ほごログ(文化財課ブログ)

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南桜井小学校伝統芸能クラブの皆さんが舞を披露しました。

南桜井小学校のクラブ発表会が2月14日に同校の体育館で行われ、伝統芸能クラブの皆さんが演目「芝舞」を披露しました。年間をとおしたクラブ活動の時間には、西金野井獅子舞保存会の染谷会長による指導が行われています。毎年4月のクラブ活動の時間に「発表会の時には、生徒さんだけで舞ができるように」とお約束をしているそうです。急遽3名がお休みをした中、堂々とした舞を披露されました。発表終了後に、「伝統芸能を絶やさないために、皆さん伝統芸能クラブに入ってください」と生徒さんから呼びかけがありました。一人でも多くの生徒さんに郷土春日部の伝統芸能に触れてもらいたいと思います。

笛とささらの音色に合わせた入場


演目「芝舞」の様子
 6年生は小学生生活最後のクラブ活動で4、5年生を引っ張っていただき、また、会長さんをはじめ、保存会の皆さまにもお忙しい中での継続したご指導、誠にありがとうございました。

資料をご寄贈いただきました

2月14日、市内にお住まいの方から資料をご寄贈いただきました。
今回、受け入れた資料は「埼玉箪笥同業組合員」の看板です。
埼玉箪笥同業組合看板

寸法は縦60.5cm、横13.2cm、厚さ1.6cm。
聞き取りによると、豊春地区で職人さんだった明治生まれのお祖父さんは、昭和戦後まで桐細工をしていたそうです。昭和32年の春日部市『商工名鑑』にはこの方のお名前がみえないことから、昭和30年ごろまでには箪笥づくりをやめられていたのかもしれません。
箪笥職人さんの実の娘にあたるお母さん(故人)が、「子どものころ、製造した桐箪笥を粕壁の箪笥問屋の島忠にリヤカーで運んでいて、よく粕壁に連れて行ってもらった」というご記憶を、生前によくお話しになられていたそうです。
島忠さんは、春日部発祥の家具・ホームセンターとして著名な会社です。元は粕壁の老舗の桐箪笥の卸問屋で、現在の学校通りに店を構えていました。『粕壁町誌』(昭和11年刊)に往時の島忠さんの店先の写真がありましたので、せっかくですから掲載したいと思います。その雰囲気を感じてみてください。
島村箪笥店

『埼玉の桐細工』(埼玉県立民俗文化センター、1987年)によると、埼葛一円には古くから箪笥組合があったようで、昭和2年に品質向上を図るため「埼玉箪笥同業組合」が結成されました。その後昭和7年には同組合は解散し、別の団体が結成され、戦中には川越の箪笥組合と統合し、埼玉県箪笥組合連合会が設立されました。
ですから、本資料は昭和2年~7年の間に掲げられていたものと考えられます。

春日部市の特産品として広く知られる桐箪笥ですが、調査・研究としては『埼玉の桐細工』や小泉和子著『箪笥』が底本となっていますが、実はそれ以上のことはあまりわかっておりません。引き続き調査をすすめていきたいと思います。

ご寄贈いただいた方には、改めてお礼を申し上げます。

「古文書解読勉強会」の成果(その2)

市民のみなさんが中心となってすすめている「古文書解読勉強会」。
現在は月1、古文書講座(中級)の後の時間に古文書を読んでいます。
先月、その成果をお披露目したところですが、今回はその第二弾。
その前に、みなさんのご了解を得て撮った勉強会の風景です。
古文書勉強会の風景
講座とはちがい、机を円卓にしてみなさん顔を向き合わせてすすめています。

