校長室より

校長室より

戦後70年 戦時下の第一小学校

 今年は、戦後70年を迎える節目の年でもあります。

 6月20日には、我孫子市の平和事業の一環として卒業生が6年生に戦争の悲惨さや平和の尊さを語り継ぐ授業「リレー講座」を本校で行いました。我孫子市は平和都市宣言をしてから30年が立ちます。その間、「派遣中学生」が長崎や広島を訪れて戦争の恐ろしさを学んできました。今回は、第一小学校の卒業生等が中心となり、自分たちの体験を熱く語ってもらいました。授業を成功させるため、かなりの準備をしてきていることも分かりましたし、一人一人の話も上手でした。

先輩の一人が、授業の最後に「世界平和のために、みんなは何をしなければいけないと思いますか。」と聞きました。6年生男子は、「今日、先輩から習ったことを僕たちが次に伝えていかなければいけないと思う。」と答えました。これぞリレー講座だと実感しました。自分の言葉で人に伝えることの重みを先輩も後輩の6年生も共に学びました。

 

昭和20年、東京も大空襲を受けており庶民の生活も著しく貧しい状態でした。戦時下の学校では、全学徒は夏休みを返上して動員作業をしていまいしたから当然夏休みはありませんでした。

空襲が一層激しさを増してくると、児童の集団疎開が実施されるようになりました。

この我孫子にも疎開児童が増えてきました。戦争末期は、1年間で250名もの児童が第一小学校に転入してきました。この子ども達は、家を焼け出され遠い縁故を頼って来た子が多く、食料難や土地に慣れない為に学校ではかなり多くの困難を味わったようです。
学校では急な児童の増加で、授業も午前組と午後組の二部授業にしなければならない状況でした。我孫子では空襲そのものはありませんでしたが、我孫子駅付近では敵機の機銃掃射を受けたこともありました。空襲警報は頻繁にあったので、学校の側に防空壕を掘ったり、子の神の森へ逃げる訓練をしたりしていました。低学年は田んぼに行ってイナゴを取ったり芋畑を作ったりと毎日の作業がありました。高学年は航空燃料用の松根堀りや農家へ出向いて勤労奉仕をしていました。

 終戦の秋のある日、第一小学校の校庭にアメリカ軍の兵隊さんが乗った車が突然現れました。子ども達は、初めて見るアメリカ兵の姿に肝をつぶしました。校庭を横切って来ると、いきなりパンパンと空に銃を撃ちました。MPの腕章をした背の高い血色の良いピンク色した若い兵隊を先頭に、ぞろぞろと軍隊の靴のまま土足で廊下を歩きました。当時、第一小学校の廊下は、ヌカ拭きまでして丹念にピカピカになるまで磨き上げていました。戦勝国のアメリカ兵が銃を持って、その廊下を泥についた靴のまま傲然と歩いている。

この姿に子ども達はかなりショックを受け、強い印象に残っていました。

<我孫子第一小学校百年史より一部抜粋>

 

 私はこの夏休みに、映画「日本のいちばん長い日」を2度見ました。戦争を終結させるだけで政府や軍部内でもこんなにも葛藤があった事実を改めて知りました。特に、感銘を強く受けたのは、陸軍大臣の阿南惟幾(あなみ これちか)でした。ポツダム宣言を受諾し陸軍内部でも戦争継続派(本土決戦)と和平派とに分かれていました。天皇の玉音放送のあった8月15日未明に自宅で腹を切って自決したのでした。私と同じ58歳です。

鈴木貫太郎総理は、「そうか、腹を切ったのか。阿南というのは本当にいい男だった。」と涙ながらに語ったそうです。合掌。

平和の時代、守ることは何かを真剣に考えた猛暑の夏でした。

命とは何でしょうか。時間とは何でしょうか。

人はこの世に赤ちゃんとして誕生する時、全員に砂時計がプレゼントされるのだそうです。そして、砂時計をひっくり返して中の砂が一定の速さで下へ落ち始めます。この落ちる砂が、その赤ちゃんの命そのものです。砂時計の大きさは一定ではなく、大きな砂時計もあれば小さいものもあります。自分にプレゼントされた砂時計の砂の量は誰にも分かりません。

