ほごログ(文化財課ブログ)

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4月22日開催の教育委員会で文化財が新たに指定されました!

 令和3年4月22日(木)開催の4月定例教育委員会の審議で、新たに文化財が指定されました。

この文化財は西宝珠花の小流寺に伝わる江戸時代、宝永8年(1711)に制作された「木造小島庄右衛門正重坐像(こじましょうえもんまさしげざぞう)」で、有形文化財(彫刻)となります。

▲教育委員による文化財の実見の様子

 小島庄右衛門正重は、江戸幕府の代官伊奈忠治の下で活躍した人物で、現在の庄和地域を含む庄内領の開発や江戸川の開削にも携わった人物としても広く知られています。像の形態からは市域の江戸時代肖像彫刻の基準作として、また、郷土の治水の開発に功績があった人物の彫像としても歴史的価値があることからも評価されたものです。本資料で市指定文化財は46件となりました。

▲ 新たに文化財に指定された「木造小島庄右衛門正重坐像」

 今後は郷土資料館での公開を予定しております。日程が決まりましたら、改めてお知らせいたします。ご期待ください!

#牛島のフジ がスゴイ件(最終回)

藤花園の牛島のフジは今まさに満開のようです。郷土資料館の近く、図書館・文化会館の藤・藤棚も盛りを迎えています。 #かすかべプラスワン #牛島の藤

画像:図書館・文化会館の藤棚

郷土資料館の最寄りの藤は、粕壁小学校校舎の裏に自生(?)しているものです。ほかの木に巻き付いて、ものすごく高いところに花をつけています。

写真:郷土資料館もよりの藤

 

さて、引き続き、あいうえお作文「牛島のフジがスゴイ件」の続き(最終回)です。

 

「の」飲みすぎ注意!酒と料理でおもてなし

牛島のフジの藤花園には、料亭があり、料理が提供されていることは、以前紹介しました。

当然、酒も提供されており、古利根川の川魚料理をアテに、女中さんが配膳してお酒をすすめてくださいます。

大正12年の句集には「寝る人も酔っているらし藤の花」という句が収録されています。

小説家・田山花袋(たやま かたい)は、大正12年(1923)刊『東京近郊一日の行楽』のなかで、「粕壁の藤花」という随筆をのこしています。これによれば、大町桂月(おおまち けいげつ)と田山が滞在していた羽生で落ち合い、酒を飲みながら汽車で粕壁に向かい、さらに藤花園で、牛島のフジを鑑賞しながら吸い物や煮つけをアテにしながら、競い合うように酒を酌み交わしたようです。

  …私達は何を話したらう。田舎の百姓家、藤の花を見せて客を引いて拙い酒と肴とを勧める田舎の百姓家―さういふものが不思議に私には思はれた。吸物はおとし玉子、肴は鰤か何かの煮附、酒はくさい地酒・・・。(略)何うして車夫に賃金を払つたか、また何うして汽車に乗つたか、それすれも分からないくらゐであつた。

あまりいいように書いてはくれていませんが、藤の聖地で、酒を飲みすぎてしまったことにかわりはないでしょう。

 

「ふ」フジの花房は最大9尺 愛称は「九尺藤」

牛島のフジは、よく樹齢1200年以上、弘法大師の御手植えの藤だといわれます。しかし、戦後の新聞には、樹齢800年とか、戦国時代に戦死者を弔うため藤を植えたとか、その起源についてはつまびらかではありません。記録上では、江戸時代末には、すでに大名や公家等が賞賛した藤であったことは間違いないのですが。

いずれにしても、国内、いや世界でまれに見る藤の巨樹・古木であることにはかわりなく、明治時代末には、「関東一」、昭和3年(1928)の内務省天然記念物指定後には、「世界一」とも称されるようになります。なにが、「関東一」「世界一」なのか。天然記念物指定の事由をみると、学術的に確定できない樹齢を要件とするではなく、花房(かぼう)の長さを根拠としていることがわかります。その長さ、なんと「九尺」。1尺は約30センチですから、2.7メートルも花房があったといいます。だから、地元の愛称は「九尺藤」。