今回、お披露目するのは前回に引き続き、当館所蔵の神間村文書です。
どちらも少し長いですが、解読できました。

【史料番号2】
神間村文書史料番号2

   質物ニ相渡シ申田地証文之事

一中田壱反六セ六歩          小沼耕地
  此分米壱石六斗弐升
一下畑拾五歩             同断
  此分米三升
一中畑壱反五セ六歩          八町耕地
  此分米壱石弐斗壱升六合
下畑五畝弐拾五歩之内
一下畑四セ弐拾七歩          同断
  此分米弐斗八升九合
 田畑合三反六畝弐拾四歩   御水帳面東道円名前
   分米合三石壱斗五升五合
右は能勢大学様御知行所
右是ハ当巳御歳貢其外払方ニ指詰り申ニ付、貴殿江
御無心申、右之田地三反六畝弐拾四歩質物ニ相渡シ、金子合拾
弐両借り、慥ニ受取申所実正也、但し年季之儀ハ当巳十一月より
来申ノ十一月まで中三歳季ニ相定申候、此田地ニ付何方より
も構無御座候、若シ何方より如何様之六ケ敷儀出来致候共、
われ等加判之もの何方までも罷出、急度埒明貴殿質
地ニ可致候、少も御苦労かけ申間敷候
一御公儀様御年貢諸役之儀ハ貴殿方ニ而御勤可被成候、
 尤歳季月ノ申十一月ニ本金拾弐両急度返金可致候間、
 右田地不残御返し可被下候、若請返し申儀不罷成ハヽ流し
 可申候間、此証文ヲ以右田地貴殿所持可被成候、自然御
 縄入候ハヽ貴殿名前ニ御請可被成候、又ハ御勝手ニ而何方へ
 何程の質物ニ御渡し被成候共、われ等義ハ不及申、右加判之
 もの致印形為質物入替可申候、少も違儀申間敷候、
 勿論此証文貴殿御所持被成候内ㇵ何歳過候而も少も
 違儀無御座候、乍去組中致加判証文入置申候、依而
 如件

     天明五歳巳十一月 庄内領宝珠花村
                地主  孫右衛門㊞
              同領神間村
                五人組 藤右衛門㊞
                 同  源蔵㊞
                 同  仲右衛門㊞
                 同  兵左衛門㊞
                 同  岩松㊞
                 与頭 多兵衛㊞
                 名主 源右衛門

      同領神間村
         名主  源右衛門殿

(ひとことメモ)
 神間村の小字には、町田、木塚、神間沼、小沼、和田沼、八町、原田、があります(『武蔵国郡村誌』)


【史料番号12】
神間村文書史料番号12の1
神間村文書12の2

  取替証文之事
一下総国葛飾郡関宿江戸町六左衛門并ニ代名主同国
 庄内領東神間村冶右衛門訴候ハ、右東神間村八町耕地 
 中道ニ六左衛門田地之悪水吐有之、土橋懸置候処、相給
 名主共理不尽ニ六左衛門田地之土を取、道普請致シ、剰
 右悪水口築留候故、田地水湛、及亡所候間、土橋并
 土取跡共如元仕立為相返度旨申上之候
一相手方名主并惣百姓答候ハ当村之儀土取場無之、
 前々より普請場最寄之田地より土取来、此度も村方
 一同致シ道普請仕、外百姓共ハ土取跡引ならし作毛
 仕附候処、六左衛門田地ニ限掘荒候と申上候儀一向無謂候、
 其上前々六左衛門と庄右衛門田境ニ用水口有之候処、六左衛門
 無故築留古来土橋無之場所ニ悪水吐有之由
 申掠候、此所悪水口有之候而は道下之田地江悪水
 落込迷惑之旨申上之候
右出入立会絵図面を以御吟味之処、六左衛門田地土取跡
作毛仕附候場所多ク、殊ニ六左衛門田地ニ限掘荒候無
証拠、土橋之儀も古来より有来、証跡無之出訴之趣
難相立旨被 仰渡、御尤ニ奉存候、然上ハ何分ニも悪水
不湛候得ハ申分無之旨訴訟方申上之候、相手方は
六左衛門庄右衛門田境之用水口、前々之通六左衛門取払候ハヽ
武右衛門田地之悪水口迄銘々水口附、用水悪水共
無滞可通旨双方口書差上候、依之被 仰渡候ハ六左衛門と
庄右衛門田境之用水口六左衛門浚之、夫より武右衛門田地迄之
田境各水口明用水悪水共無障可相通旨被
仰渡双方奉畏候、此旨相背重而及出入候ハヽ
御科ニ可被 仰付候、為後証連判取替証文差上申所
仍如件
           久能伊兵衛知行
              下総国東神間村
  享保十七年子十月廿一日    家守 冶右衛門㊞
           訴訟方
             久世隠岐守知行
              同国関宿江戸町
                                                             地主 六左衛門㊞
             能勢吉三郎知行
              同国東神間村
                 名主 政右衛門㊞                 
           相手方   組頭 兵左衛門㊞      
                 百姓 武右衛門㊞
             武嶋数馬知行
              同村 名主 市右衛門㊞

