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指定文化財の古文書ー指定文化財でめぐる春日部

本日7月7日まで、第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。

今回の「指定文化財でめぐる春日部」で展示している指定文化財の古文書をご紹介します。

「北条氏政の感状(ほうじょううじまさのかんじょう)」
永禄12年(1569)3月14日に北条氏政から春日部の多田新十郎に、戦功を賞して与えられたものです。
北条氏政感状

「西金野井香取神社領朱印状(にしかなのいかとりじんじゃりょうしゅいんじょう)」
徳川将軍家から与えられた神社の10石の土地を保証するための文書です。天正19年の徳川家康をはじめ、歴代の朱印状12通が伝わっています。
徳川吉宗の朱印状
8代将軍徳川吉宗の朱印状

「小流寺縁起(しょうりゅうじえんぎ)」
小流寺に伝わる縁起で、江戸川開削の基本資料として評価されています。
小流寺縁起

「長久記(ちょうきゅうき)」
西宝珠花村の旧家、芝田家に伝来する古文書で、文化11年(1814)から大正11年(1925)までの約100年間、代々の当主によって書き継がれたものです。
長久記

「粕壁宿検地帳(かすかべじゅくけんちちょう)」
江戸時代の粕壁宿の耕地や屋敷地を測量した際に作られ、元禄10年(1697)の検地帳5冊のほか、その後の新田開発に関わる検地帳が残されています。
粕壁宿検地帳
寛永6年(1629)の検地帳

また、展示している指定文化財の歴史資料をご紹介します。

「西金野井香取神社の棟札(にしかなのいかとりじんじゃのむなふだ)」
徳治元年(1306)に破損した香取神社の板屋根を修理したという内容が書かれたものです。徳治元年から神社が存在していたことなどを伝えます。
香取神社の棟札

いずれも、中世から近世の春日部の人々が残した貴重な記録です。この機会にぜひご覧ください。皆さまのご来館をお待ちしております。

郷土資料館体験ワークショップを開催しました♪

令和元年7月6日(土)、郷土資料館展示室で「体験ワークショップ ぶんぶんごまを作ろう!」が開催されました。
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「ぶんぶんごま」を作りました。

ワークショップの様子

自分で選んだ色鉛筆で台紙に色を塗り、ハサミ・のりを使って一生懸命作り、最後は出来上がった”ぶんぶんごま”を回し”ぶーん・ぶーん”と音を鳴らしながら遊んでいました。

ワークショップの様子

ワークショップは、小学生までを対象とした、昔の遊びを気軽に体験できるイベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。
 次回ワークショップは、令和元年8月3日(土)に「からくり屏風」を作ります。ご参加をお待ちしています。

木櫛製作用具ー指定文化財でめぐる春日部

7月7日まで第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。

春日部市の木櫛作りは、明治初期に藤塚村六軒(ふじつかむらろっけん/現・六軒町)で農家の副業として始められたのが最初といわれます。戦前まで木櫛製作を行う家が18軒ほど存在したようです。

春日部市有形民俗文化財「木櫛製作用具」は、春日部市緑町で3代続いた木櫛職人に伝えられ、市内最後の職人である故・塚田蔵吉(つかだくらきち)氏が平成10年まで愛用したものです。
各用具をみると、職人自ら用具に工夫を加え使いやすくしていることがわかります。

塚田氏が木櫛作りのハズリを行っている様子

榎囃子神楽連面芝居用具-指定文化財でめぐる春日部

7月7日まで第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。

「榎囃子神楽連面芝居用具(えのきはやしかぐられんめんしばいようぐ)」は、榎囃子神楽連に伝わる「面芝居」の道具類です。面27点をはじめ、衣装、幕、台本などが残されています。榎囃子神楽連では、江戸の神楽師から、「面芝居」を伝授され、大正時代から昭和初期にかけて盛んに行われました。写真の面は有名な日本三大仇討ち(あだうち)と言われる『曽我物語』の曽我五郎の面です。

現在は残念ながら、榎囃子神楽連に面芝居を演じられる方はいらっしゃいませんが、これら道具類が往時の様子を伝えてくれます。

曽我五郎の面
『曽我物語』の曽我五郎の面

神明貝塚の巡回展が庄和図書館で始まりました!!

庄和図書館のご協力のもと、神明貝塚の巡回展第4弾を開催中です。

巡回展のなかでも最大級のスペースを確保していただいたため、これまで展示できなかった解説パネルの追加ができ、神明貝塚の縄文人により迫った内容となっています。

夏休み期間いっぱいの展示となりますので、自由研究のテーマなどにいかがでしょうか。お立ち寄りの際には関係図書による縄文の世界の学習とあわせて、ぜひご覧ください。

また図書館や庄和総合支所1階情報コーナーで神明貝塚のDVDが視聴できます。こちらもぜひご利用ください。

巡回展の様子

場所:庄和図書館1階ふれあいギャラリー(庄和総合支所内)
期間:令和元年7月3日~9月2日

ギャラリートーク開催のお知らせー指定文化財でめぐる春日部

7月7日まで第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。

第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」の最終日、7月7日(日)10時30分~と15時~、展示担当学芸員によるギャラリートークを行います。
ギャラリートークでは、展示室にて、展示品を1点ずつ丁寧に解説いたします。時間はおおむね30分程度を予定しておりますが、出入りはご自由にして頂いて結構です。また皆様からのご質問も随時受け付けます。
第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」、最後のイベントになります。ぜひお誘いあわせの上、ご参加ください。

5月25日のギャラリートーク
5月25日のギャラリートーク

6月9日のギャラリートーク
6月9日のギャラリートーク

今回の企画展示では、5月29日と6月9日にギャラリートークを行いました。ご参加いただきまして誠にありがとうございました。

「鈴木久五郎」展のチラシできました!

春日部市郷土資料館にて、令和元年7月23日(火)から開催する企画展示「元祖成金!鈴木久五郎ー鈴久を生んだ商いのまち春日部」のチラシ・ポスターが仕上がりましたのでご披露します!
画像:ポスター(表)

画像:ポスター(裏)

記念講演会は8月31日(土)に埼玉大学の水村典弘先生をお招きして開催します。また、7月24日(水)、8月10日(土)、9月1日(日)には、ミュージアムトークも開催いたします。
チラシは各所で配布、ポスターは掲示される予定です。お楽しみに!

講演会「春日部の指定文化財ー史跡・考古資料」

7月7日まで第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。

6月29日、第60回企画展示記念講演会「春日部の指定文化財ー史跡・考古資料」を開催しました。
あいにくの天気にも関わらず、大変多くの方にご参加いただきました。

講師は、考古学がご専門で春日部市文化財保護審議委員の杉崎茂樹先生にお願いいたしました。
文化財保護の制度の歴史や史跡と考古資料について、一つずつ詳しくご解説いただきました。さらに、各文化財に関連する学史や最近の調査情報などについてお話いただきました。

会場の皆さんも熱心に受講していただき、質疑の時間では文化財の指定についての話題や縄文土器の型式の話題、埴輪の話題など多岐にわたりました。


講演会の様子

杉崎茂樹先生

春日部市郷土資料館では、7月7日まで第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」を開催中です。この機会にぜひ郷土の指定文化財をご覧ください。

浜川戸遺跡出土の板石塔婆ー指定文化財でめぐる春日部

現在第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。
また6月29日(土)第60回企画展示記念講演会「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」受講者募集中です。

浜川戸遺跡は、浜川戸の自然堤防、河畔砂丘がある八幡公園周辺に所在します。
浜川戸遺跡出土の板石塔婆(いたいしとうば)は、昭和62年(1987)に行なわれた浜川戸遺跡の発掘調査で、河畔砂丘の上で発見された墓の跡から出土しました。
板石塔婆には、最も古い弘安6年(1283)をはじめとして、13~14世紀の年代が刻まれています。これらの板石塔婆から、13世紀ごろには砂丘上で人々が活動を始めていたことがわかり、河畔砂丘の形成時期を考える上で重要な資料です。

浜川戸遺跡出土の板石塔婆

本日14時から、第60回企画展示記念講演会として、講師に、杉崎茂樹先生(春日部市文化財保護審議委員)をお招きし、浜川戸遺跡出土の板石塔婆などの市内の史跡・考古資料の指定文化財についてご講演いただきます。
ぜひご来場ください。

記念講演会「春日部の指定文化財―史跡と考古資料」

 日時:令和元年6月29日(土)14時~16時
 場所:春日部市教育センター
 定員:100名(先着順)
 費用:無料
 定員に余裕はありますので、会場で直接お申し込みください。
「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」講演会チラシ

貝の内遺跡出土の下総国分寺軒平瓦ー指定文化財でめぐる春日部

現在第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。
また6月29日(土)第60回企画展示記念講演会「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」受講者募集中です。

貝の内遺跡は、西宝珠花の下総台地上、宝珠花小学校周辺に所在します。これまでに奈良時代、平安時代の竪穴建物跡が約140軒調査されています。
「貝の内遺跡出土の下総国分寺軒平瓦(しもうさこくぶんじのきひらがわら)」は平成4(1992)年に行なわれた調査で、煮炊きを行うカマドの内部から出土しました。
軒平瓦は、屋根の最下部に文様が見えるように葺かれます。この瓦の文様は、「宝相華文(ほうそうげもん)」という下総国分寺(市川市)と同じ文様です。また文様を付ける際に使われた范型(はんがた・文様が彫られた木などで作られた型)の傷の位置が、下総国分寺で出土した瓦の中に共通するものがあることから、下総国分寺の瓦と同様に、現在の市川市周辺で作られた瓦と考えられます。


貝の内遺跡出土下総国分寺出土瓦
貝の内遺跡出土の下総国分寺軒平瓦

6月29日(土)14時から、第60回企画展示記念講演会として、講師に、杉崎茂樹先生(春日部市文化財保護審議委員)をお招きし、貝の内遺跡出土の下総国分寺軒平瓦などの市内の史跡・考古資料の指定文化財についてご講演いただきます。
ぜひご来場ください。

記念講演会「春日部の指定文化財―史跡と考古資料」

 日時:令和元年6月29日(土)14時~16時
 場所:春日部市教育センター
 定員:100名(先着順)
 費用:無料
 郷土資料館へお電話(048-763-2455)、または直接ご来館の上、お申し込みください。
「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」講演会チラシ

小渕河畔砂丘出土の須恵器大甕ー指定文化財でめぐる春日部

現在第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。
また6月29日(土)第60回企画展示記念講演会「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」受講者募集中です。

小渕河畔砂丘(こぶちかはんさきゅう)は、小渕の古利根川沿いに形成された砂丘です。古代から中世の時期、利根川本流を流れてきた砂が河原にたまり、北西からの強い季節風によって巻き上げられ形成されたと考えられています。
須恵器大甕(すえきおおがめ)は、昭和31年(1956)に小渕河畔砂丘の下部から発見されました。口の直径33.8㎝、高さ54.6㎝、底の直径20.5㎝の大きなもので、ほぼ欠けることなく発掘されました。須恵器に使われた粘土の特徴から群馬県方面の窯で作られた製品と推定されています。
砂丘下部から出土していることから、河畔砂丘の形成時期を考える上で重要な資料です。
小渕河畔砂丘出土須恵器大甕

小渕河畔砂丘出土須恵器大甕

6月29日(土)14時から、第60回企画展示記念講演会として、講師に、杉崎茂樹先生(春日部市文化財保護審議委員)をお招きし、小渕河畔砂丘出土須恵器大甕などの市内の史跡・考古資料の指定文化財についてご講演いただきます。
ぜひご来場ください。

記念講演会「春日部の指定文化財―史跡と考古資料」
 日時:令和元年6月29日(土)14時~16時
 場所:春日部市教育センター
 定員:100名(先着順)
 費用:無料
 郷土資料館へお電話(048-763-2455)、または直接ご来館の上、お申し込みください。

「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」講演会チラシ

かすかべの牡丹と成金鈴久

春日部市郷土資料館にて、令和元年7月23日(火)から開催予定の「元祖!成金鈴木久五郎」展の準備を進めています。今回は展示資料を少しご紹介します。

春日部は古くから「藤のかすかべ」と称されてきたように、国特別天然記念物の「牛島の藤」を筆頭として、藤の花は市のシンボルとして現在も親しまれています。今回は「藤だけじゃなかった!」というお話です。

「粕壁の牡丹」といっても、今は知る方もほとんどいないのかもしれませんが、戦前には東京近郊の名所として知られていました。
はじめに、市域で牡丹が有名になったのは、備後村の医師石井家です。石井家は牡丹栽培で著名な人で、明治14・15年に牡丹の接木技法を発明したといい、同家の庭園では、接ぎ分けを望む人が近隣や東京からも訪れたといいます。
この牡丹を株分けしたのが、幸松村の鈴木兵右衛門(久五郎の実兄)です。邸宅に造られた牡丹園は政治家を招く社交の場として利用されました。五月からその末にかけては、毎日のように、粕壁の町に用はなくても、牡丹園があるがために東京から「政客」がやってきたそうです。警察の定員が増え、町にいいお茶ができたのも、鈴木邸の牡丹園のおかげだといわれました。鈴木邸は粕壁町の近在であったため、「粕壁の牡丹園」と呼ばれました。
しかし、鈴木銀行が破たんに追い込まれ、大正7年(1918)に屋敷・牡丹園は売却されると、粕壁の古刹最勝院に牡丹が株分けされ、境内に牡丹園が開園しました。
最勝院の牡丹園は、一般の客でも自由に出入りができたようで、「粕壁町春日部牡丹園」と呼ばれます。最勝院の牡丹園は古い写真絵葉書があり、当時の様子がうかがえます。

写真:粕壁の牡丹園
絵葉書の裏面には「大正七年五月」とメモ書があり、牛島の藤とセットで巡った方の持ち物だったようです。
その後の牡丹園の足跡はよくわかりません。しかし、かすかべの観光名所には藤だけでなく牡丹があり、そして牡丹には成金鈴久の生家鈴木家が深くかかわっていたこと、牡丹の栽培名人が武里にいたことも「粕壁の牡丹園」の成立の背景にあったことが、鈴木久五郎を調べるなかで明らかになってきました。

そんな、鈴木久五郎について紹介する、展示会は、令和元年7月23日(火)~9月8日(日)まで。乞うご期待。

塚内4号墳出土遺物ー指定文化財でめぐる春日部

現在第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。
また6月29日(土)第60回企画展示記念講演会「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」受講者募集中です。

内牧の小字「塚内」には、19基の古墳からなる古墳群があり、内牧塚内古墳群と呼んでいます。春日部市指定文化財「塚内4号墳出土遺物」は、昭和52年(1977)に行なわれた内牧塚内4号墳の墳丘部分の発掘調査で出土したもので、鉄刀、鉄鏃、ガラス小玉、須恵器壺、人物埴輪、円筒埴輪、朝顔形埴輪からなります。
鉄刀は3振りが出土し、それぞれ全長が32.5㎝、100.3㎝、95.6㎝の長さです。埼玉古墳群の稲荷山古墳から出土した有名な「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」は、諸刃(もろは)の「剣」ですが、塚内4号墳のものは片刃の「刀」です。また長いものは、平安時代ごろ登場する反りがある「日本刀」ではなく、反りがない直刀(ちょくとう)です。
いずれも木の残存物が付着しているので、副葬された当時は、木製の柄(つか)が付けられ、木製の鞘(さや)におさめられていたものと考えられます。

4号墳出土直刀
塚内4号墳出土の刀

6月29日(土)14時から、第60回企画展示記念講演会として、講師に、杉崎茂樹先生(春日部市文化財保護審議委員)をお招きし、塚内古墳群などの市内の史跡・考古資料の指定文化財についてご講演いただきます。
ぜひご来場ください。

記念講演会「春日部の指定文化財―史跡と考古資料」

 日時:令和元年6月29日(土)14時~16時
 場所:春日部市教育センター
 定員:100名(先着順)
 費用:無料
 郷土資料館へお電話(048-763-2455)、または直接ご来館の上、お申し込みください。
「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」講演会チラシ

米島貝塚出土黒浜式土器ー指定文化財でめぐる春日部

現在第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。
また6月29日(土)第60回企画展示記念講演会「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」受講者募集中です。

