校長室のひとりごと
校長室のひとりごと「教員の業務改善」
時代の流れ社会の変化に伴い、学校への期待やニーズも変化し、学校が抱える課題は山積状態が続いています。例えば感染症対策、いじめ、児童虐待、ヤングケアラー、多様化、不登校などの子どもの対応、一人一台端末による授業スタイルの変更、少子化による児童生徒数の減少、それによる学級減、教員数の削減、大量退職に伴う教員の若年齢化、SNSによるトラブル対応、保護者対応…そしてこれらの諸課題に対する調査など膨れ上がる事務仕事など挙げればきりがありません。近年、文部科学省を先頭に各学校では教員の業務のスリム化、時間外勤務の削減など業務改善が喫緊の課題として取り組んでいます。「自分たちのために教育を簡略化するのか」と誤解されがちですが、そうではありません。教員が毎日仕事に追われ、子ども達の前に立つ教員の姿が疲れきっていては良い影響は与えません。毎日元気にハツラツと子どもの前に立ち、子どもと接するために、業務改善が進められているわけです。一般的にはあまり知られていませんが、我々教員の勤務時間は7時間45分。本校で言えば8:00から16:30(45分間の休憩を含む)ですが、現実にはその通りにはいきません。教員には残業手当は支給されません。こんな状況を少しでも改善できるよう生徒達のためにも先生方の業務改善、ライフワークバランスを考えた学校運営を目指しています。(愚痴っぽくなってしまいました)具体的な方法については、追々お話していきます。
校長室のひとりごと「端午の節句」
3月3日は「桃の節句」、5月5日は「端午の節句」。子ども達がまだ小さい頃には、我が家も「ひな人形」を飾ったり「鯉のぼり」を立てていました。それなりに準備や片付けに苦労していたことも今では懐かしく感じます。
近年その「ひな人形」も様変わりし、昔のような「〇段飾り」と言われる階段状になった一部屋使いそうな(?)大型の「ひな人形」セットに代わり、ちょっとしたスペースに置けるような「お雛様と御内裏様」二人だけのセットが主流だそうです。また、この季節あちらこちらで目に入ってきた5月の風にたなびく「鯉のぼり」も、近年めっきり見なくなりました。連休中も妻と車に乗りながら「そういえば鯉のぼり上がってないね~」なんて辺りをキョロキョロと探しましたが、やはり「鯉のぼり」は見当たりません。住宅地ならまだしも自然豊かな農村地でもほとんど見つかりませんでした。ちらほらとベランダに括られた小さな可愛らしいものばかり。これも時代の流れなのかと少し寂しい気がします。それでも「ひな人形」なら勝浦市の「ビッグひな祭り」、「鯉のぼり」なら加須市の100mを超える「ジャンボ鯉のぼり」など、地域のイベントや名所で季節の風物詩として残り、人の目を和ませくれていることにホッとしています。「ひな人形」や「鯉のぼり」も将来は見ることができなくなってしまうのでしょうか。
校長室のひとりごと「野田市内大会」
今日、明日と各運動部活動の野田市内大会が行われます。
中学校の運動部活動は1年間に各種目ごとに様々な大会があります。一つはこの「野田市内大会」や夏の「葛北大会」「県大会(千葉県中学校総合体育大会)」など、小中学校体育連盟が主催している大会、そしてもう一つは各種目、各競技団体が所属している〇〇連盟、〇〇協会が主催している大会に分けることができます。今回の市内大会は、小中学校体育連盟主催の大会ですが仮に優勝したとしても、県大会などその上の大会につながることはありません。夏の葛北大会に向けた前哨戦となる大会です。野田市が所属している同じ葛北支部の流山市でもこの時期に市内大会が行われ、野田市流山市双方の大会結果が夏の県大会や関東大会、全国大会まで続く「葛北支部総合体育大会」つまり葛北大会でのシード権に反映されたりもします。昨晩の雨で天気も心配されましたが、野球、サッカー、バスケットボール、バレーボール、ソフトテニス、卓球の各部が、市内の各会場に向けて出発しました。このあと私も各会場に応援に行こうと思います。これまでの練習の成果を発揮できるよう頑張って欲しいものです。
校長室のひとりごと「子どもの減少」
このところ保護者会や全校生徒の前で話す機会があるたびに、在籍生徒数が令和7年度は創立以来一番少ない人数だということを話しています。昭和22年の創立当初は257名、昭和61年には774名にまで増加した生徒数も徐々に減少を続け、今は224名にまで減少しています。全国的な少子化は本校にも影響しています。