    御評定所

(ひとことメモ)
訴訟方の家守治右衛門は、本文の冒頭で「代名主」と名乗っています。これは家守を意味しているので、もしかすると「だい(かわり)なぬし」ではなく「だい(かわり)みょうしゅ」と読んだのかもしれません。市域周辺には、家守小作と呼ばれる地主小作慣行がありました。家守小作については、『春日部市史 庄和地域 原始・古代・中世・近世』309頁に解説があります。

正善小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年2月13日に正善小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
明治から昭和期の民具・農具や、少し前の家庭用品を見て今の暮らしとの違いを実感していました。

正善小学校見学

体験コーナーでは、赤電話の使い方を教わり、実際にかけて初めての体験をしていました。

見学の様子

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

よいこと運動広場に幸松小の神楽体験が発表

 2月10日(土)に「第11回よいこと運動広場」が教育センターの視聴覚ホールで開催されました。その中で、幸松小学校で取り組まれている、地元で伝承されている『神楽』の体験をとおした地域の伝統を学ぶ事例発表が行われました。
 幸松小学校の地元で伝承されている、市指定無形民俗文化財「不動院野の神楽」を伝承されている東不動院野神楽保存会の皆さまのご協力で、お神楽体験が授業に取り入れられています。

 
児童による神楽体験の感想発表

 大太鼓・締め太鼓・笛によるお囃子の演奏

 保存会の神楽の舞も加わりました
 4名の児童による堂々としたお囃子の演奏では会場一杯に祭りの雰囲気を醸し出し、割れんばかりの盛大な拍手をいただきました。こうした取り組みは、郷土春日部の貴重な文化遺産を次世代へと受け継ぐ、貴重な機会になっています。
 不動院野の神楽は、3月4日(日)の備後須賀稲荷社での初午祭、4月上旬には地元の東不動院野大杉神社での春季祭でも公開され、若き後継者の皆さまの演舞を現地でご覧になってはいかがでしょうか。

上沖小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年2月9日に上沖小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

見学の様子

春日部の古い写真を興味深そうに見たり、家庭で使われていた道具・農具を見学しながら、生活の変化を理解していました。

見学の様子

質問も色々として、興味をもってくれたようです。

見学の様子

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

古隅田川『新編図録春日部の歴史』からのご紹介37

岩槻方面から春日部市の中心部へ東西に流れる古隅田川は、江戸時代以前、北側の武蔵国(むさしのくに)と南側の下総国(しもうさのくに)を分ける国境の河川でした。
かつては利根川の本流として、小渕(こぶち)付近から南西へ流れ、浜川戸(はまかわど)や内牧(うちまき)の台地の縁辺を蛇行し、荒川(現在の元荒川)と長宮(ながみや・さいたま市岩槻区)で合流していました。
現在は直線的な流路で、岩槻方面から小渕方面へ、逆の流れになっています。

古隅田川流域には、謡曲(ようきょく)「隅田川」(
ほごログ2017年4月10日「謡曲「隅田川」の舞台と梅若塚」)にちなむ梅若(うめわか)伝説や在原業平(ありわらのなりひら)の東下り(あずまくだり)の伝承があります。
また浜川戸地区には、利根川を流れた砂によって形成された浜川戸河畔砂丘(埼玉県指定天然記念物)や、新方袋(にいかたぶくろ)から南中曽根(みなみなかそね)にかけては、堤防跡である古隅田公園があります。これらは、古隅田川が利根川本流として大河川であった時代の名残を今に伝えています。

「古隅田川ミステリー」2017『kasukabe+(かすかべプラス)』第9号10ページ(PDFファイル1.4MB)
「古利根川と古隅田川」『新編 図録 春日部の歴史』128ページ
古隅田川
古隅田川(梅田地区の古利根川との合流点付近)

業平橋
古隅田川にかかる業平橋(県道2号線豊春小付近)

陣屋遺跡『新編図録春日部の歴史』からのご紹介36

庄和地域の北部、西宝珠花(ほうしゅばな)地区や塚崎(つかさき)地区では、貝の内(かいのうち)遺跡や塚崎遺跡といった、奈良時代から平安時代の竪穴住居が多く作られたムラの跡が発見されています。
今回ご紹介する陣屋(じんや)遺跡も、そういった地域にある遺跡の一つです。

