ほごログ
学校の先生向けのホームページを公開しました
郷土資料館所蔵資料を小学校・中学校の授業等でよりご活用いただくため、過去の資料活用実績を公開し、比較的扱いやすく活用しやすい資料を「学校教材用貸出リスト」として掲載しました。
後者の「学校教材用貸出リスト」の制作にあたっては、平成28・29年度の博物館実習生の協力を得ました。写真や動画に映っている青年はみな当館の実習生です。
学校の先生方にご覧いただき、資料が活用され、子どものたちの学習に役立つことを期待しています。
このほか、「かすかべデジタル写真館」にも古写真を追加しましたので、あわせてご活用いただければ幸いです。
吾妻鏡『新編図録春日部の歴史』からのご紹介18
『新編図録春日部の歴史』では、中世の項で鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡(あづまかがみ)』の記事を多く使用しています。『吾妻鏡』には、中世武士である春日部氏関係の記事をはじめ、下河辺荘(しもこうべのしょう)をおさめた下河辺行平(しもこうべゆきひら)や太田荘(おおたのしょう)の地頭(じとう)、太田行朝(おおたゆきとも)などの記事が確認できます。
この『吾妻鏡』は、国立公文書館のデジタルアーカイブから、原本の写真をみることができます。ぜひご覧ください。
『新編 図録 春日部の歴史』に掲載した記事の巻、各巻内のページ番号
*リンク先は国立公文書館デジタルアーカイブの「件名・細目詳細」です。
(春日部氏関係の記事)
宝治元年6月10日条 吾妻鏡 巻三十八 25ページ
宝治元年6月22日条 吾妻鏡 巻三十八 29~31ページ
(下河辺行平関連の記事)
建久6年11月6日条 吾妻鏡 巻十五 72ページ
建久4年8月9日条 吾妻鏡 巻十三 42ページ
建長5年8月30日条 吾妻鏡 巻四十三 26ページ
寛元3年7月26日条 吾妻鏡 巻三十六 35ページ
(太田行朝関連の記事)
建久5年6月30日条 吾妻鏡 巻十四 20ページ
「下河辺氏・太田氏・春日部氏」『新編 図録 春日部の歴史』44ページ
警報の種類を知らせるチラシ『新編図録春日部の歴史』からのご紹介17
防護団(ぼうごだん)とは、昭和7年(1932)ごろから各地で組織された防空のための組織です。昭和14年(1939)に消防組と防護団からなる警防団が発足するまで活動しました。
チラシには、それぞれの警報の際のサイレンや警鐘(けいしょう)の鳴らし方が細かく示されています。戦時中、市民の日常生活が緊張の連続であったことがわかる貴重な資料です。
「戦時生活」『新編 図録 春日部の歴史』224ページ
郷土資料館体験ワークショップを開催しました
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「からくり屏風」を作りました。屏風にみたてた板を動かしていくと、4つの絵柄が出てくる不思議な屏風に、参加した子供たちは大変喜んでいました。
ワークショップは、小学生までを対象とした、昔の遊びを気軽に体験できるイベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。
次回ワークショップは、平成29年11月12日(日)に「ぴょんぴょんカエル」や「紙てっぽう」を作ります。ご参加をお待ちしています!
県立歴史と民俗の博物館「くらべる古美術」で円空仏が展示されています
「くらべる古美術」は、さまざまな古美術作品について「かたち」・「色」・「モチーフ」の3つを大きなテーマに、くらべる楽しみをご紹介する展示です。円空仏だけでなく、県立歴史と民俗の博物館が収蔵する数多くの古美術作品が、初心者にもわかりやすい解説とともに紹介されています。
暑い日が続きますが、冷房の効いた館内でたくさんの美術品に囲まれながらくつろいでみてはいかがでしょうか。
●会期:平成29年7月15日(土)~8月31日(木) 9:00~17:00(観覧受付は16:30まで)
★休館日:月曜日
●会場:埼玉県立歴史と民俗の博物館(さいたま市大宮区高鼻町4-219)
●観覧料:一般400円、高校生・学生200円(中学生以下、障害者手帳等をお持ちの方(付添1人含む)は無料)
幸松地区公民館に粕壁宿ジオラマを展示しています
5月から展示していた粕壁南地区公民館を去り、幸松地区公民館にやってまいりました。
今回は、ジオラマ設置の作業風景を載せます。模型のパーツをボルトで固定しているところです。
手づくりの粕壁宿模型は、粕壁宿再現プロジェクトに参加した子どもたちが造ったペーパークラフト模型をもとに、江戸時代の粕壁宿の町並みを復元した模型です。
模型の詳しい解説については、「ペーパークラフトでめぐる粕壁宿」(郷土資料館ホームページ)をご覧下さい。
設置後、さっそく公民館の利用者のみなさんの人だかりが。
「作るの大変だったでしょうね」と感想をもらしていました。
