ほごログ
幸松小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました
令和2年2月12日(水)に幸松小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
時代とともに少しずつ変わっていった春日部のくらしについて、学芸員から説明を聞きました。
説明の後の自由時間には郷土資料館を自由に見学しました。
古い地図や粕壁宿の模型を見たりして、昔の春日部を想像できたようです。
郷土資料館では、3月22日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。
初午
お客様から「初午(はつうま)」のお問合せを頂きました。令和2年(2020)は、2月9日(日)が初午になります。
日本の暦(こよみ)では、年だけでなく、日々にも十二支が割り当てられています。そして、2月の最初の午(うま)の日を初午と呼び、主に稲荷神社でお祭りをします。
なぜ、1月の最初の午の日ではなく、2月なのかは、諸説ありますが、『庄和町史編さん史料12 民俗II』によれば、京都府の伏見稲荷神社の祭神がその山上に降臨したのが和銅4年(711)の2月11日で、この日が午の日であったとの伝えがあるとのことです。旧暦にあわせ、3月の最初の午の日を初午とするところもあります。
ともあれ、この時期が、ちょうど農作業をはじめる前のころにあたるため、豊作の祈願などが行われ、粗くおろした大根と大豆を煮た「スミツカリ」という料理を「ツトッコ」と呼ばれるわら包みにいれて、稲荷神社や各戸の屋敷神に供えたり、甘酒を作ったりします。
また、初午の日には、お風呂をたいたり、お茶をわかしたりしない、火事になるから仕事をしないなどの言い伝え(禁忌・きんき)もあるそうです。
資料館に展示している旧陣屋町内会から頂いた陣屋稲荷の狐たち
市民の皆さんと館蔵の古文書を読んでいます
令和2年2月2日(日)古文書勉強会を開催しました。前回に引き続き、嘉永2年(1849)の御鹿狩の勢子人足として動員された神間村の記録「小金原御鹿狩ニ付手控帳」を、21名の市民の方たちと講読しました。
今回は、神間村から動員された勢子人足が帰村した後、村内の「愛宕山」にお神酒を奉納し、「念相院」という寺院で「お時」(御斎)をしたという記事などを講読しました。
「小金原御鹿狩ニ付手控帳」は、いよいよ次回に読み終わりそうです。古文書勉強会のこれまでの成果はこちらからさかのぼって御覧になれます。
なお、次回は3月1日(日)14時~となります。
【常設展】竪穴式住居の魚たち
郷土資料館の竪穴式住居の模型の中には、サケ、クロダイ、スズキ、ウナギを燻製にした様子の模型を展示しています。
竪穴式住居の模型は、花積貝塚の発掘調査で発見された縄文時代中期の住居跡をモデルにしています。
クロダイとスズキ、ウナギは、実際に花積貝塚から骨が出土しており、縄文の人も食べていたと考えられます。
残念ながら花積貝塚では、サケの骨は出土していません。これは、サケの骨が、非常に小さく砕けてしまうことが理由のようです。しかしながら東北地方や信州・北陸地方、また東京都の遺跡では、サケの歯や骨が大量に見つかっていますので、花積貝塚でも食べていた可能性は十分にあります。
ところで、サケは回遊魚で、産卵期に川を上ってきます。ウナギも海で生まれ回遊した後、川をさかのぼります。クロダイやスズキ(*)は、河口など、塩分が弱い水域でも生活できますが、基本的には海に生息します。
つまり、花積貝塚に暮らした縄文の人は、川でとれる魚、海でとれる魚の両方を食べていました。模型の竪穴式住居が営まれた縄文時代中期は、比較的寒く、縄文時代前期に奥東京湾を形成した海は現在の春日部市域よりも南に下がっていたと考えられます。花積貝塚で暮らした縄文の人たちは、食料を手に入れるために、様々な漁場へ出かけていたのでしょう。
*スズキは河川の淡水域まで遡上する個体もいます。(2020年2月7日追記)
竪穴式住居模型の魚(上からスズキ、クロダイ、ウナギ)
江戸川小中学校第3学年が、郷土資料館を見学しました
令和2年1月28日(火)に江戸川小中学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
暮らしのうつりかわりについての説明を聞いた後、自由時間には郷土資料館を自由に見学しました。
昔の電話や遊び道具を実際に触れて、記憶に残る見学になってくれたでしょうか
郷土資料館では、3月22日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。
郷土資料館体験ワークショップを開催しました♪
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、
昔のおもちゃ「パタパタ(板がえし)」を作りました。
一番上の板をひっくり返すと、下の板も順番に”パタ♪パタ♪パタ♪”と
音をたてながら ひっくり返るのを、何度も楽しんでいました。
ワークショップは、小学生までを対象とした、昔の遊びを気軽に体験できる
イベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。
※次回ワークショップは、令和2年2月15日(土)に「からくり屏風」を作ります。
ご参加をお待ちしています♪
小渕小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました
資料館に展示してある、少し前に家庭や学校などで使われていたものを見ながら
それぞれの道具の説明を聞きました。
説明を受けた後は千歯こき体験や、実際に昔のものに触れて体験です。
初めて触れる ”そろばん” 使い方はわかるかな?
