ほごログ(文化財課ブログ)

ほごログ

市民の皆さんと館蔵の古文書を読んでいます

令和2年2月2日(日)古文書勉強会を開催しました。前回に引き続き、嘉永2年(1849)の御鹿狩の勢子人足として動員された神間村の記録「小金原御鹿狩ニ付手控帳」を、21名の市民の方たちと講読しました。

今回は、神間村から動員された勢子人足が帰村した後、村内の「愛宕山」にお神酒を奉納し、「念相院」という寺院で「お時」(御斎)をしたという記事などを講読しました。

「小金原御鹿狩ニ付手控帳」は、いよいよ次回に読み終わりそうです。古文書勉強会のこれまでの成果はこちらからさかのぼって御覧になれます。

なお、次回は3月1日(日)14時~となります。

【常設展】竪穴式住居の魚たち

郷土資料館の竪穴式住居の模型の中には、サケ、クロダイ、スズキ、ウナギを燻製にした様子の模型を展示しています。


竪穴式住居の模型は、花積貝塚の発掘調査で発見された縄文時代中期の住居跡をモデルにしています。
クロダイとスズキ、ウナギは、実際に花積貝塚から骨が出土しており、縄文の人も食べていたと考えられます。
残念ながら花積貝塚では、サケの骨は出土していません。これは、サケの骨が、非常に小さく砕けてしまうことが理由のようです。しかしながら東北地方や信州・北陸地方、また東京都の遺跡では、サケの歯や骨が大量に見つかっていますので、花積貝塚でも食べていた可能性は十分にあります。


ところで、サケは回遊魚で、産卵期に川を上ってきます。ウナギも海で生まれ回遊した後、川をさかのぼります。クロダイやスズキ(*)は、河口など、塩分が弱い水域でも生活できますが、基本的には海に生息します。
つまり、花積貝塚に暮らした縄文の人は、川でとれる魚、海でとれる魚の両方を食べていました。模型の竪穴式住居が営まれた縄文時代中期は、比較的寒く、縄文時代前期に奥東京湾を形成した海は現在の春日部市域よりも南に下がっていたと考えられます。花積貝塚で暮らした縄文の人たちは、食料を手に入れるために、様々な漁場へ出かけていたのでしょう。

*スズキは河川の淡水域まで遡上する個体もいます。(2020年2月7日追記)

竪穴式住居模型の魚(上からスズキ、クロダイ、ウナギ)

江戸川小中学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

令和2年1月28日(火)に江戸川小中学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

暮らしのうつりかわりについての説明を聞いた後、自由時間には郷土資料館を自由に見学しました。

昔の電話や遊び道具を実際に触れて、記憶に残る見学になってくれたでしょうか

郷土資料館では、3月22日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

郷土資料館体験ワークショップを開催しました♪

令和2年1月26日(日)、郷土資料館展示室で「体験ワークショップ」が開催されました。

ワークショップの様子

春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、
昔のおもちゃ「パタパタ(板がえし)」を作りました。


ワークショップの様子

一番上の板をひっくり返すと、下の板も順番に”パタ♪パタ♪パタ♪”と
音をたてながら ひっくり返るのを、何度も楽しんでいました。


ワークショップの様子

ワークショップは、小学生までを対象とした、昔の遊びを気軽に体験できる
イベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。

※次回ワークショップは、令和2年2月15日(土)に「からくり屏風」を作ります。
ご参加をお待ちしています♪

小渕小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

令和2年1月24日(金)に小渕小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

見学の様子

資料館に展示してある、少し前に家庭や学校などで使われていたものを見ながら
それぞれの道具の説明を聞きました。
説明を受けた後は千歯こき体験や、実際に昔のものに触れて体験です。


見学の様子

初めて触れる ”そろばん”    使い方はわかるかな?