陣屋遺跡は、西宝珠花の南西部、低地に向かって西に突き出した幅250mほどの台地上に立地します。遺跡の標高は約10mをはかります。昭和39年の第1次発掘調査以来、今日まで合計9回の発掘調査が行われ、古墳時代から奈良・平安時代の竪穴式住居跡29軒が発掘されています。

陣屋遺跡で注目されるのは、平安時代の住居跡から『帯金具(おびかなぐ)』や『円面硯(えんめんけん)』といった、主に当時の役人が使う道具が出土していることです。
帯金具は現在のベルトにあたる帯につけられた金具です。円面硯は、筆に墨をつけるくぼみが円形となっている古代のすずりの一つで、中央が平らで高い墨をする部分、周囲は溝状(みぞじょう)で墨をためる「海」と呼ばれる部分になっています。

また、陣屋遺跡では文字が墨で書かれたり刻まれた,、墨書土器(ぼくしょどき)や刻書土器(こくしょどき)が出土しています。円面硯ですった墨を使って土器に文字を書いたのかもしれません。

「古代の葛飾郡・埼玉郡」『新編 図録 春日部の歴史』32ページ

帯金具
帯金具(巡方(じゅんぽう)という金具の裏金具)

円面硯
円面硯(筆に墨をつける円形の部分の一部)

墨書土器
刻書土器・墨書土器(左から刻書「月」、墨書「太」、墨書「月」)

立野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年1月31日に立野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
少し前の生活の様子を聞き、実際に使われていた色々な道具等を見たり触ったりしていました。

立野小見学の様子

児童たちが、集まっているところがあります。何があるのでしょう?

見学の様子

そこにあるのは、昔の電卓でした。今の電卓とは違って大きく、コンセントを利用して使うものです。

見学の様子

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

八木崎小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年1月30日に八木崎小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
児童たちは、少し前に使われていた学用品や農具等の説明を聞き、千歯こきの体験をしました。

見学の様子

今と比べると小さい昔のランドセルを実際に背負ったりして、自分のランドセルとの違いを実感していました。

見学の様子

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

名都借城跡『新編図録春日部の歴史』からのご紹介35

今回ご紹介するのは、千葉県流山市にある名都借城跡(なづかりじょうあと)です。
戦国時代に対立した古河公方(こがくぼう)第3代足利高基(あしかがたかもと)と小弓公方(おゆみくぼう)足利義明(あしかがよしあき)の戦いの前線に立地する城です。高基、義明はともに足利政氏(あしかがまさうじ)を父に持つ兄弟です。

高基は永正2年(1505)ごろから、父の政氏との間に確執があり、雪下殿空然(ゆきしたどのこうねん)と呼ばれていた弟の義明も一時は高基に味方し、永正9年(1512)ついに父の政氏は古河城(茨城県古河市)から追われ、小山城(栃木県小山市)に入りました。
義明は永正15年(1518)、上総国真里谷(かずさのくにまりやつ・千葉県木更津市)の武田氏に擁立されて下総国千葉郡小弓城(しもうさのくにちばぐんおゆみじょう・千葉市)に御所を構えて小弓公方(おゆみくぼう)と呼ばれました。

政氏の失脚後、高基と義明は古河公方の地位をめぐって対立し、その前線基地として義明が名都借城を築いたと推定されています。この近辺には、高基側の高城(たかぎ)氏が築いた根木内城(ねぎうちじょう・千葉県松戸市)が存在します。

高基、義明の戦いは高基の子、晴氏(はるうじ)の代になっても続きましたが、天文7年(1538)、国府台(こうのだい・千葉県市川市)の合戦で、晴氏と手を結んだ北条氏綱(ほうじょううじつな)に義明は討たれ、関東足利家は統一されました。
しかしながら、この戦いにより後の時代の北条氏台頭へとつながりました。

「古河公方・両上杉氏・後北条氏」『新編 図録 春日部の歴史』52ページ

名都借城跡(千葉県流山市)
名都借城跡(千葉県流山市)

幸松小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年1月26日に幸松小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
明治から昭和期の民具・農具を見たり、脱穀の時に使用した「千歯こき」の使い方などの説明を聞きました。

千歯こき説明

その後、実際に千歯こきを使い脱穀し、少し前の農家の仕事を体験!
今は機械で行う作業が、少し前は、手作業で労力と時間をかけて行っていたことに、児童たちは、びっくりしていました。

