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【おうちで夏祭り】市民夏祭りの歴史
春日部の夏の風物詩・市民夏祭りの季節となりましたが、今年はコロナ禍の影響により中止となってしまいました。今回は、 #おうちで夏祭り と題して、春日部の市民夏祭りの歴史について紹介しようと思います。
第一回の市民夏祭りは、昭和48年(1973)7月14日・15日に開催されました。当時の市の広報誌には次のように紹介されています。
市制20周年記念“夏祭り”は7月14日、15日に市街地通りで盛大に行なわれました。初の「歩行者天国」を実施し、町並み通りは夏祭り一色になり、チビッ子御輿(みこし)がねり歩く姿が見られました。夜になると、婦人会や一般市民の春日部音頭の踊りがひときわ祭りを盛り上げたり、各町内の大型御輿12台が勢揃いし、町並通りコースをかけ声も威勢よく、沿道を埋めた7万人の観客をかき分けながらねり歩き、夏祭りは最高潮に達して、夏の日夜を市民こぞって楽しく過ごしました。(原文ママ 昭和48年8月広報誌№199より)
市民夏祭りは、市観光協会、地区長会、商工会が主催者となり、春日部市制20周年を記念して始まったイベントでした。現在は、参加する町会が増え、最大25基もの御輿(神輿)が「御輿パレード」と称して、春日部駅東口界隈をねり歩き、子どもから、若者、お年寄りまで、老若男女が集まり、大変なにぎわいをみせています。
昭和48年~現在に至るまでの市民夏祭りにはさらなる起源があります。
その起源とは、春日部が「粕壁宿」と呼ばれていた時代、江戸時代まで遡ることができます。
粕壁宿の宿入口には市神とよばれる牛頭天王社(現在の八坂神社)が所在します。牛頭天王社では、毎年夏と秋に祭礼が行われていました。
文政8年(1825)6月には、9日に御輿の仮宮を造り、12日~14日は「夜宮」と称して、毎夜家並に懸け行灯をして、町内ごとに神酒所をつくり、子どもたちが集まり太鼓を敲き、15日の御輿渡御には、若者たちが町内毎に蛇や宝船などの造作物や舞台をあつらえ子供や、太神楽舞の芸人が躍りました。中宿では、関宿町の天王祭礼に呼ばれた浄瑠璃語りの駒太夫を招き、浄瑠璃を演じさせたといいます(『春日部市史 近世史料編Ⅲノ1』p355-357。文政13年(1830)にも、粕壁宿の人たちが町内ごとに揃いの単物を着て、囃子台を組み、笛・太鼓を奏でながら宿内を牽き歩いています(『春日部市史 近世史料編Ⅱ』p770).
このように、粕壁宿では、工夫を凝らして、神事祭礼に彩りを添えましたが、当時の幕府から祭礼が華美であるとして罰金刑を処されました。問題とみなされたがために、祭礼の様子が記録に遺されることになったのです。
明治時代、牛頭天王社は八坂神社と改称されます。その後の祭礼については記録が見出されていませんが、大正時代と推定される写真絵葉書には、粕壁の町内を各町の山車や御輿がねり歩く様子が伝えられています。江戸時代の雰囲気を伝える貴重な写真です。山車を牽く人たちが新町橋を渡っています。
八坂神社の祭礼は、戦後一時中断されましたが、その後再開されることになります。市の広報誌の旧蔵写真には昭和37年(1962)の八坂神社祭礼の様子が記録されています。
写真を見る限り、後の市民夏祭りほどにぎわっている感はないようです。意外ですが、「八坂神社の祭礼では、出店などが多く出ていたわけではなく、どちらかといえば町内の祭礼行事のようだった。出店などで賑わったのは、神明神社の酉の市だった」と、地元の方に教えていただいたことがあります。
そうして、八坂神社の祭礼は、市制20周年記念として市民夏祭りとして改組されるにいたるのです。日光道中粕壁宿の町並みにあたる春日部大通りで行われるのも、毎年7月に行われるもの、実は、粕壁宿(町)の牛頭天王(八坂神社)の神事祭礼に求められるわけです。
伝統と創造を兼ね備えた市民夏祭り、来年は無事に開催されることを祈るばかりです。今年は、御輿パレードはみれませんが、粕壁宿の市神八坂神社にはいつでもご覧いただけますので、是非のぞいてみてはいかがでしょうか。八坂神社境内には、牛頭天王社の神主で、寺子屋の師匠でもあった柳内匠の筆小塚があります。ちなみに、牛頭天王は疫病の神様だったりもします。