ほごログ
出張授業「縄文体験教室」 in南桜井小学校
6月14日(金)に南桜井小学校の社会科出張授業にうかがいました。
今回は6年生の2クラスを対象に授業を行いました。
授業の冒頭、「歴史の授業はどのくらい進みましたか?」と聞くと、なんと1時間前の時間に、縄文時代を習ったというクラスがありました!
習ったばかりの状態なので「縄文時代はどんな時代だったの?」と質問にもクラスのあちこちで元気な答えが返ってきました。
出張授業は、歴史の授業の導入としても、また復習としても行っていますが、こんなタイミングが良いことは珍しく、わたしたち学芸員にとっても盛り上がる授業となりました。
さて、授業の前半には、史跡神明貝塚の紹介ビデオをみます。
南桜井小学校は神明貝塚とも比較的に近い位置にあるので、みなさん興味津々です。
続いてパワーポイントを用いて、「学校付近に暮らした縄文時代の生活」について説明します。
最初は春日部が海の底にあったなんて、信じられない様子でしたが、龍Q館を建てるときの工事で、貝殻の層がみつかったことや、発掘調査で縄文時代の遺構からイルカやウミガメの骨がみつかったことを聞くと、だんだんと納得してくれました。
最後にはお待ちかねの縄文体験です。
実際に縄文土器や石器や貝塚の貝殻に触れて、縄文時代の生活を考えてもらいます。
先ほどまで教科書で見ていたものが目の前に置いてあるのは、とても不思議なようです。最初は壊さないか心配が先立つ様子でしたが、緊張がほぐれると、現在の道具と縄文の道具を比較したり、実際に触てみた感想や、「なぜ」「どうして」「どのように作られたのか」などと疑問に思ったことを口にしたりと、積極的に体験をとおして縄文時代の暮らしについて学習を深めてくれました。
南桜井小学校のみなさん、ありがとうございました!
出張授業「縄文体験教室」 in豊春小学校
6月12日(水)に豊春小学校での社会科出張授業にうかがいました。
今回は6年生の3クラスが対象です。
授業の進捗はそれぞれ。歴史の導入として歴史上の人物を調べたクラスから、縄文時代・弥生時代まで学習が進んだクラスまであります。
まずはじめに授業の導入として、春日部市の代表的な縄文時代の遺跡である「史跡神明貝塚」の紹介ビデオを見ます。神明貝塚のある西親野井地区は豊春小学校のある豊春地区とは東西端に位置しますが、メモを取りながら集中してビデオを見てくれました。
続いて、「学校付近に暮らした縄文人の生活」というテーマをもとに、パワーポイントを見ながら、縄文時代の春日部について話をします。実は豊春小付近にある「花積(はなづみ)」という地域には、縄文時代の貝塚やムラが多数広がっている台地が広がっています。
自分の家の近くの知っている地名が出てくると、教室内のあちこちで声があがりました。
最後に縄文体験の時間です。
実際に石器や土器、貝殻を触って縄文人の食生活を体感してもらいます。
いつも土器の感想を聞いているのですが、今回は「パソコンより重い」と答えてくれた児童がいました。
自分の感覚に引き付けた感想を聞けると、うれしいです。
縄文土器の縄に触れながら、この時代の人はどうやって縄を作ったのかと聞いてくれた子もいました。現代に当たり前にある物が、時代を遡って存在していることが不思議なようです。
実は、豊春小学校には昇降口に郷土資料の展示コーナーがあり、その中に花積で実際に出土した土器や石器、魚の骨などが展示してあります。
何気なく通っていた場所に実はすごいものがあったのだと、驚いた様子でした。
豊春小学校のみなさん、ありがとうございました!
人口急増時代の春日部ゆかりの資料
現在、開催中の企画展「まちをみつめて50年」の展示資料を少し紹介。今回は春日部市の人口がぐーんと上がった昭和40年ごろの資料。 #かすかべプラスワン
企画展では、昭和29年(1954)の(旧)春日部市の誕生から、現在の市庁舎が誕生するまでの市政のあゆみを、ギュギュっと紹介しています。なかでも春日部にとって、大きな転機となったのは昭和40年初頭。埼玉県で国民体育大会が開催され、駅西口の風景が大きくかわり、また、武里団地が造成され、市内に1万人規模の街が造られ、春日部の風景は大きくかわっていったのです。
当時の状況を物語る資料は無いかと、収蔵庫から探して並べたのが、下の資料。
手前の大畑小学校の表札は、大畑小学校が平成15年に閉校したときに収集したもの。大畑小学校は、武里団地の中に昭和41年(1966)に開校した小学校で、春日部市にとって、初めての新設小学校でした。団地の中にあるということからわかるように、武里団地が造成され、入居がはじまり、団地の子どもたちが通った小学校なのです。
奥のお人形と、ネズミとアヒルの壁掛けレリーフは、武里診療所旧蔵の資料。閉所した平成7年に収集したものです。武里診療所は、市立病院の出張所として昭和41年に武里団地内に設置されました。これらの資料は団地の子どもたちをあやすため置かれ、飾られたのでしょう。ネズミとアヒルは、世界的に著名なキャラクター。しかし、ちょっと顔が変?診療所設置当時のものか定かではありませんが、昔は類似品や海賊版があふれている時代。ライセンス品ではないのかもしれません。
そして、赤ちゃんの人形。目や髪がクリンとしていて、欧米系の顔つきのようにもみえます。ちょっと苦しそうな体勢で座らせているのは、背中を見ていただきたいため。
背中には「小児科」の文字が。これで、間違いなく診療所で使われていたものであるといえましょう。
いずれも、春日部市の人口が急増したときの資料です。人口の増加はグラフや年表にすれば一目でわかりますが、このような当時のモノからも、当時の世相や雰囲気を感じることができるのではないでしょうか。
展示は、7月7日まで。6月30日には展示解説講座も開催します。ぜひご覧ください。
#常設展 #プチ展示替
郷土資料館の常設展をプチ展示替しました。 #かすかべプラスワン
展示替したのは、毎度おなじみ、展示室の奥の奥の古文書展示のコーナー。
長らく、江戸川開削に関する古文書を展示していましたが、訳あって撤収する必要があり、近年、ご寄贈いただいた市内の不動院野の旧家に伝わる高札を展示しました。
この高札、慶応4年(1868)3月に太政官の名で出されたもの。日本史でも習う(はず)の「五榜の掲示」の一つです。
内容は、キリスト教などを禁止するもの。江戸幕府以来のキリシタン制禁の政策がそのまま踏襲されたものを示す高札です。
面白いのは、この高札の左隅に釘で打ち付けられた穴(写真の赤の矢印)があること。そして打ち付けられた木札(木片といったほうがよいか)も一緒に伝わっていることです。
なぜだか、写真が縦になってしまいましたが、木札には、明治5年(1872)正月付で、埼玉県の名があります。高札の旨を守ることと墨で書かれたもので、内容は何てことないのですが、高札に打ち付けられた木札、珍しいかもしれません。高札はずっしり重い堅木であるのに対し、埼玉県の木札は簡素な杉の木ってところも面白いです。
資料を受領しに、旧家にお邪魔した折り、市内に高札が「まだ」あったことに驚き、またこの珍しい?木札にさらに驚いた記憶があります。
ぜひご覧ください。
【臨時休館のお知らせ】
令和6年6月8日(土)は教育センターの施設点検のため、郷土資料館は休館となります。
ご迷惑をおかけしますが、ご注意ください。
6月9日(日)は通常通り開館します。