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4月の考古学関係展示会、イベント情報

4月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。
(毎月28日ごろに掲載します。随時、情報を更新します。)

(東部地区文化財担当者会リレー展示ー都鳥が見た古代)
・4月12日(土曜日)~4月29日(火曜日・祝日) 吉川市中央公民館(パネル展示)
・5月3日(土曜日・祝日)~5月25日(日曜日)久喜市立郷土資料館(資料展示)

 

(展示会_閉会日順)

・5月6日(火曜日)まで 朝霞市博物館(朝霞市)
第38回企画展「根岸古墳群と内間木古墳群~朝霞の古墳時代」

 

・5月25日(日曜日)まで さきたま史跡の博物館(行田市)

 令和6年度テーマ展 埼玉の遺跡「小敷田遺跡―低地集落に生きた人びと」



・5月25日(日曜日)まで 藤岡歴史館(群馬県藤岡市)
令和6年度春季企画展「群馬県指定史跡指定記念 ムラと歩んだ古代の寺―牛田廃寺の時代」

 

・5月25日(日曜日)まで 本庄早稲田の杜ミュージアム(本庄市)
企画展「古代エジプトの棺と埋葬」

 

・6月15日(日曜日)まで 国立科学博物館(東京都台東区)
古代DNA-日本人の来た道―


・6月15日(日曜日)まで 水子貝塚資料館(富士見市)
「縄文文化のはじまり ~八ヶ上遺跡全部見せます~」

 

・6月15日(日曜日)まで 飛鳥山博物館(東京都北区)
春期企画展「丸木舟ラボー縄文の舟にまつわる4つのはてなー」

 

・6月29日(日曜日)まで 佐野市郷土博物館(栃木県佐野市)
令和7年度春の展示「佐野の遺跡展」

 

・6月29日(日)まで 栃木県埋蔵文化財センター(栃木県下野市)
令和7年度春の企画展「キレッきれの黒い石―とちぎの黒曜石―」

 

・7月6日(日曜日)まで 宮代町郷土資料館
企画展 「発掘された地蔵院~テーマで探る人々の姿~」

 

・8月30日(土曜日)まで 帝京大学総合博物館(東京都八王子市)
企画展「ホネホネワンダーランド-骨の不思議を探る-」

 

・8月31日(日曜日)まで かみつけの里博物館(群馬県高崎市)
企画展「わくわく!はにわ体験‘25」


(現地説明会)
・5月17日(土曜日)午前10時30分~11時30分、午後1時30分から2時30分 茅ヶ崎市教育委員会 居村B遺跡現地説明会(神奈川県茅ヶ崎市)

不動院野の神楽(市指定無形民俗文化財)が公開されました

 あいにくの雨の中でしたが、令和7年4月13日(日)、大杉神社の祭礼にあわせ、東不動院野の集会所で、市指定無形民俗文化財の不動院野の神楽が公開されました。                                                        
 お囃子のあと、「天狐(てんこ)の舞」、「お地蔵様」などの神楽が演じられました。
 「天狐の舞」は、神の使いである狐が、人々の願いを神に伝え無病息災、五穀豊穣、家内安全などを祈る狐の舞です。

天狐の舞 

「お地蔵様」は、源頼朝(みなもとのよりとも)の厄年(やくどし)にあたり、厄除(やくよけ)のため、頼朝の家臣の梶原景時(かじわらのかげとき)が石屋の名工である五郎太(ごろうた)に一夜のうちに6尺のお地蔵様をつくるよう命じるストーリーです。困り果てた五郎太は弟子をお地蔵様に扮装させる妙案を考えて実行しました。この結果、世間の評判となり参詣する人がたくさん訪れ、ついには参詣者の武将に見破られ、太刀(たち)で乱闘騒ぎとなる中で幕を終える演目です。

お地蔵様

お神楽は、地区内外の方を問わず見学に訪れた方を交えて、地区のほのぼのとしたコミュニティーの中で演じられました。お囃子の音色、凜とした狐の舞、余興を交えたお地蔵様の演目などのおもてなしにより、皆さん楽しいひとときを過ごしました。

