ほごログ(文化財課ブログ)

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郷土資料館体験ワークショップを開催しました

平成30年8月18日(土)、郷土資料館展示室で「体験ワークショップ からくり屏風を作ろう!」が開催されました。
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「からくり屏風」を作りました。屏風にみたてた板を動かしていくと、
4つの絵柄が出てくる不思議な屏風に、参加した子供たちは大変喜んでいました。

ワークショップ

ワークショップは、小学生までを対象とした、昔の遊びを気軽に体験できるイベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。

ワークショップ風景

 次回ワークショップは、平成30年11月18日(日)に「ぴょんぴょんカエル」や「紙てっぽう」を作ります。ご参加をお待ちしています!

「かすかべ弁」わかりますか!?

「げいろ」「ありんど」「せいかち」「かまげっちょ」これは何のことでしょうか??春日部市郷土資料館の常設展示の一コーナー「春日部壁展示」に「かすかべ弁~かすかべの方言~」のパネルを展示しました。実はこれらは春日部に伝わる郷土の言葉。答えは展示室で確かめてください。
写真:かすかべ弁の展示
市域には、埼玉県東部地域と共通する郷土の言葉(方言)が伝来しています。しかし、電話やラジオ・テレビが普及し、各地域の人々の交流が盛んになる高度経済成長期以降、急速に郷土の言葉は失われていきました。
今回、紹介しているのは、過去の聞き取り調査などで記録されてきた言葉です。市域でも町場と農村、世代・時代の違いによって、若干言葉が異なるようです。

「かすかべ弁」とか「方言」というと、「田舎だと馬鹿にしているのか」と怒られそうですが、春日部の春日部らしさ、地域の特徴だと思います。

みなさんも、この夏休みに年配の方とお話しするときに、少し注意して郷土の言葉を聞いてみると、新たな発見があるかもしれませんよ。

明治43年の水害『新編図録春日部の歴史』からのご紹介ーその57

今年は猛暑、豪雨と異常気象が続いていますが、明治43年(1910)8月は長雨に見舞われました。
明治43年8月5日ごろから関東地方では梅雨前線による降雨、さらに11日、14日と二つの台風が、関東地方から東北地方に上陸・接近しました。これらの雨により各地で大水害が発生し、埼玉県内では特に北部から東部、南部にわたる低地が浸水し、死者、行方不明者あわせて347人にのぼりました。春日部市域でも、8月12日に新町橋が流されるなど大きな被害を受けました。

ご紹介する写真の時田家文書には、当時の炊き出し記録と浸水程度調査表が含まれています。銚子口地区の多くの家が床上まで浸水したことや浸水後の8月17日から被災者に白米・味噌が配布されたことが記録されており、当時の被害状況や生活の混乱をうかがい知ることができます。

「明治四十三年の水害と水塚」『新編図録 春日部の歴史』176ページ

明治四十三年埼玉県洪水氾濫記念図
明治四十三年埼玉県洪水氾濫記念図(『埼玉県水害誌』 埼玉県 1912)

豊野村の炊き出し記録
豊野村の炊き出し記録(時田家文書)

浸水程度調査表
浸水程度調査表(時田家文書)

動画で解説!神明貝塚(2日目)

本日(8/15)、春日部市郷土資料館の夏季展示「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展の関連イベント「動画で解説!神明貝塚」の2回目を開催しました。

このイベントは、展示室で神明貝塚の紹介映像を上映し、学芸員が解説するものです。
手前みそな言い方ですが、動画は約15分で神明貝塚の特徴をわかりやすく、まとめています。しかし、疑問に思ったこと、動画に出演された考古学の先生方に踏み込んで聞きたいことを、話しかけても動画は教えてくれません。
写真:動画上映の様子
このイベントでは、動画をご覧いただいた後、発掘担当の学芸員に質問ができることが最大の特長です。
本日は、神明貝塚の「神明」の由来、縄文土器の製作者などについて質問がなげかけられました。「神明」は西親野井の小字(こあざ)であり、古くから天照大神を祀る神明社が所在したことにちなむと考えられます。ちなみに、神明社は明治40年(1907)に親野井神社に合祀されています(『庄和町史編さん資料12 民俗Ⅱ』)。

さて、動画の後は、展示室で原物の資料をみながら、展示解説。
ご参加いただいたみなさんは熱心に学芸員の話に耳を傾け、時には質問し、神明貝塚の調査成果に対する理解を深めていただいたようです。
写真:展示資料の解説
さながら、ギャラリートークです。いや、むしろ動画がみれて、ギャラリートークより、お得(?)かもしれません。
大阪からお越しのお客様からは「貴重な資料がたくさんならび、説明が詳しくて、よくわかりました。来てよかったです」とご感想をいただきました。
「動画で解説!神明貝塚」は、展示会期中の毎週水曜日8/22・8/29・9/5・9/12の10:30と15:00に開催しています。お見逃しなく。
まだまだ気温が高い日が続く予報が出ていますが、郷土資料館はクールオアシスとなっています。学んで涼める場ですのでお気軽に来館ください!!

館跡とくらし『新編図録春日部の歴史』からのご紹介ーその56

粕壁地内の浜川戸に所在する浜川戸(はまかわど)遺跡では、鎌倉時代の掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)、内堀(うちぼり)、外堀(そとぼり)で構成される館跡(たてあと・かんせき)が発見されています。

外堀は、幅が約2.5mの溝が2重に作られています。内堀の規模は、140m×100mの楕円形に展開しています。掘立柱建物は、2棟が発見されており、柱の穴の中には礎石(そせき)が置かれているものもあります。
また、館跡の北西側には、県指定天然記念物の浜川戸河畔砂丘(はまかわどかはんさきゅう)があり、館の防御機能の一つとなっていたと考えられます。

この館跡は、鎌倉時代に、この地域に暮らした春日部氏の館であった可能性が高く、中国で作られた青磁(せいじ)や白磁(はくじ)、お茶をたしなむ天目(てんもく)茶碗などの品々と共に当時の武士の暮らしをうかがい知ることが出来ます。

「館跡とくらし」『新編図録 春日部の歴史』62ページ

外堀
上空からみた外堀(写真中央左上から右下へ斜めに通っている溝・下図中の「外堀1」)

内堀
内堀とその断面

浜川戸遺跡館跡
浜川戸遺跡で発見された館跡