幸松地区公民館では、比較的明るいスペースに展示させていただきました。2階から模型の全容をご覧いただけます。11月上旬まで展示予定です。お近くの方はぜひご覧ください。
博物館実習、一区切り。
本日は、館蔵資料の研究のために町にでてフィールドワークの予定でしたが、あいにくの天気のため館内の実習になりました。
午前中は、資料の取り扱い。掛け軸と巻子の取り扱いを行いました。みなさん、大学の授業で一度は取り扱いを練習したことがあるようでしたが、手元がどこかぎこちない感じでした。人に見られていることが、より一層緊張感を誘いますよね。
午後は、実習1週間を振り返って、みんなでディスカッション。
「バックヤードや収蔵庫にこんなにたくさん資料があるとは思わなかった」「資料に対する理解を深めて、一般に普及していくことが大切だと思った」など、資料館の裏側をみて、皆さんの学芸員観、博物館観も少しは変わったのかもしれません。
最後は、当館の課題や改善点について、忌憚なくご意見いただきました。
実習生には、9月2日の夏季展示記念講演会もお手伝いいただく予定になっていますが、とりあえず1週間お疲れさまでした。
資料整理と写真撮影をしました
本日は、市民の方に寄贈してしただいた生活関係の道具の資料の整理をしました。今と形が変わっている道具も多く、資料に書かれている情報からその資料が何なのか、読み取るのに少し苦労しました。他の実習生のみんなと考えながら資料整理を行うことができました。また、お昼休憩をはさみ午後からは、ホームページに載せる資料の目録のための資料撮影を行いました。私は、趣味で少しカメラを扱っているので自分の知っていることを他の実習生のみんなに伝えながら、コミュニケーションを取りつつ撮影を行うことができました。
(平成29年度博物館実習生)
体験講座わらじづくりのアシスタントをしました
本日は親子体験講座でわらじづくりをしました。
私たち実習生は、午前中に打ち合わせやわらじづくりの最終確認を行いました。
午後からはいよいよ本番です。子供たちは、はじめは苦戦していましたが、作業を進めていくうちに真剣になっていく様子がうかがえました。
実習生も子供たちにわらじづくりのお手伝いをしました。しかし、行動を言葉にして伝えることが出来なかった点が課題です。
わらじが完成したら、江戸時代の旅人の格好をして写真撮影をしました。皆さんにとても喜んでいただけて良かったです。
わらじづくりに参加してくださった皆様、本日は誠にありがとうございました。
(平成29年度博物館実習生)
ミュージアムスタンプラリーやってます
3館園のスタンプを集めると「素敵な景品」
5館園のスタンプを集めると「スペシャル景品」
を差し上げます。
スタンプ台紙はスタンプラリー実施館園で配布しています。
※こちら(H29台紙.pdf)を印刷してもご参加いただけます(なお、日本工業大学工業技術博物館の休館日は8月6日~23日となります。恐れ入りますが、台紙をご訂正ください)
夏休みは各所でスタンプラリーを開催しているようですが、地元や近隣の博物館を巡ってみてはいかがでしょうか。ミュージアムスタンプラリーは、平成29年11月30日まで開催していますので、気長にお楽しみいただけると思います。
親子体験講座の準備・練習をしました
明日の親子体験講座に向けて、わらすぐり・縄ない・わらじづくりの練習・準備を行いました。
いずれも初めて体験したため、作業中に縄が切れたり,わらじ全体のバランスが悪くなってしまったりと、反省点も多かったです。今回の反省点を見直して、明日の本番では、皆さんに分かりやすく教えられるようにしたいと思います。
(平成29年度博物館実習生)
神明貝塚の人骨『新編図録春日部の歴史』からのご紹介16
神明貝塚では、昭和40年の発掘調査でも2体の人骨が発見され、地元はもとより考古学の学界にも衝撃を与えました。この時の調査は、埼玉県の職員や大学教授をリーダーに、大学生や春日部女子高校郷土研究部の高校生、葛飾中学校社会クラブの中学生などが参加しました。夏休み期間中の8月10日から16日までの7日間、当時の西宝珠花公民館に宿泊し、炎天下の中、泥まみれで調査にあたったとの記録が残っています。
発見された2体の人骨は、新潟大学の小片 保(おがた たもつ)教授(当時)に分析され、現在も小片コレクションとして新潟大学で大切に保管されています。
「縄文時代の文化」『新編 図録 春日部の歴史』18ページ
『神明貝塚』庄和町文化財調査報告第2集 1970
《昭和40年の調査で発見された人骨》
写真の人骨は熟年(40~60歳)の男性、もう1体の人骨は壮年(30~40歳)の女性と鑑定されました。
《平成28年の調査で発見された人骨》
今回の展示では保存処理を終えた頭蓋骨を展示しています。
館外見学をしました
本日は市外の近隣博物館施設の見学を行いました。午前は草加市立歴史民俗資料館、午後は八潮市立資料館の見学をしました。