春期展示「中世板碑の世界ー発掘された板碑」を開催します

中世の時代、板碑(板石塔婆)と呼ばれる板状の石を使った石造物がさかんに製作されました。春日部市内でも、これまでに約490基が発見されています。今回の展示では市内で発掘された板碑を中心に紹介します。

 

 

会期:令和7年5月17日(土曜日)から7月6日(日曜日)

休館日:毎週月曜日、祝日、施設点検日

*期間中の休館日:5月19日(月曜日)、5月26日(月曜日)、6月2日(月曜日)、6月9日(月曜日)、6月14日(土曜日・施設点検日)、6月16日(月曜日)、6月23日(月曜日)、6月30日(月曜日)

会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・東武鉄道春日部駅東口より徒歩10分)

 

●関連事業 みゅーじあむとーく

展示室で学芸員による展示解説を行います。申し込み不要、展示室までお越しください。30分程度、各回同じ内容です。

とき 5月17日(土曜日)、6月22日(日曜日)、7月6日(日曜日)10:30~、15:00~
ところ 郷土資料館企画展示室

 

●関連事業 展示解説講座

展示の内容を中心に、春日部市の板碑について、展示担当学芸員が解説します。

とき 6月28日(土曜日)10:00から12:00
ところ 教育センター(郷土資料館と同じ建物)
申し込み 5月8日(木曜日)から、郷土資料館へ直接、電話(048-763-2455)、電子申請でお申し込みください。

みよ!春日部の古き映像を! #彩の国ビジュアルプラザ ( #SKIPシティ )から映像視聴端末が出張中!

4月24日より、郷土資料館・ハルカイト(大凧文化交流センター)に、新たに映像視聴端末が設置されました。

写真:郷土資料館の映像コーナー

写真:ハルカイト設置状況

これは、埼玉県の施設「彩の国ビジュアルプラザ」による移動公開ライブラリー事業に伴うものです。

普段は、川口市のSKIPシティで視聴できる動画や写真(の一部)が、特別に春日部市内の二つの施設で視聴できるもの。

この事業は、令和4年度からこれまで、熊谷市・川越市・秩父市で実施されてきましたが、今年度は春日部市で実施されるはこびとなりました。

本日は、はるばる川口市から端末や周辺機材を運搬していただき、汗をかきつつ組み立て作業が行われました。

写真:画面

モニターは直感的に使いやすいタッチパネル式。

春日部や県東部地域ゆかりの動画が48本、市内の古写真が48点、収録されています。

見たいアイコンに触ると、映像が再生され。

画像:動画の一部

上は、埼玉県のニュース映像で、ちょうど春日部市役所(二代目)が完成したころの映像です。

 

SKIPシティで保存している映像のほか、春日部市で制作し、新たに提供した映像・写真も収録されています。

盛りだくさんで、全部視聴すると、1日では時間が足らないかも!?

設置後、早速、市民の方が視聴されていました。職員からも大変好評です。実は担当者もきちんと見ていない映像もあり、要チェックです。皆様もぜひご覧あれ。

設置期間は、今年度内の令和8年3月中旬(予定)です。

「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展みゅーじあむとーく(2回目)開催しました

4月19日、みゅーじあむとーくを開催しました。

午前中は、「東武健康ハイキング」で館内大賑わい。

写真:ハイキングの皆さん

写真:東武ハイキングのみなさん

というわけで、年度跨ぎの「ミニ展示」の「みゅーじあむとーく」にも関わらず、大勢のお客様にご参加いただきました。

 写真:解説の風景

今回は、藤塚地区、小渕地区、そして富士信仰について、市の花フジとともに紹介する展示。

学芸員が好きなことを好きなだけ喋る「とーく」の後、ご来館いただいた皆さんから、様々なお話が聞けました。

生まれてこの方春日部(粕壁)にお住まいの方からは、小渕について、「粕壁小のころ、不二山に遠足にいきました」とか「60年前にはカブトムシ採集にはいったけど、桃林はなかったと記憶している」など教えていただきました。

 

昭和40年代に春日部に越してきた方からは、藤塚の砂丘周辺に桃林があったことを教えていただきました。

また、山梨の大月市のあたり出身の方からは、「山に囲まれていて近くの富士山は意外に見えず、富士山をまじまじとみるのも、富士講や富士信仰を知ったのも、関東地方に出てからのこと」など、教えていただきました。