でも、今も確実に一定の速さで落ち続けています。

小学生の子ども達には、砂時計を見たことがない子も多いかもしれません。

ですから、この話を直接子ども達にしたことはありません。

砂時計の砂が流れ落ちていくのを真面目に黙って、見続けた体験がある大人なら分かります。

自分自身の砂が落ちている事実を真正面から受けとめるなら、時間を無駄にできないと思います。ましてや、自分のせいで他人の砂時計の砂を無駄に落とさせてはいけないのではないでしょうか。

時間を守ることの大切さの一つはここにあるような気がします。

 

今年104歳になった医者である日野原重明先生は、「命とはどこにあると思いますか。」と子ども達に質問しました。

子ども達は、素直に自分の体を指しながら「心臓」「頭」「体ぜんぶ」などの様々な答えがでてきました。

日野原先生は「命とは君たちの持っている時間です。」と言っています。

「これから生きていく時間。それが、君たちの命なのです。」

世の中、お金で買えるものと買えないものがあります。

お金では絶対に買えないものも結構あるものです。

その人の価値観にもよりますが、この命と時間は今のところお金では買えないものだと私は思っています。

 時間を大切にしよう。と人はよく言います。

きっと深い意味ではなくこの言葉を遣っているのだと思います。

人生は永遠に続くものだと思っている人にとっては、時間も永遠にあるような錯覚に陥っているのでしょう。私もそうです。

 過去に死に面したことがある人、病気で死を意識せずにはいられない人、家族で大変重篤な病人がいる人、そのような大変な経験をお持ちの人は、命と時間の重みがまるっきり違うのだと思います。

 

未来ある子ども達、これからは人生100年の時代になっていきます。

小学生にとっては、意識しないでも時間は永遠にあるように思っているのかもしれません。

命とは何でしょう。

時間とは何でしょう。

家族で、この夏休み期間中にこの命題を話題にして頂けるとありがたいです。

アリと集団の話

運動会も終わりいよいよ6月に入りました。夏間近でプール開きも間もなくです。

今回は夏でも良く働くアリの話をします。

暑い夏の日も、木々の下ではアリが行列を作り、一生懸命に餌を運んで働いている光景を目にします。私は、今までアリの全部が黙々と働いていると思っていました。

ところがアリの面白い研究があることを知り驚きました。実は、働かないアリがいるのです。

 

 北海道大学大学院で研究した結果によると、

約2割のアリは、餌を運びもしないで仲間の周りをさも働いているかのように動いているだけだそうです。労働とは無縁なのです。働くことが代名詞のようなアリですが、アリの集団の中にも、必ずサボる奴がいるのです。

 アリの集団を勤勉さの度合いで分けると、働かないアリが2割、普通に働くアリが6割、よく働くアリが2割だそうです。面白いことに、このような働き度別の割合は、集団が違ってもだいたい同じだといいます。

 では、よく働くアリだけを全部集めて一つの集団にすると最強軍団ができそうなものですが、実は違うのです。その集団の中では、やはり働かないアリが2割出てくるのです。

反対にサボっているアリだけを集めてみると、全部がサボってしまい集団の危機が生じてしまうと思われますが、その中から奮起して働くアリが2割出てくると言うから不思議なものです。

 

集団とは何でしょうか。

俗に言う一流企業と呼ばれる会社でも全員がよく働くかといえばどうなのでしょうか。

また、優秀な人材確保が厳しい数多ある零細企業でも素晴らしい実績を上げる人物はいるでしょう。人は自分の存在価値を見いだしたいものです。働く中で自己実現をしたいものです。

ある研究者は、アリも働かないことで、自分の存在意義を示している可能性があると指摘しています。

 学校ではお昼休み後に、清掃活動があります。

一生懸命に黙々と雑巾や箒を持って教室を綺麗にしようとして働く子がいます。

掃除の時間なので、役割分担に従って働く子がいます。

箒を持ってフラフラと歩いて、掃いているふりをしている子もいます。

おしゃべりに夢中になって何もしていない子も時々見かけます。

実に様々です。

 

 アリの世界では労働面でより効率的なのは、色々なグループが混じった混合集団だそうです。公立小学校では、基本的には学区内に住んでいる適齢児童ならば誰でも教育が受けられますから、色々な子どもの集団となります。

