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#かすかべ地名の話 (8)#藤塚

春日部市内の地名の話。今回は、現在開催中の企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展でも取り上げている、藤塚(ふじつか)について。

藤塚は、大落古利根川と中川(庄内古川)に挟まれた地域です。現在は住居表示として藤塚が使用され、また、昭和54年に開校する藤塚小学校、昭和56年に開設された藤塚公民館など公共施設の名称にも使用されています。加えて、市の花「藤」が地名にも入っていることから、「藤塚」の地名は地域の方々から親しまれています。

藤塚の地名の初見は、近世前期の記録にみられる「藤塚村」。当時は、武蔵国葛飾郡松伏領に属しました。藤塚村は、現在の住居表示の藤塚と、六軒町・本田町を含むエリアになります。現在使われている六軒町や本田町という住居表示は、藤塚村の村組である六軒組、本田組を由来にしています。藤塚村は、天保13年(1842)には家数141軒、809人ほどの村でしたが、今の藤塚(六軒町・本田町を含む)には6921世帯の方がお住まいの住宅街となっています(令和5年10月現在)。

藤塚の歴史的特徴ともいえるのが、古利根川の縁辺に形成された内陸型の砂丘(河畔砂丘)です。河畔砂丘は、河道の砂が卓越風で飛ばされ、河道や自然堤防に定着してできた砂の丘のこと。藤塚は藤塚橋や香取神社の付近に帯状の砂丘が確認されます。市内では、浜川戸や小渕にも河畔砂丘が分布しています。

江戸幕府が作成した街道図巻「分間延絵図」によれば、藤塚の河畔砂丘と思われる地帯には樹木が植わり、「百姓林」として利用されてことがわかります。古利根川の対岸の備後村の古文書には、対岸に松林が見えると記述されていますので、江戸時代の河畔砂丘は村人が管理する松林として利用されていたものと考えられます。

明治時代になると、藤塚村の高橋豊吉という人物が、外国種の桃樹(上海水蜜桃)3本を宮内省から譲りうけ、県内で初めて桃を栽植したといわれています。明治10年代に作図されるフランス式彩色迅速測図には、藤塚の河畔砂丘は「桃」の果樹園となっており、桃林として利用されていたことがわかります。さらに、藤塚の遠藤栄太郎は、明治35年(1902)に松林を開墾して、天津水蜜桃、上海水蜜桃を計1200余本栽植し、園芸会社を設立しました。植え付けの本数は最大数万本にものぼり、東京や近県の市場に販路を築き、粕壁や越ケ谷付近の諸村でも水蜜桃の栽培が普及していきました。

東武鉄道の開通後には、藤塚の桃林は「桃花園」と称し、最寄の一ノ割駅から藤塚橋を渡って訪れる観光スポットにもなります。

藤塚の桃林は、昭和40年頃まで往時の面影を残していましたが、東武線の地下鉄乗入れを契機として、昭和42年(1967)ごろから民間の建設会社による分譲住宅の開発が進み、桃林は減少してきました。その代わり、藤塚は春日部市内、屈指の住宅街となり、ニュータウン「藤ケ丘文化村」が造成され、今に至っています。

藤塚の桃林の写真は少ないのですが、今回の展示準備で見つけた写真 がこちら。

写真:昭和39年藤塚橋起工式

昭和39年(1964)3月26日の藤塚橋の起工式の模様。藤塚橋付近で行われた式典で、挨拶をする山口宏市長の後ろには、桃樹らしき樹木が植わっています。おそらく、桃の果樹園ではないかと思われます。

 

さて、本題の地名の由来。藤塚の地名の由来としては、二つの説が唱えられています。一つは、富士浅間を信仰する修験や行者によって造られた塚(富士塚)を意味するという説(『埼玉県地名誌』)。もう一つは、川べりの川底が深くよどんで大きな「渕」となり、その渕の上の砂丘にある板碑や墳丘を指す「渕塚」が転化し、「ふじつか」となったという説(古老の話による)。

藤塚の香取神社には、富士塚は残されていませんが、境内に「忠行院林山」(もしくは忠行林山)と名乗る行者の浅間神を祀る近世後期の石碑が遺されており、かつては富士塚が存立していたのかもしれません。神社一帯は河畔砂丘に立地していますので、砂丘の高まり自体を塚と見立てていた可能性も考えられます。もう一つの「渕塚」という説も、河畔砂丘のある「小渕」の「渕」にも共通しています。「地名の由来はこれだ!」という決定打は欠きますが、いずれの説も、花の「藤」というよりも、川べりにある小高い河畔砂丘を由来としています。

牛島のフジ、藤塚、小渕、富士信仰、ダジャレで繋げたテーマでしたが、ここまで関わるものだとは正直思っておりませんでした。

企画展に陳列する藤塚ゆかりの収蔵品はわずかですが、ぜひご覧いただければと思います。

 企画展チラシ

[事業の基本情報]

展示名:企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展

日時:令和7年3月22日(土曜日)~5月2日(金曜日)月曜日・祝日休館。開館時間午前9時~午後4時45分

関連事業:みゅーじあむとーく(展示担当学芸員による展示解説)
     令和7年4月19日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(30分程度)
     予約不要。時間までに展示室へお集まりください。費用無料

圓福寺所蔵の市指定有形文化財が公開されました

4月6日(日)、一ノ割の圓福寺(えんぷくじ)にて「圓福寺まつり」が開催され、大勢の人で賑わいました。

それにあわせて、市指定有形文化財群の、年に一度の公開が行われました。

圓福寺の境内にある曼荼羅堂には、「木彫当麻曼荼羅図(もくちょうたいままんだらず)」「木彫釈迦涅槃図(もくちょうしゃかねはんず)」「木彫閻魔王宮並びに八大地獄図(もくちょうえんまおうきゅうならびにはちだいじごくず)」が安置されています。これらの作品はすべて、圓福寺の九世住職であった光世上人が元禄年間(1688~1704)に、「木彫当麻曼荼羅図」と「木彫釈迦涅槃図」は6年間、「木彫閻魔王宮並びに八大地獄図」は2年間の歳月をかけて制作したものになります。

一般的には曼荼羅図は絵画によるものが多く、圓福寺所蔵の曼荼羅図のような木彫・立体のものは非常に珍しいものといわれています。

制作されて320年以上が経過している貴重な文化遺産を今日まで保管し、公開の機会を設けていただいている関係者の皆様に感謝申し上げます。

 

地学さんぽ講座3「大河古隅田川を探ろう」を開催しました

 3月30日(日)、穏やかな春の日差しに恵まれ、地学さんぽ講座の3回目、「大河古隅田川を探ろう」を開催しました。 今回は、古隅田川の流路をたどり、豊春駅から八木崎駅に向かうルート(古隅田野鳥の森、古隅田公園、古隅田川緑道)を散策しました。古隅田川は、下総国と武蔵国の国境であり、中世の頃までは川の流れが現在と逆で、古利根川から古隅田川へ向かって流れていました。また、古隅田川とすでに「古」がつくのに、さらに「旧」がつく旧古隅田川があることなど謎に満ちた川です。こうした謎に迫るため、古隅田川の流れの変遷、かつて暴れ川だった痕跡の押堀(おっぽり)(注1)クレバススプレー(注2)、やじま橋や満蔵寺のお葉附きイチョウなどの文化財、梅若塚の伝承、昭和の河川改修による流路変遷などを数多くの見所のある箇所を散策しました。参加された皆さんは、所々で咲き始めたサクラの花を愛で、講師の先生の案内で、地学の探求者として、古隅田川の滔滔としたかつての流れに想いをはせ、様々な謎にみちた川について意見をかわしながら、長い行程の道のりを歩かれました。次回は、地学さんぽ講座の4回目、生きている化石植物の観察場所としてレジデンシャルパーク(庄和総合公園)、10万年前の地層を展示する龍Q館(地下神殿(調圧水槽)の見学は行いません)などを散策する予定です。参加希望の方は広報かすかべ4月号17面をご覧の上、お申し込みください。

注1:押堀(おっぽり) 川の洪水によって堤防を越えたり、破って氾濫した平野部に水が勢い流れた時に水の圧力で地面が掘られた跡。そのまま水がたまって池になったり、湿地として残ることがありますが、現在は、ほとんどは埋め立てられて目にすることは少なくなっています。

注2:クレバススプレー 川の流れに沿って形成された自然堤防が洪水によって破堤し、勢いよく流出した濁流によって引き起こされた地形です。

旧古隅田川(川面橋)で川の流れの確認

古隅田川堤防跡(古隅田野鳥の森)

古隅田川の堤防跡での解説(古隅田野鳥の森)

やじま橋(市指定文化財)

 

 

 

 

 

 


 

3月の考古学関係展示会、イベント情報

3月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。
(毎月28日ごろに掲載します。随時、情報を更新します。)

(東部地区文化財担当者会リレー展示ー都鳥が見た古代)
・3月15日(土曜日)~4月8日(火曜日) 白岡市立歴史資料館(資料展示)
・4月12日(土曜日)~4月29日(火曜日・祝日) 吉川市中央公民館(パネル展示)

 

(展示会_閉会日順)
・4月20日(日曜日)まで 取手市埋蔵文化財センター(茨城県取手市)
埋蔵文化財センター第54回企画展 「近世を掘る―地下からわかる取手宿―」


・4月20日(日曜日)まで 桶川市歴史民俗資料館(桶川市)
令和6年度企画展示「ようこそ はるばる おけがわへ~縄文時代のモノと移動~」


・5月6日(火曜日)まで 朝霞市博物館(朝霞市)
第38回企画展「根岸古墳群と内間木古墳群~朝霞の古墳時代」

 

・5月25日(日曜日)まで さきたま史跡の博物館(行田市)
令和6年度テーマ展 埼玉の遺跡「小敷田遺跡―低地集落に生きた人びと」

・5月25日(日曜日)まで 藤岡歴史館(群馬県藤岡市)
令和6年度春季企画展「群馬県指定史跡指定記念 ムラと歩んだ古代の寺―牛田廃寺の時代」


・5月25日(日曜日)まで 本庄早稲田の杜ミュージアム(本庄市)
企画展「古代エジプトの棺と埋葬」


・6月15日(日曜日)まで 国立科学博物館(東京都台東区)
古代DNA-日本人の来た道


・6月15日(日曜日)まで 水子貝塚資料館(富士見市)
「縄文文化のはじまり ~八ヶ上遺跡全部見せます~」


・6月15日(日曜日)まで 飛鳥山博物館(東京都北区)
春期企画展「丸木舟ラボー縄文の舟にまつわる4つのはてなー」


・7月6日(日曜日)まで 宮代町郷土資料館(宮代町)
企画展 「発掘された地蔵院~テーマで探る人々の姿~」


・8月30日(土曜日)まで 帝京大学総合博物館(東京都八王子市)
企画展「ホネホネワンダーランド-骨の不思議を探る-」

「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展みゅーじあむとーく開催しました

3月23日(日)、現在開催中の企画展示のミュージアムトーク(展示解説)を行いました。

みゅーじあむとーく1

今回の展示は、春先に恒例の藤(フジ)の花の展示の派生企画展。フジの花にかけて、地名の「藤塚」「小渕」、そして「富士信仰」の歴史を収蔵品を中心に紹介しています。

今回のみゅーじあむとーくには、郷土資料館常連の皆さんに多くお集まりいただきました。顔見知りの方ばかりで、解説が終わった後にも、様々ご質問いただき、ご教示いただきました。ありがとうございました。

写真:富士信仰のコーナー

午前中には、ナント!富士信仰の研究者の方にもお出でいただきました。今回の展示準備にあたり、ご著書をいつも座右に置き、参照しており、直接お会いするのは初めてでしたが、動画で拝顔していましたので、展示解説の冒頭から「あの方かも!?」と緊張していました。特に富士信仰の概要や資料を説明する時は、今年一番のドキドキ。

担当者のつたない富士信仰の解説の後、研究者の方には様々な資料や情報をご教示いただきました。今回は収蔵品のみの展示でしたので、固定ケース半分にとどまりましたが、あんな資料やこんな資料も借り、あんなところやこんなところも調査すれば、春日部市域の富士信仰は企画展テーマとして柱が立ちそう、であることをお導きいただきました。ありがとうございました。

今回は「藤」「藤塚」「小渕」「富士信仰」と欲張りな企画で、盛沢山ですが、それぞれが中途半端でもあるともいえましょうか。「富士信仰」のテーマもさながら、「藤塚」も「小渕」も特徴的な地域ですので、それぞれ一本立ちするくらい、調査・研究を深めたいものです。

このように、みゅーじあむとーくは、学芸員と企画展の反省・展望を促すイベントにもなっています。

次回は、4月19日(日)。「藤塚」「小渕」「富士信仰」の関係者の方は、ぜひ叱咤激励にお出でください。

 

[事業の基本情報]

展示名:企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展

日時:令和7年3月22日(土曜日)~5月2日(金曜日)月曜日・祝日休館。開館時間午前9時~午後4時45分

関連事業:みゅーじあむとーく(展示担当学芸員による展示解説)
     令和7年4月19日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(30分程度)
     予約不要。時間までに展示室へお集まりください。費用無料

歴史文化講演会 『奥の細道』を読む~草加から日光あたりまで~ を開催しました

令和7年3月22日(土)午前、教育センター視聴覚ホールにおいて、歴史文化講演会を開催いたしました。

國學院大學栃木短期大学教授で、漢文学がご専門の塚越義幸先生をお迎えして、「「奥の細道』を読む ~草加から日光あたりまで~」をテーマに、お話ししていただきました。

江戸時代の日光道中の宿場町であった粕壁宿には、たくさんの人々が通行しました。

元禄2年(1689)3月に粕壁に宿泊した俳聖 松尾芭蕉もその一人です。

歴史文化講演会

講演では、『奥の細道』を、芭蕉のしゃれ(洒落) や かろみ(軽み) を感じながら鑑賞するために、大切なことを、『奥の細道』の本文に沿いながら、わかりやすく解説していただきました。

芭蕉が訪ねた歌枕の地や、表現方法としての俳諧の様式などについて、文学の専門的なお立場からお話ししていただき、松尾芭蕉の俳諧の特性についても知ることができました。

歴史文化講演会

歴史文化講演会

受講された80名の皆さまには、熱心にご清聴いただき、たいへん盛況となりました。時間の都合で質疑はお一人のみでしたが、先生には丁寧にお答えしていただきました。

塚越先生、受講された皆さま、ありがとうございました。

春日部には、江戸時代後期に建てられた芭蕉の句碑も存在します。また、近代の俳人水原秋桜子や加藤楸邨のゆかりの地でもあります。今後も本市ゆかりの俳諧・俳句につきまして、紹介してまいります。

 

【東部地区文化財担当者会リレー展示_都鳥が見た古代】白岡市立歴史資料館でリレー展示が開催されています

白岡市立歴史資料館で東部地区文化財担当者会リレー展示「都鳥がみた古代」が開催されています。

「リレー展示「都鳥が見た古代〜埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代〜」開催中です!」(白岡市ホームページ)

白岡市立歴史資料館は、平成30年に開館した白岡市生涯学習センター「こもれびの森」内にあります。「こもれびの森」は、歴史資料館のほか図書館、多目的ホール、集会室などから成る複合施設で、白岡市役所に隣接しています。

リレー展示は、入口を入ったところすぐの企画展示室で行われています。

今回は、白岡市の中妻遺跡の資料も多く展示されています。中妻遺跡は白岡市篠津に所在する縄文時代、古墳時代、奈良・平安時代、中世の遺跡です。奈良時代・平安時代では、鉄作りの工房跡が発見されており、関連資料も展示されています。

