ほごログ(文化財課ブログ)

2022年6月の記事一覧

「縄文体験出張授業」3日目・・・桜川小学校での様子

 6月29日(水)縄文体験出張授業の3日目、桜川小学校の6年生3クラスで行いました。社会科の授業では既に弥生時代、クラスによっては古墳時代に入ったため、縄文時代は復習の場となりました。

導入の座学では「縄文時代とはどんな時代?」と問うと、狩りや植物の採取という生業活動が皆さんには印象が残っていたようでした。史跡神明貝塚の紹介動画や学校近くの遺跡を画像で説明を進めると、郷土資料館の入口にどーんと展示されている縄文の復元家屋の記憶がよみがえり、口々に「たてあな住居」が縄文人のイエであることを発表してくれた生徒さんもおり、3年生時の資料館見学を鮮明に覚えてくれていました。うれしい一言でした。

 また、現在、学習を進めている古墳時代については、学校周辺の遺跡からもムラが発掘されていること、古墳時代に使われた土器を授業で間近にみて、触れることを紹介すると、興味津々、目を輝かせてくれました。

導入座学

土器観察

石器観察

 

 

 

 

 

 

 

貝殻や獣骨、土器や石器の実物を6年生の皆さんは臆することなく積極的に触れて、間近に観察していただきました。特に遠方からもたらされた資源の代表である黒曜石については、どのような方法で200km以上も離れた春日部の地にたどり着いたのか、様々な考えをディスカッションしてくれました。このような機会をとおして市内の縄文時代の暮らしの理解が進むよう、各校での出張授業を進めていきます。

【7/3まで宝珠花の歴史と大凧あげ】僧・浄信の過去帳

7月3日(日)まで「宝珠花の歴史と大凧あげ」春季企画展示を開催中です。

 大凧あげの最古の記録として、天保12年(1841)に旅の僧、浄信(じょうしん)が「紙だこ」をあげて占うことを伝えたと記す小流寺の過去帳があります。

小流寺過去帳小流寺過去帳(クリックすると画像データがダウンロードできます:205KB)

(読み下し文)

釋浄信禅門 天保十二年丑九月十一日

右ノ僧生國出羽國山本郡水沢邑西光寺弟子

廿四輩順拝ニ罷出候処当寺ニ一宿致シ病気重く也

十日斗リ相煩ひ終ニ病死致シ右当人ノ往来一札を以て

村役人同所世話人立會之上取仕末致シ申候念為記ス

占ヒニ紙だこを伝ふ(蚕豊作)

 

この小流寺の過去帳は、宝暦12年(1762)から嘉永4年(1851)にかけてのもので、天保12年(1841)9月11日に、旅の僧、浄信の記載があります。

記載によれば、浄信は、出羽国山本郡水沢村(現・秋田県山本郡八峰町(旧峰浜村)水沢)の生まれで、秋田県能代市にある西光寺の弟子でした。廿四輩(にじゅうよんはい)旧跡をめぐるため、関東地方にやってきて、当時は上吉妻にあった小流寺に泊まりました。浄信は、この時点ですでに重い病気にかかっていて、10日ほどして小流寺で亡くなりました。寺では、上吉妻村の役人と世話人が立ち会って、遺体を処理したとあります。

そして、最終行に「占ヒニ紙だこを伝ふ(蚕豊作)」と記されています。

 

 まず、「廿四輩」とは、浄土真宗の開祖、親鸞(しんらん)の高弟24人を開基とする寺院で構成されたもので、江戸時代に成立しました。これらの寺院は、岩手県から長野県の広い地域に分布していますが、とりわけ親鸞とゆかりが深い常陸国(ひたちのくに)であった茨城県にその多くが所在します。春日部市の周辺では、茨城県境町の妙安寺、同じく坂東市の妙安寺、西念寺、千葉県野田市の長命寺、埼玉県吉川市の清浄寺が含まれています。『埼玉県の大凧あげ習俗ー庄和町西宝珠花の大凧あげ』では、浄信は、江戸と茨城方面の移動の際に、宝珠花河岸を利用したのではないかと推定しています。

 