米島貝塚(こめじまかいづか)は、市域東部の米島地区、下総(しもうさ)台地上に立地します。
昭和36年(1961)に、住宅地造成に先立って行われた発掘調査では、12軒の竪穴住居跡が発見され、住居跡が埋まっていく際に、貝が捨てられたことにより、貝塚をともなっているものもありました。
これらの住居跡からは、蓮田市の黒浜貝塚出土土器をもとに設定された黒浜式土器と同型式の土器が多く出土しました。米島貝塚では、黒浜式土器の中でも、古い要素をもつ一群と新しい要素をもつ一群が出土していたことから、報告書では、黒浜式土器の時間的な移り変わりが研究され、学史に貢献しています。

米島貝塚昭和36年調査風景
昭和36年発掘調査の状況

10号住居跡の貝層
米島貝塚10号住居跡の貝層

米島貝塚出土黒浜式土器
米島貝塚出土黒浜式土器

展示解説講座「春日部と円空」を開催しました

現在第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。
また6月29日(土)第60回企画展示記念講演会「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」受講者募集中です。

6月23日(日)、展示解説講座「春日部と円空」を開催しました。
現在開催している第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」では、郷土資料館でお預かりしている円空仏3体を展示しています。

講座では、円空仏の中でもその大きさと完成度の高さで知られる小淵山観音院の円空仏や円空の生涯、修験寺院と円空のかかわりなどについて解説しました。
市内の方だけではなく、市外からも大変多くの方にご参加いただき、円空の人気を再確認いたしました。

講座の様子

「やったり踊り」の練習が進んでいます

 6月21日(土)、梅雨半ばの不安定な天候の中、武里地区の大畑会館では児童生徒の高らかな「ヤッタリナー、ヤッタリナー」の掛け声が響きわたっていました。
 7月13日(土)午後8時から大畑香取神社で例祭が開催される、埼玉県指定無形民俗文化財『やったり踊り』の練習です。今期5回目の小若の練習が行われ、取材に伺ってきました。

大太鼓と笛を先頭に大畑香取神社へ向かう『練り込み』

扇子を携え躍動感のある『扇子踊り』
手踊り
哀愁をおびた念仏調のお囃子で舞われる『手踊り』
 この日は小学生1年生から中学生1年生までの約30名が保存会の若衆方の指導のもと、元気な掛け声と躍動感のある舞をめざし、大粒の汗を流しつつ一生懸命に取り組みました
また、『大畑いきいきクラブ』の大先輩の見学もあり、陣中見舞のお菓子の差し入れには大きな歓声があがりました。
練習は毎週土日に行われ、祭礼当日には江戸時代から引き継がれる伝統の舞が披露されるよう、期待しています!!

展示解説講座「春日部の弥生時代ー須釜遺跡」を開催しました

現在第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。
また6月29日(土)第60回企画展示記念講演会「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」受講者募集中です。

6月16日(日)、展示解説講座「春日部の弥生時代ー須釜遺跡」を開催しました。
春日部市内の弥生時代の遺跡は現在のところ、北部の倉常(くらつね)地区にある須釜(すがま)遺跡のみです。「再葬墓(さいそうぼ)」と呼ばれるお墓のあとが発見され、約30個体の完全な形に近い弥生土器が出土しています。また土器に稲もみが付着していた痕(あと)が残されていて、春日部の地でも弥生時代に稲作が伝わっていたことがわかります。

なぜ、春日部の地に墓を営んだのかなどまだわからないことが多く、疑問は尽きませんが、皆さんに熱心に聴講いただきました。

6月16日展示解説講座

6月23日(日)には、円空仏(えんくうぶつ)について展示解説講座を行います。ご興味がある方はぜひご参加ください。

展示解説講座(その2)「春日部と円空」
 日時:令和元年6月23日(日)10時~11時30分
 場所:教育センター
 講師:当館館長
 定員:50名
 費用:無料
郷土資料館へお電話(048-763-2455)、または直接ご来館の上、お申し込みください。

【未来の先生たち】文教大の皆さんが見学にきました

6月14日(金)文教大学教育学部の学生さんたちが、見学にきました。
学生の皆さんは現在3年生で社会科の教員を目指しているそうです。地域教材の発掘や活用法の習得のため、ゼミでご来館され、先生のご指導のもと、常設展示室の展示資料を解説し合いながら、展示を見学していました。
快く顔出しOKで、解説中の模様を撮影させていただきました。
写真:文京大の皆さん
学生のうちも、学校の先生になっても、またのご利用をお待ちしております!

音楽 市民の皆さんと古文書を読んでいます。

令和元年6月9日(日)春日部市郷土資料館で古文書勉強会を実施しました。
この会では、市民の方々が主体的に市内神間地区ゆかりの江戸時代の古文書=神間村文書(当館所蔵)を解読しています。
今回も前回に引き続いて、寛政7年「御鹿狩ニ付御触書之写」を文字と意味を確認しながら読んでいます。今回担当だった皆さんはこの会が立ち上がった時から参加されているベテランの方々でスムーズに読み進めることができました。内容としては、触書写のパートが終わり、日記形式の記事に入っていきました。「右之通りニ御座候」の解釈をめぐって、激論が交わされました。
あと、1・2回ですべて読み終える予定です。
写真:勉強会の様子
次回は7月13日(土)14時~となります。
ご興味ある方のご参加もお待ちしています。

臨時休館のお知らせ

6月15日(土)は施設点検のため、春日部市郷土資料館は休館いたします。なお6月15日(土)が雨天の場合、6月22日(土)も休館いたします。誠に申し訳ございません。

円空仏群ー指定文化財でめぐる春日部

現在第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。
また6月29日(土)第60回企画展示記念講演会「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」受講者募集中です。

円空仏は、江戸時代の修験僧(しゅげんそう)、円空によって作られた仏像、神像です。春日部市内では、円空仏が22体確認されています。これらは、円空が日光道中や日光御成道(にっこうおなりみち)を使って旅をした際に、彫ったものといわれています。

今回の企画展示では、かつて寺院だったお宅に伝わった迦楼羅(かるら)像と護法神(ごほうじん)像2体の計3体を展示しています。

「護法神」は仏法を護(まも)る神という意味で、梵天(ぼんてん)、帝釈天(たいしゃくてん)、四天王、十二神将、十六善神、二十八部衆などを総称したものです。「護法神像」は、円空の作品に多く、さまざまな姿で登場します。
「迦楼羅」は、インド神話に登場するガルダをもとにしたといわれる鳥の姿をした仏教の守護神です。「護法神」とされる二十八部衆にも加えられています。口から炎を吐き、龍を食べる大きな鳥で、迦楼羅が変化して天狗になったという説もあります。

また、迦楼羅像と25.7㎝の護法神像には、背面に墨書があります。特に護法神像の墨書は、「護世童子(ごせどうじ)」と肉眼でも読み取ることができます。円空の像には、背面などに円空が書いた墨書を残すものが多くあります。

迦楼羅像迦楼羅像16.1㎝


御法神像護法神像25.7cm

御法神像護法神像14.5cm

円空仏について6月23日(日)に展示解説講座を行います。ご興味がある方はぜひご参加ください。

展示解説講座(その2)「春日部と円空」
 日時:令和元年6月23日(日)10時~11時30分
 場所:教育センター
 講師:当館館長
 定員:50名
 費用:無料
郷土資料館へお電話(048-763-2455)、または直接ご来館の上、お申し込みください。

【情報求む】元祖成金鈴木久五郎をご存じ?

鈴木久五郎(きゅうごろう)は、春日部の八丁目出身の実業家で、明治時代「成金」として名をはせた人物です。今夏、春日部市郷土資料館では、鈴木久五郎(通称:鈴久)の半生を紹介する展示会を企画しています。鈴久の事、知らなかった方は、顔と名前だけでも覚えていってください。ご存じの方は、情報を求めています。種々ご教示いただけると幸いです。
明治41年鈴木久五郎(大磯町郷土資料館所蔵)
今回は、展示会でも出品される久五郎の貴重な肖像写真(大磯町郷土資料館所蔵)と、その事績を紹介します。
鈴木久五郎については、『埼玉人物事典』(埼玉県、平成10年)に次のように紹介されています。
明治10年生。昭和18年8月16日没。
株仲買商・衆議院議員。獅子文六『大番』のモデル。八丁目村(春日部市)生まれ。酒造業6代目鈴木兵右衛門の2男。5代目兵右衛門の弟中村清蔵の許で築地商業学校を卒業。兄の7代目兵右衛門が家を継いで明治30年(1897)越ケ谷町(越谷市)に鈴木銀行を設立、同36年久五郎は同銀行草加支店長となった。日露戦争中の37年、株の売買を始めて大儲けをし、成金王の一人となった。中でも、鐘紡の株をめぐる中国人との勝負は、取引所始まって以来のすさまじさといわれた。この年東京小網町(東京都中央区)に同行東京支店が開設されたが、翌38年日比谷焼打ち事件で株式は暴落したため、東京支店の預金を使い、取付け騒ぎが起こった。その後株価は上昇し、39年兜町に株仲買店丸吉を開業、滝沢吉三郎を店主に置き、株式界に本格的に乗り出した。東京鉄道の株を買い占めた後、株式取引所株を買い占めるため、「丙午会」を組織し、増資に成功した。次いで日本精糖株を買い占め、会社役員を辞任に追い込み、監査役に就任、大日本精糖と社名を改称した。このほか、豊鉱石油、日本坩堝各取締役を兼ねた。しかし、40年の日露戦争後反動恐慌によって株式は大暴落し、没落に追い込まれた。41年群馬県高崎市選挙区から中央倶楽部に所属して、衆議院議員に当選、1期務めた。中国の孫文を始め、大隈重信・犬養毅・桂太郎等政界にも交友関係があった。当時の日本を代表する「相場師」の一人である。享年67歳。(参考文献:『一代記鈴木久五郎』

以上の事典の記事は、鈴久の本格的な調査研究はないにもかかわらず、ここまで端的に彼の半生を書いているのは素晴らしいです。しかし、今回展示会開催のための調査を進めていくと、いくつかの新たな事実を確認することができました。今後も、鋭意調査を進めて、展示内容を充実させていきます。

展示会は令和元年7月23日(火)~9月8日(日)を予定しています。乞うご期待。

須釜遺跡再葬墓出土遺物一括-指定文化財でめぐる春日部

現在第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。
また6月29日(土)第60回企画展示記念講演会「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」受講者募集中です。

今回は埼玉県指定有形文化財「須釜遺跡再葬墓出土遺物一括」をご紹介します。
須釜遺跡再葬墓出土土器
須釜遺跡再葬墓出土の土器

須釜遺跡は市内北部の倉常に位置します。
「再葬墓」とは、縄文時代の終わりごろから弥生時代の中頃にかけて関東地方から東北地方において広まったお墓の形です。人が亡くなった際、一度、遺体をそのまま土に埋めたりして葬(ほうむ)りますが、一定の時間がたったのち、その遺体を掘り出して、さらに骨だけにし、再び葬るものです。「再び葬る」ことから「再葬墓」と呼ばれています。

今回の展示では、3号再葬墓(A・B)から出土している土器4点、さらに常設展示に、1号再葬墓出土土器を展示しております。
須釜遺跡の弥生土器のうち、特に壺形土器の文様は、縄で付けた縄文や棒状の工具を引いてつけた沈線(ちんせん)と呼ばれる線、棒状の工具で突き刺すようにつけた刺突(しとつ)と呼ばれる穴などの文様要素から構成されます。
特に「刺突」は、つけられる土器とつけられない土器が遺構ごとにはっきりと分かれて出土しています。展示したものでは、1号再葬墓と3号再葬墓Aのものは刺突されますが、3号再葬墓Bのものは刺突されません。

須釜遺跡について、6月16日(日)に展示解説講座を行います。ご興味がある方はぜひご参加ください。

展示解説講座(その1)「春日部の弥生時代―須釜遺跡」
 日時:令和元年6月16日(日)10時~11時30分
 場所:教育センター
 講師:当館学芸員
 定員:50名
 費用:無料
郷土資料館へお電話(048-763-2455)、または直接ご来館の上、お申し込みください。

企画展示記念講演会のお知らせ

現在開催している第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」の記念講演会を開催します。
今回は、講師に、杉崎茂樹先生(春日部市文化財保護審議委員)をお招きして、市内の史跡・考古資料の指定文化財についてお話しいただきます。
ぜひご来場ください。

記念講演会「春日部の指定文化財―史跡と考古資料」
 日時:令和元年6月29日(土)14時~16時
 場所:春日部市教育センター
 定員:100名(先着順)
 費用:無料
 郷土資料館へお電話(048-763-2455)、または直接ご来館の上、お申し込みください。
「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」講演会チラシ

そのほか、当館職員による下記の講座も、参加者を受け付けております。いずれも郷土資料館へお電話(048-763-2455)、または直接ご来館の上、お申し込みください。

展示解説講座(その1)「春日部の弥生時代―須釜遺跡」
 日時:令和元年6月16日(日)10時~11時30分
 場所:教育センター
 定員:50名
 費用:無料
 県指定文化財が出土した須釜遺跡と弥生時代について解説します。

展示解説講座(その2)「春日部と円空」
 日時:令和元年6月23日(日)10時~11時30分
 場所:教育センター
 定員:50名
 費用:無料
 市域に多く伝来する円空仏について解説します。

ギャラリートーク・古文書勉強会などなど

令和元年5月25日(土)は、いろいろイベントがありました。

【その1】ギャラリートークを開催しました。
第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」について、担当の学芸員が資料を解説しました。小学校2年生の男の子も参加して、興味深そうに資料を見つめていました。次回のギャラリートークは、6月9日(日)、7月7日(日)です。ぜひともご参加ください。
写真:ギャラリートークの様子

【その2】古文書勉強会
引き続き、「寛政七年御鹿狩ニ付御触書之写」(神間村文書№344)を講読しています。
まだ、読了しないので成果は後日。本日も新たに参加される方が2名加わりました。出席者は18名でした。とくに「竹貝」や「悉」の読み方で、皆さん議論を交わし、史料の内容について理解を深めるひと時になりました。次回は6月9日(日)14時~です。
写真:古文書勉強会

【その3】団体見学
旅行会社の「日光街道をめぐる」ツアーの団体のお客さんのほか、日本工業大学のゼミナールの学生さんが粕壁の町並みの景観について研究するため来館されました。
写真:日本工業大学の皆さん

春日部の旧石器時代―指定文化財でめぐる春日部

現在第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。

今回は、企画展示で展示中の春日部市指定文化財、「坊荒句(ぼうあらく)遺跡出土旧石器時代旧石器時代石器群」、「慈恩寺原北(じおんじばらきた)遺跡出土旧石器時代石器群」、「風早(かざはや)遺跡出土旧石器時代局部磨製石斧(きょくぶませいせきふ)」を中心に、春日部市域の旧石器時代をご紹介します。
風早遺跡の局部磨製石斧
風早遺跡の局部磨製石斧

これらの石器が使われた約3万年前、地球は最終氷期にあたり、現在よりも気温が6~7℃低く、海水面も80mほど低かったと考えられています。北海道はサハリンを通じてユーラシア大陸とつながっていました。

春日部市域では、展示されている3遺跡とともに、10遺跡から旧石器時代の石器が発見されています。いずれも関東ローム層と呼ばれる土の中から石器のみが出土しています。
さらに、約2万8000年前に噴火した鹿児島県の姶良(あいら)カルデラの火山灰は広域に飛散し、この火山灰の堆積層(AT層)を境に、旧石器時代の新旧が分けられています。
坊荒句遺跡出土の旧石器
坊荒句遺跡の旧石器

展示されている春日部市域の石器群は、AT層よりも下層から出土したもので、約3万年前のものと考えられています。またAT層よりも上層からは、ナイフ形石器や細石器と呼ばれる石器が出土しています。

石器に使われる石材は、黒曜石やチャート、珪質頁岩など様々です。慈恩寺原北遺跡では、玉髄やガラス質黒色安山岩など実に6種類の石材が使われています。
石材の中で特に黒曜石は、産地の研究が進んでおり、春日部市域の遺跡で発見された石器には、栃木県の高原山や長野県の和田峠、伊豆諸島の神津島などの石が使われていることが判明しています。
慈恩寺原北遺跡の旧石器
慈恩寺原北遺跡の旧石器


風早遺跡の局部磨製石斧『新編図録春日部の歴史』からのご紹介53

ベールに包まれたこれ。何でしょうか。

企画展示「指定文化財でめぐる春日部」展、絶賛開催中です。
今日は、資料を展示するまでの裏側を少しだけ紹介します。
次の写真、何だかわかりますか?
写真:梱包された資料
今回展示した資料は、いずれも普段は、収蔵庫で大切に保管されています。移動時には、前の写真のような感じで、薄様紙(うすばがみ・うすようし)や綿布団(わたぶとん)をつかって、移動中の衝撃などで資料に傷がつかないように、また光・ホコリなどで劣化したり、汚れないよう、梱包します。また、虫やカビから資料を守るために、密閉性が高く、適切な温湿度管理がされた収蔵庫で保管しています。

上の白い物体。展示の準備の最後の最後に、荷解きをし、設置しました。以下、その模様です。
写真:荷解きの様子1
梱包は、ただ薄葉紙やクッションの役割を果たす綿布団で単純にくるんでいるのではなく、デリケートな部位は丁寧にケアしながら、何重のも薄葉紙で包まれています。
写真:荷解きの様子2
荷解きをして、徐々に資料の姿があらわになります。

白い物体の正体は、江戸川の開削や庄内領の新田開発で功績をあげた、小島庄右衛門さんの座像でした(「小島庄右衛門坐像」小流寺寄託)。第49回「江戸川!」展のとき以来、展示させていただき、お預かりしてから、実に約4年ぶりの公開です。
写真:設置の様子
この「小島庄右衛門坐像」は、実は指定文化財ではありません。市指定文化財「小流寺縁起」の関連資料として参考展示させていただきました。「小島庄右衛門坐像」も「小流寺縁起」も、著名な資料で、県立歴史と民俗の博物館をはじめ、各地の博物館にはレプリカが展示されています。江戸時代の人物の肖像を木像にしたものとして貴重ですし、「江戸川を造った男」=郷土の偉人ですから、春日部にとってはなお貴重です。行政による文化財指定を受けていなくても、一つ一つの文化財はかけがえのないものなのです。
話が少しそれていますが。ぜひ、普段は収蔵庫で控えている”本物”の資料を間近にご覧いただければ幸いです。

企画展示「指定文化財でめぐる春日部」展は、郷土資料館の収蔵(寄託も含む)する指定文化財などの貴重な資料を一同に公開しています。会期は7月7日(日)までです。お見逃しなく。関連イベントもあります。

神明貝塚巡回展 絶賛開催中!