どちらも単独館で施設の経営をしており、複合施設で経営をしている春日部郷土資料館との資料の管理方法や展示物のテーマなど地域ごとの違いを知ることができました。草加市立歴史民俗資料館では松尾芭蕉など観光面から、八潮市立資料館では、明治から現在に至るまでの公文書で行政面から地域を支えており、各館の在り方を学ぶことができとても勉強になりました。
(平成29年度博物館実習生)
りそなキッズマネーアカデミーのアシスタントをしました
本日は埼玉りそな銀行様で催されていた「りそなキッズマネーアカデミー2017」という小学生向けのイベントに春日部市郷土資料館のアシスタントとして参加させていただきました。
今から百年程昔の春日部の街並みの写真を見て、その特徴を真剣に探してくれていました。
中でも盛り上がったのは双六でした。マスが春日部に存在していた商店となっており、中には現在も営業している商店もありました。とても大きなサイコロを使用していたため皆大盛り上がりでした。
ちなみに私の班は残念ながら上がることができませんでした笑
埼玉りそな銀行様、参加してくださっていた小学生の皆様本日はありがとうございました。
(平成29年度博物館実習生)
博物館実習がはじまりました。
博物館実習は、大学の博物館学芸員の資格課程の一環として行うもので、郷土資料館では、今年度5人の大学生のみなさんを実習生として受け入れています。
今日は、収蔵庫やバックヤードを含む館内を見学したり、文化財保護行政の実態について講義を受けたり、資料の取り扱いについて実技演習をしました。
(文化財行政の講義)
(実物の資料の取り扱い)
初日だったので、みなさん緊張した面持ちでした。
8月1日までの1週間、みなさんがんばってください。
夏季展示がはじまりました。
この展示会は、春日部ゆかりの大衆作家・三上於菟吉を紹介する展示会です。
三上於菟吉は、「雪之丞変化」などの作品で著名な昭和初期の作家です。明治24年(1891)市内の木崎に生まれ、旧制粕壁中学校(現県立春日部高等学校)に進学し、晩年は市内の八丁目に疎開し、昭和19年(1944)当地で53年の生涯を閉じました。
今回の展示では、地元に伝わる三上於菟吉関係の資料をはじめ、希少本や自筆の短冊・書簡などの貴重な品々が、所狭しと展示されています。
初日には、展示担当者による解説講座「三上於菟吉と春日部」を開催しました。また午後3時からは展示室で資料を解説するギャラリートークを開催します。
展示会は、9月3日(日)まで開催しています。来場された方には無料で展示パンフレットを差し上げておりますので、ご興味のおもちのかたはぜひご来場ください。
神明貝塚の人骨が常設展に登場!
神明貝塚は、今から約3800~3500年前(縄文時代後期前半)の貝塚で、市内の西親野井地区に所在しています。
平成28年度の調査で、3体の縄文人骨が新たに発見され、話題になりました。
縄文時代の人の骨が残るケースは、非常に稀なことで、神明貝塚には縄文人が食べた貝殻が大量にたい積し、酸性土壌が中和され、奇跡的に現代まで残ったものと考えられています。
今回、展示した人骨(頭蓋骨)は、30歳~60歳の縄文時代の女性のものです。身に着けていた装飾品や、縄文時代の骨格と比較するために江戸時代の人骨(頭蓋骨)なども展示し、解説パネルもリニューアルしました。
博物館などでは、レプリカの人骨を目にすることはあっても、本物・原物の人骨を目にすることはあまりありません。本物の人の頭蓋骨だけあって、なかなか迫力がありますし、少しゾッとします(個人の感想です)。
この暑さを吹き飛ばすため、よく冷えた展示室で、縄文人と見つめあってみてはいかがでしょうか。
なお、今回の展示替については、産経新聞さん、ヤフーニュースさんにもとりあげていただきました。
図書の寄贈を受けました
本誌は、歴史地震研究会が発行する学術雑誌で、本号には、以前、同校の理科研究部の皆さんが市内や当館所蔵資料を調査した成果が掲載されています。
①「埼玉県春日部市に残る1923年関東地震に関する石碑」では、市内の寺社、小学校に残る関東大震災にかかわる石造物を踏査し、碑文を翻刻、当地震の被害状況を考察するものです。すでに『春日部市史』に紹介されているもののみならず、地道な調査のなかから見出したものもあり、春日部の歴史をひもとくうえで大変貴重な成果といえます。
②「埼玉県春日部市郷土資料館に残る1923年関東地震に関する記録~大震災記念児童文集と大正12年粕壁町震災写真帳~」では、当館で保管している粕壁小学校「大震災記念児童文集」と「震災写真帖」の内容を一部紹介するものです。当館では、両資料ともにすでに展示会等で紹介しているところですが、学術雑誌上で紹介されるのは初めてです。今後、詳しい検討がまたれます。
栄東中学・高等学校の理科研究部の皆さんの成果を、今後郷土資料館の活動に活かしていきたいと思います。
皆さん、ありがとうございました。
企画展示室を撤収しました。
展示ケースがからっぽになると、なぜだかさみしい気持ちになるのはわたしだけでしょうか。
