ほごログ(文化財課ブログ)

ほごログ

3月の近隣博物館・資料館の考古学情報

3月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。

見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。

(展示会_閉会日順)

・4月21日(日)まで 取手市埋蔵文化財センター 「祈りのかたち―出土品から見る先史時代の祭祀―」

・5月12日(日)まで 杉並区立郷土博物館分館 「発掘された弥生時代」

・7月7日(日)まで 宮代町郷土資料館「土器でみる一万年 宮代と縄文」

 

なお現在、春日部市郷土資料館で開催中の「花の彩り春日部」展では、花積内谷耕地遺跡出土の縄文時代の関山式土器と貝の内遺跡(西宝珠花)出土の7世紀後半の常陸型甕を展示しております。あわせてごらんください。

「みゅーじあむとーく」開催しました

3月24日(日)、企画展「*花の彩り*春日部*」展のみゅーじあむとーくを実施しました。 #かすかべプラスワン

写真:みゅーじあむとーくの様子 

ご来館いただいたのは、わずか3名と少人数でしたが、時折ご質問いただきなが解説をしました。春日部が桃や牡丹の名所であったことや、西宝珠花や花積の特徴的な歴史についてご理解いただけたようです。

昭和6年のデータをみると、埼玉県内での桃の出荷額第1位・第2位が、幸松村(現・幸松地区)・豊野村(現・豊野地区)なのですが、出荷された桃は、どのような販路にのったのか、というご質問をいただきました。具体的には、同じ県内の千疋村(現・越谷市)を発祥とする某高級フルーツ店に卸されたのか、と。最盛期の幸松や豊野の桃は、水蜜桃という中国原産の桃で、戦後に洋桃も出荷されたようですが、具体的な消費の動向はわかっていません。今後の課題にさせていただきます。

それから、国史跡の神明貝塚について、ご質問もいただきました。神明貝塚は、西宝珠花のお隣の西親野井地内にありますが、それだけ期待が高いということだと思います。史跡の保存と活用を計画的にすすめているところです。これからもご支援のほどよろしくお願いいたします。

ご参加された方には、花積村の地租改正絵図パネル、西宝珠花の町並み図のパネルの印刷物を配布しました。「図をみて花積を散策したいと思います」と話してくださいました。

春の花々をはじめ、「花」の文字にまつわる地元の歴史も楽しんでいただければ幸いです。

次回のみゅーじあむとーくは、4月20日(土曜日)の予定です。人が少ないと淋しいので、よろしくお願いします。

明日3/24に「みゅーじあむとーく」やります

明日3月24日、企画展「*花の彩り*春日部*」のみゅーじあむとーく(展示解説)を実施します。 #かすかべプラスワン

郷土資料館の「みゅーじあむとーく」は展示担当の学芸員が、展示室で展示内容を解説するもの。かつては、「ギャラリートーク」と呼び、近年は「ミュージアムトーク」と呼んでいます。展示の解説があったほうが理解が深まるとの声からはじめたものです。

しかし、「ギャラリートーク」は市教育委員会の「市展」でも出品される美術作品の審査員の先生方が解説するものとして実施されるようになり、また、郷土資料館は「ギャラリーなのか」という疑問も生じ、郷土資料館のギャラリートークは「ミュージアムトーク」に改称するに至りました。その後、カタカナよりもひらがなのほうが柔らかさが醸し出されるので「みゅ~じあむと~く」に発展。「みゅ~」を「みゅー」にするか、またはカタカナ表記か、ひらがな表記かは、担当者の好みですが、最近は「みゅーじあむとーく」で定着しつつあります。考えてみれば、「ギャラリートーク」は市展でもできますが、春日部市内にミュージアムは郷土資料館だけですから、市内の「みゅーじあむとーく」は郷土資料館でしか名乗れない事業かもしれませんね。

さて、「みゅーじあむとーく」は10時30分~、15時~、それぞれの時間に実施します。費用や申込は不要です。お買い物のついでに、お散歩のついでに、お時間がありましたら、お立ち寄りください。担当者は、一人で話しすぎる悪い癖があるので、話は控えめにして、堅苦しくなく、皆さんと一緒に、春日部の「花」の歴史と文化について考えたいと思っています。といってもどんな話をしようか、鼻息を荒くして構想しています。

画像:企画展チラシ

みゅーじあむとーく

日時:令和6年3月24日(日曜日)・4月20日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(各30分程度)
場所:郷土資料館企画展示室
内容:展示担当の学芸員が、展示室で展示内容を解説します
費用・申し込みは不要です。所定の時間にお集まりください

「かすかべ人物史」公開しました

サイト内に市域の歴史的人物を紹介する「かすかべ人物史」を作成・公開しました。 #かすかべプラスワン

このブログの左もしくは下にあるメニュー「郷土資料館」から「かすかべ人物史」をクリックしてください。

現在掲載しているのは、埼玉の偉人として埼玉県が普及啓発している、岩井 弥一郎(いわい やいちろう)・加藤 楸邨(かとう しゅうそん)・栗原 伝三郎(くりばら でんざぶろう)・小島 正重(こじま まさしげ)・ 豊田 三郎(とよだ さぶろう)・原 又右衛門(はら またえもん)・三上 於菟吉(みかみ おときち)・見川 喜蔵(みかわ きぞう)の8名です。

まだ、関連する情報は少ないのですが、地元ならではの関連する資料・スポットなど、今後情報を充実していきたいと考えています。さらには、史料的に事績が明らかにしにくく「偉人」としては括りがたい、春日部ゆかりの歴史的な関連人物も増やしていくつもりです。