見学の様子

かすかべ弁?「さっぱりわからない!!」と言いながら一生懸命考えていました。

郷土資料館では、3月22日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

小金原御鹿狩の古文書を読んでいます。ついでに参考史料も紹介

令和2年1月19日(日)古文書勉強会を開催しました。前回に引き続き、嘉永2年(1849)の御鹿狩の勢子人足として動員された神間村の記録「小金原御鹿狩ニ付手控帳」を、17名の市民の方たちと講読しました。
写真:勉強会の風景
今回読んだ部分は、いよいよ御鹿狩の当日の場面でした。神間村の人足たちは「さんきらへばら」(山帰来・サルトリイバラ)の生い茂る山に入り、御狩場の左手の「なら山」に待機しましたが、場所が悪く「御天之方」(将軍家慶)の姿は全く見えなかったと記しています。狩りの始まりを告げる鉄砲の合図で勢子たちが持ち場を引き取った後、神間村の人足は「御天之方」へ赴き、狩りや将軍家慶の姿を拝見したようです。遠目ではありますが、将軍の姿を直接見る特別な機会になったようです。

ところで、当日も参加者の方からも紹介がありましたが、小金原御鹿狩の関連史料は数多くあり、そのうちの一部は史料所蔵機関のホームページで閲覧することができます。以下、わずかですが参考となる史料を紹介しておきます。
「小金原御鹿狩絵図」(船橋西図書館所蔵)*当日紹介されたものです。寛政7年(1795)の御鹿狩を描いたもの。
「〔小金原御鹿狩図〕」(船橋西図書館所蔵)*当日紹介したものです。嘉永2年(1849)の御鹿狩に伴い「御締」となった地域を示した絵図です。このほか船橋西図書館のサイトでは様々な御鹿狩の絵図や史料をご覧いただけます。
「小金野御鹿狩御用留」(東京国立博物館所蔵)*御鹿狩の準備のため代官斎藤嘉兵衛の手代中村条助が「御鹿狩御用出役」を勤めたときの御用留。御鹿狩のため獲物を生け捕りするなど、下館や真壁周辺の村々で準備が進められる様子がうかがえます。
「小金野御鹿狩記」(国立公文書館所蔵) *藤原政脩なる人物による嘉永2年の御鹿狩の記録(のち内務省により書写されたもの)。鹿狩の過程を描いた記録。供奉した大名・旗本の名や人数などが詳しく記録されるほか、彩色の挿絵もあります。

このほかにも、享保年間、寛政年間の御鹿狩の記録・絵図も含めると、インターネット上で公開されているものだけでも、枚挙にいとまがありません。
神間村の「小金原御鹿狩ニ付手控帳」は、解釈しづらい箇所もありますが、こうした関連史料を調べることで、史料の解釈が深まるかもしれませんね。個人的には②や④が役立つのかなと思います。

「小金原御鹿狩ニ付手控帳」は、未だ読み終わりませんが、古文書勉強会のこれまでの成果はこちらからさかのぼって御覧になれます。

なお、次回は2月2日(日)14時~、次々回は3月1日(日)14時~となります。

【銚子口の獅子舞】新春の舞が公開されました

 暦上では本日1月20日が「大寒」ですが、年中行事では年明けが”新春”。地域の家内安全・五穀豊穣を祈願する新春の祭礼が穏やかな暖かな陽射しのもと、1月19日(日)銚子口香取神社で市指定無形民俗文化財の銚子口の獅子舞が奉納されました。
 年末の第9回民俗芸能公開事業でも出演いただいた『銚子口獅子舞保存会』の皆さまは、年末年始も練習を重ね、特に二人の女子高校生、そして3年前に約70年ぶりに復活させた演目”宇津女(うづめ)の舞”の熟成に取り組まれました!
小獅子の舞
▲高校2年生の神谷さんによる「小獅子の舞」。獅子役は昨秋のデビューながら堂々とした落ち着いた舞を披露してくれました。
さんぎりの舞
▲”中獅子の舞”から新たに”さんぎりの舞”に取り組まれた高校2年生の日向さん。小気味よくリズミカルな舞を皆さんに披露してくれました。
うづめの舞1うづめの舞2
▲新春の舞にふさわしく桜花を太夫獅子が携える”宇津女の舞”。復活してから3年目の舞は徐々に地域でも浸透してきました。
 市内で唯一、1月に公開される民俗芸能ですが、7月、10月と、年間3回、銚子口の獅子舞では異なる演目が舞われます。
また、4月から本格的に各団体さんも始動してまいります。この令和2年も形なき文化遺産の応援、よろしくお願いします。

【常設展】花積貝塚の縄文人(復顔模型)