市内の小中学校の校歌にみる「藤」と「富士」についても、県立高校の元教員の方からは「勤務地だった校歌も「筑波山」と「富士山」が歌詞に入っていた、共通していて面白かった」と感想をいただきました。

 写真:午後のみゅーじあむとーく

「藤」「渕」「富士」の多岐にわたるテーマのため、お伝えしたいことがぼやけてしまうと思いましたが、かえって、幅広い、オムニバスなテーマなので、皆さん各々に刺さることがあり、お楽しみいただけたようなので、展示し甲斐があったよかったと思いました。資料(博物館)が人と人を繋ぐこと、実感した充実した一日でした。

 

この展示は、5月2日まで。お見逃しなく。

 画像:展示チラシ

[事業の基本情報]

展示名:企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展

日時:令和7年3月22日(土曜日)~5月2日(金曜日)月曜日・祝日休館。開館時間午前9時~午後4時45分

関連事業:みゅーじあむとーく(展示担当学芸員による展示解説)
     令和7年4月19日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(30分程度)
     予約不要。時間までに展示室へお集まりください。費用無料

#ハルカイト 見学のススメ(7) #春日部市制20周年 のバースデーケーキ

本日は、ハルカイトへ展示資料の点検に。

ロビーに大きなバースデーケーキが。春日部市の市制20周年をお祝いして造ったものです。

写真:

このバースデーケーキ、なんと和紙でできています。

和紙は、大凧でも使用される小川和紙。大凧を製作したときに出た切れ端を切りそろえ、和紙一枚一枚をバラに加工して、1000個のバラをケーキのように仕立てたものだそうです。

廃材とは思えないほど、細部も凝っていて、なかなか見ごたえがあります。赤いバラはペンキで着色、マカロンは粘土で造ったそうです。

写真:ケーキ

ハルカイトの見学、そして、5月3日・5日の大凧あげ祭りとともにお楽しみください。

【東部地区文化財担当者会リレー展示_都鳥が見た古代】吉川市中央公民館でリレー展示が開催されています

吉川市中央公民館で東部地区文化財担当者会リレー展示「都鳥がみた古代」が開催されています。

「東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「都鳥が見た古代-埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」を開催します」(吉川市ホームページ)

吉川市中央公民館は、定員509人のホールや図書室を完備するなど規模が大きい公民館です。

リレー展示は、入口を入ったところのロビーで行われています。

吉川市中央公民館 展示状況 展示状況2

吉川市では現在のところ、遺跡は発見されていません。しかしながら市西部の越谷市・八潮市境となる中川流域には、川に沿って広大な自然堤防が形成されており、特に八潮市では、川沿いの自然堤防上に八條遺跡など古代の遺跡が発見されています。対岸の吉川市側にも遺跡が存在する可能性が考えられます。

また、市東部の深井新田、平方新田では、古代の太日川(ふといがわ・おおひがわ)によって基盤が形成されたと考えられる自然堤防が良好に残されています。

 自然探訪もあわせ、この機会にぜひお出かけください。

 

●吉川市中央公民館会場「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」

開催期間 令和7年4月12日(土曜日)~4月29日(火曜日)

開催場所 吉川市中央公民館 ロビー 吉川市大字保577番地(JR武蔵野線吉川駅から1.1㎞、徒歩15分)

開館時間 午前9時から午後9時まで

休館日 期間中の休館日はありません

 

お問い合わせ (048)984-3563(吉川市教育委員会生涯学習課)

 東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」も好評発売中です。詳しくはこちら

 

*リレー展示は、下記日程で開催予定です。

4月12日から4月29日 吉川市中央公民館 パネル展示 

5月3日から5月25日 久喜市立郷土資料館 資料展示

6月3日から7月21日 幸手市郷土資料館 資料展示

7月29日から8月24日 蓮田市文化財展示館 資料展示

9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示

10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示

令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示


 

#かすかべ地名の話 (8)#藤塚

春日部市内の地名の話。今回は、現在開催中の企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展でも取り上げている、藤塚(ふじつか)について。