小中学校の別、年度の学級編制(クラス分け)、異年齢の部活動、地域スポーツ活動等で、

子ども達は様々な集団に入り、又解散して、新たな集団に入ることを繰り返しています。

是非、集団の中で良い意味で働く(活躍できる)存在になって欲しいと願います。

教師の力

「教師は子どもの心を診断する医者でなければならない。」

我孫子第一小学校で約20年前、私が尊敬している校長先生がお話された言葉です。

当時の校長先生が職員室やPTA会議等で話された内容をノートにメモしていました。

又、教師は子どもの心の教育を一番大切にすることを熱心にお話されていました。

医者ではないのですが、先生と呼ばれる一人として子どもの心をどれだけ本当に理解しているのか胸に突き刺さったことを覚えています。

医者は診断して、患者に処方箋を施します。

教師は子どもの悩みを知り、共感し、学校で具体的対応策を講じてあげなければなりません。

日々、子どもが本当のことを話してくれる信頼関係を築き、場の空気をしっかりと読んで、悩みを解決できる糸口を探してあげたいものです。

 

イギリスの有名な教育学者である、ウィリアム・アーサー・ワードは「優れた教師は」の中で、次のように述べています。

凡庸な教師は、ただしゃべる。

●少しましな教師は、理解させようと努める。

●優れた教師は、自らやってみせる。

●本当に優れた教師は、生徒の心に火を点ける。

 私達教師は、子ども自身がやる気を持てるように仕向ける技術を身につける必要があると思います。それも、その子の個性に合った方法で真剣に語ることが大事です。子どもは、

教師が上辺で言っているのかを見抜きます。

 

 明治生まれの森信三(しんぞう)先生は、「生を教育に求めて」の著書の中で、教師の力について辛口に述べています。

 例えば、校長の挨拶のあり方については、

朝の挨拶は、部下はもとより子ども達にも、否、用務員さんにもこちらから先手を打たねばなるまい。全校朝会などで、「まだ朝の挨拶が良くないから、みんなしっかりやるように。

・・・・」などと間抜けたお説教を繰り返している程度の校長に、一体何が出来るというのであろうか。

なんとも鋭い指摘であります。

 教育について、極めつけの重い言葉があります。

 「教育とは流水に文字を書くような果てない業である。

  だが、それを岩壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ。」

 

 学校立て直しの定石として、最初に打つべき三つの具体的な事柄もあげています。

①朝のあいさつ

②学校内外の紙クズがなくなること

③靴箱の靴のかかとが一直線に揃うこと

 まさしく、率先垂範のみです。毎日の私達の言動こそが教育だと戒めたいと思います。

 

少年は必要とされてはじめて大人になる

6年生3クラスでと3月の第2週に「校長とのお別れ授業」をしました。

今回のテーマは、「言葉の力」です。

ボランティア発祥の地イギリスで、有名な言葉があります。「少年は、必要とされて、はじめて大人になる。」という言葉です。6年生には、「必要とされて」の部分を提示しないで、

グループごとに自由に創造して書いてもらいました。

・20歳になって ・自立して ・苦労して  ・沢山の経験をして  ・お酒を飲んで等面白い内容を含め色々な言葉がでました。

 

今回はイギリスのジャーナリストの第一人者であるアレック・ディクソンが大事にしている出会いの美しいエピソードを紹介します。

ロンドンの下町にマイコルという無気力で心が荒れ果てている16歳の少年がいました。

他人に暴力を振るい、車や店のショーウィンドーを破壊して、間もなく少年鑑別所に入れる準備をしていました。

そんな時に、あるボランティアコーディネーターがこう言いました。

「実は、あなたと同じ年の目の不自由な女の子がいます。その女の子は、あなたに、是非水泳を教えて欲しいと言っているのです。」

少年の心は少し動きました。目の不自由な女の子が、自分を必要としてくれている。しかも、なんと同じ年の女の子なんだ。水泳を教えることくらいなら、自分にもボランティアはできる。

ところが、コーディネーターは、すでに女の子と会っていたのでした。その少女は、目が不自由で、しかも家族が心配するほどの心が塞ぎがちな性格でした。なぜなら、いつも一人ぼっちで、孤独だったのです。同じ年の女の子達は、友人も多く、自由にパーティーを楽しんだり、男の子にデートに誘われたりしている。自分には誰の誘いもない。誰にも必要とされていない自分が悲しかった。

コーディネーターは、少女に問いかけた。

「実は、あなたと同じ年の男の子がいるのです。彼は友達もできずに孤独な毎日を過ごしています。でも水泳がとっても得意です。あなたは、水泳を教えてもらうボランティアをしてくれませんか。」

