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春日部の領主たち『新編図録春日部の歴史』からのご紹介ーその7

江戸時代、春日部市域は、江戸幕府領の村と岩槻藩領の村から構成されていました。元禄10年(1697)になると、時の将軍、徳川綱吉が「元禄の地方直し(げんろくのじかたなおし)」を行い、市域には旗本に米をおさめる旗本領が数多く設定されました。

旗本領の村では、複数の旗本が同規模の小さな領地を与えられる「相給知行(あいきゅうちぎょう)」の形が一般的でした。神間(かんま)村には、旗本中根氏の領地に囲まれた中に一区画だけ旗本能勢(のせ)氏の領地が存在しました。
また、旗本たちは江戸の暮らしが苦しくなると、しばしば村から御用金などを徴収しました。その見返りとして、写真の「旗本能勢氏下知状(のせしげちじょう)」にあるように、武士と同じく名字を名乗ったり刀を持ったりする苗字帯刀(みょうじたいとう)を名主(なぬし)に認めたりすることがありました。

「春日部の領主たち」 『新編図録 春日部の歴史』80ページ


相給知行の土地を描いた図(右側の中央に能勢氏の領地が描かれている)


文政7年(1824)旗本能勢氏下知状