藤塚は、大落古利根川と中川(庄内古川)に挟まれた地域です。現在は住居表示として藤塚が使用され、また、昭和54年に開校する藤塚小学校、昭和56年に開設された藤塚公民館など公共施設の名称にも使用されています。加えて、市の花「藤」が地名にも入っていることから、「藤塚」の地名は地域の方々から親しまれています。

藤塚の地名の初見は、近世前期の記録にみられる「藤塚村」。当時は、武蔵国葛飾郡松伏領に属しました。藤塚村は、現在の住居表示の藤塚と、六軒町・本田町を含むエリアになります。現在使われている六軒町や本田町という住居表示は、藤塚村の村組である六軒組、本田組を由来にしています。藤塚村は、天保13年(1842)には家数141軒、809人ほどの村でしたが、今の藤塚(六軒町・本田町を含む)には6921世帯の方がお住まいの住宅街となっています(令和5年10月現在)。

藤塚の歴史的特徴ともいえるのが、古利根川の縁辺に形成された内陸型の砂丘(河畔砂丘)です。河畔砂丘は、河道の砂が卓越風で飛ばされ、河道や自然堤防に定着してできた砂の丘のこと。藤塚は藤塚橋や香取神社の付近に帯状の砂丘が確認されます。市内では、浜川戸や小渕にも河畔砂丘が分布しています。

江戸幕府が作成した街道図巻「分間延絵図」によれば、藤塚の河畔砂丘と思われる地帯には樹木が植わり、「百姓林」として利用されてことがわかります。古利根川の対岸の備後村の古文書には、対岸に松林が見えると記述されていますので、江戸時代の河畔砂丘は村人が管理する松林として利用されていたものと考えられます。

明治時代になると、藤塚村の高橋豊吉という人物が、外国種の桃樹(上海水蜜桃)3本を宮内省から譲りうけ、県内で初めて桃を栽植したといわれています。明治10年代に作図されるフランス式彩色迅速測図には、藤塚の河畔砂丘は「桃」の果樹園となっており、桃林として利用されていたことがわかります。さらに、藤塚の遠藤栄太郎は、明治35年(1902)に松林を開墾して、天津水蜜桃、上海水蜜桃を計1200余本栽植し、園芸会社を設立しました。植え付けの本数は最大数万本にものぼり、東京や近県の市場に販路を築き、粕壁や越ケ谷付近の諸村でも水蜜桃の栽培が普及していきました。

東武鉄道の開通後には、藤塚の桃林は「桃花園」と称し、最寄の一ノ割駅から藤塚橋を渡って訪れる観光スポットにもなります。

藤塚の桃林は、昭和40年頃まで往時の面影を残していましたが、東武線の地下鉄乗入れを契機として、昭和42年(1967)ごろから民間の建設会社による分譲住宅の開発が進み、桃林は減少してきました。その代わり、藤塚は春日部市内、屈指の住宅街となり、ニュータウン「藤ケ丘文化村」が造成され、今に至っています。

藤塚の桃林の写真は少ないのですが、今回の展示準備で見つけた写真 がこちら。

写真:昭和39年藤塚橋起工式

昭和39年(1964)3月26日の藤塚橋の起工式の模様。藤塚橋付近で行われた式典で、挨拶をする山口宏市長の後ろには、桃樹らしき樹木が植わっています。おそらく、桃の果樹園ではないかと思われます。

 

さて、本題の地名の由来。藤塚の地名の由来としては、二つの説が唱えられています。一つは、富士浅間を信仰する修験や行者によって造られた塚(富士塚)を意味するという説(『埼玉県地名誌』)。もう一つは、川べりの川底が深くよどんで大きな「渕」となり、その渕の上の砂丘にある板碑や墳丘を指す「渕塚」が転化し、「ふじつか」となったという説(古老の話による)。

藤塚の香取神社には、富士塚は残されていませんが、境内に「忠行院林山」(もしくは忠行林山)と名乗る行者の浅間神を祀る近世後期の石碑が遺されており、かつては富士塚が存立していたのかもしれません。神社一帯は河畔砂丘に立地していますので、砂丘の高まり自体を塚と見立てていた可能性も考えられます。もう一つの「渕塚」という説も、河畔砂丘のある「小渕」の「渕」にも共通しています。「地名の由来はこれだ!」という決定打は欠きますが、いずれの説も、花の「藤」というよりも、川べりにある小高い河畔砂丘を由来としています。

