ほごログ(文化財課ブログ)

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【7/7まで新収蔵品展】貞治6年銘の板碑

新収蔵品展では、金崎の方から寄贈された、板碑(いたび)を展示しています。板碑は、板石塔婆(いたいしとうば)とも呼ばれ、中世に、死者の供養などのために建てられました。日本全国で確認されるものの、埼玉県はとりわけ数が多く、約27,000基の板碑が確認されています。
春日部市内には、486本(『埼葛の遺跡』)の板碑の存在が確認されており、資料館に収蔵されているもののほか、地域のお寺や住宅などで、信仰の対象として大切に保管されています。これら板碑のうち、浜川戸遺跡から出土したもの(郷土資料館常設展示)が市指定文化財に、西親野井の大王寺別院に安置されているものが県指定文化財に指定されています。貞治6年の板碑

埼玉県周辺でみられる板碑は、緑泥片岩(りょくでいへんがん)という、長瀞町や小川町でとれる石を使っています。青い色が目立つ石であることから「青石塔婆(あおいしとうば)」と呼ばれることもあります。形は、板状に整形され、頭部を三角に整えます。上部より、二条線、梵字(ぼんじ)で表された主尊(しゅぞん)、蓮台(れんだい)、花瓶(けびょう)などを刻みます。梵字は古代インドのブラーフミー文字から発展した文字で、仏教と結びつきが強く、仏教の仏を1字で表すことができます。板碑に彫られる梵字は、キリークという阿弥陀如来(あみだにょらい)を示す梵字が最も多く見られます。

板碑の多くには、このほかに供養者名や建てた年号などが刻まれます。建てられた具体的な年号を知ることができ、展示している板碑にも貞治(じょうじ)6年(1367)の年号と「八月廿八(にじゅうはち)日」という日付が刻まれています。

西暦1367年当時は、朝廷が北朝と南朝に分かれた南北朝時代でした。年号も北朝、南朝それぞれで定めており、この「貞治」という年号は、北朝の年号です。埼玉県周辺の板碑に刻まれる年号は、北朝の年号のものが多いようです。

一方で、春日部市内には、「元弘(げんこう)」という南朝で1331~1334年に使われた年号をもつものが4本あり、春日部にかかわりの深い武士の春日部氏が南朝側についたからではと考えられています。

さて、7月3日(土)13:30より、今回ご紹介した貞治6年の板碑を中心に、市内の板碑の概要などについての展示解説講座を教育センターで開催します。また、6月27日(日)と7月7日(水)は、展示室内の展示解説「ミュージアムトーク」を開催します。開催要項は以下のとおりです。ぜひご参加ください。

 

◆展示解説講座「春日部の板碑」
日時:7月3日(土)13:30~
場所:教育センター
対象:定員50人(申し込み順)
費用:無料
申し込み:直接、または電話(048-763-2455)で郷土資料館まで。

◆ミュージアムトーク
日時:6月27日(日)、7月7日(水)
各日10:30~、15:00~(30分程度)
場所:郷土資料館企画展示室
費用無料、申込不要

 

参考文献

埼玉県立歴史と民俗の博物館展示解説シート 『第6室 板碑ー武士の心』

埼葛地区文化財担当者会 2007 『埼葛の遺跡』埼葛地区文化財担当者会報告書第6集

春日部市教育委員会 1994 『春日部市史第6巻 通史編1』P.372~P.395

春日部市史編さん委員会 2012『春日部市史 庄和地域 原始古代中世近世』P.239~P.241

 

豊野地区公民館で展示説明会を実施します

以前にもブログでお知らせしましたが、豊野地区公民館で現在開催されている神明貝塚の巡回展示にあわせて、下記の日程で展示説明会を実施します。

 

タイトル:「ここまでわかった! 国史跡 神明貝塚と縄文人のくらし」

会  場:豊野地区公民館

日  時:令和3年6月27日(日)14:00~15:30

定  員:20名(先着順・豊野地区公民館に直接申し込み)

 

現在、展示説明会に向けて準備をしているところですが、展示説明というより、神明貝塚の魅力と特徴を講座形式で、発掘調査から判明した神明貝塚の姿や、縄文人のくらしの様子などをお伝えできればと思っています。

 

また、Youtube上でも公開している動画の上映や、実際に土器や貝殻に触れていただく機会としております。まだ定員に達していないということですので、お気軽にご参加いただければと思います。

 

【展示説明会の詳細・申し込み】→豊野地区公民館のブログ

縄文体験教室 in 内牧小学校♪

6月11日(金)は内牧小学校の6年生を対象に「縄文体験教室」の出張授業を行いました。

6年生の社会科学習が歴史単元に進んだので、今回が令和三年度最初の出張授業となりました!!

