ほごログ(文化財課ブログ)

タグ:高砂屋

【 #7月31日 】 #今日は何の日? in春日部

今から142年前の明治14年(1881)7月31日は、再び、明治天皇が粕壁で昼食をとられた日です。 #かすかべプラスワン

「再び」というのは、以前にも紹介した通り、明治天皇は、明治9年6月3日に東北巡幸のため粕壁の竹内家でご昼食ととられているから。

明治天皇は、明治14年にも山形・秋田・北海道巡幸のため、陸羽街道をたどり、明治14年7月31日に再び粕壁の高砂屋(竹内家)でご昼食をとられました。

現在開催中の「明治天皇と春日部」展では、明治14年に明治天皇がご昼食をとられた高砂屋(竹内家)の屋敷図面を展示しています。前にも紹介したように、粕壁においては、高砂屋(竹内家)の痕跡や記憶はほとんど伝わっておらず、高砂屋に関する資料も断片的でわからないことが多かったのですが、展示の準備調査で見出した竹内家の屋敷図面は、屋敷の部屋割りや構造はもちろん、明治天皇がご入室される行程や宮内省関係者の配置が克明にわかる資料です。常設展示に展示してもいい粕壁の歴史を物語る重要な資料です。レプリカを作りたいぐらいですし、屋敷の部屋割りなどを立体的に復元することができるかもしれません。

画像:高砂屋の図面

資料の写真は、高精細ではありませんが、宮内庁のホームページでも公開されています。こちらからご覧いただけます。8月21日(日)の展示解説講座「明治天皇と粕壁宿」では、高砂屋の図面を詳しく検討したいと思っています。今回の展示の目玉資料でもあり、今後の活用も期待される春日部にとって重要な資料といえますので、この機会に展示を見にいらしてください。

さて、明治9年には、岩倉具視、木戸孝允、土方久元が供奉しましたが、明治14年にはどんな方が来たのか。著名な方では、有栖川宮熾仁親王、北白川宮能久親王、大隈重信、大木喬任らが供奉しています。明治14年の巡幸では、宿割の記録が残されており、大隈重信をはじめ、供奉した方々が滞在・昼食をとられた商家(場所)もわかります。こちらについても展示で紹介しています。必見です。

1 展示会名 明治天皇と春日部~巡幸・御猟場・梅田ごぼう~

2 主  催 宮内庁・春日部市・春日部市教育委員会

3 会  期 令和4年7月20日(水)~9月4日(日)(休館日:月曜日、祝日)

4 開館時間 午前9時~午後4時45分

5 入  館 料 無料

6 会  場 春日部市郷土資料館(住所:〒344-0062 春日部市粕壁東 3-2-15(春日部市教育センター内))

 

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【ハミ出し夏季展示】粕壁宿模型に明治天皇の御昼食所

7月20日(水)からはじまる「明治天皇と春日部」に先立ち、常設展示の粕壁宿推定復元模型に明治天皇の御昼食所、供奉者の昼食所を表示しました。 #かすかべプラスワン

前の展示「宝珠花の歴史と大凧あげ」展の撤収も終わり、展示室はガランとしています。

写真:企画展示室

資料の搬入も終わり、いよいよ展示の設営が始まります。

これに先立ち、常設展示の粕壁宿町並み推定復元模型(ジオラマ)に少し細工をしました。明治14年7月31日、明治天皇は、巡幸の途次に、粕壁の字三枚橋の高砂屋を御昼食所とされ、休まれたことが知られています。ですから、ジオラマの該当地点に次のような立て札を置きました。

写真:ジオラマの明治天皇の表示

今回、当時供奉した有栖川宮熾仁親王や北白川宮能久親王、大隈重信や大木喬任などの昼食所の位置が、記録により判明しましたので、同様にジオラマに表示しています。いろいろ調べていく中で建物の配置や構造が判明し、模型の考証に修正を加える必要性があることもわかってきています。

展示は7月20日(水)からですが、先取りしたい方は、ぜひご覧になってください。

【 #6月10日 】 #今日は何の日? in春日部

今から144年前の今日。明治11年(1878)6月10日は、イギリス人女性イザベラ・バードが粕壁に宿泊した日です。

イザベラ・バードは、イギリスの女性旅行家・冒険家・探検家などと称され、明治初めの日本各地を遊歴した人物として知られています。バードは旅行の状況を文章として残しており、当時の日本各地の様子が克明にわかる『日本奥地紀行』は、東洋文庫や平凡社ライブラリーなどにも収録され、著名な紀行文の一つとして知られています。『日本奥地紀行』は「ふしぎの国のバード」という漫画にもなっているほどです。

さて、バードは、明治11年(1878)6月から9月にかけ、通訳の伊藤鶴吉を供に、東京から日光、新潟、日本海側から北海道へと旅をしています。東京を人力車で経った初日の同年6月10日、バードは粕壁の旅館に宿泊しました。バードが宿泊したのは、粕壁の高砂屋旅館。この旅館、前回の今日は何の日?in春日部をご覧いただいた方はご存じでしょう。明治9年6月3日、明治14年7月31日に明治天皇の御昼食所となった旅館です。

バードの『日本奥地紀行』によれば、高砂屋は「一階にも二階にも部屋があり、客がいっぱいで、実にさまざまないやな臭いが立ちこめていた」といいます。バードは二階の部屋に泊まることになりましたが、夜はカビ臭い蚊帳、蚤と蚊、そして襖がしょっちゅう開けられ、わずかな隙間から他の客が覗くなど、プライバシーと蚤・蚊に悩まされたと綴っています。

「粕壁の旅館は劣悪だった?」とか「バードの前後に明治天皇が御昼食をとられている!?」とか、様々な疑問が生じます。ただ、バードは日本に入国してから、横浜・東京で宿泊をしており、都市を離れて初めての一泊が粕壁の高砂屋でした。おそらく、西洋の婦人が異国の庶民の旅館に寝泊りすれば、どんな人でも上のような感想をつづるのではないでしょうか。西洋の女性がつづった明治初頭の日本の庶民の暮らしという視点で史料を読む必要があるでしょう。

高砂屋があった場所は、現在、春日部大通りに設置される歩いてみよう道しるべの標柱では脇本陣として紹介されている地点になります。

写真:現在の高砂屋旅館付近

明治天皇、そしてイザベラ・バードが通った日光道中(陸羽街道)、そして高砂屋旅館。『日本奥地紀行』は図書館等で比較的手に入れやすい図書です。バードの文章を読んで、町並みを散策してみてはいかがでしょうか。

 

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