ほごログ(文化財課ブログ)

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三上於菟吉ウォークが開催されました

本日、夏季展示「初代直木賞選考委員 三上於菟吉を知っていますか」展の最終日です。
それに合わせて、三上於菟吉顕彰会主催・春日部市教育委員会後援の「三上於菟吉ウォーク」が開催されました。

於菟吉終焉の地(八丁目)

協力いただきました、かすかべ案内人の会によるご案内のもと、郷土資料館、三上於菟吉の下宿先跡(粕壁東)、終焉の地(八丁目)、八幡山(浅間山・浜川戸)、県立春日部高等学校(八木崎)ほか粕壁界隈の関係地をめぐりました。約2時間のゆっくりとした行程でしたが、天気にも恵まれ、於菟吉ゆかりの地を楽しく散策できました。

旧制粕壁中学ゆかりの八幡山

案内人の会と顕彰会の皆さん、参加者の皆さんお疲れさまでした。市内には例えば俳人加藤楸邨先生ゆかりの地など、文学ゆかりのスポットがいくつかございます。皆さまも、これから秋にかけて、宿場巡りなどとも合わせて、巡ってごらんになってはいかがでしょうか?


 

鉛筆 夏季展示記念講演会を開催しました

平成29年9月2日(土)、視聴覚ホールにおいて夏季展示記念講演会を開催しました。
この講演会は、
夏季展示(第57回)「初代直木賞選考委員 三上於菟吉を知っていますか?」展(9月3日まで開催)を記念して開催するもので、文学研究家の染谷洌(きよし)先生をお招きして、「三上於菟吉と長谷川時雨のこと」という演題でご講演いただきました。
染谷先生
ご講演では、三上於菟吉の主要な作品の内容や特徴を紹介され、戦前の文壇・文芸界のなかに位置づけながら、彼の作品を鋭く論評されていました。県東部地域の文芸史に造詣の深い染谷先生ならではお話で大変興味深く拝聴いたしました。

ご講演の後には、会場から於菟吉の作品についての質問があり、また郷土資料館の企画展示室が受講者の皆さんで溢れかえりました。春日部ゆかりの小説家・三上於菟吉やその作品に対して、受講者の皆さんのご興味・ご関心を惹きたてる講演会になったのではないでしょうか。


夏季展示(第57回)「初代直木賞選考委員 三上於菟吉を知っていますか?」展は、明日9月3日(日)がいよいよ最終日となります。お見逃しなく。

10月3日、11日に開催される文化財めぐりの参加者を募集します

文化財めぐりの参加者を募集します。
10月3日、11日にマイクロバスで市内の素晴らしい建造物や史跡、天然記念物などの各種文化財をめぐります。
 ご応募をお待ちしております。


開催日時 

平成29年10月3日(火曜日)・11日(水曜日) 午前9時~午後4時

場所

  • 教育センター(集合・解散)
  • 郷土資料館
  • 春日部八幡神社・春日部稲荷神社
  • やじま橋
  • 塚内古墳群()
  • 小淵山観音院仁王門()()
  • 神明貝塚
  • 西金野井香取神社
  • 花蔵院)四脚門()
  • 蓮花院)のムク

対象

市内在住・在勤・在学の成人

募集人数

各開催日20人

費用

無料

申し込み方法

ハガキまたはメールで、 参加者全員の住所・氏名・生年月日・電話番号、参加希望日(複数日選択不可)を記入の上、平成29年9月20日(水曜日)(必着)までに、文化財保護課あて申し込んください。はがき1枚、メール1通に付き参加者2人まで記入できます。
抽選結果は平成29年9月26日(火曜日)までに応募者全員に通知します。

送付先住所

〒344-0062 春日部市粕壁東三丁目2番15号
春日部市 教育委員会 文化財保護課 あて

送付先アドレス

メールアドレス:bunkazai@city.kasukabe.lg.jp

メールで応募の場合は、受信確認メールを返信しますので、送付先アドレスからのメールを受信できるように設定をお願いします。また件名を無記入で送信すると迷惑メール対策のためサーバーで削除される恐れがありますので、件名に「文化財めぐり応募」と記入してください。

道の駅「庄和」『新編図録春日部の歴史』からのご紹介19

「道の駅」とは、平成5年に創設された制度で、市町村等からの申請に基づき、国土交通省が登録を行っており、平成29年4月21日現在で全国1117駅が登録されています。道の駅「庄和」は、平成17年3月27日に開業しました。
幹線道路沿いで、休憩所と地域振興施設が一体になった施設が多く、国道4号バイパス沿いの道の駅「庄和」でも地元農家が生産している米、野菜、果実などを販売し,連日多くの人でにぎわっています。

なお、道の駅「庄和」でも『新編 図録 春日部の歴史』を販売しています。ぜひご利用ください。

「農業経営の多角化」『新編 図録 春日部の歴史』260ページ
『新編 図録 春日部の歴史』販売のお知らせ
道の駅庄和

市民の方から資料の寄贈を受けました

本日、市内にお住まいの方から、棹ばかりを寄贈していただきました。
棹ばかり3点
この棹ばかりは、昭和20年~昭和35年頃まで、麻縄製造・販売されていたお宅から寄贈いただいたものです。先代が終戦後に粕壁に引っ越し、麻縄製造業を開業して以来使っていたものだと伝えられています。
大・中・小の3種類があり、大の分銅には「定錘秤量八拾瓩」、中には「定錘秤量拾五瓩」、小には「定錘秤量七瓩」とあります。「瓩」はキログラムと読みますので、大は80kg、中は15kg、小は7kgまでというように、モノの重さに応じて棹ばかりを使い分けていたことがうかがえます。縄の原料や製品の重量を量るときに使ったのでしょうか。



ところで、昭和32年(1957)の『春日部市商工名鑑』には、先代のご主人は「棕梠縄(しゅろなわ)加工卸」の業者として掲載されています。棕梠(しゅろ)とは、ヤシ科の常緑高木のことで、皮の繊維は縄・刷毛(はけ)・箒(ほうき)などに加工されます。棕梠縄は、天然繊維のなかで最も腐敗しにくいといわれ、今でも造園の竹垣などによく使われるそうです。
昭和32年(1957)当時、春日部市内には棕梠縄をはじめ、縄の製造・加工卸などの業者さんが8軒存在していました(『春日部市商工名鑑』)。しかし、高度経済成長期にナイロン等の化学繊維が登場すると、棕梠縄や藁縄にとってかわるようになり、従来の縄製造・加工業は衰微していくことになります。ご寄贈いただいたお宅でも、昭和41年(1966)には他の商売をされていたそうですので、化学繊維の登場が商売の岐路になったのかもしれません。

しかし、化学繊維が登場するまで、春日部で棕梠縄が製造・販売されていたことはゆるぎない事実です。棕梠縄や藁縄が、戦後の経済成長の礎を築いたといっても過言ありません。この棹ばかりは、春日部における戦後の復興の歴史を今に伝える資料といえそうです。

寄贈いただいた方には、改めてお礼を申し上げます。