ブログ

「古文書解読勉強会」の成果(その2)

市民のみなさんが中心となってすすめている「古文書解読勉強会」。
現在は月1、古文書講座(中級)の後の時間に古文書を読んでいます。
先月、その成果をお披露目したところですが、今回はその第二弾。
その前に、みなさんのご了解を得て撮った勉強会の風景です。
古文書勉強会の風景
講座とはちがい、机を円卓にしてみなさん顔を向き合わせてすすめています。

今回、お披露目するのは前回に引き続き、当館所蔵の神間村文書です。
どちらも少し長いですが、解読できました。

【史料番号2】
神間村文書史料番号2

   質物ニ相渡シ申田地証文之事

一中田壱反六セ六歩          小沼耕地
  此分米壱石六斗弐升
一下畑拾五歩             同断
  此分米三升
一中畑壱反五セ六歩          八町耕地
  此分米壱石弐斗壱升六合
下畑五畝弐拾五歩之内
一下畑四セ弐拾七歩          同断
  此分米弐斗八升九合
 田畑合三反六畝弐拾四歩   御水帳面東道円名前
   分米合三石壱斗五升五合
右は能勢大学様御知行所
右是ハ当巳御歳貢其外払方ニ指詰り申ニ付、貴殿江
御無心申、右之田地三反六畝弐拾四歩質物ニ相渡シ、金子合拾
弐両借り、慥ニ受取申所実正也、但し年季之儀ハ当巳十一月より
来申ノ十一月まで中三歳季ニ相定申候、此田地ニ付何方より
も構無御座候、若シ何方より如何様之六ケ敷儀出来致候共、
われ等加判之もの何方までも罷出、急度埒明貴殿質
地ニ可致候、少も御苦労かけ申間敷候
一御公儀様御年貢諸役之儀ハ貴殿方ニ而御勤可被成候、
 尤歳季月ノ申十一月ニ本金拾弐両急度返金可致候間、
 右田地不残御返し可被下候、若請返し申儀不罷成ハヽ流し
 可申候間、此証文ヲ以右田地貴殿所持可被成候、自然御
 縄入候ハヽ貴殿名前ニ御請可被成候、又ハ御勝手ニ而何方へ
 何程の質物ニ御渡し被成候共、われ等義ハ不及申、右加判之
 もの致印形為質物入替可申候、少も違儀申間敷候、
 勿論此証文貴殿御所持被成候内ㇵ何歳過候而も少も
 違儀無御座候、乍去組中致加判証文入置申候、依而
 如件

     天明五歳巳十一月 庄内領宝珠花村
                地主  孫右衛門㊞
              同領神間村
                五人組 藤右衛門㊞
                 同  源蔵㊞
                 同  仲右衛門㊞
                 同  兵左衛門㊞
                 同  岩松㊞
                 与頭 多兵衛㊞
                 名主 源右衛門

      同領神間村
         名主  源右衛門殿

(ひとことメモ)
 神間村の小字には、町田、木塚、神間沼、小沼、和田沼、八町、原田、があります(『武蔵国郡村誌』)


【史料番号12】
神間村文書史料番号12の1
神間村文書12の2

  取替証文之事
一下総国葛飾郡関宿江戸町六左衛門并ニ代名主同国
 庄内領東神間村冶右衛門訴候ハ、右東神間村八町耕地 
 中道ニ六左衛門田地之悪水吐有之、土橋懸置候処、相給
 名主共理不尽ニ六左衛門田地之土を取、道普請致シ、剰
 右悪水口築留候故、田地水湛、及亡所候間、土橋并
 土取跡共如元仕立為相返度旨申上之候
一相手方名主并惣百姓答候ハ当村之儀土取場無之、
 前々より普請場最寄之田地より土取来、此度も村方
 一同致シ道普請仕、外百姓共ハ土取跡引ならし作毛
 仕附候処、六左衛門田地ニ限掘荒候と申上候儀一向無謂候、
 其上前々六左衛門と庄右衛門田境ニ用水口有之候処、六左衛門
 無故築留古来土橋無之場所ニ悪水吐有之由
 申掠候、此所悪水口有之候而は道下之田地江悪水
 落込迷惑之旨申上之候
右出入立会絵図面を以御吟味之処、六左衛門田地土取跡
作毛仕附候場所多ク、殊ニ六左衛門田地ニ限掘荒候無
証拠、土橋之儀も古来より有来、証跡無之出訴之趣
難相立旨被 仰渡、御尤ニ奉存候、然上ハ何分ニも悪水
不湛候得ハ申分無之旨訴訟方申上之候、相手方は
六左衛門庄右衛門田境之用水口、前々之通六左衛門取払候ハヽ
武右衛門田地之悪水口迄銘々水口附、用水悪水共
無滞可通旨双方口書差上候、依之被 仰渡候ハ六左衛門と
庄右衛門田境之用水口六左衛門浚之、夫より武右衛門田地迄之
田境各水口明用水悪水共無障可相通旨被
仰渡双方奉畏候、此旨相背重而及出入候ハヽ
御科ニ可被 仰付候、為後証連判取替証文差上申所
仍如件
           久能伊兵衛知行
              下総国東神間村
  享保十七年子十月廿一日    家守 冶右衛門㊞
           訴訟方
             久世隠岐守知行
              同国関宿江戸町
                                                             地主 六左衛門㊞
             能勢吉三郎知行
              同国東神間村
                 名主 政右衛門㊞                 
           相手方   組頭 兵左衛門㊞      
                 百姓 武右衛門㊞
             武嶋数馬知行
              同村 名主 市右衛門㊞

    御評定所

(ひとことメモ)
訴訟方の家守治右衛門は、本文の冒頭で「代名主」と名乗っています。これは家守を意味しているので、もしかすると「だい(かわり)なぬし」ではなく「だい(かわり)みょうしゅ」と読んだのかもしれません。市域周辺には、家守小作と呼ばれる地主小作慣行がありました。家守小作については、『春日部市史 庄和地域 原始・古代・中世・近世』309頁に解説があります。