ほごログ(文化財課ブログ)

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建武記『新編図録春日部の歴史』からのご紹介ーその59

『建武記(けんむき)』は、後醍醐(ごだいご)天皇によって開始された建武の新政に関わる法令や各機構の結番(けちばん・順番を決めて交代で出仕すること)をまとめたものです。
『建武記』には、建武3年(1336)4月、春日部氏一族の春日部重行が、後醍醐天皇より、京都市中の治安、警備をつかさどる武者所(むしゃどころ)の第6番に結番されたことが記されています。

春日部重行は、建武記に先立つ建武3年1月、足利尊氏との戦いに勝利しました。その勲功(くんこう)により同年3月22日、上総国山辺南郡(かずさのくにやまのべみなみぐん)と現在の春日部市域あたりの下総国下河辺荘春日部郷(しもうさのくにしもこうべのしょうかすかべごう)の地頭の職を与えられたことが、後醍醐天皇綸旨に記されています。


『建武記』国立公文書館内閣文庫所蔵
「春日部氏と建武の新政」『新編図録 春日部の歴史』48ページ

建武記
『建武記』部分(国立公文書館内閣文庫所蔵)
赤枠内に「春日部瀧口左衛門尉  紀重行」とある(下は拡大画像)


紀重行部分

動画で解説! 神明貝塚(4回目)

本日(8/29)、春日部市郷土資料館の夏季展示「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展の関連イベント「動画で解説!神明貝塚」の4回目を開催しました。

このイベントは、展示室で神明貝塚の紹介映像を上映し、学芸員が解説するものです。

動画解説
市外の参加者のなかには、「春日部市にある神明貝塚の存在を初めて知った」と言われる方もおり、皆さん興味深々で動画を見ていました。

展示解説
動画上映終了後に企画展示室に移り、展示品をみながら学芸員が解説。
学芸員の丁寧で分かりやすい説明と、展示されている様々なものを見て、頭の中に神明貝塚の風景が広がったのではないでしょうか。


見学の様子
富多小学校の児童も先生と一緒に参加してくれました。

解説風景
「動画で解説!神明貝塚」は、展示会期中の毎週水曜日9/5・9/12の10:30と15:00に開催しています。お見逃しなく!!

神明貝塚キャラクター名、投票受付中

春日部市郷土資料館の夏季展示「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人の暮らし」展のオリジナルキャラクター。DVDパッケージや、限定の来館スタンプ(画像)にも登場し、様々な表情をみせてくれて、大変好評です。ですが、実は名前がありません。
画像:限定来館記念スタンプ
今回の展示では、来場の皆さまに、キャラクターの名前を投票していただいています。
女の子は、縄文時代の女の子で、神明貝塚で発見された女性の縄文人をモチーフにしています。好きな食べ物はヤマトシジミ。
土偶は、神明貝塚の縄文人のお墓にあった土偶をモチーフにしています。腰の袋にはクリの実が入っています。好きな食べ物はウサギ。
女の子は、①めいちゃん(神メイ貝塚だから)、②めいかちゃん(神メイカい塚だから)、③もんちゃん(縄モンだから)、④どきみちゃん(土器だから)
土偶は、①しんくん(シン明貝塚だから)、②しんちゃん(シン明貝塚だから)、③ぐうすけ(土グウだから)、④おやっきー(西オヤ野井だから)
のなかから、投票していただくことになっています。
皆さんも、名付け親の一人になってみませんか。
写真:名前をつけよう

幌墓『新編図録春日部の歴史』からのご紹介ーその58

銚子口の古利根川沿いにある「幌墓(ほろはか)」は、この地で亡くなった武士を供養するため、嘉永7年(1854)に建てられたものです。
この石碑が「幌墓」と呼ばれるのは、亡くなった武士が幌と呼ばれる防具を身に着けていたことからです。

「幌墓」の由来として石碑には次のようなことが彫られています。
昔この地で命を落とした武者(幌武者:ほろむしゃ)を村人が葬(ほうむ)り、塚を築き、その後、幌墓と呼ばれるようになりました。武者の姓名も年も古い話のため伝わらず、いつごろの出来事か定かではありません。この古塚の周辺で闇夜(やみよ)にリンのようなものが見えることから、村人が怖がり、里正(りせい:名主)の川鍋氏が幌墓のことを調べて、上記の話を知り、嘉永七年仲春に供養のために建てたものです。(『春日部昔むかし』)

本文に続いて、葛飾蕉門(かつしかしょうもん)という俳諧(はいかい)の一門の人々が寄せた句が12句彫られており、18世紀中ごろから19世紀にかけて市域で盛んになった俳諧文化を示す資料としても貴重なものです。

*石に刻まれている「ほろ」の字は、「糸へんに晃」です。機種依存文字のため異体字で表示しています。

春日部市教育委員会『春日部市 昔むかし』1995 80ページ
春日部市教育委員会『図録 春日部の歴史』1998 109ページ
「俳諧の交わり」『新編図録 春日部の歴史』120ページ

幌墓

幌墓碑文拓本
本文部分の拓本

土器たちのその後②・・・

8月19日(日)は土器つくり教室の2日目。
参加者の皆さんが作成した土器たちは、野焼きの日を待っていました。

◇野焼きを待つ土器たち!約1ヵ月間の乾燥で茶色から色白に、また約1割程度、小さくなりました。


◇学芸員が土器焼きの準備!気温30℃超えにもかかわらず・・・



◇まずは火力で土器を温め、最後の乾燥を!はじめチョロチョロ・・・ご飯の炊き方と同じです!!


◇お昼過ぎからはカマに土器を入れ、本格的に焼きます。約2時間かけて600~800度まで火力をあげます。少し黒っぽくなってしまいましたが、ほぼすべてが割れずに焼きあがりました。完成!!



縄文人の技術を見習い、立派な土器ができました。今年は多数の方のご応募をいただき、抽選で47名の参加となりました。
また来年も行いますので、是非ともご家族での参加をおまちしております!!