片田小学校閉校記念
片田小学校の歴史

 

 【明治初期に建てられた金秀寺(万年舎】

 

 


【昭和20年8月の片田小学校】

 

 


【昭和30年8月の片田小学校(二階建】

                              
【学校沿革】
明治 7 . 10    万年舎を、北滝、亀久、矢倉、片岡の4ヶ村で設立。
 片田の金秀寺を仮校舎として開校
  13 . 12    北滝校、片田校の2校に分かれる
  16        校舎新築し移転(片田校)
  18        北滝小学校(校名改称、学区改正)
  19        小砂尋常小学校分教室(校名改称)
  20        黒羽尋常小学校東校北滝分教室(校名改称)
  22 . 5    黒羽尋常小学校分教室(校名改称)
  22 . 8    黒羽第二尋常小学校(校名改称)
  39 . 4    片田尋常高等小学校高等科二学年併置(校名改称)
大正 2 . 4    黒羽第二尋常高等小学校(片田校・北滝校統合)
  10 . 5    校舎増築(第二校舎)雨天体操場新築落成
  14 . 5    水道工事(鉄管)完成
昭和 9 . 3    校庭拡張、教員住宅移転、校舎改築
  16 . 4    黒羽第二国民学校(校名改称)
  22 . 4    黒羽第二小学校(6・3制実施)第二中学校併置
  24        校庭拡張 学校林設置
  25        第二校舎、雨天体操場移転
  30 . 2    黒羽町立片田小学校、片田中学校併設(校名改)
      8    校舎新築移転
  35 . 5    体育館新築
  41 . 2    創立90周年式典挙行(校歌・校旗制定)
  44 . 3    黒羽町立黒羽中学校片田分校廃止
  47        分校舎解体、特別教室(理科室・音楽室)新築
  49 . 11    創立百周年記念式典挙行、記念事業(施設・教材・校門)
  50 . 8    プール設置
  57 . 12    井戸沢学校林再契約
  58 . 3    館山学校林再契約
  58 . 9    県道拡張工事のため、遊具・岩石園・小鳥小屋移転
  61 . 3    校庭拡張(校地総面積12.346㎡)
  62 . 3    新校舎落成移転(鉄筋コンクリート造り3階建て)
  62,63    文部省指定道徳教育推進校
  63 . 10    研究発表
平成 3 . 8    小鳥小屋新設
  5 . 2    井戸沢学校林再契約
  8 . 11    法面工事(東崖)町教委
  9 . 11    栃木県統計グラフコンクール 教育長賞
  10 . 11    栃木県統計グラフコンクール 知事賞
  11 . 2    全労災 版画の部 学校賞
  12 . 11    学校林間伐
  13 . 2    全労災 版画の部 学校賞
  14 . 2    全労災 版画の部 学校賞
  14 . 2    「夕日が丘」の碑設立
  14 . 11    「夕日が丘」音頭完成
  15 . 2    全労災 版画の部 学校賞
  17 . 2    全労災 版画の部 学校賞
  17 . 10    学校林の全伐を行い返却する。市町村合併に伴い、大田原市立片田小学校となる。
  18 . 2    県統計グラフコンクールで奨励賞
  18 . 3    地域イントラネット敷設工事
  18 . 10    学校田「はざがけ」NHKTV放映
  19 . 8    受水槽フェンス設置
  20 . 11    県統計グラフコンクール教育長賞
  21 . 11    環境保全工場対策絵画展覧会開催
  22 . 6    教職員用パソコン全員に配備
  23 . 2    栃木県統計グラフコンクール 知事賞
  23 . 3    東日本大震災 行内の被害状況なし
  25 . 3    統合により閉校

 

 【学校沿革史】

 片田小学校の歴史と変遷

中澤正信

 平成25年3月31日、創立以来138年の歴史と文化の継承地が閉校に至るに当たりその歴史と変遷について考えてみました。
 片田小学校は明治7年10月17日、金秀寺を万年舎として開校、初代の校長は金秀寺第28代住職(重村万明)氏が寺子屋を開設し、近隣の子供たちが多く参加し授業料として一人当たり1銭を納めたようです。
 明治13年には北滝校と片田校の2校に分かれ、その後、馬頭町小砂小も分教室として開設されました。
 この頃寺子屋も子供が多く場所的に不適切のため片田の一角に校舎を建てたが農作業に問題が生じ現在の地に移設したものです。以後何度かの改正があり、明治39年には片田尋常高等小学校、昭和16年4月1日より黒羽第二国民学校、昭和30年2月黒羽町立片田小学校、片田中学校も併設され、昭和41年2月創立90周年式典を挙行、昭和49年には創立100周年記念式典が挙行され、以来37年の歴史が重ねられて参りました。
 その間校庭は大変狭隘のため、3度に渡り校庭拡張が行われ現在に至っております。又、校舎についても最初の校舎は明治20年頃と考えられます。昭和30年8月に2階建校舎が新築され、現在の校舎は昭和62年3月竣工以来26年が経過しております。
 一口に138年と申しますが開校以来現在に至るまでの学校運営に当られた校長先生は27代を数え、加えて多くの諸先生方のご指導ご努力により多くの児童生徒が卒業されました。校歌も作詞作曲とも同じ先生により現在の校歌と以前の校歌があります。


  以前の校歌

   作詞 泉 樣太郎  作曲 平岡 均之
   一、昔ながらの陽を浴びる  校庭の桜は小路谷に
     植えし郷里ぞ万年舎   祖先の血潮をうけつぎて
     自主の精神をみがくとき  花咲きかおる黒二枚


 この校歌は黒羽町立第二小学校(6,3制実施)の折に制作されたものと思われます。
 黒羽町民憲章にある、歴史を今に生かし、教育と文化のかおり高い町にしますとありますが、わたしたちが生涯を託し子々孫々までが魅力を持ち生きがいと幸せをもたらすことが出来た片田小学校がいよいよ幕を引く事は地域の住民にとり大変寂しい限りではありますが、これも平成という時代がもたらした変遷なのかもしれません。