かすかべ弁?「さっぱりわからない!!」と言いながら一生懸命考えていました。
郷土資料館では、3月22日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。
小金原御鹿狩の古文書を読んでいます。ついでに参考史料も紹介
今回読んだ部分は、いよいよ御鹿狩の当日の場面でした。神間村の人足たちは「さんきらへばら」(山帰来・サルトリイバラ)の生い茂る山に入り、御狩場の左手の「なら山」に待機しましたが、場所が悪く「御天之方」(将軍家慶)の姿は全く見えなかったと記しています。狩りの始まりを告げる鉄砲の合図で勢子たちが持ち場を引き取った後、神間村の人足は「御天之方」へ赴き、狩りや将軍家慶の姿を拝見したようです。遠目ではありますが、将軍の姿を直接見る特別な機会になったようです。
ところで、当日も参加者の方からも紹介がありましたが、小金原御鹿狩の関連史料は数多くあり、そのうちの一部は史料所蔵機関のホームページで閲覧することができます。以下、わずかですが参考となる史料を紹介しておきます。
①「小金原御鹿狩絵図」(船橋西図書館所蔵)*当日紹介されたものです。寛政7年(1795)の御鹿狩を描いたもの。
②「〔小金原御鹿狩図〕」(船橋西図書館所蔵)*当日紹介したものです。嘉永2年(1849)の御鹿狩に伴い「御締」となった地域を示した絵図です。このほか船橋西図書館のサイトでは様々な御鹿狩の絵図や史料をご覧いただけます。
③「小金野御鹿狩御用留」(東京国立博物館所蔵)*御鹿狩の準備のため代官斎藤嘉兵衛の手代中村条助が「御鹿狩御用出役」を勤めたときの御用留。御鹿狩のため獲物を生け捕りするなど、下館や真壁周辺の村々で準備が進められる様子がうかがえます。
④「小金野御鹿狩記」(国立公文書館所蔵) *藤原政脩なる人物による嘉永2年の御鹿狩の記録(のち内務省により書写されたもの)。鹿狩の過程を描いた記録。供奉した大名・旗本の名や人数などが詳しく記録されるほか、彩色の挿絵もあります。
このほかにも、享保年間、寛政年間の御鹿狩の記録・絵図も含めると、インターネット上で公開されているものだけでも、枚挙にいとまがありません。
神間村の「小金原御鹿狩ニ付手控帳」は、解釈しづらい箇所もありますが、こうした関連史料を調べることで、史料の解釈が深まるかもしれませんね。個人的には②や④が役立つのかなと思います。
「小金原御鹿狩ニ付手控帳」は、未だ読み終わりませんが、古文書勉強会のこれまでの成果はこちらからさかのぼって御覧になれます。
なお、次回は2月2日(日)14時~、次々回は3月1日(日)14時~となります。
【銚子口の獅子舞】新春の舞が公開されました
年末の第9回民俗芸能公開事業でも出演いただいた『銚子口獅子舞保存会』の皆さまは、年末年始も練習を重ね、特に二人の女子高校生、そして3年前に約70年ぶりに復活させた演目”宇津女(うづめ)の舞”の熟成に取り組まれました!
▲高校2年生の神谷さんによる「小獅子の舞」。獅子役は昨秋のデビューながら堂々とした落ち着いた舞を披露してくれました。
▲”中獅子の舞”から新たに”さんぎりの舞”に取り組まれた高校2年生の日向さん。小気味よくリズミカルな舞を皆さんに披露してくれました。
▲新春の舞にふさわしく桜花を太夫獅子が携える”宇津女の舞”。復活してから3年目の舞は徐々に地域でも浸透してきました。
市内で唯一、1月に公開される民俗芸能ですが、7月、10月と、年間3回、銚子口の獅子舞では異なる演目が舞われます。
また、4月から本格的に各団体さんも始動してまいります。この令和2年も形なき文化遺産の応援、よろしくお願いします。
【常設展】花積貝塚の縄文人(復顔模型)
昭和43年(1968)、花積貝塚で、今から約4800年前の縄文時代中期の人骨が発見されました。
頭蓋骨から、その人が生きていた時の顔の様子を復元する作業を、復顔(ふくがん)といい、郷土資料館では、この人骨の頭蓋骨をもとに復顔した縄文人の顔の模型を展示しています。
花積貝塚の縄文人を含め、縄文人の顔は、現代人と比べて次のような特徴があります。
・頭の形が正方形に近い。(顔の幅が広い)
・眉間が突出し、ほりが深い。
・目が大きく丸い。
・口元はひきしまった印象がある。
模型では見えませんが、口元のひきしまった印象は、歯のかみ合わせに違いがあることによります。現代の日本人のほとんどが、上の歯が下の歯の前に下がる鋏状咬合(きょうじょうこうごう)であるのに対し、縄文人は、上の歯と下の歯が同じ位置でかみ合わさる鉗子状咬合(かんしじょうこうごう)になっています。
郷土資料館では、西親野井地区の神明貝塚で発見された縄文時代後期の頭蓋骨を、内牧地区の坊荒句遺跡で発見された江戸時代の頭蓋骨と並べて展示しています。これらをくらべてみると頭蓋骨からも、顔に現れる特徴の違いがよくわかります。
花積貝塚の縄文人
宮川小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました
展示物を見ながら説明を聞き、いつもの授業とは違う体験をしました
実際に学校で使われていた椅子に座って昔の教科書を読んだり
白黒テレビを見たりと、楽しみながら学ぶことができたようです
郷土資料館では、3月22日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。
春日部市内の道しるべ
今回は、そんなレファレンスの一コマから、市内の道しるべについて紹介したいと思います。
市内の道しるべについては、『埼葛の道しるべ』(1996年刊)という図書が参考になります。同書は、埼葛地区文化財担当者会という広域行政団体が調査・編集した報告書で、春日部市(旧春日部市・旧庄和町)をはじめ、埼葛地区の道しるべを悉皆調査し、様々な角度から分析しています
当時の調査によれば、市内には72基の道しるべがあるとされています。残念ながら発行部数も少なく、同書の入手は困難を極めています。そこで、同書から市内の道しるべ一覧(みちしるべ.pdf)を示しておきたいと思います。なお、現在は、その後の精緻な調査もあり、市内の道しるべは2基発見され、74基を数え、ここで掲載した道しるべ一覧は、今後も修正・訂正の余地があります。
市内の道しるべとして著名なのは、日光道中に建てられたものです。現在も春日部大通り(旧日光道中)に建てられているものや、郷土資料館で展示しているものもあります。また、小渕の追分にある宝永6年(1709)銘の道しるべは、市内最古であることが知られています。
