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最勝院前から見た粕壁の町並み『新編図録 春日部の歴史』から-その10

明治40年(1970)ごろの粕壁宿を撮影した写真の絵葉書を紹介します。最勝院のご住職が栃木県大田原(おおたわら)にあてたものです。同じ陸羽(りくう)街道の宿駅(しゅくえき)でも、大田原より粕壁の方が道幅が広いと記されています。
東武鉄道が明治32年に北千住-久喜間で開通したことにより、人々の陸路交通は大きく変化しました。江戸時代には本陣(ほんじん)、脇本陣(わきほんじん)と旅籠(はたご)45軒を有した粕壁宿の宿泊施設は、明治35年には旅館3軒まで減少しました。

「宿場町粕壁と交通の変容」『新編図録 春日部の歴史』 160ページ

最勝院前から見た春日部の街並み