巡回展「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」が中央公民館にて絶賛開催中です。

市役所庄和支所から始まり、正風館(庄和地区公民館)と巡回し、今回はじめて庄和地域を離れ、春日部地域へとやってきました。

神明貝塚は西親野井(にしおやのい)に営まれた縄文時代のムラで、春日部市内でも北東部に位置しています。春日部地域の方にとってはあまり馴染みのない地域かもしれませんが、今回の巡回展を通じて、市内に縄文時代を代表するような貝塚が存在することをお伝えできればと思います。ミニ展示ですが、縄文のムラを復元したジオラマが見どころです。
公民館にお立ちよりの際には是非ともご覧になってみてはいかがでしょうか。

巡回展の様子

期間:令和元年5月11日(土)~6月30日(日)
場所:中央公民館(粕壁6918-1) 1階ロビー



古文書勉強会の模様

平成31年4月27日(土)、郷土資料館古文書勉強会を開催しました。
今回も新たに参加される方が加わり、17名の参加がありました。

写真:勉強会の様子
今回は、前回に引き続いて、神間村伝来の寛政7年「御鹿狩ニ付御触書之写」を講読しています。一字一句丁寧に文字と意味を確認しながら、読んでいますので、まだまだ読み終えません。読んだ成果はまとめてご披露したいと思います。

次回は5月25日(土)14時~となります。ご興味のあるかたのご参加もお待ちしています。

企画展準備中。関連イベントも

令和元年5月18日(土)~7月7日(日)まで開催する企画展「指定文化財でめぐる春日部」展は目下準備中。写真は県指定文化財の土器の展示を準備している模様です。
写真:展示作業中

さて、今回は、盛りだくさんの関連イベントをご紹介します。

①記念講演会「春日部の指定文化財―史跡と考古資料」
 日時:令和元年6月29日(土)14時~16時
 講師に、杉崎茂樹先生(春日部市文化財保護審議委員)をお招きして、市内の史跡・考古資料の指定文化財についてお話しいただきます。要申し込み。

②展示解説講座(その1)「春日部の弥生時代―須釜遺跡」
 日時:令和元年6月16日(日)10時~11時30分
 展示担当の当館学芸員による解説講座。県指定文化財が出土した須釜遺跡と弥生時代について解説します。要申し込み。

③展示解説講座(その2)「春日部と円空」
 日時:令和元年6月23日(日)10時~11時30分
 当館館長による解説講座。市域に多く伝来する円空仏について解説します。要申し込み。

④ギャラリートーク
 日時:令和元年5月25日(土)、6月9日(日)、7月7日(日)
    各日2回(10時30分~、15時~ 各回30分程度)
 展示担当学芸員が展示を解説します。時間までに展示室お集まりください。申し込み不要です。

いずれも会場は春日部市教育センター(郷土資料館)、費用は無料です。ぜひご参加ください。

60回目の企画展示!

次の展示は記念すべき60回目の企画展示。円空仏や小流寺縁起など普段は見られない貴重な指定文化財が並びます!ポスターが完成しましたので、お披露目します。
画像:展示ポスター
展示会名:企画展示(第60回)収蔵品展16「指定文化財でめぐる春日部」
展示会期:令和元年5月18日(土)~7月7日(日) 月曜日休館
     午前9時~午後4時45分まで
展示会場:春日部市郷土資料館企画展示室

会期中は、講演会・講座・ギャラリートークなど関連イベントも満載です!追ってお知らせしますので、お見逃しなく!

ミニ展示は4月28日(日)まで

平成最後の企画展示「幕末・明治維新と春日部」の最後の告知です。
最後の告知では、平成最後、令和の改元にふさわしい(?)資料を紹介します。

今回紹介するのは、明治の恩赦に関する資料です。
この資料によれば、某村の音五郎は、慶応3年(1867)幕府役人に博打に携わったとして捕えられ、八丈島に遠島を命じられましたが、「朝廷御元服御大礼」が執り行われたことにより、罪を赦されることになり、市内の某村に身柄が引き渡された、というものです。「朝廷御元服御大礼」とは、明治天皇の元服、即位の礼を指しています。

現代では、10月の新天皇即位をうけ、今秋に軽微な犯罪の刑罰を消失もしくは減刑させる「恩赦」の実施が検討されているそうです。
改元や新天皇の即位は、今も昔も時代の節目を象徴する出来事として、人々に受け入れられているのかもしれません。
「恩赦」の資料の展示は、平成31年4月28日(日)まで。
郷土資料館は4月29日(月)~5月6日(月)が休館日になりますので、ご注意ください。

写真:展示風景(古文書ばかり並んでいます)

勝海舟と春日部

今回は、4月28日(日)まで開催中のミニ展示「幕末・明治維新と春日部」のなかから、幕末明治の有名人勝海舟と春日部の接点を紹介します。

勝海舟は、幕臣・政治家として、とくに西郷隆盛と交渉した江戸無血開城で著名な人物ですが、実は春日部ともつながりがあります。
春日部マニアの方ならご存じかもしれませんが、大場香取神社には、勝の直筆の幟(のぼり)と額が奉納されています。
ミニ企画展示では、新たに発見された、大場村の人々が勝海舟に揮毫(きごう・文字や絵を書くこと)を依頼した経緯に関する記録を展示しています。
この記録によると、明治27年(1893)3月7日に大場村の人々は、勝海舟に村の鎮守香取神社の幟の揮毫を依頼したところ、面会を断られました。面会はダメだが、「揮毫ハ許容アリタリ」(揮毫の脈はありそう)なので、どう交渉したらよいのか、大場村の人々は、隣村の備後村の医師・知識人の石井氏に相談します。石井氏は、勝海舟の著書『流芳遺墨』の感想を和歌にして勝に呈上し、もう一度「誠心」(まごころ)をこめて依頼してみたらどうかと提案したようです。
大場の人々が、和歌を詠んだかどうかわかりませんが、明治27年3月付の直筆の幟が現在神社に伝わっていますので、きっと誠意を示して、念願の幟を入手できたのでしょう。

こんな小噺を紹介するのもミニ企画展示ならでは?
ミニ企画展示「幕末・明治維新と春日部」展は4月28日まで。
お見逃しなく。
写真:展示室風景

ミニ展示に東山道鎮撫総督布告を追加しました。

平成31年4月28日(日)まで開催しているミニ展示「幕末・明治維新と春日部」展に、市民の方から寄贈いただいた資料を追加展示しました。

今回ご寄贈いただいた資料は、慶応4年(1868)正月の東山道鎮撫総督による布告です。旧幕府軍の追討軍のうち、東山道(中山道)を進軍した軍隊の総指揮官(東山道鎮撫総督)による沿道の人々に通達したもので、内容はこれまでの旧領主の苛政(厳しい政治)があれば訴え出るようにと知らしめたものです。
内容から、市内の伝来史料ではないようですが、参考資料として展示させていただきました。

写真:東山道鎮撫総督の布告
ご寄贈いただいた市民の方は、古文書等の古物を収集されることをご趣味にされており、3月30日の箱石先生のご講演に感化されて、このたびご寄贈いただくことになりました。
このたびは貴重な資料をご寄贈いただき、どうもありがとうございました。この場をかりてお礼申し上げます。

看護専門学校が郷土資料館を見学しました

平成31年4月11日(木)に、看護専門学校の新入生が、郷土資料館を見学しました。

見学の様子

竪穴式住居や粕壁宿の模型などを学芸員の説明を聞きながら見て、郷土の歴史や変化を身近に感じていました。
生徒達は、疑問に思ったことを質問したりして、春日部市について興味をもってくれたようです。
お時間があればまたお越しください。

見学の様子

古文書勉強会の成果(その12)

平成31年3月23日(土)に古文書勉強会を開催しました。市民の方々が主体的に市内神間地区ゆかりの江戸時代の古文書=神間村文書(春日部市郷土資料館所蔵)を解読しています。これまでの成果はこちらからさかのぼって御覧になれます。
今回は、神間村文書のほか、現在開催中のミニ企画展示「幕末・明治維新と春日部」展での陳列資料を解読しました。
写真:勉強会の様子
 まずは、神間村文書から。
【史料番号35】

    質物ニ相渡シ申田地証文之事

 一中畑壱反六歩        茨田耕地

 一下畑四反壱畝拾歩      右同断

 一屋鋪弐反八畝弐拾四歩

   田畑屋敷合八反拾歩 御水帳面六左衛門名前

右は当卯御年貢其外払方ニ差詰リ申候ニ付、右

田地貴殿江質物ニ相渡シ金子弐拾三両弐分・永七文借用仕、

只今慥ニ受取申所実正也、但シ返済之儀ハ来辰ノ十二月ニ

相成申候ハヽ本金不残返済可致候間、右田地不残御戻シ

可被下候、若其節金子調達相成兼請返シ申義不罷

成候ハヽ流シ可申候間、 御年貢諸入用貴殿方ニ御勤

被成、此証文を以貴殿御所持可成候、又ハ御勝手ニ

而何方へ何程之質物ニ御渡シ被成候とも、われ等加判之

者致印形質物ニ為入替可申候、此田地ニ付横合より

故障申もの無御座候、万一何様之六ケ鋪義出来

いたし候共、加判之者何方迄も罷出、急度埒明貴

殿質物ニ可致候、為其五人組加判質地証文相渡シ申候

所如件

              神間村

   文化四卯十二月     地主

                藤右衛門㊞

               五人組

                佐助㊞

               同

                重右衛門㊞

               与頭

                太兵衛㊞

         同村名主

           源右衛門殿
(ひとことメモ)
文化4年(1807)の質地証文。地主藤右衛門が名主源右衛門に田畑屋敷8反余を23両余で質入れした証文。


続いて、樋籠の古文書を読みました。
写真:樋籠田中家文書
【樋籠・田中家文書№642】
(包紙)

「          薩州
           陣営より
 大急達書          
  武州粕壁宿在
              廣尾村名主方へ」      
       武州粕壁宿在
        廣尾村名主
         又兵衛

右は急御用談之趣有之間
村役人差添早々江戸小川町
陣営へ可罷出、若同所陣替
之節は芝本営へ可相届
可申、於不参は急度可申付
者也
      薩州陣営
 辰四月廿四日 器械掛
 

       右村
        役人中へ


【樋籠・田中家文書№643】

別紙急御用向粕壁宿
在廣尾村名主迄申達間
千住宿宿継早々可相届事

  辰四月廿四日 薩州陣営

        千住より粕壁迄
         宿々
           役人中へ


(ひとことメモ)
慶応4(1868)辰年4月24日、薩摩藩陣営の器械掛より樋籠村名主又兵衛に対して、「急御用談」があるので、村役人を付添えて、江戸小川町の陣営に出頭するようにと命じた書付。№642は、包紙に包まれて回送された。№643はその添え状で、千住宿から粕壁宿に書付(№642)の宿継を命じたもの。当時は戊辰戦争の最中で、江戸から北関東や東北地方に新政府軍が派兵されていた。薩摩藩は軍資金の調達のために市域屈指の地主樋籠村の名主又兵衛を召還したものと考えられる。地名の樋籠(ひろう)を「廣尾」(ひろお)という字を当て書いていることから、薩摩藩と又兵衛の面識はなかったと考えられます。

写真:展示風景
田中家文書については、現在ミニ企画展で展示中です。ぜひ皆さんの解読の成果をご覧ください。

次回の勉強会は、4月27日(土)に開催予定です。

講演会「戊辰戦争と埼玉東部地域」とミニ企画展

平成31年3月30日(土)春日部市郷土資料館歴史文化講演会を開催しました。また、ミニ企画展示「幕末・明治維新と春日部」もオープンしました。

歴史文化講演会では、東京大学史料編纂所の箱石 大(はこいし ひろし)先生をお招きして、「戊辰戦争と埼玉東部地域―東山道総督府の鎮撫活動期間を中心に」と題して、ご講演いただきました。

写真:講演会の様子
関東地方にやってきた新政府軍(東山道総督府)の組織や進軍の動向、埼玉東部地域における鎮部活動や軍政の実態について、豊富な史料を背景にして詳しくお話しいただきました。埼玉県東部地域は、下野梁田戦争や羽生領の打ちこわし、あるいは官軍通行による人馬負担の増加など、地域の支配行政や治安が不安定になりました。市域は、東山道総督府の軍政下に置かれ、県内に所在する岩槻藩や忍藩が局地的に治安を取締まっていましたが、戊辰戦争の戦局が推移するなかで、武蔵知県事などの知県事支配体制が確立されていきました。箱石先生は、武蔵知県事に任命される山田一太夫が忍藩士であったことや、東山道総督府の軍政が知県事支配に引き継がれていったことを指摘されました。
写真:箱石先生
新政府軍の組織や統治の過程について、最先端の成果がうかがて、勉強になりました。

ところで、質疑応答の時間には、受講者から「地域の実態について、教えてほしい」との質問がありました。実は、戊辰戦争期の市域の実態については、ほとんど明らかにされていません。
郷土資料館では、箱石先生のご講演にあわせて、戊辰戦争期の地元春日部の様子をうかがえる古文書を展示するミニ企画展「幕末・明治維新と春日部」展を開催しています。
所蔵資料のみ、かつ展示室の半分という限界はありますが、古文書から新たに明らかになったことなどを詳しく・細かく解説し、読み応えのあるパネルを並べています。
箱石先生の講演のなかでも、「貴重な地元の史料が展示されている」と紹介していただき、講演後には展示室がにぎわいました。
写真:展示室の様子
展示は4月28日(日)まで(月曜日休館)開催しています。ぜひ、ご覧ください。
今後、ブログでも展示資料について紹介したいとおもいます。

上喜蔵河岸場跡『新編図録春日部の歴史』ーその81

古利根川にかかる新町橋のたもとには、江戸時代、上喜蔵河岸(かみきぞうがし)という河岸場がありました。現在も長方形に整形された石を積む「切込みハギ」という工法による石垣が2~3段、現地でみることができます。
河岸場はこのほかに、碇神社(いかりじんじゃ)付近に下喜蔵河岸(しもきぞうがし)があったといわれ、いずれも江戸時代中ごろに粕壁宿の名主であった見川喜蔵(みかわきぞう)の名前が由来とされています。

