ほごログ(文化財課ブログ)

2025年1月の記事一覧

2/23リレー講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」開催

東部地区文化財担当者会40周年記念リレー講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」の開催が決定しました。

埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代の遺跡や資料について、東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」をまとめた東部地区文化財担当者会考古部会のメンバーが報告します。

昨年9月に台風で中止となった春日部市郷土資料館「都鳥が見た古代」で開催予定だったリレー講演会とほぼ同内容になります。

どうぞ、奮ってご参加ください。

 

●東部地区文化財担当者会40周年記念リレー講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」

日時:2月23日(日曜日・祝日)13:30から17:00

場所:八潮市立資料館(八潮市大字南後谷763番地50)

定員:70人(申込順)

費用:無料

講師:鬼塚知典(春日部市)、守谷健吾(杉戸町)、篠田泰輔(行田市)、杉山和徳(白岡市)、関絵美(八潮市)、油布憲昭(幸手市)

申し込み:電話(048-997-6666)、窓口、電子申請

 

なお、八潮市立資料館では、1月25日より3月9日まで、東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「八潮はじまりのムラ」が開催されます。この機会に、ぜひ八潮市立資料館にお出かけください。

●東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「八潮はじまりのムラ」

会期:1月25日(土曜日)から3月9日(日曜日)

開館時間:9:00から17:00

休館日:月曜日、2月12日、2月25日

入館料:無料

八潮市立資料館公式サイト

八潮市立資料館へのアクセス:東武スカイツリーライン草加駅東口から八潮駅北口行き、八潮団地行き、木曽根行きバスで「手代橋(てしろばし)」下車、徒歩5分

 

*リレー展示は、下記日程で開催予定です。

1月25日から3月9日 八潮市立資料館 資料展示

3月15日から4月8日 白岡市立歴史資料館 資料展示

4月12日から4月29日 吉川市中央公民館 パネル展示 

5月3日から5月25日 久喜市立郷土資料館 資料展示

6月3日から7月21日 幸手市郷土資料館 資料展示

7月29日から8月24日 蓮田市文化財展示館 資料展示

9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示

10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示

令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示

 

展示の元になっている東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」も好評発売中です。詳しくはこちら

 

郷土資料館【手作りおもちゃクラブ】を開催しました

令和7年1月19日(日) の午前と午後各1回ずつ、郷土資料館手作りおもちゃクラブ「BB弾転がしを作ろう!」を開催しました。

 

まずはおもちゃ作りの前に、郷土により親しんでもらうため、春日部に伝わる伝説の紙芝居の読み聞かせをしました。

紙芝居読み聞かせ風景

今日は西金野井に伝わる「生きている彫り物」という、花蔵院の四脚門に纏わる伝説のお話でした。

 

次はおもちゃ作りの時間です。
手作りおもちゃクラブでは初お披露目となる「BB弾転がし」を作りました。

おもちゃ作り風景

本来は自由な発想でコースを作ってほしいのですが、まずはみんなで一緒に同じものを作って、コース作りのコツを感じてもらいました。
コースにイラストを張り付けることで見た目もかわいくなりました♪もちろん自分で絵や文字を書いてもオッケー!

おもちゃ作り風景その2

簡単にしたい場合はイラストやシールで穴をふさいだり、もっと難しくしたい場合は穴を増やしたり、大きくしたりして自分好みの難易度にすることもアドバイスしました。

 

みんな集中して遊んでいます!

一球集中!

真剣になると息が止まりがち(笑)

 

最後は恒例の缶バッジ作りです。

お土産の缶バッジ

絵柄も今日のBB弾転がしをモチーフにした書き下ろしです!
落下して慌てるぐうすけがかわいい♪

 

これにて今年度の手作りおもちゃクラブは終了となります。
今年度もたくさんこどもたちの笑顔をみることができて、担当者としても嬉しい限りです!
時期は未定ですが次年度も開催を予定しています!
開催が決まりましたら広報かすかべや郷土資料館のブログなどでお知らせしますので、ぜひチェックしてください!

