2024年11月の記事一覧
幸松小学校 放課後子ども教室で「おはやし教室」を開催しました
学校付近のカエデやイチョウの木々もようやく色鮮やかな紅葉時期を迎えた11月18日(月)の放課後、幸松小学校放課後子ども教室『幸松っこくらぶ』が校内各所で開催されました。当日は、郷土資料館による”郷土カルタすごろくで遊ぼう”のほか、先生OBによる紙飛行機づくりなどの様々な催しと共に、市指定無形民俗文化財「不動院野の神楽」を継承する東不動院野神楽保存会の皆さまから指導いただく「おはやし教室」の第4回目も行われました。
1年生を中心に6年生までの10名が参加。今回初めて参加するという1年生は緊張した表情で両手に太鼓のバチを握り、一生懸命、お囃子の基本曲である『ニンバ』に取り組みました。
まずは太鼓代わりにタイヤを取り囲み、「天/スク/ステ/スク/天・ツク/ツ/スク」のリズムを体感し、順番で実物の太鼓と締太鼓を叩きました。途中、今回不在の保存会会長さんの篠笛の音色をスマートフォンからBGMで流しながら祭り囃子を奏でました。
この教室の参加を契機に、今や高校生や大学生となり保存会では立派な囃子手や舞手として後継者を担っている方もいらっしゃいます。前回のおはやし教室の参加者では、3名が保存会の練習にも参加されたとお聞きすることができました。地域の伝統芸能がこうした機会を契機に着実に継承されますよう、よろしくお願いいたします。
#桜川小 の皆さんから見学のお礼のお手紙をもらいました
10月18日に郷土資料館などの社会科見学に来た桜川小学校3年生の皆さんから、お礼のお手紙をいただきました。
大きな模造紙にポストイットで一人一人、イラストを交えながら、印象に残ったこと・モノを知らせてくれています。一般のお客さんにもご覧いただけるように、出口の扉に掲示させていただきました。
感想とイラストで一番多かったのは、縄文時代の竪穴住居(原寸大模型)です。約5000年前の暮らしがどうだったのか、イメージしやすく、当館の人気の展示資料の一つです。上に紹介した子は、竪穴住居とともに、市内を縦断した江戸時代の街道「日光道中」というキーワードも忘れずに帰ってくれたようです。
団体見学では常設展示の模型ばかりでなく、3年生が3学期に学習する昔のくらし・道具についても解説しました。
平成末期に生まれた子どもたちにとって、「昭和」は遠い過去のようです。
古い道具から、彼らなりの「昭和」を感じ取ってくれたようです。
また、昔のアイロンにあたる「こて」の説明も印象に残ったようで、イラストも描いてくれた子もいます。
おしいのは、竪穴住居の5000年前と印象が混ざってしまったこと。短時間での見学になると、「時代錯誤」が生じてしまうようです。ぜひ、お家の方といらして、じっくり見学する機会をつくって、「復習」してみてください。
最後に「うめわかくん」のイラストを描いてくれた子もいました。
当日、時間もなく「うめわかくん」まで説明が至らないのですが、展示室のあらゆる所に散りばめられています。念のため説明すると、「うめわかくん」は、市内の古隅田川沿いの新方袋の伝承「梅若塚」の梅若丸をモチーフにした、二頭身キャラです。設定は、平安時代の少年ですが、大凧を揚げたり、桐たんすに入ってみたり、「なぞとき」では探偵になったり、天使になったり、いろいろなバリエーションもあり、隠れ支持者も多いようです。「うめわかくん」に注目してくれて、どうもありがとう。これからも「うめわかくん」を応援してくださいね。
#春日部市 郷土資料館 #体験講座 「桐の貯金箱づくり」を実施しました
11月16日、体験講座「桐の貯金箱づくり」を実施しました。
この講座は、春日部桐箱工業協同組合の皆さんのご協力のもと、令和3年から継続して実施しています。今年は、定員を超過する申込みもあり、資料館の体験講座のなかでも不動の人気を誇る講座です。