粕壁宿は、このような河岸場を利用して、日光道中の陸路と古利根川の舟運の結節地として発達しました。

幕府により江戸川が開削、整備されると、江戸への物資の輸送には江戸川が使われるようになりました。古利根川は、流域の新田開発が進み、途中に溜井(ためい)などの利水施設が設けられたため、江戸へ直接、荷物を運ぶことが難しくなり、地域間の舟運路として使われました。

「春日部の河川と水上交通」『新編図録 春日部の歴史』102ページ
上喜蔵河岸
上喜蔵河岸跡(左側は新町橋)

上喜蔵河岸の石垣
石垣(新町橋の粕壁側のたもとに石垣が残る。表面は長方形、裏面は先細りに整形されている)

武里村の矯正会規約『新編図録春日部の歴史』ーその80

戊申詔書(ぼしんしょうしょ)は明治41年(1908)、明治天皇の名で、第2次桂太郎内閣により発布されました。国民に勤勉と節約を説き、国家主義的な道徳の標準を国民に示しました。これとともに、町村の財政基盤の強化や風俗改良などを目標とした地方改良運動が、当時の内務省で進められました。
これらの一環で、武里村大字大枝では、大正4年(1915)9月、農村自治の発達、土地風習の矯正などを掲げて矯正会(きょうせいかい)を結成し、37名が加盟しました。具体的な会員の仕事には、出兵、帰郷の送迎、道路、用排水路の改修などがありました。
大正8年(1919)には、粕壁町でも矯正会が結成されました。


春日部市教育委員会1991『春日部市史 第4巻 近現代資料編I』280ページ
春日部市教育委員会1995『春日部市史 第6巻 通史II』
「第一次世界大戦前後の社会」『新編図録 春日部の歴史』173ページ

武里村矯正会規約

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

平成31年3月23日(土)、郷土資料館で「体験ワークショップ」が開催されました。
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「紙てっぽう」を作りました。


ワークショップの様子

初めて見る蓄音機にはワークショップに参加した子供たちは興味津々でしたよ。

ワークショップの様子

最後は、自分で作った紙てっぽうを振り下ろし、”ぱんっ!!”とういう音を響かせ遊びました。
新聞紙でも作ることができるので、家でも作ってみてくださいね。

関宿道の追分と道しるべ『新編図録春日部の歴史』ーその79

江戸時代には日光道中などの五街道とともに、「脇往還(わきおうかん)」と呼ばれる主要な道がありました。粕壁宿周辺では、岩槻城と粕壁宿を結ぶ「岩槻道」、関宿城と粕壁宿を結ぶ「関宿道」が重要な脇往還でした。

関宿道は、粕壁宿から新町橋を渡り日光道中を進んだ小渕村の追分(おいわけ)から北東へ分岐します。
追分には現在も写真の道しるべが残ります。右は宝永6年(1709)に建てられた道標で、「左 あふしう(奥州)道、右せきやと(関宿)道」と記されます。左は宝暦4年(1754)に建てられた庚申塔(こうしんとう)ですが、「左 日光道」と側面に記されます。
関宿道は、その距離が約16㎞であることから、「四里八丁(よりはっちょう)」という通称もありました。

埼葛地区文化財担当者会 1996 『埼葛の道しるべ』
「城と宿とを結ぶ」『新編図録 春日部の歴史』96ページ
関宿道の道しるべ

古墳時代前期の集落「尾ヶ崎遺跡」『新編図録春日部の歴史』ーその78

尾ヶ崎遺跡は、西金野井地区に所在する遺跡です。
昭和52年(1977)に調査され、縄文時代前期(約6,000年前)の住居跡7軒、古墳時代前期(約1,600年前)の住居跡15軒、古墳時代後期(約1,400年前)の住居跡3軒(うち1軒は滑石製模造品(かっせきせいもぞうひん)の工房跡)が発見されています。

古墳時代前期の住居跡は15軒のうち、10軒に火災を受けた痕跡があります。火災を受けた住居跡に残された炭化した建築材を分析したところ、コナラやクヌギなどが使われていたことがわかりました。

「古墳時代の生活と文化」『新編図録 春日部の歴史』30ページ
昼間孝次ほか1984『尾ヶ崎遺跡』埼玉県庄和町・尾ヶ崎遺跡調査会

尾ヶ崎遺跡空撮写真
尾ヶ崎遺跡空撮写真

尾ヶ崎遺跡の古墳時代前期の住居跡
尾ヶ崎遺跡の古墳時代前期の住居跡

幕末維新期のミニ企画展開催します

春日部市郷土資料館の企画展示室で、平成31年3月30日(土)から、ミニ企画展示「幕末・明治維新と春日部」を開催します。ポスターが完成しましたので、ご披露します。
画像:ミニ企画展示ポスター

展示会では、嘉永6年(1853)のペリー来航から、明治10年(1877)の西南戦争直前まで、資料館収蔵の幕末維新期の古文書・歴史資料を展示します。
主な展示資料としては、元治元年(1864)の水戸天狗党浪士の借金証文や関宿県や葛飾県など新政府の直轄県時代の古文書などのほか、新規収蔵品も展示します。
収蔵資料を改めて読み直すと、これまで知られていなかった記事が見いだされます。下のものは、八丁目村の御廻米(年貢米)を東京に回送する際に、菊の御紋の御用の建幟をたてるよう命じられたものです。
写真:八丁目村文書

展示会では、古文書や歴史資料にみられる時代・世相を象徴するキーワードに着目して、幕末・明治維新の市域の歴史を紹介します。目下、準備中です。お楽しみに。

展示名:ミニ企画展示「幕末・明治維新と春日部」
会期:平成31年3月30日(土)~4月28日(日)
会場:春日部市郷土資料館企画展示室

粕壁小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成31年3月5日に粕壁小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

見学の様子
昭和期に実際に粕壁小学校で使われていた机や椅子をさわったり、木造校舎の粕壁小の写真を見たりしました。

見学の様子
見学していて疑問に思ったことは、すぐに質問!!したり

見学の様子
昔の道具を手に取り実際に使ってみたりもしました。
”そろばん”を初めて見た児童もいて、人生初の”そろばん”体験をしていました。

見学の様子

郷土資料館では、3月24日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください

昭和47年(1972)3月 公害パトロールカー導入ー広報かすかべ182号

昭和46年(1971)、春日部市では公害パトロールカーを導入しました。排気ガスや騒音の測定器を常備した公害対策の専用車です。
この当時、公害は社会問題になっており、昭和42年(1967)に国は公害対策基本法を制定、春日部市でも昭和46年度より「安全対策課」という課を新設し、市内の公害の対応にあたりました。


広報紙では、昭和46年8月号から昭和47年1月号で「生活と公害」というシリーズが連載され、社会の関心の高さがうかがえます。

広報かすかべ182号(昭和47年3月号)
広報かすかべ176号(昭和46年9月号)

公害パトロールカー
公害パトロールカー

公害と生活
「生活と公害」(広報かすかべ176号(昭和46年9月号))

豊春小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成31年2月26日(火)に豊春小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

見学の様子

昭和期に実際に市内小学校で使われていた机や椅子をさわったり、お手玉・ゲームボーイ・リカちゃん人形などを見ながら、自分が日常遊んでいる物とは違う”おもちゃ”に興味津々でした。

見学の様子

方言のような、かすかべの郷土の言葉では、質問が提示してあり児童たちは一生懸命考えていました。
例えば「げいろ」は今の言葉で言うと何? 皆さん、わかりますか?

見学の様子

答えは「かえる(蛙)」です!!  難しいですね~

郷土資料館では、3月24日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

武里団地入居者のしおり『新編図録春日部の歴史』ーその77

武里団地は、昭和41年(1966)より入居が開始されました。
総工費100億円、60ヘクタールに7街区からなる180棟以上の日本最大の団地には、学校や保育所、診療所、ショッピングセンター、市役所の出張所も併設されました。

ご紹介するのは、「公団住宅の住いのしおり」です。入居説明会で配布され、入居までの手続きや入居後の約束事、団地生活の手引きが掲載されています。浴室の説明のページには、清掃方法をはじめ、点火方法、換気の際の注意などがイラストでわかりやすく説明されています。

「武里団地の誕生と住宅団地の開発」『新編図録 春日部の歴史』92ページ
武里団地入居者のしおり
「公団住宅の住いのしおり」表紙

住まいのしおり浴槽の使い方
「公団住宅の住いのしおり」ガス風呂の上手な使い方

庄和総合支所ロビーに「みに展示」

庄和総合支所の1階ロビーに、江戸川と庄和地域の歴史についてのパネル展示をしました。江戸川の古写真や舟運に関するパネルなどを掲示しています。
写真:ロビー展示の様子
総合支所においでいただいた折に、ぜひご覧ください。

南桜井小学校伝統芸能クラブの皆さんが舞を披露しました。

2月21日に南桜井小学校の体育館にて、ミニクラブ発表会が行われ「伝統芸能クラブ」の皆さんが2演目(芝舞、辻切)の舞を披露しました。6年生4名、5年生8名、4年生3名の計15名が、年間20日間あるクラブ活動での練習の成果を発表しました。今回初めて獅子を被った4年生の女子生徒さんは、「獅子頭は重たくて、前は何となく見えた。」と笑顔で話してくれました。また、4年生の男子生徒さんは、「動くのが大変。でも今日は楽しかった。」と感想を話してくれました。
4、5年生には、引き続き来年度もクラブ活動での活躍を期待しています。



▲3年生を前に堂々とした「芝舞」



▲部長さんを筆頭に「辻切」

昨日には3年生のクラブ活動の体験があり、7名が法被を着たり、活動の様子をDVDで観たそうです。4月からのクラブ活動では1人でも多くの生徒さんが参加してくれること、校長先生をはじめ、指導されている西金野井獅子舞保存会のみなさんも期待しています。
また、保存会会長さんをはじめ、保存会の皆様にはいつも熱心なご指導、誠にありがとうがざいました。

立野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成31年2月20日(水)に立野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
見学の様子

少し前に使われていた学用品や、農具等についての説明を聞き、実際に千歯こきの体験をしました。
体験後には「すっきりした♪」「きれいに取れて気持ちいい」など感想をいただきました。

見学の様子
初めて見る一昔前の生活用品や、おもちゃなどの実物を見て今との生活の違いに児童たちは驚いていました。

郷土資料館では、3月24日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

小学校3年生社会科の出張授業を行いました

平成31年2月19日(火)武里南小学校にて出張授業を行いました。
写真:武里南小出張授業

今回、郷土資料館では、3年生の社会科単元に合わせて、「昔のくらしの道具」「昔の子どものくらし」の2つのテーマを用意し、実物の道具に触ってもらいながら、学習してもらいました。
写真:武里南小出張授業

「昔の子どものくらし」では、昔の小学校で使った教科書・学用品を見たり触ったり、70年前の小学3年生の漢字テストを解いてもらいました。「氣持」「樂しい」などのように、旧漢字で書かれた答案用紙をみて、「今よりも難しい」と驚いていました。また、昔の子どもはどんな遊びをしたのかについて、昔のおもちゃ遊び、紙でっぽうづくりを通じて、学習してもらいました。
写真:紙でっぽうづくり

「昔のくらしの道具」では、おじいさん・おばあさんが子どもだった時代に、家庭で使われていた道具について説明を聞き、郷土資料館ではケースのなかに入っている昔の道具を見たり、触ったり、使ったりしてもらいました。また、農家で使っていた千歯こき、唐箕(とうみ)の使い方を体験してもらいました。唐箕の羽根を回して、籾が選別されると、大きな歓声があがりました。
写真:唐箕の体験

「昔の道具の使い方がよくわかった」「郷土資料館に遊びに行きたい」などと感想を話してくれました。
武里南小学校の皆さん、ぜひ遊びに来てくださいね。

幸松小学校の放課後子ども教室で双六をやりました

平成31年2月18日(月)、幸松小学校の放課後子ども教室に出張しました。幸松ルームで、郷土資料館オリジナルの幸松郷土カルタ双六を行いました。春日部郷土カルタを使って郷土資料館で作成した双六です。児童14名と指導者4名が参加し、大いに盛り上がりました。

ユリカモメ、梅若くん、在原業平、ぐうすけ、などのチームを決めます


特製 巨大春日部サイコロを振ります。サイコロは、大凧など春日部ゆかりの物が、描かれています


途中、チャンスクイズや幸松チャンスなど、ポイントアップも可能。クイズの答えを考えているところです


クイズに正解して、ポイントが入ると盛り上がります


遊びながら、楽しく春日部のことを学びました。また、郷土カルタにも関心を持てたようです。

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

平成31年2月17日(日)、郷土資料館展示室で「体験ワークショップ からくり屏風を作ろう!」が開催されました。

ワークショップの様子

春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「からくり屏風」を作りました。

ワークショップの作業風景

裏と表の2面しかないように見えるのに、4種類の絵柄が出てくる不思議な屏風に、参加した子供たちは大変喜んでいました。

ワークショップ風景

ワークショップは、小学生までを対象とした、昔の遊びを気軽に体験できるイベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。

ワークショップの様子
 
次回ワークショップは、平成31年3月23日(土)に「ぴょんぴょんカエル」や「紙てっぽう」を作ります。ご参加をお待ちしています♪♪♪

ワークショップの様子

総武鉄道開業後の粕壁駅『新編図録春日部の歴史』ーその76

東武アーバンパークライン(野田線)は、明治44年(1911)に開通した柏駅と野田町駅間の千葉県営鉄道野田線を起源とします。北総(ほくそう)鉄道に払い下げられた後、埼玉県域では、昭和4年(1929)に大宮駅と粕壁駅(現在の春日部駅)間が、昭和5年(1930)には粕壁駅と清水公園駅間が開通し、大宮駅と柏駅間の直通電車の運転が開始されました。昭和4年には北総鉄道の社名が「総武(そうぶ)鉄道」に改められました。

ご紹介する写真は、総武鉄道が全線開業した後の粕壁駅の様子です。一番右側が東武鉄道の上りホーム、中央に東武鉄道の下りホーム、左に総武鉄道のホームがみえます。東武鉄道の下りホームには、蒸気機関車にひかれた貨物列車が入線しています。

さて、総武鉄道の経緯も詳しく触れている東部地区文化財担当者会発行の研究報告書『東部地区の交通』(1,500円)は、残部が10冊程度となっております。購入ご希望の方は、春日部市教育委員会文化財保護課(土日は郷土資料館)までお問い合わせください。

粕壁商工会『粕壁町誌』1936
「東武鉄道の電化」『新編図録 春日部の歴史』92ページ

総武鉄道開業後の粕壁駅
総武鉄道開業後の粕壁駅

川辺小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成31年2月15日に川辺小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
学芸員から昔の春日部について説明を聞いたあと、資料館内を自由に見てまわりました。


見学の様子
用水路から田んぼに水をいれる農機具である「水車(水ぐるま)」に触れたり、

見学の様子
「千歯こき」で稲からモミを取ることもしました。

見学の様子
学芸員の説明には、メモを取りながら真剣に聞いてくれました。

見学の様子
昔の乗り物や、おもちゃで遊びながら昔の生活も体験しました。

郷土資料館では、3月24日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

八木崎小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成31年2月14日に八木崎小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

見学の様子

少し昔のくらしを展示した企画展示室では、
実際に日常で使われていた生活用品や学用品等を、見たり触れたりしました。


見学の様子

昔の春日部の写真を見て、春日部の移り変わりを実感したり


見学の様子

隣の常設展示室では、もっと昔である江戸時代の粕壁宿の模型を見たりして、昔を身近に感じていました。

※郷土資料館では、3月24日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

鷹番廃止の高札『新編図録春日部の歴史』ーその75

御鷹場(おたかば)は、寛永5年(1628)、江戸城を中心に設けられました。
江戸城の五里四方を、将軍自らが鷹狩りに行く御拳場(おこぶしば)、その外縁部に徳川御三家(尾張・紀伊・水戸)が鷹狩りを行う拝領鷹場(はいりょうたかば)、さらにその外側には将軍の鷹を訓練する御捉飼場(おとらえかいば)が設けられ、現在の春日部市域は御捉飼場に属していました。