【手作りおもちゃクラブ】BB弾転がしを作ろう!

1月19日(日)に“手作りおもちゃクラブ”を開催します。

 

今回作るおもちゃは「BB弾転がし」です。

 

郷土資料館のおもちゃコーナーで、一部のこどもから熱狂的な支持を集めるおもちゃがあります。それがこの“ビー玉転がし”です!

ビー玉転がし

ときどき“作り方が知りたい”という声をいただくのですが、用意する箱の形や大きさによって仕切りの長さも、作れる仕掛けも異なるため、決まった作り方があるようでなく、なかなか作り方を教えにくいおもちゃでした。

 

そこで考え出されたのが今回の“BB弾転がし”です!

BB弾転がし

『箱の形や大きさが違うと教えにくいなら、同じ箱を作ってしまえばいいじゃない』という発想のもと、画用紙で同じサイズの箱を作ってしまうことにしました!
画一的にはなってしまいますが、まずは基本的なものを1つ作ってもらうことで、おもちゃの仕組みを理解してもらえればと思います。そしてゆくゆくは自分オリジナルのBB弾転がしを作ってもらえればと♪

 

ビー玉転がしと比べてサイズは小さめですが、想像以上に難しく、やりごたえは抜群です!
遊び方はコチラ!

穴の位置や数をどれだけ作るかによって、いくらでも難易度が調整できますよ!
ハマりすぎ注意です(笑)

 

手作りおもちゃクラブは申込不要、おもちゃの材料も資料館で用意しています。
当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!

 

【手作りおもちゃクラブ】
日時:令和7年1月19日(日)午前10時30分~・午後2時~
場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)
内容:蓄音機と紙芝居の上演
   おもちゃづくり(BB弾転がし)
費用:無料
申込:不要(開催時間までに郷土資料館にお越しください)

謹賀新年「巳」ゆかりの地名と資料

あけましておめでとうございます。

正月一発目は、恒例の干支ゆかりの資料の紹介。今年の干支「巳」に関する資料を紹介します。「巳」がつく地名が市内にあること知っていますか?

市内には「巳」のつく地名が二つあり、一つは、武里中野の「巳ノ発」、もう一つは大畑の「東巳ノ起」「西巳ノ起」です。

現代の地図では「巳ノ発」は、現在の春日部南中学校(旧中野中学校)の周辺、「東巳ノ起」「西巳ノ起」は武里団地6街区の南東の安之堀川と新方川が合流する付近になります。

画像:現在の位置

漢字は異なりますが、読み方は共通していて、「巳ノ発」は「みのおき」、「東巳ノ起」は「ひがしみのおき」、「西巳ノ起」は「にしみのおき」と読ませるようです(『武蔵国郡村誌』)。「発」「起」は開墾する意。つまり、それぞれの耕地は、巳年に開墾・開発されたという意味となります。

では、巳年とはいつのことなのでしょうか。いずれも江戸時代に中野村、大畑村と呼ばれた時代に付けられた地名であることは間違いありませんが、中野村、大畑村には古いことを知りうる資料がほとんど残されていませんので、巳年がいつのことなのかは、残念ながらわかりません。

ただ、大畑村には、幕府の勘定頭伊奈忠治が発給した、寛永時代(1624-1644)の年貢割付状が伝来しています。このうち、寛永6年(1629)の割付状をみると、大畑村では、下田8町1反1畝12歩が年貢の対象となっており、このうち2町5反9畝9歩は「巳発」、その他1町余は「当発」、1町余は「付荒」とされています。寛永6年は巳年ですが、この年に開発したのは「当発」の1町余であり、「巳発」の巳年とは寛永6年以前の巳年を指すものと考えられます。以降、寛永13年(1636)・同20年(1643)の年貢割付状にも、下田の内に「巳ノ発」が見えますので、寛永6年以前の巳年に開発された土地が「巳ノ発」という耕地として定着していたのではないかと考えられます。