今回は、普段は市内で桐箱製造などに取り組まれている5名の職人さんにご指導いただき、オリジナルの桐の貯金箱づくりを体験していただきました。
講座用にご用意いただいた、製作キットの中身を確認して、まずは、箱を組んでいきます。
「のり」は、水性の木工用ボンドです。桐材の木っ端をヘラにして、糊付けしていきます。
参加者の皆さん、はじめは、手に付かないよう恐る恐る糊付けをしていましたが、職人さんの指導をうけ、最後は指で塗っている方もいました。また、二枚あわせて糊を塗るコツも伝授されていました。繁忙期にはとても忙しい春日部の桐箱製造。大量生産のために作業効率を上げることも「技術」の一つです。
糊を付けた後、枠組みにします。
糊を付け、枠組みにして、この後、圧着させるために輪ゴムをかけるのですが、小さいお子さんは、少し難しかった模様。ご家族に助けてもらいながら、集中して作業をしていました。
段々、箱型になってきたら、次は「オリジナル」の部分。
箱の背板にあたる部分にオリジナルの図柄・デザインを描きます。この後、職人さんに切り抜いていただくので、下絵を描いています。皆さん、どんな貯金箱にしたいか、事前に考えてきてくれていました。今年も、ポケモン、にゃんこ大戦争、推しの子などアニメやゲームのキャラクター。絵本のパンどろぼう、オリジナルのデザインを描いていた子もいました。
下絵が描けたら、職人さんに電鋸で切り抜いていただきます。
一般の方、ましてやお子さんでは、柔らかい桐材(板)といえども、細かい細工で切り抜くことはできません。普段から木工をされている、職人さんに、普段はあまりみない電鋸をつかって、オリジナルのデザインに切り抜いていただける。ここがこの講座のポイントです。
今年は二台編制で進めていただきましたので、待ち時間も長くなく、スムーズに進行しました。
自分で描いたデザインの形に切り抜いていただける、子どもたちは職人さんを羨望のまなざしでみていました。子どもたちだけではありません。
大人の参加者の方も、スマホで切り抜きを動画撮影。
こうした実演を目の当たりにすることで、何気なく消費しているモノの有難みや、「ものづくり」の素晴らしさを実感することができたのではないでしょうか。電鋸の切り抜きの時間は、「ものづくり」を担う職人の皆さんが、最も輝いている時間でした。
切り抜きの後、背板と表の板を糊付けします。
ズレないように、また背板はお金を取り出せるフタの細工があるので、慎重に糊付けをします。
職人さんにやさしく、丁寧に教えてもらいながら作ります。
お子さんだけでなく、ご年配の参加者の方も。
この男性は「春日部市のためにマスクを取ろう!」といって撮影に応じていただきました。「広報誌に載せてくれ」とご要望いただきましたが、「ほごログ」でご勘弁ください。
そして、完成。
姉妹で参加してくれた二人は、仲良く丁寧に造っていました。
色付けはご自宅で。水性やアクリル絵の具などでできるようです。
こちらも姉妹で参加。
イラストをプリントした紙を貼りつけて完成。紙やシールをはれば、色を塗る手間も省け、クオリティーの高い仕上がりになります。これもオリジナルです。
アンケートでは、「職人さんが丁寧に教えてくれて子どもでも作ることができた。また開催してほしい」「ただの板がだんだん箱になっていくのが楽しかった」「板に溝をつけるところを見てみたい」など、皆さん、満足のいく貯金箱がつくれたようです。春日部の伝統の桐箱づくりを肌で感じていただけたようです。
貯金箱完成後も、展示用の多種多様な桐箱に親しむ子どもたちがみられました。
貯金箱をつくったり、見本や製品に接して、春日部の伝統産業に触れる機会になったのではないかと思います。