「古代白岡の鉄作りの起源に迫る!(中妻遺跡第10地点)」(白岡市ホームページ)

常設展示室では、旧石器時代からの白岡市の歴史資料が展示されています。白岡市には、縄文時代の遺跡が多く、資料が充実しています。

この機会にぜひお出かけください。

 

●白岡市立歴史資料館会場「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」

開催期間 令和7年3月15日(土曜日)~4月8日(火曜日)

開催場所 白岡市立歴史資料館 企画展示室 白岡市千駄野432番地

開館時間 火曜日から土曜日 午前9時~午後7時、日曜日・祝日 午前9時~午後5時

休館日 毎週月曜日(月曜日が祝日に当たる場合は、その直後の祝日でない日)

歴史資料館について(白岡市ホームページ)

お問い合わせ 0480-92-1894

 

*リレー展示は、下記日程で開催予定です。

3月15日から4月8日 白岡市立歴史資料館 資料展示

4月12日から4月29日 吉川市中央公民館 パネル展示 

5月3日から5月25日 久喜市立郷土資料館 資料展示

6月3日から7月21日 幸手市郷土資料館 資料展示

7月29日から8月24日 蓮田市文化財展示館 資料展示

9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示

10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示

令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示

 

東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」も好評発売中です。詳しくはこちら
 

凧作り教室を開催しました

3月15日(土)、春日部市「庄和大凧文化保存会」の方々を講師にお招きし、凧作り教室を開催しました。郷土資料館では、今回で4回目の実施となります。当日は、小学生を中心に15名に参加いただきました。

作り方の最後で、凧に反りをつけるために、骨の左右のフックに糸をかけて、引っ張りました。大凧でも「弓張り」と呼ばれて同じように骨をそらせます。大凧では、凧の中央部分で、凧の骨から糸までが約90cmの高さになるようしめあげます。

保存会の先生もおっしゃっていましたが、凧に反りを付けることで、凧が上がった時に風が左右に分かれ、一部は凧の裏面に回り込みます。風が凧を両わきからはさんでいる状態になり、安定して飛ぶようになります。

 

さて、5月3日と5日に行われる大凧あげまつりでは、5日の午前中に、創作凧揚げ大会として会場で自分で作った凧をあげることができるそうです。ぜひ5月5日の午前中に大凧あげ祭りの会場で凧をあげてみてください。

春日部市市制施行20周年記念イベント【みんなで祝おう春日部オリジナル凧あげ大会】

とき 令和7年5月5日 午前9時から11時

場所 春日部市西宝珠花江戸川河川敷

参加方法 自作オリジナル凧にて自由参加。入賞者には記念品の贈呈。

文化財の公開(4月)のお知らせ

 桜のつぼみも膨らみ、開花まであとわずか・・・という時節を迎え、市内では江戸時代から伝わる有形、無形の文化財が公開されます。

【圓福寺所蔵の市指定有形文化財の公開】
一ノ割にある圓福寺では、毎年4月一週目の日曜日に開催される「圓福寺祭り」に合わせて、曼陀羅堂に所蔵されている市指定有形文化財が公開されます。
木彫当麻曼陀羅図は、通常、絵画等で描かれていますが、木彫の仏像が配された立体構造が特徴的です。この他、釈迦涅槃図など、江戸時代に制作された仏教美術が一堂に公開されます。
日時:令和7年4月6日(日曜日)午前10時~午後3時
場所:一ノ割一丁目30-17 圓福寺
 ※拝観は有料となります

曼陀羅堂での公開の様子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当麻曼陀羅図

釈迦涅槃図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▲左:木彫当麻曼陀羅図、右:木彫釈迦涅槃図 共に元禄11年(1698年)の作。厨子に納められ江戸各所の寺社にも出向いて公開(出開帳)されていた。


【不動院野の神楽】
東不動院野地区に伝わる市指定無形民俗文化財が公開されます。江戸時代の半ばころ、茨城県稲敷市の大杉神社から伝わった神楽(祭神が安婆天狗であることから別名「安婆神楽」ともいわれる)で、元来、平安時代に宮中での神事として演じられていましたが、江戸時代には「お祓い」の要素をもち、家内安全や五穀豊穣を祈願する民俗芸能として、東不動院野地区で継承されています。
 日時:令和7年4月13日(日曜日)正午~午後2時(予定)
 場所:東不動院野615 東不動院野集会所

お囃子
 

 

 

 

 

 

 

神楽1

神楽2

 

 

 

 

 

 

 

 

▲昨年の祭礼の様子  高校生や大学生の後継者による演舞も見どころのひとつ。軽快な調子の祭り囃子と口上が伴う神楽が特徴的

桜のお花見とともに足を運んでみてはいかがでしょうか

次期企画展のチラシできました

次の企画展は、「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展。

ここ数年春先に開催し、恒例になりつつある市の花「フジ」を主題にした企画展2025年版です。

今回は、市の花フジに加え、「藤」「渕」がつく市域の地名と、「富士信仰」にスポットをあてます。「藤」がつく地名とは、豊野地区の藤塚。「渕」がつく地名とは、幸松地区の小渕、のことです。

まだ、どんなモノが並ぶのか、目下、検討・準備中ですので、詳細は教えられませんが、見どころとなる資料は固まってきましたので、チラシのデザインが確定されました。

画像:藤・渕・富士展示チラシ

淡い色合いで、アンニュイな展示担当者の今の気持ちを表わしているようです(笑)。

果たして間に合うのでしょうか。乞うご期待。

 

[事業の基本情報]

展示名:企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展

日時:令和7年3月22日(土曜日)~5月2日(金曜日)月曜日・祝日休館。開館時間午前9時~午後4時45分

関連事業:みゅーじあむとーく(展示担当学芸員による展示解説)
     令和7年3月23日(日曜日)、及び4月19日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(30分程度)
     予約不要。時間までに展示室へお集まりください。費用無料

#かすかべ地名の話 (7)#八木崎

忘れた頃にやってくる、春日部市内の地名の話。今回は、八木崎について。

先日、でばりぃ資料館のため、八木崎小学校に訪れた際に、担任の先生より、「八木崎のいわれについて教えてほしい」と強いご要望がありましたので、今わかる範囲での八木崎について、ほごログで紹介することにしました。

八木崎は、粕壁地区のなかの小名(小さな地名)の一つであることは、前にも紹介しました。元禄10年の検地帳にも登場する耕地名ですから、古くから呼び伝えられてきた地名であることは間違いないでしょう。「八木崎遺跡」という遺跡もあり、古代の遺物も出土していますから、少なくとも奈良・平安時代には人々が拠点としていた痕跡がのこっています。ちなみに「八木崎遺跡」は現代人が名付けた遺跡名ですから、当時はなんと呼んでいたのかは不明です。

江戸時代には、八木崎の一帯は粕壁宿の一部になり、「八木崎耕地」「字八木崎」などとよばれました。八木崎耕地は、田8町8反余、畑29町5反余で、耕地の大半は畑地で、「粕壁宿之内八木崎組」とも書かれた古文書もあり、宿場の人馬継立の役を分担する株を持つ家も存在していました。粕壁宿というと、日光道中沿いの町並みの方に焦点が集まってしまいますが、八木崎は立地的にも古くから人々が暮らしていたことが推察されます。

明治初めに記された「春日部記草」に、次のように書かれています(春日部市史近世史料Ⅲノ2)。

「八木崎と云名ハ遺老の物かたりに、大木の杉八もとありし海辺ゆえしか、名つけたりとそ、こゝも浜川戸にさしつゝきて土地高く、古く干潟と成たる所故、太田の庄にかそへ入たるなるへし」(八木崎という地名は、古老の話によれば、大木の杉が8本あり、海辺だったために、八木崎と名付けられたとのこと。八木崎は浜川戸に地続きで、古くから干潟になった場所なので、中世の太田の庄に含まれていると考えられる)

明治初めの人たちは、春日部八幡神社のある浜川戸に地続きの八木崎が土地が高いと認識していたようです。たしかに、昭和8年(1933)の粕壁町の略図をみると、画像左下の八木崎付近は、西側のあたりに畑が多くみえます。

画像:粕壁町略図

市内には、八木崎のほかにも、米崎・金崎・塚崎・木崎のように「崎」がつく地名があり、いずれも台地等の高台の突端がかかる地域となっています。八木崎は台地ではありませんが、浜川戸の河畔砂丘など、微高地の突端にあたるため、「崎」という地名となったのでしょう。

【 #3月7日 】 #今日は何の日? in春日部

いまから254年前の明和8年(1771)3月7日(旧暦)は、粕壁ゆかりの俳諧師増田眠牛の命日です。

増田眠牛は、今年の大河ドラマ「べらぼう」の時代=江戸時代半ばの江戸の俳諧点者です。粕壁の山中観音は眠牛ゆかりのお堂で、粕壁宿の歴史スポットとして知られています。しかし、当時の歴史資料はほとんどなく、粕壁との関わりは伝承・逸話として伝わるのみです。今回はその伝承・逸話の元になっているものを紹介しましょう。

眠牛について、紹介する文献のうち、最も古いと思われるのが、粕壁尋常高等学校編『郷土の研究』(昭和8年ごろ刊)です。同書は、私家版で発行された小冊子で、個人のお宅に伝来する史料として伝わったものです。担当者も恥ずかしながら、未だかつて原本をみたことがありません。

同書は、当時の粕壁町の社会経済的な統計のほか、伝承・伝説など、大正末から昭和初期にかけての郷土史研究の成果として重要なもので、このなかに「増田眠牛の事」という項目が立てられ、次のように記されています。一部コピーが不鮮明で読めない箇所は【 】で記しました。

増田眠牛とは今より凡そ百六七十年前、六部姿にて背に千手観音を負ひ、風雅の道をもとめて漂然と我が春日部の宿にたどりつきたる俳人の名なり。時は徳川時代の中頃宝暦の頃なりしと伝へらる。当時、今の練木市左衛門の本家なる家を伊勢平といひ、米問屋をなし、一家俳諧を好む。即ち眠牛これを聞きて旅のわらじをこの家の軒にとく。しかして暫しこの家の人々と起居を共にす。それより明和八年三月、六十余才で没するに至るまでの年月を此所に落ち付きて俳味豊かな彼の晩年を送る。

伊勢平当時米問屋にて常に江戸に出でゝ米の仕切勘定をなす。一夜或宿屋にて囲碁をなす。打つ手置く石せはしく石の黒白に天下を争ふうち、その手の思ふやうにならぬ折から思はず「下手だなあ、拙いなあ」を連発すと。隣座敷にて当時俳書【    】俳談に余念なき時なり、近頃ものせるものなりとて

 五月雨や 或る夜ひそかに 松の月 蓼太

なる句を示して、その批評を請ひしに、隣の部屋より「下手だなあ、拙いなあ」の連発が聞こえてくる。これを聞き手嵐雪忽ち血相が【  】部屋にふみ入りて、如何なる点が拙きかと談判に及ぶ。伊勢平【 】に驚きて拙なりとは御身の句の事にあらず、全く碁の手の拙き故なりとしきりに弁明すれど、聞き入れず、困じ果て対に一策を案じ、即ち之を家に奇遇せる眠牛にはからんとせるなり、「然らばそ【 】答を暫くまたれよ」とて暫くその場をのがれて帰宅をなし【  】眠牛に打ちあけてその助力を請う。眠牛やがて嵐雪と会見してその句の非を指摘して伊勢平の難をすくふ。俳聖嵐雪【  】批評も得たるを思へば眠牛は相当の技量と見解をもちたる俳人なる如し

その辞世の句として

 かかれぬぞもういのち毛の土筆

とあり。今尚山中観音(眠牛の背負ひ来れる)の堂前に石にきざみてあり。即ち眠牛は六十余才にてこの地に終りし故、附近の人びとによりその負ひ来れる千手観音は山中観音としてまつられ、眠牛の用ひし杖なども保存せらるゝと。観音堂は今より四十余年前附近の人々無尽講に入りてあたり金を以て建立せるものにて、今毎月十七日には観音経をあげらる。なほ眠牛の墓が伊セ平菩提寺なる成就院にありしによりてもその史実は証せらる。

上の文章からは、次のことがわかります。(1)俳諧師の眠牛は、粕壁宿の米問屋伊勢平に寄宿し、晩年を過ごし、粕壁で亡くなったこと。(2)伊勢平が別の俳諧師と口論になった折りに、眠牛が俳諧の評価を下し、間を取り持ったことで伊勢平が助かったとこと(途中は読めない部分があるので、事実関係は検討が必要ですが)。(3)眠牛が背負ってきた観音は、粕壁の山中観音として祀られ、今にいたること。(4)かつて、眠牛の墓は伊勢平の墓所にあったこと。(5)山中観音のお堂は40年ほど前(明治末期か)に地域の人たちの無尽講により建てられたもので、観音経を唱える講中(観音講か)が組織されたこと。

ところで、増田眠牛は、どのような俳諧師だったのでしょうか。断片的ですが、江戸の俳諧書を辿ってみると、眠牛の名は割と多くみえます。近現代に出版される俳諧の系統図にも、眠牛は談林派の俳諧師として、笠家旧室の系統をひく者としてみえます。俳諧書の「西山家連俳系図」には、談林派俳諧の笠家旧室の弟子として眠牛の名がみえ、「増田匍匐庵、明和八年辛卯三月六日没、歳五十三、葬武州糟壁駅成就院」とあります。また、明和5年(1768)刊とされる「誹諧觽初篇」には、「当時旅行」「蒼狐門」とありますので、笠家旧室の系統を組む小菅蒼狐の門となり、すでに江戸を離れていたようです。同書には「強弱交るべし、恩愛の句に手柄あり、とかく短句に高点多し、是はといへる道具なし、句を軽く仕立べし」と、点者としての評判も記述されています。俳諧に親しんだ江戸の人びとに、俳諧の点者として知られていたことがわかります。

『郷土の研究』では、没年を「六十余才」としていますが、同時期の俳諧書では没年を「五十三才」としています。命日は、江戸俳諧書では「三月六日」としますが、山中観音の墓石には「三月七日」と刻まれています。

また、『郷土の研究』は、伊勢平が中心となって眠牛と関わり、その後地域の無尽講によりお堂が建てられたと読めますが、戦後に粕壁と眠牛について記されたものには、「やまご」を商標にする清水家が眠牛を世話したとの言説がみられます。

たとえば、『春日部市史通史編』では、春日部市教育委員会編『春日部市の文化財』(昭和54年初版)を引用し、「この堂(山中観音)は、伊勢平に代わって眠牛の世話をしていた醤油醸造家清水家(やまご)が眠牛の菩提を弔うために建立したものである」と記しています。同様の言説は、岩井幸作『春日部秘史』(昭和46年刊・私家版)にもみられます。清水家は、伊勢平の後に眠牛を世話し、宅地の隅に居宅を用意した(『春日部市の文化財』)とも、伊勢平なきあとにお堂を管理した(『春日部秘史』)とも、眠牛やお堂との関わりは曖昧です。清水家は、栃木屋勝右衛門を代々名乗る江戸時代以来の粕壁(仲町)の商家です。通称「栃勝」と呼ばれました。醤油醸造家とされていますが、諸資料から確認すれば、醤油醸造をはじめたのは明治時代以降とみられ、もともとは木綿買次商を営んでいました。

私見ですが、醤油醸造の栃勝は極めて近代的なイメージとみられますので、清水家が山中観音と深く関わるのは、明治以降のことではないかと考えらえます。とはいえ、『郷土の研究』の逸話をはじめ、没年や命日、清水家との関わりなど、関連史料がないため、今となっては確かめるすべがないのが現状です。