そして、寛永時代の時点で「巳ノ発」が下田であったこともポイントです。下田とは、田んぼの等級で、江戸時代生産高に応じて土地の等級づけがされていました。寛永時代の大畑村では、田んぼは上田(じょうでん)、中田(ちゅうでん)、下田(げでん)、畑は上畑(じょうばた)、中畑(ちゅうばた)、下畑(げばた)、そして屋敷地に分けられています。下田は、田んぼのなかで最も低い生産高でした。前にみた寛永6年には下田の一部が「付荒」(荒廃地)となっていることからも、水田として利用するのは難しい土地であったのかもしれません。

武里中野の「巳ノ発」、大畑の「東巳ノ起」「西巳ノ起」が、割付状にみた「巳ノ発」と同じ土地であったかは、資料がなく証明はできません。しかし、明治初期に作図されたフランス式の迅速測図をみると、いずれの土地も低湿地特有の「水田」であり、江戸時代の中野村、大畑村のはずれに位置しています。「巳」のつく地名として残るこれらの土地も、かつてはいずれも人里から離れ、農作地としては不毛な土地だったのかもしれません。

 さて、前置きが長くなりましたが、武里中野の「巳ノ発」、大畑の「東巳ノ起」「西巳ノ起」にゆかりの資料を紹介しましょう。いずれも、明治末から大正初めにかけて実施された新方領耕地整理組合が作図した図です。

まずは、武里中野の「巳ノ発」です。

画像:武里中野の巳ノ発

耕地整理後に作図されたものなので、水路と田の畔が整然と区画されています。

右手の「丑ノ発」と書かれているあたりが、現在の南中学校の敷地です。「丑ノ発」ですから、丑年に開発されたのでしょう(詳細不明)。

左手中央に縦断する少し太い水路が「安之堀川」です。図からははずれますが、左手のほうにウイングハットが所在しています。

ついでに、地名の話。中野村(武里中野)には次のような小名が伝わっています。

 根(ね)耕地、北耕地、南耕地、丑之発(うしのおき)耕地、新田耕地、五丁歩耕地、谷中耕地、谷原(やはら)耕地、長島耕地

 

続いて、大畑の「東巳ノ起」「西巳ノ起」です。

画像:大畑の巳起

方角は、写真右手が北になります。

右下の凡例はこのようになっています。

画像:凡例

耕地整理組合の署名・捺印もあります。

画像:耕地整理組合

図の中央に横断する赤い線が道路で、この道路を境界に、東と西に分かれています。南側に流れる水路(上図だと左手)が新方川、中央にみえる少し太い水路が安之堀川です。

こちらも整然と水路、耕地が区画されています。安之堀川に掛かる橋は、現在大畑橋と呼ばれています。

画像:大畑橋付近

少し大きい区画は、屋敷地です。武里中野の「巳ノ発」とは異なり、耕地内に民家も点在しているのが大畑の「東巳ノ起」「西巳ノ起」の特徴といえましょうか。

ちなみに、大畑の地名(小名)は次のようなものがあります。

 横割(よこわり)耕地、杉の口耕地、前耕地、砂間(すなま)耕地、東下田(ひがししもだ)耕地、西下田(にししもだ)耕地、西巳の起耕地、東巳の起耕地

蛇足ですが、現在大畑は、「おおはた」と発音していますが、最近、古文書勉強会で読んでいる江戸時代の古文書には「大畑ケ村」と書かれており、かつては「おおはたけ」と呼んでいたこともあったかもしれません。

蛇足の多い取り留めのない文章になってしまいましたが、巳年ですからご勘弁を。

皆さまにとりまして、繁栄の一年になりますようご祈念申し上げます。そして、本年も郷土資料館と「ほごログ」をよろしくお願いいたします。

令和7年巳年 元旦