ほごログ(文化財保護課ブログ)

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千葉大学の博物館実習を受け入れました

昨年度に引き続き、千葉大学学芸員課程の博物館実習を受け入れ、14名の学生が郷土資料館に来館しました。

午前中は、ざざっと館の概要や館内をご案内したあと、小学生の体験授業で使用する稲わらを束ねてもらいました。実際に授業で小学生に体験してもらう「千歯こき」も皆さんに体験してもらいました。

 千歯こき体験

 

 

 

 

 

 

 

 

  

千歯こきの体験 

午後は、昨年度に引き続き、館蔵の資料整理にご協力いただきました。市内の商家からいただいた明治時代から平成初頭までの史料群の未整理の文書箱を開梱して、資料の概要調査の調書を作成してもらいました。千葉大学の皆さんには、ここ何年か連続してこの作業をしていただいており、昨年度の先輩が作成した調書を参考にしながら、今年も作業を進めました。

この資料は、解体される寸前の商家から、短時間で箱に詰めて資料館に収蔵したもので、どんな資料が入っているかを把握しきれていません。そのため毎年度、職員も含め、ワクワクしながら箱を開いています。

資料整理

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

資料整理の様子

 今年の作業では、明治時代初期の粕壁宿の絵図が見つかりました。この絵図は宿場の細部までしっかりと書かれており、今後、展示や研究などに大いに利用されていくものと思われます。

学生の皆さんに、歴史的な資料が発見される瞬間に立ち会っていただくことができました。

明治時代初期の粕壁宿絵図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明治時代初期の粕壁宿絵図 

1日という短い時間でしたが、みなさん熱心に見学され、また真剣に作業を進めていただきました。ありがとうございました。

【7/7まで新収蔵品展】上蛭田村の高札

7月7日(水)まで、かすかべの宝もの18新収蔵品展を開催しています。

「新収蔵品展」では、上蛭田(かみひるた)村に掲げられていた高札を展示しています。この高札は、享保6年(1721)に出されたもので、幕府の鷹場内で鉄砲をうつことや鳥をとることを禁じたものです。

上蛭田村高札 上蛭田村享保16年高札

(クリックすると大きな画像(271KB)がダウンロードされます)

高札は江戸時代から明治時代の初期、幕府からの法令などを示すために、人々が往来する場所や名主の屋敷内に掲げられました。墨で書かれた文字が薄くなった場合は、許可をとって墨入れをしますが、この高札も、最初に掲げられた年から122年を経た天保14年(1843)に墨入れしたと、裏面に記されています。

高札裏面の墨書

 

 

 

 

 高札裏面の墨書

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高札は、例えば粕壁宿では、高札場が日光道中と岩槻の方面への道が分岐する辻に建てられ、文化元年(1804)には下記のような高札が掲げられていたと記録されています。

①「親子兄弟夫婦を始」

②「切支丹宗門御制禁」

③「粕壁宿より駄賃并(ならびに)人足賃銭」

④「毒薬并(ならびに)似せ薬種」

⑤「駄賃并(ならびに)人足荷物之次第」

⑥「火を付るもの」

⑦「鷹番之義」

⑧「在々ニ而鉄砲打候もの」

⑨「何事によらすよろしからさる」

⑩「当未正月より来ル辰十二月迄拾ケ年駄賃壱割五分増」

⑪「当戌十月より来寅十月迄五ケ年之内賃銭三割増」 

参考:春日部市郷土資料館収蔵資料紹介:鷹番廃止の高札

『春日部市史近世史料編Ⅱ』P.801~

 

また江戸時代、江戸の外縁部は、幕府の鷹場(たかば)に設定されており、春日部市域周辺は、鷹場の中でも「捉飼場(とらえかいば)」として、将軍の鷹を訓練する場所として使われていました。

春日部市域に鷹場に関するとりきめを記した高札が多く残るのは、このためです。

 

鷹番廃止の高札については、過去の記事でもとりあげました。

 ほごログ過去の記事:鷹番廃止の高札『新編図録春日部の歴史』ーその75

 

上蛭田村高札の釈文、読み下しは以下の通りです。

(釈文) 

在々にて若鉄炮打候

もの有之候ハヽ申出へし幷

御留場之内にて鳥を

取申もの捕候歟見出し

候ハヽ早々申出へし

急度御褒美可被

下置者也

享保六年二月

 

裏面

天保十四卯年正月書入

武州埼玉郡

上蛭田村

 

(本文部分の読みくだし)

さだめ

ざいざいにて、もしてっぽううちそうろう

ものこれありそうらわば、もうしいずべし、ならびに

おとめばのうちにてとりを

とりもうすものとらえそうろうか、みいだし

そうらわば、そうそうもうしいずべし

きっとおほうび

くだしおかるべきものなり

 

 

#庄和総合支所 で #南桜井 の歴史を紹介しています

庄和総合支所の1階ロビーの隅っこに、市内の文化財や歴史を展示・紹介するスペースがあるのをご存知ですか。

郷土資料館では、長らく、江戸川に関する古写真などを展示していましたが、このたび、南桜井の歴史を紹介するパネルを掲示しました。

南桜井周辺の古地図や航空写真、人口の移り変わりなどを掲示したもの、南桜井の文化財を紹介したもの、地名の由来や地区に伝わる伝説を紹介したものを掲示しています。

先日「大衾の歴史」を紹介した通り、地区の歴史については、掘り下げれば掘り下げるほど、本当にキリがありません。南桜井という一地域の歴史・文化も話せば長くなりますが、何とか掲示板一面に何とかおさめることができました。総合支所周辺の地域の歴史を感じていただければ幸いです。

