ほごログ
八木崎小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました
少し昔のくらしを展示した企画展示室では、
実際に日常で使われていた生活用品や学用品等を、見たり触れたりしました。
昔の春日部の写真を見て、春日部の移り変わりを実感したり
隣の常設展示室では、もっと昔である江戸時代の粕壁宿の模型を見たりして、昔を身近に感じていました。
※郷土資料館では、3月24日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。
鷹番廃止の高札『新編図録春日部の歴史』ーその75
江戸城の五里四方を、将軍自らが鷹狩りに行く御拳場(おこぶしば)、その外縁部に徳川御三家(尾張・紀伊・水戸)が鷹狩りを行う拝領鷹場(はいりょうたかば)、さらにその外側には将軍の鷹を訓練する御捉飼場(おとらえかいば)が設けられ、現在の春日部市域は御捉飼場に属していました。
御捉飼場に住む人たちには様々な規則や役割が課せられました。写真の高札は、泊まり込みで鷹の見張りを行う鷹番(たかばん)という役割が、負担軽減のために享保6年(1721)に廃止される際に掲示されたものです。
『最後の将軍がみた春日部‐野鳥と御鷹場・御猟場』2013 春日部市郷土資料館
「鷹場と負担」『新編図録 春日部の歴史』92ページ
古文書勉強会の成果(その11)
平成31年2月2日(土)と古文書勉強会を開催しました。市民の方々が主体的に市内神間地区ゆかりの江戸時代の古文書=神間村文書(春日部市郷土資料館所蔵)を解読しています。これまでの成果はこちらからさかのぼって御覧になれます。
2月は4点の史料を解読しました。成果は以下の通りです。
【史料番号26】
質物ニ相渡申畑地証文之事
一上畑壱反壱畝弐歩 町田耕地
能勢十次郎様御知行所御水帳面利兵衛名前也
右は当巳御年貢金其外要用差詰リ申候ニ付
貴殿江御無心申、右之畑地壱反壱畝弐歩質物ニ
相渡金四両壱分借用仕只今慥ニ請取申処
実正也、但し年季儀之ハ当巳十二月より来申十二月迄
中三ケ年季ニ相定申候、此畑地ニ付諸新(親)類等不申及
横合より少も構無御座候、若何如様之六ケ敷儀出来
致候とも、我等加印之もの何方迄も罷出急度埒明、貴
殿之質物ニ可致候、聊御苦労ニ相掛ニ申間敷候
一御公儀様御年貢諸役之義ハ貴殿方ニ而御勤被成
べく候、尤年季目之申十二月中ニ罷成候ハヽ、本金四両
壱分急度返金致候ハヽ右之畑地不残御返し
可被下候、若受返し申儀不罷成候ハヽ、流可申候間、此証文
を以右之畑地貴殿所持被成べく候、自然御
縄入等御座候ハヽ、貴殿名前ニ御請可被成候、又は御勝
手ニ而何方へ何程之質物ニ御渡し被成候とも
我等儀ハ不及申右加印之もの印形致為質物ニ
入替可申候、其節違儀申間敷候、勿論此証文
を以貴殿御所持被成候内は、何年過候とも少も
違乱無御座候、為念組中印形致質物証文入
置申処如件
安政五年 下総国葛飾郡
午三月 神間村
出石地主
甚五兵衛㊞
五人組
兵左衛門㊞
同
源次郎㊞
同
林蔵㊞
名主
久左衛門㊞
同国同郡同村
源兵衛殿
(ひとことメモ)
安政5年(1858)の質地証文。地主甚五兵衛が、旗本能勢氏知行所の上畑1反余を質に入れ、金4両1分を借用したもの。
【史料番号28】
質物ニ相渡申畑地証文之事
一上畑三反歩 町田耕地
此分米三石
能勢十次郎様御知行所 御水帳利兵衛名前
右は当巳御年貢其外諸仏(払)方ニ差支貴殿迄無心
申右之畑地三反歩質物ニ相渡し金拾五両借用
仕、只今慥ニ請取申処実正也、但シ年季之儀は
当巳十一月より来ル申十一月迄中三ケ年季ニ相定メ申候、
此畑地ニ付諸新(親)類は不及申、横合より少も構無御座候、
若何方より何如様之六ケ敷儀出来致候とも、我等