御捉飼場に住む人たちには様々な規則や役割が課せられました。写真の高札は、泊まり込みで鷹の見張りを行う鷹番(たかばん)という役割が、負担軽減のために享保6年(1721)に廃止される際に掲示されたものです。

『最後の将軍がみた春日部‐野鳥と御鷹場・御猟場』2013 春日部市郷土資料館
「鷹場と負担」『新編図録 春日部の歴史』92ページ

鷹番廃止の高札

古文書勉強会の成果(その11)

平成31年2月2日(土)と古文書勉強会を開催しました。市民の方々が主体的に市内神間地区ゆかりの江戸時代の古文書=神間村文書(春日部市郷土資料館所蔵)を解読しています。これまでの成果はこちらからさかのぼって御覧になれます。
写真:勉強会の模様
2月は4点の史料を解読しました。成果は以下の通りです。

【史料番号26】
    質物ニ相渡申畑地証文之事

 

一上畑壱反壱畝弐歩    町田耕地

能勢十次郎様御知行所御水帳面利兵衛名前也

 右は当巳御年貢金其外要用差詰リ申候ニ付

 貴殿江御無心申、右之畑地壱反壱畝弐歩質物ニ

 相渡金四両壱分借用仕只今慥ニ請取申処

 実正也、但し年季儀之ハ当巳十二月より来申十二月迄

 中三ケ年季ニ相定申候、此畑地ニ付諸新(親)類等不申及

 横合より少も構無御座候、若何如様之六ケ敷儀出来

 致候とも、我等加印之もの何方迄も罷出急度埒明、貴

 殿之質物ニ可致候、聊御苦労ニ相掛ニ申間敷候

一御公儀様御年貢諸役之義ハ貴殿方ニ而御勤被成

 べく候、尤年季目之申十二月中ニ罷成候ハヽ、本金四両

 壱分急度返金致候ハヽ右之畑地不残御返し

 可被下候、若受返し申儀不罷成候ハヽ、流可申候間、此証文

 を以右之畑地貴殿所持被成べく候、自然御

 縄入等御座候ハヽ、貴殿名前ニ御請可被成候、又は御勝

 手ニ而何方へ何程之質物ニ御渡し被成候とも

 我等儀ハ不及申右加印之もの印形致為質物ニ

 入替可申候、其節違儀申間敷候、勿論此証文

 を以貴殿御所持被成候内は、何年過候とも少も

 違乱無御座候、為念組中印形致質物証文入

 置申処如件               

   安政五年     下総国葛飾郡

     午三月       神間村

               出石地主

                甚五兵衛㊞

               五人組

                兵左衛門㊞

               同

                源次郎㊞

               同

                林蔵㊞

                名主           

               久左衛門㊞

 

                  同国同郡同村


          源兵衛殿
(ひとことメモ)
安政5年(1858)の質地証文。地主甚五兵衛が、旗本能勢氏知行所の上畑1反余を質に入れ、金4両1分を借用したもの。

写真:神間村文書26

【史料番号28】

 


   質物ニ相渡申畑地証文之事
一上畑三反歩      町田耕地
    此分米三石
   能勢十次郎様御知行所 御水帳利兵衛名前
右は当巳御年貢其外諸仏(払)方ニ差支貴殿迄無心
申右之畑地三反歩質物ニ相渡し金拾五両借用
仕、只今慥ニ請取申処実正也、但シ年季之儀は
当巳十一月より来ル申十一月迄中三ケ年季ニ相定メ申候、
此畑地ニ付諸新(親)類は不及申、横合より少も構無御座候、
若何方より何如様之六ケ敷儀出来致候とも、我等
加判之もの何方迄も罷出急度埒明、貴殿江質
物ニ可致候、聊御苦労相掛申間敷候
一御公儀様御年貢諸役之儀は貴殿方ニ而御勤可被成候、
 尤年季月之申十一月ニ本金拾五両急度返金
 致候ハヽ、右之畑地不残御返し可被下候、若請返し
 申儀不罷成候ハヽ流可申候間、此証文ヲ以右畑地貴殿
 所持可被成候、自然御縄入御座候ハヽ貴殿名前ニ御請
 可被成候、又は御勝手ニ而何方江何程之質物ニ御渡し
 被成候共、我等義ハ不及申ニ右加判之もの印形
 致し為質物ニ入替可申候、其節違義申間敷候、勿論
 此証文貴殿御所持被成候内は何年過候とも少も
 違乱無御座候、為念組中印形致質物証文
 入置申処依而如件
   安政四年      下総国葛飾郡神間村
    巳十一月        地主
                 甚五兵衛㊞
                五人組
                 兵左衛門㊞
                同
                 源次郎㊞
                同
                 林蔵㊞
                名主
                 久左衛門㊞
            同国同郡
                源兵衛殿

 

(ひとことメモ)
安政4年(1857)の質地証文。地主甚五兵衛が、旗本能勢氏知行所の上畑3反余を質に入れ、金15両を借用したもの。

写真:神間村文書28


【史料番号31】
   質物相渡シ申田地証文之事
一上田五畝歩        八丁通り
一下田壱反五畝歩      同
一中畑九畝歩        同
一下畑弐反六畝歩      同
一屋敷五畝歩        同
  此高四石五升八合 御水帳面新左衛門名前
一上田七畝拾歩       茨田耕地
一中田壱反壱畝歩      同
一下田壱反壱畝弐拾歩    同
一上畑七畝歩        同
一中畑五畝歩        同
一下畑壱反八畝歩      同
  此分米五石九升弐合壱勺
            御水帳面久松名前
右は当亥ノ御年貢其外払方差詰申候ニ付、
書面之田畑貴殿江質物ニ相渡シ金子三拾両
借用仕、只今慥ニ請取申候処実正也、但シ
年季之儀は当亥十二月より来ル寅ノ十二月迄
中三年ニ相定、田畑質物ニ入置申候間
一御年貢諸役之儀は貴殿方ニ而被成御勤作徳并
立木等貴殿近(進)退可被成候、年季明キ寅十二月ニ
相成候ハヽ、金子返済可仕間地所御返シ可被下候、
若其節請返兼候砌田畑無甲乙其時之相場ニ而
相渡シ可申候、此地所ニ付御年貢未進拝借等外江
借金書入等不仕、組合并親類相談之上質地相渡シ
候間、外より故障之筋無御座候間、流地以後御検地
入ニ相成候ハヽ何様御名前ヲ請被成候共申分無
御座候、依之為後証質地証文相渡シ申処
如件        下総国葛飾郡神間村
   天保十年         地主
      亥ノ十二月      源兵衛㊞
          (切取抹消)[      ]
                名主
                 兼右衛門(印墨抹消)
         同国同郡同村
            組頭
                           栄治郎殿

(ひとことメモ)
天保10年(1839)の質地証文。地主源兵衛のほか、二名が連署していたが一名は署名部分を切り取り、兼右衛門は印を墨で抹消している。金子が返済されて反故になったため、このような処置がなされたと考えられる。
写真:神間村文書31の切り取り部分

【史料番号36】

   差上申一札之事
御知行所豆州武州総州先年御先納金
被仰付、村々一同御請仕御上納奉差上候処
今般村々江深ク御憐察を以前書御
先納金不残御下ケ済被下置一同立会
慥ニ奉請取候、依之為後日一同連印之
一札奉差上候処仍如件
  元次(治)二年丑二月     御知行所
 (後筆)             豆州田方郡
「御知行所            間宮村
    武総葛飾郡           名主
      神間村            吉田隼太郎
       名主           右後見名主
        源兵衛            惣四郎㊞
      芦橋村       
        利右衛門      下総国葛飾郡
      千塚村          永沼村
        孫右衛門        名主
      永沼村            野口孝右衛門
       名主
        野口孝右衛門     神間村
    豆州田方郡           名主
      間宮村              源兵衛㊞
       後見名主        芦橋村
      間宮村           名主
        吉田惣四郎          利右衛門㊞
       名主          千塚村
        吉田隼太郎 」     名主
                       孫右衛門㊞


   御地頭所様御内
      御役人中様

(ひとことメモ)
元治2年(1865)に旗本能勢氏の知行所(伊豆国・武蔵国・下総国)の村々が能勢氏に上納した先納金を残らず「御下ケ」(返金)とし、これを知行所村々の村役人らが受け取り、能勢家の下僚あてに提出した文書。差出人は下段に判を押しているが、提出する前に連署の順に支障があったらしく、上段に差出人を書き直している。実際に提出されたものではないようである。
写真:神間村文書36

写真:神間村文書36の差出人の部分

次回は、3月23日(土)14時~を予定しています。

古文書勉強会の成果(その10)

平成31年1月・2月と古文書勉強会を開催しました。市民の方々が主体的に市内神間地区ゆかりの江戸時代の古文書=神間村文書(春日部市郷土資料館所蔵)を解読しています。これまでの成果はこちらからさかのぼって御覧になれます。
写真:1月勉強会の様子
新年1月からは、新たに3名の方が加わり、大所帯となりました。今回は、1月12日(土)に解読した成果を披露します。

【史料番号313】

写真:313
(表紙)

「   松平五郎左衛門様御知行所御内                          

神間邑百姓持高帳

元文五申三月改之       」

   (反古)

   「上田四町五反壱畝歩  

    中田五町六反七畝拾三歩

    下田七町弐反拾五歩

    上畑五町八反三歩

    中畑          」

 

十二 上田四町五反壱歩     五斗五升取

十  中田五町六反七畝拾歩   五斗取

八  下田七町弐反拾五歩    四斗八升取

十  上畑六町九反六畝四歩   百三拾七文取

八  中畑五町八反三歩     百弐拾弐文取

六  下畑拾弐町九畝八歩    百六文取

   下々畑三畝廿四歩     七拾文取

十  屋敷弐町六反弐畝拾壱歩  百拾文取

   田合拾七町三反八畝廿八歩

   畑合弐拾四町八反九畝九歩

  田畑屋敷合四拾四町九反拾八歩

  此高三百八拾三石三斗壱升六合

 

       此訳ケ

一 高拾四石五斗八升八合六勺                     半兵衛

                椿村弥三郎分

一 同三拾壱石八升四合九勺                         門右衛門

一 同拾石八斗三升六合                      同人

                野田金乘院分

一 同弐拾七石九斗三升                         忠兵衛

                椿村弥三郎分

一 同三拾石四斗五升壱合                            藤兵衛

                当村仁右衛門分

一 同弐拾弐石八斗六合                                又右衛門

                屏風庄左衛門分

一 同拾四石五斗三升三合                            角右衛門

                椿村庄次郎分

一 同拾六石壱斗五升九合                            惣右衛門

                五左衛門八右衛門安右衛門三人分寄高也

一 同三石九斗四升六合七勺                         源次郎

一 同六石六升                                    彦兵衛

一 同六石壱斗七升七合                      吉左衛門

一 同三石壱斗六升七合                      八右衛門

一 同五石九斗弐升                             彦八

一 同弐石弐斗三升三合                      市右衛門

一 同五石八斗五升弐合                      助右衛門

一 同拾石三斗四升六合                      甚左衛門

一 同四石壱斗壱升四合                      浅右衛門

立野村八左衛門分

一 同九石八斗四升七合                                同人

                          内四石八升三合甚左衛門分分ケ高入

   二十二石三斗一升     金野井村孫右衛門分

一 同弐拾弐石三斗壱升                                又七             

一 同拾石四斗弐升弐合弐勺               孫八

一 同弐石五斗弐升                        

一 同五石九斗六升三合弐勺               吉右衛門

一 同拾壱石弐斗四升八合八勺           門左衛門

一 同拾八石壱斗壱升七合七勺           伝五右衛門

一 高五石四升六合                             茂兵衛

一 同七石弐斗弐升弐合六勺               藤七

一 同壱石九斗三升五合                      安左衛門

一 同四石弐斗四升                             文右衛門

                金野井村孫右衛門分

一 同三拾五石八斗弐升六合六勺                  定右衛門

一 同拾弐石三斗三升六合六勺           園右衛門

                金野井孫右衛門分

一 同五石八斗九升六合                               

一 同拾四石弐斗四合                                   兵左衛門

内弐石九斗壱升源兵衛分高入

   右惣高合

一高百六石六斗八升五合五勺               椿村

一同六拾七石七斗四升壱合三勺           小平村


(ひとことメモ)
元文五年(1740)の神間村のうち松平五郎左衛門知行所内の百姓の所持高をまとめた記録。松平五郎左衛門は諱(いみな)を正員(まさかず)といい、下総国葛飾郡・伊豆国田方郡・加茂郡に1100石を知行する旗本です(『寛政重修諸家譜』)。

【史料番号32】
写真:32
   御請書之事

一永百六貫七百七拾六文四分  豆州

一永百八貫百六拾弐文三分   武総五ケ村

右は年来御過納上納ニ相成候分相違無御座候、然ル処

当年御暮方御仕法も相立兼候ニ付、前書上納之金子

当寅年より無利足永年賦ニ被 仰付奉畏候、御下ケ金

之義は来ル辰年より年々御収納之内ニ而御下ケ金ニ相成候様

被 仰付一同奉畏候、左候ハヽ此上御過納之儀被 仰付

間敷と是又奉畏候、依之御請書奉差上候、以上

                            御知行所

               豆州間宮村

  嘉永七寅年二月       吉田伊右衛門代

                    藤兵衛

               武総五ケ村

                      代

                  千塚村

                   名主 孫右衛門

                  永沼村

                   名主 孝右衛門

  御地頭所様御内

     渡辺宗輔様

(ひとことメモ)
嘉永七年(1854)二月に旗本能勢氏知行所の伊豆・武蔵・下総の村々が能勢氏の用人渡辺宗輔あてに提出した請書。村々が上納した「過納」分を無利息の年賦金として借用するものとし、来辰年より「御収納」(村が納付する年貢)の内から差し引いて返済することとなった。これを命じた下知書は以前読んだ史料番号1にあたります。近世後期には旗本の家政は悪化し、知行所の村々に対し上納金を命じられることが広く行われました。

【史料番号350】
写真:350
(表紙)

「  嘉永六年             

御鷹御捉飼場締御請証文

  丑八月

        神間村  」

   差上申御請証文之事

一御鷹場村々従 御公儀様被 仰出候通

 御條目之趣堅相守可申候、御鷹鳥は不及

 申諸鳥ニ至迄殺生為致申間鋪候事

一当村ニは四季打鉄砲無御座候事

一御鷹匠様方当村方江御泊人馬継と御先触

 参候ハヽ早速御届ケ可申候、勿論犬猫繋置   

 御鷹之障ニ不相成様可仕候事

      宿被仰付節は火之元入念大切可仕候事 

   附御鷹匠様方御旅宿被 仰付候節

   火之元入念大切ニ可仕候事

一疑鋪相見江候御鷹匠様方御出御鷹遣

 候ハヽ御焼印引合可申候事

   附合札御焼印違候歟、所持不致候ハヽ

   御鷹為遣不申早々御届ケ可申候事

一鶴雁鴨之類追立申間敷候、勿論番屋抔

 仕立道具等為持追立申間鋪候、若相背追

 立御場廻之節御見附被成候ハヽ何様ニも可

 被 仰立候、殊病鳥落鳥御座候ハヽ隠置

 不申御届ニ可申候事

一八月より翌春三月迄之内人寄ケ間敷儀一切仕

 間鋪候、勿論無拠神事仏事一日之祭礼御座

 候共已前御届御下知を請可申候事

一沼川通用悪水堀々堅殺生仕間敷候、勿論八         

 月朔日 御制禁之建札可仕候事

一川鳥売買仕候もの当村ニは一切無御座候、仮

 令脇村より参売買仕候共捕置早速御届可申

候事

一鉄炮其外何ニ而も殺生仕候もの見付候ハヽ捕

 置早々御届可申候事

一八月より三月迄之内用悪水堀先規より掛来

 候場所仮橋無御差支懸置可申候、勿論

 御鷹御用不相済内は囲堀亦は外之堀々ニ至

 迄無拠普請御座候ハヽ早速為御知可申候事

一田船之儀当十月より来春迄御用不相済内

 は用悪水堀々通壱艘も差置申間敷候、縦令

 川通渡場ニ候共渡船計差置外小船差

 置申間敷候事

一御鷹匠様方他村江御止宿被遊御捉飼ニ御

 出村内野場御通行掛り之節御用等居合候農

 人亦は百姓家江御立寄御用之趣被 仰付候共

 無遅々相勤御用御間ニ合候様可仕候、勿論常々

 村中惣百姓並水吞小供ニ至迄申付置御鷹

 御用無御差支可仕候事

一飼鳥之儀水鳥は不及申小鳥ニ至迄飼鳥為

 致申間敷候事

一堀筋通段木伐透下草刈払御捉飼

 御差支無之様可仕候事

一従 御公儀様より被遊御渡候御焼印餌

 鳥合判鏡ニ仕餌鳥人参候ハヽ合判可仕候事

 右箇條之趣被 仰渡得其意村中惣百姓

 寺社領門前百姓并地借店借末々召遣之者

 迄堅為相守可申候、若背仕候者御座候ハゝ何様

 ニも可被 仰立候、為後日御請證文差

 上申候処仍而如件

 