牛島のフジ、藤塚、小渕、富士信仰、ダジャレで繋げたテーマでしたが、ここまで関わるものだとは正直思っておりませんでした。

企画展に陳列する藤塚ゆかりの収蔵品はわずかですが、ぜひご覧いただければと思います。

 企画展チラシ

[事業の基本情報]

展示名:企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展

日時:令和7年3月22日(土曜日)~5月2日(金曜日)月曜日・祝日休館。開館時間午前9時~午後4時45分

関連事業:みゅーじあむとーく(展示担当学芸員による展示解説)
     令和7年4月19日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(30分程度)
     予約不要。時間までに展示室へお集まりください。費用無料

圓福寺所蔵の市指定有形文化財が公開されました

4月6日(日)、一ノ割の圓福寺(えんぷくじ)にて「圓福寺まつり」が開催され、大勢の人で賑わいました。

それにあわせて、市指定有形文化財群の、年に一度の公開が行われました。

圓福寺の境内にある曼荼羅堂には、「木彫当麻曼荼羅図(もくちょうたいままんだらず)」「木彫釈迦涅槃図(もくちょうしゃかねはんず)」「木彫閻魔王宮並びに八大地獄図(もくちょうえんまおうきゅうならびにはちだいじごくず)」が安置されています。これらの作品はすべて、圓福寺の九世住職であった光世上人が元禄年間(1688~1704)に、「木彫当麻曼荼羅図」と「木彫釈迦涅槃図」は6年間、「木彫閻魔王宮並びに八大地獄図」は2年間の歳月をかけて制作したものになります。

一般的には曼荼羅図は絵画によるものが多く、圓福寺所蔵の曼荼羅図のような木彫・立体のものは非常に珍しいものといわれています。

制作されて320年以上が経過している貴重な文化遺産を今日まで保管し、公開の機会を設けていただいている関係者の皆様に感謝申し上げます。

 

地学さんぽ講座3「大河古隅田川を探ろう」を開催しました

 3月30日(日)、穏やかな春の日差しに恵まれ、地学さんぽ講座の3回目、「大河古隅田川を探ろう」を開催しました。 今回は、古隅田川の流路をたどり、豊春駅から八木崎駅に向かうルート(古隅田野鳥の森、古隅田公園、古隅田川緑道)を散策しました。古隅田川は、下総国と武蔵国の国境であり、中世の頃までは川の流れが現在と逆で、古利根川から古隅田川へ向かって流れていました。また、古隅田川とすでに「古」がつくのに、さらに「旧」がつく旧古隅田川があることなど謎に満ちた川です。こうした謎に迫るため、古隅田川の流れの変遷、かつて暴れ川だった痕跡の押堀(おっぽり)(注1)クレバススプレー(注2)、やじま橋や満蔵寺のお葉附きイチョウなどの文化財、梅若塚の伝承、昭和の河川改修による流路変遷などを数多くの見所のある箇所を散策しました。参加された皆さんは、所々で咲き始めたサクラの花を愛で、講師の先生の案内で、地学の探求者として、古隅田川の滔滔としたかつての流れに想いをはせ、様々な謎にみちた川について意見をかわしながら、長い行程の道のりを歩かれました。次回は、地学さんぽ講座の4回目、生きている化石植物の観察場所としてレジデンシャルパーク(庄和総合公園)、10万年前の地層を展示する龍Q館(地下神殿(調圧水槽)の見学は行いません)などを散策する予定です。参加希望の方は広報かすかべ4月号17面をご覧の上、お申し込みください。

注1:押堀(おっぽり) 川の洪水によって堤防を越えたり、破って氾濫した平野部に水が勢い流れた時に水の圧力で地面が掘られた跡。そのまま水がたまって池になったり、湿地として残ることがありますが、現在は、ほとんどは埋め立てられて目にすることは少なくなっています。

注2:クレバススプレー 川の流れに沿って形成された自然堤防が洪水によって破堤し、勢いよく流出した濁流によって引き起こされた地形です。

旧古隅田川(川面橋)で川の流れの確認

古隅田川堤防跡(古隅田野鳥の森)

古隅田川の堤防跡での解説(古隅田野鳥の森)

やじま橋(市指定文化財)