藤棚の広さ・規模は足利フラワーパークや市内のふじ通りに負けても、これだけの長さの花房をみせる藤は、日本、世界を捜しても牛島のフジだけです。戦前に天然記念物指定となったのも、戦後に特別天然記念物指定になったのも頷けますね。量より質です。

 

 「じ」地元かすかべの文化的サロン

これまで紹介してきたように、牛島のフジは、さまざまな文化人がおとずれたから、町・市のシンボルだから、地元の有力者や文化人たちもフジを囲んできました。藤花園という庭園が造られ、社交場としての「倶楽部」が設けられ、文化教養のある方たちが集い、句会などが催される。近代の春日部の華麗なる歴史は、牛島のフジとともに形成されてきたといっても過言ではありません。

 

以上、牛島のフジのスゴさを、あいうえお作文で紹介してきました。「牛島のフジがスゴイ件」のリーフレットは、郷土資料館で配布していますし、観光ボランティアさん・案内人の会さんにもご協力いただき、藤花園でも配布していただいています。

最後に蛇足ですが、こうした牛島のフジをめぐる歴史文化を調べていて、「渋沢栄一もみた春日部の藤」展の展示担当者として、考えたこと、気づいたことが二つほどあります。

一つは、これまで常にまちの人たちやかすかべに訪れる人たちを魅了してきた、囲まれてきたということ。しかし、現代は価値観の多様化のせいか、「かすかべisフジ」という理念が揺らぎつつあるように思えました。これからも、春日部のみなさんをはじめ、市外・県外の方たちからも愛される「牛島のフジ」であってほしいな、と願うばかりです。

もう一つは、「樹齢1200年以上!」とか「国の特別天然記念物です」とか、そんな陳腐な言葉では語りつくせない牛島のフジの歴史や文化があること。それこそが、牛島のフジのスゴさなのであり、春日部にとっては、それはもうpriceless(プライスレス)。藤だけに「不二」(二つとない)ものなのだと。おあとがよろしいでようで。

 

「渋沢栄一もみた春日部の藤」展は、5月2日(日)まで。4月25日(日)には、感染症対策にも配慮してミュージアムトーク(学芸員による展示解説)も実施します。10時30分~、15時~の二回。会期は残りわずかです。ぜひご来館ください。

【5/18~新収蔵品展】プリントゴッコをご寄贈いただきました

<郷土資料館では、令和3年5月18日(火)~7月4日(日)の期間で、第63回企画展示「かすかべのたからもの18新収蔵品展」を開催します。近年、資料館に寄贈、寄託された資料を展示します。> 

昨年、市内の方からプリントゴッコをご寄贈いただきました。次回の企画展示、5月18日(火)からの新収蔵品展にて展示します。平成5(1993)年、ロビンソン春日部店の文具売り場で購入されたとのことで、ロビンソンのスタンプが保証書に押されています。

プリントごっこPG-10

ご寄贈いただいたプリントゴッコPG-10と保証書

 

年賀状印刷などで、プリントゴッコを使われた方も多いと思いますが、発売元の理想科学工業株式会社が先日、インターネット上で「プリントゴッコ懐かしい展」を開始しました。

プリントゴッコ懐かしい展(理想科学工業株式会社サイト)

 

プリントゴッコは昭和52(1977)年に発売を開始、発売当初から大ヒットし、平成8(1996)年には売り上げ台数1,000万台に到達しました。平成12(2000)年以降、パソコンや家庭用プリンターの普及で需要が衰退し、平成20(2008)年に本体の販売停止、平成24(2012)年には関連する消耗品等の販売もおわり、事業終了となりました。

プリントゴッコは、「孔版(こうばん)印刷」という技術で印刷されます。仕組みと使い方は、まず、炭素を含んだ専用のペンで原稿を書き、マスターと呼ばれる版とともに機械にセットします。機械で付属のランプの光を一時的にあてることにより、原稿の炭素を発熱させ、その熱で原稿の炭素付着部分に対応する版の表面のフィルムを溶かし、孔を開けます。そして、この版にインクをのせ、用紙に圧着させると、孔からインクが原稿通りの形にしみ出し、同じものを何枚も印刷することができます。