あんな人やこんな人も思い浮かびます。ご期待ください。

歴史文化講演会 砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡の調査を開催しました

本日、越谷市の莵原雄大先生をお招きして歴史文化講演会「砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡の調査」を開催しました。多くの方にご来場いただき、誠にありがとうございました。また莵原先生には、大量のスライドを作成いただいて、大変わかりやすくご講演いただきました。ありがとうございました。

砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡の調査

海道西遺跡は、3月12日の記事でも触れましたが、北越谷駅の北西側、宮内庁埼玉鴨場近くにあり、令和4年に発掘調査が行われ、平安時代の竪穴建物跡や近世の遺構・遺物が検出されました。遺跡は、大林河畔砂丘上に立地しています。

講義の中でも紹介されました通り、発掘調査報告書は、全国遺跡報告総覧でPDFが公開されています。

海道西遺跡発掘調査報告書(全国遺跡報告総覧)

 

ご講演では、大林河畔砂丘の範囲が、幅20~30mとかなり限定的であることや、海道西遺跡では9世紀後半~10世紀初頭に少し砂丘の形成が始まった段階で竪穴住居が構築され、その後砂丘が堆積し、15~16世紀の火葬土坑が構築されたころには砂丘の形成が終わっていたとの考察が模式図で紹介されました。

このうち河畔砂丘形成年代の推定について、年代を推定するにあたっては考古遺物や寺社仏閣の立地などが用いられています。たとえば小渕河畔砂丘では、砂丘下から古墳時代後期から奈良時代の須恵器の大甕が発見され、砂丘上には15世紀に開山された浄春院が立地しているので、この間に砂丘が形成されたということはご講演でもご紹介いただきました。

しかしながら、砂丘の形成年代の決定にあたっては、最大の年代幅であることに注意が必要です。つまり小渕河畔砂丘は、古墳時代後期から奈良時代以降のいずれかの時点で砂丘形成が始まり、15世紀以前のいずれかの年代で形成が終わったということです。「形成年代=古墳時代後期~奈良時代」、「終了年代=15世紀」とは言い切れないのです。

本日のテーマであった大林河畔砂丘と海道西遺跡では、「砂丘の形成が少し始まった時点」で竪穴住居が作られたということが、重要な調査成果です。竪穴住居の9世紀後半~10世紀初頭に非常に近い時点で砂丘の形成が始まっていることがよくわかります。砂丘の形成年代の研究に新たな事実をもたらしたことになります。

 

このほかご講演では、越谷市内の平安時代を代表するものとして国指定文化財「浄山寺の地蔵菩薩立像」(越谷市サイトにリンク)や、大道遺跡、一番遺跡、越谷警察署前遺跡、西口遺跡などが紹介されました。

また海道西遺跡で出土した遺物もおもちいただき、会場で展示しました。

海道西遺跡遺物展示

越谷市と春日部市は、自然堤防や河畔砂丘、低地の遺跡など、考古学上のできごとを考える上で共通することがたくさんあります。今後も職員間で情報交換をしながら、連携した事業を展開していきたいと思います。

【出張授業】令和5年度でばりぃ資料館を振り返る

コロナ禍により小学校の団体見学が見込めなくなった年にはじまった「でばりぃ資料館」。おかげさまで、今年度は市内9校、10件のご依頼をいただき、無事終えることができました。

画像:川辺小学校のプレゼント

各校の様子については、「ほごログ」で紹介してきたところです。上のメダルは川辺小学校の皆さんからいただいたものです。今回は、お礼の紹介も含めて、今後のために、今年度の「でばりぃ資料館」を振り返りたいと思います。

「でばりぃ資料館」は、郷土資料館に様々な事情で出向けない子どもたちに、資料館にいるのと同じように学習・体験してもらうことをコンセプトにしています。ただ、資料館のすべてのモノを持っていくことはできませんので、普段ケースに入っている資料を触ったり、体験してもらい、春日部の昔を身近に感じてもらえるようにしています。

授業や体験の内容については、小学校の先生方のオファーに可能な限り応えるよう努めていますが、主要な単元は第3学年の社会科「くらしのうつりかわり」です。メニューは、昔の家庭の道具、昔のまち、昔の農業、昔の学校、昔の遊びを柱に立てていますが、オファーは道具、まちの移り変わりが多く、次に学校、農業に集中する傾向にあります。農業については、市街地化が進んだ学校では、カットされる傾向があるようですし、総合的な学習で稲作体験をする学校もあるようなので、「でばりぃ資料館」では敢えてカットされているようです。

先生、そして子どもたちから人気があるのが、昔の家庭の道具。とくに、手回し洗濯機やダイヤル式の黒電話が強く印象にのこるようです。いずれも、自分でまわして動かす、というのが身体的に初めての体験となるため、印象に残るのようです。

また、昔の農業のメニューでは、千歯こきをつかった稲の脱穀体験を必ず実施しています。これは稲の本数の都合で全員が体験できるものではないのですが、見学する子どもたちから歓声があがるほど、人気の体験メニューです。「でばりぃ資料館」では、さらに籾摺りの体験をメニューにくわえ、自由時間に籾から玄米にする作業、玄米から白米にする作業を体験してもらっています。これも身体を動かす体験なので、人気です。

