ほごログ
#かすかべ地名の話 (8)#藤塚
春日部市内の地名の話。今回は、現在開催中の企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展でも取り上げている、藤塚(ふじつか)について。
藤塚は、大落古利根川と中川(庄内古川)に挟まれた地域です。現在は住居表示として藤塚が使用され、また、昭和54年に開校する藤塚小学校、昭和56年に開設された藤塚公民館など公共施設の名称にも使用されています。加えて、市の花「藤」が地名にも入っていることから、「藤塚」の地名は地域の方々から親しまれています。
藤塚の地名の初見は、近世前期の記録にみられる「藤塚村」。当時は、武蔵国葛飾郡松伏領に属しました。藤塚村は、現在の住居表示の藤塚と、六軒町・本田町を含むエリアになります。現在使われている六軒町や本田町という住居表示は、藤塚村の村組である六軒組、本田組を由来にしています。藤塚村は、天保13年(1842)には家数141軒、809人ほどの村でしたが、今の藤塚(六軒町・本田町を含む)には6921世帯の方がお住まいの住宅街となっています(令和5年10月現在)。
藤塚の歴史的特徴ともいえるのが、古利根川の縁辺に形成された内陸型の砂丘(河畔砂丘)です。河畔砂丘は、河道の砂が卓越風で飛ばされ、河道や自然堤防に定着してできた砂の丘のこと。藤塚は藤塚橋や香取神社の付近に帯状の砂丘が確認されます。市内では、浜川戸や小渕にも河畔砂丘が分布しています。
江戸幕府が作成した街道図巻「分間延絵図」によれば、藤塚の河畔砂丘と思われる地帯には樹木が植わり、「百姓林」として利用されてことがわかります。古利根川の対岸の備後村の古文書には、対岸に松林が見えると記述されていますので、江戸時代の河畔砂丘は村人が管理する松林として利用されていたものと考えられます。
明治時代になると、藤塚村の高橋豊吉という人物が、外国種の桃樹(上海水蜜桃)3本を宮内省から譲りうけ、県内で初めて桃を栽植したといわれています。明治10年代に作図されるフランス式彩色迅速測図には、藤塚の河畔砂丘は「桃」の果樹園となっており、桃林として利用されていたことがわかります。さらに、藤塚の遠藤栄太郎は、明治35年(1902)に松林を開墾して、天津水蜜桃、上海水蜜桃を計1200余本栽植し、園芸会社を設立しました。植え付けの本数は最大数万本にものぼり、東京や近県の市場に販路を築き、粕壁や越ケ谷付近の諸村でも水蜜桃の栽培が普及していきました。
東武鉄道の開通後には、藤塚の桃林は「桃花園」と称し、最寄の一ノ割駅から藤塚橋を渡って訪れる観光スポットにもなります。
藤塚の桃林は、昭和40年頃まで往時の面影を残していましたが、東武線の地下鉄乗入れを契機として、昭和42年(1967)ごろから民間の建設会社による分譲住宅の開発が進み、桃林は減少してきました。その代わり、藤塚は春日部市内、屈指の住宅街となり、ニュータウン「藤ケ丘文化村」が造成され、今に至っています。
藤塚の桃林の写真は少ないのですが、今回の展示準備で見つけた写真 がこちら。
昭和39年(1964)3月26日の藤塚橋の起工式の模様。藤塚橋付近で行われた式典で、挨拶をする山口宏市長の後ろには、桃樹らしき樹木が植わっています。おそらく、桃の果樹園ではないかと思われます。
さて、本題の地名の由来。藤塚の地名の由来としては、二つの説が唱えられています。一つは、富士浅間を信仰する修験や行者によって造られた塚(富士塚)を意味するという説(『埼玉県地名誌』)。もう一つは、川べりの川底が深くよどんで大きな「渕」となり、その渕の上の砂丘にある板碑や墳丘を指す「渕塚」が転化し、「ふじつか」となったという説(古老の話による)。
藤塚の香取神社には、富士塚は残されていませんが、境内に「忠行院林山」(もしくは忠行林山)と名乗る行者の浅間神を祀る近世後期の石碑が遺されており、かつては富士塚が存立していたのかもしれません。神社一帯は河畔砂丘に立地していますので、砂丘の高まり自体を塚と見立てていた可能性も考えられます。もう一つの「渕塚」という説も、河畔砂丘のある「小渕」の「渕」にも共通しています。「地名の由来はこれだ!」という決定打は欠きますが、いずれの説も、花の「藤」というよりも、川べりにある小高い河畔砂丘を由来としています。
牛島のフジ、藤塚、小渕、富士信仰、ダジャレで繋げたテーマでしたが、ここまで関わるものだとは正直思っておりませんでした。
企画展に陳列する藤塚ゆかりの収蔵品はわずかですが、ぜひご覧いただければと思います。
[事業の基本情報]
展示名:企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展
日時:令和7年3月22日(土曜日)~5月2日(金曜日)月曜日・祝日休館。開館時間午前9時~午後4時45分
関連事業:みゅーじあむとーく(展示担当学芸員による展示解説)
令和7年4月19日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(30分程度)
予約不要。時間までに展示室へお集まりください。費用無料
圓福寺所蔵の市指定有形文化財が公開されました
4月6日(日)、一ノ割の圓福寺(えんぷくじ)にて「圓福寺まつり」が開催され、大勢の人で賑わいました。
それにあわせて、市指定有形文化財群の、年に一度の公開が行われました。
圓福寺の境内にある曼荼羅堂には、「木彫当麻曼荼羅図(もくちょうたいままんだらず)」「木彫釈迦涅槃図(もくちょうしゃかねはんず)」「木彫閻魔王宮並びに八大地獄図(もくちょうえんまおうきゅうならびにはちだいじごくず)」が安置されています。これらの作品はすべて、圓福寺の九世住職であった光世上人が元禄年間(1688~1704)に、「木彫当麻曼荼羅図」と「木彫釈迦涅槃図」は6年間、「木彫閻魔王宮並びに八大地獄図」は2年間の歳月をかけて制作したものになります。
一般的には曼荼羅図は絵画によるものが多く、圓福寺所蔵の曼荼羅図のような木彫・立体のものは非常に珍しいものといわれています。
制作されて320年以上が経過している貴重な文化遺産を今日まで保管し、公開の機会を設けていただいている関係者の皆様に感謝申し上げます。
地学さんぽ講座3「大河古隅田川を探ろう」を開催しました
3月30日(日)、穏やかな春の日差しに恵まれ、地学さんぽ講座の3回目、「大河古隅田川を探ろう」を開催しました。 今回は、古隅田川の流路をたどり、豊春駅から八木崎駅に向かうルート(古隅田野鳥の森、古隅田公園、古隅田川緑道)を散策しました。古隅田川は、下総国と武蔵国の国境であり、中世の頃までは川の流れが現在と逆で、古利根川から古隅田川へ向かって流れていました。また、古隅田川とすでに「古」がつくのに、さらに「旧」がつく旧古隅田川があることなど謎に満ちた川です。こうした謎に迫るため、古隅田川の流れの変遷、かつて暴れ川だった痕跡の押堀(おっぽり)(注1)やクレバススプレー(注2)、やじま橋や満蔵寺のお葉附きイチョウなどの文化財、梅若塚の伝承、昭和の河川改修による流路変遷などを数多くの見所のある箇所を散策しました。参加された皆さんは、所々で咲き始めたサクラの花を愛で、講師の先生の案内で、地学の探求者として、古隅田川の滔滔としたかつての流れに想いをはせ、様々な謎にみちた川について意見をかわしながら、長い行程の道のりを歩かれました。次回は、地学さんぽ講座の4回目、生きている化石植物の観察場所としてレジデンシャルパーク(庄和総合公園)、10万年前の地層を展示する龍Q館(地下神殿(調圧水槽)の見学は行いません)などを散策する予定です。参加希望の方は広報かすかべ4月号17面をご覧の上、お申し込みください。
注1:押堀(おっぽり) 川の洪水によって堤防を越えたり、破って氾濫した平野部に水が勢い流れた時に水の圧力で地面が掘られた跡。そのまま水がたまって池になったり、湿地として残ることがありますが、現在は、ほとんどは埋め立てられて目にすることは少なくなっています。
注2:クレバススプレー 川の流れに沿って形成された自然堤防が洪水によって破堤し、勢いよく流出した濁流によって引き起こされた地形です。
3月の考古学関係展示会、イベント情報
3月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。
(毎月28日ごろに掲載します。随時、情報を更新します。)
(東部地区文化財担当者会リレー展示ー都鳥が見た古代)
・3月15日(土曜日)~4月8日(火曜日) 白岡市立歴史資料館(資料展示)
・4月12日(土曜日)~4月29日(火曜日・祝日) 吉川市中央公民館(パネル展示)
(展示会_閉会日順)
・4月20日(日曜日)まで 取手市埋蔵文化財センター(茨城県取手市)
埋蔵文化財センター第54回企画展 「近世を掘る―地下からわかる取手宿―」
・4月20日(日曜日)まで 桶川市歴史民俗資料館(桶川市)
令和6年度企画展示「ようこそ はるばる おけがわへ~縄文時代のモノと移動~」
・5月6日(火曜日)まで 朝霞市博物館(朝霞市)
第38回企画展「根岸古墳群と内間木古墳群~朝霞の古墳時代」
・5月25日(日曜日)まで さきたま史跡の博物館(行田市)
令和6年度テーマ展 埼玉の遺跡「小敷田遺跡―低地集落に生きた人びと」
・5月25日(日曜日)まで 藤岡歴史館(群馬県藤岡市)
令和6年度春季企画展「群馬県指定史跡指定記念 ムラと歩んだ古代の寺―牛田廃寺の時代」
・5月25日(日曜日)まで 本庄早稲田の杜ミュージアム(本庄市)
企画展「古代エジプトの棺と埋葬」
・6月15日(日曜日)まで 国立科学博物館(東京都台東区)
「古代DNA-日本人の来た道」
・6月15日(日曜日)まで 水子貝塚資料館(富士見市)
「縄文文化のはじまり ~八ヶ上遺跡全部見せます~」
・6月15日(日曜日)まで 飛鳥山博物館(東京都北区)
春期企画展「丸木舟ラボー縄文の舟にまつわる4つのはてなー」
・7月6日(日曜日)まで 宮代町郷土資料館(宮代町)
企画展 「発掘された地蔵院~テーマで探る人々の姿~」
・8月30日(土曜日)まで 帝京大学総合博物館(東京都八王子市)
企画展「ホネホネワンダーランド-骨の不思議を探る-」
「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展みゅーじあむとーく開催しました
3月23日(日)、現在開催中の企画展示のミュージアムトーク(展示解説)を行いました。
今回の展示は、春先に恒例の藤(フジ)の花の展示の派生企画展。フジの花にかけて、地名の「藤塚」「小渕」、そして「富士信仰」の歴史を収蔵品を中心に紹介しています。
今回のみゅーじあむとーくには、郷土資料館常連の皆さんに多くお集まりいただきました。顔見知りの方ばかりで、解説が終わった後にも、様々ご質問いただき、ご教示いただきました。ありがとうございました。
午前中には、ナント!富士信仰の研究者の方にもお出でいただきました。今回の展示準備にあたり、ご著書をいつも座右に置き、参照しており、直接お会いするのは初めてでしたが、動画で拝顔していましたので、展示解説の冒頭から「あの方かも!?」と緊張していました。特に富士信仰の概要や資料を説明する時は、今年一番のドキドキ。
担当者のつたない富士信仰の解説の後、研究者の方には様々な資料や情報をご教示いただきました。今回は収蔵品のみの展示でしたので、固定ケース半分にとどまりましたが、あんな資料やこんな資料も借り、あんなところやこんなところも調査すれば、春日部市域の富士信仰は企画展テーマとして柱が立ちそう、であることをお導きいただきました。ありがとうございました。
今回は「藤」「藤塚」「小渕」「富士信仰」と欲張りな企画で、盛沢山ですが、それぞれが中途半端でもあるともいえましょうか。「富士信仰」のテーマもさながら、「藤塚」も「小渕」も特徴的な地域ですので、それぞれ一本立ちするくらい、調査・研究を深めたいものです。
このように、みゅーじあむとーくは、学芸員と企画展の反省・展望を促すイベントにもなっています。
次回は、4月19日(日)。「藤塚」「小渕」「富士信仰」の関係者の方は、ぜひ叱咤激励にお出でください。
[事業の基本情報]
展示名:企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展
日時:令和7年3月22日(土曜日)~5月2日(金曜日)月曜日・祝日休館。開館時間午前9時~午後4時45分
関連事業:みゅーじあむとーく(展示担当学芸員による展示解説)
令和7年4月19日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(30分程度)
予約不要。時間までに展示室へお集まりください。費用無料
歴史文化講演会 『奥の細道』を読む~草加から日光あたりまで~ を開催しました
令和7年3月22日(土)午前、教育センター視聴覚ホールにおいて、歴史文化講演会を開催いたしました。
國學院大學栃木短期大学教授で、漢文学がご専門の塚越義幸先生をお迎えして、「「奥の細道』を読む ~草加から日光あたりまで~」をテーマに、お話ししていただきました。
江戸時代の日光道中の宿場町であった粕壁宿には、たくさんの人々が通行しました。
元禄2年(1689)3月に粕壁に宿泊した俳聖 松尾芭蕉もその一人です。
講演では、『奥の細道』を、芭蕉のしゃれ(洒落) や かろみ(軽み) を感じながら鑑賞するために、大切なことを、『奥の細道』の本文に沿いながら、わかりやすく解説していただきました。
芭蕉が訪ねた歌枕の地や、表現方法としての俳諧の様式などについて、文学の専門的なお立場からお話ししていただき、松尾芭蕉の俳諧の特性についても知ることができました。
受講された80名の皆さまには、熱心にご清聴いただき、たいへん盛況となりました。時間の都合で質疑はお一人のみでしたが、先生には丁寧にお答えしていただきました。
塚越先生、受講された皆さま、ありがとうございました。
春日部には、江戸時代後期に建てられた芭蕉の句碑も存在します。また、近代の俳人水原秋桜子や加藤楸邨のゆかりの地でもあります。今後も本市ゆかりの俳諧・俳句につきまして、紹介してまいります。
【東部地区文化財担当者会リレー展示_都鳥が見た古代】白岡市立歴史資料館でリレー展示が開催されています
白岡市立歴史資料館で東部地区文化財担当者会リレー展示「都鳥がみた古代」が開催されています。
「リレー展示「都鳥が見た古代〜埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代〜」開催中です!」(白岡市ホームページ)
白岡市立歴史資料館は、平成30年に開館した白岡市生涯学習センター「こもれびの森」内にあります。「こもれびの森」は、歴史資料館のほか図書館、多目的ホール、集会室などから成る複合施設で、白岡市役所に隣接しています。
リレー展示は、入口を入ったところすぐの企画展示室で行われています。
今回は、白岡市の中妻遺跡の資料も多く展示されています。中妻遺跡は白岡市篠津に所在する縄文時代、古墳時代、奈良・平安時代、中世の遺跡です。奈良時代・平安時代では、鉄作りの工房跡が発見されており、関連資料も展示されています。
「古代白岡の鉄作りの起源に迫る!(中妻遺跡第10地点)」(白岡市ホームページ)
常設展示室では、旧石器時代からの白岡市の歴史資料が展示されています。白岡市には、縄文時代の遺跡が多く、資料が充実しています。
この機会にぜひお出かけください。
●白岡市立歴史資料館会場「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」
開催期間 令和7年3月15日(土曜日)~4月8日(火曜日)
開催場所 白岡市立歴史資料館 企画展示室 白岡市千駄野432番地
開館時間 火曜日から土曜日 午前9時~午後7時、日曜日・祝日 午前9時~午後5時
休館日 毎週月曜日(月曜日が祝日に当たる場合は、その直後の祝日でない日)
歴史資料館について(白岡市ホームページ)
お問い合わせ 0480-92-1894
*リレー展示は、下記日程で開催予定です。
3月15日から4月8日 白岡市立歴史資料館 資料展示
4月12日から4月29日 吉川市中央公民館 パネル展示
5月3日から5月25日 久喜市立郷土資料館 資料展示
6月3日から7月21日 幸手市郷土資料館 資料展示
7月29日から8月24日 蓮田市文化財展示館 資料展示
9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示
10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示
令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示
東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」も好評発売中です。詳しくはこちら
凧作り教室を開催しました
3月15日(土)、春日部市「庄和大凧文化保存会」の方々を講師にお招きし、凧作り教室を開催しました。郷土資料館では、今回で4回目の実施となります。当日は、小学生を中心に15名に参加いただきました。
作り方の最後で、凧に反りをつけるために、骨の左右のフックに糸をかけて、引っ張りました。大凧でも「弓張り」と呼ばれて同じように骨をそらせます。大凧では、凧の中央部分で、凧の骨から糸までが約90cmの高さになるようしめあげます。
保存会の先生もおっしゃっていましたが、凧に反りを付けることで、凧が上がった時に風が左右に分かれ、一部は凧の裏面に回り込みます。風が凧を両わきからはさんでいる状態になり、安定して飛ぶようになります。
さて、5月3日と5日に行われる大凧あげまつりでは、5日の午前中に、創作凧揚げ大会として会場で自分で作った凧をあげることができるそうです。ぜひ5月5日の午前中に大凧あげ祭りの会場で凧をあげてみてください。
春日部市市制施行20周年記念イベント【みんなで祝おう春日部オリジナル凧あげ大会】
とき 令和7年5月5日 午前9時から11時
場所 春日部市西宝珠花江戸川河川敷
参加方法 自作オリジナル凧にて自由参加。入賞者には記念品の贈呈。
文化財の公開(4月)のお知らせ
桜のつぼみも膨らみ、開花まであとわずか・・・という時節を迎え、市内では江戸時代から伝わる有形、無形の文化財が公開されます。
【圓福寺所蔵の市指定有形文化財の公開】
一ノ割にある圓福寺では、毎年4月一週目の日曜日に開催される「圓福寺祭り」に合わせて、曼陀羅堂に所蔵されている市指定有形文化財が公開されます。
木彫当麻曼陀羅図は、通常、絵画等で描かれていますが、木彫の仏像が配された立体構造が特徴的です。この他、釈迦涅槃図など、江戸時代に制作された仏教美術が一堂に公開されます。
日時:令和7年4月6日(日曜日)午前10時~午後3時
場所:一ノ割一丁目30-17 圓福寺
※拝観は有料となります
▲左:木彫当麻曼陀羅図、右:木彫釈迦涅槃図 共に元禄11年(1698年)の作。厨子に納められ江戸各所の寺社にも出向いて公開(出開帳)されていた。
【不動院野の神楽】
東不動院野地区に伝わる市指定無形民俗文化財が公開されます。江戸時代の半ばころ、茨城県稲敷市の大杉神社から伝わった神楽(祭神が安婆天狗であることから別名「安婆神楽」ともいわれる)で、元来、平安時代に宮中での神事として演じられていましたが、江戸時代には「お祓い」の要素をもち、家内安全や五穀豊穣を祈願する民俗芸能として、東不動院野地区で継承されています。
日時:令和7年4月13日(日曜日)正午~午後2時(予定)
場所:東不動院野615 東不動院野集会所
▲昨年の祭礼の様子 高校生や大学生の後継者による演舞も見どころのひとつ。軽快な調子の祭り囃子と口上が伴う神楽が特徴的
桜のお花見とともに足を運んでみてはいかがでしょうか
次期企画展のチラシできました
次の企画展は、「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展。
ここ数年春先に開催し、恒例になりつつある市の花「フジ」を主題にした企画展2025年版です。
今回は、市の花フジに加え、「藤」「渕」がつく市域の地名と、「富士信仰」にスポットをあてます。「藤」がつく地名とは、豊野地区の藤塚。「渕」がつく地名とは、幸松地区の小渕、のことです。
まだ、どんなモノが並ぶのか、目下、検討・準備中ですので、詳細は教えられませんが、見どころとなる資料は固まってきましたので、チラシのデザインが確定されました。
淡い色合いで、アンニュイな展示担当者の今の気持ちを表わしているようです(笑)。
果たして間に合うのでしょうか。乞うご期待。
[事業の基本情報]
展示名:企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展
日時:令和7年3月22日(土曜日)~5月2日(金曜日)月曜日・祝日休館。開館時間午前9時~午後4時45分
関連事業:みゅーじあむとーく(展示担当学芸員による展示解説)
令和7年3月23日(日曜日)、及び4月19日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(30分程度)
予約不要。時間までに展示室へお集まりください。費用無料
#かすかべ地名の話 (7)#八木崎
忘れた頃にやってくる、春日部市内の地名の話。今回は、八木崎について。
先日、でばりぃ資料館のため、八木崎小学校に訪れた際に、担任の先生より、「八木崎のいわれについて教えてほしい」と強いご要望がありましたので、今わかる範囲での八木崎について、ほごログで紹介することにしました。
八木崎は、粕壁地区のなかの小名(小さな地名)の一つであることは、前にも紹介しました。元禄10年の検地帳にも登場する耕地名ですから、古くから呼び伝えられてきた地名であることは間違いないでしょう。「八木崎遺跡」という遺跡もあり、古代の遺物も出土していますから、少なくとも奈良・平安時代には人々が拠点としていた痕跡がのこっています。ちなみに「八木崎遺跡」は現代人が名付けた遺跡名ですから、当時はなんと呼んでいたのかは不明です。
江戸時代には、八木崎の一帯は粕壁宿の一部になり、「八木崎耕地」「字八木崎」などとよばれました。八木崎耕地は、田8町8反余、畑29町5反余で、耕地の大半は畑地で、「粕壁宿之内八木崎組」とも書かれた古文書もあり、宿場の人馬継立の役を分担する株を持つ家も存在していました。粕壁宿というと、日光道中沿いの町並みの方に焦点が集まってしまいますが、八木崎は立地的にも古くから人々が暮らしていたことが推察されます。
明治初めに記された「春日部記草」に、次のように書かれています(春日部市史近世史料Ⅲノ2)。
「八木崎と云名ハ遺老の物かたりに、大木の杉八もとありし海辺ゆえしか、名つけたりとそ、こゝも浜川戸にさしつゝきて土地高く、古く干潟と成たる所故、太田の庄にかそへ入たるなるへし」(八木崎という地名は、古老の話によれば、大木の杉が8本あり、海辺だったために、八木崎と名付けられたとのこと。八木崎は浜川戸に地続きで、古くから干潟になった場所なので、中世の太田の庄に含まれていると考えられる)
明治初めの人たちは、春日部八幡神社のある浜川戸に地続きの八木崎が土地が高いと認識していたようです。たしかに、昭和8年(1933)の粕壁町の略図をみると、画像左下の八木崎付近は、西側のあたりに畑が多くみえます。
市内には、八木崎のほかにも、米崎・金崎・塚崎・木崎のように「崎」がつく地名があり、いずれも台地等の高台の突端がかかる地域となっています。八木崎は台地ではありませんが、浜川戸の河畔砂丘など、微高地の突端にあたるため、「崎」という地名となったのでしょう。
【 #3月7日 】 #今日は何の日? in春日部
いまから254年前の明和8年(1771)3月7日(旧暦)は、粕壁ゆかりの俳諧師増田眠牛の命日です。
増田眠牛は、今年の大河ドラマ「べらぼう」の時代=江戸時代半ばの江戸の俳諧点者です。粕壁の山中観音は眠牛ゆかりのお堂で、粕壁宿の歴史スポットとして知られています。しかし、当時の歴史資料はほとんどなく、粕壁との関わりは伝承・逸話として伝わるのみです。今回はその伝承・逸話の元になっているものを紹介しましょう。
眠牛について、紹介する文献のうち、最も古いと思われるのが、粕壁尋常高等学校編『郷土の研究』(昭和8年ごろ刊)です。同書は、私家版で発行された小冊子で、個人のお宅に伝来する史料として伝わったものです。担当者も恥ずかしながら、未だかつて原本をみたことがありません。
同書は、当時の粕壁町の社会経済的な統計のほか、伝承・伝説など、大正末から昭和初期にかけての郷土史研究の成果として重要なもので、このなかに「増田眠牛の事」という項目が立てられ、次のように記されています。一部コピーが不鮮明で読めない箇所は【 】で記しました。
増田眠牛とは今より凡そ百六七十年前、六部姿にて背に千手観音を負ひ、風雅の道をもとめて漂然と我が春日部の宿にたどりつきたる俳人の名なり。時は徳川時代の中頃宝暦の頃なりしと伝へらる。当時、今の練木市左衛門の本家なる家を伊勢平といひ、米問屋をなし、一家俳諧を好む。即ち眠牛これを聞きて旅のわらじをこの家の軒にとく。しかして暫しこの家の人々と起居を共にす。それより明和八年三月、六十余才で没するに至るまでの年月を此所に落ち付きて俳味豊かな彼の晩年を送る。
伊勢平当時米問屋にて常に江戸に出でゝ米の仕切勘定をなす。一夜或宿屋にて囲碁をなす。打つ手置く石せはしく石の黒白に天下を争ふうち、その手の思ふやうにならぬ折から思はず「下手だなあ、拙いなあ」を連発すと。隣座敷にて当時俳書【 】俳談に余念なき時なり、近頃ものせるものなりとて
五月雨や 或る夜ひそかに 松の月 蓼太
なる句を示して、その批評を請ひしに、隣の部屋より「下手だなあ、拙いなあ」の連発が聞こえてくる。これを聞き手嵐雪忽ち血相が【 】部屋にふみ入りて、如何なる点が拙きかと談判に及ぶ。伊勢平【 】に驚きて拙なりとは御身の句の事にあらず、全く碁の手の拙き故なりとしきりに弁明すれど、聞き入れず、困じ果て対に一策を案じ、即ち之を家に奇遇せる眠牛にはからんとせるなり、「然らばそ【 】答を暫くまたれよ」とて暫くその場をのがれて帰宅をなし【 】眠牛に打ちあけてその助力を請う。眠牛やがて嵐雪と会見してその句の非を指摘して伊勢平の難をすくふ。俳聖嵐雪【 】批評も得たるを思へば眠牛は相当の技量と見解をもちたる俳人なる如し
その辞世の句として
かかれぬぞもういのち毛の土筆
とあり。今尚山中観音(眠牛の背負ひ来れる)の堂前に石にきざみてあり。即ち眠牛は六十余才にてこの地に終りし故、附近の人びとによりその負ひ来れる千手観音は山中観音としてまつられ、眠牛の用ひし杖なども保存せらるゝと。観音堂は今より四十余年前附近の人々無尽講に入りてあたり金を以て建立せるものにて、今毎月十七日には観音経をあげらる。なほ眠牛の墓が伊セ平菩提寺なる成就院にありしによりてもその史実は証せらる。
上の文章からは、次のことがわかります。(1)俳諧師の眠牛は、粕壁宿の米問屋伊勢平に寄宿し、晩年を過ごし、粕壁で亡くなったこと。(2)伊勢平が別の俳諧師と口論になった折りに、眠牛が俳諧の評価を下し、間を取り持ったことで伊勢平が助かったとこと(途中は読めない部分があるので、事実関係は検討が必要ですが)。(3)眠牛が背負ってきた観音は、粕壁の山中観音として祀られ、今にいたること。(4)かつて、眠牛の墓は伊勢平の墓所にあったこと。(5)山中観音のお堂は40年ほど前(明治末期か)に地域の人たちの無尽講により建てられたもので、観音経を唱える講中(観音講か)が組織されたこと。
ところで、増田眠牛は、どのような俳諧師だったのでしょうか。断片的ですが、江戸の俳諧書を辿ってみると、眠牛の名は割と多くみえます。近現代に出版される俳諧の系統図にも、眠牛は談林派の俳諧師として、笠家旧室の系統をひく者としてみえます。俳諧書の「西山家連俳系図」には、談林派俳諧の笠家旧室の弟子として眠牛の名がみえ、「増田匍匐庵、明和八年辛卯三月六日没、歳五十三、葬武州糟壁駅成就院」とあります。また、明和5年(1768)刊とされる「誹諧觽初篇」には、「当時旅行」「蒼狐門」とありますので、笠家旧室の系統を組む小菅蒼狐の門となり、すでに江戸を離れていたようです。同書には「強弱交るべし、恩愛の句に手柄あり、とかく短句に高点多し、是はといへる道具なし、句を軽く仕立べし」と、点者としての評判も記述されています。俳諧に親しんだ江戸の人びとに、俳諧の点者として知られていたことがわかります。
『郷土の研究』では、没年を「六十余才」としていますが、同時期の俳諧書では没年を「五十三才」としています。命日は、江戸俳諧書では「三月六日」としますが、山中観音の墓石には「三月七日」と刻まれています。
また、『郷土の研究』は、伊勢平が中心となって眠牛と関わり、その後地域の無尽講によりお堂が建てられたと読めますが、戦後に粕壁と眠牛について記されたものには、「やまご」を商標にする清水家が眠牛を世話したとの言説がみられます。
たとえば、『春日部市史通史編』では、春日部市教育委員会編『春日部市の文化財』(昭和54年初版)を引用し、「この堂(山中観音)は、伊勢平に代わって眠牛の世話をしていた醤油醸造家清水家(やまご)が眠牛の菩提を弔うために建立したものである」と記しています。同様の言説は、岩井幸作『春日部秘史』(昭和46年刊・私家版)にもみられます。清水家は、伊勢平の後に眠牛を世話し、宅地の隅に居宅を用意した(『春日部市の文化財』)とも、伊勢平なきあとにお堂を管理した(『春日部秘史』)とも、眠牛やお堂との関わりは曖昧です。清水家は、栃木屋勝右衛門を代々名乗る江戸時代以来の粕壁(仲町)の商家です。通称「栃勝」と呼ばれました。醤油醸造家とされていますが、諸資料から確認すれば、醤油醸造をはじめたのは明治時代以降とみられ、もともとは木綿買次商を営んでいました。
私見ですが、醤油醸造の栃勝は極めて近代的なイメージとみられますので、清水家が山中観音と深く関わるのは、明治以降のことではないかと考えらえます。とはいえ、『郷土の研究』の逸話をはじめ、没年や命日、清水家との関わりなど、関連史料がないため、今となっては確かめるすべがないのが現状です。
さて、眠牛が背負ってきた観音の軸は、現在も山中観音の本尊として祀られているそうです。昭和初期には成就院にあったという眠牛の墓石は観音堂の敷地に移設されています。
墓石には、眠牛の戒名「諦誉華岳眠牛居士」と命日「明和八辛卯年三月七日」、そして「かかれぬぞもういのち毛の土筆」という辞世の句が刻まれています。
現在の山中観音堂は平成初めの区画整備事業により、平成4年に元のお堂の一部を移築されています。
当館では、移築に伴い、お堂のなかのものの一部、眠牛が背負ってきたという笈(下の画像)などを保管しています。
浅学な担当者は、これまで増田眠牛について、それほど著名ではない俳人と勝手に思い込んでいましたが、デジタルアーカイブなどで各機関の関係史料を瞥見するなかで、意外に著名であることにたどり着きました。史料の関係で、粕壁でのエピソードを深めるのは難しそうですが、粕壁宿や山中観音の価値を高める上で、眠牛についてもう一度見直し、再評価する必要があるのかもしれないと、眠牛の命日に思うのでした。
過去の今日は何の日?in春日部シリーズ→1月1日版、3月14日版、3月27日版、4月1日版、4月28日版、6月2日版、6月3日版、6月10日版、7月31日版、9月1日版、9月16日版、10月15日版、11月25日版
過去の今日は何の日?in春日部シリーズは、上のリンクからお読みいただけます。
歴史文化講演会 合戦場宿一件にみる庶民生活の一側面 を開催しました
令和7年3月2日(日)午後、教育センター視聴覚ホールにおいて、歴史文化講演会を開催いたしました。
國學院大學栃木短期大学教授で、日本近世史がご専門の坂本達彦先生をお迎えして、「合戦場宿一件にみる庶民生活の一側面 ~日光道中の宿場と周辺村落~」をテーマに、お話ししていただきました。
江戸時代の春日部は、江戸から日光までを結ぶ日光道中が南北に通り、宿場町であった粕壁宿は、江戸の影響を受けながら、地域の経済・文化の中心となっていました。
講演では、天保10年・11年(1839・1840)に日光例幣使道合戦場宿(にっこうれいへいしどう かっせんばしゅく 現栃木県栃木市)で発生した、贈収賄事件を手がかりに、広範囲にわたった処罰者や、当時の粕壁宿の状況なども交えて、宿場や農村に暮らした人びとの、社会、生活や風俗を紹介されました。江戸時代の後期から幕末期にかけての時代背景として、幕府の政治・政策の変化、江戸の町の繁栄と、関東地方の宿場や農村の治安と風紀・風俗の問題をとりあげ、それに対する幕府の対応(統治や統制)をわかりやすく解説されました。
受講された70名近くの皆さまには熱心にご清聴いただきました。質疑では複数のご質問もあり、たいへん盛況となりました。坂本先生、受講された皆さま、ありがとうございました。
江戸時代は、宿場・農村を問わず、さまざまな事がらが、現代と関わりを持っています。今後も本市をはじめとする埼玉東部地区の歴史や文化について、紹介してまいります。
【出張授業】でばりぃ資料館in宮川小学校
令和7年2月26日(水)に宮川小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
宮川小の3年生は1クラスのみ。この日は1クラスを2つに分けた少人数制のでばりぃ資料館を開催できました。
視聴覚室を仕切りで2つに分け、「60年前の市の様子・昔の学校の道具」「昔の家庭の道具」について解説をしました。
1ブースに付き20分程度の時間でしたが、児童がよく話を聞いてくれたことや、少人数ならではの作業の進めやすさもあり、資料に触れる時間も確保できてコンパクトながら充実した時間を過ごせたようです!