いよいよ、夏季展示(第57回)「初代直木賞選考委員 三上於菟吉を知っていますか?」がはじまります。
初日の7月22日(土)に向けて絶賛準備中です。乞うご期待。
7月15日(土)、16日(日)の指定文化財(民俗芸能)の公開
どうぞお出かけください。
(詳細は上の「文化財保護課からのお知らせ」よりリンク先をご覧ください)
●不動院野の神楽(春日部市指定無形民俗文化財)
7月15日(土)、16日(日)
春日部夏まつり会場
春日部夏まつりの際に曳き回しをされる
●やったり踊り(埼玉県指定無形民俗文化財)
7月15日 (土) 午後8時~9時30分
大畑香取神社(春日部市大畑230)
●赤沼の獅子舞(春日部市指定無形民俗文化財)
7月16日 (日) 午後1時~3時 奉納舞
赤沼神社(春日部市赤沼770)
●西金野井の獅子舞(埼玉県指定無形民俗文化財)
7月16日 (日) 午後2時、4時、5時より奉納舞
西金野井香取神社(春日部市西金野井1053)
南桜井小学校の伝統芸能クラブの児童による子供獅子の舞も披露されます。
●銚子口の獅子舞(春日部市指定無形民俗文化財)
7月16日 (日) 午後2時~4時 奉納舞
銚子口香取神社(春日部市銚子口551)
●榎の囃子神楽(春日部市指定無形民俗文化財)
7月16日 (日) 午後2時~3時 奉納舞
榎集会所(春日部市榎522)
●倉常の神楽囃子(春日部市指定無形民俗文化財)
7月16日 (日) 午後6時~8時 奉納舞
倉常神社(春日部市倉常118)
幸松小学校「放課後こども教室」での神楽の練習
本日参加した6年生や3年生の中には、夏祭りに参加する児童もいるそうで、祭り本番に向けた最後の仕上げともなりました。今年の夏まつりには、内出町・八丁目下組の山車の上で神楽や囃子が上演されます。
やったり踊り練習の様子
祭礼当日は午後8時に西光寺を練り込みで出発、午後8時30分過ぎから香取神社で勇壮な舞が披露されます。
浜川戸遺跡出土の板碑 『新編図録春日部の歴史』からのご紹介15
板碑に刻まれた年号は、古いものから弘安6年(1283年)、徳治3年(1308年)、正和元年(1312年)、嘉暦2年(1327年)、応安2年(1369年)となります。これはこの墓地が、1283年から1369年まで86年間使用されたことを示すとともに、砂丘の頂上部分で発見されていることから、古い年代の1283年や1308年頃には、既に砂丘の形成が終了していたことを示す根拠ともなります。
これらの板碑は「浜川戸遺跡出土板石塔婆」として春日部市有形文化財に指定されて、春日部市郷土資料館に展示しています。さらに平成28年3月には、春日部八幡神社や八幡公園一帯に広がる砂丘が「中川低地の河畔砂丘群 浜川戸砂丘」として埼玉県天然記念物にも指定されました。
「館跡とくらし」『新編図録春日部の歴史』62ページ
『浜川戸遺跡8 10次 花積台耕地遺跡6次 慈恩寺原南遺跡 塚内18号墳』春日部市埋蔵文化財調査報告書第12集 2002
砂丘上の墓地
発見された板碑
市民の方から資料の寄贈をうけました。
「南桜井村報」は、北葛飾郡南桜井村の村民向けに発行された村の広報誌です。
これまで、「南桜井村報」の存在は知られており、当館では昭和13年4月~昭和16年6月の一部を所蔵していましたが、欠号が多く全容がわかっていませんでした。
今回、ご寄贈をいただいたものは、「南桜井村報」の第一巻第一号から、第九巻第四十四号までほぼ欠号がなく綴りこまれています。
第一号の巻頭の辞によれば、「紙上を通じて村の皆様に、村の希望、注意指導等を、お伝へする」ために毎月一回発行したことがわかります。また「読者欄」が設けられ、村民「体験、抱負、希望等」を発表する場を兼ねていたようです。
実際に、発行初期には「小学校で今度養鶏をやつて居る様ですが、種卵は譲って戴けるのでしょうか」などの農産業に関するQ&Aや、「南桜井村和楽音頭」(作詞:石原江風)という郷土の歌が掲載されるなど、地域の産業・文化の情報発信・伝達の場として機能していました。
しかし、日中戦争が深刻化すると、出征者からの報告の手紙を紹介する「戦場便り」や、出征者が戦没すると追悼や村葬儀の案内等、「銃後奉公」や戦地に関する情報が、村報の紙面を占めるようになっていくことがわかります。
戦前・戦時期の南桜井村、県東部の農村の状況を示す大変貴重な資料といえます。
今後、調査研究して、活用させていただきたいと存じます。
改めて、寄贈いただいた方にはお礼を申し上げます。
郷土資料館体験ワークショップを開催しました
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「ぶんぶん駒」を一生懸命に作り、”ぶーん・ぶーん”と音を鳴らしながら遊んでいました。
ワークショップは、昔の遊びを気軽に体験できるイベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。