総務省は「こどもの日」に合わせ、子どもの数(15歳未満)が44年連続で減少し、昨年度より35万人少ない過去最低の1366万人だと発表しました。これだけ「少子化」「少子高齢化」という言葉が頻繁に使われれば、わかってはいても具体的な数字に驚いてしまいます。全人口の子どもの占める割合も0、2ポイント昨年度より低く、人口4000万人以上の国では、韓国に次いで二番目に低いポイントだそうです。都道府県ごとに子どもの割合を見ると、沖縄県で15、8%の最高で、次いで滋賀県、佐賀県が12、7%で、最も子どもの割合が少ないのは秋田県で8、8%という結果だそうです。ちなみに千葉県はというと10、8%だそうで、全国平均の11、2%を下回る結果です。
本校に入学してくる小学生の児童数からしても、しばらくは本校生徒は微減していく見込みです。生徒数が少ないからとネガティブに捉えるのではなく、少ないからこそできることを探りながら、チャンスと捉え様々なことに取り組んでいこうと考えています。
校長室のひとりごと「75歳の野田市」
明日からGW後半の4連休ですね。4連休の初日、明日5月3日は「憲法記念日」です。今から75年前の昭和25年の5月3日、野田町、旭村、梅郷村、七福村の1町3村が合併し野田市が誕生しました。これは生誕150周年を迎えた千葉県で8番目のことだったそうです。その後、昭和32年に川間村、福田村の2村を編入し、平成15年には関宿町と合併し現在の野田市に至っています。そんな野田市誕生から75年、明日は「市制誕生75周年記念式典」が行われます。野田市では市民と共に新たな一歩を踏み出すスタートの年と位置づけ様々な取り組みを予定しているようです。
市内を循環している「まめバス(コミュニティバス)」を「幸運を呼ぶまめバス」と称しラッピングを施したり「まめバスのチョロQ制作販売」「市民のど自慢大会の開催」「ギネス世界記録挑戦」などを計画していそうです。その他にも例年行ってきた関連行事を記念事業と位置づけ行っていくようです。
明日の「市制誕生75周年記念式典」には私も出席してきます。
校長室のひとりごと「野球拳?」
野田市の「学校あるある」ですが、「明日は野教研だから早帰りだぞ!」なんて教室で先生が連絡すると、お調子者の生徒は「エッ野球拳?」なんてやりとりが教室で繰り広げられていたものです。今日がその「野球拳(?)」ではなく「野教研」です。野田市内の方には馴染みがあるかもしれませんが、野教研とは「野田市教育研究会」の略で、野田市の小中学校全ての教員773名が所属する教育研究組織です。その教育研究組織の定期総会、そして各教科領域に分かれ1回目の分科会が行われます。そのため市内一斉に早帰りになるわけです。
先生達が集まって何を研究しているのかといえば、各教科領域ごとの分科会(例:数学部会など)で、子ども達が「主体的・対話的で深い学びにつながるような授業の工夫」であったり、一人一台端末の「効果的な活用について」など様々です。近年、教員の若返りが著しく、経験の浅い先生が増加しています。学校という枠を超えて集まり、他校の先生、経験のある先生などと問題を共有することは、経験の浅い若い先生方にとっては授業改善の大きなヒントが得られることでしょう。この野教研が野田市の学校格差を抑え、一定の水準を維持に貢献していることは間違いありません。
校長室のひとりごと「ザ、昭和」
昨日は「昭和の日」、今年は「昭和100年」ということもあり昭和を振り返る特別番組が流れていました。番組では昭和の家電なども紹介されており、チャンネル式のTVやダイヤル式の黒電話、振り子式の掛け時計や鳩時計、ラジカセなど…コテコテの昭和世代の私は、つい「そうそう、あったあった」などと懐かしんでいました。また、昭和の子どもの遊びも紹介されており、缶蹴りや警ドロ、ゴム跳び、スーパーカー消しゴム、メンコなどなど
私もそうでしたが、昭和の子どもはよく公園や道ばたで遊び、暗くなったことを合図に家に帰っていたものでした。私も何であんなに熱中して遊んでいたのか今となっては不思議でなりません。自然と仲間と合流し「今日何やる?」なんて話し合い、協調しあい、「缶蹴り」にしても何にしても、遊びの中で自分たちでルールを決め、楽しんだものです。そうしなければ楽しくありませんでしたから。昭和の子どもはそうして規範意識を養っていたのかもしれません。そして遊びの中で負けたりうまくできなかったとしたら、明日こそ勝つぞ!明日はこうしてみよう!などと戦術を考えたり工夫したりと競技性もあったのかもしれません。勝てばうれしく、負ければ悔しく、失敗して転べば擦りむいて血も出ます。そんな簡単にリセットできないバーチャルではない社会を経験しながら、皆大人になる準備をしていたのかもしれません。
