ほごログ(文化財課ブログ)

カテゴリ:郷土資料館

星 夏季展示の予告

平成30年8月4日(土)~9月16日(日)に「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展を開催します。
写真:空からみた神明貝塚
神明貝塚(しんめいかいづか)は市内西親野井に位置する、3800年前の縄文時代の貝塚です。市では、この神明貝塚を後世へ伝えていくため、平成21年度から8年にわたり調査を実施しました。
写真でみるように、馬の蹄(ひづめ)のような形で貝がらや動物の骨が分布しています(写真は加工してあります)。
本展示会は、発掘された土器や装身具、人骨などを展示し、最新の調査成果をもとに、神明貝塚に暮らした縄文人の生活や文化、当時のムラの様子などを紹介します。
ただいま、埋蔵文化財担当の学芸員さんが、絶賛準備中です。お楽しみに。
夏季展示(第59回)「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展

展示会概要


発見された縄文人の女性。右手首に腕輪を、右耳に耳飾りをしていました

市北東部の西親野井地区には、3,800年前につくられた縄文人のムラの跡である「神明(しんめい)貝塚」があります。
市では、この神明(しんめい)貝塚を末永く、後世へと伝えていくため、平成21年度から8年にわたり、調査を実施しました。その結果、神明(しんめい)貝塚は、クリやクルミなどの植物を盛んに利用した内陸的な貝塚として、縄文文化の多様性を示す貴重な遺跡であることが分かりました。また、腕輪や耳飾をつけた縄文人の骨や、貴重なヒスイの玉などが発見されています。
本展示会は、発掘調査の写真や発見された土器や装身具、人骨、動植物遺体などを展示し、最新の調査成果をもとに、神明(しんめい)貝塚に暮らした縄文人の生活や文化、当時のムラの様子などを紹介します。
この夏は、郷土資料館で、3,800年前の先人の暮らしをのぞいてみませんか。


神明(しんめい)貝塚の土器

会期

平成30年8月4日(土曜日)~9月16日(日曜日)
月曜日・祝日休館

会場

郷土資料館 企画展示室
(春日部市粕壁東3-2-15 教育センター1階)

武里大枝公民館に手作りジオラマを展示しました

本日、武里大枝公民館に手作りの粕壁宿ペーパークラフトを展示しました。一昨年度から各地の公民館を巡回して展示しているジオラマです。

写真:大枝公民館の展示風景

手づくりの粕壁宿模型は、粕壁宿再現プロジェクトに参加した子どもたちが造ったペーパークラフト模型をもとに、江戸時代の粕壁宿の町並みを復元したジオラマです。
模型の詳しい解説については、
「ペーパークラフトでめぐる粕壁宿」(郷土資料館ホームページ)をご覧下さい。

「粕壁宿の模型?武里・大枝には関係ないや」っと思った方、そんなことありません。
当時、公用の通行などで宿場町で提供する人馬が不足すると、周辺の農村に人馬の提供が求められていました。宿場町に人馬を提供する村を助郷(すけごう)といいます。
武里地区の村々、具体的にいえば、一ノ割・備後・薄谷・中野・大場・大畑・大枝村は延宝8年(1680)に粕壁宿の「大助」(大助郷:臨時に動員された助郷)でしたし、享保8年(1723)には一ノ割・備後・薄谷・中野・大場村が定助郷(じょうすけごう)に指定されていました(『春日部市史通史編Ⅰ』570~571頁)。助郷の村から動員された人馬は、宿場町の問屋場というところに集められ、隣の宿場町まで人や荷物を運びました。
粕壁宿の問屋場は、現在の埼玉りそな銀行のあたりあったといわれています。手作りのジオラマには馬が放牧されています。

写真:問屋場
江戸時代、武里・大枝から問屋場に向かった先人たちに思いをはせて、ぜひ手作りジオラマをご覧いただければと思います。7月上旬まで展示予定です。

古文書解読勉強会の成果(その5)

平成30年4月14日(土)に古文書解読勉強会を行いました。
引き続き、郷土資料館所蔵の神間村文書を解読しました。
次回は、5月19日(土)14時~16時(場所:視聴覚センター4階研修室1)を予定しております。みなさま奮ってご参加ください。
※前回までの成果は、上の「郷土資料館からのお知らせ」のリンクをご参照ください。