千歯こき体験

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

平成30年1月20日(土)、郷土資料館展示室で「体験ワークショップ」が開催されました。
まず、春日部の伝説をもとにした紙芝居や、電気を使わない蓄音機によるレコード鑑賞を楽しみました。

蓄音機鑑賞

そのあと、昔のおもちゃ「パタパタ(板がえし)」を作り、一番上の板をひっくり返すと、”パタパタ”と音をたてながら下の板もひっくり返るのを、何度も楽しんでいました。

ワークショップ風景


ワークショップの様子

ワークショップは、小学生までを対象とした、昔の遊びを気軽に体験できるイベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。
次回ワークショップは、平成30年2月17日(土)に「からくり屏風」を作ります。ご参加をお待ちしています。

小渕小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年1月18日に小渕小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
児童たちは、展示してある昔の道具を見ながら一生懸命メモを取ったりしていました。

小渕小見学の様子

昔の小さくて中に物が少ししか入らない電気冷蔵庫のドアを実際に開閉し、ドアの重さと冷蔵庫の小ささに、自分の家の冷蔵庫との違いに驚いていました。

電気冷蔵庫の見学

上の電気冷蔵庫より前に使われていた木製の冷蔵庫も触り、電気で冷やすのではなく、氷を使って冷やすことに驚いていました。

木製冷蔵庫の見学

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

1月21日銚子口の獅子舞が公開されます

1月21日(日)、銚子口香取神社にて銚子口の獅子舞が公開されます。
当日は、約70年ぶりに復活する「ウヅメの舞」が披露されます。
どうぞ皆様お誘いあわせの上、ご来場ください。

日時:平成30年1月21日(日)14時~15時20分
場所:銚子口香取神社(春日部市銚子口551)

交通機関:朝日自動車バス(春日部駅東口~豊野工業団地行)豊野小前バス停下車、徒歩5分

宮川小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年1月17日に宮川小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
児童たちは、昭和期の民具・農具を見たり、実際に千歯こきを使い脱穀し、少し前の農家の仕事を体験しました。

宮川小千歯こき体験

また縄文時代の竪穴式住居や江戸時代の宿場町粕壁宿の模型を目の前で見て、昔の春日部を身近に感じてもらえたかもしれません。

宮川小ジオラマ見学

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

「古文書解読勉強会」の成果(その1)

郷土資料館の収蔵庫には、未解読の古文書が膨大に眠っています。当館としては、これらを市民のみなさんにもご利用・ご活用いただきたく、また、開講から20数年経った古文書講座受講者のみなさんに、主体的に古文書解読の学習をすすめていただきたいと、長年思案していたところです。
「古文書解読勉強会」は、昨年11月より、古文書講座受講者の有志が集まって、古文書の解読をすすめるサークルとして月1回のペースで活動しています。
史料目録(リスト)からみなさんが興味をもった古文書を選んで、解読の担当者を決めて、くずし字の解読、口語訳をしています。テキストは、もちろん郷土資料館所蔵の古文書群。現在、講読しているのは市内の神間地区伝来の古文書群、神間村文書です。
講師がテキストを選定する古文書講座とは進め方が違いますので、読みづらい古文書にも出逢いますが、その分新たな発見も多いです。
ここでみなさんで解読した成果の一部をお披露目したいとおもいます。
横書きで読みにくいですが、ご了承ください。
ご興味のある方はぜひご参加ください。今後も当ブログで成果をご披露していきますので、お楽しみに。

【史料番号1】
写真:神間村文書1
(釈文)

   下知書之事

一金百八両弐朱也

 右は年来過納之分上納ニ有之候儀相違無之候、

 然ル処当年暮方仕法も相立兼候ニ付、

 右金子当寅年より無利足永年賦ニ取極置、

 下ケ金之儀は来ル辰年より年々収納之内ニ而

 引取勘定可被申候様、右之段頼入候、左候得は

 此上過納之義決而申入間敷候、為後日仍如件

 

            能勢十次郎内

  嘉永七寅年二月       渡邊宗輔

右は前書之通相違無之、依之奥印致候

 能勢助左衛門

 能勢十次郎

 

【史料番号4】
写真:神間村文書4
(釈文)