昔の学校については、石板、昔の教科書、給食の食器・献立表などを用意し、説明、子どもたちにみたり、さわったりしてもらっています。道具が動いたり、何かできたりする道具とは違い、どちらかといえば、見る・触る体験になるため、なかなか子どもたちの印象に残りにくい模様。ただ、今年度は、3年生の国語の教材「ちいちゃんのかげおくり」を意識して、戦前の子どもたちの暮らしと道具を「ちいちゃんの時代」のモノ・コトと説明してみました。そうした話をすると、戦争の悲惨さについて学んでいた子どもたちは、真剣な面持ちで話を聞いてくれているようでした。また、年度の途中から、小学生の集合写真をパネルにして持参したところ、子どもたちのなかには、昔の小学生の姿や服装をじっくり観察する子も見受けられました。祖父母や父母の世代の子どもたちが自分たちとどんな風に違うのか、興味をもつ子もいたようです。

昔のまちについては、1960年代の空中写真をラミネートにした大きなシートを敷いて、子どもたちに見てもらっています。しかし、地図の見方がまだ覚束ない3年生にとっては少し難しいようです。ただ、自分の学校があるのか、自分の家があるのか、身近なショッピングモールは60年代にあったのか、などわかりやすい問いを立てることで、学校・地区の様子のうつりかわりを考えてくれているようでした。アンケートに「クイズをやってほしい」と書いてくれる子が散見されるのも、「クイズ」がとっつきやすいということなのかもしれません。

今年度、担当者は、昔の学校・昔のまちについて説明する機会が多かったのですが、手回し洗濯機や黒電話、千歯こきに人気負けした印象を強く抱きました。何が面白く感じるのかは人それぞれですが、昔の学校・まちについても、身体をつかって体験・学習できるような方法をもっと鍛えていかなければならないと考えています。これは今後の課題としたいと思っています。

「でばりぃ資料館」を依頼していただいた学校には、「たんけんシート」という学習シートを事前に配布しました。シートの問題を解きながら、学習してもらうもので、「くらしのうつりかわり」の学習に少しは寄与できたように思いますが、わかりづらい箇所もあるので、学校の先生の要望を踏まえて、少しずつ改善していきたいと考えています。子どもたちは「ギガスクール」により、一人一台タブレット端末を使っています。「たんけんシート」的なものも、タブレットで使えたり、見れたりできるとよいなと思いますが、今後研究が必要です。

 

「でばりぃ資料館」が増える一方、昔と変わらず、団体見学として利用していただく学校もあります。団体見学では「くらしのうつりかわり」展を中心に説明をし、数名の方に千歯こきの体験をしてもらっています。「でばりぃ資料館」では触れることのできる資料がガラスケースに入ってしまっているため、昔の道具などの印象は薄いようです。

しかし、団体見学の小学生たちをみていると、竪穴住居模型や粕壁宿町並模型、昔のおもちゃなどの体験コーナーなど様々な資料に興味をひき、社会科の学習単元以外の学習機会にもなっているようです。また、団体見学に来てくれた子どもたちは、週末などにご家族を連れてもう一度見に来てくれる場合が多いようです。団体見学には、子どもたちの興味関心を広げるメリットがあり、郷土資料館としてもリピーターの獲得のために良いのですが、学校は「でばりぃ資料館」を選択する傾向にあります。されど「でばりぃ資料館」は、所詮「出前」です。郷土資料館の全てをお届けできるわけではありません。団体見学をみて、今後は、「でばりぃ資料館」で出会った子どもたちに郷土資料館に来てもらう取り組みを構築する必要があると確信しました。これも来年度の課題とします。

来年度の備忘ため、課題や所感を長々と書きましたが、博物館と学校教育(博学連携)も取り組んでみるとなかなか奥が深いなぁと思う次第です。学校の先生方からの要望を汲み上げながら、郷土資料館は、今後も春日部でしかできない学びを子どもたちに提供できるよう、精進してまいります。

企画展示、無事にはじまりました

令和6年3月16日より、企画展示「*花の彩り*春日部*」展がはじまりました。 #桜咲くかすかべ2024 #かすかべプラスワン

今回のテーマは、ズバリ「花」。市の花「フジ」だけでなく、春日部は「モモ」「ボタン」の花の名所としても知られていました(知る人ぞ知るですが)。また、「花」のつく地名として「花積」「西宝珠花」の両地区の歴史にスポットをあてます。

写真:展示室の風景

資料をならべてみると、お花の歴史の展示というより、「花積」「西宝珠花」の展示になっちゃいました。

ここで、見どころを1、2点。1つめは、明治9年(1876)花積村の地租改正絵図。

これでもかっ!というぐらい大きい絵図で、展示ケース、ギリギリでなんとか陳列できました。花積は現在でもさいたま市岩槻区との境界が錯綜し、飛び地があるのですが、そうした状況がよくわかる絵図になっています。

写真:花積村地租改正絵図

2つめは、記録映画「宝珠花村の移転」。

映画といっても20分程度の映像ですが、昭和27年・28年に江戸川改修のため全戸移転となった宝珠花村の様子を撮影した貴重な記録です。これまでも、講座や展示で何度も紹介・上映している映像ですが、今回の展示で宝珠花の歴史を調べてから、また見直すと、新たな発見がいくつもありました。学芸員的に美味しい資料です。一度みた方も、何度もご覧ください。写真は移転後初の大凧揚げ。大凧の文字は「移転」と「記念」です。

写真:宝珠花村の移転

こんな感じで、お花や花の地名など、春日部は花の彩りのなかで歩んできたことを紹介しています。5月2日(木)まで、お見逃しなく。

ところで、市内では、毎年恒例になっている、桜咲くマルシェというイベントを3月24日(日)やるそうです。「春日部のまちを花いっぱいにしたい」という想いに共感して、桜咲くマルシェともタイアップ。それから、市でも「かすかべSAKURAフェスタ2024」と題して各種イベントをやるそうです。一緒にお楽しみください。

