ほごログ(文化財課ブログ)

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【6月3日】 #今日は何の日? in春日部

今から147年前の明治9年(1876)6月3日は、明治天皇が粕壁で昼食をとられた日です。

明治天皇は、明治9年6月2日、奥羽巡幸のため、東京を発し、陸羽街道(旧日光道中)を北上され、同日は草加の大川家を行在所とされました。同3日、草加を立ち、蒲生(現越谷市)で馬車を停められ、田植えをご覧になりました。その後、大沢町で御小休し、粕壁に到着されたのは、午前10時40分ごろ。粕壁の三枚橋地区の竹内彦右衛門宅で御昼食をとられました。竹内家は、幕末期に本陣をつとめた旅籠高砂屋旅館。春日部大通りに設置される歩いてみよう道しるべの標柱では脇本陣として紹介されている地点になります。ご昼食を済まされた後、午後1時15分ころ粕壁を出発され、杉戸で御小休、幸手の知久家を行在所とされました。

ただ、高砂屋(竹内家)については、埼玉県による聖跡の調査報告書『埼玉県史蹟天然紀念物調査報告書』(大正12年刊)には、明治20年頃に家屋を売却し、当時の現状をとどめていないと報告されています。大正時代でもそうだったのですから、当然、現在は見る影もありません。

わずかに地元に残る資料として知られるのが、粕壁いろはカルタという昭和初期と推定される粕壁町の名所・名物などを紹介するカルタです。このなかの「ほ」の札が、「ほまれも高き高砂屋 君のみゆきを松のはな」となっています。絵札はこちら(『春日部市史近現代資料編1口絵より)。

画像:粕壁いろはかるた

当方も原物をまだみたことがありませんが、昭和初期の当時にはすでに無かったと思われる門が描かれる絵札です。当時の粕壁の人たちのなかには、かつてあった高砂屋が明治天皇の御昼休所(聖跡)であったという記憶が残っていたのかもしれません。

これまで、明治天皇が御昼食をとられたことは、話題になることも少なくありませんでしたが、実は、巡幸に供奉した面々も豪華なのは意外と知られていないようなので、少し蘊蓄を。当時の供奉していた人物として、岩倉具視、木戸孝允、土方久元などがいます。ことに木戸は日記を遺しており、粕壁では区務所で昼食したといいます。また、巡幸の先発隊に大久保利通がいます。ただし、大久保は粕壁で昼食はとりませんでした。

さすが、明治天皇、名立たる明治維新の功績者を連れ従えて巡幸されるのですから、いろいろなエピソードが残っていてもよさそうですね。小生も学芸員として資料調査に勤みたいものです。

147年前の今日6月3日、市域の人たちはどのように巡幸の行列をみたのでしょうか。また、明治天皇や供奉した人たちは春日部をどのようにみていたのでしょうか。そんなことを思い巡らせながら、かつての宿場町粕壁を散策されてみてはいかがでしょうか。

過去の今日は何の日?in春日部シリーズ→1月1日版3月14日版3月27日版4月28日版9月16日版

川辺小学校3年生「総合的な学習の時間」に縄文体験を行いました!!

 6月1日(水)は今年度最初の出張授業(縄文体験)を行いました。通常は小学校6年生の社会科の歴史の学習が始まるころに出向いていますが、川辺小学校ではこの数年、3年生の「総合的な学習の時間」にお呼ばれしています。今回は『学校付近の昔むかし』と題し、児童のみなさんの自宅がある米島や東中野地区で確認されている縄文時代の貝塚を中心に学習に取り組みました。もちろん、さまざまな体験メニューで「観て」「触れて」「考えて」を実践してみました。

導入 貝塚紹介土器観察

▲ 導入では学区内の貝塚を紹介。熱心にメモを     ▲担任の先生と縄文土器の形、なわめをじっくり

とりつつ、周辺に海原が広がった歴史に驚きが      観察。「ぜんぶ、本物なの?!」『全部です!!』

貝観察    黒曜石切れ味体験

▲縄文時代と12万年前のアカニシと大きさを比較。  ▲6年生にも人気な黒曜石の切れ味体験。みるみるうちに

外郭放水路では12万前の木下層から多種の大きな    段ボールがぼろぼろになるほど、試し切りが楽しくなって

貝種が発見されたことを伝えると皆ビックリ!     しまいます。「こんなに切れるんだ!!」

 6月からは3年生の「総合的な学習の時間」をはじめ、6年生の社会科へ出向きます。授業の様子は本ブログでご紹介していきますのでお楽しみに覗いてください。

【県外の春日部スポット】春日部ゆかりのフランス文学者

先日、資料調査で都内の春日部ゆかりの施設にお邪魔しました。その名も豊島区立鈴木信太郎記念館です。今日は、同館についてご紹介します。 #かすかべプラスワン #書斎 #フランス文学