昭和43年(1968)、花積貝塚で、今から約4800年前の縄文時代中期の人骨が発見されました。
頭蓋骨から、その人が生きていた時の顔の様子を復元する作業を、復顔(ふくがん)といい、郷土資料館では、この人骨の頭蓋骨をもとに復顔した縄文人の顔の模型を展示しています。

花積貝塚の縄文人を含め、縄文人の顔は、現代人と比べて次のような特徴があります。
・頭の形が正方形に近い。(顔の幅が広い)
・眉間が突出し、ほりが深い。
・目が大きく丸い。
・口元はひきしまった印象がある。


模型では見えませんが、口元のひきしまった印象は、歯のかみ合わせに違いがあることによります。現代の日本人のほとんどが、上の歯が下の歯の前に下がる鋏状咬合(きょうじょうこうごう)であるのに対し、縄文人は、上の歯と下の歯が同じ位置でかみ合わさる鉗子状咬合(かんしじょうこうごう)になっています。


郷土資料館では、西親野井地区の神明貝塚で発見された縄文時代後期の頭蓋骨を、内牧地区の坊荒句遺跡で発見された江戸時代の頭蓋骨と並べて展示しています。これらをくらべてみると頭蓋骨からも、顔に現れる特徴の違いがよくわかります。

花積貝塚の縄文人
花積貝塚の縄文人

宮川小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

令和2年1月17日に宮川小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

見学の様子

展示物を見ながら説明を聞き、いつもの授業とは違う体験をしました


見学の様子
実際に学校で使われていた椅子に座って昔の教科書を読んだり

見学の様子
白黒テレビを見たりと、楽しみながら学ぶことができたようです

郷土資料館では、3月22日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

春日部市内の道しるべ

とある市民の方より、市内の道しるべについて詳しく知りたいとお問い合せをいただきました。
今回は、そんなレファレンスの一コマから、市内の道しるべについて紹介したいと思います。
市内の道しるべについては、『埼葛の道しるべ』(1996年刊)という図書が参考になります。同書は、埼葛地区文化財担当者会という広域行政団体が調査・編集した報告書で、春日部市(旧春日部市・旧庄和町)をはじめ、埼葛地区の道しるべを悉皆調査し、様々な角度から分析しています
当時の調査によれば、市内には72基の道しるべがあるとされています。残念ながら発行部数も少なく、同書の入手は困難を極めています。そこで、同書から市内の道しるべ一覧(みちしるべ.pdf)を示しておきたいと思います。なお、現在は、その後の精緻な調査もあり、市内の道しるべは2基発見され、74基を数え、ここで掲載した道しるべ一覧は、今後も修正・訂正の余地があります。

市内の道しるべとして著名なのは、日光道中に建てられたものです。現在も春日部大通り(旧日光道中)に建てられているものや、郷土資料館で展示しているものもあります。また、小渕の追分にある宝永6年(1709)銘の道しるべは、市内最古であることが知られています。
道しるべの行き先をみると、日光や江戸といった日光道中ゆかりのものや、当時の城下町である関宿・岩槻や、古刹慈恩寺までの指標となったものが多くありますが、一方で、金野井(かなのい)、宝珠花(ほうしゅばな)など江戸川の湊として賑わった河岸や、備後(びんご)など渡船場を行き先にするもの、四国八十八か所を模して行われた庄内領新四国八十八か所の順路を示すものなど、地域色豊かな道しるべも散見されます。
道しるべというと、行き先を示した割と目立つ石塔を想像しがちですが、実は庚申塔等の石造物を兼ねているものが多いことも特徴です(併用道標)。また、江戸時代には多くあったであろう木製の榜示や道しるべは、朽ち果ててしまったと考えられます。路傍の石造物をじっくりみると、新発見の道しるべもまだあるかもしれません。お気づきのことがあれば、ぜひご教示ください。

中野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

令和2年1月15日(水)に中野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

千歯こき体験

明治時代から現代までの生活の推移を、実物や写真を見て学びました
実際に、千歯こきを使い脱穀体験をしたり

わらじ

素足に ”わらじ” を履いて歩く児童もいました

わらじ

ちなみに感想は「痛い!痛い!」でした

小学校見学の様子

1時間以上、郷土資料館を見学してくれました♪

郷土資料館では、3月22日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください

【常設展】竪穴式住居模型を作っている木材

春日部市郷土資料館の竪穴式住居の模型は、花積貝塚で確認された縄文時代中期の住居跡をモデルにしています。上屋の構造は、発掘調査で発見される炭化した木材や世界各地の民族事例などから想定したものです。想定している部分は、調査や研究の進展いかんでは、新しいイメージも生まれてきます。たとえば神明貝塚では、近年の調査で土を屋根にふいたと思われる住居跡が確認されています。