さて、眠牛が背負ってきた観音の軸は、現在も山中観音の本尊として祀られているそうです。昭和初期には成就院にあったという眠牛の墓石は観音堂の敷地に移設されています。

画像:眠牛の墓石

墓石には、眠牛の戒名「諦誉華岳眠牛居士」と命日「明和八辛卯年三月七日」、そして「かかれぬぞもういのち毛の土筆」という辞世の句が刻まれています。

現在の山中観音堂は平成初めの区画整備事業により、平成4年に元のお堂の一部を移築されています。

画像:山中観音

当館では、移築に伴い、お堂のなかのものの一部、眠牛が背負ってきたという笈(下の画像)などを保管しています。

画像:山中観音笈

浅学な担当者は、これまで増田眠牛について、それほど著名ではない俳人と勝手に思い込んでいましたが、デジタルアーカイブなどで各機関の関係史料を瞥見するなかで、意外に著名であることにたどり着きました。史料の関係で、粕壁でのエピソードを深めるのは難しそうですが、粕壁宿や山中観音の価値を高める上で、眠牛についてもう一度見直し、再評価する必要があるのかもしれないと、眠牛の命日に思うのでした。

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過去の今日は何の日?in春日部シリーズは、上のリンクからお読みいただけます。

歴史文化講演会 合戦場宿一件にみる庶民生活の一側面 を開催しました

令和7年3月2日(日)午後、教育センター視聴覚ホールにおいて、歴史文化講演会を開催いたしました。

國學院大學栃木短期大学教授で、日本近世史がご専門の坂本達彦先生をお迎えして、「合戦場宿一件にみる庶民生活の一側面 ~日光道中の宿場と周辺村落~」をテーマに、お話ししていただきました。

江戸時代の春日部は、江戸から日光までを結ぶ日光道中が南北に通り、宿場町であった粕壁宿は、江戸の影響を受けながら、地域の経済・文化の中心となっていました。

3/2歴史文化講演会

 

講演では、天保10年・11年(1839・1840)に日光例幣使道合戦場宿(にっこうれいへいしどう かっせんばしゅく 現栃木県栃木市)で発生した、贈収賄事件を手がかりに、広範囲にわたった処罰者や、当時の粕壁宿の状況なども交えて、宿場や農村に暮らした人びとの、社会、生活や風俗を紹介されました。江戸時代の後期から幕末期にかけての時代背景として、幕府の政治・政策の変化、江戸の町の繁栄と、関東地方の宿場や農村の治安と風紀・風俗の問題をとりあげ、それに対する幕府の対応(統治や統制)をわかりやすく解説されました。

3/2歴史文化講演会

 

 

 受講された70名近くの皆さまには熱心にご清聴いただきました。質疑では複数のご質問もあり、たいへん盛況となりました。坂本先生、受講された皆さま、ありがとうございました。

江戸時代は、宿場・農村を問わず、さまざまな事がらが、現代と関わりを持っています。今後も本市をはじめとする埼玉東部地区の歴史や文化について、紹介してまいります。

【出張授業】でばりぃ資料館in宮川小学校

令和7年2月26日(水)に宮川小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。

全体挨拶

 

宮川小の3年生は1クラスのみ。この日は1クラスを2つに分けた少人数制のでばりぃ資料館を開催できました。

昔の市の様子・学校の道具を解説

昔の家庭の道具を解説

視聴覚室を仕切りで2つに分け、「60年前の市の様子・昔の学校の道具」「昔の家庭の道具」について解説をしました。

1ブースに付き20分程度の時間でしたが、児童がよく話を聞いてくれたことや、少人数ならではの作業の進めやすさもあり、資料に触れる時間も確保できてコンパクトながら充実した時間を過ごせたようです!

各ブースを入れ替わるタイミングで、児童同士が
「こっちめっちゃ面白かったよ!」
「こっちも面白かったよ!」
と、自分の方が楽しんだ自慢がはじまったり(笑)

 

手回し洗濯機をぐるぐる

事前に先生から伺っていた話によると、児童たちは“でばりぃ資料館”をずっと楽しみに待っていてくれていたとのこと♪
仕事と言えど、そう言われるとやはり嬉しいもので出張のしがいがあります!
ぜひ今度は“待ち”ではなく、保護者の方と郷土資料館に“来て”みてくださいね!

 

さて、これにて本年度のでばりぃ資料館は一段落となりました。
出張回数は市内小学校14校15回を数え、過去最多!でばりぃ資料館ではなく団体見学にきてくれる学校もあるため、本年度は多くの学校に郷土学習を体験してもらえたかと思います。
でばりぃ資料館は3年生の社会科のみならず、学年・内容・時期などを相談させていただければ随時ご利用いただけます。児童にとってちょっと特別な授業を提供できるようこれからも努めてまいりますので、今後もどうぞ郷土資料館をご活用ください!

【出張授業】豊野小学校inでばりぃ資料館

2月25日(火)豊野小学校に、でばりぃ資料館で出張りました。

当日は、午前は立野小、午後は豊野小のダブルヘッダー。気分はメジャーリーガーです。

豊野小学校では、図書室と視聴覚室の2教室を間借りして、3年生の皆さんに、昔の家の道具や学校の道具、昔の春日部のまちや豊野小の周りの様子についてお話ししました。

 画像:図書室の様子

豊野小学校には、地元の民具などを展示する郷土資料室が置かれていますので、資料室から道具を持ち寄って、説明。そして、自由に触ったり、体験してもらいました。

こちらは定番の黒電話。写真の様子からもわかるように、まさに電話を取り合っています。小学校の郷土資料室にも1台ありましたので、事後学習にぜひご利用ください。

画像:黒電話

かたや、視聴覚室では、春日部のまちは昔は田んぼや畑だったことを写真をみながら考えてもらいました。

60年前には、普段つかっている大型ショッピングモールや、学校の周り、自分たちのおうちがあるのか、じっくり探してもらいました。「コンビニはどこ?」「ワンワンランド(?)は?」とか、現代のランドマークになる建物がないため、探すのに苦労していました。

画像:春日部航空写真

 また、こちらでも郷土資料室の道具も体験。昔の農業について考えてもらいました。

画像:農具

鍬や田こすりなど、どうやって使うのか、重いのか、軽いのか。昔の豊野地区の農家の人たちの汗がしみ込んだ農具の柄を握って昔の農業を感じてもらいました。児童のなかには、おじいさんやおばあさんが農家の方がちらほら。「おじいちゃんちにある」とか、「今度手伝いたい」なんて話す子もいました。

ところで、帰り際、校長先生から「先日学校訪問に来た外国人の方が郷土資料室を気に入ってくださった」「出入りができるようにして活用をしたい」とお話しくださいました。豊野小の郷土資料室は、地元の方が集めたものもあり、郷土資料館でも展示したい養蚕の郷ぐ「蚕棚」も展示している、市内屈指の郷土資料室です。今回のでばりぃ資料館だけなく、日常的に見学・体験・活用していただけると助かります。

でばりぃ資料館の後、3年生たちは下校。帰り際に「今日はありがとうございました」と声をかけてくれました。今度は郷土資料館に遊びにきてくださいね。

【出張授業】でばりぃ資料館in立野小学校

令和7年2月25日(火)の午前に立野小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。

 

1月後半から始まった怒涛のでばりぃ資料館ラッシュもいよいよ終盤です!

 

この日は3階の学習室3・4を使用しての開催。

学習室3の様子

学習室4の様子

それぞれ昔の学校の道具・家庭の道具を紹介する部屋と、昔の町の様子・昔の農業について紹介する部屋とに分かれて勉強をしました。
立野小には郷土資料室を設置しており、そこから周辺地域で実際に使用されていた農具などを持ち出して児童に観察してもらいました。

 

自由見学時間の様子

約60年前の市域を映した空中写真では、立野小の姿はまだありません。
児童からは「田んぼばっかりや!」と、立野小が設立される以前の様子を感じ取ってくれたみたいです。
中には地図をみて「スカスカ!」と言う児童も。田んぼや畑が“ある”ではなく、建物が“ない”という感覚のようで、いかに建物に溢れた世界が常識になっているかがうかがい知れます。

 

今日は都合上3クラスを2つに分けて開催したため、1部屋当たりの人数が多くなってしまいましたが、児童が騒がず静かに話を聞いてくれたため問題なく終えることができました!
立野小の児童は郷土資料室にも興味を持ってくれたみたいなので、先生にお願いしてぜひ郷土資料室にも入ってみてください!見たことのない道具がたくさん待っていますよ♪

郷土資料館体験講座「かわいいミニぞうりを作ってみませんか」を開催しました

令和7年2月22日(土)に体験講座「かわいいミニぞうりを作ってみませんか」を開催しました。

 講座風景

本来、本講座は昨年の10月末に開催する予定でしたが、その時は衆議院議員総選挙で会場が使用できなくなってしまったため中止となってしまいました。ご予約をいただいていた方に中止となった旨をお伝えしたときは、皆さんとても残念そうで、こちらとしても心苦しい限りでした。

 

そして何とか日程を調整して、今回の「ミニぞうり作り」の開催にこぎつけました!
例年は定員20名に対して参加者10名前後なのですが、今年はある意味で2回告知をできたおかげか、募集定員満員となりました!

 

講座では江戸打ち紐を使って、小さなぞうりを編んでいきます。

 みなさん集中して編み込んでいます

特に編みはじめの部分が難しく、テキストを見てもなかなか思うようにいきません。
ちなみに、編み方が合っていても“なんだか間違っている気がする・・・”と感じるのも『ミニぞうり作りあるある』だったりします。編み進めていくとだんだんとぞうりの姿が見えてきて一安心といった感じです(笑)

 

作ったばかりのミニぞうりをバッグに付けてお帰りになる方も!
どうやら手作りしたアイテムでバッグを飾ってらっしゃるそうで、ミニぞうりもその仲間入りができました♪

 

参加者の人数に対して、どうしても職員の手が足りず、ご不便をかけたかと思いますが、講座後のアンケートでは「またやりたい!」「自宅でも作ってみます!」といった声をいただき、多くの方にご満足いただけたようで何よりです!
郷土資料館では他にも各種イベント、講座を開催しておりますので、ご興味のあるものがございましたら、またぜひご参加ください!

2月の考古学関係展示会、イベント情報

2月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。
(毎月28日ごろに掲載します。随時、情報を更新します。)

(東部地区文化財担当者会リレー展示ー都鳥が見た古代)
・3月15日(土曜日)~4月8日(火曜日) 白岡市立歴史資料館(資料展示)

(展示会_閉会日順)

・5月6日(火曜日)まで 朝霞市博物館(朝霞市)
第38回企画展「根岸古墳群と内間木古墳群~朝霞の古墳時代」

・5月25日(日曜日)まで さきたま史跡の博物館(行田市)
  令和6年度テーマ展 埼玉の遺跡「小敷田遺跡―低地集落に生きた人びと」

・5月25日(日曜日)まで 藤岡歴史館(群馬県藤岡市)
令和6年度春季企画展「群馬県指定史跡指定記念 ムラと歩んだ古代の寺―牛田廃寺の時代」

・6月15日(日曜日)まで 国立科学博物館(東京都台東区)
古代DNA-日本人の来た道―

・4月20日(日曜日)まで 取手市埋蔵文化財センター(茨城県取手市)
埋蔵文化財センター第54回企画展 「近世を掘る―地下からわかる取手宿―」

・4月20日(日曜日)まで 桶川市歴史民俗資料館(桶川市)

令和6年度企画展示「ようこそ はるばる おけがわへ~縄文時代のモノと移動~」

・5月25日(日曜日)まで 本庄早稲田の杜ミュージアム(本庄市)

企画展「古代エジプトの棺と埋葬」

・6月15日(日曜日)まで 水子貝塚資料館(富士見市)
「縄文文化のはじまり ~八ヶ上遺跡全部見せます~」

・6月15日(日曜日)まで 飛鳥山博物館(東京都北区)

春期企画展「丸木舟ラボー縄文の舟にまつわる4つのはてなー」

・7月6日(日曜日)まで 宮代町郷土資料館(宮代町)
企画展 「発掘された地蔵院~テーマで探る人々の姿~」

・8月30日(土曜日)まで 帝京大学総合博物館(東京都八王子市)
企画展「ホネホネワンダーランド-骨の不思議を探る-」

 

南桜井小学校の皆さんが団体見学に来ました

2月20日、南桜井小学校の特別支援学級の皆さんが、郷土資料館に見学に来てくれました。

写真:竪穴住居の見学

竪穴住居や粕壁宿の模型をみたり、千歯こき体験をしたり、春日部駅の鉄道高架の展示をみたり。

写真:千歯こきの体験

来館しなければ味わえない体験・経験をたくさんしてもらえたようです。

特に大人気だったのが、昔のおもちゃコーナー。

写真:昔のおもちゃ体験のコーナー

自由時間をかなりとりましたが、皆さん、この場から離れません。とくに人気だったのが、ダイヤル式電話、ビー玉ころがし、パタパタ(板がえし)、紙鉄砲でした。

最後には「帰りたくない」と涙をこらえて訴えてくれる子もいました。

 

ここのところ、郷土資料館では、でばりぃ資料館(出張授業)ばかりで、久しぶりの団体見学でした。

でばりぃ資料館はお陰様で大好評で、「楽しかった」と満足気に語る児童たちはいても、「帰らないでほしい」とは言われたことはまだありません。でばりぃ資料館は「所詮、郷土資料館の切り売り」にすぎませんが、団体見学のは郷土資料館を体全体で感じることができます。ヴァーチャルや切り売りではなく、実物のいろいろなものに、自らの興味・関心で触れにいき、楽しめることが、来館することの醍醐味なんだ、と改めて気づかされました。「帰りたくない」という感想はあり得ても、「帰らないでほしい」はきっとない感想なのかもしれません。

 

「帰りたくなかった」あなたは、ぜひ、おうちの方とまた遊びにきてくださいね。

【出張授業】中野小学校inでばりぃ資料館

2月14日、中野小学校にて、でばりぃ資料館を開催しました。
今回も3年生の社会科の市やくらしのうつりかわりの学習の出張依頼です。
わけあって、報告が遅くなってしまましたので、後日いただいた児童の皆さんの感想ととともに当日の様子を紹介しましょう。

写真:中野小学校でばりぃ資料館
中野小学校の皆さんは、すでに昔の道具やくらしのうつりかわりについて、学習がはじまってたようで、「道具の名前や使い方知っていますか?」と質問すると、「火のし」「昔のアイロン」というように、答えてくれた子がたくさんいました。しかし、どうやって火のしを使うのか、どのようにして先端の金属の部分を温めるのかは、まだ知らない子が多かったよう。実物の火のしと木炭(炭)をみせながら説明したところ、皆さん得心してくれました。だけど、それでも時間が足らなかったかな、と思う感想を書いてくれた子もいました。

画像:火のしの感想

熱くなるのは、先端の金属(真鍮?)の部分で、取っ手は木製です。触って確かめてもらえたでしょうか。

 

写真:黒電話

こどもたちに大人気のダイヤル式電話。他の小学校では「電話にでんわ」と紹介され、教育センターの一部の方に好評だったので、同じように電話を紹介しましたが。。。全体的にはしーん。ただ、一人の子には大うけしました。今後も果敢に挑戦していきます。

もう一つの話題。

「中野小学校がなんでできたのか知っていますか?」というような、町の様子のうつりかわりのお話。こちらについても、すでに学習していたようで、「川辺小学校がいっぱいになっちゃったから、中野小学校ができた」と明答してくれた子もいました。