越谷市海道西遺跡の調査と河畔砂丘

3月16日(土)に、春日部市郷土資料館で「砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡(かいどうにしいせき)の調査」と題し、越谷市教育委員会生涯学習課の莵原雄大先生にご講演いただきます。

まだ定員に余裕がありますので、ご希望の方は、下記の通りお申し込みください。

●莵原雄大先生「砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡の調査」
日程 令和6年3月16日(土曜日)午前10時~正午
場所 教育センター
講師 莵原 雄大(うはら ゆうた)先生(越谷市教育委員会生涯学習課職員)
参加費 無料
申し込み 直接、電話(048-763-2455)、電子申請(別ウインドウで開く)で申し込み

  海道西遺跡調査風景

 海道西遺跡調査風景(越谷市サイトより)

 

海道西遺跡については、越谷市のサイトに紹介があります。

埋蔵文化財法蔵地 海道西遺跡(越谷市サイト)

また発掘調査報告書は、全国遺跡報告総覧でPDFが公開されています。

海道西遺跡発掘調査報告書(全国遺跡報告総覧)

 

海道西遺跡は、北越谷駅の北西側、宮内庁埼玉鴨場近くにあり、令和4年に発掘調査が行われ、平安時代の竪穴建物跡や近世の遺構・遺物が検出されました。

遺跡は、大林河畔砂丘上に立地しています。

河畔砂丘は、埼玉県東部地域に特有の地形で羽生市から越谷市まで24か所に存在します。利根川によって運ばれた大量の砂が河原に堆積し、冬の北西から吹く強い季節風により、川の東岸や南岸の自然堤防上に吹き上げられ形成されたと考えられています。

したがって、現在、砂丘の近くを流れる河川は利根川の旧河道であったということがわかります。春日部市内では、小渕、浜川戸、藤塚に砂丘があります。このうち浜川戸河畔砂丘は古隅田川沿いにありますが、利根川本流は一時期、現在の古利根川から、古隅田川、元荒川へと続く流路であったと推定されています。元荒川が続く越谷市内には、袋山、大林、北越谷、東越谷、大相模のいずれも元荒川沿い5か所に砂丘が存在します。一方、藤塚方面へと続く現在の古利根川の流路にも、藤塚のほかに松伏町の松伏や上赤岩に砂丘がみられます。砂丘は平安時代から室町時代にかけて形成されたと考えられています。

海道西遺跡では、砂丘砂の堆積層から、古代の竪穴建物跡が発見されました。これは、砂丘が形成されている時期も、砂丘上で人々が生活をしていたことを示すものです。春日部市内の砂丘でも、砂丘周辺に浜川戸遺跡や小渕山下遺跡などが立地しており、砂丘と人々の関係を考える上で重要な調査成果といえます。

今回の歴史文化講演会は、調査担当者による最新の調査成果のご報告です。ご興味がある方はぜひお申し込みください。

海道西遺跡出土遺物

海道西遺跡出土遺物(越谷市サイトより)

騎西城跡・騎西城武家屋敷跡遺跡 十六間筋兜等特別展_3月の考古学情報(臨時)

加須市より、日程が迫っている情報がありますので臨時にお知らせします。

●3月24日(日)~29日(金) 騎西文化・学習センター(キャッスルきさい)騎西城跡・騎西城武家屋敷跡遺跡 十六間筋兜等特別展

今年度の「発掘された日本列島」にも出展された「十六間筋兜(じゅうろっけんすじかぶと)」を中心に、期間限定で展示されます。3月23日(土)と24日(日)には関連の講演会も行われます。詳細は、加須市のサイトをご覧ください。

【出張授業】でばりぃ資料館in南桜井小学校

令和6年3月5日(火)に南桜井小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
この日は生活科室と図工室を使用して「昔のまちの様子・昔の学校」ブースと「昔の家庭の道具」ブースを設けました。2クラスが各教室で1時間ずつという時間割なので、たっぷりと時間をかけてのお勉強です!

 

生活科室での解説風景

存分に楽しむ児童たち

この写真は生活科室の様子。児童は“社会科ワークシート”というメモ用のプリントを持参し、職員の解説から気になった部分をメモします!
自由時間には黒電話や手回し洗濯機が人気で、体験してみたい子たちが行列をなしていました!道具を触って体験しているときの笑顔が弾けんばかり!子どもは楽しむ天才ですね♪

 

図工室での解説風景

始めてみる道具に興味津々

こちらは図工室の様子です。郷土資料館オリジナルの“探検シート”を利用して、昔の学校の道具の名前や、使用方法などを学びました。
ランドセルなどは形状こそ見慣れた形をしているものの、大きさや色が違います。昔は基本的には黒と赤しかありませんでした。しかし時代は変わり、現在は様々な色が選べるようになりました。こういった出来事がまた、何十年、何百年後に、歴史となって誰かが学ぶことになるのでしょう。

 

今回は、自由見学の時間も十分取れたので、持ち込んだ資料はしっかりと見てもらえたかと思います。
郷土資料館にはもっとたくさんの資料があるので、ぜひ一度足を運んでみてください!