次回ワークショップは、平成29年8月5日(土)に「からくり屏風」を作ります。ご参加をお待ちしています。
富士塚の分布 『新編図録春日部の歴史』からのご紹介14
江戸時代、富士山を信仰の対象とした富士信仰(ふじしんこう)が盛んになり、この信仰のための集まりである富士講(ふじこう)が各地に作られました。
富士講では、富士塚(ふじつか)という富士山を模した人工の山を地域内の神社に作り、実際に富士山に行かなくてもお参りができるようにしました。市内には現在でも29ヶ所の富士塚が確認され、このうち水角神社の富士塚は、市の有形民俗文化財に指定されています。
「身近な庶民信仰」『新編 図録 春日部の歴史』112ページ
幸松地区公民館「むかしの遊び教室」に資料が出張しました
「むかしの遊び教室」は、地域の方々に協力していただき、子どもたちに、一昔前の遊びを体験してもらうイベントです。
郷土資料館からは、昔の道具やおもちゃなどを提供して、来場した子どもたちに昔のおもちゃ・道具を体験してもらいました。
今年度は、市民ボランティアの皆さんがおもちゃ・道具の扱い方を丁寧に指導され、子どもたちは大変楽しんでいる様子でした。
富多小学校の「総合的な学習の時間」での神楽の練習
初めて太鼓を使う練習の様子
「大黒様」の練習の様子
今後は10月下旬に開催される「けやき祭り」での披露に向け、「大黒様」「おかめひょっとこ」の習得に励みます。
尋常小学校の教科書『新編図録春日部の歴史』その13
春日部市域では、19か所で寺院などを利用した小学校が開かれました。
設立当初は学年が8年制で、下等小学4年、上等小学4年と分けられていました。明治19年の小学校令の交付により、尋常(じんじょう)小学校(4年制)と高等小学校(4年制)という名称が使われ始め、尋常小学校の4年間、6歳から14歳までは義務教育とされました。
教科書は、当時の文部省が作成し、全国の小学生が共通したものを使用しました。
明治9年6月14日には、埼玉県小学校教則の改定によって全県共通の時間割が定められました。教科には、読物や書取、問答、習字、算術などが並び、月曜日から土曜日まで同じ時間帯に同じ教科が割り振られました。また、第ニ土曜日は、それぞれの授業時間を半分の時間とし、半日授業としたたようです。
全ての子どもを対象とした開かれた小学校でしたが、教科書代や学用品、授業料、学校経費などを保護者が負担しなくてはならないこと等により、子どもを通学させることが困難な家庭もありました。
「国民皆学への道」『新編図録春日部の歴史』156ページ
尋常小学校読書教本と小学校日本歴史の教科書
尋常小学校読書教本
南桜井小学校”伝統芸能クラブ”での獅子舞練習
現在、6年生6名、5年生3名、4年生8人と総勢17名が西金野井獅子舞保存会の染谷会長の熱い指導の下、地域に伝わる『西金野井の獅子舞』の会得に取組んでいます。
会長さんの指の動きを見ながらの笛の練習風景~伝統芸能には楽譜はなく、先輩の指と音色で覚えます~
男子6名は笛の音色にのせて、「芝舞い」を練習中!~腰を落とし、激しい舞のために汗がしたたり落ちる~
7月16日の西金野香取神社でお祭りでは、保存会の勇壮な舞と共に、子どもたちの舞も披露されますので、ご期待ください。
土器作り教室と産直の里内牧体験 参加者募集!
縄文人の技術を用いて土器をつくります。
皆さんのご応募をお待ちしています。
日時:7月30日(日曜日)、8月20日(日曜日)全2回
(8月20日が雨天の場合は、8月27(日曜日)に順延)
いずれも、午前10時~午後4時
会場:教育センター(7/30)、内牧公園・内牧公園近隣農園(8/20)
※8/20の土器焼き、勾玉製作・火おこし体験のほか、近隣農園で収穫体験のメニューもご用意しております。
募集人数:50名(応募者多数の場合は、抽選。小学生以下は保護者同伴)
参加費:200円(予定、材料費)※収穫体験の費用は別途
【申し込み方法】
7月14日(金曜日・必着)までに直接(土・日曜日は、郷土資料館で受付)、はがき、またはメールで、参加者全員の住所・氏名・電話番号・生年月日・収穫体験参加の有無を記入し、下記あてにお申し込みください。
〒344-0062 粕壁東3-2-15 春日部市教育委員会文化財保護課
メールアドレス:bunkazai@city.kasukabe.lg.jp
抽選結果は、7月21日(金曜日)までに応募者全員に通知します。
東不動院野神楽保存会が「地域の伝統文化分野」で助成が採択されました
同保存会では、平成26年度から幸松小学校の放課後子ども教室にて月2回の頻度で”神楽教室”を開催しており、後継者養成と児童の地域学習にもご尽力されています。
今回、こうした後継者養成を目的とした太鼓類の新調や修繕への要望が認められ、助成の採択となりました。この教室では太鼓の代わりに古タイヤを使って練習していましたが、これで本物の音色が打ち響きわたることが期待されます。 東不動院野神楽保存会の皆さんは、7月15・16日に開催される春日部夏まつりでも山車の上でお囃子を奏でますので、是非、ご覧ください。