けれども、「中野小学校ができる前には、ここは何だったのか」と聞くと、「田んぼかな?」「畑かな?」「海かな?」「川かな?」と意見が分かれました。そこで、60年前の春日部の航空写真を見てみよう、と案内したところ、自由時間には、、、

写真:航空写真

われ先にと争うようにのぞき込んでくれました。

感想でも、

画像:感想2

自分たちの小学校だけでなく、よく使う近所のショッピングモールがなかったことに驚きをおぼえてくれた子もいたようです。

今回は、学習の「導入」ではなく、「展開」として位置づけられていたようでした。「導入」でも「展開」でも、はたまた「まとめ」でも、いかなるご要望にもお応えしますので、今後も幅広いオファーをお待ちしております。

中野小学校の皆さん、どうもありがとうございました。次は、郷土資料館に来てくださいね。

歴史文化講演会 天正18年の岩付、糟壁とその周辺 を開催しました

令和7年2月15日(土)午後、教育センター視聴覚ホールにおいて歴史文化講演会を開催いたしました。

元さいたま市の専門職員で中世史研究者の青木文彦先生をお迎えして、「天正18年の岩付、糟壁とその周辺」をテーマにお話しいただきました。

2月15日 歴史文化講演会

 天正18年(1590)は、関東地方の歴史にとって大きな画期となった年です。関東地方の戦国大名の雄であった小田原北条氏(後北条氏)が天下人豊臣秀吉の小田原攻めによって滅ぼされ、関東は江戸を本拠に置く徳川氏の領国となりました。これは、今日まで続く、東京(江戸)を中心とした関東地方・日本の発展の歴史へと連なる、大変大きな出来事といえます。

講演では、天正18年3月から9月まで、豊臣秀吉が京都から関東へ着陣し会津仕置(しおき)を経て京都へ戻る期間の秀吉の動静と、岩付城の落城や春日部とその周辺の住民の動向を詳しくお話ししていただきました。

2月15日 歴史文化講演会

 受講された70名近くの皆さまには熱心にご清聴いただき、最後には複数のご質問もあり、たいへん盛況となりました。青木先生、受講された皆さま、ありがとうございました。

今後も、春日部や埼玉東部、関東地方の歴史文化と関わる講演会を企画し、現代との関わり、つながりを紹介して参ります。

【出張授業】でばりぃ資料館in南桜井小学校

令和7年2月18日(火曜日)、南桜井小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。

南桜井小学校では、3時間目と4時間目の2時間を使い、昔の農業、昔の生活道具、60年前の春日部、昔の学校、昔の遊びと、一クラスずつ時間をかけて、5つのテーマについて学びました。

図書室では、昔の学校、60年前の町、昔の遊びについて学びました。

60年前の町では、航空写真をみて、南桜井小学校の近くにある国道4号バイパスや国道16号、イオンモール春日部などが60年前にはまだ無かったことや葛飾中学校が現在の桜川小学校の場所にあったことなどを学びました。また、60年前は市内のほとんどが田んぼだったことを見てもらいました。

南桜井小学校は、明治6年(1873)に開校し、150周年を迎えています。昔の学校では、南桜井小学校の100年前の生徒の集合写真をみて、着物姿の子どもたちとひげを生やした先生に気づいてもらいました。150周年記念式典の時にも同じ写真が飾られていたことを教えてくれた子もいました。

 

 

児童会室では昔の生活道具、昔の農業について学びました。

昔の生活道具は一通り説明を聞いた後、手回し洗濯機や火のし、黒電話などに触れ、感触を確かめました。

昔の農業では、代表の子に千歯こきの体験をしてもらいました。

南桜井小学校の周りも、最近、特に国道沿いにいろいろな建物が次々と建ち、とても速いスピードで町の景観が変わっています。3年生の皆さんには、そういった学校の近くの町のうつりかわりに、少しでも気がついてもらえたらうれしいです。

令和6年度の文化財防火デー防災訓練を実施しました

 2月16日(日)、富多地区に所在する市指定有形文化財「立野天満宮本殿」を対象に、立野集会所並びに立野天満宮にて令和6年度文化財防火デー防災訓練を実施しました。

 今年度は立野区の自主防災訓練の一環として、地区と共同で開催し、50名を超える多くの皆様にご参加いただきました。

 

 この文化財防火デーは、昭和24年1月26日に奈良の法隆寺金堂が火災に遭い、現存では世界最古の木造建造物と共に貴重な壁画が焼失したという痛ましい事故を契機に定められました。毎年1月26日前後に、全国各地で歴史的建造物や文化財を保存管理する社寺などで防災訓練が行われています。

 

 この日の第1部は文化財防火デー防災訓練です。今回は、集会所に設置されたゴミステーションが放火され、出火という想定のもとで訓練を実施しました。実際の119番通報から模擬文化財の搬出、水消火器による初期消火で鎮火というシナリオです。皆さん息のあった連携で模擬文化財搬出と初期消火をスムーズに行っていただきました。

模擬文化財の搬出訓練初期消火訓練

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 続いて第2部の訓練は自主防災訓練のメニューである、水消火器訓練と起震車「ゆらりん」による地震体験を行いました。消火器の持ち運び方や「掃く」ように放水するなど、消防本部予防課の職員による実践的なレクチャーを受け、実施しました。また起震車「ゆらりん」では震度6強の地震を体験しました。春日部市域で予想されている最大震度は震度6強と考えられていますが、机や柱にしがみついているのがやっと、という感想を聞くことができました。

消火器のレクチャー

地震体験

 

 

 

 

 

 

 

 

 

訓練に参加された方からは、「こんな身近に文化財があるとは思わなかった」や「地域の文化財を知ることができてよかった」といった感想をいただきました。我々、そして地域の方々にとっても有意義な訓練となりました。

最後になりますが、立野区の皆様並びに消防本部、危機管理防災課の皆様、ご参加いただきありがとうございました。これからも地域の皆様との連携・協働をとおして貴重な文化遺産を未来に確実に保存し伝えられるよう、ご協力をお願いいたします。

豊野小学校「獅子舞授業」~銚子口の獅子舞 第2回目~を行いました

2月13日(木)、豊野小学校第3学年の「総合的な学習の時間」では獅子舞授業が行われました。

先週の赤沼の獅子舞に引き続き、通算で4回目の授業となり、銚子口の獅子舞は2回目の授業になります。

 

当日は強風吹きすさぶ中、銚子口獅子舞保存会から6名お越しいただき、ご指導いただきました。

2月6日の赤沼の獅子舞と同じく授業テーマは「舞に挑戦してみよう!!」ということで、『辻切り(つじきり)の舞』に挑戦しました。『辻切りの舞』は集落の境界で行われる舞で、家内安全を願い、集落に悪いものが入ってこないように追い払う意味合いをもつ舞です。

最初は舞のリズムを全員で口ずさみます。リズムを文字にすると「ヒン トロロ~ ヒ~レ~・・・」と、これを『自言(じごと)』と呼んでいます。このリズムが『自言』として体に染みついていれば、笛や太鼓の音がなくとも舞が舞えるようになるそうです。

自言の練習全体で舞の練習

 

 

 

 

 

 

 

 

続いて、全体で舞の練習です。先週の授業の効果があるのでしょうか、違う振り付けではありますが、3年生の皆さんは戸惑うことなく舞うことができています。

太鼓の練習笛に合わせて舞の練習

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全体での練習の後は2グループに分かれての練習です。今回は舞と小太鼓をステージ上で披露します。笛に合わせての練習となりましたが、やはり先週の経験が活きているようで、みんな飲み込みが早いです。

みんな真剣に練習に取り組んでくれました!!さあ、いよいよステージでの発表です。

舞の発表

 

 

 

 

 

 

 

 

 

発表は全員が舞と小太鼓をローテーションで行いました。保存会皆さんのお手本を見ながらではありましたが、腰を落とす姿勢や小太鼓のリズムも上手にできていました。舞い手は「銚子口の獅子舞」の法被を羽織り、様になっていました。

最後に子ども達からは「思ったより舞がわかりやすかった」や「リズムよく太鼓が叩けた」といった感想がありました。みんな集中して授業を受けて、とても有意義な獅子舞授業となりました。先週末の民俗芸能公開事業に引き続き、銚子口獅子舞保存会の皆様、どうもありがとうございました。

今年度の獅子舞授業はこれで終了となります。銚子口獅子舞保存会並びに赤沼民俗文化財保存会の皆様、ご指導いただきありがとうございました。来年度も引き続き楽しく郷土を学び獅子舞に触れる学習をよろしくお願いします。

 

 

【出張授業】でばりぃ資料館in藤塚小学校

令和7年2月13日(木)に藤塚小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。

 

3日連続でばりぃ資料館の2日目です!
風の吹きすさぶ中、資料を抱え、児童のために出張してきました!

 

 図書室の展示風景

視聴覚室の展示風景

この日は図書室と視聴覚室を利用して、「昔の家庭の道具・昔の遊び」と「昔の市の様子・学校の道具・農業」を学んでもらいました。

 

 昔の家庭の道具・昔の遊びを学ぶ

「昔の家庭の道具・昔の遊び」を学ぶ図書室では、昔の炊事や洗濯に使用されていた道具を展示し、解説しました。
でばりぃ資料館のメニューの中では、ご要望の少ない“昔の遊び”ですが、児童からは大人気です!遊びが印象に残ってしまい、他の道具の印象を薄くしてしまうという側面もありますが、遊びもデジタル化している昨今、電気を使わないおもちゃで楽しく遊ぶというのも貴重な経験ではないでしょうか。

 

 昔の市の様子・学校の道具・農業を学ぶ

「昔の市の様子・学校の道具・農業」を学ぶ視聴覚室では、約60年前の春日部市の様子や、学校で使われていた学用品を学び、さらには千歯扱きを使った脱穀体験も行いました。
今日は時間も十分に確保でき、内容も盛りだくさんだったと思います!

 

 自由時間の風景

でばりぃ資料館では児童の座るテーブルや、長机にあらかじめ資料をセッティングしておくため、会場に入ってきた児童はついつい興奮して資料を触りだしてしまうことが多いのですが、藤塚小の児童は興味津々の目で見つめつつも、勝手に触りだす児童がほとんどいないという、こどもらしさと行儀のよさを兼ね備えていました!
帰路につく車内でも、“しっかりしてたね~”と話題に(笑)
しっかり者の藤塚小の児童さんたち、お家から少し遠いかもしれませんが、ぜひ郷土資料館にも来てみてくださいね!

地学さんぽ講座2(ミクロの世界からの地学探究)

 2月2日(日)、「春日部市史 自然史編」を活用した連続講座の第2回目、『地学さんぽ講座2を開講しました。今回の講座では、市内で採取した関東ロームや河畔砂丘の砂を顕微鏡で観察して、ミクロの世界から春日部の成り立ちを探りました。

 市内で採取した関東ローム層や市内古利根川や古隅田川沿いに分布する河畔砂丘とのその形成について、自然史編を執筆された講師から説明をいただきました。

今回観察する6~6.5万年前の箱根火山が大噴火し関東平野に降り積もった東京軽石(TP)と呼ばれる火山灰や火砕流(東京軽石流)、火山灰中に含まれる鉱物の色や、形の特徴など映像をみながら座学しました。

座学(火山灰中の鉱物の色や形に注目)

観測機器は、双眼実態顕微鏡です。一人1台、各自が春日部の地質や地形を探る観測者となっていただきました。試料は、東中野で採取した関東ローム層や小渕河畔砂丘の砂、さらに2.8万年前に日本列島に広く降った(現.鹿児島湾の海底火山)姶良火山の火山灰(AT)など計7種類を用意しました。

顕微鏡

観察する試料

 観察前には、採取した土壌や火山灰から鉱物を洗い出すという基礎的な作業をまずは体験。試料の一つは現在の川崎市生田に降り積もった箱根火山の火山灰(約6万年~6.5万年前)を含む土壌を、もう一つは、春日部市東中野付近に堆積した関東ローム層(約3万年前~1万年前)です。各自、採取した土を皿にあけ、水を入れて、指で押し潰して土壌を細かくし、上澄みを捨てるという作業を何度か繰り返し、鉱物をとりだしました。

鉱物洗い出し

 鉱物洗い出し後

  ▲上澄みを捨てる作業を何度も繰り返すと、黒色などの砂粒を取り出すことができました

いよいよ顕微鏡で観察です。ミクロの世界の探求の始まりです。

鉱物観察の様子

  顕微鏡で観察した状況です。各自スマホなどのライトをあてて砂丘に含まれる鉱物の観察を行いました。

 ガラス質火山灰(AT層)

  無色透明、まさにガラスの結晶の火山ガラスは(兵庫県春日町(現丹波市)七日町遺跡採取のAT火山灰)、鹿児島県の姶良カルデラから噴出された火砕物で、約2.8万年前と推定されています。形態は板状のガラスでバブルウオール型と呼ばれています。春日部市内の高台に広がる関東ローム層内にも含まれていますが、1350キロも離れた鹿児島湾からの噴出物であるため、肉眼では確認できません。これも顕微鏡の性能のおかげです!

九州から本州一帯、そして津軽海峡もわたって北海道の南部、さらには朝鮮半島と、広域で確認されていることから、この火山ガラスが含まれる層がどこでも同一の時期であることがわかる”指標”となっています。地学だけでなく、考古学の年代探査のカギともなっている貴重な火山からの贈り物です。

 

  観察後は、春日部の地形と地質について説明を受け、土地の成り立ちの考察を深めることができました

次回の「地学さんぽ3」は3月30日(日)、古代の国境であった”古隅田川”沿いを歩きながら川の歴史やはん濫の痕跡、そして、かつては流れが逆流だったというメカニズムを探ってみます。興味がある方は広報3月号をご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第11回民俗芸能公開事業「伝える、つなげる、獅子舞の未来」が行われました!

2月9日(日)に第11回民俗芸能公開事業「伝える、つなげる、獅子舞の未来」が行われ、210名の方にご来場いただきました!


今回は、平成25年の第2回開催以来12年ぶりに中央公民館にて開催されたため、職員も保存会の皆さんも戸惑う部分も多くありましたが、皆さまのおかげで無事公演を終了することができました。

ご来場いただいた皆さま、関係者の皆さま、本当にありがとうございました。


当日の様子をご紹介します。

公演1:銚子口の獅子舞①

解説は、銚子口獅子舞保存会会長の川鍋保様から獅子舞の歴史と舞の由縁を説明いただきました。

会長の「道中流しスタート」の掛け声とともに幕が上がると、舞台上には囃子方のみ。『獅子舞はどこに?』と舞台上を探す観客の皆さんの予想を裏切って、会場後方から入場が始まり、会場も一気に盛り上がりました。

道中流し客席の前を通り登場

客席の前を通って「道中流し」スタートです

道中流し 舞台上に天狗と三匹獅子が並びます

舞台上に天狗と三匹獅子が並びます

「天狗の舞」では、天狗様により舞台が清められます。

いよいよ獅子による舞がはじまります。獅子は3匹、女獅子、中獅子(若い獅子)、太夫獅子(壮年の獅子)は獅子頭の外観だけでなく舞の所作が異なります。

 

「出端の舞」では女獅子が演舞し、獅子舞にも柔らかい仕草がみられます。

続く「中の舞」では中獅子が舞います。舞手が一度は舞いたいと憧れるという解説にも納得!ダイナミックで力強さを感じさせる舞で、女獅子の舞との差は一目瞭然です!また、首を細く振る動作も特徴的でした。

つのがある中獅子による舞

角がある中獅子による「中の舞」
最後の「三切りの舞」は太夫獅子による舞、どっしりとしていて、180度も身体を回転させて踊る勇壮な所作が特徴的です。


公演2:赤沼の獅子舞

解説は、赤沼獅子舞社中 会長の島田定夫様から舞の特徴と由縁を説明いただきました。

本日の演目は舞台仕様で、赤沼神社の祭礼での舞を短縮し、見所を損なわないよう、特徴を見せてくれました。


「宮入り」では大人から子どもまでたくさんの参加していただきました。一番若い子はなんと3歳!小学生や中学生も熱演いただきました。

 天狗によるお清め

猿田彦によるお清め

「三番叟」では女獅子と中獅子による舞、続く「太夫獅子の出端」では太夫獅子の登場です!同じ獅子舞でも、銚子口の獅子舞との違いがよくわかります。

 

「神楽 さかなつり」

通常は夏に披露される演目です。鍾馗様と道化が魚釣りをしているところ、鍾馗様が釣った魚を道化が横取りしようとして退治されてしまいます。そこにピートコとっちゃんが登場して道化を助けます。

赤沼では知らない人はいないという「ピートことっちゃん」。最後には子ども獅子も混ざって楽しく踊りました。

 神楽さかなつり

鍾馗様と道化が一緒に釣りをしています

「太夫獅子の練り」

女性舞手で構成された三匹獅子の舞です。女獅子、中獅子、太夫獅子の所作を十分に魅せてくれました。

太夫獅子の練り

女性舞手による三匹獅子


「弓くぐり」

秋の演目で舞われる舞です。今回は演目の中でも最大の見せ場シーンを本舞台でも披露してくれました。

竹で作った弓は当日の朝に刈り取り、縁起が良い左巻きの弦を使っています。

こんなに大きい獅子が本当にくぐれるのか?