各ブースを入れ替わるタイミングで、児童同士が
「こっちめっちゃ面白かったよ!」
「こっちも面白かったよ!」
と、自分の方が楽しんだ自慢がはじまったり(笑)
事前に先生から伺っていた話によると、児童たちは“でばりぃ資料館”をずっと楽しみに待っていてくれていたとのこと♪
仕事と言えど、そう言われるとやはり嬉しいもので出張のしがいがあります!
ぜひ今度は“待ち”ではなく、保護者の方と郷土資料館に“来て”みてくださいね!
さて、これにて本年度のでばりぃ資料館は一段落となりました。
出張回数は市内小学校14校15回を数え、過去最多!でばりぃ資料館ではなく団体見学にきてくれる学校もあるため、本年度は多くの学校に郷土学習を体験してもらえたかと思います。
でばりぃ資料館は3年生の社会科のみならず、学年・内容・時期などを相談させていただければ随時ご利用いただけます。児童にとってちょっと特別な授業を提供できるようこれからも努めてまいりますので、今後もどうぞ郷土資料館をご活用ください!
【出張授業】豊野小学校inでばりぃ資料館
2月25日(火)豊野小学校に、でばりぃ資料館で出張りました。
当日は、午前は立野小、午後は豊野小のダブルヘッダー。気分はメジャーリーガーです。
豊野小学校では、図書室と視聴覚室の2教室を間借りして、3年生の皆さんに、昔の家の道具や学校の道具、昔の春日部のまちや豊野小の周りの様子についてお話ししました。
豊野小学校には、地元の民具などを展示する郷土資料室が置かれていますので、資料室から道具を持ち寄って、説明。そして、自由に触ったり、体験してもらいました。
こちらは定番の黒電話。写真の様子からもわかるように、まさに電話を取り合っています。小学校の郷土資料室にも1台ありましたので、事後学習にぜひご利用ください。
かたや、視聴覚室では、春日部のまちは昔は田んぼや畑だったことを写真をみながら考えてもらいました。
60年前には、普段つかっている大型ショッピングモールや、学校の周り、自分たちのおうちがあるのか、じっくり探してもらいました。「コンビニはどこ?」「ワンワンランド(?)は?」とか、現代のランドマークになる建物がないため、探すのに苦労していました。
また、こちらでも郷土資料室の道具も体験。昔の農業について考えてもらいました。
鍬や田こすりなど、どうやって使うのか、重いのか、軽いのか。昔の豊野地区の農家の人たちの汗がしみ込んだ農具の柄を握って昔の農業を感じてもらいました。児童のなかには、おじいさんやおばあさんが農家の方がちらほら。「おじいちゃんちにある」とか、「今度手伝いたい」なんて話す子もいました。
ところで、帰り際、校長先生から「先日学校訪問に来た外国人の方が郷土資料室を気に入ってくださった」「出入りができるようにして活用をしたい」とお話しくださいました。豊野小の郷土資料室は、地元の方が集めたものもあり、郷土資料館でも展示したい養蚕の郷ぐ「蚕棚」も展示している、市内屈指の郷土資料室です。今回のでばりぃ資料館だけなく、日常的に見学・体験・活用していただけると助かります。
でばりぃ資料館の後、3年生たちは下校。帰り際に「今日はありがとうございました」と声をかけてくれました。今度は郷土資料館に遊びにきてくださいね。
【出張授業】でばりぃ資料館in立野小学校
令和7年2月25日(火)の午前に立野小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
1月後半から始まった怒涛のでばりぃ資料館ラッシュもいよいよ終盤です!
この日は3階の学習室3・4を使用しての開催。
それぞれ昔の学校の道具・家庭の道具を紹介する部屋と、昔の町の様子・昔の農業について紹介する部屋とに分かれて勉強をしました。
立野小には郷土資料室を設置しており、そこから周辺地域で実際に使用されていた農具などを持ち出して児童に観察してもらいました。
約60年前の市域を映した空中写真では、立野小の姿はまだありません。
児童からは「田んぼばっかりや!」と、立野小が設立される以前の様子を感じ取ってくれたみたいです。
中には地図をみて「スカスカ!」と言う児童も。田んぼや畑が“ある”ではなく、建物が“ない”という感覚のようで、いかに建物に溢れた世界が常識になっているかがうかがい知れます。
今日は都合上3クラスを2つに分けて開催したため、1部屋当たりの人数が多くなってしまいましたが、児童が騒がず静かに話を聞いてくれたため問題なく終えることができました!
立野小の児童は郷土資料室にも興味を持ってくれたみたいなので、先生にお願いしてぜひ郷土資料室にも入ってみてください!見たことのない道具がたくさん待っていますよ♪
郷土資料館体験講座「かわいいミニぞうりを作ってみませんか」を開催しました
令和7年2月22日(土)に体験講座「かわいいミニぞうりを作ってみませんか」を開催しました。
本来、本講座は昨年の10月末に開催する予定でしたが、その時は衆議院議員総選挙で会場が使用できなくなってしまったため中止となってしまいました。ご予約をいただいていた方に中止となった旨をお伝えしたときは、皆さんとても残念そうで、こちらとしても心苦しい限りでした。
そして何とか日程を調整して、今回の「ミニぞうり作り」の開催にこぎつけました!
例年は定員20名に対して参加者10名前後なのですが、今年はある意味で2回告知をできたおかげか、募集定員満員となりました!
講座では江戸打ち紐を使って、小さなぞうりを編んでいきます。
特に編みはじめの部分が難しく、テキストを見てもなかなか思うようにいきません。
ちなみに、編み方が合っていても“なんだか間違っている気がする・・・”と感じるのも『ミニぞうり作りあるある』だったりします。編み進めていくとだんだんとぞうりの姿が見えてきて一安心といった感じです(笑)
作ったばかりのミニぞうりをバッグに付けてお帰りになる方も!
どうやら手作りしたアイテムでバッグを飾ってらっしゃるそうで、ミニぞうりもその仲間入りができました♪
参加者の人数に対して、どうしても職員の手が足りず、ご不便をかけたかと思いますが、講座後のアンケートでは「またやりたい!」「自宅でも作ってみます!」といった声をいただき、多くの方にご満足いただけたようで何よりです!
郷土資料館では他にも各種イベント、講座を開催しておりますので、ご興味のあるものがございましたら、またぜひご参加ください!
2月の考古学関係展示会、イベント情報
2月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。
(毎月28日ごろに掲載します。随時、情報を更新します。)
(東部地区文化財担当者会リレー展示ー都鳥が見た古代)
・3月15日(土曜日)~4月8日(火曜日) 白岡市立歴史資料館(資料展示)
(展示会_閉会日順)
・5月6日(火曜日)まで 朝霞市博物館(朝霞市)
第38回企画展「根岸古墳群と内間木古墳群~朝霞の古墳時代」
・5月25日(日曜日)まで さきたま史跡の博物館(行田市)
令和6年度テーマ展 埼玉の遺跡「小敷田遺跡―低地集落に生きた人びと」
・5月25日(日曜日)まで 藤岡歴史館(群馬県藤岡市)
令和6年度春季企画展「群馬県指定史跡指定記念 ムラと歩んだ古代の寺―牛田廃寺の時代」
・6月15日(日曜日)まで 国立科学博物館(東京都台東区)
「古代DNA-日本人の来た道―」
・4月20日(日曜日)まで 取手市埋蔵文化財センター(茨城県取手市)
埋蔵文化財センター第54回企画展 「近世を掘る―地下からわかる取手宿―」
・4月20日(日曜日)まで 桶川市歴史民俗資料館(桶川市)
令和6年度企画展示「ようこそ はるばる おけがわへ~縄文時代のモノと移動~」
・5月25日(日曜日)まで 本庄早稲田の杜ミュージアム(本庄市)
企画展「古代エジプトの棺と埋葬」
・6月15日(日曜日)まで 水子貝塚資料館(富士見市)
「縄文文化のはじまり ~八ヶ上遺跡全部見せます~」
・6月15日(日曜日)まで 飛鳥山博物館(東京都北区)
春期企画展「丸木舟ラボー縄文の舟にまつわる4つのはてなー」
・7月6日(日曜日)まで 宮代町郷土資料館(宮代町)
企画展 「発掘された地蔵院~テーマで探る人々の姿~」
・8月30日(土曜日)まで 帝京大学総合博物館(東京都八王子市)
企画展「ホネホネワンダーランド-骨の不思議を探る-」
南桜井小学校の皆さんが団体見学に来ました
2月20日、南桜井小学校の特別支援学級の皆さんが、郷土資料館に見学に来てくれました。
竪穴住居や粕壁宿の模型をみたり、千歯こき体験をしたり、春日部駅の鉄道高架の展示をみたり。
来館しなければ味わえない体験・経験をたくさんしてもらえたようです。
特に大人気だったのが、昔のおもちゃコーナー。
自由時間をかなりとりましたが、皆さん、この場から離れません。とくに人気だったのが、ダイヤル式電話、ビー玉ころがし、パタパタ(板がえし)、紙鉄砲でした。
最後には「帰りたくない」と涙をこらえて訴えてくれる子もいました。
ここのところ、郷土資料館では、でばりぃ資料館(出張授業)ばかりで、久しぶりの団体見学でした。
でばりぃ資料館はお陰様で大好評で、「楽しかった」と満足気に語る児童たちはいても、「帰らないでほしい」とは言われたことはまだありません。でばりぃ資料館は「所詮、郷土資料館の切り売り」にすぎませんが、団体見学のは郷土資料館を体全体で感じることができます。ヴァーチャルや切り売りではなく、実物のいろいろなものに、自らの興味・関心で触れにいき、楽しめることが、来館することの醍醐味なんだ、と改めて気づかされました。「帰りたくない」という感想はあり得ても、「帰らないでほしい」はきっとない感想なのかもしれません。
「帰りたくなかった」あなたは、ぜひ、おうちの方とまた遊びにきてくださいね。
【出張授業】中野小学校inでばりぃ資料館
2月14日、中野小学校にて、でばりぃ資料館を開催しました。
今回も3年生の社会科の市やくらしのうつりかわりの学習の出張依頼です。
わけあって、報告が遅くなってしまましたので、後日いただいた児童の皆さんの感想ととともに当日の様子を紹介しましょう。
中野小学校の皆さんは、すでに昔の道具やくらしのうつりかわりについて、学習がはじまってたようで、「道具の名前や使い方知っていますか?」と質問すると、「火のし」「昔のアイロン」というように、答えてくれた子がたくさんいました。しかし、どうやって火のしを使うのか、どのようにして先端の金属の部分を温めるのかは、まだ知らない子が多かったよう。実物の火のしと木炭(炭)をみせながら説明したところ、皆さん得心してくれました。だけど、それでも時間が足らなかったかな、と思う感想を書いてくれた子もいました。
熱くなるのは、先端の金属(真鍮?)の部分で、取っ手は木製です。触って確かめてもらえたでしょうか。
こどもたちに大人気のダイヤル式電話。他の小学校では「電話にでんわ」と紹介され、教育センターの一部の方に好評だったので、同じように電話を紹介しましたが。。。全体的にはしーん。ただ、一人の子には大うけしました。今後も果敢に挑戦していきます。
もう一つの話題。
「中野小学校がなんでできたのか知っていますか?」というような、町の様子のうつりかわりのお話。こちらについても、すでに学習していたようで、「川辺小学校がいっぱいになっちゃったから、中野小学校ができた」と明答してくれた子もいました。
けれども、「中野小学校ができる前には、ここは何だったのか」と聞くと、「田んぼかな?」「畑かな?」「海かな?」「川かな?」と意見が分かれました。そこで、60年前の春日部の航空写真を見てみよう、と案内したところ、自由時間には、、、
われ先にと争うようにのぞき込んでくれました。
感想でも、
自分たちの小学校だけでなく、よく使う近所のショッピングモールがなかったことに驚きをおぼえてくれた子もいたようです。
今回は、学習の「導入」ではなく、「展開」として位置づけられていたようでした。「導入」でも「展開」でも、はたまた「まとめ」でも、いかなるご要望にもお応えしますので、今後も幅広いオファーをお待ちしております。
中野小学校の皆さん、どうもありがとうございました。次は、郷土資料館に来てくださいね。
歴史文化講演会 天正18年の岩付、糟壁とその周辺 を開催しました
令和7年2月15日(土)午後、教育センター視聴覚ホールにおいて歴史文化講演会を開催いたしました。
元さいたま市の専門職員で中世史研究者の青木文彦先生をお迎えして、「天正18年の岩付、糟壁とその周辺」をテーマにお話しいただきました。
天正18年(1590)は、関東地方の歴史にとって大きな画期となった年です。関東地方の戦国大名の雄であった小田原北条氏(後北条氏)が天下人豊臣秀吉の小田原攻めによって滅ぼされ、関東は江戸を本拠に置く徳川氏の領国となりました。これは、今日まで続く、東京(江戸)を中心とした関東地方・日本の発展の歴史へと連なる、大変大きな出来事といえます。
講演では、天正18年3月から9月まで、豊臣秀吉が京都から関東へ着陣し会津仕置(しおき)を経て京都へ戻る期間の秀吉の動静と、岩付城の落城や春日部とその周辺の住民の動向を詳しくお話ししていただきました。
受講された70名近くの皆さまには熱心にご清聴いただき、最後には複数のご質問もあり、たいへん盛況となりました。青木先生、受講された皆さま、ありがとうございました。
今後も、春日部や埼玉東部、関東地方の歴史文化と関わる講演会を企画し、現代との関わり、つながりを紹介して参ります。
【出張授業】でばりぃ資料館in南桜井小学校
令和7年2月18日(火曜日)、南桜井小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
南桜井小学校では、3時間目と4時間目の2時間を使い、昔の農業、昔の生活道具、60年前の春日部、昔の学校、昔の遊びと、一クラスずつ時間をかけて、5つのテーマについて学びました。
図書室では、昔の学校、60年前の町、昔の遊びについて学びました。
60年前の町では、航空写真をみて、南桜井小学校の近くにある国道4号バイパスや国道16号、イオンモール春日部などが60年前にはまだ無かったことや葛飾中学校が現在の桜川小学校の場所にあったことなどを学びました。また、60年前は市内のほとんどが田んぼだったことを見てもらいました。
南桜井小学校は、明治6年(1873)に開校し、150周年を迎えています。昔の学校では、南桜井小学校の100年前の生徒の集合写真をみて、着物姿の子どもたちとひげを生やした先生に気づいてもらいました。150周年記念式典の時にも同じ写真が飾られていたことを教えてくれた子もいました。
児童会室では昔の生活道具、昔の農業について学びました。
昔の生活道具は一通り説明を聞いた後、手回し洗濯機や火のし、黒電話などに触れ、感触を確かめました。
昔の農業では、代表の子に千歯こきの体験をしてもらいました。
南桜井小学校の周りも、最近、特に国道沿いにいろいろな建物が次々と建ち、とても速いスピードで町の景観が変わっています。3年生の皆さんには、そういった学校の近くの町のうつりかわりに、少しでも気がついてもらえたらうれしいです。
令和6年度の文化財防火デー防災訓練を実施しました
2月16日(日)、富多地区に所在する市指定有形文化財「立野天満宮本殿」を対象に、立野集会所並びに立野天満宮にて令和6年度文化財防火デー防災訓練を実施しました。
今年度は立野区の自主防災訓練の一環として、地区と共同で開催し、50名を超える多くの皆様にご参加いただきました。
この文化財防火デーは、昭和24年1月26日に奈良の法隆寺金堂が火災に遭い、現存では世界最古の木造建造物と共に貴重な壁画が焼失したという痛ましい事故を契機に定められました。毎年1月26日前後に、全国各地で歴史的建造物や文化財を保存管理する社寺などで防災訓練が行われています。
この日の第1部は文化財防火デー防災訓練です。今回は、集会所に設置されたゴミステーションが放火され、出火という想定のもとで訓練を実施しました。実際の119番通報から模擬文化財の搬出、水消火器による初期消火で鎮火というシナリオです。皆さん息のあった連携で模擬文化財搬出と初期消火をスムーズに行っていただきました。
続いて第2部の訓練は自主防災訓練のメニューである、水消火器訓練と起震車「ゆらりん」による地震体験を行いました。消火器の持ち運び方や「掃く」ように放水するなど、消防本部予防課の職員による実践的なレクチャーを受け、実施しました。また起震車「ゆらりん」では震度6強の地震を体験しました。春日部市域で予想されている最大震度は震度6強と考えられていますが、机や柱にしがみついているのがやっと、という感想を聞くことができました。
訓練に参加された方からは、「こんな身近に文化財があるとは思わなかった」や「地域の文化財を知ることができてよかった」といった感想をいただきました。我々、そして地域の方々にとっても有意義な訓練となりました。
最後になりますが、立野区の皆様並びに消防本部、危機管理防災課の皆様、ご参加いただきありがとうございました。これからも地域の皆様との連携・協働をとおして貴重な文化遺産を未来に確実に保存し伝えられるよう、ご協力をお願いいたします。
豊野小学校「獅子舞授業」~銚子口の獅子舞 第2回目~を行いました
2月13日(木)、豊野小学校第3学年の「総合的な学習の時間」では獅子舞授業が行われました。
先週の赤沼の獅子舞に引き続き、通算で4回目の授業となり、銚子口の獅子舞は2回目の授業になります。
当日は強風吹きすさぶ中、銚子口獅子舞保存会から6名お越しいただき、ご指導いただきました。
2月6日の赤沼の獅子舞と同じく授業テーマは「舞に挑戦してみよう!!」ということで、『辻切り(つじきり)の舞』に挑戦しました。『辻切りの舞』は集落の境界で行われる舞で、家内安全を願い、集落に悪いものが入ってこないように追い払う意味合いをもつ舞です。
最初は舞のリズムを全員で口ずさみます。リズムを文字にすると「ヒン トロロ~ ヒ~レ~・・・」と、これを『自言(じごと)』と呼んでいます。このリズムが『自言』として体に染みついていれば、笛や太鼓の音がなくとも舞が舞えるようになるそうです。
続いて、全体で舞の練習です。先週の授業の効果があるのでしょうか、違う振り付けではありますが、3年生の皆さんは戸惑うことなく舞うことができています。
全体での練習の後は2グループに分かれての練習です。今回は舞と小太鼓をステージ上で披露します。笛に合わせての練習となりましたが、やはり先週の経験が活きているようで、みんな飲み込みが早いです。
みんな真剣に練習に取り組んでくれました!!さあ、いよいよステージでの発表です。
発表は全員が舞と小太鼓をローテーションで行いました。保存会皆さんのお手本を見ながらではありましたが、腰を落とす姿勢や小太鼓のリズムも上手にできていました。舞い手は「銚子口の獅子舞」の法被を羽織り、様になっていました。
最後に子ども達からは「思ったより舞がわかりやすかった」や「リズムよく太鼓が叩けた」といった感想がありました。みんな集中して授業を受けて、とても有意義な獅子舞授業となりました。先週末の民俗芸能公開事業に引き続き、銚子口獅子舞保存会の皆様、どうもありがとうございました。
今年度の獅子舞授業はこれで終了となります。銚子口獅子舞保存会並びに赤沼民俗文化財保存会の皆様、ご指導いただきありがとうございました。来年度も引き続き楽しく郷土を学び獅子舞に触れる学習をよろしくお願いします。
【出張授業】でばりぃ資料館in藤塚小学校
令和7年2月13日(木)に藤塚小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
3日連続でばりぃ資料館の2日目です!
風の吹きすさぶ中、資料を抱え、児童のために出張してきました!
この日は図書室と視聴覚室を利用して、「昔の家庭の道具・昔の遊び」と「昔の市の様子・学校の道具・農業」を学んでもらいました。
「昔の家庭の道具・昔の遊び」を学ぶ図書室では、昔の炊事や洗濯に使用されていた道具を展示し、解説しました。
でばりぃ資料館のメニューの中では、ご要望の少ない“昔の遊び”ですが、児童からは大人気です!遊びが印象に残ってしまい、他の道具の印象を薄くしてしまうという側面もありますが、遊びもデジタル化している昨今、電気を使わないおもちゃで楽しく遊ぶというのも貴重な経験ではないでしょうか。
「昔の市の様子・学校の道具・農業」を学ぶ視聴覚室では、約60年前の春日部市の様子や、学校で使われていた学用品を学び、さらには千歯扱きを使った脱穀体験も行いました。
今日は時間も十分に確保でき、内容も盛りだくさんだったと思います!
でばりぃ資料館では児童の座るテーブルや、長机にあらかじめ資料をセッティングしておくため、会場に入ってきた児童はついつい興奮して資料を触りだしてしまうことが多いのですが、藤塚小の児童は興味津々の目で見つめつつも、勝手に触りだす児童がほとんどいないという、こどもらしさと行儀のよさを兼ね備えていました!
帰路につく車内でも、“しっかりしてたね~”と話題に(笑)
しっかり者の藤塚小の児童さんたち、お家から少し遠いかもしれませんが、ぜひ郷土資料館にも来てみてくださいね!
地学さんぽ講座2(ミクロの世界からの地学探究)
2月2日(日)、「春日部市史 自然史編」を活用した連続講座の第2回目、『地学さんぽ講座2』を開講しました。今回の講座では、市内で採取した関東ロームや河畔砂丘の砂を顕微鏡で観察して、ミクロの世界から春日部の成り立ちを探りました。
市内で採取した関東ローム層や市内古利根川や古隅田川沿いに分布する河畔砂丘とのその形成について、自然史編を執筆された講師から説明をいただきました。
今回観察する6~6.5万年前の箱根火山が大噴火し関東平野に降り積もった東京軽石(TP)と呼ばれる火山灰や火砕流(東京軽石流)、火山灰中に含まれる鉱物の色や、形の特徴など映像をみながら座学しました。
観測機器は、双眼実態顕微鏡です。一人1台、各自が春日部の地質や地形を探る観測者となっていただきました。試料は、東中野で採取した関東ローム層や小渕河畔砂丘の砂、さらに2.8万年前に日本列島に広く降った(現.鹿児島湾の海底火山)姶良火山の火山灰(AT)など計7種類を用意しました。
観察前には、採取した土壌や火山灰から鉱物を洗い出すという基礎的な作業をまずは体験。試料の一つは現在の川崎市生田に降り積もった箱根火山の火山灰(約6万年~6.5万年前)を含む土壌を、もう一つは、春日部市東中野付近に堆積した関東ローム層(約3万年前~1万年前)です。各自、採取した土を皿にあけ、水を入れて、指で押し潰して土壌を細かくし、上澄みを捨てるという作業を何度か繰り返し、鉱物をとりだしました。
▲上澄みを捨てる作業を何度も繰り返すと、黒色などの砂粒を取り出すことができました
いよいよ顕微鏡で観察です。ミクロの世界の探求の始まりです。
顕微鏡で観察した状況です。各自スマホなどのライトをあてて砂丘に含まれる鉱物の観察を行いました。
無色透明、まさにガラスの結晶の火山ガラスは(兵庫県春日町(現丹波市)七日町遺跡採取のAT火山灰)、鹿児島県の姶良カルデラから噴出された火砕物で、約2.8万年前と推定されています。形態は板状のガラスでバブルウオール型と呼ばれています。春日部市内の高台に広がる関東ローム層内にも含まれていますが、1350キロも離れた鹿児島湾からの噴出物であるため、肉眼では確認できません。これも顕微鏡の性能のおかげです!