   申渡

一名字帯刀        山崎源兵衛

   当時

    弐人扶持

   帰国之後

    三人扶持

其方義数年来之間、
自分身上之儀ニ付彼是数度心配掛、

其上勤向一通り不成骨折有之候ニ付、兼而

是迄度々申聞置候、右之通り当年より差遣シ申候、

尤勤役中は勿論首尾能帰国之後迄も永々

前書之通り差遣シ置申候、依而下知書相渡置候所

相違無之候
                     山崎源兵衛江

   文政七申年

    二月廿二日

   能吉三㊞

武里図書館で作家三上於菟吉のパネル展を開催中です


昭和7年(1932) 将棋を指す三上於菟吉と長谷川時雨

武里図書館の一角で、郷土出身の大衆作家三上於菟吉のパネル展示を開催しております。昨年開催いたしました、「直木賞初代選考委員 三上於菟吉を知っていますか」展のダイジェスト版です。

展示風景(1)

於菟吉の生涯、「雪之丞変化」や「百万両秘聞」などの代表作、夫人の長谷川時雨などにつきまして、写真を交えて紹介しています。代表的な著書をお手に取ってご覧いただけるコーナーもございますので、武里図書館へお越しの際には、ぜひお立ち寄りください。

展示風景(2)

【歴史文化講演会】人間と昆虫の文化を考えてみませんか?

みなさんは昆虫に対してどんな印象をおもちですか?

農村に伝来した古い資料をひもとくと、しばしば「畜昆虫除守護」「昆虫災之御祓」などと印字された、虫除けの護符を目にすることがあります。郷土資料館にも、市内の旧家に伝来した「虫除」の護符を収蔵しています。
写真:護符
「御嶽権現 深秘禁厭 苗稼等之鳥獣波府虫災異撥止守護攸」と印字されています。
「御嶽権現」の神社は特定できませんが、「波府虫」(はふむし)とは昆虫のことで、このお札は農業の害鳥・害獣・害虫を払い除けることを祈念したもののようです。

市内の下大増では、平成初めごろまで、悪霊と一緒に害虫を追い払う「虫追い」という年中行事が行われていました。
下大増の虫追い
前近代の人々にとって、昆虫は愛玩する対象になることもありましたが、農業を生業とする人々にとっては、養蚕や養蜂など生産活動を支えた生き物であるとともに、農作物に被害をもたらす害虫でもありました。害虫を退けるために、上に示したような呪術やまじないに頼ったり、年中行事が営まれたりしたのでしょう。

さて、今回の歴史文化講演会では、「供養碑・虫塚を巡る楽しみ~人と昆虫のかかわりを考える~」と題して、昆虫芸術研究家の柏田雄三先生をお招きします。柏田先生は、全国各地の昆虫を慰霊した供養碑・記念碑・虫塚(むしづか)を巡り、考察され、『虫塚紀行』(創森社、2016年)を著されております。
虫塚は人のために働き、あるいは駆除された昆虫に対する先人の思いを伝える興味深い資料です。今のところ、市内には虫塚の所在は確認できないそうですが、全国各地の事例から、人間と昆虫がはぐくんだ文化について考える機会となることは間違いありません。
ご興味のある方は、ぜひ、講演会にご参加ください。
画像:チラシ
歴史文化講演会「供養碑・虫塚を巡る楽しみ~人と昆虫のかかわりを考える~」
日時:平成30年2月24日(土)14時~16時
会場:春日部市教育センター 2F 視聴覚ホール
費用:無料 定員:100名(申込順)
お申込みは郷土資料館まで(℡048-763-2455)

武州銀行粕壁支店『新編図録春日部の歴史』からのご紹介34

明治28年(1895)12月、粕壁町に粕壁銀行が設立され、翌年1月3日に開業しました。資本金は10万円で、幸手、岩槻、大宮、草加支店を開設しました。

大正7年(1918)11月には、浦和町に現在の埼玉りそな銀行の前身となる武州銀行が資本金500万円で設立されました。当時、埼玉県内には58の小規模の銀行がありましたが、武州銀行は埼玉県の中央銀行として、県内銀行と合併を繰り返し規模を拡大していきました。

その後、粕壁銀行は大正9年(1920)に武州銀行と合併し、武州銀行粕壁支店となりました。

粕壁商工会『粕壁町誌』1936
「粕壁銀行と宝珠花銀行」『新編 図録 春日部の歴史』217ページ

武州銀行粕壁支店
武州銀行粕壁支店(左一番手前の建物。街灯下の看板に武州銀行の文字がみえます。)