          松平健之助  

          中根鎗次郎

          能勢十次郎   知行所

          久野伊三郎  

          武嶋内蔵助

           下総国葛飾郡

                神間村

嘉永六年            右五組惣代

   丑八月           名主

                  久左衛門㊞

                 組頭

                  源太郎㊞

                 百姓代

                  兵左衛門㊞

 

戸田五介様御組

    野廻役

      関口栄助殿

 (ひとことメモ)
嘉永六年(1853)八月の幕府の鷹場にあたる村々が提出した証文。神間村をはじめ春日部市域は幕府で飼育する鷹の訓練場(捉飼場・とらえかいば)であった。捉飼場の村々には鷹の訓練に支障が生じないようにさまざまな生活規制が強いられた。



次回は3月23日(土)14時~を予定しています。
近いうちに、2月の成果も更新しますのでお楽しみに。

小渕小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成31年2月5日に小渕小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

見学の様子

昭和から平成の暮らしのうつりかわりについての説明を聞いた後、自由時間には郷土資料館を自由に見学したり、昭和期に使われていた冷蔵庫や水車などを実際に触ったりして、今との違いに驚いていました

見学の様子

見学の様子

郷土資料館では、3月24日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

昭和46年(1971)2月1日公民館6館オープンー広報かすかべ169号

文化財保護課では、過去に市役所の広報担当が撮影した写真フィルムをデジタル化する作業を進めています。
『ほごログ』の新しいコーナーとして、保存している広報写真の中から、旬な情報を定期的にお届けします。
昭和から平成の春日部を写真でお楽しみください。

48年前の昭和46年(1971)2月1日、春日部地区の粕壁地区公民館、内牧地区公民館、豊春地区公民館、武里地区公民館、幸松地区公民館、豊野地区公民館の6館が一斉にオープンしました。広報では、大小の会議室や和室などが整備され、学習や会議ができる施設として紹介されています。

写真の幸松公民館は、開館から22年後の昭和63年(1988)10月23日、建て替えを経て現在の建物になりました。

広報かすかべ169号(昭和46年2月)
広報かすかべ387号(昭和63年10月)

開館当時の幸松公民館
開館当時の幸松公民館(広報かすかべ169号掲載)

幸松小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成31年2月1日に幸松小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
昔懐かしの暮らしと道具を実際に近くで見て触って、少し昔の生活を身近に感じていました。

見学の様子

展示されている道具ですが、これは何だか分かりますか?
手水器
児童たちからは、「蚊取り線香?」「炊飯器?」という声もありましたが


正解は・・手を洗う道具「手水器(ちょうずき)」です。
手水器のイラスト


児童も早速体験していました。
見学の様子

郷土資料館では、3月24日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

正善小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成31年29日に正善小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
少し前に使われていた日用品や農具等の説明を一生懸命にメモをとりながら聞いていました。

見学の様子

初めて見る物の使い方を質問したりして、昔の道具に興味深々でした。

見学の様子

土資料館では、3月24日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

神明貝塚の巡回展の第二弾が始まります

1月22日まで庄和総合支所にて開催されていました巡回展「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」が場所を移し、今度は正風館(庄和地区公民館)にて、1月30日より公開します。

見逃してしまった方はもちろん、すでにご覧になられた方も、正風館に足をお運びの際には、是非一度ご覧いただき、市域最大の縄文のムラとくらしの息吹を感じてみてはいかかでしょうか。

正風館での展示の様子

場所:正風館1階ロビー(大衾307番地1)
会期:平成31年1月30日~4月末日


縄文時代の土偶『新編図録春日部の歴史』ーその74

縄文時代の人々の精神性を表す道具として、土偶(どぐう)があります。
土偶は粘土で人の形を作ったもので、乳房(ちぶさ)の表現と豊満な腹部や臀部(でんぶ)から女性を表現し、多産や安産などを願うために使われたと考えられています。


豊春地区の花積台耕地(はなづみだいこうち)遺跡では、「ハート形土偶」の、まさに名前の由来であるハート形の顔が発見されています。顔面をふちどるような文様は、イレズミを表現している可能性があります。
また、西親野井地区の神明貝塚では、同じく「ハート形土偶」のお尻から足の部分が発見されています。これらの土偶は、
3,5004,000年前の縄文時代後期のものです。


神明貝塚では、最近の調査(春日部市サイトにリンク)でも土偶が発見されています。

「縄文時代の文化」『新編図録 春日部の歴史』18ページ

花積台耕地遺跡の土偶
花積台耕地遺跡のハート形土偶の顔の部分

神明貝塚の土偶
神明貝塚のハート形土偶のお尻から足の部分

南桜井小学校伝統芸能クラブの活動

1月23日は校内でのクラブ活動ではなく、学校外で「伝統芸能クラブ」の活動が行われました。総合支所2階にある庄和児童センター(スマイルしょうわ)に招かれ、『芝舞(しばまい)』と『辻切(つじきり)』の2演目を披露しました。昨春4月から新たなメンバーで始まったクラブ活動も円熟(えんじゅく)し、15名の児童の力の結集で見事なお囃子が奏でられ、伝統の舞もきれいに揃っていました。

▲さまざまな年代の方々が観覧する中、堂々とした「芝舞」が舞われました

▲「辻切」は腰をおとし、安定した舞でした
クラブ活動も残すところ3回。指導されてきた西金野井獅子舞保存会の染谷会長さんも目を細めて息のあった舞を見守っていました。この中から、伝統芸能を担う後継者が生まれることを切に祈っています。

上沖小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成31年1月22日と23日に上沖小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
時代とともに変わっていった春日部を学芸員から説明を聞いたり、当時使っていた物を触ったりしました。

小学校の見学

自由時間には、実際に”竹ぽっくり”で歩いてみたりと、昔のおもちゃで楽しそうに遊んでいました。

小学校見学の様子

カラーが当然と思っていたテレビが、昔は白黒だったことにも驚いていました。

見学の様子

郷土資料館では、3月24日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催します。
昔の懐かしい道具や写真を展示し、小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

平成31年1月20日(日)、郷土資料館展示室で「体験ワークショップ」が開催されました。

ワークショップの様子

春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「パタパタ(板がえし)」を作りました。

ワークショップの様子

一番上の板をひっくり返すと、下の板も順番に”パタ♪パタ♪パタ♪”と音をたてながらひっくり返るのを、何度も楽しんでいました。

ワークショップの様子

ワークショップは、小学生までを対象とした、昔の遊びを気軽に体験できるイベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。
 次回ワークショップは、平成31年2月17日(日)に「からくり屏風」を作ります。ご参加をお待ちしています。


ワークショップの様子

宮川小学校の皆さんが郷土資料館を見学しました

平成31年1月18日(金)、宮川小学校第3学年の皆さんが春日部市郷土資料館を見学しました。
宮川小学校学区内の花積貝塚の竪穴住居や、日光道中の宿場町の模型を見学した後、現在、社会科で学習している昔のくらしについて、資料を見学しました。その後の自由時間では、体験コーナーが人気。
とんとん相撲やブンブンゴマなど、昔のおもちゃを体験し、おじいさん・おばあさんの時代の暮らしを学習しました。

写真:体験コーナー

おばあさんにお手玉を教えてもらったという男の子もおり、わらべ歌をうたいながらお手玉を披露してくれました。また、けん玉が上手な男の子もいました。
昔のくらしの学習は、おうちの方にお話しを聞くと理解が深まるかもしれませんね。

写真:けん玉の体験
宮川小学校の皆さん、またぜひおうちの方と遊びに来てくださいね。

1月20日(日)銚子口の獅子舞が公開されます

1月20日(日)、銚子口香取神社にて、春日部市の無形民俗文化財に指定されております「銚子口の獅子舞」が公開されます。
どうぞ皆様お誘いあわせの上、ご来場ください。

日時:平成31年1月20日(日)14時~15時20分ごろ
場所:銚子口香取神社(春日部市銚子口551)

交通機関:朝日自動車バス(春日部駅東口~豊野工業団地行)豊野小前バス停下車、徒歩5分

春日部市指定無形民俗文化財「銚子口の獅子舞」の公開(春日部市公式サイトイベントカレンダー)

銚子口の獅子舞

中野小学校の皆さんが郷土資料館を見学しました

平成31年1月17日(木)中野小学校3年生の皆さんが、春日部市郷土資料館を見学しました。

縄文時代の竪穴住居の模型の見学。
中野小学校の周りにも縄文時代の家があったことを話すと、とても驚いていました。
写真:竪穴住居の見学

千歯こきの体験では「モミがとれて、すっきりした」と感想を話してくれました。体験が終わった後、千歯こきは何する道具ですか?と聞くと「米を散らかす道具!」と元気に答えてくれる子もいました。本当は板や筵(むしろ)などを引いて集めやすくするのです。
写真:千歯こきの体験
このほか、体験できる昔のおもちゃや道具等に興味津々。スケッチやメモなどを一生懸命とっていました。展示資料のなかでは、今の遊びと直結するファミコンとゲームボーイが人気のようでした。

1月から2月にかけて、郷土資料館の社会科見学も本格的になり、資料館がにぎやかになります。

出張展示 庄和図書館 三上於菟吉と春日部展

郷土資料館の出張展示としまして、1月16日(水)から2月20日(水)まで、庄和図書館(春日部市金崎839-1 午前9時~午後7時開館)で「三上於菟吉と春日部」展を開催しております。



庄和図書館と三上於菟吉顕彰会による連続講座「三上於菟吉と春日部」が開催されましたことから、関連として展示するものです。連続講座は、第2回まで終了、第3回は2月3日(日)に、三上於菟吉顕彰会代表新井義昭先生による「『百万両秘聞』の生まれた背景」が行われます。お問合せは、庄和図書館(048-718-0200)まで。



展示内容は、於菟吉の粕壁中学校(現春日部高等学校)時代の作品や、昭和10年刊の唯一の随筆集『随筆 わが漂泊』にみえる故郷と中学校の思い出話の紹介と、『モントクリスト伯爵』のほか、意外と知られていない於菟吉の翻訳小説を中心としております。寄贈者のご厚意で、直接ご覧いただける著書もございますので、皆さまぜひご覧ください。

東部地区の交通ー交通の発展と三郷ー(三郷市立郷土資料館)

三郷市立郷土資料館にて、1月11日(金)から2月11日(月・祝)まで、「東部地区の交通ー交通の発展と三郷」が開催されています。
この展示会は、東部地区文化財担当者会の「東部地区の交通」巡回展の一つで、三郷市では、近世・近代からの河川・道路・鉄道による交通の歩みについて、実物資料・写真を用いて紹介しています。春日部市郷土資料館からも、内国通運(ないこくつううん)株式会社西宝珠花取扱所の半てんなどを貸し出しています。

常磐自動車道や東京外環道、つくばエキスプレスなど、近年も新しい交通が次々と整備されている三郷の交通の歩みを展示資料と共に学ぶことができます。みなさまお誘いあわせの上、ぜひお出かけください。

なお、東部地区文化財担当者会発行の研究報告書『東部地区の交通』(1,500円)は、残部が大変少なくなっております。購入ご希望の方は、春日部市教育委員会文化財保護課(土日は郷土資料館)までお問い合わせください。

<東部地区の交通ー交通の発展と三郷ー>
日時:平成31年1月11日(金)~2月11日(月・祝)平日:9時半~19時 土日祝日:9時半~17時
休館日:毎週月曜日(1/14(月・祝)・2/11(月・祝)を除く)、1月15日(火)、1月24日(木)
場所:三郷市立郷土資料館(三郷市谷口618-1三郷市わくわくライブラリー内)
 ※つくばエクスプレス「三郷中央駅」から徒歩約10分

 電話番号:048-952-8800 展示内容については048-930-7759(生涯学習課)
入館料:無料

郷土資料館企画展「埼玉県東部地区の交通―交通の発展と三郷―」開催のお知らせ(三郷市立郷土資料館)

三郷市東部地区の交通展ポスター

東中学校『新編図録春日部の歴史』ーその73

平成25年(2013)1月7日、春日部市立東中学校では、「光と風、水面に映える学校」をコンセプトに建設された新校舎の落成式典が挙行されました。
新校舎は木材をふんだんに使い、冷暖房を完備、太陽光発電と雨水利用の設備やミニコンサートが開ける「パティオ」という中庭も設置されました。

今年の1月3日に行われた箱根駅伝第9区には、平成25年に東中学校卒業で国士舘大学の石川智康選手が出場しました。

東中学校ブログ「卒業生が箱根駅伝を走ります」
No.148 東中学校新校舎落成式典が開催されました(国立国会図書館インターネット資料収集保存事業(WARP))
「教育施設の拡充」『新編図録 春日部の歴史』286ページ

東中学校


 

郷土資料館利用のご案内

●開館時間:午前9時から午後4時45分
●休館日:毎週月曜日、祝祭日(月曜日が祝祭日と重なる場合は、火曜日も休館となります) そのほか、選挙投票日、施設点検日など臨時休館日あり
●入館料:無料

●アクセス
住所:春日部市粕壁東3-2-15(春日部市教育センター内)
電話番号:(048)763-2455

春日部駅東口(東武スカイツリーライン・東武アーバンパークライン)から徒歩10分
東北自動車道岩槻ICから国道16号線春日部・野田方面、「小渕」交差点を国道4号線東京方面へ、国道4号線「女子高入口」交差点を春日部駅方面へ、「粕壁小」交差点南東角。
駐車場は教育センターと共用。

グーグルマップ 春日部市郷土資料館

資料館地図
郷土資料館案内図

御産御祈目録『新編図録春日部の歴史』ーその72

南北朝時代の武将、春日部重行(かすかべしげゆき)は、建武記(けんむき)や後醍醐天皇綸旨(ごだいごてんのうりんじ)などの古文書にその名が登場することをこれまで紹介しましたが、今回の御産御祈目録(おさんおいのりもくろく)もその一つです。
御産御祈目録とは、天皇の妃が妊娠している期間に、その安産祈願のために行われる様々な祈祷を目録にしたものです。
建武2年(1335)の御産御祈目録には、重行の官職名である「滝口左衛門尉」(たきぐちさえもんのじょう)の名が記され、後醍醐天皇の妃の安産祈願に、西国三十三所(さいごくさんじゅうさんしょ)第十九番札所の行願寺(ぎょうがんじ)に重行が派遣されたことがわかります。
行願寺は革堂(こうどう)とも呼ばれ、現在は京都市中京区(なかぎょうく)に所在します。南北朝時代は現在の上京区(かみぎょうく)にあたる場所にありました。

 

『続群書類聚』997巻 国立公文書館所蔵
「春日部氏と建武の新政」『新編図録 春日部の歴史』48ページ
御産御祈目録
御産御祈目録(赤線部分に「行願寺 滝口左衛門尉重行」とある 

最近の郷土資料館

年の瀬も迫ってまいりました。今回は、高齢者施設の団体見学、大学生の資料利用、常設展示の一部更新など、春日部市郷土資料館での最近の出来事を紹介します。

【その1】12月8日・15日・19日、市内の高齢者施設の皆さんが団体でお見えになりました。
写真:昔の道具の見学
展示室では、回想法ボランティア「ふれあい幸齢倶楽部」さんのご協力をえて、回想法に基づいた映像の上映をしていただきました。回想法と言うと、敷居が高く聞こえますが、簡単にいえば、高齢者の方に懐かしい物事を思い出して、話し合っていただき、活き活きとしてもらおう、という取り組みのことです。回想法の映像では、昭和30年代の県内の風景や国内で起きた主な出来事が紹介されました。
写真:回想法映像の上映
また、「くらしのうつりかわり」展で紹介している昔の道具を手に取って御覧いただきました。ご来館いただいたみなさんは、映像や懐かしい道具を御覧になり、楽しんでいただけたようです。「とても楽しかった」「この道具使っていたよ、懐かしい」などとご感想をいただきました。またのご利用をお待ちしています。