 【史料番号3】

   米借用一札之事

 一、米 六俵   但し 四斗入

     両ニ 八斗七升五合がへ
右は摏米ニ御無心借用仕、慥ニ請取申所

実正ニ御座候、然上ハ月五合のべ之勘定を

以当十一月ニ相成候ハヽ右米代金無相違

不残御勘定仕候、為念米借用一札入置申所

仍而如件
  嘉永二酉ノ年

    閏四月    宝珠花村

              釜屋次兵衛(印墨抹消)
(後筆)「不用書」

         神間村

            源兵衛殿

神間村文書3
(ひとことメモ)
本史料は宝珠花の商人釜屋次兵衛が神間村源兵衛に搗米(つきごめ・白米)6俵を借用した証文。ひと月に五合の利息を加え、十一月に米の代金(1両につき白米8斗7升5合の相場)を返済すると契約している。おそらく返済を終え、この証文は失効したため釜屋次兵衛の印が墨で抹消され、後筆で「不用書」と記したものとみられる。

 

  【史料番号5】

   当辰御年貢米永皆済目録
一、米七拾五俵五合三勺九才  但し四斗入

   内

   米弐俵         名主給米被下候

   同三斗弐升      人足扶持被下候

   同壱斗六升八勺   堀式引

   同壱俵         大豆代米

 〆米四俵八升八勺

残而

   米七拾俵三斗弐升四合五勺九才

    此内

     米拾三俵弐斗   源兵衛御扶持高被下候

 残米

   五拾七俵壱斗壱升九合壱勺九才

           両九斗五升かへ

   此永弐拾四貫百弐拾五文四分

   畑方

一、永九貫九百七拾六文壱分

一、同五百文        大豆弐俵之

                  代両石六斗かへ

一、同七百九拾文     夫給金

一、鐚壱貫八拾文     竹莚縄之代

     此永百六拾四文七分  
右は当辰御年貢米永小物成共、書面

之通り御上納仕候所相違無御座候以上


                 葛飾郡神間村

天保三年辰閏十一月      名主 山崎源兵衛㊞

 能勢十次郎様御内

       御役人中様

 

(裏書)

「表書之通相違無之もの也

  能十(朱印・印文「福徳」)」
神間村文書5
(ひとことメモ)
神間村のうち、旗本能勢氏の知行所の分の、天保3年(1832)の年貢皆済目録。年貢皆済目録とは、一般に、江戸時代、村方が年貢を完納した際に領主側が出す年貢の領収書をいうが、本史料からは、旗本能勢氏知行所では、村の名主が能勢氏の役所に年貢の上納を報告し、これを受けて旗本能勢十次郎が自ら「皆済目録」の裏面に署名捺印をして、名主あてに返却し、年貢完納の証明としたことがわかる。裏書の能勢氏の印は、江戸時代には特に高貴な身分の者しか用いれなかったとされる朱印であり、珍しい事例と思われる。
神間村文書5裏書

お知らせ 牛島のフジのゆかりの歴史的な資料を展示しています

藤の花が見ごろな季節となりました。そして、4月22日(日)は第37回「春日部藤まつり」。
藤は春日部市のシンボルとして親しまれています。藤の花が春日部の象徴となったのは、市内幸松地区にある国の特別天然記念物「牛島のフジ」が伝統的な観光地だったためです。
郷土資料館では、藤の花が見ごろなこの季節に合わせまして、常設展示の一部を展示替し、牛島のフジゆかりの歴史的な資料を展示しています。

春日部が観光地となり、町がどうかわっていったのか、どのような人が訪れたのか、については絶賛開催中の
春季展示「かすかべの宝もの15近代の交通・流通」展で紹介しています。
牛島のフジの古写真は、郷土資料館HPのかすかべデジタル写真館でもご覧になれます。
あわせてお楽しみください。

手作り季節展示を展示してます

手作りの可愛らしい兜や、鯉のぼりなど
端午の節句をテーマとした季節展示を展示中です。
皆さま、ぜひご来館ください。

なお、郷土資料館は、毎週月曜と、祝日の4月29日(日)と5月3日(木)から5日(土)まで休館となりますので、ご注意ください。

季節展示