでしょうか。今年の暮れまでに必ず返すとしています。
宛名の半六は、粕壁で塩問屋として商売を大成する山田半六です。
注目したいのは、差出人の安左衛門。実はこの安左衛門こそ、冒頭に紹介した見川喜蔵だと考えられるのです。
どうして喜蔵なのか? その理由は・・・(つづく)