道しるべの行き先をみると、日光や江戸といった日光道中ゆかりのものや、当時の城下町である関宿・岩槻や、古刹慈恩寺までの指標となったものが多くありますが、一方で、金野井(かなのい)、宝珠花(ほうしゅばな)など江戸川の湊として賑わった河岸や、備後(びんご)など渡船場を行き先にするもの、四国八十八か所を模して行われた庄内領新四国八十八か所の順路を示すものなど、地域色豊かな道しるべも散見されます。
道しるべというと、行き先を示した割と目立つ石塔を想像しがちですが、実は庚申塔等の石造物を兼ねているものが多いことも特徴です(併用道標)。また、江戸時代には多くあったであろう木製の榜示や道しるべは、朽ち果ててしまったと考えられます。路傍の石造物をじっくりみると、新発見の道しるべもまだあるかもしれません。お気づきのことがあれば、ぜひご教示ください。
中野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました
明治時代から現代までの生活の推移を、実物や写真を見て学びました
実際に、千歯こきを使い脱穀体験をしたり
素足に ”わらじ” を履いて歩く児童もいました
ちなみに感想は「痛い!痛い!」でした
1時間以上、郷土資料館を見学してくれました♪
郷土資料館では、3月22日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。
【常設展】竪穴式住居模型を作っている木材
さて今回は、模型に使われている木材の木の種類についてご紹介します。資料館の竪穴式住居の模型の木材は、すべて本物の植物を加工して使っています。
まず、中央で屋根を支えている4本の柱とそれを横につないでいる梁(はり)の部分は、コナラを使っています。棟(むね)という、住居の穴の外側から斜めに建てられている材木はスギです。その棟をマス目になるように横につないでいる横材はクリで、この棟と横材の上に屋根になるカヤがのせられています。
コナラやスギ、クリの木材は、縄文時代の遺跡からも炭化した状態で発見されることの多い木です。
木材の違いは樹皮の様子で簡単に見分けられます。ご来館いただいた際は、ぜひご確認ください。
春日部市郷土資料館、三十路を迎えました
ところで、今年2020年は郷土資料館開館30周年の記念すべき年です。皆様にご愛顧いただき、無事に三十路(みそじ)になりました(まだ数えですが・・・)。
正月早々、手前みそですが、今回は開館当時の資料から「生まれたて」の資料館を紹介したいと思います。
平成2年(1990)7月20日、郷土資料館は、教育センターの1階に開館しました。13時、開館式典のテープカットで、資料館は産声をあげました。
テープカットの写真からは、現在、民具等を展示して狭く感じるロビーには、何も置かれず、広々としている様子がわかります。次の写真は開館まもなくに撮られた展示室の写真です。
あまり変わり映えしていないようにも見えますが、その後、設置されていったケース、資料、解説パネルなどがありません(当然ですが)。
「広報かすかべ」408号(1990年6月号)には、資料館のオープンを紹介した記事が掲載されています。
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展示室(常設展示)のオープンと同時に開催された開館記念特別展は「粕壁と円空」でした。当時の記事をみると、旧春日部市内の14体の円空仏を展示したそうです。現在は、その後の調査も進み、現市内には22体の円空仏が確認されています。
開館当時の見どころが、竪穴住居と宿場の模型だったこともよくわかりますね。今は手を変え品を変え、収蔵資料で見どころをつくれるよう日々奮闘していますヨ!
開館特別記念講演会には県立博物館(当時)の林宏一先生をお招きして、「埼玉の円空仏」についてご講演いただきました。次の写真は講演会の記録写真です。
現在は満席になることも多い記念講演会ですが、まだ教育センターや資料館、円空仏について認知されていないなか、開館日の翌々日に開催されたので、空席が目立ちますが仕方ありませんね。現在は、多くの皆さまに少しは認知していただるようになったのかなぁと思ったり、思わなかったり。
さて、30周年となる2020年も、より多くの方にご利用いただき、郷土の歴史・文化に親しんでいただけるよう、様々な企画・工夫を凝らしていきたいと思います。三十路になった春日部市郷土資料館を、本年もどうぞ変わりなく、お引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます。
ミュージアムトーク「春日部の歴史と2019を振り返る」を開催しました
本年も、ご来館いただき誠にありがとうございました。
さて本日は、「かすかべの歴史と2019年を振り返る」をテーマに常設展示のミュージアムトークを開催いたしました。暮れのお忙しい時期にもかかわらず、大勢の方にお越しいただきました。
ミュージアムトークでは、今年のニュースのレジュメをもとに、関連する展示物をご紹介いたしました。
2019年は、改元や台風被害など大きなニュースがありました。これらに関連して現在、市内に伝わった明治の改元の際の恩赦に関する文書や、明治43年の水害被害を記録した文書を常設展示に展示しております。こういった資料は、過去の人々が様々な事象に対してどのように向き合ったのかを如実に伝えてくれているだけではなく、現代を生きる私たちの指標ともなります。
また、7月に世界遺産になった百舌鳥・古市古墳群の大仙古墳(仁徳天皇陵古墳)と市内の塚内古墳群の比較、大仙古墳(仁徳天皇陵古墳)が世界遺産に登録されるにあたっての問題点について、解説いたしました。
2020年の暮れにも、また実施できればと考えております。
どうぞよいお年をお迎えください。
ミュージアムトークの様子
手作り季節展示を展示してます
1年経つのは早いもので、もう年末です
郷土資料館では、小さな手作り門松をかざり、新年を迎える準備をしました♪
皆さま、ぜひご来館ください
郷土資料館は、12月29日(日)から1月3日(金)まで休館となりますので
ご注意ください
郷土資料館体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」第2回を開催
2人一組になり1人が元をしっかり押さえた状態で、わらの束を3つに分けて、それぞれ右にねじります。
右にねじった2つのわらの束を、「左まき」でまき合わせるのですが、「左まき」がわからず2回失敗しました。
写真は間違っているまき方です。
3回目にして、ようやく正しい方向に巻くことができ、完成しました。
皆さん他に輪飾りなども作ってお持ち帰りになられました。
来年もまた暮れの時期に実施しますので、ご興味がある方はぜひご参加ください。
【ミュージアムトーク】春日部市の2019年
2019年の春日部市のニュースでは、以下のようなものがありました。