次に、最終行の「占ヒニ紙だこを伝ふ(蚕豊作)」についてです。まず「(蚕豊作)」の部分は、( )の存在や字体からあとから書かれたものとみられています。また「だこを」、「ふ」の部分も「タコヲ」、「フ」の字の上から上書きしています。したがって、元の文は「占ヒニ紙タコヲ伝フ」であり、「浄信は占いのために紙たこを伝えた」となります。宝珠花の凧には、凧が「舞い上がる」が「まゆ(の値段)が上がる」につながり、養蚕のできを占ったとの言い伝えがあります。「(蚕豊作)」の部分は、後世の人が地元の言い伝えとして書き加えたのかもしれません。(『庄和町史編さん資料(十二)民俗Ⅱ-まつりと儀礼』)

 

浄信の過去帳は宝珠花の凧の最古の記録として重要なものですが、記載をそのまま読めば、宝珠花についた浄信は、すでに重い病気にかかっていて、宝珠花で亡くなるまでの期間も10日ばかりとのこと、このような浄信がどのように凧を伝えたのかは謎です。

しかしながら、浄信のふるさと、秋田県能代市(のしろし)も凧あげが盛んなまちで、毎年行われる能代凧揚げ大会では、「ベラボー凧」(リンク先記事に写真あり)に代表される能代凧が盛んにあげられています。

 

その後、明治時代初期の宝珠花では、新暦6月5日と6日(旧暦の端午の節句にあたる)に各家で凧があげられて、このころから、凧あげに男子出産の祝いや健やかな成長の意味がこめられるようになりました。明治時代半ばからは、西宝珠花の上町と下町で一面ずつ共同で作るようになり、明治時代の終わりごろには、現在と同じくらいくらいの大凧を上げるようになったようです。

6月5日、6日であった大凧あげまつりの開催日は、昭和29年(1954)から5月5日と6日、昭和40年(1965)から、5月3日と5日になりました。

明治41年大凧(上若) 

明治41年(1908)の大凧(「上若」)

 

参考文献 

庄和町教育委員会『埼玉県の大凧あげ習俗ー庄和町西宝珠花の大凧あげ』平成5年(1993)

庄和町教育委員会『庄和町史編さん資料(十二)民俗Ⅱ-まつりと儀礼』平成17年(2005)

小渕小学校6年生”縄文体験”授業を行いました!!

 6月28日(火)は小渕小学校6年生の社会科出張授業で”縄文体験”を開催しました。社会科の授業では既に古墳時代に入ったため、縄文時代は復習の場となりました。

 導入の座学では「縄文時代とはどんな時代だったのか?」と問うと、狩りや植物の採集という生業活動が皆さんには印象に残っていたようでした。教室に持ち込んだ市内の貝塚遺跡から発掘された様々な種類の貝殻と併せて春日部にも長い時代、海原が広がっていたため、漁撈活動も活発であったことを画像や実物からは驚きの声が上がりました。

導入

画像視聴

▲暑い中、どのクラスも集中して、市内初の史跡になった神明貝塚の動画と小渕小付近の遺跡の様子を見入ってくれました。

 また、学校周辺には古墳時代から平安時代にかけて営まれたムラが発掘され、今まさに授業で学習している暮らしの痕跡が皆さんの足元に眠っていることを伝えると、興味津々の反応が印象的でした。

 貝殻や獣骨、土器や石器の実物を6年生の皆さんが臆することなく触れて、間近に観察していただきました。このような機会をとおして市内の縄文時代の暮らしの理解が進むよう、各校での出張授業を進めていきます。

緑小学校6年生”縄文体験”を行いました!!