企画展「*花の彩り*春日部*」展、絶賛準備中です

3月16日(土)から開催する企画展示の詳細な情報を公開しました。 #かすかべプラスワン #藤 #花積 #宝珠花

画像:チラシ

現在、春日部は「藤のまち」として広く知られ、また市の花「藤」を活かし、まちづくりを進めているところですが、春日部が藤のまちとして知られるきっかけとなったのは、フジとしては唯一、国特別天然記念物に指定されている「牛島のフジ」が市内に所在しているためです。「牛島のフジ」が国の紀念物に指定されたのは、昭和3年(1928)のこと。戦後施行された文化財保護法下では、昭和30年(1955)に国特別天然記念物に指定されています。

歴史をひもとくと、かつて春日部はフジの名所だけでなく、ボタン、モモの花の名所としても知られてきました。春先には小渕・藤塚・浜川戸・宝珠花・新宿新田などで桃の花が咲き誇り、牛島のフジが見ごろを迎えたころには、備後の牡丹、粕壁の牡丹が、内外の観光客の目を楽しませました。

以上のことについては、これまで「ほごログ」でも、そして展示でも紹介してきました。

今回は、藤、桃、牡丹といった華やかな植物の花だけでなく、市内の「花積」や「宝珠花」といった「花」の付く地名にも着目し、「花」をキーワードにして、春日部の歴史を彩ってきた花の歴史を展示・紹介します。

みゅーじあむとーくや展示解説講座も準備していますので、あわせてお楽しみください。

  • 企画展示「*花の彩り*春日部*」展
    • 会期:令和6年3月16日(土)~5月2日(木)
    • 会場:郷土資料館企画展示室
    • 休館日:月曜・祝日
    • 入館料無料
  • みゅーじあむとーく
    • 日時:令和6年3月24日(日曜日)・4月20日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(各30分程度)
    • 場所:郷土資料館企画展示室
    • 内容:展示担当の学芸員が、展示室で展示内容を解説します
    • 費用・申し込みは不要です。所定の時間にお集まりください
  • 展示解説講座「春日部の花の彩りー花積と宝珠花」
    • 日時:令和6年4月27日(土曜日)午前10時~正午
    • 場所:春日部市教育センター
    • 内容:展示担当の学芸員と展示資料を読み解きながら、花積・西宝珠花の歴史と魅力に迫ります。
    • 費用:無料
    • 申し込み:令和6年4月10日(水曜日)から、直接、または電話、電子申請で受け付け

・・・と告知をしてみたものの、いまだ展示資料を選定中。

初日まで残り2週間。果たして間に合うのでしょうか。こうご期待。

#かすかべ地名の話 (2) #粕壁

#かすかべプラスワン #地名の由来

一部の方にご期待いただいている「かすかべ地名のはなし」

第2回目は「春日部」と「粕壁」の話です。

前回、ご紹介したように「春日部」(かすかべ)の地名の由来はいくつかの説がありますが、どれも決定打がなく、ナゾなのです。

市民の方ならばご存じのとおり、「かすかべ」という地名は、「春日部」と「粕壁」の二つの表記が用いられています。「春日部」と「粕壁」の違いは何なのでしょうか。

まずは、「春日部」と「粕壁」の違いを考えるため、古い文献から地名表記の変遷をたどってみましょう。

「かすかべ」の地名の初見は、南北朝時代。延元元年(1336)の後醍醐天皇の綸旨といわれています。この古文書は後醍醐天皇が春日部重行(かすかべ しげゆき)という武士に、「上総国山辺南北」と「下総国春日部郷」の地頭職(じとうしき)を認めるため発給されたものです。当時、春日部重行が「下総国春日部郷」を治めていたことを示すとともに、「春日部郷」(かすかべのごう)という集落が下総国に所在していたことが明らかになります。埼玉県は武蔵一国なんて言われることもありますが、実は埼玉県には下総国も含まれているのです。

 

次の画像は、延文6年(1361)ないし、応永22年(1415)に作成されたと考えられる「市場之祭文」という史料の一部です(国立公文書館所蔵「武州文書」より)

画像:市場之祭文写

ここにも「下総州春日部郷可市祭成之」とみえます。

その後も様々な中世の文献に「春日部郷」が散見されます。

中世には「春日部」と表記される地域に、人々が定住していたことが明らかになるのです。「春日部郷」は現在の市域の浜川戸近辺を中心とする集落だったと考えられています。

というわけで、古い文献にみえる「かすかべ」の地名は「春日部」となるのです。

時代が下り、時は戦国時代。

元亀4年(1573)の北条氏繁感状(写)は、関根図書助(ずしょのすけ)の戦功を賞した古文書ですが、このなかに「糟ケ辺」(かすかべ)の地名がみえます。関宿(千葉県野田市)からの軍勢が北条家の軍勢と衝突したのが、この「糟ケ辺」の地だったようです。

さらに時代が少し下り、天正17年(1589)3月の北条氏房朱印状(写)には、「御領所糟壁」と地名がみえます。この古文書は、岩付城主北条氏房が所領である「糟壁」に対して、諸役(労働役)を免除する代わりに、人を集め、耕地の開発に励むよう命じたものです。当時、「糟壁」が岩付城の城付の所領であったことがうかがえるとともに、地名としては「糟壁」という表記が用いられていたことがわかります。

しかし、古くは「春日部」と表記されていた地名が、なぜ「糟ケ辺」や「糟壁」という字句が当てられるようになったのかは残念ながら不明です。

さらに、天正18年(1590)と比定されている高力清長印判状(写)には、「糟壁新宿」という地名がみえます。この古文書は、岩付城主となった徳川譜代家臣の高力清長が、「糟壁新宿」の図書・弾正に対して、諸役を免除するかわりに人を集め年貢を納めるよう命じたものです。

江戸時代には、地名の表記としてはもっぱら「糟壁」が用いられるようになり、17世紀後半以降は「粕壁」という表記が増えていくことになります。ですから、日光道中の宿場町としての「かすかべ」は「糟壁(町)」や「粕壁(宿)」と表記され、時代が下るにつれ、「粕壁(宿)」が定着していくようになりました。