文章で書くと難しそうですが、手順を覚えてしまえば手軽に年賀状などの大量印刷ができる機械です。イモでスタンプを作る芋版などが普通だった時代、プリントゴッコの登場は画期的でした。 

それにしても、大ヒットした平成8(1996)年から数えてもまだ35年ですが、とてもなつかしく感じられる方も多いのではないでしょうか?近年のパソコンやプリンター、また印刷技術の発達は、隔世の感があります。

#牛島のフジ がスゴイ件(2)

牛島のフジ(藤花園)の開園日でもあった令和3年4月17日(土) #春日部市郷土資料館 でミニ展示「渋沢栄一もみた春日部の藤」展のミュージアムトークを開催しました。 #かすかべプラスワン

 写真:ミュージアムトークのようす

天気は雨の予報でしたが、多くの方にお集まりいただきました。ソーシャルディスタンス・感染症対策を十分にとった上で、渋沢栄一のこと、牛島のフジのことについての展示解説を聞いていただきました。参加された方からは「藤のトークめっちゃ面白かった!」「来てよかったです」などの感想をいただきました。「特別天然記念物」という冠だけでは語り切れない、牛島のフジの歴史文化について、ご理解を深めていただけたようでした。午後には、市内在住の歴史少年が「徳川昭武知っている!」と話し、熱心に牛島のフジで記念撮影をした写真をみていました。未来の学芸員を目指してほしいものです。トークの後、熱心に質問される方も多く、担当者として充実した一日となりました!

 

さて、一部では好評!?の、牛島のフジがスゴイ件のパート2です。

今日のミュージアムトークでも「これ考えたんですか!?」とお誉めいただきました。今回は、うしじまのふじの、「じ」「ま」について。

 

「じ」人力車・待合茶屋に、お土産でうるおう観光産業

東武鉄道の開通により、一躍有名になった牛島のフジ。最寄り駅が粕壁駅(現春日部駅)であったことから、当時は「粕壁の藤」と呼ばれることが多く、駅から藤花園まで観光客を運ぶ人力車が営業されていました。駅前には、汽車をまつ待合茶屋もありました。お土産は、「藤羊羹」「塩せんべい」。現在でも「かすかべフードセレクション」にも、藤をモチーフにした商品もありますね。その元祖といってもよいかもしれません。

大正12年の粕壁町の旭町を主体として開かれた句会の句集には、次のような句があります。

 付く汽車も又付く汽車も藤見哉 

 新道の普請成り立つ藤の花

花の盛りには、汽車でやってくる客が絶えなかったこと、観光客のため、藤の周辺に「新道」が整備されていったことがうかがえます。多くの方がやってくることで、町のインフラ整備もすすんでいったことがうかがえます。

 

「ま」まちづくりの中核に かすかべisフジ

牛島のフジが有名になる明治も、大正も、昭和も、そして春日部市がまちづくりに活用されはじめる高度経済成長期から現在に至るまで、フジと春日部は切っても切り離せない関係にあります。昭和48年には、市の花にフジが制定され、以後、日本一の規模の藤の街路樹ともいわれる藤通り、藤まつり、藤テラス、藤音頭、マンホールや文化会館の緞帳、市役所の立体駐車場の壁面…

まちのシンボルとして、まちの景観、住民どうしをつなぐイベントのなかに、常に「藤」「フジ」「ふじ」があります。

これも牛島のフジが天然記念物として知られ、明治時代からかすかべの観光産業・町のくらしを支え、町を代表する象徴的な樹木だからです。牛島のフジが春日部のくらし・行政に与えた影響は計り知れないものがあります。まだまだ思わぬところに「フジ」があるかもしれません。まちにある「フジ」の情報をぜひお寄せください。

 

本日より牛島のフジが(藤花園)が開園されました。ミュージアムトークでも「牛島のフジの開花状況は?」と質問され、答えられませんでしたが、開花状況は藤花園のホームページをご覧ください。展示と合わせて牛島のフジもお楽しみください!