九州から本州一帯、そして津軽海峡もわたって北海道の南部、さらには朝鮮半島と、広域で確認されていることから、この火山ガラスが含まれる層がどこでも同一の時期であることがわかる”指標”となっています。地学だけでなく、考古学の年代探査のカギともなっている貴重な火山からの贈り物です。
観察後は、春日部の地形と地質について説明を受け、土地の成り立ちの考察を深めることができました
次回の「地学さんぽ3」は3月30日(日)、古代の国境であった”古隅田川”沿いを歩きながら川の歴史やはん濫の痕跡、そして、かつては流れが逆流だったというメカニズムを探ってみます。興味がある方は広報3月号をご覧ください。
第11回民俗芸能公開事業「伝える、つなげる、獅子舞の未来」が行われました!
2月9日(日)に第11回民俗芸能公開事業「伝える、つなげる、獅子舞の未来」が行われ、210名の方にご来場いただきました!
今回は、平成25年の第2回開催以来12年ぶりに中央公民館にて開催されたため、職員も保存会の皆さんも戸惑う部分も多くありましたが、皆さまのおかげで無事公演を終了することができました。
ご来場いただいた皆さま、関係者の皆さま、本当にありがとうございました。
当日の様子をご紹介します。
公演1:銚子口の獅子舞①
解説は、銚子口獅子舞保存会会長の川鍋保様から獅子舞の歴史と舞の由縁を説明いただきました。
会長の「道中流しスタート」の掛け声とともに幕が上がると、舞台上には囃子方のみ。『獅子舞はどこに?』と舞台上を探す観客の皆さんの予想を裏切って、会場後方から入場が始まり、会場も一気に盛り上がりました。
客席の前を通って「道中流し」スタートです
舞台上に天狗と三匹獅子が並びます
「天狗の舞」では、天狗様により舞台が清められます。
いよいよ獅子による舞がはじまります。獅子は3匹、女獅子、中獅子(若い獅子)、太夫獅子(壮年の獅子)は獅子頭の外観だけでなく舞の所作が異なります。
「出端の舞」では女獅子が演舞し、獅子舞にも柔らかい仕草がみられます。
続く「中の舞」では中獅子が舞います。舞手が一度は舞いたいと憧れるという解説にも納得!ダイナミックで力強さを感じさせる舞で、女獅子の舞との差は一目瞭然です!また、首を細く振る動作も特徴的でした。
角がある中獅子による「中の舞」
最後の「三切りの舞」は太夫獅子による舞、どっしりとしていて、180度も身体を回転させて踊る勇壮な所作が特徴的です。
公演2:赤沼の獅子舞
解説は、赤沼獅子舞社中 会長の島田定夫様から舞の特徴と由縁を説明いただきました。
本日の演目は舞台仕様で、赤沼神社の祭礼での舞を短縮し、見所を損なわないよう、特徴を見せてくれました。
「宮入り」では大人から子どもまでたくさんの参加していただきました。一番若い子はなんと3歳!小学生や中学生も熱演いただきました。
猿田彦によるお清め
「三番叟」では女獅子と中獅子による舞、続く「太夫獅子の出端」では太夫獅子の登場です!同じ獅子舞でも、銚子口の獅子舞との違いがよくわかります。
「神楽 さかなつり」
通常は夏に披露される演目です。鍾馗様と道化が魚釣りをしているところ、鍾馗様が釣った魚を道化が横取りしようとして退治されてしまいます。そこにピートコとっちゃんが登場して道化を助けます。
赤沼では知らない人はいないという「ピートことっちゃん」。最後には子ども獅子も混ざって楽しく踊りました。
鍾馗様と道化が一緒に釣りをしています
「太夫獅子の練り」
女性舞手で構成された三匹獅子の舞です。女獅子、中獅子、太夫獅子の所作を十分に魅せてくれました。
女性舞手による三匹獅子
「弓くぐり」
秋の演目で舞われる舞です。今回は演目の中でも最大の見せ場シーンを本舞台でも披露してくれました。
竹で作った弓は当日の朝に刈り取り、縁起が良い左巻きの弦を使っています。
こんなに大きい獅子が本当にくぐれるのか?
会場の注目を一心に集めていざその瞬間がやってきました。
太夫獅子が弓をくぐる瞬間
弓くぐりが成功すると会場からも大きな歓声が!
最後の「ぶっきり・さんぎり」は舞台を清めるための舞です。子ども獅子の皆さんが舞ってくれました!
舞が終わると、会長から一人ずつ名前が読み上げられた後、会場の皆さんと心をひとつに三本締めを行いました。
赤沼民俗文化財保存会の皆さん、素敵な公演をありがとうございました!
公演3:銚子口の獅子舞2
銚子口獅子舞保存会の皆さんにより、引き続き舞が披露されます。前半の舞手と交替し、改めて獅子頭を被り直ししました。
「津島の舞」は縁起の良い時には欠かせない、最後に飾るのにふさわしい舞です。
三匹獅子舞による息の合った舞が披露されました。視野の狭い獅子頭を被って三匹獅子を合わせるのは至難。日頃の練習のたまものです。
三匹獅子による津島の舞
最後には本日舞台を作り上げてくださった保存会の皆さんの紹介の後、会場の皆さんと一緒に手締めを行いました。
同じ(現越谷市)下間久里から伝わった兄弟獅子ですが、赤沼とはテンポが違う、両団体の違いを間近にみられて感動したという感想をいただきました。
銚子口獅子舞保存会の皆さん、見ごたえたっぷりの舞を披露いただき、ありがとうございました!
今回ご来場いただいた観客の皆さんからは、「初めてみたので新鮮だった」「解説つきでわかりやすかった」「銚子口と赤沼の獅子舞が全然違くてびっくりした」などのお声をいただきました。
ご来場いただきまして、本当にありがとうございました。
興味を持った方は、ぜひ実際に地元で披露される祭礼にも足を運んでみてくださいね!
*毎年の公開日はこちら
銚子口獅子舞保存会…1月23日に近い日曜日、7月15日に近い日曜日、10月23日に近い日曜日
赤沼獅子舞保存会…7月15日に近い日曜日、10月19日に近い日曜日
*関連ページ
【赤沼獅子舞社中公認】赤沼の獅子舞のホームページ
https://sites.google.com/view/akanumanoshishimai/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0
3/1(土)大凧あげの映像上演会とトークショー(SKIPシティ)
3月1日(土)に、SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザ(川口市)において、令和6年度映像公開ライブラリー上映会とトークショー「春日部大凧あげの魅力」を開催します。
この講座は、埼玉県の施設「彩の国ビジュアルプラザ」が収蔵する映像を上映し、その映像について、ゆかりのある方がお話しする、映像と講演の二部構成になっており、今回、春日部市の大凧あげにスポットが当てられることとなりました。
映像は、平成の初めに制作されたものが上映される予定です。大凧揚げの作り方から、あげるまでの過程を大変よくまとめている記録映像です。これを踏まえて、大凧文化保存会の会長さんに、郷土資料館の学芸員がお話しを聞くかたちで、大凧あげの魅力や見どころ、今と昔の違いなど、様々なテーマでお話しをうかがいます。
宝珠花の大凧あげを見たことがある方も、ない方も、参加費は無料となっておりますので、ぜひご参会ください。
申込みや施設の情報については、彩の国デジタルアーカイブーのHPをご覧ください。
チラシ→チラシPDF.pdf
イベント名:令和6年度第7回上映会とトークショー「春日部 大凧あげの魅力」
日時:令和7年3月1日(土)14時~16時
会場:彩の国ビジュアルプラザ4階 映像ホール(300人定員)入場無料
申込:デジタルSKIPステーション(〒333-0844 埼玉県川口市上青木3-12-63)
TEL:048-260-7777 FAX:048-265-2628
【出張授業】でばりぃ資料館in八木崎小学校
令和7年2月12日(水)に八木崎小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
八木崎小の3年生は全4クラスで人数は100人を超えます。
今日は4クラス合同で体育館を利用しての開催です!
体育館の前方で「昔の家庭の道具」を、後方では「昔の市の様子・学校の道具」を展示し、学芸員が解説をしました。
「火のし」という服のシワを伸ばすために使われた道具には“炭”が使われます。他にも炭は調理や暖房の燃料として使用され、生活に欠かせないものでした。
児童たちに炭の用途を尋ねると「バーベキュー!」という声があがりますが、その他の使い道はなかなかでこないようで、現在の生活における炭の役割の違いに驚いた様子でした。
八木崎小が開校したのは1972年(昭和47年)です。八木崎小ができる前は、周辺のこどもたちは粕壁小に通っていました。
現在も八木崎小の校庭に残る築山(つきやま)は、開校当時の6年生が作るのを手伝ったそうです。50年以上前の卒業生が残していったものだと知った児童からは「え~!?」という声が!まさに八木崎小の歴史を刻む宝の山といってもよいのではないでしょうか!
今日はじっくりと学習時間が確保でき、探検シートを使った学習も進めることができました!自由時間にも探検シートをクリアしようと、質問をしてくる児童が多く見られ、学習意欲を高めてくれた様子でした。
八木崎小のみなさん、今度はみなさんが郷土資料館に遊びに来てくださいね♪
またお会いしましょう!
出張授業「江戸時代の旅籠について」in県立春日部女子高
2月10日(月)、県立春日部女子高等学校にて、出張授業を実施しました。
今回は「かすかべし出前講座」の枠組みで、日本史探求の授業で春日部の近世について学芸員に話してもらいたいと、ご依頼をいただいたものです。
春日部の近世といえば、日光道中。そして、かつての宿場町が女子高から間近にあるということで、今回は、粕壁宿の旅籠についてお話しました。通学路と並走する道が日光道中、すぐ近くが旧宿場町だったこと、知らない方が多かったようです。
授業では、旅籠が発行した領収書や、宿場町に残された古文書・古記録を紹介しながら、旅籠利用の実態や、飯盛旅籠、そして飯盛旅籠で働かせられた飯盛女(飯売女)について、詳しくお話ししました。また、旅籠高砂屋の屋敷絵図面を傍らに、高砂屋に宿泊したイザベラバートの日記や浄瑠璃太夫竹本染太夫の日記などを一緒に読みました。
上の話題(ネタ)は、以前の企画展「旅の途中でひとやすみ」展の成果をもとに仕込んだもの。市民一般の方向けにも何度かお話ししたことのあるもので、普段は90分間でお話しています。今回はそれをギュッと凝縮させましたが、上記の通り、盛沢山の内容だったので、高校の授業55分間、ノンストップでしゃべりっぱなし。話す方も聞いている方も疲れる授業となってしまいました。
けれども、辛抱強く話を聞いてくれた方や、メモを取りながら、時折頷いてくれた方もいました。竹本染太夫の日記に登場する鶴沢万吉と高砂屋おそよとのエピソードに、ほほ笑んでくれた方もいました。
今回は、「粕壁宿の旅籠は、史料でみるとこういうことがわかるんだ!」という、地域史(地方史)としては至極まっとうな内容でしたが、一方的にお話しする形に終始しました。この点は、担当者の人間性(?)や力量に関わるところが大きいと思いますが、反省すれば、私たち学芸員の普段の取り組む地域史(地方史)に関係しているように思います。
地域史(地方史)とは、地元に残される資料に基づきながら、事実を確定させていき、当時の地域(地方)の社会像を明らかにする取り組みです。今回でいえば、粕壁宿オリジナルの資料だけを使って、話を組み立てています。地元に資料が遺されていなければ、明らかにすることができない、わからない、のです。だから、他地域の資料や事例を踏まえるのは「必要ない」。結果、地域の歴史として微細な事実は深まり、地元の方は満足しますが、一般論には昇華しづらいのです。
授業を終えて痛感したのは、学校の授業においては、他の事例を踏まえながら、地域史の断片的な情報を補い、歴史の全体像、時代の特徴などより普遍的な問題へと帰結する必要があることです。それは、上記の地域史(地方史)とは別の次元にある。私たち学芸員は、地域の個別事例にどうしても執着してしまうのですが、地域史(地方史)に胡坐をかかず、他地域の類例や事例を広く理解し、地域個別の事例を一般論のなかに位置付けていく必要があるように感じました。そうした視点があれば、生徒の皆さんの意見・感想を聞き、対話して双方向的な授業ができたように思えます。
いずれにしても、高校生の授業として皆さんに話すに相応しい内容だったのか、話し方、伝え方も見直す必要性を感じました。
博学連携に熱心な先生方のご協力もあり、話した側の学芸員は様々な気づきを得る事になりました。当方どもといたしましても、今後とも、太く長く連携できますことを願っております。先生方、生徒の皆さん、どうもありがとうございました。
【出張授業】でばりぃ資料館in幸松小学校
2月7日、幸松小学校にて「でばりぃ資料館」を開催しました。
幸松小さんは、郷土資料館のヘビーユーザーです。今年度、出張授業などで伺うのは三度目。
今回は、3年生の社会科学習。昔の暮らしや町の移り変わりについての学習です。
以前「幸松っ子くらぶ」の双六大会で一緒に遊んだ子どもたちもいました。こちらも、あちらも顔を覚えていて、もう顔なじみです。
今回の出張授業では、もちろん郷土資料館から出前してきた資料とともに、郷土資料が展示されている「幸松ルーム」を活用し、昔の道具に触れ、体験してもらいました。
普段は見慣れない道具をまじかにして、3年生の皆さんは興奮状態でした。
また、図書室では、1960年代の航空写真をみたり、昔の学校で使った道具や教科書をみたり。幸松小の周りや町の様子、学校の移り変わりについて、お話を聞いてもらいました。
郷土資料館特製のワークシートも併用しながらお話させていただきました。今日の体験を活かして、社会科の学習を深化させていただけると幸いです。
次は、幸松小の皆さんが郷土資料館に来る番です。ぜひ、おうちの方と一緒に遊びに来てください。
来週も再来週も、2月中は市内小学校のでばりぃ資料館が目白押しです。ダブルヘッダーの日もあります。メジャーリーガーの気分になって、楽しみたいと思います。
豊野小学校「獅子舞授業」~赤沼の獅子舞 第2回目~を行いました
2月6日(木)、豊野小学校第3学年の「総合的な学習の時間」では獅子舞授業が行われました。
昨年12月に引き続き、通算で3回目の授業となり、赤沼の獅子舞は2回目の授業になります。
本日は、お忙しいところ、赤沼民俗文化財保存会から9名お越しいただき、ご指導いただきました。
今回の授業テーマは「舞に挑戦してみよう!!」ということで、笛や太鼓も含め、実際にお祭りで舞われている『三番叟(さんばそう)』に挑戦しました。教室ではなく体育館での授業となりました。
『三番叟』は獅子舞を舞う場を鎮め、清める意味を持つ舞で、お祭りで披露される最初の舞となります。まずはお手本の披露です。
続いて4グループに分かれ、舞と笛、太鼓の練習をしました。練習のあとはステージ上での発表となります。果たして上手く舞うことができるのでしょうか。
(左上)講師の方のお手本をもとに舞の練習。みなさん身のこなしが軽い
(右上)大太鼓、小太鼓に分かれての練習。大太鼓はリズムをとるのが難しそう
(左)いつも吹いているリコーダーとの違いは?音は上手く出たでしょうか
短時間の練習でしたが、みなさん集中して真剣に取り組んでくれました。
さあいよいよステージでの発表です。
さすがに笛や太鼓は短時間でマスターすることは難しかったようですが、舞はしっかりと舞うことができていました!子ども達からは、「難しいと思っていたが、教えてもらって上手に舞うことができた」や「また挑戦してみたい」といった感想があり、とても楽しく有意義な時間となりました。
赤沼民俗文化財保存会の皆様、お忙しい中また寒い中、ありがとうございました。次週は銚子口獅子舞保存会の方々を迎えての授業となります。
またこのブログでもお知らせしているとおり、今週の日曜日(2月9日)は中央公民館で”民俗芸能公開事業”を開催します。この獅子舞授業に携わっていただいている「赤沼の獅子舞」、「銚子口の獅子舞」が同じ会場で披露される貴重な機会ですので、ぜひ会場まで足をお運びください。
【出張授業】でばりぃ資料館in小渕小学校
令和7年2月5日(水)に小渕小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
今日は“ちいちゃんの時代にタイムスリップ”というテーマで、2つの空き教室を使用し、「60年前の春日部の様子・昔の家庭の道具」と「昔の学校の道具・昔の遊び」について学習です。
空中写真を観察し、昔は小渕小の周りが田んぼや畑だったことを知りました。また昔の炊事に使用した“羽釜”や、洗濯の時に使用した“洗濯板”“手回し洗濯機”なども紹介しました。
60~100年くらい前の学用品についても学びます。探検シートを使い“石盤(せきばん)”についてのお勉強です。100年くらい前はまだノートが高かったため贅沢には使えず、代わりに石盤を使用して文字や計算の練習をしていました。
電気を使わないで遊ぶことのできる昔のおもちゃたち。
郷土資料館のおもちゃコーナーにも置いてある“板返し(パタパタ)”など、初めて見るからくりおもちゃに大興奮していました!
「ぜったい資料館行く!」と言ってくれた児童さん、待ってますよ(笑)
ありがたいことに今年は“でばりぃ資料館”の依頼がたくさん届いており、2月だけでも10校の小学校にお伺いする予定です!
職員一同、児童のよい学びになるよう頑張って出張ってきます!
作家三上於菟吉の講演会を開催しました。関連の特別展示は開催中です。
令和7年2月1日(土)午後、大凧文化交流センター ハルカイト において、大正文学研究者である湯浅篤志先生をお迎えして、三上於菟吉顕彰会と共催で歴史文化講演会「『百万両秘聞』の中の春日部」を開催いたしました。
ご講演は春日部市西宝珠花が舞台の一つとなっている「百万両秘聞」について、三上於菟吉の作品の中での位置、作品に見られる江戸川と西宝珠花周辺、大正から昭和初期にかけての大衆文化、映画と作品との関連などをわかりやすく解説していただきました。市民の方をはじめ、市外・県外からも含めて50名近くの方が受講され、大変好評のうちに終えることができました。
作家三上於菟吉は、明治24年(1891)桜井村木崎(現春日部市木崎)に生まれ、昭和19年(1944)幸松村八丁目(現春日部市八丁目)で亡くなった、大正から昭和前期を代表する大衆作家です。代表作「雪之丞変化」は、何度も映画化され、現代でもドラマや演劇の原作となっています。昭和10年(1935)に直木賞が創設されると、初代の選考委員を務めました。
後半には、1月に『百万両秘聞』を復刻された直木賞研究者の川口則弘先生と三上於菟吉顕彰会会長を交えて、トークショーを開催し、楽しいお話を伺うことができました。
イベント開催に合わせまして、3月2日(日)まで、大凧文化交流センター ハルカイト(火曜休館 火曜が祝日の場合は翌平日休館)、庄和図書館(期間中休館日なし)、郷土資料館(月曜・祝日休館)では、三上於菟吉を特集した展示を開催し、各会場を巡るスタンプラリーを開催しております。ハルカイトでは旧制粕壁中学校時代に作品を投稿した雑誌「文章世界」を、庄和図書館では関連図書を、郷土資料館では谷崎精二へ献本した処女作『春光の下に』などを展示しております。
▲大凧文化交流センター ハルカイト の特別展示
雑誌「文章世界」 雑誌「早稲田文学」 処女作「春光の下に」 三上於菟吉全集 長谷川時雨全集
▲郷土資料館での特別展示
雑誌「しれえね」 処女作「春光の下に」(谷崎精二へ献本) 他に自筆書簡・色紙・短冊など
郷土ゆかりの作家三上於菟吉と作品につきまして、皆さまが訪ねていただける機会となりましたら、幸いです。
【出張授業】でばりぃ資料館in武里南小学校
令和7年2月4日(火)に武里南小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
武里南小の3年生は、実は昨年の9月に郷土資料館に見学に来てくれています。
見学に来たことがまだまだ記憶に新しいようで、どうやら職員の顔まで覚えている様子♪
普段よりちょっと親近感のわくでばりぃ資料館の開催となりました(笑)
今日は少人数教室と多目的室の2部屋を利用しました
少人数教室では、空中写真から約60年前の武里南小周辺の様子を観察したり、千歯扱きを使って脱穀の体験をしました。
千歯扱き体験の時には、児童から「おぉ~!!」と、大盛り上がり!もはや脱穀フェスです!
しかしながら、力を使うこと、手間や時間がかかることなど手作業の大変さも伝えられたと思います。
多目的室では昔の家庭や学校で使われていた道具の紹介をしました。
機械化される以前の洗濯や炊事の仕方など、今では見ない道具に児童は目を輝かせていました。
最後に感想や質問をもらったのですが、「昔の人が使っていたものが知れてよかった」「昔の人の道具の工夫が知れてよかった」など、現在とは異なる知恵と工夫で暮らしていたことを実感してもらえたようです!
話を聞くときはしっかりと聞き、楽しむときは存分に楽しむ姿が印象的な武里南小3年生でした!
≪まもなく開催≫第11回春日部市民俗芸能公開事業「伝える、つなげる、獅子舞の未来」
第11回春日部市民俗芸能公開事業「伝える、つなげる、獅子舞の未来」の開催まで、残り1週間を切りました。
職員も当日に向けた準備に奔走しています。
開催に向けて、公演の見どころを紹介します!
その1…“ここでしか見れない”
公開事業って…?無形民俗文化財となっている伝統芸能はいつでもどこでも見れるわけではありません。
普段は神社の境内で神様に向けて奉納される年中行事。そのため、年に数回しかチャンスはありません。
ですが…公開事業では特別に、舞台上で披露していただきます。複数団体による公演も本日のみどころのひとつ。さらに、保存会のベテランさんからわかりやすい解説つきです!
その2…“保存会の特色”
市内に8つある無形民俗文化財保存団体のうち、「銚子口の獅子舞」「赤沼の獅子舞」を継承する2つの団体が出演、獅子舞を披露いただきます。
今年はどちらも獅子舞を継承する団体で、衣装や舞、お囃子、そして獅子頭にも、細かい部分に違いが見られます。
同じルーツを持っていても、守り伝えてきたなかで特色が出るがおもしろい部分です。
公開事業も11回目となりますが、この2団体の組み合わせで獅子舞をご覧いただける機会も公開事業ならではのチャンスです。
- 銚子口獅子舞保存会
元禄10年(1697)に、越谷市の下間久里から伝わった獅子舞です。 「一人立三頭獅子舞」という形式で「天狗の舞」や「出端の舞」など、勇壮な舞が特徴的です。毎年1月、7月、10月の年3回、銚子口香取神社で獅子舞が公開されます。今回の公演では、3匹獅子の息が合った所作を特徴とする「津島の舞」が見どころです。 - 赤沼民俗文化財保存会
享保3年(1718)に、伝わった銚子口、東中野の獅子舞と同じ系統の獅子舞です。勇壮な舞が特徴で、獅子舞と神楽が共存することから、「神楽獅子」とも呼ばれています。毎年7月、10月の年2回、赤沼神社で獅子舞が公開されます。今回の公演ではめでたい「鯛」を釣り上げる「さかなつり」や豊作を祈願する「弓くぐり」が披露されます。
その3…“未来へつなげる獅子舞”
今回のテーマ「伝える、つなげる、獅子舞の未来」は、近年保存会が直面している「後継者不足」が関わっています。
江戸時代より300年以上続いてきた伝統芸能も、これまでと同じように継承していくには様々な困難が伴います。
今回出演していただく両保存会が特に取り組んでいる、子どもや女性にも後継者になってもらうこと。
今年度には豊野小学校への「獅子舞授業」が始まったり、新たな女性舞手も地域からも誕生しました。次世代への文化継承へ向けて活動する両保存会にとっても飛躍の年となりました。
当日は、子ども獅子や女性舞手による演目も予定しています。
さて、ここまで第11回公演のみどころを簡単に紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?
はじめて見るという方も、すでに知っているという方も、興味を持ってくださった方は会場まで足を運んでいただけると嬉しいです。会場でお待ちしています!