参加者の皆さま、春日部桐箱工業協同組合の皆さま、どうもありがとうございました。
秋季例祭ー東中野の獅子舞ーが公開されました
木々がようやく色づきだした11月10日(日)には、市指定無形民俗文化財「東中野の獅子舞」の年一度の公開が行われました。
三週間前の10月20日(日)には、現在の越谷市下間久里が伝授された同じ系統の「銚子口の獅子舞」、「赤沼の獅子舞」の秋季例祭に続き、五穀豊穣の収穫を感謝し、無病息災、家内安全が祈願されました。
当日は境内鳥居から香取神社拝殿に天狗さまを先頭に場を清める「庭入り」から、「序の舞」「女獅子の舞」「中獅子の舞」、そして三匹獅子が威風堂々と舞う「太夫の舞」、さらに勇壮華麗な「千島の舞」が公開されました。また、終演後には太夫獅子のコウガケを頭に被せ無病息災を祈願する地域のみなさまが立ち並び盛況となりました。
そのほか、境内には地元中野小学校の第三学年の総合的な学習の時間に『獅子舞』を学び体験した児童みなさんの感想が掲示されていました。この後、12月には保存会の皆さんのご指導による出張授業を行い予定です。ひとりでも多くの児童が地域の伝統芸能に興味関心を抱いていただけるよう、楽しい授業をお願いいたします。
【 #常設展 ミニ展示】 #東武鉄道 開業前夜の #春日部駅 前
常設展示の近代のコーナーの展示替えをしました。 #かすかべプラスワン
テーマは、題して「東武鉄道ができる直前の春日部駅周辺」です。
現在、春日部駅周辺は鉄道高架工事の真っ最中。最近では、東武スカイツリーラインの古い登りホームの土台の解体工事が進み、さら地になってきています。おそらく、ホームの土台は、大谷石で築かれたもので、東武鉄道開業当初からのホームだったものとみられます。東武鉄道が明治32年(1899)に開業してから、駅周辺は駅前の市街地として開発されていきました。
下の画像は、昭和8年(1933)の粕壁町字内出の耕地図です。駅舎の所在する土地の名称は内出。線路が横断し、耕地を分断するかたちで鉄道が敷設され、駅の東側(現在の東口)は市街地化され、停車場道(現ブロンズ通り)をはじめとする駅と旧日光道中の町並みをつなぐ道が整然と区画されています。反対に、西口側は細長い土地割りの田畑ばかりで、道も細い畦道であったことがわかります。
その後、昭和46年(1971)12月には西口改札が開設され、農地が区画整備され、西口も市街地化していくことになり、今日に至ります。「鉄道で春日部の町(街)が分断されている」とよく言いますが、歴史的にとらえれば、そもそも町は東口側だけであり、高度経済成長期に東口の開発が飽和状態になり、西口側に市街地を広げていったため、「分断」されたようになってしまった、というように理解すべきでしょう。鉄道「分断」の問題は、現在の問題ではなく、高度経済成長期に生起していた、春日部市にとって古くて新しい問題なのです。
さて、駅が開設される以前の駅前の様子は、おそらく田んぼや畑であったことは、江戸時代の粕壁宿の時代の資料などで明らかですが、これまで街路や土地割りの様子などは、よくわかっていませんでした。
今回、展示した資料は、粕壁町の字内出の耕地絵図です。資料の年紀は明治35年(1902)ですが、描かれた内容は、東武鉄道が敷設される以前の状況のようです。最近、市民の方からご寄贈いただいた、近代の粕壁町の商家資料群から見出されたものです。
この絵図を先の昭和8年の絵図と比較してみると、私たちが当たり前にみている駅前もまた、当時は粕壁町のはずれにあり、街路や土地割りは、駅開業後に造成されたことが明らかになります。詳細は展示で。
駅ができ、駅前が造成され、西口ができ、西口に市街地が広がり、そして今「分断」を解消するための鉄道高架が始まる。粕壁の字内出の土地に刻まれた駅前の歴史を、ぜひ展示室でご覧ください。