ほごログ(文化財課ブログ)

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「西金野井の獅子舞」子供たちの練習

暑さも日に日に高まる7月9日からは、県無形民俗文化財に指定されている『西金野井の獅子舞』では7月22日(日)の公開に向けて西金野井香取神社での練習が始まりました。
 練習3日目の7月11日、江戸川からの心地よい風が吹く夕暮れにお邪魔しました。午後7時からは南桜井小学校で活動されている「伝統芸能クラブ」の児童に加え、同校卒業生の中学生や高校生、今年、小学校に入学した1年生の総勢20名が大粒の汗を流しながら練習に励みました。

▲クラブ活動ではまだ取り組んでいない演目の「辻切り」の舞も染谷会長の指導により、早くも3日目で三匹獅子の形が完成しつつあります。

▲昨年度までクラブ活動に参加していた卒業生の中学生1年生と新1年生による「芝舞」。1年生の鈴木くんは先輩の所作と保存会員のお父さんの指導を受けながら汗いっぱいに女獅子を舞っていました。近いうちにお父さんとの共演が楽しみです。
女子児童は篠笛を卒業生の中学生や高校生の先輩に導かれ、少しずつ境内に響く音色を発することができるようになりました。
連日、保存会の皆さまの指導と校長先生の暖かい見守りで、当日の披露が楽しみです。
 当日午前10時から午後5時まで神社周辺で公開されますので、ぜひとも郷土春日部の伝統芸能を堪能ください!

風早遺跡の局部磨製石斧『新編図録春日部の歴史』からのご紹介53

西金野井地区にある風早遺跡は、旧石器時代、縄文時代、古墳時代を中心とした遺跡です。埼玉県立庄和高等学校東側の台地上に広がります。

風早遺跡では、「局部磨製石斧(きょくぶませいせきふ)」と呼ばれる、今から約3万年前に使われた市内最古級の石器が発見され、春日部市指定文化財になっています。
この局部磨製石斧は、おおよその形は打ち欠いて作られますが、刃となる部分は、両面から磨いて仕上げられています。長さ7.9㎝、幅4.6㎝、重量49.1gを測り、埼玉県内でも発見例の少ない石斧の一つとなっています。

風早遺跡からは、同じ旧石器時代でも縄文時代に移り変わる約1万5千年前頃に作られた「細石器」も発見されており、旧石器時代の人々が度々、暮らしの場として用いていたことがうかがい知ることができます。
いずれも郷土資料館の常設展示で公開されています。

春日部市の指定文化財「風早遺跡出土旧石器時代局部磨製石斧」
細石器『新編図録春日部の歴史』からのご紹介30
「旧石器人の道具」『新編 図録 春日部の歴史』8ページ

風早遺跡出土局部磨製石斧

 

富多小学校で「神楽」の授業が行われました

 富多小学校では平成14年から総合的な学習の時間に地域で大切に代々伝承されている「神楽」を学ぶ取り組みが続いています。
 7月4日(水)には市指定無形民俗文化財「榎の囃子神楽」を伝え守っている『榎囃子神楽連』の指導の下、今年度初めて半被や装束を身に着け、3年生と4年生8名がお囃子と大黒舞に取り組みました。


△保存会の小島さんの笛にあわせて大太鼓と締め太鼓によるお囃子も
 順調に仕上がっています

△本番と同じ装束を身にまとい、「大黒舞」の通し練習。
 難しい口上もしっかりと覚えました。
7月16日には榎地区、7月22日には倉常地区での夏祭りでそれぞれ地域に伝わる神楽が公開され、児童による舞も加わります。また、10月11日に開催される「人権のつどい」では、富多小学校の児童の皆さんによる神楽やお囃子がオープニングを飾る予定です。
それまで数演目の練習に取り組み、郷土春日部の伝統の舞がしっかりと伝授されることを期待しています!!