 本日6月27日(月)は緑小学校の6年生の社会科出張授業で縄文体験を開催しました。今回、初めてパソコンルームでの授業となりましたが、クラス全体で画像をみるよりも個別のパソコンをとおして高い集中力で市内の縄文遺跡や貝塚の様子を学習していただきました。

 社会科の授業では既に古墳時代に入ったため、縄文時代は復習となりましたが、改めて史跡となっている神明貝塚の特徴や地球の温暖化現象によって縄文時代、さらには12万年前の二度、市域に海原が広がっている様子を大型のカキ化石とともに示すと驚きの声が上がりました。

 神明貝塚動画パソコンでの学習

▲授業導入ではパソコンと神明貝塚の紹介動画をとおして市内の縄文時代を学習しました

貝種比較

獣骨

▲海に生息する貝と汽水域の貝の比較、イノシシの顎骨にも興味津々、大人気でした

 石器観察土器観察

 

 

 

 

 

▲石器では関東外縁からの交易によってもたらされた黒曜石についてディスカッションができました。土器では縄文土器はもちろん、埴輪やこれから学習する奈良・平安時代の須恵器や土師器の違いを観察しました。

 貝殻や獣骨、土器や石器の実物を6年生の皆さんが臆することなく触れて、間近に観察していただきました。このような機会をとおして市内の縄文時代の暮らしの実態が理解が進むよう、各校での出張授業を進めていきます。

宮内庁の方が郷土資料館所蔵資料を調査

宮内庁宮内公文書館と春日部市郷土資料館の共催展示「明治天皇と春日部」展の準備のため、宮内庁宮内公文書館の職員が資料調査に来館しました。 #かすかべプラスワン

写真:資料撮影の模様

写真:内牧村村長肖像の撮影調査

といっても、騒ぎ立てるほどのものではなく、至極普通のこと。以前より、展示の準備のため宮内庁の方は何度も何度も足を運ばれています。

ここで、皆さんに知っていただきたいことは2つあります。

まず、地元春日部でしか見られない資料があるということ。宮内庁宮内公文書館は約9万点の資料を所蔵しているそうですが、膨大な資料をくくっても分からないことがあるのです。今回は、展示の準備が差し迫ってきていますので、東京にいては分からないこと、知りえないことを確認されるために、わざわざお越しいただいたのです。春日部市郷土資料館には、世界に一つしかないオンリーワンの資料が沢山あるんですよ。

もう1つは、だからといって春日部が「偉い」とか「凄い」とかではなく、資料は平等ということ。今準備している展示では、宮内庁からお借りしてくる資料が多く並びますが、宮内庁所蔵だから「偉い」とか「凄い」というものでもありません。資料は、春日部のものであっても、宮内庁のものであっても、歴史を伝えるという意味においては、まったく同じです。今回の共催展では、宮内庁の資料と春日部の資料が所狭しと(実際に狭いのですが!)陳列される予定です。展示では、春日部の資料、宮内庁の資料、という風に見ないで、それぞれが歴史的な意義をもつ資料であることをぜひ見ていただきたいと思います。

資料もそうですが、展示を準備する担当者としても、宮内庁と春日部市という立場や、普段の業務や取り扱う資料の性質が違いますが、宮内庁の皆さんのご厚意もあり、お互いにリスペクトしながら、対等な立場で調査を重ねてきました(と私は思ってますが合ってますか?)。宮内庁の皆さんには、本当に感謝しています。

展示の千秋楽のあいさつのような文章になってしまいましたが、まだまだこれからです。目下、展示準備中。ご期待ください。

まちづくりへの支援

近年、郷土春日部の歴史・文化遺産は、生涯学習や学校教育、学術研究に利用されるだけでなく、まちづくりや観光に役立てられるようになってきています。郷土資料館は、郷土の歴史・文化に関わる資料を展示・解説する拠点的な施設として、いろいろな方々に活用されるようになってきました。

去る6月19日(日)、建築や都市計画を学ばれている日本工業大学の学生の皆さんが、郷土資料館を見学され、当館の学芸員が春日部の歴史的な特徴について解説いたしました。特に、本市の特徴である利根川水系の河川が多く流れる自然・地形の特徴と遺跡の立地、生活拠点の推移との関連について、また現代の春日部市中心市街地発展の礎といえる江戸時代の粕壁宿について、模型や図、写真などを用いてわかりやすく解説いたしました。

江戸時代の粕壁宿推定模型

学芸員による粕壁宿の解説

一方で、地域コミュニティーの解散に伴う現地の地域資源の消失と記録及び一部資料の保存の事例についても紹介し、現代のまちづくりの難しさについても説明いたしました。

地区の稲荷社の解説

学生の皆さんには大変熱心に見学していただきました。そして、当館の見学後は旧粕壁宿を散策され、実地での学習をされました。まちづくりの研究と実践に役立てていただければと考えております。