~当日の情報はこちら~
日時:令和7年2月9日(日曜日)午後1時10分~午後3時20分《予定》「
会場:粕壁市民センター(中央公民館)講堂兼体育館
出演団体:銚子口獅子舞保存会、赤沼民俗文化財保存会
定員:300人(無料、申込不要)
当日予定演目:
銚子口の獅子舞「道中流し」、「天狗の舞」、「出端の舞」、「中の舞」、「三切りの舞」、「津島の舞」
赤沼の獅子舞「宮入り」、「三番叟」、「太夫獅子の出端」、「神楽 さかなつり」、「太夫獅子の練り」、「弓くぐり」、「ぶっきり・さんぎり」
さらに詳しく知りたい方は春日部市ホームページまで↓
https://www.city.kasukabe.lg.jp/eventjoho/eventjoho_bunka_geijutsu/24335.html
市民の方から、戦後の小中学校の通信簿をご寄贈いただきました
郷土資料館には収蔵品が数えられるだけで9万点ほどありますが、その約9割は、市民の皆様からの寄贈品、寄託品で成り立っています。
先日、豊春小学校、豊春中学校の卒業生の方から、ご自身の通信簿(通知票)をご寄贈いただきました(画像のお名前は伏せています)。
まず、驚いたのは、小学校1年生~6年生、そして中学校1~3年のものがすべてそろっていること。
小学校1年の通信簿は、昭和23年(1948)3月付けですから、豊春村立豊春小学校です。資料は下の通り。
この年度(昭和22年9月)にはカスリン台風による水害も発生しています。戦後、直後とあって物資等がまだ豊かになかった時代でしたから、わら半紙にガリ版刷りの簡素な通信簿兼修了証です。紙質は決して良いとはいえないので、「よくぞ遺った」と思える通信簿です。戦後の学校・教育の様子をよく伝えてくれる大変貴重な資料です。
2年生からは、業者が印刷した規格化された通信簿となります(最初の画像は2年生のもの)。
寄贈者の方からもお話いただきましたが、当時は、給食はまだなく、学校にお弁当を持ってきていたそうです。卵焼きや梅干しがあれば上等だったそうで、貧しい家庭では、ごはんの下に芋を敷き、かさまししたお弁当だったそうです。また、小学校5年生のころまでは、疎開していた家庭がいたそうです。
中学校の通信簿も興味深いものになっています。
中学校の通信簿は、1年から3年までの共用で、五段階評価になっています。
当時の世相がうかがえるのは、画像の右隅の欄。
寄贈者いわく、「当時、豊春中では高校へ進学する人はほとんどいなかった。中学校三年生になると、英語(外国語)の授業はやらず、裁縫など家庭科の授業をした」とのこと。当時は、中学校を卒業し、家業(農家)を継ぐ人、職人の弟子になって仕事を身に着ける人が多かったそうです。豊春中学校だけでなく、周辺の中学校も同様だったそうです。
資料から時代がみえるのは、寄贈いただいた方のお話しや様々な想いがあってのこと。
今回の寄贈にあたって、カスリン台風のことや、戦後直後の学校の様子、豊春地区の様子など、さまざまなこともご教示いただきました。資料だけでなく、伺ったお話しもきちんと記録・保存し、郷土資料館の事業に活用させていただきたいと思います。
ご寄贈者の方、お取次ぎいただいた関係者の皆様に感謝申し上げます。
【東部地区文化財担当者会リレー展示_都鳥が見た古代】八潮市立資料館で「八潮はじまりのムラ」が開催されています
八潮市立資料館で東部地区文化財担当者会リレー展示「八潮はじまりのムラ」が開催されています。
八潮市立資料館は、東武スカイツリーライン草加駅の東方、約2㎞の場所にあり、草加駅東口からバス、徒歩で行くことができます。
展示は、主に2階の企画展示室で行われ、約180点の資料が所せましと並べられています。
写真は産地別の須恵器の展示です。奈良時代、平安時代の須恵器は、”かま”で焼かれますが、関東地方では、関東平野を囲む丘陵地帯に”かま”がつくられ、それぞれの”かま”で使っている粘土が変わります。須恵器に含まれる細かい粒子などを虫眼鏡で観察することによって、その須恵器がどこの”かま”で作られたものか、推定することができます。
展示では、八潮市の八條(はちじょう)遺跡の資料も多く展示されています。八條遺跡は、約1200年前の平安時代の集落で、八潮市域の「はじまりのムラ」です。
また八條遺跡の周辺には、古代に作られた「八條条里(はちじょうじょうり)」が広がっていたと言われ、八條条里に関する資料も展示されています。
企画展がはじまった1月25日(土曜日)の午後、考古学講座受講者の皆さんと、八潮市立資料館の学芸員さんに解説いただきながら展示を見学しました。説明をききながら、たくさんの資料をじっくり見ていると、あっという間に2時間が過ぎてしまいました。
展示の詳細は下記の通りです。2月23日には、東部地区文化財担当者会のメンバーが講演するリレー講演会も開催します。
●東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「八潮はじまりのムラ」
会期:1月25日(土曜日)から3月9日(日曜日)
開館時間:9:00から17:00
休館日:月曜日、2月12日、2月25日
入館料:無料
展示解説会
第1回 令和7年2月1日(土曜日)午後2時から3時まで
第2回 令和7年3月2日(日曜日)午後2時から3時まで
申込:不要
八潮市立資料館へのアクセス:東武スカイツリーライン草加駅東口から八潮駅北口行き、八潮団地行き、木曽根行きバスで「手代橋(てしろばし)」下車、徒歩5分
●東部地区文化財担当者会40周年記念リレー講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」
日時:2月23日(日曜日・祝日)13:30から17:00
場所:八潮市立資料館(八潮市大字南後谷763番地50)
定員:70人(申込順)
費用:無料
講師:鬼塚知典(春日部市)、守谷健吾(杉戸町)、篠田泰輔(行田市)、杉山和徳(白岡市)、関絵美(八潮市)、油布憲昭(幸手市)
申し込み:電話(048-997-6666)、窓口、電子申請
*リレー展示は、下記日程で開催予定です。
1月25日から3月9日 八潮市立資料館 資料展示
3月15日から4月8日 白岡市立歴史資料館 資料展示
4月12日から4月29日 吉川市中央公民館 パネル展示
5月3日から5月25日 久喜市立郷土資料館 資料展示
6月3日から7月21日 幸手市郷土資料館 資料展示
7月29日から8月24日 蓮田市文化財展示館 資料展示
9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示
10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示
令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示
展示の元になっている東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」も好評発売中です。詳しくはこちら
川辺小学校の3年生が郷土資料館を見学しました
令和7年1月31日(金)に川辺小学校の3年生が郷土資料館を見学しました。
今日は社会科の校外学習の日とのこと。
3年生2クラスが1クラスずつ入れ替わる形で市役所本庁舎と郷土資料館を見学です。
市役所から郷土資料館までは歩いて移動してきたらしく、川辺小のこどもたちにとっては見慣れない景色の中を歩くだけでも特別感があったのではないでしょうか。
郷土資料館では縄文時代の竪穴建物の模型前での解説、江戸時代の粕壁宿模型前での解説、そしてくらしのうつりかわり展で60~100年くらい前の人々の暮らしの様子を解説しました。
竪穴建物の「炉」には、建物内部の照らす“照明”、調理をするための“コンロ”、暖を取るための“暖房”としての役割がありました。現代においても生活する上で火を使うことがありますが、電気のない時代は、炉という一つの火に様々な役割を持たせていたんです。
粕壁宿は日光街道の宿場町の一つです。
江戸から粕壁宿までは約35.6km。江戸から日光へ向かう初日の宿場町として使われることもあったようです。
企画展示室では昔の生活に使われた道具などの展示を見てもらい、さらに脱穀のときに使われた“千歯扱き(せんばこき)”の体験をしてもらいました。
体験した児童だけでなく、見ている児童からも「うわっ、めっちゃ気持ちいい~」との声!まるで自分か体験しているかのよう!共感力高いです(笑)
川辺小は郷土資料館からやや離れており、近年はでばりぃ資料館で学校にお邪魔することが多かったのですが、久しぶりお越しいただき嬉しい限りです!
でばりぃ資料館では実寸大の模型などは見せられないので児童にも良い体験になったのではないでしょうか。
なかなか児童だけで来館することは難しいかもしれませんが、保護者の方と近くに来た際にはぜひまたお越しください!
【出張授業】「でばりぃ資料館」in備後小学校
1月30日(木)、備後小学校で「でばりぃ資料館」を実施しました。
「でばりぃ資料館」は、郷土資料館から学芸員が現物資料を背負ってきて、学校にお邪魔する出張授業。
「でばりぃ」とは、「デリバリー」と「出張る(でばる)」を掛け合わせた造語です。
今回は、3年生の社会科学習「市の様子と人々のくらしのうつりかわり」について、お話ししました。
本来は、多目的教室を会場にして実施する予定でしたが、成り行きで3年生の教室でセッティング。前の時間が体育だったので、児童の皆さんがいぬ間に、授業の準備。
普段は床面に広げている60年前の航空写真は折りたたんで、黒板に貼り付け。
学校で保管している古い道具も設置し、準備万端。
担当者は一人、3年生の教室で体育が終わるのを待っていました。
授業が終わると、元気な少年たちが「なんだーこれー」「さわってもいいですか」「これ知ってる」など大騒ぎ。
学校の先生いわく「入れ食い状態」でした。
興奮気味の皆さんでしたが、授業が始まると、きちんとお話を聞いてくれました。
授業のために用意してくれていたメモにもびっしり書いてくれた子も多くいました。
郷土資料館特製のワークシート「たんけんシート」を使いながら、一通り説明した後、自由時間。実際に持ってみたり、使ってみたり。最後は感想も話してくれました。
現物をみたり、さわったりしなければ、わからないことも沢山あったかと思います。物足りなかった人、もっと知りたい人はぜひ郷土資料館におうちの人と来てくださいね。
1月の考古学関係展示会、イベント情報
1月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。
(毎月28日ごろに掲載します。掲載後も随時、情報を更新します。)
(春日部市郷土資料館ーいずれも考古学ではなく歴史文化(近世)の講座です。)
・2月15日(土曜日)14:00~歴史文化講演会 青木文彦氏「天正18年の岩付、糟壁とその周辺」
電子申請はこちら
・3月2日(日曜日)14:00~ 歴史文化講演会 坂本達彦先生「合戦場宿一件にみる庶民生活の一側面~日光道中の宿場と周辺村落~」 *2/5(水)から受付開始
・3月22日(土曜日)10:00~ 歴史文化講演会 塚越義幸先生「『奥の細道』を読む~草加から日光あたりまで~」 *2/5(水)から受付開始
(東部地区文化財担当者会リレー展示ー都鳥が見た古代)
・1月25日(土曜日)~3月9日(日曜日)「八潮はじまりのムラ」 八潮市立資料館(資料展示)
*2月23日(日・祝)13:30~八潮市立資料館でリレー講演会開催予定
(展示会_閉会日順)
・1月31日(金曜日)まで 城郷小机地区センター(神奈川県横浜市港北区)横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター 横浜の遺跡展「発掘された小机城―令和3・4年度小机城跡埋蔵文化財試掘調査成果速報展―」
・2月2日(日曜日)まで 飛ノ台史跡公園博物館(千葉県船橋市)
「縄文と弥生―船橋の縄文晩期と弥生時代―」
・2月2日(日曜日)まで 栃木県立博物館(栃木県宇都宮市)
「死者と生者の古墳時代~下野における6・7世紀の葬送儀礼~」
・2月2日(日曜日)まで 埼玉県立さきたま史跡の博物館(埼玉県行田市)
ほるたま展2024 「古墳時代の祈り」
・2月9日(日曜日)まで 千葉県立中央博物館(千葉市中央区)千葉県教育振興財団設立50周年記念展part1 「地中からのメッセージ~旧石器・縄文・弥生~」
・2月16日(日曜日)まで しもつけ風土記の丘資料館(栃木県下野市)
令和6年度企画展「下野市内の遺跡Ⅲ 飛鳥・奈良・平安時代」
・2月24日(月曜日)まで 北茨城市歴史民俗資料館(北茨城市) 「発掘‼いばらき2024-茨城県教育財団調査遺跡紹介展-」茨城県教育財団
・2月28日(金曜日)まで 神川町多目的交流施設(児玉郡神川町)
「かみかわの古墳を知ろう7~海老ヶ久保の古墳~」
・2月28日(金曜日)まで 市原市歴史博物館(千葉県市原市) 「知られざる上高根貝塚ー市原最南端の貝塚ー」
・3月2日(日曜日)まで 千葉市立加曽利貝塚博物館(千葉県千葉市) 令和6年度企画展示 加曽利貝塚E地点・B地点発掘100周年記念「あれもEこれもE―加曽利E式土器(総括編)―」
・3月2日(日曜日)まで かみつけの里博物館(群馬県高崎市)
第32回特別展 「子持勾玉―群馬県内出土品を集めてわかったこと―」
・3月2日(日曜日)まで 埼玉県立嵐山史跡の博物館(比企郡嵐山町)
企画展「城ってなんだ」
・3月9日(日曜日)まで 毛呂山町歴史民俗資料館(入間郡毛呂山町)
第22回特別展「堂山下遺跡ヒストリア-渡河点の宿と交通路-」
・3月23日(日曜日)まで 早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター(本庄市)
本庄早稲田の杜地域連携展覧会 「古代の児玉・深谷地域」
(現地説明会)
・2月15日(土曜日) 10時00分~13時00分 埼玉古墳群愛宕山古墳現地見学会(行田市) さきたま史跡の博物館
入場無料 申し込み不要(時間内受付)
・2月19日(水曜日)・2月22日(土曜日)雉岡城発掘調査現場見学会(本庄市) 本庄市教育委員会
19日は第1回午前10時00分~、第2回午前11時00分~、第3回午後1時30分~、第4回午後2時30分~
22日は第1回午後1時30分~、第2回午後2時30分~。全て同内容。所要時間約30分。受付は15分前から。
・3月8日(土曜日) 午後2時~3時30分 鳳原遺跡(茨城県牛久市) 茨城県教育財団
・3月8日(土曜日) 午前10時30分~12時 谷田部陣場西遺跡(茨城県つくば市) 茨城県教育財団
(講演会)
・2月1日(土曜日) 13:30~ 袖ケ浦市民会館(千葉県袖ケ浦市) 令和6年度山野貝塚講演会「山野貝塚から 縄文時代のムラの形態を探る -山野貝塚と周辺遺跡の調査事例から-」 入場無料 申し込み不要
・2月22日(土曜日) 13:00~ 五霞町中央公民館(茨城県五霞町) 五霞町歴史シンポジウム「五霞の先人を知るー縄文人骨と一式輝季」 入場無料 申し込み不要
・3月2日(日曜日) 13:30~ 笠間市立笠間公民館(茨城県笠間市) 第10回笠間歴史フォーラム「笠間城を考えるII」 入場無料 申し込み不要
【出動!出張授業】「でばりぃ資料館」in豊春小学校
令和7年1月28日(火曜日)に豊春小学校に出向き、第3学年の児童に向けた、『でばりぃ資料館』を開催しました。
空き教室を使用し、昔の学校の道具、昔の家庭の道具、約60年前の春日部について、お話を聞いてもらいました。
約60年前の春日部では、空中写真を眺めてもらいました。
豊春小学校の周りもふくめて、春日部にはたくさん田んぼがあったことをお話ししました。
昔の学校の道具についてのブースでは、教科書や給食の食器、ランドセルなどを見てもらいました。「石ばん」が、子どもたちがノートの代わりにつかう道具だったことを「くらしのうつりかわりたんけんシート」を使って説明しました。
昔の家庭の道具についてのブースでは、羽釜や洗濯板、火のし、黒電話などを展示しました。
羽釜(はがま)と炭火アイロンは、豊春小学校昇降口の郷土資料展示コーナーに展示しているものを使いました。
今日のでばりぃ資料館で、知ったことやさわった道具のことを、ぜひおうちの方やおじいちゃん、おばあちゃんにお話しして、世代間のコミュニケーションが活発になればいいなと思います。
歴史文化講演会「タタラ山遺跡と花積下層式土器」を開催しました
1月19日、日曜日、白岡市の奥野麦生先生をお招きして歴史文化講演会「タタラ山遺跡と花積下層式土器」を開催しました。奥野先生には、大変わかりやすくご講演いただきました。また多くの方にご来場いただき、誠にありがとうございました。
タタラ山遺跡は、JR白岡駅の西方、白岡市白岡に所在します。元荒川を眼下にのぞむ大宮台地白岡支台の西側縁辺、標高13~15mの台地上に立地します。これまでに11回の発掘調査が行われ、80軒以上の竪穴建物跡が確認されており、このうち約60軒が花積下層式期の建物跡でした。
ご講演は、縄文時代前期の花積下層式土器は、後に「花積下層式土器」と呼ばれる縄文土器が初めて見つかった春日部市の花積貝塚が元になっていることから始まりました。
タタラ山遺跡については、2次調査の内容を中心にお話しいただき、花積下層式期の竪穴建物の様子や花積下層式の全体形がわかる土器が多く出土したことで、2次調査以前はよくわからなかった花積下層式期の様子がわかるようになったことやタタラ山遺跡で花積下層式期の石製装飾品が多く出土していることなどが紹介されました。
また、タタラ山遺跡内での集落の変遷や大宮台地内での縄文時代前期の拠点集落の移動など、タタラ山遺跡が縄文時代前期の研究に欠かせない重要な存在であることをお話しいただきました。
参加者のアンケートからは「縄文海進の影響を受けて集落が移動することを知った」、「集落と地形の関係がよくわかった」などのご意見をいただきました。
白岡市と春日部市は隣接しており、文化財分野では普段から情報交換をしながら、日々の仕事に取り組んでいます。地域の文化財は市域にとどまらない様々な情報や研究が必要であり、今後も連携した事業を展開していきたいと思います。
でばりぃ資料館「戦時下の春日部」(桜川小6年・社会科)を実施しました。
2025年1月23日(木)桜川小学校にて「でばりぃ資料館」(出張授業)を実施しました。
今回は、小学校6年生の社会科「長く続いた戦争と人々のくらし」の学習での出張授業です。
教科書には、アジア・太平洋戦争の時代の春日部がどうだったのか、どんなことがあったのか、書かれていません。戦時下の春日部で起こったできごと、人びとの考えや思いについて、当時の写真や資料から考えてもらいました。
写真は、出征された方に送られた日の丸です。知り合いの方々から、寄せ書きがされているものです。
授業では、ワークシートをつかいながら、(1)春日部では空襲がなかったというが、被害はなかったのか。(2)地域の人たちはどのように暮らしたのか。(3)出征した人たちはどんな思いだったのか。(4)南桜井の今、昔。(5)南桜井の資料を読んでみよう。の5つの柱でお話ししました。
(1)春日部では被害がなかったのか。このことを知るには、記録に残りにくいという事実がありますので、当時を知る方にお話を聞くのが一番近道です。児童の皆さんには、春日部市視聴覚センターの教材作成事業で制作した「日本の歴史~その時春日部は~」のなかの昭和4年生まれの方のインタビュー映像をみてもらいました。たしかに、空襲の被害がなかったのですが、アメリカの飛行機が廃棄した焼夷弾が小学校に落ち、近くの民家で亡くなった方がいたことや、戦闘機の機関銃に撃たれ、間一髪のところで助かったという話を聞いてもらいました。
(2)春日部市域の人たちは、出征した家族を思い、無事に暮らしていることをアピールする写真や手紙を戦地の家族に送っていることがわかりました。戦争が長引いて物資が不足してくると、切符を使って物資を買わなければなりませんでした。春日部の代名詞の大凧の文字も、1940年には「八紘」「一宇」という戦争・侵略のスローガンを掲げていることも紹介しました。
(3)出征した人たちについては、出征した人は肩から襷をかけ、日の丸に見送られて戦地にいきました。そのことは小学校三年生の国語の学習「ちいちゃんのかげおくり」の一節にも登場します。家族から贈られた千人針などを身に着け、無事に帰って来られる方もいましたが、戦地で命を落とす方もおり、町や村での葬儀を執行することも少なくありませんでした。
(4)南桜井駅周辺は、戦争の歴史と大きな関わりがあります。南桜井駅(当時は米島仮停車場)が現在地に設置されたのは1943年。戦時下、真っただ中のことです。駅の北側は、時限爆弾の信管などを製造する軍需工場がありました。桜川小学校も工場の敷地の一部で、当時は私立の青年学校がありました。桜川小学校周辺の道路や区画などは軍需工場以来のものを今に伝えています。
(5)最後に、南桜井村の記録「南桜井村報」を皆さんと読んでみました。1939年11月に発行されたもので、村役場からの通達などのお知らせの印刷物です。「南桜井村報」5-11には、南桜井村から出征し、戦死された森源太郎さんの略歴、中隊長からの遺族への手紙、村での葬儀執行について記されています。森さんは、21才で臨時召集がかかり、戦地に出征しますが、昭和14年4月28日に砲弾の破片が原因で戦死されました。略歴には、「〇〇渡河戦ニ参加」というように具体的な戦地は伏せられており、どこで戦い、どこで亡くなったのか、知らされることがありませんでした。亡くなった日に階級があがり、後に勲章をもらいました。村の葬儀では、皇后陛下より御菓子御歌を下賜されました。「村報」では「栄誉の極めであります。」と綴っています。市域から出征した方の内、亡くなった方は1017名。南桜井村では117名の方が命を落としました。
そして、森源太郎さんの名前は、桜川小の皆さんの身近なところに刻まれていることも紹介しました。
一つは、西金野井香取神社の参道の脇にある「招魂碑」(昭和27年建立)。南桜井村の戦没者慰霊碑です。
もう一つは、庄和総合公園(今は、レジデンシャルパークSHOWA、といいます)のなかにある慰霊碑(昭和62年建立)。庄和町の戦没者慰霊碑です。
普段みかけている風景、石碑でしたので、身近に感じてもらえたようです。
戦争の話をするのは、話す側も辛い、悲しいのですが、皆さん、授業時には、真剣な表情で話を聞いてくれました。授業後の休み時間には、持参した戦時期の資料を触ったり、かぶったり、詳しくみたり、ワイワイがやがや、楽しく見てくれたようです。「石碑を見に行ってみたい」などの感想や、「おばあちゃんが軍需工場で働いていた」など自分の知っていることを授業と接続して理解してくれた児童もいました。
身近なところに80年前の戦争の歴史が残っている。さまざまな痕跡や資料かあ、身近な人たちを守ろうとした先人たちの気持ちや、戦争の悲惨さ、平和への思いについて考えてもらえる機会になりましたら、授業に出向いた甲斐があったのかな、と思います。
戦時期の歴史を対象にした出張授業は、実に6年ぶりでした。縄文時代の学習もよいですが、戦時期の学習は、歴史学習のなかでも現代に直結する重要な学習であると思います。小学校の先生方には、今後も出張授業のオファーをお待ちしていますので、引き続き、よろしくお願いいたします。
2/23リレー講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」開催
東部地区文化財担当者会40周年記念リレー講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」の開催が決定しました。
埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代の遺跡や資料について、東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」をまとめた東部地区文化財担当者会考古部会のメンバーが報告します。
昨年9月に台風で中止となった春日部市郷土資料館「都鳥が見た古代」で開催予定だったリレー講演会とほぼ同内容になります。
どうぞ、奮ってご参加ください。
●東部地区文化財担当者会40周年記念リレー講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」
日時:2月23日(日曜日・祝日)13:30から17:00
場所:八潮市立資料館(八潮市大字南後谷763番地50)
定員:70人(申込順)
費用:無料
講師:鬼塚知典(春日部市)、守谷健吾(杉戸町)、篠田泰輔(行田市)、杉山和徳(白岡市)、関絵美(八潮市)、油布憲昭(幸手市)
申し込み:電話(048-997-6666)、窓口、電子申請
なお、八潮市立資料館では、1月25日より3月9日まで、東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「八潮はじまりのムラ」が開催されます。この機会に、ぜひ八潮市立資料館にお出かけください。
●東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「八潮はじまりのムラ」
会期:1月25日(土曜日)から3月9日(日曜日)
開館時間:9:00から17:00
休館日:月曜日、2月12日、2月25日
入館料:無料
八潮市立資料館へのアクセス:東武スカイツリーライン草加駅東口から八潮駅北口行き、八潮団地行き、木曽根行きバスで「手代橋(てしろばし)」下車、徒歩5分
*リレー展示は、下記日程で開催予定です。
1月25日から3月9日 八潮市立資料館 資料展示
3月15日から4月8日 白岡市立歴史資料館 資料展示
4月12日から4月29日 吉川市中央公民館 パネル展示
5月3日から5月25日 久喜市立郷土資料館 資料展示
6月3日から7月21日 幸手市郷土資料館 資料展示
7月29日から8月24日 蓮田市文化財展示館 資料展示
9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示
10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示
令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示
展示の元になっている東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」も好評発売中です。詳しくはこちら
郷土資料館【手作りおもちゃクラブ】を開催しました
令和7年1月19日(日) の午前と午後各1回ずつ、郷土資料館手作りおもちゃクラブ「BB弾転がしを作ろう!」を開催しました。
まずはおもちゃ作りの前に、郷土により親しんでもらうため、春日部に伝わる伝説の紙芝居の読み聞かせをしました。
今日は西金野井に伝わる「生きている彫り物」という、花蔵院の四脚門に纏わる伝説のお話でした。
次はおもちゃ作りの時間です。
手作りおもちゃクラブでは初お披露目となる「BB弾転がし」を作りました。
本来は自由な発想でコースを作ってほしいのですが、まずはみんなで一緒に同じものを作って、コース作りのコツを感じてもらいました。
コースにイラストを張り付けることで見た目もかわいくなりました♪もちろん自分で絵や文字を書いてもオッケー!
簡単にしたい場合はイラストやシールで穴をふさいだり、もっと難しくしたい場合は穴を増やしたり、大きくしたりして自分好みの難易度にすることもアドバイスしました。
みんな集中して遊んでいます!
真剣になると息が止まりがち(笑)
最後は恒例の缶バッジ作りです。
絵柄も今日のBB弾転がしをモチーフにした書き下ろしです!
落下して慌てるぐうすけがかわいい♪
これにて今年度の手作りおもちゃクラブは終了となります。
今年度もたくさんこどもたちの笑顔をみることができて、担当者としても嬉しい限りです!
時期は未定ですが次年度も開催を予定しています!
開催が決まりましたら広報かすかべや郷土資料館のブログなどでお知らせしますので、ぜひチェックしてください!
【手作りおもちゃクラブ】BB弾転がしを作ろう!
1月19日(日)に“手作りおもちゃクラブ”を開催します。
今回作るおもちゃは「BB弾転がし」です。
郷土資料館のおもちゃコーナーで、一部のこどもから熱狂的な支持を集めるおもちゃがあります。それがこの“ビー玉転がし”です!
ときどき“作り方が知りたい”という声をいただくのですが、用意する箱の形や大きさによって仕切りの長さも、作れる仕掛けも異なるため、決まった作り方があるようでなく、なかなか作り方を教えにくいおもちゃでした。
そこで考え出されたのが今回の“BB弾転がし”です!
『箱の形や大きさが違うと教えにくいなら、同じ箱を作ってしまえばいいじゃない』という発想のもと、画用紙で同じサイズの箱を作ってしまうことにしました!
画一的にはなってしまいますが、まずは基本的なものを1つ作ってもらうことで、おもちゃの仕組みを理解してもらえればと思います。そしてゆくゆくは自分オリジナルのBB弾転がしを作ってもらえればと♪
ビー玉転がしと比べてサイズは小さめですが、想像以上に難しく、やりごたえは抜群です!
遊び方はコチラ!
穴の位置や数をどれだけ作るかによって、いくらでも難易度が調整できますよ!
ハマりすぎ注意です(笑)
手作りおもちゃクラブは申込不要、おもちゃの材料も資料館で用意しています。
当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!
【手作りおもちゃクラブ】
日時:令和7年1月19日(日)午前10時30分~・午後2時~
場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)
内容:蓄音機と紙芝居の上演
おもちゃづくり(BB弾転がし)
費用:無料
申込:不要(開催時間までに郷土資料館にお越しください)
謹賀新年「巳」ゆかりの地名と資料
あけましておめでとうございます。
正月一発目は、恒例の干支ゆかりの資料の紹介。今年の干支「巳」に関する資料を紹介します。「巳」がつく地名が市内にあること知っていますか?