●2019年主な春日部のニュース(「広報かすかべ」他より)
2月8日 株式会社ジェイコム北関東越谷春日部局と市が包括的連携協定を締結。
2月14日 豊野町のプラスチック工場で火災。
2月26日 国交省が首都圏外郭放水路を次年度よりインフラツーリズムのモデル地区とすることを発表。3/23より有料施設見学開始。
3月8日 春日部駅付近連続立体交差事業都市計画決定。
3月23日 第91回選抜高校野球に春日部共栄高校。1/23初日高松商業に敗退。
3月29日 4/7埼玉県議会議員選挙告示、春日部市選挙区は無投票。
3月31日 住基カードによるコンビニ交付サービスの新規登録受付が終了。
3月31日 谷原中、中野中、宝珠花小、富多小、江戸川中廃校。
4月1日 春日部南中、江戸川小中学校開校。
5月3日 大凧あげ祭り、大凧文字「令和」「元年」(5/5も)。
5月7日 匠大塚株式会社と市が包括的連携協定を締結。
5月18日 資料館春季展示「指定文化財でめぐる春日部」(7/7まで)
6月30日 市のAR動画サービス(HP Reveal)サービス終了。
7月23日 資料館夏季展示「元祖成金!鈴木久五郎」(9/8まで)。
9月11日 葛飾中学校で熱中症19人が緊急搬送。屋外の最高気温35.8度。
10月1日 「アンタッチャブル」の山﨑弘也がかすかべ親善大使になる。
10月1日 資料館小学校地域学習展「くらしのうつりかわり」(R2.3/22まで)。
10月6日 イオンモール株式会社と市が包括的連携協定を締結。
10月13日 台風19号(10/13~)による避難勧告。水害に備えて避難所設置。
10月13日 ジェフユナイテッド千葉の春日部市出身、佐藤勇人現役引退。
11月15日 神明貝塚、国史跡に指定の答申。埼玉古墳群も特別史跡と答申。
11月29日 「クレヨンしんちゃんのなるほど春日部マガジン」が日本タウン誌フリーペーパー大賞で全国4位。
12月 3日 旧庄和町が2001年に埋設したタイムカプセル公開。1月に返送。
さて、12月28日(土)は、ミュージアムトークを行います。
春日部のニュースに限らず、2019年の様々なニュースを振り返りながら、関連する展示について、皆様とトークしたいと思います。
ミュージアムトークに向けて、一部展示替えを行い、皆様をお待ちしております。
【ミュージアムトーク】春日部の歴史と2019年をふり返る
日時:令和元年(2019年)12月28日(土)10:30~、15:00~
各60分程度
場所:郷土資料館常設展示室
*ミュージアムトーク中の入場、退場は自由です。
郷土資料館体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」を開催しました
最初に、半紙を使い紙垂を作成した後、しめ縄本体の作成をしました。
しめ縄は、2人の共同作業になり、2人が藁の両端を持ち、ねじって作成します。
新年を迎えるのにふさわしい立派な物が完成しました。
参加者からは、「毎年参加しています!」「楽しかった」と感想をいただきました。
神間村文書を読む勉強会
酒井根村の焚き出しでは、夜飯に「にぎり飯壱人前三勺宛被下、其外茶酒抔迄も送り来」との記事があり、握り飯が3勺(1合の3分の1)では少ないのではないかとの意見があり、「勺」の字をめぐって様々な意見が飛び交いました。同様に「茶」という字も「薬」と読めるのではないか、「寝」の異体字の書き損じではないか、という意見もあり、あるいは「来」も「直」ではないかとの意見もあり、この一文の翻字と解釈をめぐって、皆さんで検討を深めました。
白熱(?)していたこともあり、今回はみなさんの写真を撮り忘れてしまいました・・・
「小金原御鹿狩ニ付手控帳」は、未だ読み終わりませんが、古文書勉強会のこれまでの成果はこちらからさかのぼって御覧になれます。
次回は、1月19日(日)14時~となります。
【常設展示】甕棺(福岡県春日市出土)のキャプションを更新しました
郷土資料館では甕棺(かめかん)と呼ばれる、人の遺体を入れるために作られた土器を展示しています。このたび、何かとご質問が多かったキャプションを更新しました。
この甕棺は、春日部市ではなく、福岡県春日(かすが)市の一の谷遺跡で発見されたものです。平成5年6月より、名前に「春日」が付く、春日居町(山梨県・現笛吹市)、春日井市(愛知県)、春日村(岐阜県・現揖斐川町)、春日町(兵庫県・現丹波市)、春日市(福岡県)と春日部市の6つの市町村で「春日サミット」を開催していました。それがきっかけで平成9年に福岡県春日市からお借りし、展示しているものです。
弥生時代中期後半、今から1900年くらい前のもので、高さは上のものが約60㎝、下のものが約89㎝、最大幅は70㎝です。
甕棺を使ったお墓を甕棺墓(かめかんぼ)といいます。甕棺墓は、弥生時代前期から中期の北九州地方に特有のお墓の形で、甕に人の遺体を入れ、ふたをかぶせたり、もう一つの甕を上にのせたりします。甕棺からは人の遺体や、副葬品の青銅製の武器類や鏡が発見されます。
春日市には、この甕棺が発見された一の谷遺跡のほかにも多くの弥生時代の遺跡があります。
国指定史跡の須玖岡本遺跡(すぐおかもといせき)では、明治32年(1899)に、約30面の中国鏡、銅剣や銅矛(どうほこ)、ガラス製の勾玉など多くの品が副葬された甕棺墓が発見されました。この墓は、弥生時代当時、春日市近辺にあった奴国(なこく)の王の墓と推定されています。有名な「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の金印を残した王族です。
須玖岡本遺跡の近くには、春日市奴国の丘歴史資料館があり、ドーム内で甕棺墓を発掘調査当時の状態で展示しています。
お近くにご旅行の際は、ぜひご見学ください。
【常設展・展示替】年末年始に向け一部展示替しました
ひとつは、令和の即位の礼を回顧する(?)もの。幕末維新期に明治天皇が元服・即位した時、春日部市内で起きた出来事を物語る資料です。明治時代と令和の即位に共通点があるかも!?
もうひとつは「幸松村水害誌」の「ぷち展示替」です。今年10月の台風上陸で、春日部市でも避難所が開設されました。明治43年(1910)の水害のときにも、幸松村では避難所が開設されました。当時は公的施設は小学校と村役場くらいですが、果たして当時被災された方はどこに避難したのでしょうか。水害の歴史を物語る「ぷち展示替」です。
12月28日(土)にはミュージアムトーク「春日部の歴史と2019年をふり返る」も開催します。合わせて、お楽しみください。
気づかない方多数!?かもしれませんが、じっくり解説をご覧いただき、2019年ふり返える機会になれば幸いです。お見逃しなく!
