校長室より

校長室より

もう一人の自分発見

 「座」という漢字をよくみて下さい。

この漢字は、土の上で人と人とが対面している様子を象形文字として描かれています。

一人は「現実の自分」であり、もう一人は「見えざる自分」が対面して座っているのです。人は常にもう一人の自分と対話しています。私など常に「これで本当にいいの」「まぁ、いいか!」「なんでもっとしっかり準備をしておかなかったのだろう」時には「速く忘れてしまおう」ともう一人の自分との会話が延々と続きます。本当の自分はどこにあるのかと思ってしまうこともあります。

 教育とは、もう一人の自分を発見させることにあるとも言われます。

子ども達は、まだまだ全ておいて未熟であり経験不足であり、自己確立ができていません。

小学校時代は、自分づくりに必死な時期だと思います。

自分は本当は頭がいいのか。やればできるのに努力をしていないだけなのか。

自分は本当は運動が好きなのか。上手だと煽てられていることに気づいていないのか。

自分は本当は性格がいいのか。他人から「いい人ね」と言われたいだけなのか。

 自分の中にもう一人の確かに信じられる自分を持っている人は、強いと思います。

もう一人とは、きっと「自分の中の見張り番」でもあるからです。

人は、自分のことを自分で管理しなければ生活できません。家や学校でも親や先生や友達に厳しくアドバイスをもらえる時はいいです。しかし、いつも見張り番がいるとは限りません。

人間は弱いです。

手を抜きたい。サボりたい。楽をしたいと思ってしまいます。

大人になるとは、厳しいもう一人の自分を作っていくことなのかな、とも思います。自分としっかり向き合い、もう一人の確かに信じられる自分と対話していく。

対話していく中で、価値ある本物の自分が作られていく。

心が成長することです。

 諺の一つに「人には優しく、自分には厳しく」があります。

まさしく、もう一人の厳しい自分が甘い自分を諫めているのです。

自分のことは、自分自身が一番分からないし、知らないとも言われます。

小学生の子どもには、日々の生活の中で「僕もやればできるんだなぁ!」「私にはこんな力が実はあったんだ!」「自分をうんと褒めたい!」という場面をいっぱい作ってあげることが大事だと感じています。そのために、数多くの色々な経験(学習・スポーツ・習い事等)をさせることがその第一歩のような気がします。

より多くの厳しい自分・意外性を持った自分・不思議な自分と出会えるような環境を作ってあげたいものです。

私は還暦を迎えて、「人生の尺度」を自分で持つことが必要だと感じています。

この歳になると、自分は自分、他人は他人と割り切ることの大切さも実感してきています。