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校長室のひとりごと

校長室のひとりごと「ピグマリオン効果」

 よく先生方に「良いところを見つけて褒めてあげよう」と話しています。

 1963年、ある心理学者による実験です。実験は学生達にネズミを使った迷路実験を任せました。ネズミを二つのグループに分け、一方のグループは「訓練された賢いネズミ」だと学生に伝え、もう一方のグループは「訓練されていない『のろま』なネズミ」と伝え学生に渡しました。実際には双方のネズミとも個体差はありません。学生は無意識のうちに先生の期待に応えようと「賢いネズミ」と渡されたグループのネズミに声をかけたり、応援したりより丁寧に扱いました。実験は結果的に賢いとされたグループのネズミの方が優れた結果だったそうです。

 1968年、別の心理学者の行った実験です。小学校のあるクラスで知能テストを実施しました。後日このテストは「将来成績が伸びるかどうかがわかるテスト」だとクラスの担任に伝え、ランダムに選んだ一部の児童を「今後伸びる児童」だと担任に伝えました。数ヶ月後、「今後伸びる」と期待された児童は実際に成績が向上したそうです。「この子達は伸びしろがある」と担任が信じたことで、無意識のうちに子ども達への期待や接し方が変わり良い影響を与えたと考えられるという実験です。

 このように他者から期待されることで、成績や仕事の効率が向上する心理現象を「ピグマリオン効果」と呼んでいます。これとは逆に期待されないことで成績が下がったり、仕事の効率が下がったりすることもあり、これを「ゴーレム効果」と呼んでいます。

 

校長室のひとりごと「津波防災の日」

 今日は立冬、暦の上では冬の到来です。先日11月5日は「津波防災の日」。2011年3月11日東日本大震災が発生し、大地震による津波で多くの人が被害を受けたことは記憶にあるところです。この東日本大震災を機に「津波対策を推進に関する法律」が制定され、11月5日を「津波防災の日」にすることが記されました。1854年11月5日に発生した安政南海地震による津波が和歌山県を襲った際に、暗がりの中でもわかるように稲を焼いて避難場所を示したことで多くの人が助かったという逸話「稲むらの日」にちなんでいるそうです。先日5日には、各地で津波を想定した防災訓練が行われました。東日本大震災による津波で千葉県でも銚子や旭市は被害をうけましたが、銚子市では市として中学生も交えて高台に避難したり、避難所の設営などの訓練を行ったそうです。

 今年の7月30日、カムチャツカ半島付近でM8.7の地震が発生し、日本の各沿岸部では津波警報が発令されました。実は、ちょうどそのタイミングで私は九十九里の海岸におり、急に防災無線のサイレンが鳴り、海岸には消防車やパトカーが連なり始め、ただ事ではない状況に気づき、周囲の人々と共に急いで車に乗り込み、海岸を離れ高台方面へと車を走らせ帰路についたということがありました。幸い大きな被害に繋がる津波が到達することはありませんでしたが、危機を感じる経験でした。海に囲まれた島国、また地震大国と言われる「日本」、津波だけではなく、あらゆる災害への、知識や備えをすることが大切だと改めて感じました。