【常設展・展示替】成金鈴久、再び。新出資料も!
なかでも、担当者の一押しは、11月末に粕壁の旧家の方からご寄贈いただいた古写真です。資料整理の最中、たまたま手に取った一枚に見慣れた青年が。よく見ると、鈴木久五郎。しかも、実兄の鈴木兵右衛門や粕壁の有志の方々と写っているではありませんか!もちろん新出資料です。新発見にドキドキしました。
撮影した写真館や他の被写体の方々から推測すると、明治33年(1910)5月に撮影されたもののようです。当時久五郎は23歳。この頃の久五郎の足跡はよくわかっていませんが、翌月6月2日には渋沢栄一の授爵にかかる埼玉県内有志の祝賀会に招かれています。実業家の階段を着実に上っている時期だったと考えられます。
この発見のドキドキ感をいち早く皆さんにお届けしたいので、展示しちゃいました。
夏季展示のパンフレットの残部もまだございますので、まだ鈴木久五郎を御存じない方も、ぜひともパンフレットと合わせてご覧ください。
八木崎小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました
少し昔に使われていた農具や家庭用品を見ながら、郷土資料館の学芸員より
その当時の暮らしについて説明をうけたり
資料館で触れることのできる昔の道具を実際に体験してみたりしました。
”そろばん”に”赤電話”、児童達にとっては初めて触れる物ばかりで興味津々でした。
重い石臼は2人がかりで一生懸命まわしていました。
郷土資料館では、3月22日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。
12月14日(土)は休館です
ご来館の際はご注意ください。ご迷惑をおかけします。
施設めぐりの方が見学されました
施設めぐりは、市役所シティセールス広報課で開催しているもので、バスで市内の施設をめぐる大変好評な事業です。
令和元年度の2回目となる今回は、郷土資料館のほかに、看護専門学校、道の駅「庄和」、環境センター、埼玉県立春日部高等学校に行かれるとのことで、約30名の方が参加されました。
資料館では、常設展示室の解説を行いました。最近、国指定史跡にするよう答申があった神明貝塚の話題など、熱心に聞いていただきました。また、いくつかご意見もいただきましたので、今後の運営に生かしていきたいと思います。
第9回春日部市民俗芸能公開事業を開催します♪
皆さまも外出時は厚着をし、風邪等にはくれぐれもお気をつけください。
さて令和元年12月15日(日)は、
「第9回春日部市民俗芸能公開事業」
~地域に育まれた獅子~を開催します!
時 間:13:10~16:00(開場 12:50)
場 所:庄和地区公民館(正風館)大ホール
出演団体:銚子口獅子舞保存会、西金野井獅子舞保存会
料 金:無料
定 員:500人
※申し込み不要。当日お越しください。
文化遺産を継承されている「銚子口獅子舞保存会」「西金野井獅子舞保存会」の2団体による「獅子舞」の披露になります。
両保存会の皆さまは、江戸時代から現代まで、300年間以上も「獅子舞」という「無形の文化財」を代々守り、伝えてきました。もし、どこかの時代で「一度」でも「伝統」が途絶えていれば、今こうして「獅子舞」を見ることはできなかったわけです。
いかに「伝統」を続けることが大変で大切かを考えさせられますね。
令和の新時代と、未来を考えるために「伝統」と「歴史」に目を向ける良い機会です。
ぜひ、お越しください。会場でおまちしております!
【ミュージアムトーク】春日部の歴史と2019年をふり返る
平成31年から令和元年と変わった2019年も、もう12月を迎えました。今年1年間の様々なニュースと、常設展示をできるだけむすびつけて、今年最後の開館日に、参加者の皆さんとトークしたいと思います。
大掃除の手を少し休めて、資料館展示室で今年を振り返ってみませんか。みなさまのご来館をお待ちしております。
【ミュージアムトーク】春日部の歴史と2019年をふり返る
日時:令和元年(2019年)12月28日(土)10:30~、15:00~
各60分程度
場所:郷土資料館常設展示室
*ミュージアムトーク中の入場、退場は自由です。
2019年後半は台風被害なども多く発生しました。ミュージアムトークのテーマの一つとして、過去に市内で起こった水害とともに振り返ります。また当日は蓄音機の上演も予定しています。
【歴史文化講演会】歌から額田王に迫る
実人生は謎に包まれていますが、堀越先生は万葉集に収録される額田王の歌を斉明朝時代とそれ以後に分けて解釈し、彼女の半生に迫りました。
担当者は門外漢でまったく知りませんでしたが、万葉集には訓読・解釈しづらい「難訓歌」と呼ばれる歌があるそうで、一つの歌の解釈だけで40数通りもあるそうです。額田王が遺した歌のなかも「難訓歌」があり、そうした歌が彼女の人物像をさらにミステリアスにしているように思えました。
受講者の方々からは、「こういう機会をまた設けてほしい」とのご意見をいただきました。郷土史の講座と違って、文学・文芸の講座・講演会は女性の受講者が多く、みやびな万葉の世界を堪能し、皆さん満足いただけたようです。来年度も郷土埼玉にかかわる文学・文芸について、講演会を企画できればと考えておりますので、お楽しみに。
【常設展】神明貝塚の土器を貸し出しました
神明貝塚出土堀之内式組合せ土器
神明貝塚出土注口土器
会期などは以下の通りです。ぜひみなさまお誘い合わせの上お出かけください。
企画展「縄文時代のたべもの事情」
会場:埼玉県立歴史と民俗の博物館(さいたま市大宮区高鼻町4-219)
会期:令和2年(2020)1月2日(木)~2月16日(日)
休館日:月曜日(1月13日は開館)
開館時間:9時~16時30分(観覧受付は16時まで)
観覧料:一般400円 高校生・学生200円 中学生以下、障がい者手帳等をお持ちの方は無料
交通アクセス:東武アーバンパークライン(野田線)大宮公園駅より徒歩5分
展示会チラシ(PDF195kb)
小渕小6年生出張授業【戦中の春日部の人々のくらし】
皆さん、真剣に、少し怖がりながら(?)学芸員の説明を聞いてくれました。
そして、代表の皆さんに資料に触ってもらいました。普段は常設展示でケースのなかに入っている、軍事教練で使用しといわれる訓練用の手りゅう弾を実際にもってもらったり、千人針などを手に取って興味深そうにじっくり見ていました。
その後、先生が用意された戦争中の春日部について調べるワークシートに取り組み、市内が戦争に巻き込まれていく状況を理解し、当時の人々の心情を考えていました。
最後に、戦争の経験が今日の春日部にどう活かされているのか、考えていました。市内には、戦没者を慰霊するモニュメントがたてられていたり、「平和」を掲げる各種イベントがあることが紹介されました。そして、今回持参した資料が、市民の方々が実際に経験した遺産であり、郷土資料館では、戦争の経験を未来に引き継いでいくために、それらを展示し、末永く保存していると紹介しました。
授業の後にも、資料を触りたい、よく見たいと希望があり、休み時間中も児童たちが集まって体験を続けていました。
実物の資料だからこそ、そして実際に触れるからこそ、過去の先人たちの想いを身近に感じることができるのかもしれません。リアルな歴史を少しでも感じていただけたのならば、大変うれしく思います。
さて、郷土資料館では、学校の授業の教材の貸し出しを行っています(近々、今回持参した「アジア太平洋戦争関係資料」も紹介する予定です)。もちろん出張授業も可能です。学校の先生方には、ぜひご活用いただければと幸いです。
神明貝塚のシンポジウムを開催しました
市内外、さらには県外から多くのお客様にご来場していただき、シンポジウム全体の参加者は130名を超えました!!