写真:掲示物の様子

なお、わずかですが、市内の遺跡から発掘した原物の資料を展示する「春日部市発掘調査速報展示」もありますので、あわせてご覧ください。

【7/7まで新収蔵品展】亀田鵬斎書の看板

7月7日(水)まで、かすかべの宝もの18新収蔵品展を開催しています。

「新収蔵品展」では、かすかべ大通りのカネコ薬局さんから頂いた亀田鵬斎(かめだぼ(ほ)うさい)書の看板を展示しています。「家伝 たんせきのくすり 鵬斎老人書」と書かれ、亀田鵬斎が金子家宿泊のお礼に書いたものと伝わります。

*亀田鵬斎書の看板については、郷土資料館サイトの収蔵資料紹介もご覧ください。また、亀田鵬斎書の荒川区南千住の素盞雄(すさのお)神社に建てられている碑文の拓本については、ほごログの過去記事「【3月27日】 #今日は何の日? in春日部」もご覧ください。

亀田鵬斎(宝暦2(1752)年~文政9(1826)年)は江戸時代の儒学(じゅがく)者であり、文人です。書にも長け、空中に飛び回るような豪快な書風は「フライング・ダンス」とも形容され、全国に書や碑を残しています。

宝暦2(1752)年に、江戸の神田で生まれた(一説には上五箇村(かみごかむら・群馬県千代田町))鵬斎は、明和2(1765)年、13歳のころから、儒者の井上金峨(きんが)に学び、安永3(1774)年、赤坂山王社(現千代田区)のそばに私塾を開きました。天明5(1785)年には、私塾を駿河台(現千代田区)に移し、「育英堂」と名付けました。鵬斎の私塾には多くの入門者が集まりました。しかしながら、寛政2(1790)年、幕府の老中、松平定信(まつだいらさだのぶ)により「寛政の改革」の一環として「寛政異学の禁」が出されると、儒学の中でも朱子学(しゅしがく)を正当とし、鵬斎が教えた折衷学派(せっちゅうがくは)は「異学」とされ、多くの門人を失うことになりました。その後は私塾を閉じ、50歳ごろより各地を旅しました。鵬斎は豪放な性格で、また大の酒好きでもあったことから多くの逸話を残しています。酒井抱一(さかいほういつ)、谷文晁(たにぶんちょう)、大田南畝(おおたなんぽ)らと交流がありました。文政9(1826)年、74歳でその生涯を閉じ、今戸(現台東区)の称福寺に葬られました。

鵬斎が春日部に滞在した正確な時期はわかっていません。大正12年の東京日日新聞によれば、「寛政異学の禁」のあと、千住あたりで散々遊んだ後に粕壁宿にたどりつき、しばらく宿泊しているうちに金子薬店の主人夫妻と仲良くなり、居候になったと伝えています。居候中は、子どもに書の手本を書いて教えたり、帳場の帳面をつけたりしながら、患っていた梅毒の治療をしてもらいました。このお礼に、今回展示している「家伝たんせきのくすり」という看板と六双の屏風を書きました。また、世話になった金子薬店の主人が亡くなった際には旅先から駆け付け、その位牌を書きました。

久喜には、遷善館(せんぜんかん)という代官早川八郎左衛門正紀(はやかわはちろうざえもんまさとし)が、享和3年(1803)に設立した郷学(ごうがく・武士のための藩校と一般庶民のための寺子屋の中間に位置する官民一体となった教育機関)がありましたが、鵬斎は早川に招かれて、講師をつとめました。地方での講演が最も多く行われたのが久喜の遷善館であったと弟子が書き残しています。鵬斎は、粕壁や久喜といった埼玉県東部地域の町々とも深く関わりがあったことがうかがえます。

なお、金子家の当主は、代々「七右衛門」と名乗り、元禄時代に初代七右衛門が薬屋を開業しました。大正時代には、粕壁に国立薬草園が開園しましたが、この誘致や創設に、12代七右衛門がたずさわりました。

 

(参考文献)

久喜市公文書館1999『第11回企画展 遷善館』

東京日日新聞 1923「鵬齋の居候ぶり(上)(下)」大正12年8月8日、9日

 

【7/7まで新収蔵品展】ミュージアムトークを開催しました

7月7日(水)まで、かすかべの宝もの18新収蔵品展を開催しています

5月22日(土)、第63回企画展示「新収蔵品展」の会場にてミュージアムトークを開催しました。

「新収蔵品展」は、近年、郷土資料館に寄贈や寄託いただいた資料をご紹介するもので、中世の板碑(西暦1367年のもの)から現代のプリントゴッコ(西暦1993年のもの)まで、26種類76点の資料を並べています。展示では「小流寺の文化財」、「春日部の中世」、「春日部の学校」、「村の行政」、「春日部のまち」、「1964東京オリンピック」、「プリントゴッコ」の7つのコーナーを作り資料を展示しています。

本日はあまり天気が良くなったこともあり、ご来館者は決して多くありませんでしたが、バラエティ豊かな資料を展示していることから、皆様のご興味も様々で、多くのご質問やご感想をいただきました。

ミュージアムトークの様子

展示資料につきましては、こちらのほごログでも、順次ご紹介してまいります。(ちなみにプリントゴッコについては、こちらでご紹介しました。)

 

ミュージアムトークは、この後、6月27日(日)、7月7日(水)の10時30分からと15時からそれぞれ30分程度を予定しております。事前の申込みは不要です。ぜひご来館ください