写真 鈴木信太郎記念館

東京メトロ丸の内線の新大塚駅から徒歩3分ほどの住宅街の中にある鈴木信太郎記念館。

鈴木信太郎は、20世紀前半の日本のフランス文学研究黎明期に活躍したフランス文学者です。鈴木家は、下総国葛飾郡下吉妻村(今の春日部市下吉妻)の農家で、大地主でした。明治期になり、自家で所有する田んぼからあがる小作米を商売の元手とし、神田佐久間町(現東京都千代田区)で米穀問屋を営むようになったいいます。信太郎がフランス文学に打ち込めたのは、米穀問屋、そして地主として経済的な後ろ盾があったからのよう。信太郎自身は東京生まれ、東京育ちですが、先祖の地(下吉妻)に訪れることもあったようです。

現在の記念館の地は、信太郎の父の時代、大正7年に住まいを移したものですが、戦災で一部が焼失してしまいました。焼失した家屋部分には、昭和23年に下吉妻の鈴木本家から明治20年代に建てられた書院座敷が移築されました。ですから、下の写真の和風建築の座敷棟は、春日部ゆかりの近代和風建築なのです。

下吉妻から移築された家屋室内の様子

室内は落ち着いた雰囲気です。記念館の建物は、信太郎が亡くなった後は、息子で建築学の専門家である成文氏が住んだそうです。建築学に通じた方であったことから、古い図面や当時の意匠を保存されたそうです。小生は建築のことは明るくありませんが、春日部の吉妻にあった当時の雰囲気もそのまま遺っているといえそうですね。春日部市内で古民家の内部までを公開している施設はありませんので、古民家をみたいという方には、鈴木信太郎記念館を紹介してもよいのかなと思いました。

鈴木信太郎記念館の見どころは、これだけじゃありません。おすすめは書斎棟です。書斎棟は、信太郎の書庫兼書斎(仕事場)でした。昭和3年に当時としては非常に珍しい鉄筋コンクリート造で建てられました。それだけの経済力があったということにも驚かされますが、頑丈な書庫にこだわった理由は稀覯本の収集家でもあった信太郎の悲しい経験に求められるそうです。かつて、フランスに留学していた信太郎は、パリで買い集めた約1000冊の貴重書を日本へ船便に送ったところ、輸送中の船内の火事によりすべて焼失してしまいました。信太郎は大変落胆したそうですが、再び収書をするにあたり、二度と本を失わないように鉄筋コンクリート造の書庫を建てました。

戦中の城北大空襲で母屋などは焼失してしまいましたが、この書斎棟は焼失を免れ、中の本も無事に守られました。下の写真は書斎棟の内部です。

鈴木信太郎の書庫書斎

帝大の先生のこだわりの書庫とだけあって、圧巻されました。写真では伝わりづらいのですが、本当に別世界です。昭和初期の学者の書庫・書斎が、そのまま遺っているようで、和風建築とは180度雰囲気が違います。こんな書庫がほしいなぁと思わず漏らしてしまいました。書庫だけでも見学の価値あり!おすすめです!

ちなみに、書庫の棚は一部は展示ケースとして活用されており、信太郎が集めた貴書や知人の文学者の署名入り本などが展示されています。フランス文学の貴重本は、獨協大学に寄贈され、保管されているそうです。

鈴木信太郎記念館、知る人ぞ知る春日部ゆかりのスポットといったところでしょうか。ぜひ、見学をおすすめします。

なお、鈴木信太郎・鈴木家と春日部の関係については、信太郎の次男でフランス文学者の鈴木道彦氏『フランス文学者の誕生』(筑摩書房、2014年)に詳しく紹介されています。 

所在地
〒170-0013東京都豊島区東池袋5-52-3

電話
03-5950-1737

交通案内
東京メトロ丸ノ内線新大塚駅より徒歩約3分  詳しくはこちら(池袋から) 詳しくはこちら(銀座・茗荷谷方面から)
JR山手線大塚駅南口より徒歩約8分
都電荒川線大塚駅前及び向原停留場より徒歩約8分
(駐車場・駐輪場はありません。公共の交通機関をご利用ください。)