(つづく)

#牛島のフジ がスゴイ件(1)

令和3年4月13日(火)から「渋沢栄一もみた春日部の藤」展が始まりました。この展示は、渋沢の足跡をたどりながら、春日部の藤の歴史文化を紹介するものです。#ビビる大木 さん、渋沢センパイは本当に春日部に来ているのですよ!

 写真:展示室の入り口

企画展示室の入り口は、手作りの藤のモニュメントで華やかに彩られました。藤の花言葉は「歓迎」だそうで、ご覧いただく皆さまを歓迎しています。

ところで、展示のための調査・準備の過程で、国指定特別天然記念物「牛島のフジ」が如何に「スゴイ」のかが明らかになってきました。でも、そのスゴさを知らない、気づいていない方も多いようです。

そこで、今回の展示では「牛島のフジがスゴイ件」というリーフレットを制作し、そのスゴさを「う・し・じ・ま・の・ふ・じ」の7文字をとって紹介しています。あいうえお作文です。

画像:牛島のフジがスゴイ件

「う」浮世を忘れさせるフジの聖地

「し」渋沢だけじゃない各界の著名人がやってきた

「じ」人力車・待合茶屋に、お土産でうるおう観光産業

「ま」まちづくりの中核に かすかべisフジ

「の」飲みすぎ注意!酒と料理でおもてなし

「ふ」フジの花房は最大9尺 愛称は「九尺藤」

「じ」地元かすかべの文化的サロン

 

今回は、あいうえお作文の「う」「し」について詳述します。

「う」浮世を忘れさせるフジの聖地

牛島のフジの庭園藤花園内には、紫雲館とよばれた料亭(貸席料理店)がありました。紫雲は藤の花を形容する表現のようで、後に総理大臣となる清浦圭吾(きようら けいご)が名付け、その扁額が飾ってあったそう。紫雲館では、料理が提供され、古利根川で獲れた川魚料理が提供され、「閑雅」な雰囲気だったといいます(小泉一郎『東武鉄道線路案内記』・明治37年刊)。また、最近発見した資料によれば、能登の和倉温泉の鉱泉を引き入れて、薬湯を開き、観藤客やその他一般にも入浴・宿泊できる施設があったとされます(昭和3年「史跡名勝天然記念物調査報告書」・埼玉県行政文書№昭15024)。東京からの訪れた来客は、見事な藤をみながら、日常では味わえない、しとやかで優雅のひと時をおくれたことでしょう。

 

「し」渋沢だけじゃない各界の著名人がやってきた

今回の展示会名称にもなっている、渋沢栄一は、粕壁に用件があった明治45年(1912)4月28日に牛島のフジを鑑賞しています。大河ドラマ「青天を衝け」の主人公であり、埼玉の偉人とされることから、ご興味を惹かれた方も少なくないようですが、藤をみたのは「渋沢だけじゃない」のです。牛島のフジに訪れた著名人については、以前紹介したことがあります。ただ、これらはほんの一例にすぎません。様々な紀行文や新聞記事を調べると、まだまだ牛島のフジに関する記述がでてきます。

たとえば、明治38年(1905)5月23日には、伯爵会(華族会館に集うサークル)の例会として、華族の松平・徳川・真田などの諸氏が粕壁に遠足し、牛島のフジを鑑賞したそうです(「朝日新聞」明治38年5月25日号)。

牛島のフジは、太宰治(だざい おさむ)「斜陽」にも登場しますが、太宰が訪れたのかはわかっていません。様々な著名人が本当に訪れたのかを知るすべは限られていますが、近代(明治~昭和)の政治家や文化人にとって、牛島のフジは、私たちが思っているよりも有名だったととらえていただいて差し支えないでしょう。

こんな人も来ているという情報をお持ちの方は、ぜひご教示ください。

(つづく)