さて今回は、模型に使われている木材の木の種類についてご紹介します。資料館の竪穴式住居の模型の木材は、すべて本物の植物を加工して使っています。
まず、中央で屋根を支えている4本の柱とそれを横につないでいる梁(はり)の部分は、コナラを使っています。棟(むね)という、住居の穴の外側から斜めに建てられている材木はスギです。その棟をマス目になるように横につないでいる横材はクリで、この棟と横材の上に屋根になるカヤがのせられています。
コナラやスギ、クリの木材は、縄文時代の遺跡からも炭化した状態で発見されることの多い木です。

木材の違いは樹皮の様子で簡単に見分けられます。ご来館いただいた際は、ぜひご確認ください。
竪穴住居模型

春日部市郷土資料館、三十路を迎えました

あけましておめでとうございます。本年もかわりなく「ほごログ」、そして春日部市の文化財行政と郷土資料館のお引き立てのほどよろしくお願いいたします。
ところで、今年2020年は郷土資料館開館30周年の記念すべき年です。皆様にご愛顧いただき、無事に三十路(みそじ)になりました(まだ数えですが・・・)。

正月早々、手前みそですが、今回は開館当時の資料から「生まれたて」の資料館を紹介したいと思います。

平成2年(1990)7月20日、郷土資料館は、教育センターの1階に開館しました。13時、開館式典のテープカットで、資料館は産声をあげました。
写真:テープカット
テープカットの写真からは、現在、民具等を展示して狭く感じるロビーには、何も置かれず、広々としている様子がわかります。次の写真は開館まもなくに撮られた展示室の写真です。
写真:開館当時の常設展示室
あまり変わり映えしていないようにも見えますが、その後、設置されていったケース、資料、解説パネルなどがありません(当然ですが)。
「広報かすかべ」408号(1990年6月号)には、資料館のオープンを紹介した記事が掲載されています。

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\広報かすかべ
展示室(常設展示)のオープンと同時に開催された開館記念特別展は「粕壁と円空」でした。当時の記事をみると、旧春日部市内の14体の円空仏を展示したそうです。現在は、その後の調査も進み、現市内には22体の円空仏が確認されています。
開館当時の見どころが、竪穴住居と宿場の模型だったこともよくわかりますね。今は手を変え品を変え、収蔵資料で見どころをつくれるよう日々奮闘していますヨ!
開館特別記念講演会には県立博物館(当時)の林宏一先生をお招きして、「埼玉の円空仏」についてご講演いただきました。次の写真は講演会の記録写真です。
写真:最初の記念講演会
現在は満席になることも多い記念講演会ですが、まだ教育センターや資料館、円空仏について認知されていないなか、開館日の翌々日に開催されたので、空席が目立ちますが仕方ありませんね。現在は、多くの皆さまに少しは認知していただるようになったのかなぁと思ったり、思わなかったり。

さて、30周年となる2020年も、より多くの方にご利用いただき、郷土の歴史・文化に親しんでいただけるよう、様々な企画・工夫を凝らしていきたいと思います。三十路になった春日部市郷土資料館を、本年もどうぞ変わりなく、お引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます。

ミュージアムトーク「春日部の歴史と2019を振り返る」を開催しました

12月28日(土)、本日は、令和元年の郷土資料館最終開館日でした。
本年も、ご来館いただき誠にありがとうございました。

さて本日は、「かすかべの歴史と2019年を振り返る」をテーマに常設展示のミュージアムトークを開催いたしました。暮れのお忙しい時期にもかかわらず、大勢の方にお越しいただきました。
ミュージアムトークでは、今年のニュースのレジュメをもとに、関連する展示物をご紹介いたしました。
2019年は、改元や台風被害など大きなニュースがありました。これらに関連して現在、市内に伝わった明治の改元の際の恩赦に関する文書や、明治43年の水害被害を記録した文書を常設展示に展示しております。こういった資料は、過去の人々が様々な事象に対してどのように向き合ったのかを如実に伝えてくれているだけではなく、現代を生きる私たちの指標ともなります。
また、7月に世界遺産になった百舌鳥・古市古墳群の大仙古墳(仁徳天皇陵古墳)と市内の塚内古墳群の比較、大仙古墳(仁徳天皇陵古墳)が世界遺産に登録されるにあたっての問題点について、解説いたしました。