市内には「巳」のつく地名が二つあり、一つは、武里中野の「巳ノ発」、もう一つは大畑の「東巳ノ起」「西巳ノ起」です。
現代の地図では「巳ノ発」は、現在の春日部南中学校(旧中野中学校)の周辺、「東巳ノ起」「西巳ノ起」は武里団地6街区の南東の安之堀川と新方川が合流する付近になります。
漢字は異なりますが、読み方は共通していて、「巳ノ発」は「みのおき」、「東巳ノ起」は「ひがしみのおき」、「西巳ノ起」は「にしみのおき」と読ませるようです(『武蔵国郡村誌』)。「発」「起」は開墾する意。つまり、それぞれの耕地は、巳年に開墾・開発されたという意味となります。
では、巳年とはいつのことなのでしょうか。いずれも江戸時代に中野村、大畑村と呼ばれた時代に付けられた地名であることは間違いありませんが、中野村、大畑村には古いことを知りうる資料がほとんど残されていませんので、巳年がいつのことなのかは、残念ながらわかりません。
ただ、大畑村には、幕府の勘定頭伊奈忠治が発給した、寛永時代(1624-1644)の年貢割付状が伝来しています。このうち、寛永6年(1629)の割付状をみると、大畑村では、下田8町1反1畝12歩が年貢の対象となっており、このうち2町5反9畝9歩は「巳発」、その他1町余は「当発」、1町余は「付荒」とされています。寛永6年は巳年ですが、この年に開発したのは「当発」の1町余であり、「巳発」の巳年とは寛永6年以前の巳年を指すものと考えられます。以降、寛永13年(1636)・同20年(1643)の年貢割付状にも、下田の内に「巳ノ発」が見えますので、寛永6年以前の巳年に開発された土地が「巳ノ発」という耕地として定着していたのではないかと考えられます。
そして、寛永時代の時点で「巳ノ発」が下田であったこともポイントです。下田とは、田んぼの等級で、江戸時代生産高に応じて土地の等級づけがされていました。寛永時代の大畑村では、田んぼは上田(じょうでん)、中田(ちゅうでん)、下田(げでん)、畑は上畑(じょうばた)、中畑(ちゅうばた)、下畑(げばた)、そして屋敷地に分けられています。下田は、田んぼのなかで最も低い生産高でした。前にみた寛永6年には下田の一部が「付荒」(荒廃地)となっていることからも、水田として利用するのは難しい土地であったのかもしれません。
武里中野の「巳ノ発」、大畑の「東巳ノ起」「西巳ノ起」が、割付状にみた「巳ノ発」と同じ土地であったかは、資料がなく証明はできません。しかし、明治初期に作図されたフランス式の迅速測図をみると、いずれの土地も低湿地特有の「水田」であり、江戸時代の中野村、大畑村のはずれに位置しています。「巳」のつく地名として残るこれらの土地も、かつてはいずれも人里から離れ、農作地としては不毛な土地だったのかもしれません。
さて、前置きが長くなりましたが、武里中野の「巳ノ発」、大畑の「東巳ノ起」「西巳ノ起」にゆかりの資料を紹介しましょう。いずれも、明治末から大正初めにかけて実施された新方領耕地整理組合が作図した図です。
まずは、武里中野の「巳ノ発」です。
耕地整理後に作図されたものなので、水路と田の畔が整然と区画されています。
右手の「丑ノ発」と書かれているあたりが、現在の南中学校の敷地です。「丑ノ発」ですから、丑年に開発されたのでしょう(詳細不明)。
左手中央に縦断する少し太い水路が「安之堀川」です。図からははずれますが、左手のほうにウイングハットが所在しています。
ついでに、地名の話。中野村(武里中野)には次のような小名が伝わっています。
根(ね)耕地、北耕地、南耕地、丑之発(うしのおき)耕地、新田耕地、五丁歩耕地、谷中耕地、谷原(やはら)耕地、長島耕地
続いて、大畑の「東巳ノ起」「西巳ノ起」です。
方角は、写真右手が北になります。
右下の凡例はこのようになっています。
耕地整理組合の署名・捺印もあります。
図の中央に横断する赤い線が道路で、この道路を境界に、東と西に分かれています。南側に流れる水路(上図だと左手)が新方川、中央にみえる少し太い水路が安之堀川です。
こちらも整然と水路、耕地が区画されています。安之堀川に掛かる橋は、現在大畑橋と呼ばれています。
少し大きい区画は、屋敷地です。武里中野の「巳ノ発」とは異なり、耕地内に民家も点在しているのが大畑の「東巳ノ起」「西巳ノ起」の特徴といえましょうか。
ちなみに、大畑の地名(小名)は次のようなものがあります。
横割(よこわり)耕地、杉の口耕地、前耕地、砂間(すなま)耕地、東下田(ひがししもだ)耕地、西下田(にししもだ)耕地、西巳の起耕地、東巳の起耕地
蛇足ですが、現在大畑は、「おおはた」と発音していますが、最近、古文書勉強会で読んでいる江戸時代の古文書には「大畑ケ村」と書かれており、かつては「おおはたけ」と呼んでいたこともあったかもしれません。
蛇足の多い取り留めのない文章になってしまいましたが、巳年ですからご勘弁を。
皆さまにとりまして、繁栄の一年になりますようご祈念申し上げます。そして、本年も郷土資料館と「ほごログ」をよろしくお願いいたします。
令和7年巳年 元旦
12月の考古学関係展示会、イベント情報
12月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。
(毎月28日ごろに掲載します。随時、情報を更新します。)
(春日部市郷土資料館)
・1月19日(日曜日)歴史文化講演会 奥野麦生氏「タタラ山遺跡と花積下層式土器」
電子申請はこちら
(東部地区文化財担当者会リレー展示ー都鳥が見た古代)
・12月14日(土曜日)~1月13日(祝日・月曜日) 越谷市立図書館(パネル展)
・1月25日(土曜日)~3月9日(日曜日) 八潮市立資料館(資料展示)
(展示会_閉会日順)
・1月26日(日曜日)まで 岩槻郷土資料館(さいたま市岩槻区) 「ミミズク土偶の世界 ~埼玉のミミズク土偶大集合~」
・1月31日(金曜日)まで 城郷小机地区センター(神奈川県横浜市港北区)横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター 横浜の遺跡展「発掘された小机城―令和3・4年度小机城跡埋蔵文化財試掘調査成果速報展―」
・2月2日(日曜日)まで 飛ノ台史跡公園博物館(千葉県船橋市) 「縄文と弥生―船橋の縄文晩期と弥生時代―」
・2月2日(日曜日)まで 栃木県立博物館(栃木県宇都宮市)「死者と生者の古墳時代~下野における6・7世紀の葬送儀礼~」
・2月2日(日曜日)まで 埼玉県立さきたま史跡の博物館(埼玉県行田市) ほるたま展2024 「古墳時代の祈り」
・2月9日(日曜日)まで 千葉県立中央博物館(千葉市中央区)千葉県教育振興財団設立50周年記念展part1 「地中からのメッセージ~旧石器・縄文・弥生~」
・2月16日(日曜日)まで しもつけ風土記の丘資料館(栃木県下野市) 令和6年度企画展「下野市内の遺跡Ⅲ 飛鳥・奈良・平安時代」
・2月28日(金曜日)まで 神川町多目的交流施設(児玉郡神川町) 「かみかわの古墳を知ろう7~海老ヶ久保の古墳~」
・3月2日(日曜日)まで 千葉市立加曽利貝塚博物館(千葉県千葉市) 令和6年度企画展示 加曽利貝塚E地点・B地点発掘100周年記念「あれもEこれもE―加曽利E式土器(総括編)―」
・3月2日(日曜日)まで かみつけの里博物館(群馬県高崎市) 第32回特別展 「子持勾玉―群馬県内出土品を集めてわかったこと―」
・3月9日(日曜日)まで 毛呂山町歴史民俗資料館(入間郡毛呂山町) 第22回特別展「堂山下遺跡ヒストリア-渡河点の宿と交通路-」
体験講座「しめ縄作り」を開催しました
令和6年12月22日(日)に体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう!」を、26日(木)に粕壁市民センターで「公民館で学ぶ!しめ縄づくり体験」を開催しました。
(なお、12月15日(日)にハルカイトで開催したしめ縄講座の様子は先日のブログをご覧ください)
毎年ご好評いただいている本講座、今年もシーズン到来です!
講座では、まず館長より挨拶をさせていただき、春日部に伝わる伝説の紙芝居を1つ紹介しました。
しめ縄作りでは、紙垂(しで)→縄ない→しめ縄本体の順で作業したのですが、やはり最難関は“縄ない”です!
縄ないは2本の藁を捻じって組む作業なのですが、それを一連の動作で行うためコツを掴むまでに時間がかかります。両の掌を使って2本同時に捻じるため、特に手の小さいこどもにとっては大変だったみたいです。
また、しめ縄本体を作る際には力を使う作業があり、参加者のこどもからは「ふぅ!疲れたー!」との声も。しかし言葉とは裏腹に嬉しそうな表情でした♪
“自分で作ったものを飾る”という価値を感じて、毎年参加してくださる方もいらっしゃいます。
実に綺麗に仕上がっています!
来年度も実施を予定しておりますが、人気の講座のため募集を開始したらぜひお早めにお申し込みください!
今年もたくさんのご参加ありがとうございました!
#ハルカイト 見学のススメ(6) 茶どころ!?春日部
埼玉県のお茶といえば「狭山茶」。狭山は、静岡、宇治に並んで、日本三大銘茶とされています。狭山ほどではないですが、かつて市内でもお茶の栽培が盛んでした。それは、次の資料からも明らかです。
この資料は、昭和3年(1928)に埼玉県内務部が作成したもの。県内の町村別の産出額を番付にしたものです。
番付をみると、ほぼ入間郡の村々が上位を占めるなかで、西の16位(全体でも18位)に北葛飾郡川辺村(現庄和地域の川辺地区)がランクインしています。決して大きい産額ではないのですが、茶どころの狭山方面に次ぐ産出額だったといってもよいかもしれません。
下総台地の地域では、茶畑が一程度広がり、また、麦作の風よけのために畑の周りにお茶の木が植えられていました。戦前には市域や野田・越谷方面のお茶店に卸していたそうです(『春日部市庄和町史編さん資料13 民俗Ⅲ』)。番付には、下総台地上の北葛飾郡宝珠花村(現宝珠花地区)、同郡南桜井村、武蔵野台地上の南埼玉郡内牧村(現内牧地区)もみえます。いずれも産出額はわずかですので、主要な作物ではなかったのかもしれません。
内牧地区には、「茶ふり」「茶せいろ」といった製茶の用具が伝来しています。また、市内の旧家では「茶甕(ちゃがめ)」と呼ばれる茶葉を保管する容器も割と目にすることがあります。
「川辺村誌」によれば、同村での機械製茶は、大正6年(1917)ごろに始まったとされています。川辺村では大正時代から昭和初めにかけて、お茶の栽培が盛んだったようです。
番付や茶甕は、大凧文化交流センター「ハルカイト」の歴史展示室に展示中です。画像では文字が小さくみえませんが、粕壁町、豊春村も番付の下方に掲載されていますので、原物の資料から探してみてくださいね。
ハルカイトは、年内は12月28日(土)まで開館。年明けは1月4日(土)からです。
#ハルカイト 見学のススメ(5) 凧いっぱい『クレヨンしんちゃん』の凧もあるよ
大凧文化交流センター「ハルカイト」の見どころを紹介。第5弾です。
今回は、「ハルカイト」のいろいろな凧について。
先日、日本凧の会の全国大会が西宝珠花・ハルカイト開催されるなど、ハルカイトの認知も徐々に広がっているようで、最近は全国の凧の愛好者の皆さんから、新たに凧の寄贈もされているようです。
2階の歴史展示室の前には、「光る君へ」の紫式部の凧が飾られていました。静岡県の浜松の方から寄贈されたものだそうです。
ハルカイトには、かつて大凧会館で展示していた、全国・世界の多様な凧を展示しています。どんな凧があるのかは、来てのお楽しみ。
さて、今回は、上のようなオープン後に新たに追加された凧を紹介しましょう。ハルカイトはまだ行ったことがない人のみならず、オープン以来ご無沙汰な人も必見です。
大凧文化展示室の脇にこのような凧が飾られていました。
観光協会が企画した「クレヨンしんちゃんスタンプ巡り」のおかげで、ハルカイトにも、少しずつ外国の方もお見えになっているようです。春日部に来訪される外国人の方は、中国、台湾、韓国の20代から30代の方が中心です。
ですから、大凧の表記も、日本語、英語、簡体字、繁体字、ハングルと多言語化されています。春日部の凧としては、横書き文字は割とレアです。
そして、なんと、『クレヨンしんちゃん』の凧も展示されています。
『クレヨンしんちゃん』は、春日部市の「子育て応援キャラクター」、「まちの案内人」として活躍しています。
全てをみせると、楽しみがなくなってしまいますので、ここでは二つだけ。これらの『クレヨンしんちゃん』デザインの凧は、春日部市のPR事業のため、大凧文化保存会の皆さんの協力を得て、製作した凧とのこと。まさにここだけのモノです!
ハルカイトも「クレヨンしんちゃんスタンプ巡り」のスタンプ設置場所になっています。当然スタンプの図柄も、『クレヨンしんちゃん』です。スタンプは、市役所、ぷらっとかすかべ、道の駅庄和、龍Q館、そして郷土資料館にもあります。
春日部でしか見られない凧も、ハルカイトでしか捺せないスタンプも、「春日部の記念」となること間違いないでしょう。
民俗芸能公開事業の開催に向けて舞台打ち合わせを行いました!!
年明け2月に開催する「第11回春日部市民俗芸能公開事業~伝える、つなげる、獅子舞の未来~」について、出演団体と舞台打ち合わせを12月22日に行いました。
市内で継承されています、埼玉県や春日部市で指定している無形民俗文化財(伝統芸能)を正風館の舞台上で例年公開していますが、本年10月からのリノベーション工事により、10年ぶりに粕壁市民センター(中央公民館)の講堂での開催となりました。
伝統芸能は、地域の郷社の夏季や秋季の例大祭で公開されるのが慣わしですが、多くの市民の皆さまに広めよう、知ってもらおう、魅力を伝えようという趣旨で、平成24年から公民館の講堂で開催しております。今回は、現在の越谷市下間久里から伝承された兄弟獅子である豊野地区で継承されている「銚子口の獅子舞」(元禄10年_1697年)と「赤沼の獅子舞」(亨保3年_1718年)、いずれも300年以上もの歳月にわたって代々、引き継がれてきた獅子舞です。両団体では伝統を絶やさぬよう創意工夫と、地元豊野小学校の児童へ「獅子舞授業」をとおして、獅子舞と伝統文化を伝えていただいております。
通常、獅子舞を奉納する場である神社境内と異なる講堂の舞台であるため、どのような演出ができるのか、どのように舞台転換し、双方の団体にバトンタッチするのか、入場の方法は?、終演の手締めをやろう、と細部にわたって両団体の皆さまと調整を行いました。
開催のお知らせは広報かすかべ1月号にも掲載しますが、ここでは事前告知させていただきます。
開催日:2月9日(日)
場所:粕壁市民センター(中央公民館)講堂兼体育館 開場:12:50~
申込みは不要ですので、是非、新春のひとときを伝統の舞で堪能してみてはいかがでしょうか。
【東部地区文化財担当者会リレー展示_都鳥が見た古代】越谷市立図書館でパネル展が開催されています
1月13日まで、越谷市立図書館で、「都鳥が見た古代」のパネル展が開催されています。
越谷市立図書館は東武スカイツリーライン越谷駅から北東方向へ約1.8㎞の位置にあります。
「都鳥が見た古代」のパネル展示は、図書館エントランスを入った正面の展示室で行われています。
この図書館の展示室にはかつて、越谷市の見田方遺跡で発掘された土器などが展示されていました。
現在、見田方遺跡の出土品は、レイクタウンの一角に復元された「旧東方村中村家住宅」で展示されています。
あわせてご見学ください。(越谷市レイクタウン9-51、越谷レイクタウン駅より徒歩15分、水曜日休館)
越谷市指定 記念物・史跡 見田方遺跡(越谷市教育委員会ホームページ)
越谷市指定有形文化財 旧東方村中村家住宅(越谷市教育委員会ホームページ)
越谷市立図書館に公共交通機関でお出かけの際は、越谷駅、南越谷駅からバスが便利です。
・越谷駅(東武スカイツリーライン)東口下車
「花田循環」「越谷市立図書館」行き朝日バスで「中央中学校前」下車徒歩5分
・南越谷駅(JR武蔵野線・東武スカイツリーライン新越谷駅)北口下車
「市立図書館」行き朝日バスで「越谷市立図書館前」下車
・越谷駅東口から徒歩25分(約1.8㎞)
この機会にぜひお出かけください。
●越谷市立図書館会場「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」
開催期間 令和6年12月14日(土曜日)~令和7年1月13日(月曜日・祝日)
開催場所 越谷市立図書館 展示室 越谷市東越谷四丁目9番地1
開館時間 火曜日から金曜日 午前10時~午後7時、土曜日・日曜日・祝日 午前9時30分~午後5時
休館日 毎週月曜日、12月20日(金曜日)、12月29日(日曜日)から1月4日(土曜日)
越谷市立図書館施設案内(越谷市立図書館ホームページ)
お問い合わせ 048-963-9315(越谷市教育委員会生涯学習課)
*リレー展示は、下記日程で開催予定です。
12月14日から令和7年1月13日 越谷市立図書館展示室 パネル展示
1月25日から3月9日 八潮市立資料館 資料展示
3月15日から4月8日 白岡市立歴史資料館 資料展示
4月12日から4月29日 吉川市中央公民館 パネル展示
5月3日から5月25日 久喜市立郷土資料館 資料展示
6月3日から7月21日 幸手市郷土資料館 資料展示
7月29日から8月24日 蓮田市文化財展示館 資料展示
9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示
10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示
令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示
東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」も好評発売中です。詳しくはこちら
【ハルカイトを楽しんでいただいた日】
12月15日(日)にハルカイト(大凧文化交流センター)で、「ハルカイトを楽しむ日」を開催しました。
当日は「しめ縄作り」「ミュージアムトーク」「なぞときハルカイト」の3つのイベントを行い、イベントのみならず、ハルカイトの展示なども楽しんでいただきました!
今回のしめ縄作りは、お子さんやお孫さん連れなどご家族で参加の方が多く見られました。
大人でもコツをつかむまで一苦労なのですが、小学生から未就学の子まで、一生懸命作ってくれました♪
ミュージアムトークやなぞときハルカイトにも多くの方にご参加いただきました!
当日は体育館で小学生のバスケットボールの試合があり、試合の合間を縫ってなぞときに参加してくれる小学生や、付き添いのご家族の参加もあり、予想以上の賑いになりました!
おかげさまで写真を撮っている余裕がなく、実施中の画像はありません(笑)
実は、通常郷土資料館で開催するイベントの会場がハルカイトに変わっただけでも、準備に必要なもの、できること、できないことがいつもと異なり、少し心配になっていました。
しかしながら、参加者の皆様が楽しんでくれた様子をみると、安心すると同時に“やってよかったなぁ”と感じます。
「ハルカイトを楽しむ日」に来られなかった方も、ハルカイトでの展示は継続して行っておりますので、ぜひハルカイトに来てみてくださいね!
「むかしのどうぐ人気投票」中間発表
「第一回 むかしのどうぐ人気投票~展示資料、入れ替え計画~」の中間発表です。
開票したところ、上の写真のように沢山の投票がありました。
用紙のたたみ方も人それぞれ。きちんと四つ折りにする方もいれば、そのままねじ込む方。おみくじのように細長く折る方。面白いなぁとおもい、思わず写真を撮りました。
さて、開票の結果、中間結果は、次のようになりました。
1位 ファミリーコンピューター 15票
2位 手動式洗濯機 11票
3位 ゲームボーイ 10票
千歯こき 10票
5位 白黒テレビ 9票
次点
(8票)石板・ろう石
(7票)リカちゃん人形
(6票)漢字テスト、おはじき、黒ひげ危機一髪、麦わら帽子
(5票)ベイゴマ、千歯こき
(4票)給食の献立表
(3票)あたらしいこくご(1年教科書)、遠足のしおり、桐ダンス、こて、千歯こき
(2票)炭火アイロン、洗たく板、わらじ
(1票)ちえのわ、ちゃぶ台、火鉢、おひつ、スチームアイロン、電気釜、桐箱、絹綿、かすり、小学国語読本
先日、投票用紙の一部を紹介した通り、小学校の団体見学の影響が強く、子どもたちの観点から「楽しそう」「遊びたい」「やってみたい」ファミコン、ゲームボーイに票が集まっているようです。また、団体見学では、特定の資料について説明をしたり、千歯こきの体験をしたりしますので、定番の「むかしの道具」にも票が集まっています。
投票していただいているのは、子どもばかりではありません。大人の方も、また、最近来館者が増えている外国の方からも多くの投票をいただきました。投票総数は140票余です。
いただいた投票用紙をいくつか紹介してみましょう。
85歳の方は、千歯こきに投票してくださいました。
「小学生の時にもあったが、本来の利用方法(脱穀)で使うことはなく、「わら」から「はかま」を除去する道具として使っていた」ことをご教示いただきました。
「わら」から「はかま」を取る作業は、目下準備中の「しめ縄づくり」の下ごしらえとして重要な作業です。知らない方は先日の「ほごログ」を参照のこと。
小学校の団体見学では、千歯こきの実演を特別メニューとして体験していますので、子どもからも人気を得ています。今回、千歯こきは3基展示していますので、票が割れています。合算すると18票となり、一番人気にもなります。失敗しtたなぁと少し反省。
道具の使い方が、一次的な利用方法から、二次的・副次的な方法へと時代によって変化するのですね。展示では、「脱穀」の道具として紹介していますが、この方は「わらすぐり」の道具として受け止めることになったわけです。
手動式の洗濯機に投票していただいた、30代の方。理由は「アイスクリームが作れそうだから」。
洗濯の道具の定番、たらい・洗濯板や洗濯機のどちらにも似つかない、手動式洗濯機のフォルムが、そう連想させるのでしょうか。
外国の方も投票してくださいました。
№13「游戏机」(ゲーム機)は、ファミリーコンピュータです。
簡体字で書かれているので、中国の方でしょうか。
47歳になるこの方は、「小时候玩过」(子どものころ遊んだ)と理由を書いてくださいました。
№14は、ゲームボーイとポケットモンスター(緑)です。
英語で「Play boy & Pocket Monster」と書いています。理由として「The begining of Legend」(伝説の始まり)。
22歳の方ですが、初代のポケモンブームの頃の世代ではないでしょうから、ポケモンの「伝説」の起源に思いを馳せていただいたようです。
ただ、ゲームボーイを「Play boy」としているのが気にかかります。アメリカの成人誌と同じ名前で売り出す国・地域もあったのでしょうか。
「人気投票」の集計をして、絹綿に対する直感的な感想「もこもこふわふわ」、手動式洗濯機に対する「アイスクリーム」の想像、千歯こきを「わらすぐり」で使った記憶など、資料に対して向けられる多様なまなざしが交錯していることに気づかされました。博物館の展示、延いては博物館(郷土資料館)は、そうやって成り立っているのですね。
そして最後。この投票用紙は、おみくじのように縦長に折られていました。
ハングル文字で書かれて、どうやら韓国の方のようです。
23才(たぶん女性でしょうか)の方、ハングルで「신짱구 최고」。
「신짱구」とは、春日部の人気者(5歳児)。「최고」は最高の意。
無効票ですが、外国の方もせっかくはるばる春日部まで来たのだらから、足跡をのこしたいのだなぁと考えさせられるとともに、「신짱구」は凄まじい人気だなぁと実感させられました。
古文書勉強会の成果の利用がありました!
郷土資料館では、市民の皆さんと館蔵の古文書を読む「古文書勉強会」を定期的に開催しております。
解読した成果は、「ほごログ」に一部公開しておりますが、先日、春日部から遥か遠くの関西地方の大学院生の方からお問い合わせをいただきました。
その学生さんは、江戸時代の歴史研究をされているそうで、「古文書勉強会」で解読した、享保17年の神間村文書「取替証文之事」を論文に引用したいとのこと。2018年2月14日の記事をご覧になった模様。
願ってもないお申し出でした。喜んで、使ってください、と早速お返事をしました。
古文書を解読・公開することが、人のお役に立って、嬉しい限りです。
今回のご利用は、大学院修了認定の論文(修士論文)であるそうで、今のところ一般に公表するものではない、とのことですが、無理をお願いして、成稿後、参考に提供してくださることにもなりました。どのように史料が引用され、解釈、論立てしているのかも、個人的にも楽しみです。
「ほごログ」によって、資料と市民の皆さん、そして遠隔地の方がつながることになりました。ますます、「ほごログ」の情報発信・更新の励みになります。また、「ほごログ」のかつての記事がアーカイブ(記録)として機能していることも目に見えてきました。少し前には、昔の記事について、ご自身の経験にもとづきコメント・感想を下さる方もいらっしゃいました。
「古文書勉強会」に参加される皆さんにもお知らせし、この喜びを分かち合いたいと思っています。
豊野小学校「獅子舞授業」を実施しました~銚子口の獅子舞~
12月5日(木)に続いて12月12日の第3学年の総合的な学習の時間では、銚子口獅子舞保存会の皆さまによる「獅子舞授業」が行われました。今回も教室には三匹獅子、そして天狗さまの頭が登場しました。
本日は保存会の皆さまが講師役として7名が来校いただき、3年生の皆さんは、開校150周年記念に加え、かすかべ郷土かるた『願いごと 踊る獅子舞 銚子口』で獅子舞の存在を十分知っており、7、10、1月と年3回開催されている「銚子口香取神社のお祭りでもみたことあるよ」という声もあがりました。
5時限目は、団体さんから獅子舞の歴史や、夏や秋、新春に獅子舞が舞う由来などを資料を使った座学で学びました。特に先行して実物をみた赤沼の衣装や獅子頭の違いを指摘する声には校長先生ともども、驚きました。
続く6時限目は、獅子舞に使われる道具、獅子頭、お囃子の太鼓や笛を実体験。太鼓は3種類を用意いただき、バチの大きさ、太鼓の響き方の違いを体験、最も難しい篠笛も「ピィー」と高い音色を出した児童も数名現れ、二週にわたる授業の成果がみられました。
▲学校では触れることのない「篠笛」、体験の中でも最も興味関心が高まりました。10分ほどのチャレンジでしたが、数名から”ピィ~”という高い音色が上がりました
▲三種類の太鼓が準備され、それぞれのバチで体験。小気味よい音の締太鼓、低い音の獅子の腰太鼓、そして教室中に響きわたる大太鼓。児童も楽しく叩きました
獅子頭の体験では、赤沼と異なり、太夫獅子の角は中獅子よりも小ぶりで角張り「日本無双獅子」の文字が刻まれ、両団体の道具の違いを指摘する児童には現役の舞手役からも驚嘆の声が聞かれました。 興味関心が深まったようで、総合的な学習の時間ならではの光景がみられました。
▲すべての児童が太夫獅子を被りました。「軽いんだ!」「意外に外がみえるんだ!」と獅子舞に興味をもってくれました
次回2月は、舞にチャレンジ、銚子口の獅子舞の基本である出端(では)の舞とお囃子を奏でる予定です。地域の伝統文化に触れ、興味関心が芽生えたようで、非常に楽しい授業となりました。
保存会の皆さま、師走のご多用のところ、子どもたちに地域の伝統文化の学びの機会に対応いただき、ありがとうございました。
【ハルカイトを楽しむ日】ハルカイト、来てみませんか?
12月15日(日)にハルカイト(大凧文化交流センター)で、「ハルカイトを楽しむ日」と銘打ち、イベントを開催します!
「しめ縄作り」「ミュージアムトーク」「なぞときハルカイト」の3つを行うのですが、しめ縄作りに関しては既にご予約が満員となっており、申し訳ありませんが当日飛び込みでのご参加はいただけません。
しかしながら「ミュージアムトーク」「なぞときハルカイト」に関しては、当日のご参加大歓迎です!予約不要ですので、こどもから大人の方まで、お気軽にご参加ください!
「ミュージアムトーク」は、学芸員がハルカイトの展示を見ながら解説をするイベントです。
この写真は今年の9月のミュージアムトークの様子です。
どうしてもパネルの文章は読むのに時間がかかったり、読み飛ばしてしまったりしますよね(私だけでしょうか?)。
ミュージアムトークでは職員が解説してくれるため内容が入りやすく、小話などが挟まれることもあるため、展示をより深く楽しむことができると思います!
12月15日(日)は主に江戸川と庄和地区の歴史について解説をする予定ですので、興味がある方は是非ご参加ください!
「なぞときハルカイト」は、受付で配布されるプリントを手掛かりに、ハルカイトに隠された4つのパネルを集め、宝箱を開けるイベントです。
郷土資料館では「なぞとき郷土資料館」を開催中ですが、“特別編”としてハルカイト用にもなぞときを作ってみました!所要時間の目安は30分程度かと思いますが、難しく感じる方には職員がヒントをだしますので安心してご参加ください。
当日は受付で“なぞときプリント”を配布しますで、「なぞときやります」とお声がけください。最後まで解けた方には記念品も用意していますよ♪
既にハルカイトにいらしたことのある方も、「ハルカイトって何?」という方も、12月15日(日)はハルカイトを楽しみに来てください!お待ちしてます!
“どうせ行くならイベント日”
【ハルカイトを楽しむ日】
日付:令和6年12月15日(日)
対象:こどもから大人まで
場所:ハルカイト(春日部市西宝珠花593番地)
内容:①ミュージアムトーク 14:00~14:30
②なぞときハルカイト 10:00~15:30(受付時間)
※所要時間30分程度
郷土資料館【手作りおもちゃクラブ】を開催しました
令和6年12月8日(日) の午前と午後各1回ずつ、郷土資料館手作りおもちゃクラブ「パタパタを作ろう!」を開催しました。
おもちゃ作りの前に、春日部に伝わる伝説の紙芝居の読み聞かせをひとつ。
午前の部では「翁の経文」、午後の部では「幌墓の伝説」を読みました。
おもちゃ作りでは「パタパタ(板返し)」を作りました。
ご覧の通りの大盛況です!
パタパタはからくり部分の作製がやや難しいおもちゃなのですが、保護者の方の協力もあって、みんな上手に作れていました!
「できた!」と嬉しそうな声が響きます♪
この日は午前も午後も多くの方がご来場くださったのですが、午前にいたっては企画展示室から溢れるほど!今年から参加してリピーターになってくれた子が特に多かった印象です。
最後にお土産の缶バッジ作りをしました。
毎回バッジ作りを楽しみにしている子も多く、みんなだいぶ手馴れてきた感じがします (笑)
次回は年が明けて1月19日(日)に開催を予定しています。
おもちゃは新作「BB弾転がし」です。郷土資料館のおもちゃコーナーにある“ビー玉転がし”をミニサイズにしたものになります。
この日来てくれた参加者には、試遊用のBB弾転がしで遊んでもらい、評判も上々!実は以前ブログに開発風景を載せたものだったりします。
広報紙等でもまた告知をいたしますので、ぜひチェックしてみてください!次回もお待ちしています!