改めて昭和を振り返ると、意外と楽しかった記憶が蘇ってきました。
校長室のひとりごと「PTA活動」
今日は、年度はじめ保護者会が行われます。そして引き続き「PTA総会」も行われます。残念なことに例年、事業参観や学級懇談会が終わるとお帰りになる保護者の皆さんが多く、PTA総会まで残ってくださる方は多くはありません。今、巷では「PTA活動」について疑問を投げかけるような世論が広まっています。
PTAは、保護者(P)と先生(T)で構成される組織(A)で、子ども達の健全育成のために、戦後間もない昭和20年に誕生しました。子ども達のために環境整備を行ったり、学校行事お手伝いを担ったり、登下校の見守りなどの活動が一般的です。誕生から80年、時代や社会、教員だけではなく保護者の皆さんのライフスタイルも変化し、共働きの家庭も増え、なかなかPTA活動に参加できない方々もおり、近年PTA組織自体を見直す自治体も出てきています。PTA組織自体を廃止したり、PTAへの加入者が少なく、活動を維持できずPTA組織自体を廃止する学校もあるようです。
本校もこういう状況を鑑みながら、PTA活動を大きく見直し、役員等を極力減らして、お手伝いいただけるときにお手伝いしてくださいね、というスタンスで保護者の皆さんに呼びかけて子ども達のために活動していただいています。今日のPTA総会、多くの方が参加くださることを願っています。
校長室のひとりごと「ペップトーク②」
昨日の続き「やる気にさせる魔法の言葉ペップトーク」について書いてみます。「ペップトーク」とはアメリカのスポーツ界で古くから重んじられている指導者必須の技術で指導者が率先して学ぶ「話術」です。
最も有名なペップトーク例です。舞台は1980年レークプラシッド冬季五輪アイスホッケーの決勝ラウンド。アメリカの相手は五輪4連覇中のソ連(現ロシア)、当時プロ選手の出場は認められておらずアメリカは代表とはいえ学生選抜。試合前のロッカールームは、勝てっこないという思いから来る恐怖と不安と緊張で静まりかえっています。そこへヘッドコーチがやってきて「偉大な瞬間は偉大なチャンスから生まれる。チャンスは今夜だ、その手でチャンスをつかみ取ったんだ」「たった1試合だ。10試合戦えばソ連が9回勝つだろうが、今日のこの1試合は違う。今夜は敵と肩を並べとことん食らいつく。そして完全に封じ込めるんだ、必ずできる」「今夜は俺たちが世界で最も偉大なチームだ。お前達はホッケーをやるために生まれてきた。今夜お前達がここに来たのは運命だ」「その時が来たぞ、ソ連の時代はもう終わった。もういいだろう、いい加減聞き飽きた。どこでもソ連は凄いという話ばかり聞かされ続けた。でももう古い」「時代はお前達のものだ。必ず奪い取ってこい!」そして選手達はリンクへ出て行き、結果は逆転の4対3で勝利、アメリカは金メダルに輝き、後に「氷上の奇跡」と呼ばれ語り継がれています。(つづく…)
校長室のひとりごと「ペップトーク①」
雨の休日には、一日中動画配信サービスで映画を観ることがあります。多い日には5.6本ぶっ通しで観るなんてこともあります。邦画、洋画、アニメなど特にジャンルは決まっていませんが、比較的洋画が多いかもしれません。特にアメリカの実話をもとにしたスポーツに関する映画をよく観ます。映画化されるようなスポーツの実話ですから、弱き挑戦者が最後には強き者に勝つ、というような内容が少なくありません。「結末がわかってるのに何で観るの?」と家族に言われますが、長年スポーツに携わり指導経験もある私にとっては、つい目に入り、気づけば「リモコンのプレイボタン」を押しています。
いろいろな逆境を乗り越え決勝の舞台に。しかし決勝の相手は強敵、誰もが分が悪いと思っている最後のゲーム、不安と緊張で静まりかえったロッカールーム、そこでヘッドコーチが選手を奮い立たせるために話をする。するとヘッドコーチの話に奮起した選手は見違えたように闘志をみなぎらせロッカールームから大舞台へと歩を進める・・・実はこんな場面で指導者が話す「やる気」にさせる魔法の言葉を「ペップトーク」と呼んでいます。この「ペップトーク」の場面を観たくて、人を「やる気」にさせる言葉を学びたくて、結果がわかっていても、実話をもとにしたスポーツ映画を観てしまうのです。この「ペップトーク」という言葉、覚えましたか?(つづく…)