鈴木信太郎記念館ホームページ

【7/3まで宝珠花の歴史と大凧あげ】ミュージアムトークを開催しました

7/3まで春季展示「宝珠花の歴史と大凧あげ」開催中です

 

5月22日(日)、「宝珠花の歴史と大凧あげ」のミュージアムトークを開催しました。

ご参加くださった皆さま、大変ありがとうございました。

前にもお知らせしましたが、展示では、「宝珠花の歴史」、「春日部の大凧」、「大凧会館」、「大凧の歴史」、「各地の凧」の5つテーマで資料を紹介しています。

今回の展示のメインテーマは「大凧」なのですが、大凧あげが続いてきた素地として「宝珠花の歴史」も非常に重要です。展示では、古代の「貝の内遺跡出土下総国分寺軒平瓦(かいのうちいせきしゅつどしもうさこくぶんじのきひらがわら)」、近世の「小流寺縁起(しょうりゅうじえんぎ)」、「長久記(ちょうきゅうき)」の3点の実物の春日部市指定文化財を展示しております。このほかにも、宝珠花地区ゆかりの指定文化財があり、市内では最も指定文化財が多い地域です。本展の「宝珠花の歴史」コーナーはわずかなのですが、歴史ある地域だからこそ大凧あげが伝わったことをご理解いただければ幸いです。

もちろん大凧あげも、「宝珠花の大凧揚げ」として市指定文化財、「関東の大凧揚げ習俗」として国選択無形民俗文化財となっています。

なお、「貝の内遺跡出土下総国分寺軒平瓦」は常設展示で展示しておりますが、「小流寺縁起」と「長久記」は普段は展示しておりませんので、この機会にぜひご覧ください。

 ミュージアムトークの様子1

ミュージアムトークの様子2

次回のミュージアムトークは企画展示最終日の7月3日(日)を予定しております。また、6月はミュージアムトークを予定しておりませんが、座学での展示解説講座を開催します。ご参加お待ちしております。

●ミュージアムトーク

郷土資料館学芸員が企画展示室内で展示資料を解説します。

日時:7月3日(日)10時30分~、15時00分~(各回、同じ内容です)

場所:郷土資料館企画展示室内

*申し込み不要です。お時間に企画展示室にお集まりください。

 

●展示解説講座「宝珠花の歴史と大凧あげ」

郷土資料館学芸員が宝珠花の歴史と大凧あげについて紹介します。

日時:6月19日(日)10時から12時

場所:教育センター

定員:30人(先着順)

申し込み:6月7日(火)より直接または電話で郷土資料館(048)763-2455へ、または下記より電子申請

春日部市電子申請・展示解説講座申し込み

大凧マラソン大会のパネルが追加されました

7/3まで春季展示「宝珠花の歴史と大凧あげ」開催中です

展示室に大凧マラソン大会の紹介コーナーを、啓発品のポケットティッシュとともに、スポーツ振興課のご協力のもと設置しました。

大凧マラソン紹介コーナー

大凧マラソンの紹介

大凧マラソン大会は、大凧あげ祭りを全国に発信するための大会として毎年5月4日に行われています。しかしながら、コロナウイルス感染症拡大防止のため、令和2年、3年、4年と中止しています。

最も長い距離のハーフマラソンは、庄和総合公園東側をスタートし、庄和地区南部まで南下、江戸川の土手に出て北上し、西宝珠花から再度、南下して庄和総合公園でゴールとなる庄和地区をほぼ1周するコースです。田園風景や広大な江戸川など、豊かな自然に囲まれたコースを走ります。

第1回大会は平成元年(1989)5月3日に行われ、広報の記事によると、1,023人が参加されました。最も長い距離は20㎞でした。約300人の市民ボランティアが参加したようです。平成7年(1995)から開催日を5月4日とし、3日と5日の大凧あげ祭りの中日に行われるようになりました。

令和元年(2020)に行われた第31回大会では、エントリー者数が10,779人と第1回大会の10倍以上、ボランティアで構成される競技役員も、第31回大会では約900人と、規模の大きい大会になっています。

令和5年(2022)は、無事、大凧マラソン大会が開催されるよう願っています。

第1回大凧マラソンを伝える広報しょうわ

第1回大凧マラソン大会を伝える「広報しょうわ」平成元年6月号