須恵器生産地別の特徴『新編図録 春日部の歴史』からのご紹介-その12
須恵器はその形や作り方、使われている粘土に含まれている物質の違いなどから、生産地が限定されることがあります。
春日部市内の奈良時代、平安時代の遺跡からは、茨城県土浦市周辺の新治窯跡(にいはりかまあと)や埼玉県寄居町周辺の末野窯跡(すえのかまあと)、鳩山町周辺の南比企窯跡(みなみひきかまあと)などの製品が確認されています。
そして同じ春日部市内でも、庄和地域の遺跡では新治窯跡などの春日部よりも東に位置する窯の須恵器が、春日部地域の遺跡では、末野窯跡や南比企窯跡などの西に位置する窯の須恵器が発見される割合が高くなります。
現在、庄和総合支所のエントランスで産地別の須恵器を紹介する展示を行っています。是非ご覧ください。
「土器の交易」『図録春日部の歴史』35ページ
新治窯産の須恵器(陣屋(じんや)遺跡;西宝珠花)
キラキラと光る雲母(うんも)という岩石の粒が含まれます
末野窯産の須恵器(小渕山下(こぶちやました)遺跡;小渕)
片岩(へんがん)という岩石の粒が含まれます。
南比企窯産の須恵器(小渕山下(こぶちやました)遺跡;小渕)
白色針状物質(はくしょくしんじょうぶっしつ)と呼ばれる針状の物質が含まれます
市民の方から資料を寄贈していただきました
・・・かどうかわかりませんが、
本日も市民の方から貴重な資料を寄贈していただきました。
いただいた資料は、「武州粕壁町商売繁栄双六」。
粕壁の町中の商店をマスにしたオリジナルの双六(すごろく)です。
年代は記されていませんが、内容から昭和初期に版行されたものと推定されます。
双六には、当時の商店や医院、銀行などの広告がマスに配され、
今でいうチラシとして、得意先などに配付されたもののようです。
実は、数年前、古書店の売り立て目録で、同様の粕壁町内の双六を目にしたことがあり、
本日、資料をみせていただいたとき、感激のあまり、声をあげてしまいました。
売り立て目録に掲載されていたものは、今回寄贈されたものとはまた別の図柄でした。
いくつかのバリエーションがあるようです。
この双六は、町や商家の歴史はもとより、当時の風俗を知るうえでも大変貴重な資料です。
双六なので、子どもたちに遊んでもらえます(もちろん複製物で)。
今後、調査研究して、ながく活用させていただきたいと存じます。
改めて、寄贈いただいた方にはお礼を申し上げます。
皆さんのお宅にも、こうした資料が眠っていませんか?
大学生政策提案コンテストの大学生の見学
今年度の政策提案コンテストは、「中心市街地の活性化」をテーマとしており、学生の皆さんは、粕壁宿の推定復元模型をご覧になり、春日部の市街地の特徴について、熱心に質問されていました。
このあと、実際に旧宿場町の町並みの現場を見学されるそうです。
春日部市にとっても、また学生の皆さんにとっても、有意義な提案がされることを期待しています。
第2次春日部市史編さん事業計画の策定
これは市史編さん事業を市の歴史を分析し、総合編集したものを永く後世に残す文化的事業と位置付けた上で、地域資料を総合的に収集し、徹底した調査、整理、研究を行い編さんするための25年間にわたる計画です。
当面は、今まで収集した資料の整理と適正な保存を進めるための事業に取組みますが、平成35年(2024年)の自然誌-地形地質編を皮切りに、計10冊の市史を刊行する予定です。
どうぞ今後の市史編さん事業にご期待ください。
第2次春日部市史編さん事業計画.pdf
市民の方から資料を寄贈いただきました。
今回、ご寄贈いただいたのは、最近すっかり見かけなくなったテレフォンカードです。
でも、ただのテレカではありません。
春日部市の特産品「押絵羽子板」のテレフォンカードです。
このテレフォンカードは、春日部市観光協会が製作したもののようで、
寄贈者のお話によれば、このテレカは、今から20~30年前くらい(平成のはじめ頃)に春日部夏祭りの折に観光協会で販売されていたものとのこと。年ごとにデザインが違って、毎年全2種類のテレカを買いあつめたものだそうです。
上の写真は、左から「弁慶」「藤娘」「奴凧」です。
このほか、「初舞」「道成寺」「板鼓」「鷺娘」「獅子」「静御前」「汐汲」「玉うさぎ」「かむろ」「浅妻船」「沢鷺坂伴内」「祭礼」「浅妻」「梶原」「那須与一」「滝夜叉」「舞玉」などの押絵羽子板のテレフォンカード。赤沼民俗文化財保存会製作の「赤沼の獅子舞」のテレフォンカード、合わせて27点を寄贈いただきました。
春日部ゆかりの特産品や民俗芸能のデザインのテレカということで、貴重な郷土資料として保存・活用させていただきます。
ご寄贈くださいました方には、この場を借りて改めて御礼申し上げます。
こうした郷土資料が「あなたの家にも眠っているかも」しれません。