少女の心も動いたのです。男の子が心を閉ざし、自分を必要としてくれている。しかも、なんと同じ年の男の子なんだ。水泳を教えてもらうことくらいなら自分にもボランティアはできる。

このようにして、二人は、お互いがボランティアとして出会った。

やがて、二人ともしだいに自分が、他者や社会に必要とされている、かけがえのない存在であることを知っていきます。

「少年は、必要とされて、はじめて大人になる。」

二人は、意味ある他者の出現によって、意味ある自分を発見することができたのである。

 

 この話は、私が40歳代に勤務していた「さわやかちば県民プラザ」で生涯学習センターのボランティア担当として知ったお話です。

自分の存在価値は、周りの他者や社会から「あなたは、必要な人なのです。」と認められてこそ成り立つものだと認識しました。

学校でも教室内でも、「君は、クラスで必要な人です。」と毎日のように先生や友達から何度でも言われる環境を作りたいと思います。

 

 

「幸せとは何だろう?」

3月2日の全校朝会で子ども達に「幸せとは何だろう?」というお話をしました。

最初に、「皆さんに聞きます。幸せという意味を知っていますか?」

国語辞典には、運が良いこと・幸福と書いてあります。

「では、皆さんにとって幸せなことはどんなことでしょうか?」

「目を瞑って、思い浮かんだ幸せなことを指で折りながら五つ考えてみて下さい。」

どんなことが思い浮かんだでしょうか。

例えば、食べている時・寝ている時・好きなスポーツをしている時・ゲームをしている時・趣味の物を集めている時・お友達とおしゃべりをしている時などがあるかもしれませんね。

でもそういう自分自身の好きなことだけで幸せと感じるのは、一瞬であり長くは続かないかもしれません。

今日は、皆さんに次のような言葉を紹介します。

6年生は1学期に職場体験の事前学習会の時にお話をしたので覚えていることでしょう。

「幸せとは、幸せを探し続けることである」

さて、この意味が分かるでしょうか。

例えば、

宝くじに当たって何億円も突然ももらい大金持ちになった人は幸せになったかな?

オリンピックで金メダルを取った人は幸せになったかな?

人間は、突然に大きなお金が入ると幸せになったように思いますが、家族でもめてしまいケンカが起きたり、生活が贅沢になったり、最後はお金が無くなり哀しい結果になることもあります。

又、オリンピックで優勝して金メダルを取って一躍有名になっても、その後、記録が伸びずにどんどん若い人に抜かれてしまい苦しむ人も多いようです。

では、本当に幸せになれるにはどうすればいいのでしょうか?

私は、三つのことがあると思います。

・一つ目は、満足しないことです。

あることを追い求めることです。極めることです。辛いことに勝つことも幸せです。

・二つ目は、自分以外の物に求めないことです。

物は飽きます。キリがないです。いつか壊れるかもしれません。

・三つ目は、人の為に役立つことです。

感謝されます。褒められます。自分のことよりも他人の為に何かをするのです。

人は人として生まれたからには、やはり誰でも不幸になりたいとは思わないでしょう。

幸せは、人によって違うと思います。

三番目の人の役に立つ幸せは、将来の仕事にしてもいいし一番大事なことかもしれません。

一小の皆さんにもぜひ、自分の本当の幸せとは何かを考え続けて欲しいと思います。

開校記念日(142年前の第一小学校) 

2月20日、我孫子第一小学校は開校142周年を迎えました。

開校記念式で、開校当時のことを「第一小学校百年史」を参考にしながら子ども達に話しました。
今から142年前の
明治6年2月20日延寿院(えんじゅいん)とうお寺を使って学校がスタートしました。このお寺は現在のイトーヨーカドーの近くにありました。教師は杉山 英(えい)先生一人で子どもの数は、82名の一クラスでした。

当時は、5歳から14歳までの適齢児童が我孫子小学校に通うことができました。学区は今よりもかなり広く、我孫子宿・高野山村・久寺家村・柴崎村等でした。実は、我孫子第一小学校に通える学区内にいた子どもの数は、約1千人もいたそうです。
では、なぜ1千人の子ども達が学校に通わなかったのでしょうか。
明治初期の小学校では、村からの寄付金や家からの授業料があり、貧しい農家では家の手伝いや子守、留守番等で子どもを学校に通わせる余裕がなかったそうです。我孫子近郊の村は大変に貧しい農家も多く就学率は低かった記録が残っています。