会場の注目を一心に集めていざその瞬間がやってきました。

太夫獅子による弓くぐりの瞬間

太夫獅子が弓をくぐる瞬間
弓くぐりが成功すると会場からも大きな歓声が!


最後の「ぶっきり・さんぎり」は舞台を清めるための舞です。子ども獅子の皆さんが舞ってくれました!

 

舞が終わると、会長から一人ずつ名前が読み上げられた後、会場の皆さんと心をひとつに三本締めを行いました。

 

赤沼民俗文化財保存会の皆さん、素敵な公演をありがとうございました!


公演3:銚子口の獅子舞2

銚子口獅子舞保存会の皆さんにより、引き続き舞が披露されます。前半の舞手と交替し、改めて獅子頭を被り直ししました。
「津島の舞」は縁起の良い時には欠かせない、最後に飾るのにふさわしい舞です。

三匹獅子舞による息の合った舞が披露されました。視野の狭い獅子頭を被って三匹獅子を合わせるのは至難。日頃の練習のたまものです。

三匹獅子による津島の舞

三匹獅子による津島の舞
最後には本日舞台を作り上げてくださった保存会の皆さんの紹介の後、会場の皆さんと一緒に手締めを行いました。

同じ(現越谷市)下間久里から伝わった兄弟獅子ですが、赤沼とはテンポが違う、両団体の違いを間近にみられて感動したという感想をいただきました。

 銚子口獅子舞保存会の手締め

銚子口獅子舞保存会の皆さん、見ごたえたっぷりの舞を披露いただき、ありがとうございました!

 

今回ご来場いただいた観客の皆さんからは、「初めてみたので新鮮だった」「解説つきでわかりやすかった」「銚子口と赤沼の獅子舞が全然違くてびっくりした」などのお声をいただきました。

ご来場いただきまして、本当にありがとうございました。

 

興味を持った方は、ぜひ実際に地元で披露される祭礼にも足を運んでみてくださいね!


*毎年の公開日はこちら

銚子口獅子舞保存会…1月23日に近い日曜日、7月15日に近い日曜日、10月23日に近い日曜日

赤沼獅子舞保存会…7月15日に近い日曜日、10月19日に近い日曜日

*関連ページ

【赤沼獅子舞社中公認】赤沼の獅子舞のホームページ

https://sites.google.com/view/akanumanoshishimai/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0

3/1(土)大凧あげの映像上演会とトークショー(SKIPシティ)

3月1日(土)に、SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザ(川口市)において、令和6年度映像公開ライブラリー上映会とトークショー「春日部大凧あげの魅力」を開催します。

画像:チラシ

この講座は、埼玉県の施設「彩の国ビジュアルプラザ」が収蔵する映像を上映し、その映像について、ゆかりのある方がお話しする、映像と講演の二部構成になっており、今回、春日部市の大凧あげにスポットが当てられることとなりました。

映像は、平成の初めに制作されたものが上映される予定です。大凧揚げの作り方から、あげるまでの過程を大変よくまとめている記録映像です。これを踏まえて、大凧文化保存会の会長さんに、郷土資料館の学芸員がお話しを聞くかたちで、大凧あげの魅力や見どころ、今と昔の違いなど、様々なテーマでお話しをうかがいます。

宝珠花の大凧あげを見たことがある方も、ない方も、参加費は無料となっておりますので、ぜひご参会ください。

申込みや施設の情報については、彩の国デジタルアーカイブーのHPをご覧ください。

チラシ→チラシPDF.pdf

 

イベント名:令和6年度第7回上映会とトークショー「春日部 大凧あげの魅力」

日時:令和7年3月1日(土)14時~16時

会場:彩の国ビジュアルプラザ4階 映像ホール(300人定員)入場無料

申込:デジタルSKIPステーション(〒333-0844 埼玉県川口市上青木3-12-63)

   TEL:048-260-7777  FAX:048-265-2628

【出張授業】でばりぃ資料館in八木崎小学校

令和7年2月12日(水)に八木崎小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。

 

八木崎小の3年生は全4クラスで人数は100人を超えます。
今日は4クラス合同で体育館を利用しての開催です!

昔の家庭の道具コーナー

昔の市の様子・学校の道具コーナー

体育館の前方で「昔の家庭の道具」を、後方では「昔の市の様子・学校の道具」を展示し、学芸員が解説をしました。

 

昔の家庭で使われていた道具の説明

「火のし」という服のシワを伸ばすために使われた道具には“炭”が使われます。他にも炭は調理や暖房の燃料として使用され、生活に欠かせないものでした。
児童たちに炭の用途を尋ねると「バーベキュー!」という声があがりますが、その他の使い道はなかなかでこないようで、現在の生活における炭の役割の違いに驚いた様子でした。

 

昔の市の様子・学校の道具の説明

八木崎小が開校したのは1972年(昭和47年)です。八木崎小ができる前は、周辺のこどもたちは粕壁小に通っていました。
現在も八木崎小の校庭に残る築山(つきやま)は、開校当時の6年生が作るのを手伝ったそうです。50年以上前の卒業生が残していったものだと知った児童からは「え~!?」という声が!まさに八木崎小の歴史を刻む宝の山といってもよいのではないでしょうか!

 

今日はじっくりと学習時間が確保でき、探検シートを使った学習も進めることができました!自由時間にも探検シートをクリアしようと、質問をしてくる児童が多く見られ、学習意欲を高めてくれた様子でした。

 

八木崎小のみなさん、今度はみなさんが郷土資料館に遊びに来てくださいね♪
またお会いしましょう!

 

出張授業「江戸時代の旅籠について」in県立春日部女子高

2月10日(月)、県立春日部女子高等学校にて、出張授業を実施しました。

画像:授業の様子

今回は「かすかべし出前講座」の枠組みで、日本史探求の授業で春日部の近世について学芸員に話してもらいたいと、ご依頼をいただいたものです。

春日部の近世といえば、日光道中。そして、かつての宿場町が女子高から間近にあるということで、今回は、粕壁宿の旅籠についてお話しました。通学路と並走する道が日光道中、すぐ近くが旧宿場町だったこと、知らない方が多かったようです。

写真:講義の様子

授業では、旅籠が発行した領収書や、宿場町に残された古文書・古記録を紹介しながら、旅籠利用の実態や、飯盛旅籠、そして飯盛旅籠で働かせられた飯盛女(飯売女)について、詳しくお話ししました。また、旅籠高砂屋の屋敷絵図面を傍らに、高砂屋に宿泊したイザベラバートの日記や浄瑠璃太夫竹本染太夫の日記などを一緒に読みました。

上の話題(ネタ)は、以前の企画展「旅の途中でひとやすみ」展の成果をもとに仕込んだもの。市民一般の方向けにも何度かお話ししたことのあるもので、普段は90分間でお話しています。今回はそれをギュッと凝縮させましたが、上記の通り、盛沢山の内容だったので、高校の授業55分間、ノンストップでしゃべりっぱなし。話す方も聞いている方も疲れる授業となってしまいました。

けれども、辛抱強く話を聞いてくれた方や、メモを取りながら、時折頷いてくれた方もいました。竹本染太夫の日記に登場する鶴沢万吉と高砂屋おそよとのエピソードに、ほほ笑んでくれた方もいました。

 

今回は、「粕壁宿の旅籠は、史料でみるとこういうことがわかるんだ!」という、地域史(地方史)としては至極まっとうな内容でしたが、一方的にお話しする形に終始しました。この点は、担当者の人間性(?)や力量に関わるところが大きいと思いますが、反省すれば、私たち学芸員の普段の取り組む地域史(地方史)に関係しているように思います。

地域史(地方史)とは、地元に残される資料に基づきながら、事実を確定させていき、当時の地域(地方)の社会像を明らかにする取り組みです。今回でいえば、粕壁宿オリジナルの資料だけを使って、話を組み立てています。地元に資料が遺されていなければ、明らかにすることができない、わからない、のです。だから、他地域の資料や事例を踏まえるのは「必要ない」。結果、地域の歴史として微細な事実は深まり、地元の方は満足しますが、一般論には昇華しづらいのです。

授業を終えて痛感したのは、学校の授業においては、他の事例を踏まえながら、地域史の断片的な情報を補い、歴史の全体像、時代の特徴などより普遍的な問題へと帰結する必要があることです。それは、上記の地域史(地方史)とは別の次元にある。私たち学芸員は、地域の個別事例にどうしても執着してしまうのですが、地域史(地方史)に胡坐をかかず、他地域の類例や事例を広く理解し、地域個別の事例を一般論のなかに位置付けていく必要があるように感じました。そうした視点があれば、生徒の皆さんの意見・感想を聞き、対話して双方向的な授業ができたように思えます。

いずれにしても、高校生の授業として皆さんに話すに相応しい内容だったのか、話し方、伝え方も見直す必要性を感じました。

博学連携に熱心な先生方のご協力もあり、話した側の学芸員は様々な気づきを得る事になりました。当方どもといたしましても、今後とも、太く長く連携できますことを願っております。先生方、生徒の皆さん、どうもありがとうございました。

【出張授業】でばりぃ資料館in幸松小学校

2月7日、幸松小学校にて「でばりぃ資料館」を開催しました。

幸松小さんは、郷土資料館のヘビーユーザーです。今年度、出張授業などで伺うのは三度目。

今回は、3年生の社会科学習。昔の暮らしや町の移り変わりについての学習です。

以前「幸松っ子くらぶ」の双六大会で一緒に遊んだ子どもたちもいました。こちらも、あちらも顔を覚えていて、もう顔なじみです。

 写真:幸松ルーム

今回の出張授業では、もちろん郷土資料館から出前してきた資料とともに、郷土資料が展示されている「幸松ルーム」を活用し、昔の道具に触れ、体験してもらいました。

普段は見慣れない道具をまじかにして、3年生の皆さんは興奮状態でした。

 写真:幸松ルームの資料

また、図書室では、1960年代の航空写真をみたり、昔の学校で使った道具や教科書をみたり。幸松小の周りや町の様子、学校の移り変わりについて、お話を聞いてもらいました。

写真:航空写真

郷土資料館特製のワークシートも併用しながらお話させていただきました。今日の体験を活かして、社会科の学習を深化させていただけると幸いです。

 写真:教科書を読む子どもたち

次は、幸松小の皆さんが郷土資料館に来る番です。ぜひ、おうちの方と一緒に遊びに来てください。

来週も再来週も、2月中は市内小学校のでばりぃ資料館が目白押しです。ダブルヘッダーの日もあります。メジャーリーガーの気分になって、楽しみたいと思います。

豊野小学校「獅子舞授業」~赤沼の獅子舞 第2回目~を行いました

2月6日(木)、豊野小学校第3学年の「総合的な学習の時間」では獅子舞授業が行われました。

昨年12月に引き続き、通算で3回目の授業となり、赤沼の獅子舞は2回目の授業になります。

 

本日は、お忙しいところ、赤沼民俗文化財保存会から9名お越しいただき、ご指導いただきました。

今回の授業テーマは「舞に挑戦してみよう!!」ということで、笛や太鼓も含め、実際にお祭りで舞われている『三番叟(さんばそう)』に挑戦しました。教室ではなく体育館での授業となりました。

 『三番叟』は獅子舞を舞う場を鎮め、清める意味を持つ舞で、お祭りで披露される最初の舞となります。まずはお手本の披露です。

三番叟のお手本

 

 

 

 

 

 

 

 

続いて4グループに分かれ、舞と笛、太鼓の練習をしました。練習のあとはステージ上での発表となります。果たして上手く舞うことができるのでしょうか。

舞の練習

 太鼓の練習笛の練習

 

 

 

 

 

 

 

(左上)講師の方のお手本をもとに舞の練習。みなさん身のこなしが軽い

(右上)大太鼓、小太鼓に分かれての練習。大太鼓はリズムをとるのが難しそう

(左)いつも吹いているリコーダーとの違いは?音は上手く出たでしょうか

 

 

 

短時間の練習でしたが、みなさん集中して真剣に取り組んでくれました。

さあいよいよステージでの発表です。

 舞の発表

 

 

 

 

 

 

 

 さすがに笛や太鼓は短時間でマスターすることは難しかったようですが、舞はしっかりと舞うことができていました!子ども達からは、「難しいと思っていたが、教えてもらって上手に舞うことができた」や「また挑戦してみたい」といった感想があり、とても楽しく有意義な時間となりました。

赤沼民俗文化財保存会の皆様、お忙しい中また寒い中、ありがとうございました。次週は銚子口獅子舞保存会の方々を迎えての授業となります。

またこのブログでもお知らせしているとおり、今週の日曜日(2月9日)は中央公民館で”民俗芸能公開事業を開催します。この獅子舞授業に携わっていただいている「赤沼の獅子舞」「銚子口の獅子舞」が同じ会場で披露される貴重な機会ですので、ぜひ会場まで足をお運びください。

 

【出張授業】でばりぃ資料館in小渕小学校

令和7年2月5日(水)に小渕小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。

60年前の春日部の様子・昔の家庭の道具の学習室

昔の学校の道具・昔の遊びの学習室

 

今日は“ちいちゃんの時代にタイムスリップ”というテーマで、2つの空き教室を使用し、「60年前の春日部の様子・昔の家庭の道具」と「昔の学校の道具・昔の遊び」について学習です。

 

昔の春日部市の様子を観察

空中写真を観察し、昔は小渕小の周りが田んぼや畑だったことを知りました。また昔の炊事に使用した“羽釜”や、洗濯の時に使用した“洗濯板”“手回し洗濯機”なども紹介しました。

 

昔の学用品を学びます

60~100年くらい前の学用品についても学びます。探検シートを使い“石盤(せきばん)”についてのお勉強です。100年くらい前はまだノートが高かったため贅沢には使えず、代わりに石盤を使用して文字や計算の練習をしていました。

 

昔のおもちゃであそぶ児童たち

電気を使わないで遊ぶことのできる昔のおもちゃたち。
郷土資料館のおもちゃコーナーにも置いてある“板返し(パタパタ)”など、初めて見るからくりおもちゃに大興奮していました!
「ぜったい資料館行く!」と言ってくれた児童さん、待ってますよ(笑)

 

ありがたいことに今年は“でばりぃ資料館”の依頼がたくさん届いており、2月だけでも10校の小学校にお伺いする予定です!
職員一同、児童のよい学びになるよう頑張って出張ってきます!