1月19日歴史文化講演会「タタラ山遺跡と花積下層式土器」を開催します
白岡市のタタラ山遺跡は、白岡市白岡に所在し、主に縄文時代前期(約6,000~5,000年前)の集落跡として知られ、40軒以上の住居跡や多くの花積下層式土器、また同時期の石でできた装飾品などが発見されています。
タタラ山遺跡の住居跡(縄文時代前期)
タタラ山遺跡で出土した花積下層式土器
一方、春日部市指定史跡・花積貝塚は、明治時代の文献にすでに紹介され、昭和3年(1928)に大山柏氏によって、初めて調査が行われています。その際に、縄文時代中期の土器と、縄文時代前期の土器が、上下に堆積している別々の貝層から発見され、中期と前期の土器の時代順が立証されました。「花積下層式」土器は、花積貝塚の下層から発見された縄文時代前期の土器が、その研究の発端になったことから命名されたものです。
しかしながら、大山史前学研究所に保管されていた花積貝塚の資料は、残念ながら昭和20年の空襲で焼失してしまいました。
また、これまで花積貝塚で発掘調査が何度か行われていますが、現在のところ、出土している花積下層式土器はとてもわずかで、郷土資料館でも破片を展示しています。
春日部市郷土資料館で展示している花積下層式土器
今回は、花積下層式土器が多く出土している白岡市タタラ山遺跡をとりあげます。
白岡市教育委員会で長年にわたりタタラ山遺跡の調査を担当され、花積下層式土器にも造詣が深い奥野麦生先生をお招きしご講演いただきます。皆さまのご参加をお待ちしております。
春日部市郷土資料館歴史文化講演会 奥野麦生先生「タタラ山遺跡と花積下層式土器」
講師:奥野麦生先生(白岡市教育委員会学芸員)
日時:令和7年1月19日(日)10時~12時
会場:春日部市教育センター
定員:100名(申込順)
申込受付:12月10日(火)8:30~ 電子申請受付
豊野小学校「獅子舞授業」~赤沼の獅子舞~ 行いました
12月5日(木)の5時間目、6時間目に第3学年が取り組んでいる総合的な学習の時間に「獅子舞授業」が行われ、教室に三匹獅子が現れました。
昨年11月に開校150周年記念の式典で、地域で代々、300年以上も継承されている、市指定無形民俗文化財「赤沼の獅子舞」「銚子口の獅子舞」が披露されたのを契機に、地域を調べ学ぶ学習である総合的な学習の時間で、本校はじめての獅子舞授業の実施に至りました。
本日は、赤沼民俗文化財保存会の4名が師走の忙しい中、講師として指導いただきました。授業をわかりやすく進めるにはと、大切な三匹獅子と神楽のお面、大太鼓やしめ太鼓、そして篠笛を持参いただきました。3年生の皆さんは、150周年記念に加え、かすかべ郷土かるた『赤沼の獅子舞をみて病せず』で獅子舞の存在を十分知っており、「神社のお祭りでもみたことがあるよ!」という声もあがりました。
5時限目は、講師から獅子舞の起源と歴史、豊作を祈る舞と神楽のいわれ、獅子舞に携わる農家長男から女性にも広がっていることなどを映像を用いて解説いただきました。3年生の皆さんも集中して耳を傾けてくれている様子が印象的でした。
▲一時間をとおして集中して耳を傾けてくれました
続く6時限目は、獅子舞に使われる道具、獅子頭、神楽面、そしてお囃子の太鼓や笛を実体験してみました。三匹獅子のちがい、ヒゲや後ろ髪は動物のどこの部分を材料にしているのか、お面は何でできているのか、講師の質問に答えながら、持ったり、被ったり、また、音を奏でながら、つぶさに道具を観察しました。最後の感想では、道具が意外と軽かった、獅子頭やお面を被ってみて、外が見えることがわかった、笛もレコーダーのようには簡単には吹けない、難しい楽器がわかったなど、多くの感想を聞くことができました。
▲本物の道具にみて、触れて、重さや材料、使い方について多くの質問があがりました
次回2月は、舞の基本、三番叟(さんばそう)を舞ったり、お囃子を奏でる予定です。地域の伝統文化に触れ、興味関心が芽生えたようで、非常に楽しい授業となりました。
次週、12日は赤沼の獅子舞の兄獅子である「銚子口の獅子舞」を継承する銚子口獅子舞保存会のみなさまが講師を行います。子供たちも楽しい授業を待ち望んでいます。
【出張授業】でばりぃ資料館in上沖小学校
令和6年12月3日(火)に上沖小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
学習室2と生活科室を使用し、「昔の学校・町の様子」と「昔の家の道具」について学習しました。
昔の学校・町の様子についての教室では、石盤(せきばん)というノートの代わりとして使用した学用品への反応がよく、「なぜこの道具を使っていたのか?」という質問にも「紙がなかった」「いや、鉛筆がなかった」「貧しかったから」など様々な意見が飛び交いました。回答を聞く前に一度自分で考えてみることで、たとえ間違っていたとしても理解は深まりますから、児童に考える機会も提供していきたいものです。
昔の家の道具についての教室では、羽釜(はがま)や黒電話、手回し洗濯機、火のしなどを展示・解説しました。
そして炭(すみ)に注目してみると、児童からは「キャンプで使った」「バーベキューで使った」などの声があがりました。つまり、家の「外」での利用です。昔だと炭は調理、暖房、家事など、家の「中」でも大活躍でした。
現在では「家電」という言葉の通り、家庭では電化製品を使うのが一般的ですが、今回持って行った家の道具は、電気を使用しないものがたくさんありました。今と昔の“動力”の違いを少し分かってもらえたかと思います。
終盤は時間の都合で自由時間をあまりとれませんでしたが、実物に触って体験してもらう機会が持てたことは児童にとっても貴重な経験になったと思います。
そんな中、上沖小3年生の中に郷土資料館の常連さんを発見しました!
資料館の“おもちゃ作り”や“なぞとき”にも積極的に参加してくれる子で、こちらとしてもとても印象に残っています。
彼も職員の顔を覚えてくれているようで、色々と話しかけてきてくれました!「また行きます!」という嬉しいコメントも♪
みんなと顔なじみになれるくらい、多くこども達に資料館に来てもらいたいな~と思いながら帰路につきました。
これからも団体見学、でばりぃ資料館など、ぜひ郷土資料館をご利用ください!
【手作りおもちゃクラブ】パタパタを作ろう!
12月8日(日)に“手作りおもちゃクラブ”を開催します。
今回作るおもちゃは「パタパタ(板返し)」です。
資料館のおもちゃコーナーでも人気があるのですが、手にしたところでどう遊んでいいものか、ぱっと見では分からない不思議なおもちゃでもあります。
手持ちの部分をかえして、一番上の板をひっくり返すと、連なる板も連動してパタパタっとひっくり返るからくりおもちゃなんです。
遊び方はコチラ
手作りおもちゃクラブでは5枚の板を使用して作りますが、その気になれば10枚でも20枚でも板を使って、なが~いパタパタが作れます!
ぜひ作り方をマスターしてください!
手作りおもちゃクラブは申込不要、おもちゃの材料も資料館で用意しています。
当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!
【手作りおもちゃクラブ】
日時:令和6年12月8日(日)午前10時30分~・午後2時~
場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)
内容:蓄音機と紙芝居の上演
おもちゃづくり(パタパタ)
費用:無料
申込:不要(開催時間までに郷土資料館にお越しください)
11月の考古学関係展示会、イベント情報
11月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。
(毎月28日ごろに掲載します。随時、情報を更新します。)
(春日部市郷土資料館)
・1月19日(日曜日)歴史文化講演会 奥野麦生氏「タタラ山遺跡と花積下層式土器」12月10日8:30より申し込み開始 電子申請はこちら
(東部地区文化財担当者会リレー展示ー都鳥が見た古代)
・12月1日(日曜日)まで 羽生市郷土資料館 (パネル展)
・12月14日(土曜日)~1月13日(祝日・月曜日)まで 越谷市立図書館 (パネル展)
(展示会_閉会日順)
・12月1日(日曜日)まで 埼玉県立さきたま史跡の博物館(行田市) 令和6年度 企画展「古墳時代の装い-おしゃれな古代人-」
・12月1日(日曜日)まで 観音塚考古資料館(群馬県高崎市) 令和6年度 第36回企画展「地方から見た律令国家成立前夜 - 群馬の7世紀史を考える -」
・12月1日(日曜日)まで 大田区立郷土博物館(東京都大田区) 「矢を放て!~関東の弓矢、1万年~」
・12月8日(日曜日)まで 東京国立博物館(東京都台東区) 挂甲の武人国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」
・12月8日(日曜日)まで 北区飛鳥山博物館(東京都北区) 秋期企画展「台所(キッチン)の考古学-食にまつわる道具の歴史-」
・12月8日(日曜日)まで あつぎ郷土博物館(神奈川県厚木市) 特別展「ドグウ集まれ!」
・12月15日(日曜日)まで 草加市歴史民俗資料館(草加市) 秋季企画展「古墳時代の草加地域」
・12月15日(日曜日)まで 市原歴史博物館(千葉県市原市) 令和6年度特別展「旅するはにわ-房総の埴輪にみる地域間交流-」
・12月15日(日曜日)まで 常陸大宮市歴史民俗資料館(茨城県常陸大宮市)令和6年度企画展「弥生の墓」
・12月22日(日曜日)まで 国立近代美術館(東京都千代田区)「ハニワと土偶の近代」
・12月22日(日曜日)まで 本庄早稲田の杜ミュージアム(本庄市)「埴輪ー本庄とその周辺地域における埴輪の導入から終焉まで」
・12月27日(金曜日)まで 石岡市立ふるさと歴史館 (茨城県石岡市) 第38回企画展 「舟塚山古墳の埴輪」
・1月26日(日曜日)まで 岩槻郷土資料館(さいたま市岩槻区) 「ミミズク土偶の世界 ~埼玉のミミズク土偶大集合~」
・2月2日(日曜日)まで 飛ノ台史跡公園博物館(千葉県船橋市) 「縄文と弥生―船橋の縄文晩期と弥生時代―」
・2月16日(日曜日)まで しもつけ風土記の丘資料館(栃木県下野市) 令和6年度企画展「下野市内の遺跡Ⅲ 飛鳥・奈良・平安時代」
・3月2日(日曜日)まで 千葉市立加曽利貝塚博物館(千葉県千葉市) 令和6年度企画展示 加曽利貝塚E地点・B地点発掘100周年記念「あれもEこれもE―加曽利E式土器(総括編)―」
(現地説明会)
・12月8日(日曜日)・9日(月曜日) 高輪築堤跡(東京都港区) 港区教育委員会
(講演会)
・12月7日(土曜日)プリミエール酒々井文化ホール(千葉県酒々井町) 史跡墨古沢遺跡国史跡指定5周年記念講演会「墨古沢遺跡」(要申込11/29まで) 酒々井町教育委員会
・2月1日(土曜日) 県民共済みらいホール(神奈川県横浜市中区)三都県公開セミナー 「墓・ムラ・縄文人―縄文後期前葉の集落様相―」(要申込12/27まで)埼玉県埋蔵文化財調査事業団
#ハルカイト 見学のススメ(4) 大型改良農機具
ハルカイト(大凧文化交流センター)の展示室には、郷土資料館では展示できない大型の民具が並んでいます。
今日は、その一つ「籾摺り機」に焦点をあててみましょう。2階の展示室3では、改良された大型農機具を陳列しています。
動力は人力や家畜(馬・牛)ではなく、石油で動く発動機です。エンジンを動かし、歯車を回して、ベルトを動かします。
大型で重量のある民具ですが、展示する機会もなく、皆さまに披露する場がありませんでした。資料館や博物館では、古い道具を展示する機会が多く、動力で動く改良された農機具を正面から展示することは、それほど多くないようです。そういう意味で、この籾摺り機はとても貴重だと思います。
展示の趣旨としては、産業技術が合理化・効率化され、社会が豊かになっていく。「農村から町へ」というイメージですが、パネルがなく言葉足らずな感じもします。
さて、展示設置にあたっては、階段やエレベーターで持ち上げることが難しい重量物だったので、
業者さんにクレーンで吊って搬入していただきました(今年の夏ごろ)。空飛ぶ籾摺り機です。レアな写真です。
さて、館で資料を取り扱っていたところ、ハルカイトの籾摺り機と同型の農機具のチラシを発見しました。
残念ながら、資料の年代が不明ですが、下の販売店が三輪野江村(昭和30年合併し吉川町となる)とありますので、昭和20年代ではないかと思われます。
「鬼に金棒」という言葉は、あまり使わなくなりましたが、発動機の自動籾摺り機が、当時いかに画期的な籾摺り機であったことがわかるチラシです。
現状、ベルトが紛失し、発動機とつなぐことができず、また発動機も動かすことが叶いませんが、町の農産業を支えてきたことを物語る道具です。
戦後の農機具は、博物館や資料館ではあまり展示されない、珍しいものだと思います。ぜひご覧ください。
【講座ができるまで(後編)】“しめ縄づくり”はこうして開かれる
先日のブログで、しめ縄づくりの講座が開催されるまでの道のりについてお話させていただきましたが、今回はその後半戦です。
稲わらを干して、青の色味が抜けてきた11月某日。
藁すぐりという“ハカマ”を取って、藁の茎だけにする作業を行いました。
乾燥してゴワゴワした稲わらの下葉を丁寧に取っていくと、ピンとした茎が現れます。体感ですが、体積的には1/2~1/3くらいに減る印象です。
4人で3時間程度作業し、できるのは25束くらいでしょうか。実際には“縄ない”の工程にも稲わらを使用するため、しめ縄20本分程度になります。今年は粕壁市民センター(中央公民館)でもしめ縄作りを開催するため、この倍量は必要です!
講座当日の朝には、藁打ちを行います。
稲わらを水で濡らし、木槌で叩いて繊維をほぐしていきます。
12月の冷たい水にも負けず、講座を楽しみにしてご来場くださる皆さんのために朝から頑張ります!
こうしてしめ縄作り講座は開催されます!
どうしても準備に要する時間や当日の人員確保の都合のため募集人数が増やせず、定員オーバーにより参加をお断りすることもあり大変心苦しいのですが、毎年受講者の方からは“非常に満足”とのお声を多くいただき、主催者側としてもありがたく、やりがいのある講座です!
今年のご予約も満員となりました。
講座ご予約済みの方、当日お待ちしております!
ブログを読んで興味を持ってくださった方、次年度も開催予定ですので是非チェックしてみてください!
放課後子ども教室 幸松っ子くらぶ「郷土カルタすごろくで遊ぼう」
令和6年11月18日(月)に幸松小学校で行われた放課後子ども教室「幸松っ子くらぶ」で、“郷土カルタすごろくで遊ぼう”を開催しました。
幸松小学校の各部屋で、児童たちがそれぞれ興味のある活動に参加するイベントです。
昨年度も郷土カルタすごろくを携えて幸松小に伺う予定だったのですが中止になってしまったので、2年ぶりの開催となりました!
すごろくの前にはひとつ紙芝居を読みました。
「牛島の藤の伝説」というお話で、紙芝居の内容は知らないまでも、牛島の藤なら知っているという子はチラホラ。
お話の中に、この後のすごろくを有利に進めるヒントがあると伝えると、みんな真剣なまなざしで聞いてくれました(笑)
いよいよメインイベントの郷土カルタすごろくです!
サイコロの出目の数だけ進む通常のすごろくとは違い、出目に割り当てられたマスにワープするオリジナル仕様です!
大きなサイコロを振ります!
これだけでも楽しそう♪
すごろくのマスの中には「幸松チャンス」というクイズに答えてポイントをゲットできるマスがあり、それが大盛り上がり!
じっくり時間をかけて考え、思い出し、相談するという、勝負にかける真剣な思いが伝わってきます!こども達にとってはすごろくと言えど、もはや遊びではないのです!
すごろくの後には、郷土資料館の紹介を兼ねて、持参した昔のおもちゃでも遊んでもらいました!
毎回“すごろくでどの程度楽しんでもらえるだろうか”と、ちょっと心配な部分もあるのですが、そんな心配を吹き飛ばしてくれるこども達のはしゃぎっぷりでした!
今度はぜひ郷土資料館にも遊びに来てください!
幸松小学校 放課後子ども教室で「おはやし教室」を開催しました
学校付近のカエデやイチョウの木々もようやく色鮮やかな紅葉時期を迎えた11月18日(月)の放課後、幸松小学校放課後子ども教室『幸松っこくらぶ』が校内各所で開催されました。当日は、郷土資料館による”郷土カルタすごろくで遊ぼう”のほか、先生OBによる紙飛行機づくりなどの様々な催しと共に、市指定無形民俗文化財「不動院野の神楽」を継承する東不動院野神楽保存会の皆さまから指導いただく「おはやし教室」の第4回目も行われました。
1年生を中心に6年生までの10名が参加。今回初めて参加するという1年生は緊張した表情で両手に太鼓のバチを握り、一生懸命、お囃子の基本曲である『ニンバ』に取り組みました。
まずは太鼓代わりにタイヤを取り囲み、「天/スク/ステ/スク/天・ツク/ツ/スク」のリズムを体感し、順番で実物の太鼓と締太鼓を叩きました。途中、今回不在の保存会会長さんの篠笛の音色をスマートフォンからBGMで流しながら祭り囃子を奏でました。
この教室の参加を契機に、今や高校生や大学生となり保存会では立派な囃子手や舞手として後継者を担っている方もいらっしゃいます。前回のおはやし教室の参加者では、3名が保存会の練習にも参加されたとお聞きすることができました。地域の伝統芸能がこうした機会を契機に着実に継承されますよう、よろしくお願いいたします。
#桜川小 の皆さんから見学のお礼のお手紙をもらいました
10月18日に郷土資料館などの社会科見学に来た桜川小学校3年生の皆さんから、お礼のお手紙をいただきました。
大きな模造紙にポストイットで一人一人、イラストを交えながら、印象に残ったこと・モノを知らせてくれています。一般のお客さんにもご覧いただけるように、出口の扉に掲示させていただきました。
感想とイラストで一番多かったのは、縄文時代の竪穴住居(原寸大模型)です。約5000年前の暮らしがどうだったのか、イメージしやすく、当館の人気の展示資料の一つです。上に紹介した子は、竪穴住居とともに、市内を縦断した江戸時代の街道「日光道中」というキーワードも忘れずに帰ってくれたようです。
団体見学では常設展示の模型ばかりでなく、3年生が3学期に学習する昔のくらし・道具についても解説しました。
平成末期に生まれた子どもたちにとって、「昭和」は遠い過去のようです。
古い道具から、彼らなりの「昭和」を感じ取ってくれたようです。
また、昔のアイロンにあたる「こて」の説明も印象に残ったようで、イラストも描いてくれた子もいます。
おしいのは、竪穴住居の5000年前と印象が混ざってしまったこと。短時間での見学になると、「時代錯誤」が生じてしまうようです。ぜひ、お家の方といらして、じっくり見学する機会をつくって、「復習」してみてください。
最後に「うめわかくん」のイラストを描いてくれた子もいました。
当日、時間もなく「うめわかくん」まで説明が至らないのですが、展示室のあらゆる所に散りばめられています。念のため説明すると、「うめわかくん」は、市内の古隅田川沿いの新方袋の伝承「梅若塚」の梅若丸をモチーフにした、二頭身キャラです。設定は、平安時代の少年ですが、大凧を揚げたり、桐たんすに入ってみたり、「なぞとき」では探偵になったり、天使になったり、いろいろなバリエーションもあり、隠れ支持者も多いようです。「うめわかくん」に注目してくれて、どうもありがとう。これからも「うめわかくん」を応援してくださいね。
#春日部市 郷土資料館 #体験講座 「桐の貯金箱づくり」を実施しました
11月16日、体験講座「桐の貯金箱づくり」を実施しました。
この講座は、春日部桐箱工業協同組合の皆さんのご協力のもと、令和3年から継続して実施しています。今年は、定員を超過する申込みもあり、資料館の体験講座のなかでも不動の人気を誇る講座です。
今回は、普段は市内で桐箱製造などに取り組まれている5名の職人さんにご指導いただき、オリジナルの桐の貯金箱づくりを体験していただきました。
講座用にご用意いただいた、製作キットの中身を確認して、まずは、箱を組んでいきます。
「のり」は、水性の木工用ボンドです。桐材の木っ端をヘラにして、糊付けしていきます。
参加者の皆さん、はじめは、手に付かないよう恐る恐る糊付けをしていましたが、職人さんの指導をうけ、最後は指で塗っている方もいました。また、二枚あわせて糊を塗るコツも伝授されていました。繁忙期にはとても忙しい春日部の桐箱製造。大量生産のために作業効率を上げることも「技術」の一つです。
糊を付けた後、枠組みにします。
糊を付け、枠組みにして、この後、圧着させるために輪ゴムをかけるのですが、小さいお子さんは、少し難しかった模様。ご家族に助けてもらいながら、集中して作業をしていました。
段々、箱型になってきたら、次は「オリジナル」の部分。
箱の背板にあたる部分にオリジナルの図柄・デザインを描きます。この後、職人さんに切り抜いていただくので、下絵を描いています。皆さん、どんな貯金箱にしたいか、事前に考えてきてくれていました。今年も、ポケモン、にゃんこ大戦争、推しの子などアニメやゲームのキャラクター。絵本のパンどろぼう、オリジナルのデザインを描いていた子もいました。
下絵が描けたら、職人さんに電鋸で切り抜いていただきます。
一般の方、ましてやお子さんでは、柔らかい桐材(板)といえども、細かい細工で切り抜くことはできません。普段から木工をされている、職人さんに、普段はあまりみない電鋸をつかって、オリジナルのデザインに切り抜いていただける。ここがこの講座のポイントです。
今年は二台編制で進めていただきましたので、待ち時間も長くなく、スムーズに進行しました。
自分で描いたデザインの形に切り抜いていただける、子どもたちは職人さんを羨望のまなざしでみていました。子どもたちだけではありません。
大人の参加者の方も、スマホで切り抜きを動画撮影。
こうした実演を目の当たりにすることで、何気なく消費しているモノの有難みや、「ものづくり」の素晴らしさを実感することができたのではないでしょうか。電鋸の切り抜きの時間は、「ものづくり」を担う職人の皆さんが、最も輝いている時間でした。
切り抜きの後、背板と表の板を糊付けします。
ズレないように、また背板はお金を取り出せるフタの細工があるので、慎重に糊付けをします。
職人さんにやさしく、丁寧に教えてもらいながら作ります。
お子さんだけでなく、ご年配の参加者の方も。
この男性は「春日部市のためにマスクを取ろう!」といって撮影に応じていただきました。「広報誌に載せてくれ」とご要望いただきましたが、「ほごログ」でご勘弁ください。
そして、完成。
姉妹で参加してくれた二人は、仲良く丁寧に造っていました。
色付けはご自宅で。水性やアクリル絵の具などでできるようです。
こちらも姉妹で参加。
イラストをプリントした紙を貼りつけて完成。紙やシールをはれば、色を塗る手間も省け、クオリティーの高い仕上がりになります。これもオリジナルです。
アンケートでは、「職人さんが丁寧に教えてくれて子どもでも作ることができた。また開催してほしい」「ただの板がだんだん箱になっていくのが楽しかった」「板に溝をつけるところを見てみたい」など、皆さん、満足のいく貯金箱がつくれたようです。春日部の伝統の桐箱づくりを肌で感じていただけたようです。
貯金箱完成後も、展示用の多種多様な桐箱に親しむ子どもたちがみられました。
貯金箱をつくったり、見本や製品に接して、春日部の伝統産業に触れる機会になったのではないかと思います。
参加者の皆さま、春日部桐箱工業協同組合の皆さま、どうもありがとうございました。
秋季例祭ー東中野の獅子舞ーが公開されました
木々がようやく色づきだした11月10日(日)には、市指定無形民俗文化財「東中野の獅子舞」の年一度の公開が行われました。
三週間前の10月20日(日)には、現在の越谷市下間久里が伝授された同じ系統の「銚子口の獅子舞」、「赤沼の獅子舞」の秋季例祭に続き、五穀豊穣の収穫を感謝し、無病息災、家内安全が祈願されました。
当日は境内鳥居から香取神社拝殿に天狗さまを先頭に場を清める「庭入り」から、「序の舞」「女獅子の舞」「中獅子の舞」、そして三匹獅子が威風堂々と舞う「太夫の舞」、さらに勇壮華麗な「千島の舞」が公開されました。また、終演後には太夫獅子のコウガケを頭に被せ無病息災を祈願する地域のみなさまが立ち並び盛況となりました。
そのほか、境内には地元中野小学校の第三学年の総合的な学習の時間に『獅子舞』を学び体験した児童みなさんの感想が掲示されていました。この後、12月には保存会の皆さんのご指導による出張授業を行い予定です。ひとりでも多くの児童が地域の伝統芸能に興味関心を抱いていただけるよう、楽しい授業をお願いいたします。
【 #常設展 ミニ展示】 #東武鉄道 開業前夜の #春日部駅 前
常設展示の近代のコーナーの展示替えをしました。 #かすかべプラスワン
テーマは、題して「東武鉄道ができる直前の春日部駅周辺」です。
現在、春日部駅周辺は鉄道高架工事の真っ最中。最近では、東武スカイツリーラインの古い登りホームの土台の解体工事が進み、さら地になってきています。おそらく、ホームの土台は、大谷石で築かれたもので、東武鉄道開業当初からのホームだったものとみられます。東武鉄道が明治32年(1899)に開業してから、駅周辺は駅前の市街地として開発されていきました。
下の画像は、昭和8年(1933)の粕壁町字内出の耕地図です。駅舎の所在する土地の名称は内出。線路が横断し、耕地を分断するかたちで鉄道が敷設され、駅の東側(現在の東口)は市街地化され、停車場道(現ブロンズ通り)をはじめとする駅と旧日光道中の町並みをつなぐ道が整然と区画されています。反対に、西口側は細長い土地割りの田畑ばかりで、道も細い畦道であったことがわかります。
その後、昭和46年(1971)12月には西口改札が開設され、農地が区画整備され、西口も市街地化していくことになり、今日に至ります。「鉄道で春日部の町(街)が分断されている」とよく言いますが、歴史的にとらえれば、そもそも町は東口側だけであり、高度経済成長期に東口の開発が飽和状態になり、西口側に市街地を広げていったため、「分断」されたようになってしまった、というように理解すべきでしょう。鉄道「分断」の問題は、現在の問題ではなく、高度経済成長期に生起していた、春日部市にとって古くて新しい問題なのです。
さて、駅が開設される以前の駅前の様子は、おそらく田んぼや畑であったことは、江戸時代の粕壁宿の時代の資料などで明らかですが、これまで街路や土地割りの様子などは、よくわかっていませんでした。
今回、展示した資料は、粕壁町の字内出の耕地絵図です。資料の年紀は明治35年(1902)ですが、描かれた内容は、東武鉄道が敷設される以前の状況のようです。最近、市民の方からご寄贈いただいた、近代の粕壁町の商家資料群から見出されたものです。
この絵図を先の昭和8年の絵図と比較してみると、私たちが当たり前にみている駅前もまた、当時は粕壁町のはずれにあり、街路や土地割りは、駅開業後に造成されたことが明らかになります。詳細は展示で。
駅ができ、駅前が造成され、西口ができ、西口に市街地が広がり、そして今「分断」を解消するための鉄道高架が始まる。粕壁の字内出の土地に刻まれた駅前の歴史を、ぜひ展示室でご覧ください。
郷土資料館【手作りおもちゃクラブ】を開催しました
令和6年11月10日(日)と14日(木)「県民の日」 の午前と午後各1回ずつ、郷土資料館手作りおもちゃクラブを開催しました。
今月の手作りおもちゃクラブは2回開催!
10日(日)は「発泡スチロール飛行機」、14日(木)は「からくり屛風」を作りました。
まずは恒例の蓄音機の上演です。10日と14日は連続してきてくれる子もいましたので、それぞれ別の曲をかけてみました。
10日は“口笛吹きと犬”、14日は“かっこうのワルツ”を選曲。どちらも一度は聞いたことがある有名な曲・・・だと思ったのですが、こども達からは「初めて聞く」との声が。。
大人は多くの人が聞いたことがあると思うのですが、いったい大人になるまでのどの段階で知ったのか、私は思い出せません(笑)
紙芝居は10日「火伏の龍」、14日「火事よけ天狗」を読みました。
どちらも、火事から家を守ってもらったという伝説のお話です。乾燥してくる季節になってきましたので、皆さんも火の元にはご注意を!