なお「粕壁」の表記は、宿場町の土蔵が「荒壁」であったから、または造り酒屋の「酒粕」に由来するという説もありますが、実際のところはよくわかっていません。

ただ、江戸時代の記録を細かくみると、「粕壁」ではなく「春日部」「春日辺」と表記することもあったようです。戦国時代から江戸時代にかけてみられる「糟ケ辺」「糟壁」「粕壁」という表記は、「かすかべ」という音を、漢字に当て、読みやすくしたものだけであり、漢字の字義は関係ないのかもしれません。

さて、明治時代、町村制が施行されると「粕壁宿」は「粕壁町」となり、東武鉄道を利用して藤の町・麦わら帽子の町・桐たんすの町として賑わいました。

その後、昭和19年(1944)戦時下での町村合併により、粕壁町は隣村の内牧村と合併し、「春日部町」が誕生します。「春日部」は後醍醐天皇を支えた南朝方の武士春日部氏の苗字であったため「春日部」の表記が選択されたようです。

上述の表記の変遷でみてきた通り、地名としては最も古い表記「春日部」が再び使われることになりましたので、地名「春日部」が復活したともいえるでしょう。

そして、昭和29年(1954)春日部町と武里村・豊春村・幸松村・豊野村の1町4町が合併し、春日部市が誕生します。

春日部町・春日部市の成立によって、東武鉄道の粕壁駅は春日部駅、旧制粕壁中学校は春日部高校と、公共的な施設等には「春日部」という地名が使用されるようになりました。今でも春日部市域全体を指す場合は「春日部」という表記が用いられます。

「春日部」が市域を覆う一方、「粕壁」表記も併用されています。粕壁は、江戸時代の宿場町だった区域の地名として使用され、「粕壁地区」「粕壁東」などと表記されます。春日部市立粕壁小学校は、現在は春日部市が設置した粕壁地区の小学校で、両方の表記が併用される伝統の小学校です。

以上のように、表記の変遷としては、「春日部」が最も古く、紆余曲折をへて「粕壁」が生まれ、そして「春日部」が再び登場するという過程をたどり、現在の用法としては「春日部」は市や町全体を指す地名、「粕壁」は春日部のなかの粕壁地区を指す地名として併用されいる、とまとめられます。

長くなりましたので、次回は粕壁のなかの小さな地名について、紹介したいと考えています。不定期ですが、お付き合いください。

「かすかべ地名のはなし」バックナンバー

粕壁小学校の3年生が郷土資料館を見学しました

令和6年3月1日(金)に粕壁小学校の3年生が郷土資料館を見学しました。

この日は、企画展示室の「くらしのうつりかわり」展を中心として“昔の生活の様子”を学び、残りの時間を自由時間にして館内全体を見学してもらいました。

 

企画展示室での解説風景

企画展示室での昔の生活の解説時には、昔の炊事や洗濯などは手作業によるものが多いことから、児童からも「たいへんだねぇ~」という声が。
時間の流れが速く、複雑化した現代では何事も機械に頼らなければならず、昔と同じ作業をして生活することはとても難しいことでしょう。

 千歯扱き体験!

千歯扱き(せんばこき)を使った脱穀は各クラス代表5人に体験してもらいました。
体験の光景を眺める児童の中には“自分もやりたかった~”と残念がる子も普段は多いのですが、「やりたいけどがまん!!」と自分を律する子がいたのには驚きでした!えらい!

 

昔の粕壁小の机と椅子を体感

桐箪笥 開けるとそこには・・・

自由見学の時間では、かつて粕壁小学校で使っていた机や椅子などに腰掛ける児童や、桐箪笥に興味を持つ児童の姿が!実はこの桐たんすの中にも資料やクイズか仕掛けられていて、発見した児童は楽しそうにチャレンジしていました♪

 

ちなみに粕壁小は1~4時間目を利用して、1クラスずつ入れ替わりで見学するスタイルでの実施でした。というのも、粕壁小学校と郷土資料館(教育センター)は隣に位置しており、校内で教室移動をするのとさほど変わらない速さで来られてしまうからです!
お家が近い児童も多く、郷土資料館に来たことのある子もほかの学校と比べて多いようです。「この前来た!」と言ってくる子もいるほど!
せっかく近くにある郷土資料館です。これからもたくさん遊びに来てくださいね♪

2月の近隣博物館・資料館の考古学情報

2月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。

見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。

(現地説明会)

・3月8日(金)13:30~ 清水遺跡(茨城県境町) 公益財団法人茨城県教育財団

 

(展示会_閉会日順)

・3月3日(日)まで  埼玉県立嵐山史跡の博物館 「武蔵武士の食と信仰―食べて 祈って 戦って―」
・3月24日(日)まで 本庄早稲田の杜ミュージアム 「弥生時代の児玉・深谷地域」

・5月12日(日)まで 杉並区立郷土博物館分館 「発掘された弥生時代」
・4月21日(日)まで 取手市埋蔵文化財センター 「祈りのかたち―出土品から見る先史時代の祭祀―」

 

また3月16日(土)には、春日部市郷土資料館で「砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡の調査」と題し、越谷市教育委員会生涯学習課の莵原雄大先生にご講演いただきます。

まだ定員に余裕がありますので、ご希望の方は、下記の通りお申し込みください。

●莵原雄大先生「砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡の調査」
日程 令和6年3月16日(土曜日)午前10時~正午
場所 教育センター
講師 莵原 雄大(うはら ゆうた)先生(越谷市教育委員会生涯学習課職員)
参加費 無料
申し込み 直接、電話(048-763-2455)、電子申請(別ウインドウで開く)で申し込み

緑小学校の3年生が郷土資料館を見学しました

令和6年2月29日(木)に緑小学校の3年生が郷土資料館を見学しました。
1組と2組が同時に来館のため、クラスごとに常設展示室と企画展示室に分かれての解説です。今日は社会科の調べ学習ということで、児童たちもメモを取る気満々でした!