校長室のひとりごと「明晰夢(めいせきむ)」

 「夢」を見ていますか?ここで言う「夢」とは将来の夢や希望の「夢」ではなく、睡眠中に見る「夢」です。昔より「夢」は「神のお告げ」「不吉な予感」などと扱われてきた現象でこれまで様々な研究がなされています。近年は「夢を見やすい人・見づらい人」の特徴もわかってきており、夢を見やすい人の特徴として「ストレスを抱えている人」「睡眠の質が低い人」「感受性が豊かな人」「直感が鋭い人」などがあるそうです。ネガティブな夢を見るのは「疲労やストレス」のサインだとも言われています。私も夢を見ますが、朝起きると「夢」を見ていたはずなのに内容を覚えていない、なんてこともしばしばあります。また「夢」を覚えていても「どうせ夢ならもっと・・・」と欲張ることもしばしばです。「夢」について検索すると「明晰夢(めいせきむ)」という興味深い言葉がヒットしました。「明晰夢」とは、夢を見ている最中に「これは夢だ」と自覚し、内容をコントロールできる夢のことだそうです。そしてその「明晰夢」は訓練により能力が向上し、思った通りに夢の内容や夢の中での行動を操ることができるのだと言われています。「そんなことが可能なのか」と思ってしまいますが、「明晰夢」を見るための訓練方法に「日常生活で創造力を使う練習」「明晰夢を見たいと強く思い、夢でどうしたいかを具体化する」など簡単にできそうなので、私も訓練(?)を始めてみました。 今は、夢を操るまではいきませんが「これは夢だ」と夢の中で自覚することが少しずつできるようになってきました。

校長室のひとりごと「AI対AI?」

 昨日に続き、AI関連の話題です。今のところ本校では生徒のAI使用(悪用)が問題になってはいませんが、巷では夏休みの宿題にAIを使っている(悪用)という話や記事を見かけます。AIの使用、活用自体はこの時代ですから問題ありませんが、例えば小中学生の「読書感想文」「絵日記」「自由研究」「生活記録」など、あたかも自分の考えを綴ったかのようにAIを使用している例もあるようです。「ようです」なんて、のんきに他人事で構えている場合ではなさそうです。昨今大学のレポートや論文、課題をAIにつくらせ提出してくる学生が少なくないようです。そしてそのレポートや課題を採点する先生が四苦八苦しているという記事を読みました。以前は提出された文章を読み内容を採点するのが先生の仕事でしたが、最近はまず「AIかも?」と疑いの眼差しで本人の何十倍もの時間をかけて「AIっぽい」文章と向き合っているそうです。場合によっては、疑わしい膨大な文章をAIに読み込ませ、AIがAIによるものか判定するなど、AI対AIという訳のわからない状況にもなっているともいわれています。それでも限りなく黒に近いグレーの場合には、学生を呼び出し、口頭で内容を質問し受け答えで判断しているそうです。

 これまで読み書きが基本だった教育も、もはや過去の物となってしまったのかと思わされます。近い将来、教育、学問に何を求め、どんな能力を身につけさせたいのか、そしてそれをどう評価していくのか。なんだか訳がわからなくなってしまいます。

校長室のひとりごと「心のよりどころ?」

 皆さんは人工知能AIをどのくらい使っているのでしょう?実際に対話型AIを週1回以上使っている12~69歳1000人を対象にAIについて調査したところ「AIを信頼している」と回答した割合は86.0%、「AIと感情を共有できる」では10代と20代では7割を超え、40代以降でも5割だったそうです。更に踏み込んだ質問、「感情の共有相手として・・・」、では「親友が64.6%」「母親は62.7%」「父や配偶者が4割前後」という興味深い調査とその結果です。また、AIを使用している人の中には、AIに「ニックネーム」つけている人もいるようです。では実際にAIをどう使い、何を求めているのかといえば、全体の46.6%が「自分が知らないことを教えてほしい」と回答し、「心の支えになってほしい」が15.8%、10代に限っては23.8%が「心の支え」を求めているそうで、「自分の存在を認めてほしい」もほぼ同様の結果だったそうです。

 調査担当者は「AIは本音を話せる相手としてストレス対応にも役立っている」「ただAIが間違った回答をすることや、依存性があることも理解した上で上手に使ってほしい」と述べていました。私自身は、自分からAIを使う、頼ることはほとんどありませんが、スマホやPCで調べごとをしていると、知らずのうちに「AIの回答」なるものが表示され、知らず知らずのうちにAIに触れています。SF映画のようにAIロボットが家族のような存在になる日も、そう遠くはないかもしれませんね。