今後も、郷土春日部の歴史・文化を伝えていく拠点として、皆さまの多様な関心に応えていけるよう、郷土資料館は努めてまいります。

 

 

市民の皆さんと古文書勉強会を開催しました

令和4年6月19日(日)、古文書勉強会を開催しました。前回に引き続き、粕壁宿にゆかりの「宝暦度より酒造用留」を講読しています。

皆さん、担当箇所の古文書の解読原稿を読み上げ、字の誤りや読み間違えがないか、意見を交わしながら、読み進めています。今回は2時間で4ページを読みました。

写真:古文書勉強会の様子

内容も分量も重厚でなかなか読み進めませんが、皆さん楽しんでご参加いただいているようでした。

館の事業の都合により、7月・8月はお休みです。

次回は、9月11日(日)14時~、次々回は9月24日(土)14時~に開催予定です。

【7/3までー宝珠花の歴史と大凧あげ】展示解説講座を開催しました

6月19日(日)、「宝珠花の歴史と大凧あげ」の展示解説講座を開催しました。

ご参加くださった皆さま、大変ありがとうございました。

展示解説講座

講座では、宝珠花の歴史、大凧の歴史、大凧の作り方、大凧会館と各地の凧の順でお話をさせていただきました。ややつめ込みすぎて、「各地の凧」をご紹介することが早口になってしまいましたので、こちらで紹介させていただきます。

東日本大震災で被災し、閉館した大凧会館では、開館当初から各地の凧を収集し、そのコレクションは実に800点以上に及びました。日本各地はもちろん、海外の凧もあります。

残念ながら東日本大震災による大凧会館の被災で、失われたものもありますが、多くは現在も大凧会館の所管課であった観光振興課により保存されています。

今回の展示では、関東近県の凧を中心に、春日部に大凧を伝えた僧、浄信の地元である秋田県能代市の凧や北海道、沖縄県の凧、計13点を展示しています。写真はいずれも展示中のものを撮影しています。

能代凧

能代(のしろ)凧(秋田県能代市)

 春日部の地に凧を伝えたといわれる江戸時代の僧、浄信のふるさと能代の凧。右側のものは「ベラボー凧」と呼ばれ、「男ベラボー」と「女ベラボー」がある。舌を出した異様な絵が魔よけの意味をもつ。現在の能代凧の形が確立したのは明治期。

 上総唐人凧

上総唐人凧(千葉県南部)

「唐人凧(とうじんたこ)」は江戸時代後期に日本に伝わる。3m前後の大きさが一般的。独特のうなり音をあげる。

伊勢原あぶ凧

伊勢原あぶ凧(神奈川県伊勢原市)

明治30年代に伊勢原市内の住職により、病気が軽く上がるようにとの願いを込めて始められた。連凧。現在は作られていない。

六郷トンビ凧

六郷とんび凧(東京都大田区)

江戸時代から作り始められる。多摩川でとった魚を河原に並べて干す時に、カラス除けとして使われた。

扇凧

扇凧(富士見市、川越市)

幕末から明治初期に作り始められ、昭和27~28年に途絶えるものの昭和51年に復活。扇は末広がりなので縁起物とされた。

龍ヶ崎トンビ凧

龍ヶ崎とんび凧(茨城県龍ヶ崎市)

明治末期に生み出された。独特の形状や鮮やかな絵柄が特徴。昭和62年に最後の後継者が途絶えたものの平成26年に復活。

まゆ凧

下野のまゆ凧(栃木県宇都宮市)

蚕が繭から出たあとのような形をしていることから名付けられた。

絵馬凧

絵馬凧(千葉県茂原市)

江戸時代から作られる。絵画性が高い凧。

相模の大凧

相模の大凧(神奈川県相模原市・座間市)

天保年間から継承される。実際の大きさは14.5m四方。毎年5月4日、5日に大凧あげ祭りが行われる。座間市でも座間の大凧があげられる。

白根の角凧

白根角凧(新潟県新潟市)