最初に文化財保護課の調査担当者から「神明貝塚で発掘された動物、植物、人骨」と題し、報告を行い、神明貝塚の縄文人は海の幸だけでなく、陸上の動植物を多く食べていることが分かりました。
続いて講演では、植月学先生が「神明貝塚人の食を彩った魚と肉」と題し、動物考古学の観点からお話しいただきました。特にフグ(トラフグ)がどこからやってきたのか、受講者の皆さんも興味深く聞いていらっしゃいました。
佐々木由香先生は植物考古学の専門家で、「神明貝塚で利用された植物からみた縄文時代の植物資源利用」と題し、縄文人の植物資源の利用についてご講演いただききました。クリは食物だけではなく木材として利用されたことや、土器に残る植物の種実や昆虫の圧痕から、多種多様な植物の利用があったことをお話しいただきました。
阿部先生は考古学の立場から、「縄文後期と神明貝塚の生業」と題し、調理具として使用された縄文土器にスポットをあて食文化の発達についてお話しいただきました。また昨年のシンポジウムでも話題となった「塩作り」のお話も聞け、こちらも会場から大きな関心を集めていました。
最後に4名の講師によるパネルディスカッションを行いました。それぞれの専門領域から神明貝塚の縄文人の多様な食文化を垣間見ることができたと思います。身近にある旬な食材を利用した食文化であったことも「和食」というテーマにつなげることができました。
来年以降もテーマを変えシンポジウムを開催する予定となっています。引き続き神明貝塚へのご理解、ご協力をよろしくお願いします。
この道具はなんでしょうか?【くらしのうつりかわり展より】
「くらしのうつりかわり」展では、なつかしい道具を所せましと展示しています。今回は、激レアな昔の道具を紹介します。この道具は一体なんの道具でしょうか。
正解は、「文化洗濯機(ぶんか せんたくき)」です。
洗濯機のプレートは摩滅しつつありますが、次のように印字されています。
性能優秀簡単安全
農村生活改善普及会
文化洗濯機
埼玉縣北葛飾郡庄和村米崎(農協前)
電話南桜井14番
とあります。
実は詳しい調書などが残っていませんので、使い方や製造の経緯など、これ以上の情報はまったくありません。
しかし、この「文化洗濯機」は、昭和31年(1956)3月21日付の埼玉新聞に次のように紹介されています。
新聞紙上では、上尾の製造元が写真付きで紹介されており、広告には、「僅か二千円程度で誠にも簡便」「類似品注意」とあり、県内でそれなりに普及していた可能性があります。
紙面からは動力が「電機」(電気)だったことが推定されます。動力と洗濯機のハンドルのような部位をベルトでつなげてスクリューを回転させ、水流を起こして洗濯をしたものと思われます。
謎の「文化洗濯機」について、今後の検討が俟たれます。何か情報をお持ちの方は、お知らせいただけると幸いです。
八木崎小3年生がやってきた
総合的な学習の一環で、「春日部じまんを探そう」というテーマで調べ学習をすすめているそうです。
郷土資料館に来た2人は、
・50年前の春日部はどんなところだったのか?
・春日部の地名の由来は?
・昔、大きな地震が起こったときはどんな状況だったのか?
質問してくれました。
2人は、学芸員に話を聞き、展示室にある古い写真や資料をみて、昔の春日部についてたくさんメモをとっていました。とくに、関東大震災について強い関心をもったようで、「このときには避難所はあったんですか?」と自ら考え、質問をしてくれました。
「春日部のじまん」が見つかりましたでしょうか?
さて、皆さんは50年前の春日部についてや、地名の由来、関東大震災のときの状況を知っていますか?
ご存じない方は、ぜひ郷土資料館にお越しください。知りたいことや新たな発見がきっとありますよ。
神明貝塚シンポジウム最後のお知らせ
現在、11月22日(金)の時点で130名に迫るお申し込みをいただきました!
明日23日(土)は祝日のため、教育センターは休館となり、事前申し込みは終了となりますが、シンポジウム当日の飛び込み参加も大歓迎です!
11月24日の当日は12時15分から整理券をお配りますので、お申し込みをしていない方は当日受付までお越しください。
また既にお申し込みがお済みの方も、12時15分から受付を行いますので、受付で資料をお受け取りのうえ、ご入場ください。
なお、教育センターの駐車スペースは限りがありますので、公共交通のご利用をおねがいします!!
ご来場おまちしています!