又、杉山英先生のお給料も大変安くて、初めてのお給料が3円50銭だったそうです。軍人(少尉)さんが50円もらっていたそうですから、学校の先生のお給料がいかに安かったが分かります。
授業は、読書・算術・習字がありました。高学年になると地理や歴史等も習いました。その後、音楽や体操もやっと行われるようになりました。
実は、学校の名前も時代と共に変遷しています。
「我孫子小学校」「草麻尋常小学校」「我孫子尋常小学校」「我孫子第一尋常小学校」「我孫子尋常高等小学校」「我孫子町中央国民学校」そして、戦後の昭和22年に「我孫子市立我孫子第一小学校」となりました。
沢山の先人達の素晴らしい努力の上に今の我孫子第一小学校が存在していることがよく分かります。この良き伝統を引継ぎながら、未来に活躍できる子ども達を教えていきたいと思います。


寿命100年の時代をどう生きる

今から30年後、2045年の日本人の平均寿命は100歳になると言われています。

NHKの「ネクストワールド」のテレビ番組でもその話題が取り上げられていました。織田信長の時代は、「人生50年」でした。明治時代でも平均寿命は男女共に45歳位、戦後の1947年初めての全国調査でも男性50歳、女性53歳です。私が生まれた1957年は、男性63歳、女性67歳です。定年までどんなに一生懸命働いてもその後の余生は、数年間という時代でした。本当に哀しい時代だと感じます。昔の人の楽しみは何だったのだろうと思います。短い人生を潔く散っていったのでしょうか。

 2015年の現在、男性80歳、女性86歳の時代となりました。1日平均で5時間ずつ寿命が延びているそうです。60歳定年後、平均寿命までの約20年間、寝る食べる以外の余暇時間は10万時間あるとも言われています。定年後にもう一つの新しい人生が始まると思っていいのかもしれません。生涯現役で働く、生涯学習をする、趣味に生きる、地域貢献する、ボランティア活動をする等の幅広い選択肢があります。定年後、いきなり新しい仕事や趣味は恐らくリスクが高いことが予想されます。現役の時代に少しずつ慣れておくことの方が良いと老後に備える様々な指南書には書かれています。

 長生きが本当の意味で「幸せ」に繋がるには、健康が大前提かもしれません。健康寿命は平均寿命より10歳位前倒しの状態です。どうしたら頭も体も健康でいつづけることができるのでしょうか。若い世代の人にとっては更に大事な問題です。

 6年生を対象にした「思春期講座」を1月に実施しました。講師は、助産師さん2名の方です。「大人に向かって、見つめ直そう体・命・心」のお話をして頂きました。子ども達全員が授業後の感想文を書きました。その中である男子は、「どれだけ命が貴重か分かった」「このようなことを真剣に教えてくれる人達がいるのはありがたいと思った」ある女子は、「赤ちゃんが産まれる時には、自分も母親も頑張っていることを聞いて少し自分が誇らしくなりました。あのビデオを見て私も産みたいと思いました」又、感想で多かったのは、「自分の命は自分の物ではなく、その他にもお父さんお母さんや自分に関わっている人の物なのだと思いました」

子ども達は、命の具体性を今回の性教育で学んだことと思います。

自分のことを好きになり、自分の命を大切にできる子どもに育つような支援を続けていきたいと思います。

自分の命を大切にできることが、他人の命のことも本当に大切にできることに繋がると思います。

 

3人のレンガ職人

新年あけましておめでとうございます。
2015年のスタートです。今年もどうぞよろしくお願いします。
本日の始業式で、私は全校児童に次のような話をしました。
今日から、いよいよ平成27年になり3学期が始まりました。

西暦で言うと2015年になります。

日本が戦争をしてその戦争に負けてどん底の時代から今年で70年になります。

「戦後70年」という言葉を今年は色々なところで聞くことが多いと思います。私達は二度と戦争をしてはいけません。

さて皆さんにとっては、今年はどんな年にしたいですか。

この後、教室に戻ったら担任の先生と是非話し合ってみてください。

 

今日は、イソップ童話から「3人のレンガ職人」のお話をします。

 

世界中を旅している人が、ヨーロッパのある町に来ました。

そこでは、教会の大聖堂を造っていました。

旅人が1人目のレンガを積んでいる男に尋ねました。

「ここで何をしているのですか?」

すると、男はこう答えました。

「見れば分かるだろう。親方に言われてレンガを積んでいるのさ。

 毎日毎日同じ事をしているだけだ。全くついていない。」

 

旅人がしばらく歩くとまた2人目のレンガを積んでいる男に会いました。

「ここで何をしているのですか?」

すると、男はこう答えました。

「俺はね、ここで大きな教会の壁を造っているんだよ。

 この仕事でお金をもらい家族を養っているんだ。

 大変だなんて言ったらばちが当たるよ!