おもちゃ作りは10日「発泡スチロール飛行機」、14日「からくり屛風」を作りました。
今回で3度目となる発泡スチロール飛行機。毎回の反省点を踏まえ、実はちょっとずつアップグレードしています。
その甲斐あってか少し飛ばす練習をしたら、みんな上手に飛ばせていました。
こどもたちからも「見た目より飛ぶ!」という嬉しい感想を聞くことができました!
こちらはからくり屛風作りの風景。
発泡スチロール飛行機が動きの大きい“動”のおもちゃなら、からくり屛風は仕掛けを楽しむ“静”のおもちゃといったところでしょうか。
2枚の組み合わせた板をクルクル回すと、4枚の絵柄がでてくる不思議なおもちゃです!
そして、最後にお土産の缶バッジ作り!
こどもにとっては結構力のいる作業だったりします。何年か前はまだ小さくて自分の力ではできなかった子が、成長して自力でできるようになった姿をみると、なんだが感激してしまいます(笑)
皆さま今回もご参加ありがとうございました!
次回の手作りおもちゃクラブは12月8日(日)に開催予定です。
詳しくは広報紙等に掲載いたします。年内最後になりますので是非ご参加ください!
【講座ができるまで(前編)】体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」受付中です
郷土資料館では毎年12月に“しめ縄”を作る講座を開催しています。
令和6年度分は現在予約受付中です(12月22日(日)教育センター分は定員に達しましたので受付終了)
本年は12月15日(日)にハルカイトで、22日(日)に教育センターで開催します。15日(日)のハルカイト分はまだ僅かに空きがございますので参加希望の方はお急ぎください!
さて、今日はしめ縄作りの講座準備風景を紹介します。
こちらは9月末の稲わらの調達風景です(ごめんなさい、写真は去年のものです)。
8月中には農家さんに稲刈りの際に稲わらをいただくお願いをしています。これを忘れると講座そのものが開催できないので油断厳禁です!
いただいた稲わらは公用車に積んで持ち帰るのですが、後部座席がいっぱいになるほど(笑)
稲穂の香りを漂わせながら教育センターに戻ります。
続いては、稲わらを干す作業です。
教育センターに持ち帰った稲わらは適度な大きさにまとめて縛り、可能な限り天日で干します。
退庁前に建物内に取り込み、物干し竿に掛け、数週間かけて乾燥させます。青かった稲わらが乾燥して、少しずつ色が抜けていきます。
調達から乾燥のために干すまで、ほぼ一日がかりです。
今回のブログではここで一旦終了、後編では乾燥させた稲わらが講座当日の姿になるまでをご紹介します!
#古文書解読勉強会 #一ノ割 村の古文書を読んでいます #松伏溜井 付近の洗堰をめぐる出入
郷土資料館では、市民の方たちと郷土資料館所蔵の古文書を読む、古文書勉強会を開催しています。ほごログでの紹介はご無沙汰していますが、月に一度の頻度で、市民の皆さんが主体になって決まったテキストを講読するものです。
2022年5月から長らく翻刻をしてきた「宝暦度より酒造用留」が2024年6月に読み終わり(只今見直し中)、引き続き館蔵の一ノ割村関係の古文書を読み進めています。
一ノ割村の古文書は、古書店で購入された竪冊3点で、詳しい出所は不明ですが、館蔵資料として伝来しています。すでに、嘉永7年2月「頼一札(日光道中定助郷増惣代頼み証文)」、慶応2年9月「議定書(村役人跡役議定)」は読み終え、現在は天明期の出入(訴訟)一件留を講読しています。
史料によれば、出入りの内容は「悪水吐場切流諸入用并諸色代滞出入」、すなわち増林村(現越谷市増林)にあった「悪水吐場」(排水地点)の「字新違堤」の維持管理・訴願に関わる費用をめぐるものです。字新違堤とは、古利根川の堰である松伏溜井のそば(南西)にあった洗堰・堤防のことで、『明治以前日本土木史』によれば、寛保の大洪水後に「増林村新違堤へ水流十間・横十間竹洗堰を新設し、其上に〆切を為し、洪水の時に之を取払ひ、悪水吐の用意を為す」と記されています。松伏溜井の堰と同様に、下流の灌漑のための堰であるとともに、増水・洪水時には堰を取り払って、水を「切流」がして上流の湛水を防ぐ役割をもつ当該地域の用排水にとって重要な水利構造物だったようです。
新違堤と洗堰については、船橋市デジタルミュージアムで公開されている「江戸川筋の図」でご覧いただけます。
絵図をみると、「新違」「洗堰」はちょうど、松伏溜井の堰枠から南西に流れる「西葛西用水」沿いにあったことがわかります。「西葛西用水」は古利根川の流れを元荒川につないだ水路(鷺後〈さぎしろ〉用水)であり、現在「逆川(さかさがわ)」と呼ばれている水路です。逆川の呼び名からも明らかなように、普段は古利根川から元荒川へと水が流れていますが、時によっては元荒川から古利根川(松伏溜井)の方向へと逆流することもあったようです。かつ、新違堤の下流には、排水路の千間堀(現在の新方川に相当)が流れ込んでおり、逆川が逆流すると、千間堀の排水にも支障が生じたことが想像されます。
史料にみる天明5年の争論は、この「新違」「洗堰」をめぐる維持管理・訴願費用の割り当てをめぐるものであり、平方村・向畑村の村役人が、市野割(一ノ割)村の村役人を相手取って出訴したものです。増林村の「新違」「洗堰」は、一ノ割から遠く離れていますが、先の絵図からもわかるように千間堀や合野川を経て、「新違」「洗堰」付近まで水が落ちており、訴訟方は、この維持管理費用を負担を要求したようです。
この古文書は相手方(被告側)の一ノ割村の文書のみ書き留められているため、訴訟方の言い分やその背景がうかがえる記述は乏しく、出入の内容が掴みにくく皆さん解読・解釈に苦労されているようです。また、問題となる「新違」「洗堰」が市外(越谷市)にあるということもあり、土地勘がイメージしづらいのかもしれません。
古文書を読むなかで、参加者の方が松伏溜井周辺を散策されてきた、と周辺の写真を送ってきてくださいました。松伏溜井をはじめ、千間堀など、明治末から大正期にかけての耕地整理事業や現代の圃場整備などによって、景観が大きく変わっていますが、しかし、現地でないとわからないこともあります。フィールドワークは重要なのです。以下、いただいた写真を紹介しましょう。
松伏溜井の堰は、現在「古利根堰」と呼ばれています。かつての堰枠は「増林堰」または「大吉堰」と呼ばれ、土橋を兼ねた土堰で、猿島街道の往来道になっていました。その後の昭和期の増林村絵図や古写真をみても堰は橋にかなり近い位置に設置されていたことがわかります。現在の堰は、橋やかつての位置よりも上流に設置されており、毎年4月上旬から9月中旬までゲートを下げて、古利根川の水位を上げ、農業用水として灌漑されています。
「古利根堰」の上流は、今の季節は水位が下がっているものの、かつて松伏溜井と呼ばれた名残りがうかがえます。
続いて、逆川の写真。当時(近世)には掛かっていなかった橋から、元荒川方面をみた写真だそうです。
写真の右手がかつての弥十郎村・大吉村、左手がかつての増林村・花田村ということになります。現地でご覧になられて、右側のほうが土地(標高)が低くなっているそうです。であれば、千間堀が落ち込んでくる弥十郎村・大吉村の人々は、増水時の千間堀の排水や「新違」「洗堰」の取り払いに執心したのではないか、と想像されます。溜井の上郷(大吉村など)と下郷(増林村など)との対立は、実際に、安政6年の水害時に大吉村の人々が堤防の切割りを実力行使したことにはじまる「逆川切割り騒動」へと発展しています(『越谷市史通史編上』)。
読み始めた頃は「新違堤」が何なのか全く想像もできませんでしたが、関連資料や現地の写真・踏査などにより、段々とわかってきた(ような)気がします。今後も、実地の写真や関連資料を踏まえながら、古文書を解読・解釈していきたいと思います。
ちなみに、次回の古文書勉強会は11月17日(日)14時~を予定しています。ご関心がある方は見学でも構いませんのでお待ちしています。
【東部地区文化財担当者会リレー展示_都鳥が見た古代】羽生市立郷土資料館でパネル展が開催されています
12月1日まで、羽生市立郷土資料館で、「都鳥がみた古代」のパネル展が開催されています。
羽生市立図書館 郷土資料館
羽生市立郷土資料館は東武伊勢崎線羽生駅から東南方向へ約1.8㎞の位置にあります。羽生市立図書館との複合施設です。
「都鳥が見た古代」のパネル展示は、郷土資料館の常設展示室の一角で行われています。
常設展示室の展示は、「羽生の文学と歴史」と銘打ち、羽生を舞台とした小説『田舎教師』を書いた田山花袋(たやま かたい)や羽生市出身の詩人宮澤章二(みやざわ しょうじ)の資料とともに、羽生市内から出土した考古資料などを展示しています。
なかでも、羽生市内で出土している縄文時代晩期の「土面(どめん)」は、原品は東京国立博物館に収蔵されていますが、羽生市立郷土資料館には精巧に作られたレプリカが展示されており、細部までじっくり見ることができます。
「土面」(羽生市発戸出土)国立文化財機構所蔵品統合検索システム
公共交通機関でのアクセスする場合、東武伊勢崎線羽生駅から徒歩で約25分です。
この機会にぜひお出かけください。
開催期間 令和6年11月2日(土曜日)~12月1日(日曜日)
開催場所 羽生市立郷土資料館 常設展示室 羽生市下羽生948番地
開館時間 午前9時から午後4時30分まで
休館日 火曜日、毎月第4木曜日(館内整理日)
お問い合わせ 048-562-4341
リレー展示は、下記日程で開催予定です。
11月2日から12月1日 羽生市立郷土資料館 パネル展示
12月14日から令和7年1月13日 越谷市立図書館展示室 パネル展示
1月25日から3月9日 八潮市立資料館 資料展示
3月15日から4月8日 白岡市立歴史資料館 資料展示
4月12日から4月29日 吉川市中央公民館 パネル展示
5月3日から5月25日 久喜市立郷土資料館 資料展示
6月3日から7月21日 幸手市郷土資料館 資料展示
7月29日から8月24日 蓮田市文化財展示館 資料展示
9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示
10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示
令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示
東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」も好評発売中です。詳しくはこちら
#ハルカイト 見学のススメ(3) タッチパネルシステム
引き続き、ハルカイト(大凧文化交流センター)の見どころをご紹介。
第3弾は、1階宝珠花サロンの一角にある大きな画面に注目してみましょう。
宝珠花サロンは、1階に所在します。ここでは、宝珠花小・富多小の歴史や、郷土の作家三上於菟吉の事績の展示、地域のコミュニティについて展示紹介しています。
同時に、ハルイカイト全体のガイダンス的、導入的な部屋になれば、という企画のもと、どなたでも入りやすく、ふらっと立ち寄り、くつろげるように、椅子とテーブルが設置されています。部屋に入った正面にみえるのが、大きな画面のタッチパネルシステムです。
普段は神明貝塚の映像がエンドレス(ループ)で上映されていますが、タッチパネルに触ると、上のような画面に。
①ハルカイトを起点に周辺を散策いただき、歴史文化を感じていただけるスポットを紹介する「周辺散策」。
②二階の大凧文化展示室や歴史民俗展示室の展示概要を紹介する「施設紹介」。
③宝珠花周辺の動画や映像、古写真を閲覧できる「宝珠花アーカイブ」。
の3つのメニューを立てています。
③をタッチしてみると、
このようなメニューが出てきます。昭和27年に町が全戸移転した宝珠花村の記録映画をはじめ、国史跡の神明貝塚の動画、宝珠花小・富多小の古写真をご覧いただけます。
富多小学校の思い出をタッチすると、
こんな感じです。学校に遺されていた最古級の写真を中心に、懐かしい小学校の写真を詰め込んでみました。
古い写真は資料性が高いので、今後、このブログや他の方法でも公開していきたいと思います。
さて、メインメニューに戻ると、①「周辺散策」はこんな感じ。
大凧揚げを継承する地区としての西宝珠花を紹介する、「大凧の里を歩く」
西親野井に所在sる国史跡の神明貝塚を紹介する、「神明貝塚を歩く」
江戸川の河岸の町として繁栄した西宝珠花を紹介する、「宝珠花の町を歩く」
埼玉県・千葉県境を流れる江戸川の歴史文化を紹介する、「江戸川を歩く」
木崎地区出身の昭和の大衆作家三上於菟吉を紹介する、「三上於菟吉を歩く」
庄和地域の指定文化財を紹介する、「文化財をめぐる」
の6本立てとなっています。
それぞれのコンテンツは、写真と簡単な文章で様々なことを紹介しています。
例えば、三上於菟吉の概要は、下の通り、「三上於菟吉とは」というコンテンツにまとめられています。
こうした個別のページは全部で70余コンテンツ用意しました。古写真は宝珠花小で50点、富多小で50点となりますので、全部合わせると、約180のコンテンツがこのタッチパネルに入っているのです(重複するものもありますが)。
見どころがタッチパネルシステム、というのもなんだかなぁ、と思いますが、郷土資料館には備えられていない最新鋭の機械ですし、約180のコンテンツをつくった「中の人」も、さぞや大変だったことでしょう。
ぜひ、ハルカイトにお越しの際には、施設やその周辺の道先案内人としてタッチパネルシステムをつかってみてください。
武里西小学校の3年生が郷土資料館を見学しました
令和6年11月5日(火)に武里西小学校の3年生が郷土資料館を見学しました。
1~3組を2つに分け、常設展示室と企画展示室を見学しました。
常設展示室では竪穴建物の説明をうけ、約5000年前の縄文人の生活の様子を学びました。
模型の中央にある炉(ろ)は、電気のない時代の照明や、暖房、料理の役割を担っていました。火を使う道具なので、火災には注意を払っていたことでしょう。みんなも火の取り扱いには注意しましょうね!
企画展示室では約60年前の暮らしの道具について説明をうけました。
洗濯に使われていた“洗濯板”や、アイロンとして使用された“こて”など、電気がまだ普及しきっていなかった時代の家庭の道具がたくさん!
黒電話は使ったことがなくても、存在を知っている児童は多いようで「おぉ~レトロ~」との声が。私が小学生の頃はまだ「レトロ」という言葉に馴染みがありませんでしたが、昨今の昭和レトロブームなどが起きてからレトロという言葉が一般化してきたような気がします。それぞれ生きる時代によって、当たり前の言葉も変化していくのだなぁと感じました。
自由見学の時間には、展示を見学しながら、配布してあった「探検シート」で学びを深めたり、おもちゃコーナーで存分に遊んだりと、思い思いの時間を過ごしました。
見学時間が短めだったので、展示の説明も少し駆け足になってしましたが、充実した時間を過ごしてくれたようで何よりです!
今度はお友達や保護者の方と、たっぷり遊びに来てください!
【手作りおもちゃクラブ】11月の手作りおもちゃクラブは!
11月10日(日)と14日(木)(県民の日)に“手作りおもちゃクラブ”を開催します。
11月はなんと2days!
それぞれ違うおもちゃを作りますよ♪
11月10日(日)は「発泡スチロール飛行機」
手作りおもちゃクラブで作るのはまだ3度目という比較的新顔のおもちゃです。
動画を見ていただくとおわかりいただけるとおり、勢いよく飛んでいきます!
11月14日(木)(県民の日)は「からくり屛風」
こちらも動画をみていだだくとわかりやすいのですが、屏風をクルクルとまわすと、4面の色が現れるという不思議なからくりおもちゃです!
からくりがあるため作成に少し手間と時間が必要ですが、職員がお手伝いしますのでご安心ください♪
おもちゃの紹介はコチラ
手作りおもちゃクラブは申込不要、おもちゃの材料も資料館で用意しています。
当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!
【手作りおもちゃクラブ】
日時:令和6年11月10日(日)・14日(木)
各日 午前10時30分~・午後2時~
場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)
内容:蓄音機と紙芝居の上演
おもちゃづくり(10日(日)発泡スチロール飛行機・14日(木)からくり屛風)
費用:無料
申込:不要(開催時間までに郷土資料館にお越しください)
#総選挙 「第一回むかしのどうぐ人気投票」投票用紙を覗く
「くらしのうつりかわり」展の企画「第一回むかしのどうぐ人気投票」。おかげさまで投票箱がいっぱいになってきましたので、いったん投票箱を整理し、中身を開けてみました。
投票用紙は100票以上。整理してみると、8歳、9歳の方の投票が多く、社会科見学で来館した小学校3年生が積極的に投票してくれているようです。
投票の対象はさまざま。理由は、家にあるから、見たことないから、古くてカッコいいからなどなど、本当に様々です。たとえば、武里小学校の遠足のしおりに投票してくれた子は、
今との違いが気になって、投票してくれたみたいです。
今年収集し、初出品した資料なので、票を得られてよかったです。
つづいて、毎年定番の資料「白黒テレビ」に投票してくれた子は、
「ザ・レトロ!だから」と理由に書いています。「ザ」が付く言葉は、「ザ・ベストテン」か「ザ・ウルトラマン」しか思い浮かびませんが、レトロのなかのレトロ、という意味でしょうか。
白黒テレビを使ったことのない世代にもかかわらず、「レトロである」と理由にしていることが、何とも趣があります。
また、絹綿に投票してくれた子は、
「もこもこふわふわそうだから」と書いてくれています。「もこもこ」「ふわふわ」がイイ、という感覚は、展示担当者はまったくありませんでした。資料をみるまなざしや感性は本当に様々で、大人では思いもよらない言語、表現に接することができ、展示担当者として大変刺激的です。
このほかにも一般の大人の方の投票も散見されます。
24歳の方は、手回し洗濯機に1票。形が面白い、と直感的に選んでくださいました。確かに面白い形で、インパクトがあります。定番の資料でもあり、かつ割とレアな資料でもあり、テレビの出演経験もあり、人気が高くなりそうです。
投票は、来館された方ならどなたでもOK。市内在住在勤を問わず、外国の方、赤ちゃんでも、何度投票しても構いません。結果により、展示資料の入れ替えも検討していく重要な選挙になりますので、ぜひご参加ください。
開票の集計は、後日行い、中間発表は12月17日を予定しています。
#体験 ! #春日部 #桐 のオリジナル #貯金箱づくり(11月16日開催。若干名定員あり)
毎秋、恒例の桐の貯金箱づくり。春日部は、桐箱・桐たんすをはじめ、江戸時代以来の桐細工が伝統的な手工芸として根付いています。この体験講座は、伝統に触れつつ、工作体験ができるとあって、大変人気です。
当館でも、材料をお譲りいただき、数か年計画で見本となる貯金箱を組み立ててみました。背板は当日、組合の方に切り抜いていただけます。白くて加工や着色がしやすい桐材なので、背板だけでなく、箱の本体にイラストを描いて着色したり、紙やシールを貼ると、好きなデザインのオリジナル貯金箱になります。見本は、資料館のオリジナルキャラクター「うめわかくん」(金の亡者バージョン)です。
今年は、すでに定員を超過していますが、春日部桐箱工業協同組合のご厚意により、定員を若干増やして開催いたします。定員はあと数人です。お子さんはもちろん、大人の方もぜひご参加ください。
日 時 令和6年11月16日(土)午後2時~4時
講 師 春日部桐箱工業協同組合の皆さん
定 員 20人
材料費 1人900円
申 込 郷土資料館に直接、電話(☎048-763-2455)、電子申請(こちらをクリック)で申込み
緑小学校の3年生が郷土資料館を見学しました
令和6年10月30日(水)に緑小学校の3年生が郷土資料館を見学しました。
1組と2組が同時に来館し、常設展示室と企画展示室に分かれて解説を受けました。
縄文時代の竪穴建物をみながら、当時の生活の様子を学びます。
縄文時代の人は、木の実やイノシシ、シカなどの動物、そして魚や貝も食べていました。
児童から「春日部に海ないよ?」という、いい疑問があったため、なぜ魚や貝がとれたのかをみんなで考えてみました!
実は約6000年前をピークとする縄文海進によって、春日部のあたりにも海が入り込んでいた、という事実を知って驚いたようです。
企画展示室では昔の家庭で使われていた道具の解説や、千歯扱き(せんばこき)で脱穀の体験をしました。
千歯扱きで稲から籾が“バラバラッ”と外れていくときには「うぉ~!」「スゲェ!」と言い反応♪
それに反して、外れた籾を我先にと触ろうとする子は少なく、行儀のよさも持ち合わせていました!
自由時間が少し短めになってしまったため、まだまだ遊びたそうな様子。
緑小から郷土資料館は遠い場所ではないので、ぜひまた遊びに来てください!
続・ #校歌 のはなし
実習生の調査から始まり、それがレファレンスを生み、さらに庄和市民大学の学習へと繋がった、校歌の話題。
先日、正善小学校の校歌をお披露目したところ、市民の方から、作詞者についてご教示をいただきました。
正善小学校の校歌の作詞者は、詩人の門倉詇(かどくら さとし)氏。戦後のうたごえ運動の定番曲「たんぽぽ」の作詞者であるそうです。
ご教示くださった市民の方は、「「たんぽぽ」は学生のときによく歌った歌の一つ」。まさか、「たんぽぽ」の作詞者が市内の小学校の校歌を作詞していたとは、と驚かれていました。
市内の学校の校歌で著名なところでは、春日部中学校校歌を下総皖一が、中野小学校校歌を古関裕而が作曲しています。下総は加須市出身の作曲家で、童謡「ゆうやけこやけ」などを作曲しています。古関も著名な作曲者で、高校野球大会歌「栄冠は君に輝く」や阪神タイガースの球団歌「阪神タイガースの歌(通称:六甲おろし)」などを作曲し、NHKの朝ドラ「エール」の主人公のモデルとなった人物です。
古関裕而記念館によれば、古関のもとには全国の学校から校歌作曲の依頼がきていたそうです。事実、中野小学校をはじめ、全国の小学校・中学校などの校歌の作曲をしています。北海道のとある小学校では、校長が「小さな学校で予算もないが、古関先生に作曲してもらいたい」と手紙で依頼したところ、古関は「お礼はいらない」と返事をし、作曲をしたそうです。校歌の完成後、学校の生徒たちが一人一握りずつ持ち寄った小豆を古関にお礼として贈ったという逸話も残っています(古関裕而記念館HPより)。
中野小学校が小豆を贈ったのかどうかはわかりません。しかし、校歌制定にあたって、校長先生や学校関係者のみなさんが奔走・尽力されたことには違いないでしょう。
それぞれの業界で活躍する著名人が、なぜ春日部市内の学校の校歌を作詞・作曲することになったのか。残念ながら、校歌制定までの過程を追える資料が残っていないため、わからないのが現状です。
なお、古関裕而記念館によれば、市内の豊野小学校の校歌も古関裕而作曲とされていますが、手元の学校要覧によれば、同校の校歌の作曲は「豊野小学校職員」となっています。今後、検討が必要がかもしれません。
詳しい情報をご存じの方がおられましたら、教えてください。
富多神社で江戸川小中学校4年生による神楽の舞が披露されました!
10月15日㈫に、春日部市神間の富多神社の例祭が開催され、
江戸川小中学校の皆さんによる神楽の舞とお囃子が披露されました。
神楽を披露してくれたのは、江戸川小中学校の第4学年24名の生徒さんです。
総合的な学習の時間に榎囃子神楽連の皆さんより教えを受け
5月から練習を重ねて、初めて晴れ舞台を踏みました。
当日は、ひょっとこ、おかめ、大黒天の演目が披露されました。
囃子方も主に小学生で構成され、それぞれ大太鼓、小太鼓、鉦(かね)の演奏を担当しました。
大黒天は演目の中で、口上を述べるのが特徴で、声を揃えて元気よく発声されていました。口上には普段は使わない難しい用語も混じっていますが、みなさん直ぐに覚えられ、保存会のみなさんものみ込みの早さには驚いてました。
最後には、記念写真をパシャリ
境内も神楽を見に来た観客と保護者の皆さん、各神社の総代さんからも応援いただきました。
日々の練習の成果を発揮してくれた4年生の皆さんお疲れ様でした!
和文化フェスタ2024ーやったり踊りが出演しました-
伝統芸能などの「和文化」との出会いの場を創出することを狙いに、10月27日(日)にピオニウオーク東松山で開催された”埼玉県 和文化フェスタ2024”に県指定無形民俗文化財「やったり踊り」を継承するやったり踊り保存会が出演しました。前日の26日から2日間にわたり、13団体のほか、和文化の様々な体験ができるワークショップが行われました。
「やったり踊り」は、例年7月15日に近い土曜日の夜に大畑香取神社で祭礼が行われていますが、今回は大型商業施設の一角が会場。戸惑いもありましたが、そこは熟練された保存会のみなさん。日没間際の午後5時前からスタート、神主姿の神社総代さんを先頭に囃手と舞手による練り込みで会場舞台へ入場。
▲神社での祭礼と同様に神社総代による作法で舞が開始されました
揃いの浴衣と赤の手拭いによる鉢巻き、赤の鼻緒の草履と、観客の皆さんからはまずは装束姿に視線が集中しました。祝詞奏上の後、若衆頭からは踊りの由縁と種類、後継者について解説いただき、若衆による扇子踊りと手踊りの迫力のある演舞が披露されました。
▲身体を大きく反らし、躍動感あふれた「扇子踊り」
▲哀愁を帯びた謳い手の囃子の中、力強い演舞の「手踊り」
地元神社と同様に、会場来場者に向けて家内安全、無病息災を祈願した手締めや神事の装飾として作られた花が配られ、和文化フェスタの目的である商業施設を会場とすることで和文化への偶然の出会いが創出され、県中央部にある東松山市においても春日部市の伝統芸能を堪能いただけました。
大畑地区のみなさん、保存会のみなさん、貴重な日曜日のご出演、誠にありがとうございました。
春日部市史「自然史編」による『地学さんぽ講座』を開催しました!