シンポジウム神明貝塚の受付状況
そんなこんなで盛り上がっている神明貝塚ですが、
11月24日に”シンポジウム”を開催します。
現在、80名を超える申し込みをいただいていますが、新聞紙上でもシンポジウムの開催が記事として取り上げられ、本日だけでも20件に迫る申し込みがありました。
シンポジウム前日にあたる23日(土)は教育センター全体が祝日による休館のため、22日(金)が申し込みの最終日となります。お早目の申し込みをお待ちしています。
郷土資料館体験ワークショップを開催しました♪
令和元年11月17日(日)、郷土資料館で「体験ワークショップ」が開催されました。
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「ぴょんぴょんカエル」や「紙てっぽう」を作りました。
電気を使わず再生する蓄音機の音楽鑑賞では、やわらかく温かみのある音に皆さん聞きいっていました。また、レコード1枚で5分間しか聞けないことに驚いていました。
最後は、出来上がった「ぴょんぴょんカエル」を飛ばしあったり、紙鉄砲を鳴らしたりして、嬉しそうに遊んでいました。
ワークショップは、小学生までを対象とした、昔の遊びを気軽に体験できるイベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。
次回ワークショップは、令和2年1月26日(日)に「パタパタ(板がえし)」を作ります。ご参加をお待ちしています。
【歴史文化講演会】万葉の世界を堪能
堀越先生には昨年度に引き続き、東歌(あずまうた)を中心に、万葉歌に詠まれる古代東国の世界を一語一語丁寧に解説いただきました。講演の冒頭に、先だっての即位の礼で話題になった「高御座」(たかみくら)の八角形の屋根や新嘗祭に関する「万葉集」の歌にも言及され、受講者の皆さんは熱心に拝聴され、万葉の世界を堪能されているようでした。
堀越先生の講演会は全2回。次回は11月30日(土)となります。引き続きよろしくお願いします。
【常設展】神明貝塚の展示
郷土資料館では、神明貝塚で発見された人骨や市指定文化財の「堀之内式組合せ土器」などを展示しています。
また11月24日(日)には、「3800年前の縄文人の食文化」をテーマに、神明貝塚のシンポジウムを開催します。
シンポジウム詳細はこちら
展示、シンポジウムとも皆様のお越しをお待ち申し上げております。
市指定無形民俗文化財【東中野の獅子舞】が公開されました
▲新たに保存会に加わった2名の後継者が辻切りで見事にデビュー。長身を生かした大きな舞が披露されました!
午後からは神社境内で庭入りをはじめ全7演目の奉納舞が公開されました。秋季に行われる祭礼は一般的に五穀豊穣を喜び、無事に一年が終えられるよう、そして来年の豊作を祈願するものと云われます。
東中野の獅子舞は享保5年(1720)に現在の越谷市下間久里から伝授され、数えで300年目を迎えます。激しくリズミカルな舞が特徴的で、この日も終盤にはストーリー性のある「花掛かりの舞」では三匹獅子に加え、いたずら狐との掛け合いで観覧された皆さんから拍手喝采でした。
▲女獅子と狐の掛け合いは祭礼での見どころとなっています
この日は三匹獅子による千島の舞→太夫の舞→ふっきりの演舞に加え、保存会会長による『大祓い(おおばらい)』が初めて神社境内で披露されました。
▲口上の後、邪気を払う神事で、通常は最後の辻切りの場で行われます
来年の祭礼では、本日デビューを飾った2名の後継者の活躍を楽しみにしております。
また、市内の民俗芸能を伝承する8つの保存会では、後継者の育成はもとより、舞の復活や子供の演舞、女性の参加など、新たな取り組みが芽生えています。ぜひ、現地での公開に足を運び、郷土の伝統の舞を応援いただきたく、よろしくお願いいたします。
【歴史文化講演会】消えゆく町の記憶をたどる
大川先生は、現在、昭和30年代の粕壁の町並みを復元するため、地元粕壁の方々に聞き取り調査をされておられます。今回は、その成果も踏まえ、古地図やさまざまな文献を合わせながら、粕壁が「近代化」を遂げ、また町の人々がそれを主体的に受け止め、町を発展せしめていった明治時代の歴史を、楽しくわかりやすくお話しいただきました。
担当者が個人的に重要だと思ったのは、近世以来粕壁には白木綿の仲買商が多かったことに着目されたことです。
先生のご指摘に触れた後、手元の近世史料を確認したところ、「木綿糸幷綿類商」や「綿屋」などの白木綿糸買継ぎ商の存在が確認されますし、近隣の藤塚村には農間に「晒渡世」をする者、備後村には「紺屋渡世」の者もおりました。また、粕壁の町中でもわずかな手作畑に野菜とともに木綿を栽培する者や、農間渡世として女性は機織りをしていたという記事も確認されますし、時代は下りますが、かの加藤楸邨も「棉の実を摘みゐてうたふこともなし」と昭和初めの粕壁の風景を句に遺しており、畑がちの粕壁では木綿作が広く行われていたようです。
産業の「近代化」による町中の業態の変化については、今後詳しく検討していく余地がありますが、近世以来の木綿商の存在に着目されたことは、通説的に語られてきた「粕壁は麦わら帽子・桐箪笥の町だ」とか「米問屋が多い」といった従来の町のイメージを改め、より多彩に描いていくきっかけになるのではないでしょうか。
最後に、来場者から様々なご質問やご意見が飛び交いましたが、先生は来場者のみなさんに「私たちの記憶を遺していくために、皆さんご協力いただきたい」と呼びかけ、今後の調査の協力を仰ぎました。
日々変わりゆく町の姿、つい最近の町並みですらも、私たちの記憶の奥底に眠り、いつしか消えてしまいます。消えゆく町の記憶をたどり、それを遺し、未来に伝えていく取り組みの重要性を痛感させられた、大変有意義な講演会でした。
中学生社会体験チャレンジ最終日
まずは、大量の稲わらの束をわらすぐり。
材料に使えるわらを選別する作業です。「こんなにたくさんの稲わらを見たのははじめて」と驚きながらも、黙々と受講予定者のわら束を用意してくれました。
皆さん、立って作業する派のようです。
午後は、実際にしめ縄づくりを体験してもらいました。
まずは基本の縄ない。はじめは慣れない動作で戸惑っていたようですが、無事に縄をなうことができました。
続いて、しめ縄(ゴボウジメ)をつくります。2人1組になって、ねじりながら編み込んでいきます。
写真では、なぜか4人がかりです。複雑なひねり方・編み方にチャレンジしているのが伝わってくる写真ですね。わらでなく、腕が絡まっていました。
最後に紙垂(シデ)をつけて完成。皆さん、立派なしめ縄がつくれました。
(担当者が完成した写真を撮るのを忘れましたので、ご想像にお任せします)
最後に「郷土資料館が展示室を管理するだけの仕事だと思っていました」と感想とお礼をいただきました。
今年の中学生は社会科への関心が高い方たちで、3日間、一生懸命取り組んでいただけました。皆さんが大人へと成長するにあたって、この3日間で何か一つでも得たものがあったならば大変幸甚です。資料館としても有意義な3日間となりました。
中学生社会体験チャレンジ2日目
まず資料館の朝の業務である展示ケースの清掃を行いました。
午前中は、車で市内を巡回しました。
まず、市指定史跡の花積にある花積貝塚で、解説板の清掃をしました。
この後、春日部市を東から西へ横断し、西親野井の神明貝塚で貝の広がりを見学をしました。
続いて、上柳にある文化財整理室で、土器の図面を作成している様子や土器を洗浄している様子を見学しました。
午後は、郷土資料館に戻り、まず市内で採集された土器を洗いました。
その後、洗った土器の観察と拓本とりをしました。みなさん、きれいに拓本をとることができました。
朝から移動したり大変でしたが、一生懸命取り組んでもらいました。
中学生社会体験チャレンジ1日目
5人は、模型を指差して説明する係と古写真を解説する係を分担し、説明の読み原稿づくりに取り掛かりました。みんなで話し合いながら、説明するコツや文章を推敲しました。
職員の前で何度か練習して、いよいよ本番!