加判之もの何方迄も罷出急度埒明、貴殿江質
物ニ可致候、聊御苦労相掛申間敷候
一御公儀様御年貢諸役之儀は貴殿方ニ而御勤可被成候、
尤年季月之申十一月ニ本金拾五両急度返金
致候ハヽ、右之畑地不残御返し可被下候、若請返し
申儀不罷成候ハヽ流可申候間、此証文ヲ以右畑地貴殿
所持可被成候、自然御縄入御座候ハヽ貴殿名前ニ御請
可被成候、又は御勝手ニ而何方江何程之質物ニ御渡し
被成候共、我等義ハ不及申ニ右加判之もの印形
致し為質物ニ入替可申候、其節違義申間敷候、勿論
此証文貴殿御所持被成候内は何年過候とも少も
違乱無御座候、為念組中印形致質物証文
入置申処依而如件
安政四年 下総国葛飾郡神間村
巳十一月 地主
甚五兵衛㊞
五人組
兵左衛門㊞
同
源次郎㊞
同
林蔵㊞
名主
久左衛門㊞
同国同郡
源兵衛殿
(ひとことメモ)
安政4年(1857)の質地証文。地主甚五兵衛が、旗本能勢氏知行所の上畑3反余を質に入れ、金15両を借用したもの。
【史料番号31】
質物相渡シ申田地証文之事
一上田五畝歩 八丁通り
一下田壱反五畝歩 同
一中畑九畝歩 同
一下畑弐反六畝歩 同
一屋敷五畝歩 同
此高四石五升八合 御水帳面新左衛門名前
一上田七畝拾歩 茨田耕地
一中田壱反壱畝歩 同
一下田壱反壱畝弐拾歩 同
一上畑七畝歩 同
一中畑五畝歩 同
一下畑壱反八畝歩 同
此分米五石九升弐合壱勺
御水帳面久松名前
右は当亥ノ御年貢其外払方差詰申候ニ付、
書面之田畑貴殿江質物ニ相渡シ金子三拾両
借用仕、只今慥ニ請取申候処実正也、但シ
年季之儀は当亥十二月より来ル寅ノ十二月迄
中三年ニ相定、田畑質物ニ入置申候間
一御年貢諸役之儀は貴殿方ニ而被成御勤作徳并
立木等貴殿近(進)退可被成候、年季明キ寅十二月ニ
相成候ハヽ、金子返済可仕間地所御返シ可被下候、
若其節請返兼候砌田畑無甲乙其時之相場ニ而
相渡シ可申候、此地所ニ付御年貢未進拝借等外江
借金書入等不仕、組合并親類相談之上質地相渡シ
候間、外より故障之筋無御座候間、流地以後御検地
入ニ相成候ハヽ何様御名前ヲ請被成候共申分無
御座候、依之為後証質地証文相渡シ申処
如件 下総国葛飾郡神間村
天保十年 地主
亥ノ十二月 源兵衛㊞
(切取抹消)[ ]
名主
兼右衛門(印墨抹消)
同国同郡同村
組頭
栄治郎殿
(ひとことメモ)
天保10年(1839)の質地証文。地主源兵衛のほか、二名が連署していたが一名は署名部分を切り取り、兼右衛門は印を墨で抹消している。金子が返済されて反故になったため、このような処置がなされたと考えられる。
【史料番号36】
差上申一札之事
御知行所豆州武州総州先年御先納金
被仰付、村々一同御請仕御上納奉差上候処
今般村々江深ク御憐察を以前書御
先納金不残御下ケ済被下置一同立会
慥ニ奉請取候、依之為後日一同連印之
一札奉差上候処仍如件
元次(治)二年丑二月 御知行所
(後筆) 豆州田方郡
「御知行所 間宮村
武総葛飾郡 名主
神間村 吉田隼太郎
名主 右後見名主
源兵衛 惣四郎㊞
芦橋村
利右衛門 下総国葛飾郡
千塚村 永沼村
孫右衛門 名主
永沼村 野口孝右衛門
名主
野口孝右衛門 神間村
豆州田方郡 名主
間宮村 源兵衛㊞
後見名主 芦橋村
間宮村 名主
吉田惣四郎 利右衛門㊞
名主 千塚村
吉田隼太郎 」 名主
孫右衛門㊞
御地頭所様御内
御役人中様
(ひとことメモ)
元治2年(1865)に旗本能勢氏の知行所(伊豆国・武蔵国・下総国)の村々が能勢氏に上納した先納金を残らず「御下ケ」(返金)とし、これを知行所村々の村役人らが受け取り、能勢家の下僚あてに提出した文書。差出人は下段に判を押しているが、提出する前に連署の順に支障があったらしく、上段に差出人を書き直している。実際に提出されたものではないようである。
次回は、3月23日(土)14時~を予定しています。