作家三上於菟吉の講演会を開催しました。関連の特別展示は開催中です。

令和7年2月1日(土)午後、大凧文化交流センター ハルカイト において、大正文学研究者である湯浅篤志先生をお迎えして、三上於菟吉顕彰会と共催で歴史文化講演会「『百万両秘聞』の中の春日部」を開催いたしました。

ご講演は春日部市西宝珠花が舞台の一つとなっている「百万両秘聞」について、三上於菟吉の作品の中での位置、作品に見られる江戸川と西宝珠花周辺、大正から昭和初期にかけての大衆文化、映画と作品との関連などをわかりやすく解説していただきました。市民の方をはじめ、市外・県外からも含めて50名近くの方が受講され、大変好評のうちに終えることができました。

作家三上於菟吉は、明治24年(1891)桜井村木崎(現春日部市木崎)に生まれ、昭和19年(1944)幸松村八丁目(現春日部市八丁目)で亡くなった、大正から昭和前期を代表する大衆作家です。代表作「雪之丞変化」は、何度も映画化され、現代でもドラマや演劇の原作となっています。昭和10年(1935)に直木賞が創設されると、初代の選考委員を務めました。

三上於菟吉講演会とトークショー

 後半には、1月に『百万両秘聞』を復刻された直木賞研究者の川口則弘先生と三上於菟吉顕彰会会長を交えて、トークショーを開催し、楽しいお話を伺うことができました。

イベント開催に合わせまして、3月2日(日)まで、大凧文化交流センター ハルカイト(火曜休館 火曜が祝日の場合は翌平日休館)、庄和図書館(期間中休館日なし)、郷土資料館(月曜・祝日休館)では、三上於菟吉を特集した展示を開催し、各会場を巡るスタンプラリーを開催しております。ハルカイトでは旧制粕壁中学校時代に作品を投稿した雑誌「文章世界」を、庄和図書館では関連図書を、郷土資料館では谷崎精二へ献本した処女作『春光の下に』などを展示しております。

大凧文化交流センター ハルカイトの展示

 

▲大凧文化交流センター ハルカイト の特別展示

  雑誌「文章世界」 雑誌「早稲田文学」 処女作「春光の下に」 三上於菟吉全集 長谷川時雨全集

 

郷土資料館の三上於菟吉特別展示 

 ▲郷土資料館での特別展示

  雑誌「しれえね」 処女作「春光の下に」(谷崎精二へ献本) 他に自筆書簡・色紙・短冊など

郷土ゆかりの作家三上於菟吉と作品につきまして、皆さまが訪ねていただける機会となりましたら、幸いです。

【出張授業】でばりぃ資料館in武里南小学校

令和7年2月4日(火)に武里南小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。

少人数教室の様子

多目的室の様子

 

武里南小の3年生は、実は昨年の9月に郷土資料館に見学に来てくれています。
見学に来たことがまだまだ記憶に新しいようで、どうやら職員の顔まで覚えている様子♪
普段よりちょっと親近感のわくでばりぃ資料館の開催となりました(笑)

 

今日は少人数教室と多目的室の2部屋を利用しました

千歯扱きの様子

少人数教室では、空中写真から約60年前の武里南小周辺の様子を観察したり、千歯扱きを使って脱穀の体験をしました。
千歯扱き体験の時には、児童から「おぉ~!!」と、大盛り上がり!もはや脱穀フェスです!
しかしながら、力を使うこと、手間や時間がかかることなど手作業の大変さも伝えられたと思います。

 

昔の道具に触れるこどもたち

多目的室では昔の家庭や学校で使われていた道具の紹介をしました。
機械化される以前の洗濯や炊事の仕方など、今では見ない道具に児童は目を輝かせていました。

 

最後に感想や質問をもらったのですが、「昔の人が使っていたものが知れてよかった」「昔の人の道具の工夫が知れてよかった」など、現在とは異なる知恵と工夫で暮らしていたことを実感してもらえたようです!

 

話を聞くときはしっかりと聞き、楽しむときは存分に楽しむ姿が印象的な武里南小3年生でした!

≪まもなく開催≫第11回春日部市民俗芸能公開事業「伝える、つなげる、獅子舞の未来」

第11回春日部市民俗芸能公開事業「伝える、つなげる、獅子舞の未来」の開催まで、残り1週間を切りました。

職員も当日に向けた準備に奔走しています。

開催に向けて、公演の見どころを紹介します!

 

その1…“ここでしか見れない”

公開事業って…?無形民俗文化財となっている伝統芸能はいつでもどこでも見れるわけではありません。

普段は神社の境内で神様に向けて奉納される年中行事。そのため、年に数回しかチャンスはありません。

ですが…公開事業では特別に、舞台上で披露していただきます。複数団体による公演も本日のみどころのひとつ。さらに、保存会のベテランさんからわかりやすい解説つきです!

その2…“保存会の特色”

市内に8つある無形民俗文化財保存団体のうち、「銚子口の獅子舞」「赤沼の獅子舞」を継承する2つの団体が出演、獅子舞を披露いただきます。

今年はどちらも獅子舞を継承する団体で、衣装や舞、お囃子、そして獅子頭にも、細かい部分に違いが見られます。

同じルーツを持っていても、守り伝えてきたなかで特色が出るがおもしろい部分です。

公開事業も11回目となりますが、この2団体の組み合わせで獅子舞をご覧いただける機会も公開事業ならではのチャンスです。

  • 銚子口獅子舞保存会
    元禄10年(1697)に、越谷市の下間久里から伝わった獅子舞です。 「一人立三頭獅子舞」という形式で「天狗の舞」や「出端の舞」など、勇壮な舞が特徴的です。毎年1月、7月、10月の年3回、銚子口香取神社で獅子舞が公開されます。今回の公演では、3匹獅子の息が合った所作を特徴とする「津島の舞」が見どころです。
  • 赤沼民俗文化財保存会
    享保3年(1718)に、伝わった銚子口、東中野の獅子舞と同じ系統の獅子舞です。勇壮な舞が特徴で、獅子舞と神楽が共存することから、「神楽獅子」とも呼ばれています。毎年7月、10月の年2回、赤沼神社で獅子舞が公開されます。今回の公演ではめでたい「鯛」を釣り上げる「さかなつり」や豊作を祈願する「弓くぐり」が披露されます。

その3…“未来へつなげる獅子舞”

今回のテーマ「伝える、つなげる、獅子舞の未来」は、近年保存会が直面している「後継者不足」が関わっています。

江戸時代より300年以上続いてきた伝統芸能も、これまでと同じように継承していくには様々な困難が伴います。

今回出演していただく両保存会が特に取り組んでいる、子どもや女性にも後継者になってもらうこと。

今年度には豊野小学校への「獅子舞授業」が始まったり、新たな女性舞手も地域からも誕生しました。次世代への文化継承へ向けて活動する両保存会にとっても飛躍の年となりました。

当日は、子ども獅子や女性舞手による演目も予定しています。

 

さて、ここまで第11回公演のみどころを簡単に紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?

はじめて見るという方も、すでに知っているという方も、興味を持ってくださった方は会場まで足を運んでいただけると嬉しいです。会場でお待ちしています!

 

 

~当日の情報はこちら~

日時:令和7年2月9日(日曜日)午後1時10分~午後3時20分《予定》「

会場:粕壁市民センター(中央公民館)講堂兼体育館

出演団体:銚子口獅子舞保存会、赤沼民俗文化財保存会

定員:300人(無料、申込不要)

当日予定演目:

銚子口の獅子舞「道中流し」、「天狗の舞」、「出端の舞」、「中の舞」、「三切りの舞」、「津島の舞」

赤沼の獅子舞「宮入り」、「三番叟」、「太夫獅子の出端」、「神楽 さかなつり」、「太夫獅子の練り」、「弓くぐり」、「ぶっきり・さんぎり」

 

さらに詳しく知りたい方は春日部市ホームページまで↓

https://www.city.kasukabe.lg.jp/eventjoho/eventjoho_bunka_geijutsu/24335.html

市民の方から、戦後の小中学校の通信簿をご寄贈いただきました

郷土資料館には収蔵品が数えられるだけで9万点ほどありますが、その約9割は、市民の皆様からの寄贈品、寄託品で成り立っています。

先日、豊春小学校、豊春中学校の卒業生の方から、ご自身の通信簿(通知票)をご寄贈いただきました(画像のお名前は伏せています)。

画像:2年生通信簿

まず、驚いたのは、小学校1年生~6年生、そして中学校1~3年のものがすべてそろっていること。

小学校1年の通信簿は、昭和23年(1948)3月付けですから、豊春村立豊春小学校です。資料は下の通り。

画像:一年生の通信簿

この年度(昭和22年9月)にはカスリン台風による水害も発生しています。戦後、直後とあって物資等がまだ豊かになかった時代でしたから、わら半紙にガリ版刷りの簡素な通信簿兼修了証です。紙質は決して良いとはいえないので、「よくぞ遺った」と思える通信簿です。戦後の学校・教育の様子をよく伝えてくれる大変貴重な資料です。

2年生からは、業者が印刷した規格化された通信簿となります(最初の画像は2年生のもの)。

寄贈者の方からもお話いただきましたが、当時は、給食はまだなく、学校にお弁当を持ってきていたそうです。卵焼きや梅干しがあれば上等だったそうで、貧しい家庭では、ごはんの下に芋を敷き、かさまししたお弁当だったそうです。また、小学校5年生のころまでは、疎開していた家庭がいたそうです。

中学校の通信簿も興味深いものになっています。

画像:豊春中学校の通信簿

中学校の通信簿は、1年から3年までの共用で、五段階評価になっています。

当時の世相がうかがえるのは、画像の右隅の欄。

寄贈者いわく、「当時、豊春中では高校へ進学する人はほとんどいなかった。中学校三年生になると、英語(外国語)の授業はやらず、裁縫など家庭科の授業をした」とのこと。当時は、中学校を卒業し、家業(農家)を継ぐ人、職人の弟子になって仕事を身に着ける人が多かったそうです。豊春中学校だけでなく、周辺の中学校も同様だったそうです。

資料から時代がみえるのは、寄贈いただいた方のお話しや様々な想いがあってのこと。

今回の寄贈にあたって、カスリン台風のことや、戦後直後の学校の様子、豊春地区の様子など、さまざまなこともご教示いただきました。資料だけでなく、伺ったお話しもきちんと記録・保存し、郷土資料館の事業に活用させていただきたいと思います。

ご寄贈者の方、お取次ぎいただいた関係者の皆様に感謝申し上げます。

【東部地区文化財担当者会リレー展示_都鳥が見た古代】八潮市立資料館で「八潮はじまりのムラ」が開催されています

 八潮市立資料館で東部地区文化財担当者会リレー展示「八潮はじまりのムラ」が開催されています。

八潮市立資料館は、東武スカイツリーライン草加駅の東方、約2㎞の場所にあり、草加駅東口からバス、徒歩で行くことができます。

展示は、主に2階の企画展示室で行われ、約180点の資料が所せましと並べられています。

写真は産地別の須恵器の展示です。奈良時代、平安時代の須恵器は、”かま”で焼かれますが、関東地方では、関東平野を囲む丘陵地帯に”かま”がつくられ、それぞれの”かま”で使っている粘土が変わります。須恵器に含まれる細かい粒子などを虫眼鏡で観察することによって、その須恵器がどこの”かま”で作られたものか、推定することができます。

展示では、八潮市の八條(はちじょう)遺跡の資料も多く展示されています。八條遺跡は、約1200年前の平安時代の集落で、八潮市域の「はじまりのムラ」です。

また八條遺跡の周辺には、古代に作られた「八條条里(はちじょうじょうり)」が広がっていたと言われ、八條条里に関する資料も展示されています。 

企画展がはじまった1月25日(土曜日)の午後、考古学講座受講者の皆さんと、八潮市立資料館の学芸員さんに解説いただきながら展示を見学しました。説明をききながら、たくさんの資料をじっくり見ていると、あっという間に2時間が過ぎてしまいました。

 

展示の詳細は下記の通りです。2月23日には、東部地区文化財担当者会のメンバーが講演するリレー講演会も開催します。

●東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「八潮はじまりのムラ」

会期:1月25日(土曜日)から3月9日(日曜日)

開館時間:9:00から17:00

休館日:月曜日、2月12日、2月25日

入館料:無料

展示解説会
第1回 令和7年2月1日(土曜日)午後2時から3時まで
第2回 令和7年3月2日(日曜日)午後2時から3時まで
申込:不要

八潮市立資料館公式サイト

八潮市立資料館へのアクセス:東武スカイツリーライン草加駅東口から八潮駅北口行き、八潮団地行き、木曽根行きバスで「手代橋(てしろばし)」下車、徒歩5分

 

●東部地区文化財担当者会40周年記念リレー講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」

日時:2月23日(日曜日・祝日)13:30から17:00

場所:八潮市立資料館(八潮市大字南後谷763番地50)

定員:70人(申込順)

費用:無料

講師:鬼塚知典(春日部市)、守谷健吾(杉戸町)、篠田泰輔(行田市)、杉山和徳(白岡市)、関絵美(八潮市)、油布憲昭(幸手市)

申し込み:電話(048-997-6666)、窓口、電子申請

 

*リレー展示は、下記日程で開催予定です。

1月25日から3月9日 八潮市立資料館 資料展示

3月15日から4月8日 白岡市立歴史資料館 資料展示

4月12日から4月29日 吉川市中央公民館 パネル展示 

5月3日から5月25日 久喜市立郷土資料館 資料展示

6月3日から7月21日 幸手市郷土資料館 資料展示

7月29日から8月24日 蓮田市文化財展示館 資料展示

9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示

10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示

令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示

 

展示の元になっている東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」も好評発売中です。詳しくはこちら

 

川辺小学校の3年生が郷土資料館を見学しました

令和7年1月31日(金)に川辺小学校の3年生が郷土資料館を見学しました。

 

今日は社会科の校外学習の日とのこと。
3年生2クラスが1クラスずつ入れ替わる形で市役所本庁舎と郷土資料館を見学です。
市役所から郷土資料館までは歩いて移動してきたらしく、川辺小のこどもたちにとっては見慣れない景色の中を歩くだけでも特別感があったのではないでしょうか。

 

郷土資料館では縄文時代の竪穴建物の模型前での解説、江戸時代の粕壁宿模型前での解説、そしてくらしのうつりかわり展で60~100年くらい前の人々の暮らしの様子を解説しました。

竪穴建物前での解説風景

竪穴建物の「炉」には、建物内部の照らす“照明”、調理をするための“コンロ”、暖を取るための“暖房”としての役割がありました。現代においても生活する上で火を使うことがありますが、電気のない時代は、炉という一つの火に様々な役割を持たせていたんです。

 

宿場模型前での解説

粕壁宿は日光街道の宿場町の一つです。
江戸から粕壁宿までは約35.6km。江戸から日光へ向かう初日の宿場町として使われることもあったようです。

 

千歯扱き体験風景

企画展示室では昔の生活に使われた道具などの展示を見てもらい、さらに脱穀のときに使われた“千歯扱き(せんばこき)”の体験をしてもらいました。
体験した児童だけでなく、見ている児童からも「うわっ、めっちゃ気持ちいい~」との声!まるで自分か体験しているかのよう!共感力高いです(笑)

 

川辺小は郷土資料館からやや離れており、近年はでばりぃ資料館で学校にお邪魔することが多かったのですが、久しぶりお越しいただき嬉しい限りです!
でばりぃ資料館では実寸大の模型などは見せられないので児童にも良い体験になったのではないでしょうか。
なかなか児童だけで来館することは難しいかもしれませんが、保護者の方と近くに来た際にはぜひまたお越しください!