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

平成30年7月1日(日)、郷土資料館展示室で 「体験ワークショップ ぶんぶん駒を作ろう!」が開催されました。
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「ぶんぶん駒」を作りました。
自分で選んだ色鉛筆で台紙に色を塗り、ハサミ・のりを使って一生懸命作り、最後は出来上がった駒で”ぶーん・ぶーん”と音を鳴らしながら遊んでいました。

ワークショップ風景

ワークショップは、小学生までを対象とした、昔の遊びを気軽に体験できるイベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です♪

ワークショップ風景

 次回ワークショップは、平成30年8月18日(土)に「からくり屏風」を作ります。ご参加をお待ちしています

粕壁郵便局『新編図録春日部の歴史』からのご紹介52

146年前の明治5年(1872)7月1日、郵便制度が始まり、全国一斉に郵便線路が開設されました。
市域には「東京ー青森間郵便線路」と「松戸ー小山間郵便線路」が通り、粕壁郵便取扱所、西宝珠花郵便取扱所が設置されました。初期の郵便物の運搬は徒歩で行われ、幹線道の一部では馬車輸送が主に担っていました。

明治8年(1875)には、「郵便局」の名称が用いられ、同年には郵便貯金の制度も始まりました。また明治26年(1893)には、粕壁郵便局で電信(電報)の取り扱いが始まりました。
明治32年(1899)年に東武鉄道が北千住ー久喜間に開通すると、これまでの馬車輸送から鉄道輸送へと移行しました。


粕壁局消印のある郵便物『新編図録春日部の歴史』からのご紹介ーその5
「郵便制度の始まり」『新編 図録 春日部の歴史』167ページ  
粕壁郵便局
粕壁郵便局 昭和16年(1941)ごろ
『粕壁町誌』粕壁商工会より

虫眼鏡 春日部農産物直売所「はくれん」の伝統の七夕飾りづくり

春日部農産物直売所「はくれん」では、7月1日(日)イベント「はくれん夏祭り」を開催し、このイベントの準備として、会員の方々によるマコモ馬づくりの実演がありましたので、農業振興課と郷土資料館で取材しました。
マコモ馬は、古くから市域の農家で作られてきた、七夕飾りの一種です。
水辺に生えるマコモ(真菰)を刈ってきて、1週間ほど干してから製作します。
写真:まこも
一束のマコモを折り曲げたり、組み合い合わせたりしながら、雄・雌の2頭馬をつくります。雄・雌は、鬣(たてがみ)のつくりが異なります(下の写真は雄)。
写真:造作のようす
はじめに、頭と前足になる部分をつくり、頭に鬣(たてがみ)となるマコモを巻き付け、次に胴体と尾をつくります。胴体から後ろ足になるマコモを出して、最後に「ケショウ」(不要な部分をはさみで整えます)。昔は子どもが作るものだったそうです。
製作をはじめること、40分~50分で完成しました。
2頭の馬を、棒の上に向かい合わせにしてまたがせ、マコモでなった縄で雄・雌を結び付け、飾りつけも完成。
写真:マコモと笹
同じく七夕飾りの笹竹の横に飾られました(ガラス窓の前に飾られています)。
昔の農家では、マコモ馬の前に「シマダイ」と呼ばれるお供え物を置く台を置き、そのうえに小麦饅頭やスイカをお供えしたそうです。
ちょうど「はくれん」で小麦饅頭が販売されていました。
写真:小麦饅頭
皆さんとても手際よくマコモ馬を作られていて、あっという間の50分でした。個人的にはマコモ馬を間近にみたこともなく、マコモ馬づくりをみせていただいたのも初めてのことで、大変貴重なの経験となりました。また、市域の農家の昔の生活や民俗信仰など、さまざまな貴重なお話しもうかがえましたので、郷土資料館で記録させていただき、今後の活動に活用させていただきたいと思います。
実演していただいた皆様、どうもありがとうございました。

7月1日(日)9時30分~14時、「はくれん夏祭り」では、今回作ったマコモ馬もご覧いただけますし、おまけに市内の農産物が10%OFFだそうです。
皆さんも、伝統の七夕飾りをご覧いただき、新鮮な農産物もご賞味いただければと思います。