 

旅人が更に歩き続けるとまた3人目のレンガを積んでいる男に会いました。

「ここで何をしているのですか?」

すると、男はこう答えました。

「俺は、歴史に残る立派な大聖堂を造っているんだ。

この大聖堂ができれば町中の人が喜ぶだろうな。素晴らしいだろう。

俺は、この仕事を誇りにしているよ。」

 

さて、第一小学校の皆さんは、何番目のレンガ職人でしょうか。

同じレンガ積みの仕事をしているのに、なぜ、こんなにも違うことを言うのでしょうか。

その人の心の持ち方次第で全然意味が違ってしまいます。

皆さんが毎日やっている勉強、掃除、係活動、挨拶、高学年の部活動はどうですか。

どういう気持ちで取り組んでいますか。

「何のためにやっているのか」

「誰のためにやっているのか」

「本気でやっているのか」

やらされているのか。
ただやっているのか。
自信と誇りを持ってやっているのか。

同じことをやるなら、3人目のレンガ職人のように目的意識を持って生き生きとして自分のやっていることに自信と誇りを持ちたいと思います。

 

お手伝いは「できる大人」への第一歩

  最近の様々な研究から、お手伝いがしっかりできるということは「できる大人への第一歩」だと言われるようになってきています。

 私の子ども時代は、お手伝いはどの家庭でも当たり前のことであり自然とやるべきことだと感じていたし抵抗感もそうなかった気がします。風呂洗い、買い物、弟妹の面倒、ガラス磨き、掃除、料理等があったものです。小学生だった私が今でも一番覚えているのが、保育園に通っていた妹をよく迎えに行き引き取ったことです。今なら小学生に渡すことは、あり得ないかもしれませんが、「お兄ちゃんが迎えに来たよ!」と保育士さんが大きな声で妹に言っている場面を思い出します。

 さて、お手伝いを日常的にしていると、失敗もそれを乗り越えて褒められる経験も増えるので、子どもの自信に繋がり少々の失敗は恐れない心の強さを育みます。また、お手伝いは手伝う相手への気遣いも必要です。大人になって周囲への気遣いができるかどうかは、社会人として仕事を円滑に進めるのに欠かせない能力となります。つまり、お手伝いは将来必要となる「仕事力」の原点でもあります。

 更に、お手伝いを通して一度やると決めたら最後までやる「責任感」、お手伝いを継続する「持続性」、お手伝いを終わらせる「計画性」を育てることにも繋がります。この責任感・持続性・計画性は、学力を上げる大切な要素であり、お手伝いの内容によっては応用力や活用力を育みます。与えられた情報や条件を整理して、自分なりに答えを導き出す「考える力」が養えます。

 例えば、「食器を並べる」お手伝いを頼んだとします。すると、子どもは、先ずテーブルの上を片付け、拭いて、食器を並べるという段取りを思い浮かべ(イメージ)なくてはなりません。そうした経験を積み重ねることで、子どもは少しずつ「段取り力」を身につけていくのです。

 特に心を育ててくれるお手伝いは、「食器を並べる」から一歩進んだ「料理」であると思います。料理する時は、家族の好みや健康を考えなければいけません。工夫を凝らし準備をして、食べた家族が喜ぶ顔を見たり感謝されたり、遠慮のない意見を聞いたりして人の心にふれることが出来ます。

 このように、子どもはお手伝いを通して、責任を持ってやり遂げる力や相手を気遣う心、段取りを考えて物事を進める力などを養うことができ、将来の「できる大人」へと成長していくことと思います。

 

【お手伝いをさせる時の心構え】

  良いところは褒める

 よくできたら、きちんと褒めてあげる。それだけで子どもには自信がつき、愛情を確認し、またやろうという気になります。

  待ちの姿勢が大切

 先回りせず、子ども自身が気づくまで待つ。挨拶なら「こんなときは何て言うんだっけ?」と自分で気づかせる言葉かけが大切です。

  「叱る」と「教える」を区別する

 上手にできなかったら叱るのではなく、その都度教えればいいだけです。叱るのは危険なことをした時だけにする。