この5月に皆さまにお知らせしました、市史の新たな刊行物「市史自然誌編」に収録した中から市内の特徴的な地形地質に焦点をあてた実地講座として「地学さんぽ」を10月26日(土)に開催しました。
1回目は八木崎駅からほど近い春日部八幡神社の境内で3名の市史執筆者の解説と様々な観察と体験を行いました。
紅葉にはもう少し寒暖差が必要かと思われる色づきのイチョウの葉について、竹内先生から講義いただきました。葉の形をはじめ、葉の裏に表れる脈、枝ぶりによって分類できる『生きている化石植物』。身近な植物ではあるが、実に今から1~2億年前から生息している解説には参加者一同、おどろきの声。境内参道の大イチョウをはじめ、八幡公園には葉の切れ込みの有無で3タイプのイチョウの葉が確認できました。
▲境内地に生育する大イチョウの葉の形を眺め見る参加者 境内と公園から拾い集めた落葉の形を比較してみました
続いて境内に広がる埼玉県指定天然記念物である「河畔砂丘」について平社先生、小川先生から講義。国内でも愛知県と岐阜県両県にまたがる木曽川流域と埼玉県東部の利根川筋で確認される希少な地形。その中でも砂丘のメカニズムや形成の開始時期と完了した時期が浜川戸遺跡の発掘調査で得られた考古遺物で明らかにされている『浜川戸河畔砂丘』について実地見聞を行いました。境内地にいくつもの社が祀られていますが、その中でも稲荷社は砂丘の最高地点に鎮座。砂丘の高まりを利用して建立されいたという解説には古くから参拝されていた参加者も足下の砂の存在に初めて気づかされました。
▲八幡公園から北側稲荷社には明らかな高まりが観察できる。八幡神社から稲荷社への参道には砂地で覆われており、これが浜川戸砂丘の裾野にあたる。
その後、境内東側の浅間社へ移動。手作りで製作できる測定器を用いて市内有数の高さを誇る富士塚で班で測量してみました。視線の高さを基準に繰り返し移動、従前までは8m余りと記録されていましたが、実際に測ると12.5mと判別。いずれの班も許容範囲の値が確認することができました。
▲班ごとに測量分担を決め、班行動。手作り測定器のおもりを垂直に垂らし、目線の高さを基準に繰り返し測量してみました。
次回は2月2日(日)。教育センターで、市内の砂丘の砂や関東周辺の火山からもたらされた関東ロームの土壌を顕微鏡で観察、火山や河川からもたらされた鉱石類の観察をとおしてミクロの世界から市内の地形の成り立ちを探ります。興味のある方はご連絡をお待ちしております。
(文化財課 739-6811)。
10月の近隣博物館・資料館の考古学情報
10月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。(毎月28日ごろに掲載します。随時、情報を更新します。)
見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。
(展示会_閉会日順)
・11月2日(土曜日)から12月1日(日曜日)まで 羽生市郷土資料館 都鳥が見た古代(パネル展)
・10月31日(木曜日)まで 神川町多目的交流施設(神川町)「鏃のうつりかわりinかみかわ」
・11月4日(月曜日・祝日)まで 松戸市立博物館(千葉県松戸市)「異形土器 縄文時代の不思議なうつわ」
・11月8日(金曜日)まで 立正大学博物館(熊谷市)令和6年度館務実習生 ミニ企画展「立正大学のDOGU-土偶ー」
・11月10日(日曜日)まで 桑都日本遺産センター 八王子博物館(東京都八王子市) 企画展「窯がつくるくらしー平安時代のしごとー」
・11月14日(木曜日)まで 国際基督教大学博物館湯浅八郎記念館(東京都三鷹市)「野川中流域の旧石器時代―ホモサピエンス 氷期の暮らし」
・11月17日(日曜日)まで 栃木県埋蔵文化財センター(栃木県下野市)巡回展「栃木の遺跡&発掘調査速報展」
・11月17日(日曜日)まで めぐろ歴史資料館(東京都目黒区) 新発掘速報展
・11月17日(日曜日)まで 千葉県立房総のむら風土記の丘資料館(千葉県印旛郡栄町) 令和6年度出土遺物公開事業 「地中からのメッセージ-旧石器・縄文・弥生-」 千葉県教育振興財団サイト
・11月24日(日曜日)まで 埼玉県立嵐山史跡の博物館(嵐山町)ほか 比企歴史の丘巡回文化財展「比企の縄文時代ー縄文時代の道具」
・11月24日(日曜日)まで 群馬県立歴史博物館(群馬県高崎市) 第111回企画展「弥生人は二度死ぬー再葬墓ってなに?ー」
・11月24日(日曜日)まで 行田市郷土博物館(行田市) 第37回企画展「布をまとう―古代人の衣(ころも)―」
・11月24日(日曜日)まで 谷田部郷土資料館(茨城県つくば市) 巡回企画展「中根・金田台地区の遺跡」
・11月24日(日曜日)まで 山梨県立考古博物館(山梨県甲府市) 特別展「縄文時代の不思議な道具」
・12月1日(日曜日)まで 埼玉県立さきたま史跡の博物館(行田市) 令和6年度 企画展「古墳時代の装い-おしゃれな古代人-」
・12月1日(日曜日)まで 観音塚考古資料館(群馬県高崎市)令和6年度 第36回企画展「地方から見た律令国家成立前夜 - 群馬の7世紀史を考える -」
・12月1日(日曜日)まで 大田区立郷土博物館(東京都大田区)「矢を放て!~関東の弓矢、1万年~」
・12月8日(日曜日)まで 東京国立博物館(東京都台東区)挂甲の武人国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」
・12月8日(日曜日)まで 北区飛鳥山博物館(東京都北区)秋期企画展「台所(キッチン)の考古学-食にまつわる道具の歴史-」
・12月8日(日曜日)まで あつぎ郷土博物館(神奈川県厚木市) 特別展「ドグウ集まれ!」
・12月15日(日曜日)まで 草加市歴史民俗資料館(草加市) 秋季企画展 「古墳時代の草加地域」
・12月15日(日曜日)まで 市原歴史博物館(千葉県市原市) 令和6年度特別展「旅するはにわ-房総の埴輪にみる地域間交流-」
・12月15日(日曜日)まで 常陸大宮市歴史民俗資料館(茨城県常陸大宮市)令和6年度企画展「弥生の墓」
・12月22日(日曜日)まで 国立近代美術館(東京都千代田区)「ハニワと土偶の近代 」
・12月22日(日曜日)まで 本庄早稲田の杜ミュージアム(本庄市)「埴輪ー本庄とその周辺地域における埴輪の導入から終焉まで」
・12月27日(金曜日)まで 石岡市立ふるさと歴史館 (茨城県石岡市) 第38回企画展 「舟塚山古墳の埴輪」
・1月26日(日曜日)まで 岩槻郷土資料館(さいたま市岩槻区)「ミミズク土偶の世界 ~埼玉のミミズク土偶大集合~」
・3月2日(日曜日)まで 千葉市立加曽利貝塚博物館(千葉県千葉市) 令和6年度企画展示 加曽利貝塚E地点・B地点発掘100周年記念「あれもEこれもE―加曽利E式土器(総括編)―」
(現地見学会)
・11月16日(土曜日)真福寺貝塚(さいたま市岩槻区)さいたま市教育委員会
・11月17日(日曜日)伊奈氏屋敷跡(裏門跡)(伊奈町)伊奈町教育委員会
・11月20日(水曜日)・23日(土曜日・祝日) 午王山遺跡(和光市)和光市教育委員会
(講演会)
・11月16日(土曜日)奈良文化財研究所 一橋大学一橋講堂(東京都千代田区)第15回東京講演会「奈文研、食に挑む―ヒトは何をどのように食べてきたのか?―」(要申込) 奈良文化財研究所
・12月7日(土曜日)プリミエール酒々井文化ホール(千葉県酒々井町) 史跡墨古沢遺跡国史跡指定5周年記念講演会「墨古沢遺跡」(要申込) 酒々井町教育委員会
#常設展 #展示替 しました #奥の細道 #松尾芭蕉
常設展の「粕壁宿と町の人びと」のコーナーの展示資料を入れ替えました。 #かすかべプラスワン
ご存じの通り、松尾芭蕉は、紀行文「奥の細道」を執筆するために、元禄2年(1689) 3月27日の明け方、江戸深川を出立し、弟子の河合曽良(かわい そら)とともに春日部に宿泊しています。
日光道中や宿場町の町歩き、散策をされる方のなかには、芭蕉の足跡をたどって、街道を踏破されている方もおり、芭蕉と春日部(粕壁)の関わりを詳しく知りたい方が多く、芭蕉に関する展示やガイダンスは非常にニーズが高いものとなっています。
郷土資料館では、芭蕉の図像(肖像)や様々な彼の作品(版本)を所蔵していますが、肝心の芭蕉の代表的な紀行文「奥の細道」がありませんでした。「奥の細道」には、春日部(粕壁)は登場しませんが、日光道中や宿場町の歴史を紹介する当館の常設展示に、芭蕉の紹介や「奥の細道」を展示することは、長年の課題となっていました。
今回、複製本を入手することが叶い、念願の「奥の細道」を展示することになりました。地方文書ばかりで散漫な展示ですが、展示がギュッと引き締まった感じがして、春日部の歴史がより立体的になりました(※個人の意見です)。
ぜひご覧ください。
五穀豊穣を感謝する秋季例祭が行われました~獅子舞の公開~
ようやく半袖から秋の装いへと衣替えし、木々が色づきだしたという便りが各地から聞かれるようになった今日この頃、市内南部、豊野地区の赤沼と銚子口で江戸時代前半から伝承されている市指定無形民俗文化財の獅子舞が10月20日(日)にそれぞれの郷社にて公開されました。
赤沼神社の境内では「赤沼の獅子舞」が公開され、伝統の三匹獅子の勇壮な舞に加え、7名の児童による子ども獅子が愛らしく披露されました。また、収穫祭にちなみ『稲荷(とうか)の舞』、『魚釣り』などの神楽も舞われ、地域一帯となった秋祭りとなりました。
▲赤沼の獅子舞の代名詞「太夫獅子の出端」は躍動感あふれた舞。「稲荷(とうか)の舞」ではいたずら狐が子供をさらう場面。毎回、会場からは笑いと拍手喝采。今秋のお子さんは終始笑顔できつねにも怖がらず将来の舞手候補かも!
▲小学生から幼稚園まで7名の児童による子ども獅子。見事に練習の成果を発揮してくれました。12月からは銚子口の獅子舞とともに地元豊野小学校での「獅子舞授業」も開始されます。
銚子口香取神社では「銚子口の獅子舞」が公開されました。天狗を先頭に境内前をお清めされた後、三匹獅子、さらには秋の収穫に感謝する『弓くぐりの舞』が披露、太夫獅子が見事に大竹に荒縄で作られた大弓を飛びくくることができました。最後には地域全体と祭礼に参加された方々への無病息災を祈願した『弊かがり』によって締めくくられました。
▲長さ2.8mあまりの竹を荒縄でしならせた弓をくぐる様は迫力満点。今秋の収穫に感謝する舞である。
▲祭礼の締めは太夫による「弊かがり」御幣によるお祓いで無病息災を祈願してくれます。
両団体には年明け2月に中央公民館の舞台上で獅子舞を披露いただく、「第12回春日部市民俗芸能公開事業」にも出演が決定しております。両団体の兄弟獅子の共演も久しぶりとなりますので、乞うご期待ください。
【臨時休館のお知らせ】10月26日(土)午後、27日(日)
令和6年10月27日(日)は、教育センターが衆議院議員総選挙の投票所として利用されます。そのため、準備を含め下記の日程で郷土資料館は休館となります。ご理解とご協力のほど、よろしくお願いいたします。
〈臨時休館日〉
令和6年10月26日(土)午後
令和6年10月27日(日)終日
※令和6年10月28日(月)は通常の休館日となります。
桜川小学校の3年生が郷土資料館を見学しました
令和6年10月18日(金)に桜川小学校の3年生が郷土資料館を見学しました。
今日は楽しい社会科見学の日だそうです!市役所新庁舎、郷土資料館、豊野工業団地(バスの中から見学)、折原果樹園と1日かけて回るとのことで、大喜びの様子♪
郷土資料館では、常設展示室、企画展示室、鉄道高架PR展示室を紹介しました。
常設展示室では、縄文時代の竪穴建物の模型や、江戸時代の粕壁宿の模型をみながら学芸委の解説を聞きました。
縄文時代の人は何を食べていたのか、どういう暮らしをしていたのか、模型の中にある食材や道具などから探っていきました。
衣服がシカなどの動物の皮で作られていることなど知らないことがいっぱいでしたね!
企画展示室では、約80年くらい前の民具について解説を受けました。
現在、企画展示室では「くらしのうつりかわり」展を開催しており、多くの民具が展示されています。
今年は、「むかしのどうぐ人気投票」を行っており、児童たちにも任意で参加してもらいました。それが功を奏してか、投票のために道具の名前に注目する子もチラホラ。普段は民具の外見だけに注目する子が多いのですが、参加型になると展示の見方も変わるようです
鉄道高架PR展示室では、県鉄道高架建設事務所の職員の方に解説をしていただきました。
鉄道の高架化は、鉄道を高い位置に設置して暮らしを便利にする事業です。いわゆる“開かずの踏切”が春日部にも存在しており、児童たちもその存在は知っている様子。そういった身近な問題の解決から、駅周辺の活性化など児童の視点からもわかりやすく解説してもらいました。
自由見学の時間には、モニターに釘付けになる児童の姿も(笑)
今日は雨が降ったりやんだりとはっきりしないお天気ですが、きっとどんな天気でも楽しめてしまうでしょう!
そんな風に思わせてくれる、元気いっぱいの桜川小3年生でした!
ぜひまた来てください♪
#ハルカイト 見学のススメ(2) 大型 #民具 目白押し
前回の記事に引き続き、ハルカイト(大凧文化交流センター)の見どころをご紹介。
第2弾は、地域の歴史民俗を紹介する展示室。
郷土資料館は狭く、展示スペースが限られていますので、特に歴史時代のパートでは立体的な資料が少なく、よく言えばコンパクト。悪く言えば迫力に欠ける展示です。仮に立体物を展示すると、資料1点だけで終わってしまうから、仕方なく、こじんまりとした展示をしています。反対にいえば、大型の民具があっても、展示できない、日の目を見る事がないということです。
そうした課題もあり、ハルカイトの展示では、郷土資料館では展示しづらい大型の民具をいくつも展示してみました。
その一例が、これです。
資料の名称は「タコ」。大人4人を棒をもち、地面をドスン、ドスンをたたく道具です。堤防やあぜ道、土間などの地固めで使ったものです。下吉妻地区で使用されていたものです。次の道具も同じ用途で使われたものです。
名前は「ジギョウツキ」。赤沼地区で使用されていたものです。
「ジギョウ」とは「ジンギョウ」ともいい、漢字では「地形」と書くようです。地形とは、国語辞典では地固めのことを指しますが、地元では水塚(みづか)などの地固めした土地のことを「ジンギョウ」と呼ぶようです(松伏町史資料2『民具』)。
本来は、前の「タコ」と同様に立てて使うものなので、立てて展示したかったのですが、資料の高さが314cmもあり、天井にぶつかってしまうため、残念ながら寝かせて展示です。
いずれも、市民の皆様から寄贈されながらも、長く別置された倉庫に保管されていて、なかなか日の目を見ることがなかった資料です。中川低地の県東部地域で特徴的な水塚(みづか)、あるいは堤防などを築造するのに使われた、特色ある資料といえるでしょう。
ほかにも、郷土資料館では、お目見えできない迫力ある民具が並んでいますので、ぜひ民具マニアの方も、そうでない方も、ご覧いただければ幸いです。
【 #10月15日 】 #今日は何の日? in春日部
今から70年前、昭和29年(1954)10月15日は 市の広報誌が発行された日です。 #かすかべプラスワン
今は「広報かすかべ」と呼んでる市報のはじまりの話。当時は「春日部市政だより」という名称でした。創刊号は、瓦版のような一枚摺り物。もちろんモノクロです。創刊号の紙面はこれです(広報誌縮刷版より)。
(旧)春日部市が誕生が誕生したのは、昭和29年7月1日のこと。紙面の冒頭には、山口宏市長の「市政だより発刊に際して」のあいさつ。小見出しには「田園都市の建設を念願」とあります。
当時の市の人口は3万人余り。かつて宿場町だった粕壁の市街地から少し離れると農村=田園風景が広がるまちでした。それを「田園都市」と言い当てているのでしょう。合併直後は、財政・課税上の問題もあったようで、「本格的な建設に入るのは来年度」と断ったうえで、「学校を相互に結ぶ幹線道路の建設」を掲げ、「生成的な田園都市」を目指すと述べています。
現在の「広報かすかべ」は、市政・制度や諸事業の予定をお知らせする記事が大半を占めていますが、紙面は、市制施行後3か月を経た創刊号ということもあり、議会や様々な事業の報告、各種組織や委員会の構成員の報告など、市民に対して市政をフィードバックする記事が多いのが特徴です。裏面には、市章が決定したこと、東京で開催された全国地方自治綜合大会にて、大畑の「ミロク踊り」(やったり踊り)が三等に入賞したこと、ミス春日部が決まったこと、などを報じています。
丸山鼎市議会議長は、市政だよりの発刊を「その行政を市民に周知せしめ、市民の声を取り入れて、所謂民主的行政の運営を図るべく、即ち役所と市民のつながりとしての役割が極めて大なるもの」と位置付けています。春日部の市政について周知する媒体として、期待されていたことがうかがえるでしょう。
担当者が個人的に面白いと思えたのは、市政だよりの題字です。「春日部市政だより」の文字、「春」「部」「市」「政」はとても美しい草書体です。揮毫した人が誰なのかわかりませんが、非常に格式高い題字だと思います。いかに親しみをもって手に取ってもらえるか、工夫を重ねている現在の広報誌では考えられない題字といえましょう。ちなみに、草書体の題字は次号の第2号(昭和29年11月18日発行)で早くも楷書体に替わり、幻の題字となりました。昭和29年度は創刊号~4号、30年度は5号~10号、31年度は11・12号、32年度は13・14号と発行回数もまばらでしたが、昭和33年度の第15号(昭和33年4月10日発行)から「毎月1回・10日発行」となります。「春日部市政だより」は、第70号(昭和37年11月10日発行)を記念し、「広報かすかべ」に改称し、「紙面の刷新改変をはかる」ことになりました。当時の発行部数は、7500部と記されています。
広報誌(市政だより)のバックナンバーは創刊号に関わらず、広報かすかべの縮刷版でご覧いただけます。図書館や市政情報室などに配架しています。
ちなみに縮刷版は、昭和46年(1971)7月に発行されました。縮刷版の田中市長のあいさつ文には「新庁舎も完成し、進展する社会に即応して、なお一層の施策の充実を期するときにあたり、この17年間における市政のできごとの要約版ともいうべき「広報かすかべ縮刷版」を発刊することとした」とあります。当時、流行の最先端となる旧市庁舎(二代目市庁舎)の完成を記念して、市政が「躍進」するなかで、過去を顧みる試みがなされたといえるでしょう。しかし、縮刷版をみると、原本が破けているもの(第16号など)もあり、昭和46年当時、古い資料が処分されつつあり、17年間の市政をふりかえる(広報誌のバックナンバーを集める)ことが困難であったことがうかがえます。
「温故知新」とは使い古された言葉ですが、過去を顧みて、新しい道を切り拓くことは、70年経ち、新しい庁舎での業務が始まった今にも求められている、と感じるのは私だけでしょうか。
過去の今日は何の日?in春日部シリーズ→1月1日版、3月14日版、3月27日版、4月1日版、4月28日版、6月2日版、6月3日版、6月10日版、7月31日版、9月1日版、9月16日版、11月25日版
過去の今日は何の日?in春日部シリーズは、上のリンクからお読みいただけます。
郷土資料館【手作りおもちゃクラブ】を開催しました
令和6年10月13日(日) の午前と午後各1回ずつ、郷土資料館手作りおもちゃクラブ「ペーパーローリングを作ろう!」を開催しました。
まずは蓄音機の上演から。
使用している蓄音機は100年ほど前に使われていたもので、電気を使わず、ゼンマイで動きます。
紙芝居の読み聞かせは「蛇女房」という鶴の恩返しにも似たお話です。この日作ったおもちゃも見ようによっては蛇のようにみえるかも?
おもちゃ作りでは「ペーパーローリング」を作りました。40年くらい前には、お祭りの屋台で大ヒットしていたようです!
シュルシュルッという音も心地よく、自然に戻ってくるので何度でも遊べるのがうれしいおもちゃです♪
最後はおみやげの缶バッジ作りをしておしまいです。
実はこのバッジマシン、来てくれたこどもたちに喜んでもらうべく、毎度他課から借りてきています(笑)
今日も喜んでもらえたようで何よりです!
次回の手作りおもちゃクラブは11月10日(日)と14日(木)に開催予定です。
詳しくは広報紙等に掲載いたします。それぞれ別のおもちゃを作る予定なので、ぜひ楽しみにしていてください!
#常設展 #プチ展示替 しました
常設展示の「水とのたたかい」のコーナーの展示資料を展示替えしました。新出資料の武里小学校の日誌です。
今回展示した日誌は、昭和22年(1947)のもの。昭和22年といえば、カスリン台風の水害が起きた年です。
水害のきっかけとなった、利根川の堤防の決壊は、9月16日の午前0時に起こりました。洪水の濁流は、日時をかけて県東部の中川低地を襲い、最終的には東京まで浸水することになったのは、以前も紹介した通りです。
日誌から、水害発生時の学校の対応が明らかになります。
日誌の9月16日条には次のように記されています。
水害予防により全校児童、授業第一時にて打切、帰宅さす
水害が発生した当日、児童は通常通り、武里小学校に登校したようです。しかし、すでに利根川の堤防は決壊しており、濁流が押し寄せてくることはわかっていました。武里小学校では、「水害予防」、すなわち水害に備えるため、授業を一時間目で終え、児童を帰宅させたことがわかります。学校では、水害に備えるため、急遽宿直を2名体制にもしました(通常は1名)。
武里近辺では日中はさしたる被害がなかったようですが、夜になると半鐘が鳴りやまず、宿直の先生は騒がしい一夜を過ごしたそうです。
宿直の先生の記入欄には次のようにあります。
古利根川より浸水のおそれ時をかさねるに従ひ増大す。されど朝に到るも未だ浸水せず。
16日には、古利根川の洪水の恐れが危惧されながらも、17日朝になっても浸水被害はなかったと記録されています。
しかし、17日には近隣からの避難者が学校に集まり、学校は教室を開放しています。現代でも小学校の校舎は避難所に指定されていますが、戦後直後の時代でも困った方たちが集まる場所だったのですね。武里小は、古利根川の旧流路に発達した自然堤防の上に所在していますので、武里地区のなかでもひときわ標高が高い土地になっていることも、地元の方たちは知っていたのでしょう。
武里村では、字備後で古利根川が17日午後1時に決壊し、越水が起きています。日誌では「一ノ割方面ニ浸水」ともあり、翌17日には周辺の被害が次第に生じてきたことがわかります。その後、武里小学校はどう対応したのか。学校の再開はいつだったのか。
あまり饒舌に語ると、せっかくの展示を見に来ていただけませんので、この辺りでとどめておきます。
詳しくは展示で紹介していますので、ぜひご覧ください。
【東部地区文化財担当者会リレー展示_都鳥が見た古代】松伏町役場でパネル展が開催されています
10月28日まで、松伏町役場で、「都鳥がみた古代」のパネル展が開催されています。
松伏町役場は北越谷駅から東へ約5㎞の位置にあります。展示は、松伏町役場本庁舎入ってすぐの町政情報コーナーで行われ、この場所には、普段から松伏町内の貝塚である本郷貝塚と栄光院貝塚の出土土器が常設展示されています。
このうち本郷貝塚の土器群は、縄文時代後期の優品の蓋付(ふたつき)注口土器などから構成され、埼玉県指定文化財になっています。
公共交通機関でのアクセスする場合、せんげん台駅、北越谷駅から茨急(茨城急行)バスです。北越谷駅からは、平日は約10分ごとにバスが出ていて便利です
見学できる時間は、役場の開庁時間である月曜日から金曜日の8時30分〜17時15分ですのでご注意ください。
この機会にぜひお出かけください。
開催期間 令和6年10月4日(金曜日)~10月28日(月曜日)
開催場所 松伏町役場本庁舎1階 町政情報コーナー 松伏町大字松伏2424番地
開館時間 午前8時30分~午後5時15分
休館日 土曜・日曜・祝日
お問い合わせ 048-991-1873(教育文化振興課直通)
リレー展示は、下記日程で開催予定です。
10月4日から10月28日 松伏町役場 パネル展示
11月2日から12月1日 羽生市立郷土資料館 パネル展示
12月14日から令和7年1月13日 越谷市立図書館展示室 パネル展示
1月25日から3月9日 八潮市立資料館 資料展示
3月15日から4月8日 白岡市立歴史資料館 資料展示
4月12日から4月29日 吉川市中央公民館 パネル展示
5月3日から5月25日 久喜市立郷土資料館 資料展示
6月3日から7月21日 幸手市郷土資料館 資料展示
7月29日から8月24日 蓮田市文化財展示館 資料展示
9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示
10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示
令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示
くらしのうつりかわり展のみどころ(その2)
前に紹介した「くらしのうつりかわり」展。血も涙もない総選挙「むかしのどうぐ人気投票」も絶賛実施中です。
毎年恒例とはいいながらも、地味に展示資料やパネルを変えていますので、少し変わった点を紹介させていただきます。
例年の「くらしのうつりかわり」展では、資料をギュウギュウに詰め込んでいました。
ところ狭しと資料を展示するのが、春日部市郷土資料館流。だって、展示室が狭いんですもの。
少し見栄えが悪くたって、背に腹は代えられません。せっかく見に来てくださっているのですから、おなか一杯になるように、資料をたらふく紹介したい。そういう、展示の技法(思想?)です。
しかし、ギュウギュウだと見栄えが悪く、ごちゃごちゃしていて見ている方も(実は並べる方も)疲れます。なので、今回は、春日部市郷土資料館らしくない、若干ゆったり目の展示としました。写真奥の「むかしの家のなかの道具」のケースは例年よりも陳列するものを若干ですが、減らしています。
また、はじめて展示するモノも増やしました。
題して「千歯こき、大集合!!」
職人が一つ一つ手づくりした「むかしの道具」は、同じ名前でも、一つ一つに個性があって、背景がある。
たとえば、写真の左手前の千歯こきの台木には、墨で文字が書かれていますが、他の二つにはその痕跡がありませんし、左上段の千歯こきは、他の2つに比べて歯の数が少なくなっています(歯のことを「穂」というそうです)。
団体見学で来館してくれた小学校のみなさんには、千歯こきの体験をしてもらっています。
体験につかう千歯こきは、別にもう一つありますから、つかったものと並べ、同じ道具でも、よーくみると少しずつ違いがあることに気づいてほしい。そんな思いを込めて千歯こきを招集しました。
実は、展示場所を決めたあと、まだ千歯こきが収蔵されていることに気づきました。本当の大集合はまた別の機会を用意できればと思っています。
事業名:くらしのうつりかわりーなつかしのくらしの道具展ー・なぞとき郷土資料館THE THIRD MISSION
会 期:令和6年10月8日(火)~令和7年3月2日(日)
費 用:無料
【手作りおもちゃクラブ】ペーパーローリングを作ろう!
10月13日(日)に“手作りおもちゃクラブ”を開催します。
今回作るおもちゃは「ペーパーローリング」です。
郷土資料館で作るおもちゃは動力に電気を使わない、身近にある材料で手作りできるものになっています。電気を使わない遊びなんて、今日では探す方が難しいかもしれませんね。
もちろん下準備や、作るうえでのコツは必要ですが、懐かしさと手作り感満載に出来上がるおもちゃが“手作りおもちゃクラブ”のウリです♪
ペーパーローリングの遊び方はコチラ
シュルンッと伸び縮みする剣のようでカッコイイ!
勢いよく振りすぎると、ぐにゃりと折れ曲がって壊れてしまうのですが、そのギリギリを狙うのが楽しかったりします(笑)
手作りおもちゃクラブは申込不要、おもちゃの材料も資料館で用意しています。
当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!
【手作りおもちゃクラブ】
日時:令和6年10月13日(日)午前10時30分~・午後2時~
場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)
内容:蓄音機と紙芝居の上演
おもちゃづくり(ペーパーローリング)
費用:無料
申込:不要(開催時間までに郷土資料館にお越しください)
考古学講座第1回目を開催しましたー慈恩寺原北遺跡の旧石器
9月28日土曜日、今年度の考古学講座が開講しました。5回連続の講座で、1日目の本日は、「考古学とは?」と「春日部のどこに遺跡があるか?」、「春日部の旧石器時代」についてお話いたしました。内容は、昨年度とほぼ同様ですので、ご興味がある方は昨年度の記事などをご参照ください。
また本日は、慈恩寺原北遺跡の石器を会場でご覧いただきました。
慈恩寺原北遺跡は、東武アーバンパークライン豊春駅の北西方向、花積(はなづみ)地区に所在します。大宮台地上に立地し、標高約17mです。
平成17年に開智学園の校舎建設に先立ち発掘調査が行われ、旧石器時代、縄文時代、古墳時代、平安時代の遺構が確認されました。
このうち旧石器時代は、関東ローム層の最下部の約3万年前の層から58点の礫、石器、剥片が出土ました。
特に興味深いのは石器に使われている石材が多様なことです。群馬県域を中心に分布するガラス質黒色安山岩(あんざんがん)、栃木県矢板市高原山(たかはらやま)産の黒曜石(こくようせき)のほか、新潟県阿賀野市笹神(ささかみ)丘陵産と推定される珪質頁岩(けいしつけつがん)、碧玉(へきぎょく)、瑪瑙(めのう)などがあり、当時の人々の活動や交流範囲の広さを示しています。
これらの石器は「慈恩寺原遺跡出土旧石器時代石器群」として、春日部市指定文化財になっています。
次回は10月26日(土曜日)、内容は「発掘調査の方法・層位学」、「春日部の縄文時代」です。本日の続きもお話ししますので、お配りしたテキストをお持ちください。