お心あたりのある方は気軽に郷土資料館までご一報ください。
小渕山下北遺跡の漆椀『新編図録 春日部の歴史』からのご紹介-その11
この二引両紋は室町幕府を開いた足利氏の一族である幸手城主の一色氏(いっしきし)の家紋です。中世の小渕地区は一色氏が支配していた幸手領であったことから、一色氏との関係が深い不動院や浄春院といった寺院がありました。
今は無き不動院は、その開基(かいき)の秀円(しゅうえん)が三河出身で一色氏と同郷であったこと、二代目住職の頼長(らいちょう)の妻が一色氏の一族であったことなど、一色氏との関係が特に深かったようです。
中世以降、不動院は一色氏を通じて、古河公方や後北条氏と結びつき、関東の修験(しゅげん)を支配していきます。
「不動院と修験」『新編図録 春日部の歴史』 66ページ
日光街道を歩くツアーをご案内しました
本日、日本橋~日光まで日光街道を歩くツアーのお客様が来館され、粕壁宿の町並み模型の展示解説をしました。
本日のお客様は、市外・県外の方で、一ノ割から東武動物公園までの道程にお立ち寄りくださいました。17日にわたって日光街道を完歩されるそうです。
展示室では、宿場の景観の特徴や、春日部(粕壁)の地名の秘密などお話しました。なかでも、地名の由来や明治33年(1900)に徳川慶喜が来訪したことについて、皆さんご関心をお持ちいただいたようです。
暑くなってきましたので、旅人の皆さん、道中お気をつけて。
最勝院前から見た粕壁の町並み『新編図録 春日部の歴史』から-その10
東武鉄道が明治32年に北千住-久喜間で開通したことにより、人々の陸路交通は大きく変化しました。江戸時代には本陣(ほんじん)、脇本陣(わきほんじん)と旅籠(はたご)45軒を有した粕壁宿の宿泊施設は、明治35年には旅館3軒まで減少しました。
「宿場町粕壁と交通の変容」『新編図録 春日部の歴史』 160ページ
粕壁南公民館にてペーパークラフトの粕壁宿を展示しました
手づくりの粕壁宿模型は、粕壁宿再現プロジェクトに参加した子どもたちが造ったペーパークラフト模型をもとに、江戸時代の粕壁宿の町並みを復元した模型です。
模型の詳しい解説については、「ペーパークラフトでめぐる粕壁宿」(郷土資料館ホームページ)をご覧下さい。
粕壁南公民館の敷地内には、粕壁宿の歴史と深く関わる赤堀池の跡も残っています。お近くの方は、お立ち寄りいただき、赤堀池ともども、ぜひご覧ください。
今後、各地区公民館を巡回する予定ですので、お楽しみに。
下蛭田の獅子舞『新編図録春日部の歴史』からのご紹介ーその9
写真をみると、四方に4本柱と花笠をかぶる人が立ち、中央に土俵が作られ、土俵で3頭の獅子による獅子舞が舞われていたことがわかります。
演目は、「きりの舞」、「弓くぐり」、「女獅子隠し」、「お祓(はら)いの舞」が確認されています。またこの獅子舞には「唄い方(うたいかた)」とよばれる役の人がいて、この人たちが歌った歌詞が残っています。歌詞の中に「辻切り」のことを歌った詞があることから、村回りも行われていたようです。
東光院では5月2日、住吉神社では7月15日に舞われ、それぞれ春祈祷(はるきとう)、夏祈祷(なつきとう)と呼ばれていました。
『春日部市史』第5巻民俗編 1993 542ページ
「風流の芸能 獅子舞」『新編図録 春日部の歴史』 117ページ
下蛭田の獅子舞(昭和29年)
宝珠花の大凧揚げ
宝珠花小学校の児童のみなさん、そして江戸川中学校の生徒のみなさんが引手となった「小凧」はさわやかな五月晴れの下、見事に舞い上がりました。
大凧の全貌はみられませんでしたが、5月5日にも行われますので、ご期待ください。
円空仏の公開
五月晴れの5月3日、午前10時から観音院本堂で埼玉県有形文化財に指定されております円空仏7体が公開されております。この公開は年一度の機会となりますので、是非、拝観してみてはいかがでしょうか。
公開期間:5月3日から5月7日(午前10時~午後5時)
場 所:春日部市小渕1634番地
権現山遺跡の底部穿孔壺形土器『新編図録春日部の歴史』からーその8
これらの土器は「方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)」と呼ばれる古墳時代のお墓から発掘されました。土器を焼く前の粘土で形を作った段階で底に穴をあけており、日常的に使用するためではなく、製作当初から墓に供える目的で作られた土器であることがわかります。
埼玉県立歴史と民俗の博物館では5月7日まで、企画展「縄文の空間ー暮らしと願い」を開催中です。春日部市内から発掘された古墳時代を代表する文化財である権現山遺跡の土器とともに、ぜひお出かけ頂いてご観覧ください。
埼玉県立歴史と民俗の博物館サイト
「前方後円墳の出現」 『新編図録 春日部の歴史』25ページ
『権現山遺跡第1次調査』2005庄和町文化財調査報告書第15集
ゴールデンウィーク中の指定文化財公開