毎年6月上旬、7m×5m(24畳大)の凧で、川の両岸に分かれ凧合戦をする。江戸時代の中頃から始まったといわれる。殿様から拝領した凧をあげたところ対岸の家屋に落下し、これに対し対岸側も凧をあげ家屋の上に落としたことが始まりと伝えられている。

蝦夷凧

蝦夷凧(北海道函館市)

北海道の形を簡略化した変形六角形になっている。展示のものは、アイヌの文様が採用されている。

カーブヤ―

カーブヤ―(沖縄県那覇市)

「カーブヤ―」はコウモリを表す沖縄の方言。曲線の骨を使う。展示しているものはハイビスカスが描かれているが、絵柄は自由。現在も盛んに作られる。

【夏季展示】情報解禁!【宮内庁コラボ展示】

春日部市郷土資料館の今年の夏季展示の情報発表が解禁されました。今年は宮内庁宮内公文書館との共催企画展「明治天皇と春日部~巡幸・御猟場・梅田ごぼう~」を開催します。 #かすかべプラスワン

今年の企画展はコラボレーション。コラボ先は、なんと宮内庁です。宮内庁宮内公文書館さんでは、毎年、首都圏の博物館や文書館を会場として、企画展示を開催していますが、埼玉県の施設で初コラボとなったのが、春日部市郷土資料館です。ですから、このコラボ展は県内初の試みになります。

内容は、明治天皇の巡幸、江戸川筋御猟場、梅田ごぼうを主要テーマとし、宮内庁宮内公文書館所蔵の資料をはじめ、春日部の郷土資料を陳列し、近代の皇室と春日部の歴史を展示紹介します。今回の調査で発見した資料も少なくなく、春日部の近代の歴史にとって、重要な資料が並びます。

 画像:チラシ表面

関連事業も盛りだくさんです。特におすすめなのは、県東部の近隣市町を会場とした連携展示です。近代の皇室と地域の歴史は春日部だけじゃない。近隣市町での展示やゆかりのある地もめぐりながら、春日部の特徴や他の町の地域の歴史も一緒に楽しんでいただこうとするものです。今年の夏は熱くなります。

 

展示は目下準備中です。ご期待ください。見どころや関連事業等、追々PRしていきます。

 

1 展示会名 明治天皇と春日部~巡幸・御猟場・梅田ごぼう~

2 主  催 宮内庁・春日部市・春日部市教育委員会

3 会  期 令和4年7月20日(水)~9月4日(日)(休館日:月曜日、祝日)

4 開館時間 午前9時~午後4時45分

5 入  館 料 無料

6 会  場 春日部市郷土資料館(住所:〒344-0062 春日部市粕壁東 3-2-15(春日部市教育センター内))

武里南小学校3年生「総合的な学習の時間」に縄文体験を行いました!!

 6月16日(木)は武里南小学校の3年生を対象に縄文体験の出張授業を行いました。第3学年の総合的な学習の時間では川辺小学校に続き2校目のお邪魔となりました。

 武里地区にはいまだ埋蔵文化財(遺跡)の確認はなく、授業導入では「なぜ、学区には遺跡がないのか」「内牧や豊春、幸松、粕壁、そして庄和地域に広がる遺跡の時代の武里地区の景色はどのようだったのか」を資料をみながら考えてみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▲パワーポイントで市内、そして武里地区が縄文海進によって海原が

広がっていた様子を示すと、遺跡がない理由が解けました。

▲現在では想像できない埼玉県内、そして春日部市内に海が押し寄せた縄文時代には資源豊富な海産物が、

そして、縄文時代の専らな道具である石器や土器に触れて、さまざまな印象を描いてくれました。

 体験授業の後はみなさんからの感想と質問がやまほど・・・。「貝の種類がいろいろあったけど、なぜなのか?」、「黒曜石はなぜ、ガラスのような石なのか」、「埼玉県では黒曜石がなぜ、とれないのか」などなど、”観て””触れて””考えて”を実践していただきました。