古文書勉強会の成果(その10)
新年1月からは、新たに3名の方が加わり、大所帯となりました。今回は、1月12日(土)に解読した成果を披露します。
【史料番号313】
(表紙)
「 松平五郎左衛門様御知行所御内
神間邑百姓持高帳
元文五申三月改之 」
(反古)
「上田四町五反壱畝歩
中田五町六反七畝拾三歩
下田七町弐反拾五歩
上畑五町八反三歩
中畑 」
十二 上田四町五反壱歩 五斗五升取
十 中田五町六反七畝拾歩 五斗取
八 下田七町弐反拾五歩 四斗八升取
十 上畑六町九反六畝四歩 百三拾七文取
八 中畑五町八反三歩 百弐拾弐文取
六 下畑拾弐町九畝八歩 百六文取
下々畑三畝廿四歩 七拾文取
十 屋敷弐町六反弐畝拾壱歩 百拾文取
田合拾七町三反八畝廿八歩
畑合弐拾四町八反九畝九歩
田畑屋敷合四拾四町九反拾八歩
此高三百八拾三石三斗壱升六合
此訳ケ
一 高拾四石五斗八升八合六勺 半兵衛
椿村弥三郎分
一 同三拾壱石八升四合九勺 門右衛門
一 同拾石八斗三升六合 同人
野田金乘院分
一 同弐拾七石九斗三升三合 忠兵衛
椿村弥三郎分
一 同三拾石四斗五升壱合 藤兵衛
当村仁右衛門分
一 同弐拾弐石八斗六合 又右衛門
屏風庄左衛門分
一 同拾四石五斗三升三合 角右衛門
椿村庄次郎分
一 同拾六石壱斗五升九合 惣右衛門
五左衛門八右衛門安右衛門三人分寄高也
一 同三石九斗四升六合七勺 源次郎
一 同六石六升 彦兵衛
一 同六石壱斗七升七合 吉左衛門
一 同三石壱斗六升七合 八右衛門
一 同五石九斗弐升 彦八
一 同弐石弐斗三升三合 市右衛門
一 同五石八斗五升弐合 助右衛門
一 同拾石三斗四升六合 甚左衛門
一 同四石壱斗壱升四合 浅右衛門
立野村八左衛門分
一 同九石八斗四升七合 同人
内四石八升三合甚左衛門分分ケ高入
二十二石三斗一升 金野井村孫右衛門分
一 同弐拾弐石三斗壱升 又七
一 同拾石四斗弐升弐合弐勺 孫八
一 同弐石五斗弐升
一 同五石九斗六升三合弐勺 吉右衛門
一 同拾壱石弐斗四升八合八勺 門左衛門
一 同拾八石壱斗壱升七合七勺 伝五右衛門
一 高五石四升六合 茂兵衛
一 同七石弐斗弐升弐合六勺 藤七
一 同壱石九斗三升五合 安左衛門
一 同四石弐斗四升 文右衛門
金野井村孫右衛門分
一 同三拾五石八斗弐升六合六勺 定右衛門
一 同拾弐石三斗三升六合六勺 園右衛門
金野井孫右衛門分
一 同五石八斗九升六合
一 同拾四石弐斗四合 兵左衛門
内弐石九斗壱升源兵衛分高入
右惣高合
一高百六石六斗八升五合五勺 椿村
一同六拾七石七斗四升壱合三勺 小平村
(ひとことメモ)
元文五年(1740)の神間村のうち松平五郎左衛門知行所内の百姓の所持高をまとめた記録。松平五郎左衛門は諱(いみな)を正員(まさかず)といい、下総国葛飾郡・伊豆国田方郡・加茂郡に1100石を知行する旗本です(『寛政重修諸家譜』)。
【史料番号32】
御請書之事
一永百六貫七百七拾六文四分 豆州
一永百八貫百六拾弐文三分 武総五ケ村
右は年来御過納上納ニ相成候分相違無御座候、然ル処
当年御暮方御仕法も相立兼候ニ付、前書上納之金子
当寅年より無利足永年賦ニ被 仰付奉畏候、御下ケ金
之義は来ル辰年より年々御収納之内ニ而御下ケ金ニ相成候様
被 仰付一同奉畏候、左候ハヽ此上御過納之儀被 仰付
間敷と是又奉畏候、依之御請書奉差上候、以上
御知行所
豆州間宮村
嘉永七寅年二月 吉田伊右衛門代
藤兵衛
武総五ケ村
代
千塚村
名主 孫右衛門
永沼村
名主 孝右衛門
御地頭所様御内
渡辺宗輔様