【その2】大学生の卒業研究の資料調査がありました。
日本工業大学の学生さんが、館蔵の木製の椅子・机の調査のため来館されました。
写真:資料を撮影する学生
この学生さん、小中学校で戦前に使用された木製の椅子・机をテーマに卒業研究をまとめている方で、JIS(日本工業規格)が確立される以前の椅子や机に規格があったのかを原物の資料を測量しながら調べているんだそうです。
当館には、粕壁小学校の木製椅子・机、葛飾中学校の木製椅子が収蔵されていますので、調査していただきました。わずかな点数ですが、半日がかりで写真に撮り、丁寧に実測されていました。「児童の体型や安全性などに配慮して設計・製作されていたのではないか」と考察されていました。近隣の博物館の資料とも比較するそうなので、研究の成果、楽しみにしています。ちなみ、粕壁小の木製椅子・机は展示中ですので、いつでもご覧いただけます。


【その3】またまた、常設展示を一部更新しました。
写真:常設展の一部更新
今回は、近現代の市域の歴史について展示を一新しました。新たに設置したのは、「関東大震災と春日部」「近代の交通・流通」「ベッドタウンとしての春日部」の3テーマです。「近代の交通・流通」は、江戸川の舟運や鉄道関係の資料も展示しています。
先日、近隣にお住まいの方が、「久しぶりに立ち寄ってみましたが、少しずつ変わっているんですね!」と感想をもらしてくださいました。
日々かわっていく郷土資料館の展示室をぜひともご覧ください。

小渕河畔砂丘出土の須恵器大甕『新編図録春日部の歴史』ーその71

今回ご紹介する須恵器の大甕(おおがめ)は昭和31年(1956)に、小渕地区の小渕河畔砂丘(こぶちかはんさきゅう)の一部を崩す工事の際に発見されました。
口の部分の直径は33.8㎝、高さは54.6㎝と、空の状態でも一人で持ち運ぶには難しい大きさです。作り方や粘土の特徴から、古墳時代後期から奈良時代の初めに、群馬県方面で生産されたものと推定されています。

重要な点は、この頃作られた須恵器大甕が河畔砂丘の砂の中に埋まっていたことです。これは、小渕河畔砂丘の形成が開始された年代が奈良時代にさかのぼることを示します。
須恵器大甕は河畔砂丘の歴史を考えるうえで重要な意味をもつことから、平成21年に春日部市の文化財に指定されました。

春日部市の指定文化財「小渕河畔砂丘出土の須恵器大甕」(春日部市教育委員会サイト)
春日部市教育委員会『春日部市史第1巻 考古資料編』1986 577ページ
「古代の生活と文化」『新編図録 春日部の歴史』38ページ

小渕河畔砂丘出土の大甕

平成最後のしめ縄づくり

春日部市郷土資料館のイベントも年内最後になりました。先週に引き続いて、12月15日(土)に体験講座しめ縄づくりを開催しました。
写真:しめ縄をつくった皆さん

紙垂(しで)をつくった後に縄ないをして、しめ縄をつくりました。
今回も例年参加している方が多く、初めての方も、筋がよく、あっという間に完成しました。

写真:しめ縄をよる作業

参加した小学2年生と年中さんの姉妹。お姉さんは一人で、妹さんはお母さんに手伝ってもらいながら立派なしめ縄を作り上げました。お正月にお父さん・お母さんの実家に里帰りして、両方のおじいさん・おばあさんにそれぞれプレゼントする、と話してくれました。お孫さんが作った立派なしめ縄をもらって、おじいさん、おばあさんは驚くのではないでしょうか。
写真:しめ縄をつくった姉妹

よく考えたら、「平成最後」のしめ縄づくりですね。受講者の皆さん、「平成最後」のしめ縄で、「平成最後」の新年をお迎えください。

春日部実景父子が自害した法華堂の跡『新編図録春日部の歴史』ーその70

春日部氏は、おおむね現在の東京都大田区、品川区、目黒区、神奈川県川崎市の一部である武蔵国荏原郡(えはらぐん)を開発した大井氏や品川氏の一族にあたります。
春日部実景(かすかべさねかげ)は、甲斐守(かいのかみ)など鎌倉幕府の要職をつとめた御家人で、幕府内の地位も髙かったものと推定されます。
しかしながら宝治元年(1247)、有力御家人であった三浦泰村(みうらやすむら)が執権の北条時頼(ほうじょうときより)と対立し、宝治合戦(ほうじかっせん)が起こります。この際、三浦氏方についた春日部実景父子は、敗走した三浦氏一族とともに、法華堂(神奈川県鎌倉市)にあった源頼朝の画像前で自決しました。

『吾妻鏡』巻38 宝治元年6月10日条・6月22日条 国立公文書館内閣文庫
春日部市郷土資料館『中世の武士 春日部氏(夏季展示第35回展示図録)』2007
「下河辺氏・太田氏・春日部氏」『新編図録 春日部の歴史』160ページ
法華堂跡
法華堂跡(源頼朝墓・神奈川県鎌倉市)
吾妻鏡6月11日条
『吾妻鏡』宝治元年6月10日条
10日条には春日部実景の子どもが武蔵国で捕らえられ、鎌倉に到来したことが記される。

吾妻鏡6月22日条
『吾妻鏡』宝治元年6月22日条
22日条には自殺・討死した武将の名前の中に「春日部実景」と子息「太郎」「次郎」「三郎」がみえる。

古文書勉強会の成果(その9)

平成30年12月1日(土)古文書勉強会を開催しました。市民の方々が主体的に市内神間地区ゆかりの江戸時代の古文書=神間村文書(春日部市郷土資料館所蔵)を解読しています。
写真:勉強会の様子
今回は、延宝3年(1675)3月「神間村屋敷御検地御水帳写」(史料番号332)と文久2年(1862)3月「入置申一札之事」(史料番号42)を講読しました。

延宝3年「検地帳写」は、代官南條金左衛門による総検地の時に作成されたものであり、神間村にとっては、開発直後の慶安3年(1650)の検地に引き続いて2度目の検地になります。今回は、当村の屋敷地の持ち主や広さなどが記載されている屋敷分を読みました。以前、講読した慶安3年の屋敷地と比較すると、全体的に屋敷地の面積が拡大していること、高入れしていない藪地が屋敷地に付属していること、藪地は屋敷の面積を合わせると全体の4分の1程度であることが明らかになりました。おそらく藪地は屋敷林(防風林)のことと考えられます。事実上、村が成立した慶安3年から25年の間に、耕地の開発がすすみ、そこに暮らす人々が屋敷に屋敷林などを備えて、村に定着していったことがうかがえます。
また、参加者からは、他の村には「藪」があったのか、と疑問が投げかけられました。当日もお見せしましたが、神間村と同じ下総国葛飾郡庄内領の水角村の延宝3年検地帳(当館蔵)にも屋敷地に藪が付属しています。防風林をそなえた屋敷が点在する中川低地の農村の風景は、このころに形成されていったと考えられます。

ところで、みなさん、古文書を読むのに慣れてきましたが、その一方で「検地帳や人別帳は読みやすいが単調」という意見も出始めました。そこで、今回は続けて、一紙文書の文久2年(1862)3月「入置申一札之事」を読んでみました。この文書は、土地を質入れして金5両を借用したことを証明する質地証文について、その作成を十二月まで引き延ばすことを取り決めた文書です。以下、釈文です。

【史料番号42】
     入置申一札之事

一、其御組合御水帳面傳左衛門名前屋敷畑

壱反歩、私義年来所持致居候処、追々

身上向不如意ニ罷成、勝手合を以親類相談仕、

此度貴殿江立而御無心申入、質地代金五両也、

不残御聞済被下、書面之金子證人立会、

慥ニ請取申処実証ニ御座候、然ル処我等勝手

合を以質地證文取極メ候儀は、当戌十二月

迄引延、就而は貴殿方ニ而御聞済被下質地證文

対談之通り期月ニ至り候ハヽ、貴殿方ニ而被仰

付次第無違変御組合一同我等ニ而相頼、質

地證文取極メ可仕候、若其節右地面二付

横合より少も変乱申もの御坐候ハヽ、加印

之もの引請急度埒明、貴殿江少も御苦

難相掛ケ不申、質地證文書替可申候、為後日

一札入置申処如件  

   庄内領神間村

               出石地主

   文久二年         文右衛門㊞

     三月       親類

                亀蔵㊞

            源兵衛殿       

前書取極メ対談仕候上ハ、当年より

公議様御年貢諸夫銭共貴殿方ニ而

御勤可被成候、依之奥書相添一札入

置申処如件        

             出石地主 

               文右衛門㊞

             親類

               亀蔵㊞

            源兵衛殿

次回の勉強会は、年をまたいで1月12日(土)14時~を予定しています。
原本をみながら、古文書を講読できるのは、春日部でたぶんココだけです。ご興味のある方のご参加をお待ちしています。

年末恒例の体験講座

平成30年12月9日(日)春日部市郷土資料館でしめ縄づくりの講座を開催しました。リピーターも多い毎年恒例の人気講座です。
写真:しめ縄完成
この講座は、郷土に古くから伝わる風習についての理解のため、稲わらを細工して、正月飾りになるオリジナルのしめ縄をつくっていただくものです。受講者のみなさん、わらの扱いに苦労されながらも、立派なしめ縄を拵えていただけたようです。

講座では、はじめに、しめ縄に垂らす「紙垂」(しで)をつくり、その後、しめ縄をしばる縄をつくるため縄ないをしました。
写真:縄ない

そして、しめ縄づくり。郷土資料館でつくるのは「ゴボウジメ」と呼ばれる、わらを3つ編み状にしたしめ縄です。単純に3つ編みにするのではなく、3つ編みにするのと反対方向にわらをよりながら編み込んでいきます。
リピーターで毎年参加されている熟練の方は、一人で作ってしまいますが、皆さんには二人一組で協力してつくっていただきました。下の写真は、ご家族総出での製作の模様です。
写真:しめ縄をつくる
家族で作ったオリジナルのしめ縄で、よいお年をお迎えいただけますよう、お祈り申し上げます。
郷土資料館のしめ縄づくり体験講座は、今週末12月15日(土)にも開催いたします。定員はわずかです。ご興味のある方はお早めにお申し込みください。

修善寺・熱海温泉紀行『新編図録春日部の歴史』ーその69

明治16年(1883)4月、当時の下柳村に住んでいた染谷保次郎さんは、伊豆の修善寺、熱海まで、旅行をしました。その際の記録が、『修善寺・熱海温泉紀行』です。郷土資料館で保存している資料は、後年の明治25年に書き写されたものです。

『修善寺・熱海温泉紀行』には、約1か月の行程が詳細に記されており、下柳から粕壁を経て、馬車、人力車、鉄道を乗り継いで伊豆に行った交通事情の様子がわかります。
当時、浅草から宇都宮間には1日3便、旅客10人の馬車が運行されており、浅草と粕壁間の運賃は一人63銭でした。

『修善寺・熱海温泉紀行』春日部市郷土資料館
「宿場町粕壁と交通の変容」『新編図録 春日部の歴史』160ページ

修善寺・熱海温泉紀行

第8回民俗芸能公開事業を開催しました

12月2日(日)に市指定無形民俗文化財を伝承されている「赤沼民俗文化財保存会」、「東中野獅子舞保存会」のみなさまによる『伝承300年の舞-守り継承されてきた獅子舞‐』を正風館大ホールで開催しました。当日は、第1部で地元の祭礼で演じられる主要演目を演舞していただきました。
赤沼の獅子舞弓くぐり
▲赤沼の獅子舞「弓くぐり」
 夏の祭礼で五穀豊穣を願って弓をくぐる迫力のある舞です

東中野の獅子舞花掛り
▲東中野の獅子舞「花掛り」
 三匹獅子に加え、道化きつねが絡むストーリー性のある舞です

第2部では地域の家内安全、疫病退散を祈願し、地域の辻つじで演じられる「辻きり」「追い出し」と呼ばれ、舞台上で初めて舞っていただきました。
赤沼の獅子舞悪魔払い
▲赤沼の獅子舞「悪魔払い」
太夫獅子が模造刀で邪気を追い出す演目で、平成26年に復活させました

東中野の獅子舞大祓い
▲東中野の獅子舞「大祓(おおばらい)」
神職姿の役員さんが祝詞を唱え、幣束を模造刀で断ち切る「辻きり」の一場面


当日は多くの皆さまに郷土春日部の伝統の舞を堪能いただきました。来年も開催いたしますので、ご期待ください!!
また両団体の皆さま、ご熱演いただき、ありがとうございました。

12/2(日)「伝承300年の舞」が開催されます

12月2日(日)13時10分より、正風館大ホールにて、第8回民俗芸能公開事業「伝承300年の舞ー守り継承されてきた獅子舞」が開催されます。
春日部市指定文化財の赤沼の獅子舞(あかぬまのししまい)、東中野の獅子舞(ひがしなかののししまい)が舞台で披露されます。

今回出演する2つの獅子舞は享保(きょうほう)3年(1718)、享保5年(1720)に、ともに現在の越谷市下間久里(しもまくり)から伝承されたものです。
実に300年という長い歳月にわたって、今日まで地域のみなさまが守り継承されてきた郷土春日部の獅子舞を、ぜひご堪能ください。

開催日時:平成30年12月2日(日)13時10分開演(12時50分開場)
開催場所:庄和地区公民館(正風館)大ホール
所  在  地:春日部市大衾307番地1(南桜井駅北口より徒歩8分)
定員:500人
費用:入場無料
申込:不要。直接会場へお越しください。
※駐車場に限りがありますので公共交通機関のご利用をお願いいたします。

古文書勉強会の成果(その8)

更新がだいぶご無沙汰になってしまいましたが、春日部市郷土資料館の市民による古文書勉強会の成果を紹介します。9月、10月、11月と数回にわたり、神間村文書のうち検地帳・宗門人別帳を講読しました。
写真:講読の風景
まず、慶安3年(1650)「神間村新田屋敷御検地御水帳写」(史料番号334)は、神間が開発され、はじめて検地の時に作成されたもので、元文4年(1739)に書写されて、今日に伝わったものです。今回は五冊のうち、住民の屋敷を書き上げた一冊を読みました。参加された方が内容を表にまとめてくださいました。
画像:検地帳の集計表
住民に屋敷の大小があること、「〇〇分」の記載から、いわゆる分付主という存在がいたこと、検地の案内人には除地が与えられていることなどを読み解きました。また、史料の写し間違えがあり、屋敷地の合計が計算上合っていないことも明らかになりました。

次に、享保21年(1736)「下総国庄内領神間村宗旨人別帳」(史料番号339)を講読しました。
写真:享保21年人別帳
こちらも内容を表にまとめていただきました。
表:享保21年人別帳の分析
家族構成や年齢、旦那寺、本百姓でない「地守」「水呑」という肩書の農民の存在など、当時の神間村の住民構造を読み解きました。神間村には寺院がなかったため、各家は他村の寺院を旦那寺としており、とくに西宝珠花村の宝蔵寺を旦那寺とする家が多いことから、近世前期の新田開発にあたって、台地上の宝珠花から入植があったことがうかがえます。また、この宗門人別帳には「本家立三間、横弐間半」というような記述がみえます。「本家」の厳密な意味はわかりませんが、おそらく各家の母屋の面積を示したものと推察されます。
ある参加者の方は、この面積の数値と家族人数を合わせて、分析してくださいました。
画像:参加者の分析図
検地帳、宗門人別帳を講読して、当時の神間村の人々のくらしがイメージできましたでしょうか。
また、前回の11月17日(土)には、講読後に新規受け入れ資料の加藤楸邨・水原秋櫻子の短冊を熟覧していただきました。楸邨・秋櫻子は春日部ゆかりの俳人ですが、近世の古文書とはまた違った草書を読んで、昭和の俳句の世界に思いをはせていただきました。
写真:加藤楸邨等の短冊の熟覧
次回の勉強会は、12月1日(土)14時~、次々回は1月12日(土)14時~です。一緒に古文書を読んでみたいという方も大歓迎です。