 6月末からは、6年生の社会科歴史の授業にお邪魔してきますので、改めてご紹介いたします

南桜井小学校”伝統芸能クラブ”の様子

 本日、6月15日(水)には南桜井小学校の伝統芸能クラブの活動にお邪魔しました。

 本校では平成23年以降、地域の伝統芸能であり、埼玉県指定無形民俗文化財「西金野井の獅子舞」を伝承されている西金野井獅子舞保存会の皆さまの指導により、クラブ活動を通して伝統の舞いの継承を続けております。

 新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、例年7月20日に近い日曜日に開催されてきた獅子舞の公開も2年見合わせしてきましたが、本年は感染防止に努めつつ、限られた時間ながら獅子舞を公開することとなりました。本年にクラブ活動に参加された4~6年生の児童20名は、代わる代わる中獅子・女獅子・太夫獅子と竹製のささらを奏でる巫女役をつとめ、5回目の練習ながら演目をとおして舞うことができていました。

 ▲保存会の山口会長さんら3名から熟練の技が指導されています。今年一年のクラブ活動をとおして立派な獅子役が誕生することを期待しています。

西金野井香取神社の祭礼は7月17日(日)午前9時から行われ、大人による勇壮な舞いとともに、子供らの獅子舞も公開されます。7月からは神社で練習を重ね、祭礼当日には立派な舞いが披露されます。ご期待ください!!

【 #常設展 】藤の花と水害関係史料展示替

常設展示を一部展示替しました。日々変わりゆく春日部のまちとともに、郷土資料館もまた日々変わっているのです。 #かすかべプラスワン

今回は2か所更新しました。

一つ目は、藤の花です。ところで、藤の花言葉を知っていますか? 答えはこの記事の末尾で。

入館された方を華やかな藤の花が出迎えてくれます。この藤棚は、ミニ展示「牛島のフジ」展で製作したものです。

藤の季節までしまったままにするのも惜しいので、展示しました。

写真:藤棚のモニュメント

これで一年中、市の花「フジ」を楽しめます。ただ、狭き展示室ですので、早速弊害が。入り口付近のパネルが藤の花の影で見づらくなってしまいました。

 写真:藤の花影

藤の花のシルエット・影を楽しむのも乙、と思いますが、いかがでしょうか。

 

もう一つは、展示室奥の「水とのたたかい」のコーナー。

長らく展示していた樋籠村の絵図を撤収し、明治42年7月に南桜井村から請願された江戸川の改修工事願を展示しました。内容は、南桜井村の人たちが、郷社香取神社(西金野井香取神社)の境内が江戸川に浸食されること、また粕壁と金野井を結ぶ「壱等公益道路」の起点にあたる河岸場が危険であることを理由に、県費で江戸川の改修を請願したものです。郷社香取神社の由来なども記されており、文書の内容も興味深いのですが、さらに興味深いのは添付の図面です。

 画像:岩井家文書157-2

当時の西金野井香取神社付近の様子が描かれています。西金野井香取神社は、昭和27年(1952)の江戸川改修工事により、現在地に移転しています。かつては参道がもっと長く、現在地よりも北方約100mに神社の本殿が鎮座していました。これ以前は、現在の堤防や河川敷の付近に、寺院や民家、河岸場などが所在していたのです。この史料(図面)は、市域屈指の舟運の拠点として栄えた西金野井の江戸川改修以前の状況を示した貴重な資料であると評価されます。

 

さて、冒頭の件ですが、藤の花言葉は「歓迎」だそうです。まさに、入り口に展示するに相応しい、と思いますが、いかがでしょうか。天候不順が続きますが、変わりゆく郷土資料館の展示を、ぜひご覧ください。

【 #6月10日 】 #今日は何の日? in春日部

今から144年前の今日。明治11年(1878)6月10日は、イギリス人女性イザベラ・バードが粕壁に宿泊した日です。

イザベラ・バードは、イギリスの女性旅行家・冒険家・探検家などと称され、明治初めの日本各地を遊歴した人物として知られています。バードは旅行の状況を文章として残しており、当時の日本各地の様子が克明にわかる『日本奥地紀行』は、東洋文庫や平凡社ライブラリーなどにも収録され、著名な紀行文の一つとして知られています。『日本奥地紀行』は「ふしぎの国のバード」という漫画にもなっているほどです。