 

クラスは全3クラス。授業は、三密を回避するため、少々暑かったですが広々とした体育館で行いました。

 導入では「神明貝塚」の動画、さらには学校付近に広がる遺跡と市内の貝塚の存在を学習し、その後、

「石器ブース」「貝・骨ブース」「土器ブース」の三つのブースをグループで体験してもらいました。

歴史の授業が今日がはじめてというクラスもあり、みなさんは興味津々でした。

 

▲春日部市内にも縄文時代の遺跡があることを知り、中には驚く子も。

 

 

▲石器のコーナーでは切れ味体験とあわせて石器の石材の黒耀石がどこからやってきたのか学びます。200kmも離れた信州諏訪付近からも交易によってもたらされたものと知り、驚く様子もみられました。

▲貝などの海産物や獣、そして豊かな森から得られる植物資源と多様な縄文人の食生活。現代に通じる食生活があったかも?

 

授業終了後、子どもたちの中には、名残惜しそうにブースを眺めている子もいて「もっと聞きたかった」と言ってくれた子もいました。

 

内牧小学校のみなさん、ありがとうございました。

これからも縄文時代の学習にお手伝いを進めてまいります。

【7/7まで新収蔵品展】小流寺の聖徳太子像

新収蔵品展では、小流寺の文化財として、令和3年4月22日に市指定文化財となった「木造小島庄右衛門正重座像(もくぞうこじましょうえもんまさしげざぞう)」、「小流寺縁起(しょうりゅうじえんぎ)」(春日部市指定文化財)、そして今回ご紹介する「聖徳太子像」を展示しています。

7月7日(水)まで、かすかべの宝もの18新収蔵品展を開催しています。

小流寺小流寺

小流寺は、浄土真宗の寺院で、現在は西宝珠花に所在します。もとは上吉妻にあり、昭和28年(1953)、江戸川改修工事に伴い、現在地に移転しました。坐像になっている小島庄右衛門正重は、小流寺の開祖であり、江戸時代、庄内領と呼ばれた現在の庄和地区の新田開発にたずさわりました。

聖徳太子像は、ながく小流寺でまつられてきたもので、江戸川を漂流してきたものと伝わります。像の高さは約90㎝、髪を中央で分け、両手に柄香炉(えごうろ)をもち、袈裟を身に着けています。髪型は本来は、長い髪を耳のわきで結ぶ角髪(みずら)であったようですが、結ばれていたであろう部分は欠損しています。表情はやや険しく、私たちがよく知っている旧1万円札の聖徳太子とは違う印象を受けます。制作年代は不明ですが、江戸時代の早い時期と考えられます。

この像の形は、孝養像(きょうようぞう)と呼ばれ、聖徳太子が16歳の時、父である用明天皇の病気快復を願って祈る姿と言われます。「孝養」とは、「こうよう」とも読むようですが、子が親に孝行をすることを表します。

柄香炉の持ち方は、浄土真宗本願寺派の勤式指導所のサイトによれば、作法としては「保持の仕方は、右手で上から柄の端の曲がっている部分を持ち、左手は下から柄の中央部より少し香炉寄りを持つ」とのことです。小流寺の聖徳太子像は、左右逆に持っており、これは手の部分を本体から抜くことができるため、誤って取り付けられた可能性もあります。しかしながら各地の聖徳太子像や絵画をみてみると、右手側に香炉をもつ小流寺の聖徳太子像と同じものもあるので、一概に間違っているとは言えないようです。

聖徳太子像

日本に仏教を取り入れた聖徳太子への信仰は、日本の仏教史とともに歩んできました。奈良時代の歴史書『日本書紀』では、生まれながらの聖人であったことが記されました。平安時代から中世には、様々な太子の伝記が書かれ、文学、芸能、美術など、さまざまな面で聖徳太子への信仰が関わりました。

鎌倉時代には鎌倉新仏教と呼ばれる新しい宗派が生まれ、各宗派を始めた祖師たちは、やはり聖徳太子を敬います。とりわけ小流寺の宗派である浄土真宗を開いた親鸞(しんらん)は、聖徳太子を大変尊敬しており、浄土真宗のお寺には、聖徳太子像など、聖徳太子にかかわるものがまつられることが多いようです。小流寺に伝わる「小流寺縁起」にも、聖徳太子の事績を書く部分があります。

江戸時代には、聖徳太子が、四天王寺(大阪府)や法隆寺(奈良県)の建設にたずさわったことから、大工や左官、鍛冶屋、桶屋などの職人の信仰が盛んになりました。太子が亡くなった日に集まって、太子像などをまつる太子講が広まりました。

小渕の観音院にも、聖徳太子像が伝えられていますが、太子像がおさめられていた太子堂の修理のために、市域周辺の大工などの職人たちがお金を出し合った記録「小渕太子堂奉加帳」(春日部市指定文化財)が残されています。

小渕太子堂奉加帳と観音院の聖徳太子像は、7月20日から9月5日まで開催される「語り出したらキリがない桐のまち春日部」に出展予定ですのでお楽しみに。

西暦2021年の今年は、聖徳太子の亡くなったといわれる622年から1400年であり、4月には法隆寺で100年に1度の大法要が営まれました。このような特別な年に、偶然にも2回続けて「聖徳太子像」を企画展に出展する春日部市郷土資料館にぜひおこしください。

 

参考文献

武田佐和子 1993 『信仰の王権 聖徳太子 太子像をよみとく』 中央公論社

石井公成 2016『聖徳太子ー実像と伝説の間』春秋社