春日部中学校図書館『新編図録春日部の歴史』ーその68

昭和34年(1959)11月25日、全国で初めて、春日部中学校に中学校図書館が開館しました。鉄筋コンクリート製の平屋で、面積349.2平方メートル、総工費は630万円でした。円形バルコニー、明かり天井が採用されるとともに、会議室、司書室も備わり、図書館司書が配置されました。
昭和41年(1966)に春日部中学校で火災がありましたが、図書館は鉄筋コンクリート製であったために、その被害は免れました。

「落成した春中図書館」『春日部市政だより』昭和34年12月10日号
「公共施設の整備」『新編図録 春日部の歴史』252ページ
春中図書館

高齢者施設の皆さんにご来館いただきました

11月20日(火)、市内の高齢者施設の皆さんが団体見学で春日部市郷土資料館にいらっしゃいました。
写真:こての使い方を説明される方
「くらしのうつりかわり」展では、昔のおもちゃや道具に触っていただきました。こての使い方やベイゴマの回し方を教えていただきました。
個人的に驚いたのは、アルマイトの弁当箱のこと。梅干しをのせた日の丸弁当を毎日食べていると、梅干し酸によって、弁当箱のフタの真ん中に穴が開いてしまうんだそうです。「ただでさえモノがない時代だったのに困った」と昔を思い出されていました。

写真:回想法ボランティアの活動
映像コーナーでは、回想法ボランティア「ふれあい幸齢倶楽部」にご協力いただき、回想法の映像を上映しました。昭和33年の皇太子殿下のご成婚の映像や昭和30年代の県内の映像をご覧いただき、クイズや会話を通して、昔のことを回想していただけたようです。

皆さん、笑顔でお帰りいただきました。またのご来館をお待ちしております。

テレビ局の取材と帰ってきた埴輪

春日部市郷土資料館、昨日月曜日は休館日でしたが、動きのある一日でした。お知らせもかねて、話題をニつ紹介します。

一つ目。
テレビ埼玉の番組「魅力まるごと いまドキッ!埼玉」の取材があり、リポーターとして活躍されている小堺翔太さんにご来館いただきました。
写真:模型をみる小堺翔太さん
小堺さんと一緒に春日部大通りを歩いて、日光道中粕壁宿の昔の町並みをご案内しました。一見気づかない昔の面影をご覧いただき、喜ばれていました。写真は、当館の宿場町の模型をご覧になる小堺さん。ちゃっかりサインもいただいちゃいました(資料として保管します)。
写真:小堺さんのサイン
この模様は、11月24日(土)8時30分~9時にテレビ埼玉(地デジ3チャンネル)で放送されます。宿場の町並みだけでなく、市内の伝統手工芸品やスイーツなども紹介されるそうです。お楽しみに。

話題の2つ目。埴輪(はにわ)が帰ってきました。
県立さきたま史跡の博物館の企画展示に出展するため、行田市に旅立っていた人物埴輪が、常設展示に無事に帰ってきました。春日部唯一の人型の埴輪です。ところで、この埴輪がかたどった人物は男性?女性?どちらでしょうか?答えは収蔵資料紹介のページをご覧ください。
写真:人物埴輪

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

平成30年11月18日(日)、郷土資料館で「体験ワークショップ」が開催されました。
蓄音機による音楽鑑賞が行われ、やわらかく温かみのある音に皆さん聞きいっていました。

蓄音機

電気を使わず再生することや、レコード1枚で約5分間しか聞けないということに驚かれ、郷土資料館で、少し昔にタイムスリップを体験してもらいました。

蓄音機演奏

次回は、平成31年1月20日(日)を予定しております。
事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。ご参加をお待ちしています。

萬葉集・東国の世界に想いをはせるひと時となりました

平成30年11月17日(土)歴史文化講演会「萬葉集東国の歌 東歌、高橋虫麻呂、山部赤人など」を開催しました。
写真:講演会の様子
この講演会は、春日部市郷土資料館の歴史文化講演会で、郷土春日部にに親しんでいただくため、専門家をお招きして市や県東部ゆかりの歴史・文化についてお話しいただくものです。
今回は、県立高校の国語科の先生として長く教鞭をふるい、また市内で萬葉集を学ぶサークルを主宰されている堀越令子先生をお招きして、埼玉ゆかりの文学、特に萬葉集の武蔵国や下総国ゆかりの東国の歌について、解説していただきました。

写真:堀越先生
堀越先生には、一首一首、歌人の想いや当時の風景を丁寧にお話していただき、東国の万葉の世界の情景に思いをはせるひと時となりました。
個人的には、「小埼の沼の鴨」(行田市周辺)の話が、水鳥が飛来する現代の県東部地区の環境にも通じているようで、大変興味深く拝聴しました。

受講者の方々からは、「萬葉集を独学したいが、おすすめの本を教えてほしい」「今回限りでは残念。また次回も開催してほしい」「埼玉の文学についてもっと知りたい」などのご感想をいただき、有意義な講演会となりました。

次回の歴史文化講演会は、年度内3月末に幕末明治維新の歴史をテーマとして先生をお招きして開催する予定です。追ってお知らせしますので、後報をお待ちください。

庄内領の用水・排水概略図『新編図録春日部の歴史』ーその67

江戸時代、現在の幸手市東部から庄和地域北部を中心とする上庄内領(かみしょうないりょう)と呼ばれる地域は、中島村(現幸手市)で江戸川の水を取水する中島用水を基幹用水とし、そこから分流する中用水(なかようすい)、郷台用水(ごうだいようすい)、根用水(ねようすい)という三用水によって水が供給されていました。取水施設などの水利施設は、庄内領北部の村で組織される上庄内領16か村組合が管理しました。
水田に引かれた水は、領内の諸水路を通り、水角村から庄内古川へと排水されました。

庄和地域の南部にあたる下庄内領(しもしょうないりょう)と呼ばれる地域には、基幹となるような用水路がありませんが、渇水のときは、沼の水などをかんがい用水として利用していたようです。

「用水と悪水の利用と管理」『新編図録 春日部の歴史』131ページ
庄内領の用水路悪水路概略図
庄内領の用水路・悪水路概略図

庄内領用水の現況路
庄内領用水(中用水)の現況路(椚地区)

かすかべ弁、追加しました

「ぱあーす」「なっこ」「つのんでろ」「あめんぼおー」「さんげし」…これらは何のことだかわかりますか?
写真:かすかべ弁展示
郷土資料館の常設展示室の一番奥の壁展示に、「かすかべ弁」のコーナーがあります。
来館者の方々に割と好評のようなので、このたびパネルを補充しました。

また、くらしのうつりかわり展でも、昔のおもちゃを「かすかべ弁」で紹介しています。
写真:かすかべ弁の紹介

言葉の意味はパネルをめくってみるとわかります。答えを知りたい方は、ぜひ郷土資料館にお越しください。

中学生に学芸員を体験してもらいました

11月7日~9日の3日間、春日部中学校1年生が郷土資料館のお仕事を体験しました。今回は、学芸員っぽい仕事(展示解説)の補助をメインとし、一般の団体見学のお客様には縄文土器や石器の説明、小学校の社会科見学では、昔の小学生の日記を解説してもらいました。
写真:縄文土器の模様付け
縄目の模様づけの実演(練習風景)

写真:黒曜石の解説
黒曜石の解説(練習風景)

特に、時間をかけたのは、富多・宝珠花小学校の社会科見学のために準備した、昔の小学生の日記の紹介です。
見学の前におよそ1日かけて、郷土資料館所蔵の大正14年(1925)の宝珠花尋常小学校2年生のノートから、日記の記事を解読して、解説をつけてもらいました(実は人前でしゃべることよりも、この作業が学芸員!)。
写真:日記の解読風景
カタカナや旧仮名遣いに苦戦しながら、文字や意味を読み取ってもらいました。ちなみに、本文はこんな感じです。読んだなかでは、割ときれいなほうです。中学生は、昔の小学2年生の悪筆に苦戦していました…
写真:日記の文面
さて、今や大凧揚げが有名な西宝珠花ですが、大正14年(1925)の小学生たちは日常の遊びとして凧揚げをしていたことが日記から読み取れます。さらに、「オレノタコヲアゲベ」といった当時の言葉遣いや、「センゲンサマノウラ」(浅間様=宝珠花神社)で凧揚げをしたこと、凧の糸を「カマトク」(釜徳)で買ったことなど、戦後の江戸川改修によって移転する以前の西宝珠花の町並みが子どもの目線で記されており、大変貴重な日記といえます。内容については大変興味深いので、またの機会に紹介したいと思います。

そして、本番当日。小学生と引率の先生方の前で解読した日記を読み上げて、90年前の地元の小学生のくらしについて紹介しました。
写真:小学生に説明
富多小・宝珠花小のみなさん、中学生の解説を真剣に聞いてくれました。日記の面白さが伝わりましたでしょうか。
中学生の皆さんは、いろいろ盛りだくさんで大変でしたでしょうが、郷土資料館の業務の体験を通じ、郷土春日部を再認識してもらえれば、うれしいです。
中学生の皆さんが解読した成果は、すべて紹介できたわけではありませんので、これから解読の成果を活用していきたいと思います。
春日部中学校のみなさん、3日間お疲れさまでした。

富多小学校と宝珠花小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年11月19日に富多小学校と宝珠花小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
春日部の移り変わりの展示品や、少し前のおもちゃや学用品・家庭で使われていた道具・農具を見ながら、生活の変化を理解していました。

見学の様子

社会体験事業で郷土資料館のお仕事をお手伝いしてくれていた中学生が、小学生の質問などに答えたり、千歯こきによる脱穀体験では補助をしてくれました。

見学の様子

駕籠の乗り心地はどうかな?
児童も先生も一緒に体験をしてくれました。


見学の様子

11月11日(日)東中野の獅子舞が公開されます

11月11日(日)は、春日部市指定文化財である東中野の獅子舞が公開されます。年に一度の神社での公開です。ぜひ、皆さまお誘いあわせの上、お出かけください。

東中野の獅子舞
日時:平成30年11月11日 (日曜日) 午前9時~午後4時
雨天の場合は18日(日曜日)に順延

午前9時~正午は地区内を辻切り、午後2時から神社境内で奉納舞

場所:東中野香取神社(春日部市東中野366)

南桜井駅から徒歩30分

幸松小学校放課後子ども教室で「神楽・お囃子教室」の開催

 幸松小学校放課後子ども教室「幸松っ子くらぶ」では、市指定無形民俗文化財を伝承する東不動院野神楽保存会による『神楽・お囃子教室』が本年で4年目を迎えました。
 年を重ねるごとに子供たちの中でもすっかりと定着し、本日11月5日の練習では1年生から4年生の6人が参加しました。

△榎原さん、清水さんの指導のもと、タイヤでウォーミングアップ。
幸松小学校放課後子ども教室
△3・4年生はすっかり熟練の「ニンバ」のお囃子を奏でることができます。また保存会の練習にも参加され、立派な後継者です!

△7月からは実行委員さんと鈴木会長さんの発案により、練習の記録が作成されました。回数と達成度が会長さんから記入されるため、練習後のサインも楽しみ。

次回は、保存会が揃えていただいた子供用の”神楽面”を被ることも企画されています。
実行委員会による子供の居場所作りと共に地域の皆さんの協働・連携により、伝統芸能の大切な後継者養成にも連動しており、引き続きの活動に期待しています!!

市内最古の住居跡ー坊荒句遺跡『新編図録春日部の歴史』ーその66

内牧地区の坊荒句遺跡(ぼうあらくいせき)では、平成4年(1992)と平成8年(1996)に、内牧公園をつくるにあたり、事前に発掘調査を行いました。調査した場所は、現在の公園の一番南側にある「林間アスレチック広場」にあたります。発掘調査では、約1万年前の縄文時代早期(じょうもんじだいそうき)の住居跡が8軒など、春日部市域では初例となる時代の生活の営みが発見されました。

特に縄文時代早期の住居跡は、いずれも台地の縁辺部に築かれ、住居跡の形は角が丸い長方形や楕円形(だえんけい)で、最も大きいものは長軸が約6mですが、大半は長軸約4m、短軸約3m程度と、縄文時代の住居の中では小型なものです。床面からは、焼けた土が広がる炉跡(ろあと)や、柱を立てるための柱穴(ちゅうけつ)などが確認されています。住居跡からは「撚糸文系土器群(よりいともんけいどきぐん)」と呼ばれる土器が発見されています。

坊荒句遺跡の縄文時代早期の住居跡は、春日部市内では最古の住居跡であることはもちろん、県内でも発見例が非常に少ないものです。これらの住居跡は、壊されることなく埋め戻され、現地で保存されています。

春日部市教育委員会「第二節 坊荒遺跡」『春日部市史第一巻 考古資料編』 1988
春日部市遺跡調査会『坊荒句北1.2次 坊荒句 立山遺跡』春日部市遺跡調査会報告書第4集 1995
春日部市遺跡調査会『坊荒句遺跡2次地点』春日部市遺跡調査会報告書第13集 2004
「縄文時代の生活」『新編図録 春日部の歴史』16ページ

坊荒句遺跡で発見された住居跡
坊荒句遺跡で発見された市内で最も古い時代の住居跡

桜川小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年10月26日に桜川小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

見学の様子
常設展示室と、企画展示室の「くらしのうつりかわり」展の説明を受けた後は・・
自由に展示室内を見学!

見学の様子
「あら?私達の方が、60年前の同年代の平均よ背が高い」と、言ってるのでしょうか?

小学校見学
兜をかぶり、先生に記念撮影を取ってもらったりして、色々な体験をしていました。

小学校見学の様子
なんと、千歯こき体験のあとは、お掃除もしてくれました。どうもありがとう♪

【常設展展示替】地区の信仰を伝える

春日部市郷土資料館の常設展で「町のなかの信仰」と題した展示替えをしました。今回は、粕壁地区に所在した陣屋稲荷ゆかりの資料を出品しています。
写真:狐像の写真
市内各地の神社には、地域の信仰にゆかりのある資料が伝来しているほか、特色のある民俗芸能や祭礼行事も伝承されています。しかし、近年の少子高齢化に伴い、町内会や地域での神社経営や祭礼行事の存続が危ぶまれているものもあります。
陣屋稲荷は、今年の8月、町内会の解散にともない遷座の儀式を行い、解体された稲荷社です。郷土資料館では、博物館実習生に協力してもらいながら、陣屋稲荷を調査し、ゆかりの資料の寄贈を受けました。資料の受け入れや整理については、前に実習生が本ブログで紹介してくれています(調査について整理について)。

さて、地元の方によれば、初午の祭礼の日には、子どもたちは太鼓を打ち鳴らし、「アンドンヤブリ」(「チョウチンヤブリ」とも)という遊びをするなど、大変にぎわったそうです。

昭和7年(1932)の粕壁尋常高等小学校編『郷土の研究』によれば、三月十日の初午について次のように記述されています(以下原文・句読点は補った)。

三月十日 初午(陸軍記念日)
赤飯、すみつかれ、甘酒、豆腐、油あげを稲荷様へ供へる。組合の人は酒宴をひらく。年に依り火祭りをなす。掛行灯へ俳句を書いて出す。子供は部内の稲荷様へこもり太鼓をたゝく。こもつて太鼓をたゝいてゐる子供、又遊びに来た子供には稲荷様上つて居るものを御馳走する。他の部内に行つて、そこに供へてあるもの(油あげ菓子豆腐)を取り、又掛行灯を破つて来る。沢山破つた方が勝。破られた方が負。

この記録からは、町全体が初午でにぎわっていた様子がうかがえます。陣屋稲荷の資料は、陣屋地区のみならず粕壁の町内の往時のにぎわいを伝える資料といえます。

地元の方と共に歩んできたお社は、さまざまな事情により、残念ながらなくなってしまいました。しかし、地域の信仰の記憶は、郷土資料館に引き継がれました。後世に伝えられるように、しっかりと保存していきたいと思います。
皆さまには、展示をご覧いただき、地域の記憶・歴史の行く末について、思いを巡らせていただければ幸いです。

写真:展示風景