さて、バードは、明治11年(1878)6月から9月にかけ、通訳の伊藤鶴吉を供に、東京から日光、新潟、日本海側から北海道へと旅をしています。東京を人力車で経った初日の同年6月10日、バードは粕壁の旅館に宿泊しました。バードが宿泊したのは、粕壁の高砂屋旅館。この旅館、前回の今日は何の日?in春日部をご覧いただいた方はご存じでしょう。明治9年6月3日、明治14年7月31日に明治天皇の御昼食所となった旅館です。

バードの『日本奥地紀行』によれば、高砂屋は「一階にも二階にも部屋があり、客がいっぱいで、実にさまざまないやな臭いが立ちこめていた」といいます。バードは二階の部屋に泊まることになりましたが、夜はカビ臭い蚊帳、蚤と蚊、そして襖がしょっちゅう開けられ、わずかな隙間から他の客が覗くなど、プライバシーと蚤・蚊に悩まされたと綴っています。

「粕壁の旅館は劣悪だった?」とか「バードの前後に明治天皇が御昼食をとられている!?」とか、様々な疑問が生じます。ただ、バードは日本に入国してから、横浜・東京で宿泊をしており、都市を離れて初めての一泊が粕壁の高砂屋でした。おそらく、西洋の婦人が異国の庶民の旅館に寝泊りすれば、どんな人でも上のような感想をつづるのではないでしょうか。西洋の女性がつづった明治初頭の日本の庶民の暮らしという視点で史料を読む必要があるでしょう。

高砂屋があった場所は、現在、春日部大通りに設置される歩いてみよう道しるべの標柱では脇本陣として紹介されている地点になります。

写真:現在の高砂屋旅館付近

明治天皇、そしてイザベラ・バードが通った日光道中(陸羽街道)、そして高砂屋旅館。『日本奥地紀行』は図書館等で比較的手に入れやすい図書です。バードの文章を読んで、町並みを散策してみてはいかがでしょうか。

 

過去の今日は何の日?in春日部シリーズ→1月1日版3月14日版3月27日版4月28日版6月3日版9月16日版

6/19展示解説講座「宝珠花の歴史と大凧あげ」を開催します

7月3日(日)まで「宝珠花の歴史と大凧あげ」春季企画展示を開催中です。

 6月19日、展示解説講座「宝珠花の歴史と大凧あげ」を開催します。郷土資料館学芸員が宝珠花の歴史と大凧あげについて紹介します。

当日は、昭和7年(1932)と昭和48年(1973)に撮影された16mmフィルムもご覧いただく予定です。

このうち、昭和7年の16mmフィルムは「大凧飛揚実況」という題名で、約5分と短いものですが、大凧あげまつりの様子とともに、移転前の宝珠花の街並みや江戸川に設置されていた船橋も撮影されており、大変貴重なものです。

 

お申し込みは等は下記の通りです。直接のお申込み、お電話でのお申し込みのほか、期間中いつでもお申込みできる電子申請でのお申込みも用意しております。ぜひご利用ください。

 

日時:6月19日(日)10時から12時

場所:教育センター

定員:30人(先着順)

申し込み:6月7日(火)より直接または電話で郷土資料館(048)763-2455へ、または下記より電子申請

春日部市電子申請・展示解説講座申し込み

 春日部市電子申請・展示解説講座申し込み

 

<春季企画展示「宝珠花の歴史と大凧あげ」>

会期:令和4年5月17日(火)~7月3日(日)

休館日:毎週月曜日、6月18日(土)は臨時休館

開館時間:9時~16時45分

 

●ミュージアムトーク

郷土資料館学芸員が企画展示室内で展示資料を解説します。

日時:7月3日(日)10時30分~、15時00分~(各回、同じ内容です)

