歴史概要

 黒羽地区は江戸期大関侯の城下町として発達し、歴代の藩主が文武の奨励に努めたため、多くの偉人を輩出してきた歴史がある。また、松尾芭蕉が訪れ、豊かな風光、歴史、伝承、素朴な人情民俗にふれ、「奥の細道」にいくつかの名句とともに黒羽の名を残している。地域住民は、教育文化尊重の伝統的気風を維持し、歴史を大切にしようとする心をもっている。現校舎はその黒羽の街並みを見おろす高台にあり、黒羽城跡、大雄寺などにも近く、八溝県立自然公園の一部にある。児童は温和、純真であり、文化財などを大切にする気風をもっている。
 本校の前身は、旧黒羽藩校「作新館」である。文政3年(1820年)、藩主大関増業が藩士の子弟教育のために藩学「何陋館(カロウカン)」を設立したが、その後安政4年(1857年)5月、増式が何陋館のあったところに設置したのが作新館である。作新館の名称は、勝海舟の命名によるもので、その出典は、「大学」からの一節による。また、「作新館」の扁額は、二品親王(東伏見宮嘉彰親王)の毛筆されたもので、明治11年、作新館学校取締(元黒羽藩権大参事)大沼渉より寄付された。本校の貴重な宝・文化財である。なお格天井の寄せ書きは、明治5年作新館が改築された際に天井に張られた由緒あるもので、大田原市の有形文化財・歴史資料にも指定されている。その後旧校舎にあったものを新校舎新築にあたり移転保有され作新館学習室に張られている。
 この藩校の教育精神を受け継いで、学制改革により明治7年7月に開校したのが大関私学立作新館である。明治19年に公立となり黒羽西校舎、翌年黒羽尋常小学校、昭和になり黒羽第一国民学校、そして新学制実施により黒羽町立第一小学校、昭和30年には町村合併により黒羽町立黒羽小学校となった。昭和46年に黒羽町立両郷西小学校、昭和58年に黒羽町立北野上小学校がそれぞれ廃校となり、本校に統合された。平成17年には、市町村合併より大田原市立黒羽小学校と改称された。そして平成25年、大田原市立黒羽小学校と大田原市立片田小学校とが統合し、新たに大田原市立黒羽小学校が開校された。このように、学校教育の普及や社会情勢の変遷を背景に、改変や再編・統合を経てきた。しかし、この間一貫して旧黒羽藩校時代の遺産を有形無形に保持しつつ現在に至っている。全国的にも、大変稀で貴重な歴史を有する小学校であることを、関係者は皆誇りに思っている。

                                   
(学校概要を改変・加筆)