校長室より
手賀沼殉難教育者慰霊式
手賀沼殉難教育者慰霊式(70周年)に参加して
平成26年11月22日(土)、我孫子市立湖北小学校にて手賀沼殉難教育者慰霊式が無事に執り行われました。
当日は穏やかな快晴の中、午前9時に関係者一同で中里の慰霊碑に献花をしてきました。
その後、湖北小学校図書室にご遺族を始め我孫子市長・柏市長・両市の教育委員長・我孫子市教育長、両市校長会・教頭会、退職校長会長、県会議員、市会議員等の関係者約70名が参列しました。
私は今回の慰霊式で主催者として、又我孫子市校長会の一人として11月4日の第一小学校の全校朝会で、子ども達にこの哀しい事件のことを話したことを伝えました。本校の千浜宗一郎校長(当時49歳)と中村良子先生(当時17歳)のお二人が私達にとって身近な手賀沼で尊い命を落としたことは本当に辛い事実であると更に実感した日でもありました。
本校の校歌の一番は、次のような歌い始めになっています。
「太鼓が鳴るよ青空に 向ヶ原の丘の上
集えよよい子 我孫子第一
学びの庭に 眉上げて」
最初の太鼓が鳴るとは、千浜校長先生が昭和17年5月に満州(今の中国)と朝鮮(今の韓国)に教育視察に行かれたことを記念して造られた大きな太鼓の音のことです。
当時、授業の始まりと終わりはチャイムの代わりに太鼓を叩いて音を鳴らしていたそうです。
作詞家の髙橋菊太郎先生が、戦後に何とか明るい一小校歌を創ろうと栄地区を歩きながら考えていた時、この太鼓の音が突然聞こえてきて歌い始めの言葉に使ったそうです。
海外視察記念の太鼓(昭和17年5月制作)
6年生の子ども達全員が、全校朝会で私の話を聞いた感想を書いてくれました。
当日の慰霊式で読み上げた女の子の文章を原文のまま掲載致します。
(本人と保護者の了解を頂いております)
手賀沼殉難事件の感想
私は手賀沼が、昔とても綺麗で、みんなの遊び場だったという事しか知らなかったから、手賀沼でそんな悲しい事があったという事は知りませんでした。
戦争中で苦しい時に、更に、こんな事故があったなんて可哀想と言うよりも、なんて苦しくて切ない時代だったのだろうと思いました。
今の時代は、命の大切さを理解してきているけれど、この時代の人達にとっては、命とは何だったのだろう?と思いました。もう二度と悲しみで溢れないようになって欲しいです。
我孫子で育った限り、この事故を忘れずに、命の重みを感じて生きていこうと思いました。
6年生の子ども達は真剣にこの事件のことを考えてくれたと思いました。
その他にも数名の子を抜粋して掲載します。
〇凄く若い女性の方もこの事故で亡くなっていると聞き、とても悲
しい日本だと思います。
戦争などしていなければ若い女性の方が、先生になって働くということもなかったのにとても残念です。
〇事故の二日後に葬儀をする予定が空襲警報が発令されてできなくなったこともとても悲しいことだと思います。そのことからも戦争は絶対にいけないと思います。
〇・・・・・私は千浜校長先生のことも中村良子先生を含む18名の先生方のことも、そしてこの悲しい事件のことも決して忘れません。いつまでもいつまでもこの悲しい事件を忘れません。
私達は、現在、平和な時代に生きて子ども達の教育をいております。70年前に起こった「手賀沼殉難事件」の哀しい出来事を忘れることなく、今後も子ども達に語り継いでいきたいと思います。
ご遺族及び関係者の方には、心より哀悼の意をお伝え致します。