場所:郷土資料館企画展示室内

*申し込み不要です。お時間に企画展示室にお集まりください。 

【6月3日】 #今日は何の日? in春日部

今から147年前の明治9年(1876)6月3日は、明治天皇が粕壁で昼食をとられた日です。

明治天皇は、明治9年6月2日、奥羽巡幸のため、東京を発し、陸羽街道(旧日光道中)を北上され、同日は草加の大川家を行在所とされました。同3日、草加を立ち、蒲生(現越谷市)で馬車を停められ、田植えをご覧になりました。その後、大沢町で御小休し、粕壁に到着されたのは、午前10時40分ごろ。粕壁の三枚橋地区の竹内彦右衛門宅で御昼食をとられました。竹内家は、幕末期に本陣をつとめた旅籠高砂屋旅館。春日部大通りに設置される歩いてみよう道しるべの標柱では脇本陣として紹介されている地点になります。ご昼食を済まされた後、午後1時15分ころ粕壁を出発され、杉戸で御小休、幸手の知久家を行在所とされました。

ただ、高砂屋(竹内家)については、埼玉県による聖跡の調査報告書『埼玉県史蹟天然紀念物調査報告書』(大正12年刊)には、明治20年頃に家屋を売却し、当時の現状をとどめていないと報告されています。大正時代でもそうだったのですから、当然、現在は見る影もありません。

わずかに地元に残る資料として知られるのが、粕壁いろはカルタという昭和初期と推定される粕壁町の名所・名物などを紹介するカルタです。このなかの「ほ」の札が、「ほまれも高き高砂屋 君のみゆきを松のはな」となっています。絵札はこちら(『春日部市史近現代資料編1口絵より)。

画像:粕壁いろはかるた

当方も原物をまだみたことがありませんが、昭和初期の当時にはすでに無かったと思われる門が描かれる絵札です。当時の粕壁の人たちのなかには、かつてあった高砂屋が明治天皇の御昼休所(聖跡)であったという記憶が残っていたのかもしれません。

これまで、明治天皇が御昼食をとられたことは、話題になることも少なくありませんでしたが、実は、巡幸に供奉した面々も豪華なのは意外と知られていないようなので、少し蘊蓄を。当時の供奉していた人物として、岩倉具視、木戸孝允、土方久元などがいます。ことに木戸は日記を遺しており、粕壁では区務所で昼食したといいます。また、巡幸の先発隊に大久保利通がいます。ただし、大久保は粕壁で昼食はとりませんでした。

さすが、明治天皇、名立たる明治維新の功績者を連れ従えて巡幸されるのですから、いろいろなエピソードが残っていてもよさそうですね。小生も学芸員として資料調査に勤みたいものです。

147年前の今日6月3日、市域の人たちはどのように巡幸の行列をみたのでしょうか。また、明治天皇や供奉した人たちは春日部をどのようにみていたのでしょうか。そんなことを思い巡らせながら、かつての宿場町粕壁を散策されてみてはいかがでしょうか。

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川辺小学校3年生「総合的な学習の時間」に縄文体験を行いました!!

 6月1日(水)は今年度最初の出張授業(縄文体験)を行いました。通常は小学校6年生の社会科の歴史の学習が始まるころに出向いていますが、川辺小学校ではこの数年、3年生の「総合的な学習の時間」にお呼ばれしています。今回は『学校付近の昔むかし』と題し、児童のみなさんの自宅がある米島や東中野地区で確認されている縄文時代の貝塚を中心に学習に取り組みました。もちろん、さまざまな体験メニューで「観て」「触れて」「考えて」を実践してみました。

導入 貝塚紹介土器観察

▲ 導入では学区内の貝塚を紹介。熱心にメモを     ▲担任の先生と縄文土器の形、なわめをじっくり

とりつつ、周辺に海原が広がった歴史に驚きが      観察。「ぜんぶ、本物なの?!」『全部です!!』

貝観察    黒曜石切れ味体験

▲縄文時代と12万年前のアカニシと大きさを比較。  ▲6年生にも人気な黒曜石の切れ味体験。みるみるうちに

外郭放水路では12万前の木下層から多種の大きな    段ボールがぼろぼろになるほど、試し切りが楽しくなって

貝種が発見されたことを伝えると皆ビックリ!     しまいます。「こんなに切れるんだ!!」

 6月からは3年生の「総合的な学習の時間」をはじめ、6年生の社会科へ出向きます。授業の様子は本ブログでご紹介していきますのでお楽しみに覗いてください。