【出張授業】「でばりぃ資料館」in備後小学校

1月30日(木)、備後小学校で「でばりぃ資料館」を実施しました。

「でばりぃ資料館」は、郷土資料館から学芸員が現物資料を背負ってきて、学校にお邪魔する出張授業。

「でばりぃ」とは、「デリバリー」と「出張る(でばる)」を掛け合わせた造語です。

今回は、3年生の社会科学習「市の様子と人々のくらしのうつりかわり」について、お話ししました。

 写真:でばりぃ資料館の様子

本来は、多目的教室を会場にして実施する予定でしたが、成り行きで3年生の教室でセッティング。前の時間が体育だったので、児童の皆さんがいぬ間に、授業の準備。

普段は床面に広げている60年前の航空写真は折りたたんで、黒板に貼り付け。

学校で保管している古い道具も設置し、準備万端。

担当者は一人、3年生の教室で体育が終わるのを待っていました。

 写真:展示した道具

写真:展示した道具の一例

授業が終わると、元気な少年たちが「なんだーこれー」「さわってもいいですか」「これ知ってる」など大騒ぎ。

学校の先生いわく「入れ食い状態」でした。

興奮気味の皆さんでしたが、授業が始まると、きちんとお話を聞いてくれました。

授業のために用意してくれていたメモにもびっしり書いてくれた子も多くいました。

郷土資料館特製のワークシート「たんけんシート」を使いながら、一通り説明した後、自由時間。実際に持ってみたり、使ってみたり。最後は感想も話してくれました。

現物をみたり、さわったりしなければ、わからないことも沢山あったかと思います。物足りなかった人、もっと知りたい人はぜひ郷土資料館におうちの人と来てくださいね。

1月の考古学関係展示会、イベント情報

1月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。
(毎月28日ごろに掲載します。掲載後も随時、情報を更新します。)

 

(春日部市郷土資料館ーいずれも考古学ではなく歴史文化(近世)の講座です。)
・2月15日(土曜日)14:00~歴史文化講演会 青木文彦氏「天正18年の岩付、糟壁とその周辺」
電子申請はこちら

・3月2日(日曜日)14:00~ 歴史文化講演会 坂本達彦先生「合戦場宿一件にみる庶民生活の一側面~日光道中の宿場と周辺村落~」 *2/5(水)から受付開始


・3月22日(土曜日)10:00~ 歴史文化講演会 塚越義幸先生「『奥の細道』を読む~草加から日光あたりまで~」 *2/5(水)から受付開始

(東部地区文化財担当者会リレー展示ー都鳥が見た古代)
・1月25日(土曜日)~3月9日(日曜日)「八潮はじまりのムラ」 八潮市立資料館(資料展示)
*2月23日(日・祝)13:30~八潮市立資料館でリレー講演会開催予定

(展示会_閉会日順)
・1月31日(金曜日)まで 城郷小机地区センター(神奈川県横浜市港北区)横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター 横浜の遺跡展「発掘された小机城―令和3・4年度小机城跡埋蔵文化財試掘調査成果速報展―」

・2月2日(日曜日)まで 飛ノ台史跡公園博物館(千葉県船橋市)
 「縄文と弥生―船橋の縄文晩期と弥生時代―」

・2月2日(日曜日)まで 栃木県立博物館(栃木県宇都宮市)
「死者と生者の古墳時代~下野における6・7世紀の葬送儀礼~」

・2月2日(日曜日)まで 埼玉県立さきたま史跡の博物館(埼玉県行田市) 
ほるたま展2024 「古墳時代の祈り」

・2月9日(日曜日)まで 千葉県立中央博物館(千葉市中央区)千葉県教育振興財団設立50周年記念展part1 「地中からのメッセージ~旧石器・縄文・弥生~」

・2月16日(日曜日)まで しもつけ風土記の丘資料館(栃木県下野市) 
令和6年度企画展「下野市内の遺跡Ⅲ 飛鳥・奈良・平安時代」

・2月24日(月曜日)まで 北茨城市歴史民俗資料館(北茨城市) 「発掘‼いばらき2024-茨城県教育財団調査遺跡紹介展-」茨城県教育財団

・2月28日(金曜日)まで 神川町多目的交流施設(児玉郡神川町)
 「かみかわの古墳を知ろう7~海老ヶ久保の古墳~」

・2月28日(金曜日)まで 市原市歴史博物館(千葉県市原市) 「知られざる上高根貝塚ー市原最南端の貝塚ー」

・3月2日(日曜日)まで 千葉市立加曽利貝塚博物館(千葉県千葉市) 令和6年度企画展示 加曽利貝塚E地点・B地点発掘100周年記念「あれもEこれもE―加曽利E式土器(総括編)―」

・3月2日(日曜日)まで かみつけの里博物館(群馬県高崎市) 
第32回特別展 「子持勾玉―群馬県内出土品を集めてわかったこと―」

・3月2日(日曜日)まで 埼玉県立嵐山史跡の博物館(比企郡嵐山町) 
企画展「城ってなんだ」
・3月9日(日曜日)まで 毛呂山町歴史民俗資料館(入間郡毛呂山町)
 第22回特別展「堂山下遺跡ヒストリア-渡河点の宿と交通路-」

・3月23日(日曜日)まで 早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター(本庄市)
本庄早稲田の杜地域連携展覧会 「古代の児玉・深谷地域」

 

(現地説明会)
・2月15日(土曜日) 10時00分~13時00分 埼玉古墳群愛宕山古墳現地見学会(行田市) さきたま史跡の博物館

 入場無料 申し込み不要(時間内受付)

・2月19日(水曜日)・2月22日(土曜日)雉岡城発掘調査現場見学会(本庄市) 本庄市教育委員会

19日は第1回午前10時00分~、第2回午前11時00分~、第3回午後1時30分~、第4回午後2時30分~

22日は第1回午後1時30分~、第2回午後2時30分~。全て同内容。所要時間約30分。受付は15分前から。

・3月8日(土曜日) 午後2時~3時30分 鳳原遺跡(茨城県牛久市) 茨城県教育財団

・3月8日(土曜日) 午前10時30分~12時 谷田部陣場西遺跡(茨城県つくば市) 茨城県教育財団

      
(講演会)
・2月1日(土曜日) 13:30~ 袖ケ浦市民会館(千葉県袖ケ浦市) 令和6年度山野貝塚講演会「山野貝塚から 縄文時代のムラの形態を探る -山野貝塚と周辺遺跡の調査事例から-」 入場無料 申し込み不要

・2月22日(土曜日) 13:00~ 五霞町中央公民館(茨城県五霞町) 五霞町歴史シンポジウム「五霞の先人を知るー縄文人骨と一式輝季」 入場無料 申し込み不要

・3月2日(日曜日) 13:30~ 笠間市立笠間公民館(茨城県笠間市) 第10回笠間歴史フォーラム「笠間城を考えるII」 入場無料 申し込み不要

【出動!出張授業】「でばりぃ資料館」in豊春小学校

令和7年1月28日(火曜日)に豊春小学校に出向き、第3学年の児童に向けた、『でばりぃ資料館』を開催しました。豊春小学校3年生でばりぃ資料館

空き教室を使用し、昔の学校の道具、昔の家庭の道具、約60年前の春日部について、お話を聞いてもらいました。

 1960年代の空中写真を見た

 約60年前の春日部では、空中写真を眺めてもらいました。

豊春小学校の周りもふくめて、春日部にはたくさん田んぼがあったことをお話ししました。

 昔の教科書やランドセルにさわってみた

たんけんシートに書きこんだ

 昔の学校の道具についてのブースでは、教科書や給食の食器、ランドセルなどを見てもらいました。「石ばん」が、子どもたちがノートの代わりにつかう道具だったことを「くらしのうつりかわりたんけんシート」を使って説明しました。

 黒電話をさわってみた

 昔の家庭の道具についてのブースでは、羽釜や洗濯板、火のし、黒電話などを展示しました。

羽釜(はがま)と炭火アイロンは、豊春小学校昇降口の郷土資料展示コーナーに展示しているものを使いました。

 昔の子どもと背比べ

 今日のでばりぃ資料館で、知ったことやさわった道具のことを、ぜひおうちの方やおじいちゃん、おばあちゃんにお話しして、世代間のコミュニケーションが活発になればいいなと思います。 
 
 

歴史文化講演会「タタラ山遺跡と花積下層式土器」を開催しました

 1月19日、日曜日、白岡市の奥野麦生先生をお招きして歴史文化講演会「タタラ山遺跡と花積下層式土器」を開催しました。奥野先生には、大変わかりやすくご講演いただきました。また多くの方にご来場いただき、誠にありがとうございました。

タタラ山遺跡は、JR白岡駅の西方、白岡市白岡に所在します。元荒川を眼下にのぞむ大宮台地白岡支台の西側縁辺、標高13~15mの台地上に立地します。これまでに11回の発掘調査が行われ、80軒以上の竪穴建物跡が確認されており、このうち約60軒が花積下層式期の建物跡でした。

 ご講演は、縄文時代前期の花積下層式土器は、後に「花積下層式土器」と呼ばれる縄文土器が初めて見つかった春日部市の花積貝塚が元になっていることから始まりました。

タタラ山遺跡については、2次調査の内容を中心にお話しいただき、花積下層式期の竪穴建物の様子や花積下層式の全体形がわかる土器が多く出土したことで、2次調査以前はよくわからなかった花積下層式期の様子がわかるようになったことやタタラ山遺跡で花積下層式期の石製装飾品が多く出土していることなどが紹介されました。

また、タタラ山遺跡内での集落の変遷や大宮台地内での縄文時代前期の拠点集落の移動など、タタラ山遺跡が縄文時代前期の研究に欠かせない重要な存在であることをお話しいただきました。

 

参加者のアンケートからは「縄文海進の影響を受けて集落が移動することを知った」、「集落と地形の関係がよくわかった」などのご意見をいただきました。

白岡市と春日部市は隣接しており、文化財分野では普段から情報交換をしながら、日々の仕事に取り組んでいます。地域の文化財は市域にとどまらない様々な情報や研究が必要であり、今後も連携した事業を展開していきたいと思います。

でばりぃ資料館「戦時下の春日部」(桜川小6年・社会科)を実施しました。

2025年1月23日(木)桜川小学校にて「でばりぃ資料館」(出張授業)を実施しました。

今回は、小学校6年生の社会科「長く続いた戦争と人々のくらし」の学習での出張授業です。

教科書には、アジア・太平洋戦争の時代の春日部がどうだったのか、どんなことがあったのか、書かれていません。戦時下の春日部で起こったできごと、人びとの考えや思いについて、当時の写真や資料から考えてもらいました。

写真:授業の様子

写真は、出征された方に送られた日の丸です。知り合いの方々から、寄せ書きがされているものです。

授業では、ワークシートをつかいながら、(1)春日部では空襲がなかったというが、被害はなかったのか。(2)地域の人たちはどのように暮らしたのか。(3)出征した人たちはどんな思いだったのか。(4)南桜井の今、昔。(5)南桜井の資料を読んでみよう。の5つの柱でお話ししました。

写真:ワークシート

(1)春日部では被害がなかったのか。このことを知るには、記録に残りにくいという事実がありますので、当時を知る方にお話を聞くのが一番近道です。児童の皆さんには、春日部市視聴覚センターの教材作成事業で制作した「日本の歴史~その時春日部は~」のなかの昭和4年生まれの方のインタビュー映像をみてもらいました。たしかに、空襲の被害がなかったのですが、アメリカの飛行機が廃棄した焼夷弾が小学校に落ち、近くの民家で亡くなった方がいたことや、戦闘機の機関銃に撃たれ、間一髪のところで助かったという話を聞いてもらいました。

写真:映像の視聴

(2)春日部市域の人たちは、出征した家族を思い、無事に暮らしていることをアピールする写真や手紙を戦地の家族に送っていることがわかりました。戦争が長引いて物資が不足してくると、切符を使って物資を買わなければなりませんでした。春日部の代名詞の大凧の文字も、1940年には「八紘」「一宇」という戦争・侵略のスローガンを掲げていることも紹介しました。

(3)出征した人たちについては、出征した人は肩から襷をかけ、日の丸に見送られて戦地にいきました。そのことは小学校三年生の国語の学習「ちいちゃんのかげおくり」の一節にも登場します。家族から贈られた千人針などを身に着け、無事に帰って来られる方もいましたが、戦地で命を落とす方もおり、町や村での葬儀を執行することも少なくありませんでした。

(4)南桜井駅周辺は、戦争の歴史と大きな関わりがあります。南桜井駅(当時は米島仮停車場)が現在地に設置されたのは1943年。戦時下、真っただ中のことです。駅の北側は、時限爆弾の信管などを製造する軍需工場がありました。桜川小学校も工場の敷地の一部で、当時は私立の青年学校がありました。桜川小学校周辺の道路や区画などは軍需工場以来のものを今に伝えています。

(5)最後に、南桜井村の記録「南桜井村報」を皆さんと読んでみました。1939年11月に発行されたもので、村役場からの通達などのお知らせの印刷物です。「南桜井村報」5-11には、南桜井村から出征し、戦死された森源太郎さんの略歴、中隊長からの遺族への手紙、村での葬儀執行について記されています。森さんは、21才で臨時召集がかかり、戦地に出征しますが、昭和14年4月28日に砲弾の破片が原因で戦死されました。略歴には、「〇〇渡河戦ニ参加」というように具体的な戦地は伏せられており、どこで戦い、どこで亡くなったのか、知らされることがありませんでした。亡くなった日に階級があがり、後に勲章をもらいました。村の葬儀では、皇后陛下より御菓子御歌を下賜されました。「村報」では「栄誉の極めであります。」と綴っています。市域から出征した方の内、亡くなった方は1017名。南桜井村では117名の方が命を落としました。

そして、森源太郎さんの名前は、桜川小の皆さんの身近なところに刻まれていることも紹介しました。

一つは、西金野井香取神社の参道の脇にある「招魂碑」(昭和27年建立)。南桜井村の戦没者慰霊碑です。

写真:招魂碑

もう一つは、庄和総合公園(今は、レジデンシャルパークSHOWA、といいます)のなかにある慰霊碑(昭和62年建立)。庄和町の戦没者慰霊碑です。

写真:慰霊碑

普段みかけている風景、石碑でしたので、身近に感じてもらえたようです。

 

戦争の話をするのは、話す側も辛い、悲しいのですが、皆さん、授業時には、真剣な表情で話を聞いてくれました。授業後の休み時間には、持参した戦時期の資料を触ったり、かぶったり、詳しくみたり、ワイワイがやがや、楽しく見てくれたようです。「石碑を見に行ってみたい」などの感想や、「おばあちゃんが軍需工場で働いていた」など自分の知っていることを授業と接続して理解してくれた児童もいました。

身近なところに80年前の戦争の歴史が残っている。さまざまな痕跡や資料かあ、身近な人たちを守ろうとした先人たちの気持ちや、戦争の悲惨さ、平和への思いについて考えてもらえる機会になりましたら、授業に出向いた甲斐があったのかな、と思います。

 