写真展「昭和の春日部」が開催されています

平成30年7月10日(火)まで、教育センター1階学習情報サロンにおいて、ギャラリー写真展「昭和の春日部」が開催されています。
この写真展は、
生涯学習市民塾「豊かなシニアを過ごすために」の回想法入門講座の併設展示として開催されるもので、郷土資料館でも、回想法のボランティアとしてご協力いただいているふれあい幸齢倶楽部が主催されるものです。
写真:写真展のようす
写真展には、郷土資料館所蔵の市内の古写真が展示されていますので、郷土資料館にお立ち寄りの際にはあわせてご覧いただければとおもいます。また、写真展にお立ち寄りの際は郷土資料館もあわせてご覧ください。
郷土資料館では、古写真のパネルや画像を貸し出していますので、ご興味のある方は気軽にご相談ください。

出張・旅行 【資料の出張】幸松地区公民館「むかしの遊び教室」へ

平成30年6月23日(土)、幸松地区公民館主催の「むかしの遊び教室」に、郷土資料館の資料を貸し出しました。
貸し出したものは、大人の方が少し懐かしいと感じる、おもちゃや身の回りにある道具などです。
参加した幸松地区の子どもたちは、普段は遊ぶことのないカルタやすごろくで遊んだり、今では見かけなくなったダイヤル式の電話や炭火アイロンなどを触ったりして、楽しんでいました。なかでも人気だったのは、かすかべ郷土カルタを活用して製作した
「幸松郷土カルタ双六」でした。
写真:会場のようす
楽しんだのは、子どもたちだけではありません。ボランティアとして道具の使い方の指導にあたられた大人のみなさんも、子どもたちと一緒になって遊んでいらっしゃいました。写真は、参加者の親子とボランティアさんで盛り上がった、郷土カルタのようすです。
写真:会場のようす2
郷土資料館では、学校や高齢者施設向けに昔の道具やおもちゃの貸し出しもしています。学校向けの教材用貸出についてはこちら。ご興味のある方はご相談ください。

不動院頼長書状写『新編図録春日部の歴史』からのご紹介51

戦国時代、当時盛んだった修験の関東の中心となったのが小田原の玉滝坊(ぎょくろうぼう)と小渕にあった不動院でした。不動院は、文亀年間(1501~1504)に開山され、幸手領に属したことや幸手城主の一色氏(いっしきし)とのつながりから、幸手不動院とも呼ばれました。

今回ご紹介するのは「不動院頼長書状写(ふどういんらいちょうしょじょううつし)」です。
頼長(らいちょう)は、不動院2代目の住職で幸手城主の一色氏から妻を迎えました。
この史料は、頼長が現在の鴻巣市にあった足立郡大行院にあてた書状で、大行院配下の山伏は、年始の行を講じたり、山に修行に入る際は大行院のしきたりに従わせるよう命じたものです。
大行院は、現在のさいたま市浦和区にあった玉林院と、上足立郡、下足立郡の境界をめぐって争いが絶えなかったようです。不動院の本山である京都聖護院門跡(しょうごいんもんせき)の奉行人と連名で、境界争いについては、岩付(いわつき)城主の指示に従うよう命じた文書も伝えられています。


小渕山下北遺跡の漆椀『新編図録 春日部の歴史』からのご紹介11
『武州文書』国立公文書館内閣文庫蔵
「639 不動院頼長書状写」1989『春日部市史 第二巻 古代中世資料編』649ページ

「不動院と修験」『新編 図録 春日部の歴史』66ページ

不動院頼長書状写

中学校の生徒が、郷土資料館を見学しました

平成30年6月22日に、市内の中学校の生徒が郷土資料館を見学しました。
貝塚より発掘された人骨や、竪穴式住居・粕壁宿の模型などを学芸員の説明を聞きながら見て、郷土の歴史や変化を身近に感じていました。
生徒達は、とても熱心にメモを取ったり、疑問に思ったことを色々と質問したりして、だいぶ興味をもってくれたようです。

見学の様子