(ひとことメモ)嘉永七年(1854)二月に旗本能勢氏知行所の伊豆・武蔵・下総の村々が能勢氏の用人渡辺宗輔あてに提出した請書。村々が上納した「過納」分を無利息の年賦金として借用するものとし、来辰年より「御収納」(村が納付する年貢)の内から差し引いて返済することとなった。これを命じた下知書は以前読んだ史料番号1にあたります。近世後期には旗本の家政は悪化し、知行所の村々に対し上納金を命じられることが広く行われました。
【史料番号350】
(表紙)
「 嘉永六年
御鷹御捉飼場締御請証文
丑八月
神間村 」
差上申御請証文之事
一御鷹場村々従 御公儀様被 仰出候通
御條目之趣堅相守可申候、御鷹鳥は不及
申諸鳥ニ至迄殺生為致申間鋪候事
一当村ニは四季打鉄砲無御座候事
一御鷹匠様方当村方江御泊人馬継と御先触
参候ハヽ早速御届ケ可申候、勿論犬猫繋置
御鷹之障ニ不相成様可仕候事
宿被仰付節は火之元入念大切可仕候事
附御鷹匠様方御旅宿被 仰付候節
火之元入念大切ニ可仕候事
一疑鋪相見江候御鷹匠様方御出御鷹遣
候ハヽ御焼印引合可申候事
附合札御焼印違候歟、所持不致候ハヽ
御鷹為遣不申早々御届ケ可申候事
一鶴雁鴨之類追立申間敷候、勿論番屋抔
仕立道具等為持追立申間鋪候、若相背追
立御場廻之節御見附被成候ハヽ何様ニも可
被 仰立候、殊病鳥落鳥御座候ハヽ隠置
不申御届ニ可申候事
一八月より翌春三月迄之内人寄ケ間敷儀一切仕
間鋪候、勿論無拠神事仏事一日之祭礼御座
候共已前御届御下知を請可申候事
一沼川通用悪水堀々堅殺生仕間敷候、勿論八
月朔日 御制禁之建札可仕候事
一川鳥売買仕候もの当村ニは一切無御座候、仮
令脇村より参売買仕候共捕置早速御届可申
候事
一鉄炮其外何ニ而も殺生仕候もの見付候ハヽ捕
置早々御届可申候事
一八月より三月迄之内用悪水堀先規より掛来
候場所仮橋無御差支懸置可申候、勿論
御鷹御用不相済内は囲堀亦は外之堀々ニ至
迄無拠普請御座候ハヽ早速為御知可申候事
一田船之儀当十月より来春迄御用不相済内
は用悪水堀々通壱艘も差置申間敷候、縦令
川通渡場ニ候共渡船計差置外小船差
置申間敷候事
一御鷹匠様方他村江御止宿被遊御捉飼ニ御
出村内野場御通行掛り之節御用等居合候農
人亦は百姓家江御立寄御用之趣被 仰付候共
無遅々相勤御用御間ニ合候様可仕候、勿論常々
村中惣百姓並水吞小供ニ至迄申付置御鷹
御用無御差支可仕候事
一飼鳥之儀水鳥は不及申小鳥ニ至迄飼鳥為
致申間敷候事
一堀筋通段木伐透下草刈払御捉飼
御差支無之様可仕候事
一従 御公儀様より被遊御渡候御焼印餌
鳥合判鏡ニ仕餌鳥人参候ハヽ合判可仕候事
右箇條之趣被 仰渡得其意村中惣百姓
寺社領門前百姓并地借店借末々召遣之者
迄堅為相守可申候、若背仕候者御座候ハゝ何様
ニも可被 仰立候、為後日御請證文差
上申候処仍而如件
松平健之助
中根鎗次郎
能勢十次郎 知行所
久野伊三郎
武嶋内蔵助
下総国葛飾郡
神間村
嘉永六年 右五組惣代
丑八月 名主
久左衛門㊞
組頭
源太郎㊞
百姓代
兵左衛門㊞
戸田五介様御組
野廻役
関口栄助殿
(ひとことメモ)
嘉永六年(1853)八月の幕府の鷹場にあたる村々が提出した証文。神間村をはじめ春日部市域は幕府で飼育する鷹の訓練場(捉飼場・とらえかいば)であった。捉飼場の村々には鷹の訓練に支障が生じないようにさまざまな生活規制が強いられた。
次回は3月23日(土)14時~を予定しています。
近いうちに、2月の成果も更新しますのでお楽しみに。
小渕小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました
昭和から平成の暮らしのうつりかわりについての説明を聞いた後、自由時間には郷土資料館を自由に見学したり、昭和期に使われていた冷蔵庫や水車などを実際に触ったりして、今との違いに驚いていました。
郷土資料館では、3月24日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。