戦時期の歴史を対象にした出張授業は、実に6年ぶりでした。縄文時代の学習もよいですが、戦時期の学習は、歴史学習のなかでも現代に直結する重要な学習であると思います。小学校の先生方には、今後も出張授業のオファーをお待ちしていますので、引き続き、よろしくお願いいたします。

2/23リレー講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」開催

東部地区文化財担当者会40周年記念リレー講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」の開催が決定しました。

埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代の遺跡や資料について、東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」をまとめた東部地区文化財担当者会考古部会のメンバーが報告します。

昨年9月に台風で中止となった春日部市郷土資料館「都鳥が見た古代」で開催予定だったリレー講演会とほぼ同内容になります。

どうぞ、奮ってご参加ください。

 

●東部地区文化財担当者会40周年記念リレー講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」

日時:2月23日(日曜日・祝日)13:30から17:00

場所:八潮市立資料館(八潮市大字南後谷763番地50)

定員:70人(申込順)

費用:無料

講師:鬼塚知典(春日部市)、守谷健吾(杉戸町)、篠田泰輔(行田市)、杉山和徳(白岡市)、関絵美(八潮市)、油布憲昭(幸手市)

申し込み:電話(048-997-6666)、窓口、電子申請

 

なお、八潮市立資料館では、1月25日より3月9日まで、東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「八潮はじまりのムラ」が開催されます。この機会に、ぜひ八潮市立資料館にお出かけください。

●東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「八潮はじまりのムラ」

会期:1月25日(土曜日)から3月9日(日曜日)

開館時間:9:00から17:00

休館日:月曜日、2月12日、2月25日

入館料:無料

八潮市立資料館公式サイト

八潮市立資料館へのアクセス:東武スカイツリーライン草加駅東口から八潮駅北口行き、八潮団地行き、木曽根行きバスで「手代橋(てしろばし)」下車、徒歩5分

 

*リレー展示は、下記日程で開催予定です。

1月25日から3月9日 八潮市立資料館 資料展示

3月15日から4月8日 白岡市立歴史資料館 資料展示

4月12日から4月29日 吉川市中央公民館 パネル展示 

5月3日から5月25日 久喜市立郷土資料館 資料展示

6月3日から7月21日 幸手市郷土資料館 資料展示

7月29日から8月24日 蓮田市文化財展示館 資料展示

9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示

10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示

令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示

 

展示の元になっている東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」も好評発売中です。詳しくはこちら

 

郷土資料館【手作りおもちゃクラブ】を開催しました

令和7年1月19日(日) の午前と午後各1回ずつ、郷土資料館手作りおもちゃクラブ「BB弾転がしを作ろう!」を開催しました。

 

まずはおもちゃ作りの前に、郷土により親しんでもらうため、春日部に伝わる伝説の紙芝居の読み聞かせをしました。

紙芝居読み聞かせ風景

今日は西金野井に伝わる「生きている彫り物」という、花蔵院の四脚門に纏わる伝説のお話でした。

 

次はおもちゃ作りの時間です。
手作りおもちゃクラブでは初お披露目となる「BB弾転がし」を作りました。

おもちゃ作り風景

本来は自由な発想でコースを作ってほしいのですが、まずはみんなで一緒に同じものを作って、コース作りのコツを感じてもらいました。
コースにイラストを張り付けることで見た目もかわいくなりました♪もちろん自分で絵や文字を書いてもオッケー!

おもちゃ作り風景その2

簡単にしたい場合はイラストやシールで穴をふさいだり、もっと難しくしたい場合は穴を増やしたり、大きくしたりして自分好みの難易度にすることもアドバイスしました。

 

みんな集中して遊んでいます!

一球集中!

真剣になると息が止まりがち(笑)

 

最後は恒例の缶バッジ作りです。

お土産の缶バッジ

絵柄も今日のBB弾転がしをモチーフにした書き下ろしです!
落下して慌てるぐうすけがかわいい♪

 

これにて今年度の手作りおもちゃクラブは終了となります。
今年度もたくさんこどもたちの笑顔をみることができて、担当者としても嬉しい限りです!
時期は未定ですが次年度も開催を予定しています!
開催が決まりましたら広報かすかべや郷土資料館のブログなどでお知らせしますので、ぜひチェックしてください!

【手作りおもちゃクラブ】BB弾転がしを作ろう!

1月19日(日)に“手作りおもちゃクラブ”を開催します。

 

今回作るおもちゃは「BB弾転がし」です。

 

郷土資料館のおもちゃコーナーで、一部のこどもから熱狂的な支持を集めるおもちゃがあります。それがこの“ビー玉転がし”です!

ビー玉転がし

ときどき“作り方が知りたい”という声をいただくのですが、用意する箱の形や大きさによって仕切りの長さも、作れる仕掛けも異なるため、決まった作り方があるようでなく、なかなか作り方を教えにくいおもちゃでした。

 

そこで考え出されたのが今回の“BB弾転がし”です!

BB弾転がし

『箱の形や大きさが違うと教えにくいなら、同じ箱を作ってしまえばいいじゃない』という発想のもと、画用紙で同じサイズの箱を作ってしまうことにしました!
画一的にはなってしまいますが、まずは基本的なものを1つ作ってもらうことで、おもちゃの仕組みを理解してもらえればと思います。そしてゆくゆくは自分オリジナルのBB弾転がしを作ってもらえればと♪

 

ビー玉転がしと比べてサイズは小さめですが、想像以上に難しく、やりごたえは抜群です!
遊び方はコチラ!

穴の位置や数をどれだけ作るかによって、いくらでも難易度が調整できますよ!
ハマりすぎ注意です(笑)

 

手作りおもちゃクラブは申込不要、おもちゃの材料も資料館で用意しています。
当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!

 

【手作りおもちゃクラブ】
日時:令和7年1月19日(日)午前10時30分~・午後2時~
場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)
内容:蓄音機と紙芝居の上演
   おもちゃづくり(BB弾転がし)
費用:無料
申込:不要(開催時間までに郷土資料館にお越しください)

謹賀新年「巳」ゆかりの地名と資料

あけましておめでとうございます。

正月一発目は、恒例の干支ゆかりの資料の紹介。今年の干支「巳」に関する資料を紹介します。「巳」がつく地名が市内にあること知っていますか?

市内には「巳」のつく地名が二つあり、一つは、武里中野の「巳ノ発」、もう一つは大畑の「東巳ノ起」「西巳ノ起」です。

現代の地図では「巳ノ発」は、現在の春日部南中学校(旧中野中学校)の周辺、「東巳ノ起」「西巳ノ起」は武里団地6街区の南東の安之堀川と新方川が合流する付近になります。

画像:現在の位置

漢字は異なりますが、読み方は共通していて、「巳ノ発」は「みのおき」、「東巳ノ起」は「ひがしみのおき」、「西巳ノ起」は「にしみのおき」と読ませるようです(『武蔵国郡村誌』)。「発」「起」は開墾する意。つまり、それぞれの耕地は、巳年に開墾・開発されたという意味となります。

では、巳年とはいつのことなのでしょうか。いずれも江戸時代に中野村、大畑村と呼ばれた時代に付けられた地名であることは間違いありませんが、中野村、大畑村には古いことを知りうる資料がほとんど残されていませんので、巳年がいつのことなのかは、残念ながらわかりません。

ただ、大畑村には、幕府の勘定頭伊奈忠治が発給した、寛永時代(1624-1644)の年貢割付状が伝来しています。このうち、寛永6年(1629)の割付状をみると、大畑村では、下田8町1反1畝12歩が年貢の対象となっており、このうち2町5反9畝9歩は「巳発」、その他1町余は「当発」、1町余は「付荒」とされています。寛永6年は巳年ですが、この年に開発したのは「当発」の1町余であり、「巳発」の巳年とは寛永6年以前の巳年を指すものと考えられます。以降、寛永13年(1636)・同20年(1643)の年貢割付状にも、下田の内に「巳ノ発」が見えますので、寛永6年以前の巳年に開発された土地が「巳ノ発」という耕地として定着していたのではないかと考えられます。

そして、寛永時代の時点で「巳ノ発」が下田であったこともポイントです。下田とは、田んぼの等級で、江戸時代生産高に応じて土地の等級づけがされていました。寛永時代の大畑村では、田んぼは上田(じょうでん)、中田(ちゅうでん)、下田(げでん)、畑は上畑(じょうばた)、中畑(ちゅうばた)、下畑(げばた)、そして屋敷地に分けられています。下田は、田んぼのなかで最も低い生産高でした。前にみた寛永6年には下田の一部が「付荒」(荒廃地)となっていることからも、水田として利用するのは難しい土地であったのかもしれません。

武里中野の「巳ノ発」、大畑の「東巳ノ起」「西巳ノ起」が、割付状にみた「巳ノ発」と同じ土地であったかは、資料がなく証明はできません。しかし、明治初期に作図されたフランス式の迅速測図をみると、いずれの土地も低湿地特有の「水田」であり、江戸時代の中野村、大畑村のはずれに位置しています。「巳」のつく地名として残るこれらの土地も、かつてはいずれも人里から離れ、農作地としては不毛な土地だったのかもしれません。

 さて、前置きが長くなりましたが、武里中野の「巳ノ発」、大畑の「東巳ノ起」「西巳ノ起」にゆかりの資料を紹介しましょう。いずれも、明治末から大正初めにかけて実施された新方領耕地整理組合が作図した図です。

まずは、武里中野の「巳ノ発」です。

画像:武里中野の巳ノ発

耕地整理後に作図されたものなので、水路と田の畔が整然と区画されています。

右手の「丑ノ発」と書かれているあたりが、現在の南中学校の敷地です。「丑ノ発」ですから、丑年に開発されたのでしょう(詳細不明)。

左手中央に縦断する少し太い水路が「安之堀川」です。図からははずれますが、左手のほうにウイングハットが所在しています。

ついでに、地名の話。中野村(武里中野)には次のような小名が伝わっています。

 根(ね)耕地、北耕地、南耕地、丑之発(うしのおき)耕地、新田耕地、五丁歩耕地、谷中耕地、谷原(やはら)耕地、長島耕地

 

続いて、大畑の「東巳ノ起」「西巳ノ起」です。

画像:大畑の巳起

方角は、写真右手が北になります。

右下の凡例はこのようになっています。

画像:凡例

耕地整理組合の署名・捺印もあります。

画像:耕地整理組合

図の中央に横断する赤い線が道路で、この道路を境界に、東と西に分かれています。南側に流れる水路(上図だと左手)が新方川、中央にみえる少し太い水路が安之堀川です。

こちらも整然と水路、耕地が区画されています。安之堀川に掛かる橋は、現在大畑橋と呼ばれています。

画像:大畑橋付近

少し大きい区画は、屋敷地です。武里中野の「巳ノ発」とは異なり、耕地内に民家も点在しているのが大畑の「東巳ノ起」「西巳ノ起」の特徴といえましょうか。

ちなみに、大畑の地名(小名)は次のようなものがあります。

 横割(よこわり)耕地、杉の口耕地、前耕地、砂間(すなま)耕地、東下田(ひがししもだ)耕地、西下田(にししもだ)耕地、西巳の起耕地、東巳の起耕地

蛇足ですが、現在大畑は、「おおはた」と発音していますが、最近、古文書勉強会で読んでいる江戸時代の古文書には「大畑ケ村」と書かれており、かつては「おおはたけ」と呼んでいたこともあったかもしれません。

蛇足の多い取り留めのない文章になってしまいましたが、巳年ですからご勘弁を。

皆さまにとりまして、繁栄の一年になりますようご祈念申し上げます。そして、本年も郷土資料館と「ほごログ」をよろしくお願いいたします。

令和7年巳年 元旦

12月の考古学関係展示会、イベント情報

12月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。
(毎月28日ごろに掲載します。随時、情報を更新します。)

(春日部市郷土資料館)
・1月19日(日曜日)歴史文化講演会 奥野麦生氏「タタラ山遺跡と花積下層式土器」
電子申請はこちら

 (東部地区文化財担当者会リレー展示ー都鳥が見た古代)
・12月14日(土曜日)~1月13日(祝日・月曜日) 越谷市立図書館(パネル展)
・1月25日(土曜日)~3月9日(日曜日) 八潮市立資料館(資料展示)

(展示会_閉会日順)
・1月26日(日曜日)まで 岩槻郷土資料館(さいたま市岩槻区) 「ミミズク土偶の世界 ~埼玉のミミズク土偶大集合~」

・1月31日(金曜日)まで 城郷小机地区センター(神奈川県横浜市港北区)横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター 横浜の遺跡展「発掘された小机城―令和3・4年度小机城跡埋蔵文化財試掘調査成果速報展―」

・2月2日(日曜日)まで 飛ノ台史跡公園博物館(千葉県船橋市) 「縄文と弥生―船橋の縄文晩期と弥生時代―」

・2月2日(日曜日)まで 栃木県立博物館(栃木県宇都宮市)「死者と生者の古墳時代~下野における6・7世紀の葬送儀礼~」

・2月2日(日曜日)まで 埼玉県立さきたま史跡の博物館(埼玉県行田市) ほるたま展2024 「古墳時代の祈り」

・2月9日(日曜日)まで 千葉県立中央博物館(千葉市中央区)千葉県教育振興財団設立50周年記念展part1 「地中からのメッセージ~旧石器・縄文・弥生~」

・2月16日(日曜日)まで しもつけ風土記の丘資料館(栃木県下野市) 令和6年度企画展「下野市内の遺跡Ⅲ 飛鳥・奈良・平安時代」

・2月28日(金曜日)まで 神川町多目的交流施設(児玉郡神川町) 「かみかわの古墳を知ろう7~海老ヶ久保の古墳~」

・3月2日(日曜日)まで 千葉市立加曽利貝塚博物館(千葉県千葉市) 令和6年度企画展示 加曽利貝塚E地点・B地点発掘100周年記念「あれもEこれもE―加曽利E式土器(総括編)―」

・3月2日(日曜日)まで かみつけの里博物館(群馬県高崎市) 第32回特別展 「子持勾玉―群馬県内出土品を集めてわかったこと―」

・3月9日(日曜日)まで 毛呂山町歴史民俗資料館(入間郡毛呂山町) 第22回特別展「堂山下遺跡ヒストリア-渡河点の宿と交通路-」

体験講座「しめ縄作り」を開催しました

令和6年12月22日(日)に体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう!」を、26日(木)に粕壁市民センターで「公民館で学ぶ!しめ縄づくり体験」を開催しました。
(なお、12月15日(日)にハルカイトで開催したしめ縄講座の様子は先日のブログをご覧ください)

しめ縄講座風景

 

毎年ご好評いただいている本講座、今年もシーズン到来です!

紙芝居の読み聞かせ風景

講座では、まず館長より挨拶をさせていただき、春日部に伝わる伝説の紙芝居を1つ紹介しました。

 

しめ縄作りでは、紙垂(しで)→縄ない→しめ縄本体の順で作業したのですが、やはり最難関は“縄ない”です!
縄ないは2本の藁を捻じって組む作業なのですが、それを一連の動作で行うためコツを掴むまでに時間がかかります。両の掌を使って2本同時に捻じるため、特に手の小さいこどもにとっては大変だったみたいです。

力を合わせて作ります!

また、しめ縄本体を作る際には力を使う作業があり、参加者のこどもからは「ふぅ!疲れたー!」との声も。しかし言葉とは裏腹に嬉しそうな表情でした♪

 

“自分で作ったものを飾る”という価値を感じて、毎年参加してくださる方もいらっしゃいます。

見事な仕上がり!

実に綺麗に仕上がっています!

 

来年度も実施を予定しておりますが、人気の講座のため募集を開始したらぜひお早めにお申し込みください!
今年もたくさんのご参加ありがとうございました!