栃木県小山市からお見えになったお客さんに、練習通りに説明ができました。中学校の先生も体験の様子をご覧になっており、緊張したようでした。お客さんからは、「たくさん勉強したんでしょう。頑張ったね」と優しく声をかけていただき、みなさん励みになったようでした。
午後は、資料のクリーニング。市内出身の鈴木久五郎の実家の邸宅(料亭大榎)の襖のホコリやカビを丁寧にふき取ってもらいました。襖の表紙が破れて、なかの下張りの文書がみられ、中身が何なのか興味を持ってもらえたようでした。
クリーニング途中に「これはなんですか!?」と発見。
ゴキブリの卵だよと教えると大騒ぎ。クリーニングが資料を害虫などから守るために必要な作業であることを実感してもらえましたでしょうか。
最後に、資料の調書作成。採寸やスケッチをしながら、資料の状態をよく観察し、現状を記録する体験をしてもらいました。
初日から盛りだくさんでしたが、引き続き、楽しみながらチャレンジしていただければと思います。
神明貝塚のシンポジウムを開催します!
題して
「和食」のルーツ?3800年前の縄文人の食文化
です。
「和食」は、四季の移り変わる日本において、山海の豊かな自然とともに育まれました。そのルーツの一つと考えられる縄文時代の食文化について神明貝塚の発掘調査の成果と最新の研究結果から、神明貝塚に暮らした縄文人の食生活についてスポットをあてたシンポジウムとなっています。
開催は 11月24日(日)12:45~16:00
場所は 教育センター2階 視聴覚ホール
定員は 200名(先着順・要申込み)となります。
11月1日(金)9:00~申込みの受付を開始します。
申込みは、文化財保護課窓口で直接、または電話(048‐763‐2449)にて受け付けます。
土日は郷土資料館(048‐763‐2455)までお願いします。
昨年のシンポジュウムでも200名近い申込みをいただき、大盛況となりました。
先着順となりますので、お早目のお申込みをおススメします。
皆様のお申込みを心よりお待ちしております!
手作り季節展示を展示してます
間もなく、紅葉や ”こたつ”の時期です。
郷土資料館では、冬支度をテーマとした手作り季節展示を展示中です。
また企画展示室では、3月22日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。
【常設展】浜川戸遺跡の火葬墓
日本では、奈良時代の西暦700年に僧侶であった道昭(どうしょう)が初めて火葬されたと『続日本紀(しょくにほんぎ)』に記録されています。これ以後、歴代の天皇や貴族、僧侶なども火葬されました。
ちなみに、縄文時代や弥生時代の遺跡からも、焼けた人骨が出土することがありますので、遺体を焼く行為自体は、これ以前からあったようです。
浜川戸遺跡から発見された火葬墓で特徴的なものは、4次調査の1号火葬墓です。穴の中から、底に近い部分を打ち欠いた甕と坏が2点ずつ出土し、これらは、それぞれ甕の穴が開けられた部分に坏をのせる蔵骨器として使用されたものと考えられています。また穴の中は、火を焚いた状況が確認され、遺体を火葬する作業も同じ穴で行ったと推定しています。
浜川戸遺跡の火葬墓は、どのような人物がどのように火葬されたのかなど、まだまだ謎が多いことも事実です。蔵骨器として使用された土器は、常設展示の浜川戸遺跡コーナーに展示しております。ぜひご覧ください。
浜川戸遺跡で発見された蔵骨器
嘉永2年(1849)「小金原御鹿狩ニ付手控帳」を講読中
今回は嘉永2年(1849)「小金原御鹿狩ニ付手控帳」を講読しました。読んだ部分には御鹿狩の勢子人足として動員された神間村の人々が、3月15日に村を出立し、16日に宿泊、17日に至るまでの記事です。「寒中之如しのきがたく」と記述されるように、寒いなか夜を徹して決められた場所に配置され、「世話役」の指示にしたがって獲物を追い立てた様子が克明にうかがえます。「赤白きさへヲ持」あるいは「ふり立申」という表現について、「さへ」とは采配のことではないか、などの意見がありました。ただ、解釈がしづらい部分もあり、今後読み進めていくなかで考えていくことになりました。
まだ読み始めたばかりなので、成果は読了後に公開します。これまでの成果はこちらからさかのぼって御覧になれます。
次回は、12月15日(日)14時~となります。
武里西小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました
郷土資料館の学芸員より、展示してある物を見ながら 少し昔の生活や道具の説明を聞きました。
説明を聞いたあとは、実際に昔使われていた道具に触れて、大きさや重さなど今の道具との違いに驚いていました。
「昔の冷蔵庫だけれど、金庫みたい!」
郷土資料館では、3月22日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。