2020年の暮れにも、また実施できればと考えております。
どうぞよいお年をお迎えください。


ミュージアムトークの様子
ミュージアムトークの様子

手作り季節展示を展示してます

冬の寒さを感じる毎日ですね
1年経つのは早いもので、もう年末です
郷土資料館では、小さな手作り門松をかざり、新年を迎える準備をしました♪
皆さま、ぜひご来館ください


季節展示

郷土資料館は、12月29日(日)から1月3日(金)まで休館となりますので
ご注意ください

郷土資料館体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」第2回を開催

令和元年12月21日、先週に引き続き、しめ縄作り第2回目を開催しました。私も、参加者の方と一緒にしめ縄を作らせていただきました。
しめ縄づくり1
2人一組になり1人が元をしっかり押さえた状態で、わらの束を3つに分けて、それぞれ右にねじります。

しめ縄づくり2
右にねじった2つのわらの束を、「左まき」でまき合わせるのですが、「左まき」がわからず2回失敗しました。
写真は間違っているまき方です。


しめ縄づくり3
3回目にして、ようやく正しい方向に巻くことができ、完成しました。
皆さん他に輪飾りなども作ってお持ち帰りになられました。
来年もまた暮れの時期に実施しますので、ご興味がある方はぜひご参加ください。

【ミュージアムトーク】春日部市の2019年

12月も残すところあと10日ばかりになり、テレビや新聞では、今年のニュースや出来事が振り返られています。
2019年の春日部市のニュースでは、以下のようなものがありました。

●2019年主な春日部のニュース(「広報かすかべ」他より)
2月8日 株式会社ジェイコム北関東越谷春日部局と市が包括的連携協定を締結。
2月14日 豊野町のプラスチック工場で火災。
2月26日 国交省が首都圏外郭放水路を次年度よりインフラツーリズムのモデル地区とすることを発表。3/23より有料施設見学開始。
3月8日 春日部駅付近連続立体交差事業都市計画決定。
3月23日 第91回選抜高校野球に春日部共栄高校。1/23初日高松商業に敗退。
3月29日 4/7埼玉県議会議員選挙告示、春日部市選挙区は無投票。
3月31日 住基カードによるコンビニ交付サービスの新規登録受付が終了。
3月31日 谷原中、中野中、宝珠花小、富多小、江戸川中廃校。
4月1日  春日部南中、江戸川小中学校開校。
5月3日  大凧あげ祭り、大凧文字「令和」「元年」(5/5も)。
5月7日  匠大塚株式会社と市が包括的連携協定を締結。
5月18日  資料館春季展示「指定文化財でめぐる春日部」(7/7まで)
6月30日  市のAR動画サービス(HP Reveal)サービス終了。
7月23日  資料館夏季展示「元祖成金!鈴木久五郎」(9/8まで)。
9月11日  葛飾中学校で熱中症19人が緊急搬送。屋外の最高気温35.8度。
10月1日  「アンタッチャブル」の山﨑弘也がかすかべ親善大使になる。
10月1日  資料館小学校地域学習展「くらしのうつりかわり」(R2.3/22まで)。
10月6日  イオンモール株式会社と市が包括的連携協定を締結。
10月13日  台風19号(10/13~)による避難勧告。水害に備えて避難所設置。
10月13日  ジェフユナイテッド千葉の春日部市出身、佐藤勇人現役引退。
11月15日  神明貝塚、国史跡に指定の答申。埼玉古墳群も特別史跡と答申。
11月29日  「クレヨンしんちゃんのなるほど春日部マガジン」が日本タウン誌フリーペーパー大賞で全国4位。
12月 3日  旧庄和町が2001年に埋設したタイムカプセル公開。1月に返送。