 

常設展示室での解説風景

常設展示室では、竪穴式住居や日光道中の模型を見ながら学芸員の解説を聞きました。竪穴式住居は原寸大の迫力が、日光道中の模型はミニチュアの繊細さがあり、見るだけでも楽しめますね♪

 

企画展示室での解説風景

企画展示室では、昔の家庭で使っていた道具である“羽釜”や“洗濯板”など、現代の電気を動力とした道具との違いを学びました。
たくさんある展示を前に、子どもたちは「めったに見れないものがたくさんある!」と嬉しそうでした!

 

見学者多数で賑わう展示室

実はこの日は、同じ時間に他にも団体見学のお客様や、海外からの旅行者の方も来館するなど、午前中の資料館は大賑わいでした!

 

自由見学の時間

ここぞとばかりに楽しむ子どもたち

自由見学の時間には展示品をよく観察したり、スタンプを押したり、おもちゃで遊んだりと満喫してくれました!


見学終了の時間になっても、まだまだ帰りたくない様子の緑小3年生でした♪
郷土資料館は土日も開館しているのでぜひまた遊びに来てください!

凧作り教室を開催しました

2月25日(土)、春日部市「庄和大凧文化保存会」の方々を講師にお招きし、3回目の凧作り教室を開催しました。当日は、小学生を中心に17名に参加いただきました。

最初の説明

骨付け

 

第1回目第2回目の様子や凧の作り方はリンク先をご覧ください。

糸目中心を合わせる

さて、今回は、保存会の方にも教えていただいた凧の「糸目中心」について考えてみます。

今回、凧の糸目(凧とあげ糸を結ぶ糸)は、凧の上側の両角と、凧の中心に3本の糸を結び付け、凧の上から14㎝のところで円板の金具でおさえ、3本を結び合わせました。凧の全長は約60㎝で上半分が30㎝となるので、やや上によった位置に糸目中心を設定したことになります。

この糸目中心の位置によって、飛んでいるとき凧の角度が変わります。より上に中心を設定すれば、上につけた糸目がさらに短くなり、凧は地面と平行に近くなります。逆に、より下に糸目中心を設定すれば、上につけた糸目が長くなり、地面と垂直に近い角度に近づきます。これらにより、凧にあたる風の強さが変わります。

この力と、地面から凧を引っ張る力がうまくつりあえば、凧は安定して飛びますが、ずれるとくるくる回ったりしていしまいます。今回の凧作り教室では、糸目をほどけるように結んでいますので、糸目の中心をいろいろ変えてみて実験してみてくださいと、保存会の方はお話しされていました。

 

さて、5月3日と5日に行われる大凧あげまつりでは、5日の午前中に、創作凧揚げ大会として会場で自分で作った凧をあげることができるそうです。ぜひ5月5日の午前中に大凧あげ祭りの会場で凧をあげてみてください。

大空に夢を飛ばそう!!創作凧あげ大会2024~君の夢が空を舞う

とき 令和6年5月5日 午前9時から11時

場所 春日部市西宝珠花江戸川河川敷

参加方法 自作オリジナル凧にて自由参加

【出張授業】でばりぃ資料館in川辺小学校

令和6年2月27日(火)に川辺小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。

 生活科室での展示

図書室での展示

川辺小学校は郷土資料館からやや遠くに位置しており、なかなか当館への来館が難しい学校の一つかもしれません。
だからこその“でばりぃ資料館”です!以前もでばりぃ資料館を活用していただいたことがあり、今回もご用命をいただきました!

 

今日は図書室と生活科室を利用しました。
生活科室では昔の学校の様子と、昔の農業(脱穀)体験をしました。

 昔の川辺小周辺についての解説

学校の道具を自由に見学

床面に広げた1960年代の空中写真には、まだ存在しいない学校も多いのですが、川辺小学校の開校は1874年(明治7年)のため、写真から探すことができました!
この空中写真の時代には、春日部にはララガーデンもイオンもなく、コンビニもなかったことでしょう。川辺小学校は歴史ある学校なんです!
また、1917年の川辺小学校の写真を保有していたため、児童にみせたところ、“白黒の写真”“机のない教室”“木造作りの校舎”などに驚いたようで「信じられない!!」という声が聞こえてきました(笑)

 

図書室では昔の家庭の道具を解説です。

 昔の家庭の道具解説

昔の家庭の道具を自由に見学

炭を動力としたアイロンや七輪、竈でご飯を炊くための羽釜など、今では当然のようにある電気やガスが昔は当たり前ではなかったことを学んでもらいました。
生まれた時から周囲にあるものは、こういった授業などであえて意識しなければ、意外と気づくことができません。昔を知ることで、今の生活のありがたさも、一方で起こる弊害も児童に知ってもらえたらと思います。

 

今日は各ブース20分と若干短くせわしなかったかと思いますが、その分児童は飽きる暇もなく充実した時間を過ごしてくれた様子でした!
来年もまたでばりぃ資料館のご依頼お待ちしております!

