校長室より

2013年9月の記事一覧

子どもを見守るということ

「父さんが いつも言う 今日の学校どうだった 

毎日聞かれるこの一言

 めんどくさいけど ありがたい」

 

この詩は、文部科学省が主催している「親子で話そう!家族のきずな・我が家のルール」三行詩の中で、昨年度の優秀作品の一つです。

書いた人は、広島県に住む中学2年生の女子です。

子どもは身も心も段々と成長していきます。

それに伴い、親子のコミュニケーションの取り方、間合いが難しくなってきます。

学校で担任している先生も同じです。

子どもと大人(親・先生)の上手なコミュニケーションの例えとして、川とそこに置かれている水車の関係が使われることがあります。

川の水は子どもです。時や場所によって水の量や勢いが違います。

水車は大人です。水車の目的は効率的に回転することです。

もし、水の中にどっぷりと水車がまるごと浸かっていたら上手に回転するでしょうか。

また、川の表面にほんの僅かしか接してなかったら回転するでしょうか。

微妙な距離感・接点がポイントになります。

高学年になり大人っぽくなった時、大人があまり干渉しすぎると

「わかったよ。うるさいな。」「もう、いいから。」と子どもは逃げるようになります。

大事なことは、大人が「あなたのことはいつでも、どんな時でも見守っているよ。」のメッセージを出し続けることです

直接的なことを指摘しなくてもいいのです。子どもに安心感を与え続ければ、自力で解決できることもあります。

三行詩のように、子どもは親の心は分かっているものです。

成長途上の子どもには、彼らなりの照れもあるのです。

「親の言っていることは面倒くさいが、心の中では有り難い」と思っているのです。

自己を忘れること

2学期の始業式で子ども達に次のようなお話をしました。

「今年の夏は凄い猛暑でした。我孫子市でも8月11日に39.2度の最高気温を観測しました。今はこんなに暑い日々を送っていますが、1ヶ月後には涼しくなります。日本には四季があります。

この四季があることは、実は素晴らしいことであり日本独特のものなのです。

では、皆さんは春夏秋冬が毎年巡ってくる中でどの季節が好きですか。」

子ども達は、自由に自分の好きな季節に手を挙げました。

鎌倉時代の道元和尚は、「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷しかりけり」と短歌に詠んでいます。四季それぞれを楽しみなさい。あまり好きとか嫌いとかは思わない方が人生は楽しいですよ。自分の固定観念を取り除いて物を見ることが大切だと説いています。

学校で子ども達の様子を見てみると、こだわりが強い子が多いです。食べ物やゲーム、そして友達までも好きか嫌いと直ぐに決めてしまいがちです。一つの価値観だけを強く持ち続けていたら新しいものはなかなか入りません。良い意味で頭を空っぽにして2学期から新しい自分づくりをすることも大切です。

「仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。

・・・・・・・・・」自分自身を究明することが、自己をならうことであり、書物から学んだことも捨て去ることが大事だとも説いています。

飛ぶ鳥は、飛んだという痕跡を空に残さないところから「鳥道」(ちょうどう)と呼ぶそうです。

教室の中で子ども達は、「自分が○○したんだ。最初にやったのは、私なんだ!」と言う言葉を聞くこともよくあります。自己主張が強い子どももいます。自己を忘れて相手のためにやると、最後は巡り巡って自分の徳になることを少しずつ学ばせてあげたいと感じます。