さて、12月28日(土)は、ミュージアムトークを行います。
春日部のニュースに限らず、2019年の様々なニュースを振り返りながら、関連する展示について、皆様とトークしたいと思います。

ミュージアムトークに向けて、一部展示替えを行い、皆様をお待ちしております。

【ミュージアムトーク】春日部の歴史と2019年をふり返る
日時:令和元年(2019年)12月28日(土)10:30~、15:00~
   各60分程度
場所:郷土資料館常設展示室
*ミュージアムトーク中の入場、退場は自由です。

郷土資料館体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」を開催しました

令和元年12月15日(日)、郷土資料館体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」が開催され、多くの方が参加してくださいました。

しめ縄つくり

最初に、半紙を使い紙垂を作成した後、しめ縄本体の作成をしました。
しめ縄は、2人の共同作業になり、2人が藁の両端を持ち、ねじって作成します。

しめ縄つくり

しめ縄つくり

新年を迎えるのにふさわしい立派な物が完成しました。
参加者からは、「毎年参加しています!」「楽しかった」と感想をいただきました。

神間村文書を読む勉強会

令和元年12月15日(日)古文書勉強会を開催しました。今回も、前回に引き続き、嘉永2年(1849)「小金原御鹿狩ニ付手控帳」を、18名の市民の方たちと講読しました。今回読んだ部分には御鹿狩の勢子人足として動員された神間村の人々が、酒井根村(現柏市)や逆井村(現柏市)で野宿する場面でした。

酒井根村の焚き出しでは、夜飯に「にぎり飯壱人前三勺宛被下、其外茶酒抔迄も送り来」との記事があり、握り飯が3勺(1合の3分の1)では少ないのではないかとの意見があり、「勺」の字をめぐって様々な意見が飛び交いました。同様に「茶」という字も「薬」と読めるのではないか、「寝」の異体字の書き損じではないか、という意見もあり、あるいは「来」も「直」ではないかとの意見もあり、この一文の翻字と解釈をめぐって、皆さんで検討を深めました。
白熱(?)していたこともあり、今回はみなさんの写真を撮り忘れてしまいました・・・
「小金原御鹿狩ニ付手控帳」は、未だ読み終わりませんが、古文書勉強会のこれまでの成果はこちらからさかのぼって御覧になれます。

次回は、1月19日(日)14時~となります。

【常設展示】甕棺(福岡県春日市出土)のキャプションを更新しました

郷土資料館では甕棺(かめかん)と呼ばれる、人の遺体を入れるために作られた土器を展示しています。このたび、何かとご質問が多かったキャプションを更新しました。
この甕棺は、春日部市ではなく、福岡県春日(かすが)市の一の谷遺跡で発見されたものです。平成5年6月より、名前に「春日」が付く、春日居町(山梨県・現笛吹市)、春日井市(愛知県)、春日村(岐阜県・現揖斐川町)、春日町(兵庫県・現丹波市)、春日市(福岡県)と春日部市の6つの市町村で「春日サミット」を開催していました。それがきっかけで平成9年に福岡県春日市からお借りし、展示しているものです。
弥生時代中期後半、今から1900年くらい前のもので、高さは上のものが約60㎝、下のものが約89㎝、最大幅は70㎝です。

甕棺を使ったお墓を甕棺墓(かめかんぼ)といいます。甕棺墓は、弥生時代前期から中期の北九州地方に特有のお墓の形で、甕に人の遺体を入れ、ふたをかぶせたり、もう一つの甕を上にのせたりします。甕棺からは人の遺体や、副葬品の青銅製の武器類や鏡が発見されます。

春日市には、この甕棺が発見された一の谷遺跡のほかにも多くの弥生時代の遺跡があります。
国指定史跡の須玖岡本遺跡(すぐおかもといせき)では、明治32年(1899)に、約30面の中国鏡、銅剣や銅矛(どうほこ)、ガラス製の勾玉など多くの品が副葬された甕棺墓が発見されました。この墓は、弥生時代当時、春日市近辺にあった奴国(なこく)の王の墓と推定されています。有名な「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の金印を残した王族です。

須玖岡本遺跡の近くには、春日市奴国の丘歴史資料館があり、ドーム内で甕棺墓を発掘調査当時の状態で展示しています。
お近くにご旅行の際は、ぜひご見学ください。

甕棺