【出張授業】でばりぃ資料館in上沖小学校~延長戦~

令和6年2月22日(木)に上沖小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。

生活科室展示風景①

生活科室展示風景②

つい先日8日にも上沖小にはお邪魔したのですが、実はその時1クラス学級閉鎖になっていたため、でばりぃ資料館を体験することができなかったのです。

そこで今回は、前回体験できなかった1クラスのために出張って来ました!せっかくの特別授業ですから、ぜひ楽しんでいってください!

 

今回は生活科室を利用して、内容は前回と同じく「昔の学校の道具・60年前の春日部」「昔の家の道具」になります。

昔の学校で使われていた道具解説風景

モノクロ写真の給食風景をみながら説明を受けます

「昔の学校の道具・60年前の春日部」のコーナーでは、空中写真から昔の上沖小の周辺の様子を探ったり、昔の学校で使われていた道具に触れる体験をしました。

 

「昔の家の道具」のコーナーでは、黒電話や手回し洗濯機などの道具の説明や、今と昔との違いについて解説を行いました。

昔の家庭の道具の解説風景

テレビにも映った手回し洗濯機を体験!

炭火アイロンの説明の時にはこんなやりとりが、

職員「どうして炭を使ってアイロンを温めたのかな?」

児童「電気がなかったから!」

職員「そうですね、電気がまったくなかったわけじゃないけど、あんまり普及してなかったということです。今は、電気のアイロンとかね、アイロンじゃないのもあると思うけど・・・」

児童「ファブ〇ーズ!!」

確かに、シワ取り効果を謳っているものもあるようで、意外かつ現代的な回答でした(笑)

 

自由時間には見学、体験、そして疑問に思ったことを質問してきてくれました。

話を聞くときはしっかりと聞き、楽しむときは思いっきり楽しむ3年1組でした!

 

これにて上沖小3年生、4クラスすべてがでばりぃ資料館受講完了です!

先生としては1クラスのためにまた来てもらうのが申し訳ないようでしたが、そんなことはございません!日程の都合等は要相談ではありますが、子どもたちの学習のために、今後もぜひ郷土資料館をお役立てください♪

八木崎小学校の3年生が郷土資料館を見学しました

令和6年2月16日(金)に八木崎小学校の3年生が郷土資料館を見学しました。

 

今日は校外学習ということで、強風の中、30分くらい歩いて郷土資料館まで来てくれました!

約60年ほど前の生活から現在に至るまでの「くらしのうつりかわり」についての学習がメインということで、今企画展示室の「くらしのうつりかわり~なつかしの暮らしの道具~」展の解説とともに、資料館内にある模型を中心とした解説も併せて行いました。

 

竪穴式住居模型の見学風景

まずは竪穴式住居の模型を見ながら、約5000年前の縄文時代の生活について解説です。

郷土資料館に入ると目に飛び込んでくるのが、縄文時代の竪穴式住居!子どもたちからも「リアルだ・・・」という声が漏れてきます(笑)

竪穴式住居の中には、「木の実」「魚」「貝」などの当時食べていたものや、「炉(ろ)」「土器」など生活道具が見て取れます。ちなみにこの土器の中で煮られているのは「かき」です。現在でも食卓に並ぶものが5000年前も食べられていることは大きな発見だったようです!

 

粕壁宿模型の見学風景

続いては日光道中粕壁宿の模型を見ながら、約200年前の春日部について解説です。

日光道中は江戸時代に日本橋から日光に向かうために作られた道です。その宿場の一つとして作られたのが粕壁宿。おかげで春日部に“まち”ができたんですね!

 

企画展示室での解説風景

そして企画展示室では、約60年前の生活についての解説をしました。

洗濯板やアイロンなど、現在は電気で動くものも、当時は手作業であったり、電気以外の動力(炭など)を使用していました。

手作業の一つとして、千歯扱き(せんばこき)を使った脱穀の体験もしてもらいました!

 

戦時中の絵手紙を読む子どもたち

クロックノールで遊ぶ子どもたち

自由見学の時間には、たくさんの展示と遊べるおもちゃなどで、存分に資料館を満喫している様子!

今日はたくさんの“昔”を学ぶことができましたね♪

 

今日は風が強くて歩いてくるのが大変だったかもしれませんが、郷土資料館は土日も開館しています(祝日は休館)ので天気のいい日にまた遊びに来てください!

3月3日、16日に歴史文化講演会を開催します

郷土資料館では3月に2本の歴史文化講演会を開催します。

どちらもただいま参加受付中です。お申し込みはお電話、電子申請からどうぞ。

みなさま、お誘いあわせの上ご参加ください。

●郷土資料館歴史文化講演会 平野明夫先生「徳川家康の関東入国と岡部氏」
関東地方の歴史に大きな影響を及ぼした徳川家康の移封と、それに伴い野田に入り、本市域にも所領があった岡部氏について、中世史がご専門の先生にわかりやすく解説していただきます。
日程 令和6年3月3日(日曜日)午後2時~4時
場所 教育センター
講師 平野 明夫(ひらの あきお)先生(國學院大學兼任講師 日本中世史)
募集人数 80人(申し込み順)
参加費 無料
申し込み 直接、電話(048-763-2455)、電子申請(別ウインドウで開く)で申し込み

 

●莵原雄大先生「砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡の調査」
砂丘から発見された平安時代の遺跡について、調査を担当した越谷市職員を講師に迎え、わかりやすく解説していただきます。
日程 令和6年3月16日(土曜日)午前10時~正午
場所 教育センター
講師 莵原 雄大(うはら ゆうた)先生(越谷市教育委員会生涯学習課職員)
募集人数 80人(申し込み順)
参加費 無料
申し込み 直接、電話(048-763-2455)、電子申請(別ウインドウで開く)で申し込み