ほごログ(文化財課ブログ)

2018年2月の記事一覧

上沖小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年2月9日に上沖小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

見学の様子

春日部の古い写真を興味深そうに見たり、家庭で使われていた道具・農具を見学しながら、生活の変化を理解していました。

見学の様子

質問も色々として、興味をもってくれたようです。

見学の様子

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

古隅田川『新編図録春日部の歴史』からのご紹介37

岩槻方面から春日部市の中心部へ東西に流れる古隅田川は、江戸時代以前、北側の武蔵国(むさしのくに)と南側の下総国(しもうさのくに)を分ける国境の河川でした。
かつては利根川の本流として、小渕(こぶち)付近から南西へ流れ、浜川戸(はまかわど)や内牧(うちまき)の台地の縁辺を蛇行し、荒川(現在の元荒川)と長宮(ながみや・さいたま市岩槻区)で合流していました。
現在は直線的な流路で、岩槻方面から小渕方面へ、逆の流れになっています。

古隅田川流域には、謡曲(ようきょく)「隅田川」(
ほごログ2017年4月10日「謡曲「隅田川」の舞台と梅若塚」)にちなむ梅若(うめわか)伝説や在原業平(ありわらのなりひら)の東下り(あずまくだり)の伝承があります。
また浜川戸地区には、利根川を流れた砂によって形成された浜川戸河畔砂丘(埼玉県指定天然記念物)や、新方袋(にいかたぶくろ)から南中曽根(みなみなかそね)にかけては、堤防跡である古隅田公園があります。これらは、古隅田川が利根川本流として大河川であった時代の名残を今に伝えています。

「古隅田川ミステリー」2017『kasukabe+(かすかべプラス)』第9号10ページ(PDFファイル1.4MB)
「古利根川と古隅田川」『新編 図録 春日部の歴史』128ページ
古隅田川
古隅田川(梅田地区の古利根川との合流点付近)

業平橋
古隅田川にかかる業平橋(県道2号線豊春小付近)

陣屋遺跡『新編図録春日部の歴史』からのご紹介36

庄和地域の北部、西宝珠花(ほうしゅばな)地区や塚崎(つかさき)地区では、貝の内(かいのうち)遺跡や塚崎遺跡といった、奈良時代から平安時代の竪穴住居が多く作られたムラの跡が発見されています。
今回ご紹介する陣屋(じんや)遺跡も、そういった地域にある遺跡の一つです。

陣屋遺跡は、西宝珠花の南西部、低地に向かって西に突き出した幅250mほどの台地上に立地します。遺跡の標高は約10mをはかります。昭和39年の第1次発掘調査以来、今日まで合計9回の発掘調査が行われ、古墳時代から奈良・平安時代の竪穴式住居跡29軒が発掘されています。

陣屋遺跡で注目されるのは、平安時代の住居跡から『帯金具(おびかなぐ)』や『円面硯(えんめんけん)』といった、主に当時の役人が使う道具が出土していることです。
帯金具は現在のベルトにあたる帯につけられた金具です。円面硯は、筆に墨をつけるくぼみが円形となっている古代のすずりの一つで、中央が平らで高い墨をする部分、周囲は溝状(みぞじょう)で墨をためる「海」と呼ばれる部分になっています。

また、陣屋遺跡では文字が墨で書かれたり刻まれた,、墨書土器(ぼくしょどき)や刻書土器(こくしょどき)が出土しています。円面硯ですった墨を使って土器に文字を書いたのかもしれません。

「古代の葛飾郡・埼玉郡」『新編 図録 春日部の歴史』32ページ

帯金具
帯金具(巡方(じゅんぽう)という金具の裏金具)

円面硯
円面硯(筆に墨をつける円形の部分の一部)

墨書土器
刻書土器・墨書土器(左から刻書「月」、墨書「太」、墨書「月」)