期間限定の花期や催しですので、ぜひ、お出かけください。
藤花園の開園
(国指定特別天然記念物「牛島のフジ」)
日時:平成29年4月19日(水)~5月7日(日)8:00~18:00
場所:藤花園(春日部市牛島786)
入園料:大人1,000円 、子供500円(4歳以上小学生まで)
詳細は下記ページをご覧ください。
藤花園サイト
大凧あげ祭り
(国選択無形民俗文化財「関東の大凧揚げ習俗」、春日部市指定無形民俗文化財「宝珠花大凧揚げ」)
日時:平成29年5月3日(水)、5日(金)
場所:西宝珠花江戸川河川敷
3日、5日とも大凧は午後2時ごろにあげられます。
詳細は下記ページをご覧ください。
大凧あげ祭り(春日部市公式サイト)
円空仏祭
(埼玉県指定有形文化財「小渕観音院円空仏群」、春日部市指定文化財「小渕山観音院仁王門」)
日時:平成29年5月3日(水)~7日(金)10:00~17:00
場所:小淵山観音院(春日部市小渕1634)
拝観料:500円(お1人様1日限り、中学生以下無料)
詳細は下記ページをご覧ください。
小淵山観音院仁王門と円空仏群の公開(春日部市公式サイト)
春日部の領主たち『新編図録春日部の歴史』からのご紹介ーその7
旗本領の村では、複数の旗本が同規模の小さな領地を与えられる「相給知行(あいきゅうちぎょう)」の形が一般的でした。神間(かんま)村には、旗本中根氏の領地に囲まれた中に一区画だけ旗本能勢(のせ)氏の領地が存在しました。
また、旗本たちは江戸の暮らしが苦しくなると、しばしば村から御用金などを徴収しました。その見返りとして、写真の「旗本能勢氏下知状(のせしげちじょう)」にあるように、武士と同じく名字を名乗ったり刀を持ったりする苗字帯刀(みょうじたいとう)を名主(なぬし)に認めたりすることがありました。
「春日部の領主たち」 『新編図録 春日部の歴史』80ページ
相給知行の土地を描いた図(右側の中央に能勢氏の領地が描かれている)
文政7年(1824)旗本能勢氏下知状
将軍も食べた不動院野産の餅米(春季展示解説講座)のお知らせ。
郷土資料館春季展示(第56回)に出品している資料を読み解きながら、新たに判明した郷土の歴史について解説する、講座です。
今回は、「将軍も食べた不動院野産の餅米」と題して、江戸時代に市内の不動院野で産出された餅米が、江戸城に上納された経緯などについてお話します。講師は郷土資料館学芸員です。
日時:平成29年6月10日(土)10時~12時
会場:春日部市視聴覚センター4階 研修室2
費用:無料
定員:50名(先着順)
申し込み:電話もしくは直接郷土資料館まで
お問い合わせ:048-763-2455(郷土資料館)
ご興味のある方は、ぜひお申し込みください。
春季展示がはじまりました。
今回の展示は、「かすかべの宝もの14(収蔵品展)あなたの家にも眠っていませんか?~意外に身近な郷土資料」展と題して、平成29年4月8日(土)~7月9日(日)まで開催しています。
企画展示室の入口には、前に本ブログでも紹介しましたが、平成29年3月指定の市指定文化財「神明貝塚出土の堀之内式組合せ土器」を特別に展示しています。
展示のメインとなるのは、市内飲食店のマッチ箱、昭和50年の新聞折込みチラシ、販促品の手ぬぐいなど身近な資料から、市内に残る唯一の中世文書「北条氏政の感状」などの市指定文化財まで様々な資料を出品しています。また、収蔵品の陳列だけでなく、大学生(博物館実習生)や中学生(社会体験事業)の協力を得てすすめた整理作業の様子や、資料の活用例など、郷土資料館の活動も紹介しています。
さらに、資料を身近に感じていただくために、江戸時代の和書(実物)を実際にめくり、有名な武将の名前を探す、資料体験コーナーも用意しています。
春日部市内で、貴重な江戸時代の資料に触れることができるのは、郷土資料館だけです。
皆さまのご来館をお待ちしております。
謡曲「隅田川」の舞台と梅若塚『新編図録春日部の歴史』からーその6
梅若の伝説は、東京都墨田区と春日部市が伝承地と言い伝えられています。物語に出てくる「隅田川の渡」も、墨田区の場合は古代東海道の渡(わたし)、春日部市の場合は中世の奥州道が春日部市新方袋の近辺で隅田川(現在の古隅田川)を渡っていたと考えられています。
どちらが史実の舞台であるかといった研究は江戸時代から行われており、近世期に学問が広く普及し、地域の文化を見直す動向が芽生えていたことがわかります。しかしながら現在に至るまで確たる根拠は示されてはおらず、その真相は不明です。
梅若の伝説にとどまらず、墨田区と春日部市には、同じ地名や似た地名が多くみられます。これもどちらの地名が最初なのかはわかりませんが、川を通じた人々の交流が古い時代からあったことを示しています。
「隅田川の渡-謡曲「隅田川」の舞台-と梅若塚」 『新編図録 春日部の歴史』72ページ
満蔵寺境内図(『新編武蔵風土記稿』) 満蔵寺裏に隅田川(古隅田川)が流れている
満蔵寺梅若塚(新方袋)