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大田原市黒羽芭蕉の館学芸員 新井敦史
藩校とは、江戸時代、諸藩において主として藩士の子弟を対象に設置された教育機関のことで、諸藩では、富国強兵政策を推進する人材の育成が急務となった江戸時代後期に次々と藩校が開設されていった。幕末維新期の諸藩のほとんどは藩校を開設しており、その内の85パーセントが宝暦期(1751~64)から慶応期(1865~68)までの間に創設となっていた。
黒羽藩校は、同藩11代藩主大関増業(1782~1845)が文化10年(1813)5月、宝寿院稲荷(黒羽城三の丸の一角)の北側に設けた素読所に始まる。同年10月、ここに「何陋館壁書」が掲げられて、素読所が藩校何陋館となったのであり、これによって、同年1月、城内(現在の黒羽神社境内)に設置されていた練武園と相俟って、藩士の子弟に文武両道を兼修させる環境が整えられるところとなった。「何陋」という言葉の出典は『論語』であり、江戸から遠隔の地である黒羽の陋風(良くない風習)を正すことが意図されていたのであろう。
何陋館では国学を第一、漢学を第二として、国学の教師には豊後の国学者戸高孝盛が迎えられ、漢学の教師には侍医田中修平と藩士大沼助兵衛が登用された。練武園では、登用された藩士が教師を務めたのであり、渡辺監物・梁瀬朋山 やなせほうざん ・鈴木刑部左衛門によって剣術が指導され、武田宮内により弓術・柔術が、安藤武司により砲術が指導されていた。
何陋館・練武園は文政7年(1824)の増業隠退に伴い廃止となるも、黒羽藩では嘉永7年(1854)8月、13代藩主大関増昭によって学問所が取り立てられ、大雄寺和尚と野口行蔵が学頭に任命された。これが藩校作新館の濫觴とされている。ただし、「作新館」という校名を名乗るようになったのは、明治2年(1869)以降と考えられている。「作新」という言葉は、『大学』の「治者が日々精進し修練を積めば、やがて民の心を奮い起こし、民風を一新する」といった意味の言葉を出典としている。
文久期(1861~64)の教師は、三田地山(漢学・国学)、鈴木屑斎(剣術・弓術)、松本多中(剣術)、武藤秋(剣術)、鈴木武助(槍術)、佐藤官太夫(剣術)、村田嘉津衛(槍術)、秋元秋之助(槍術)、大沼又三郎(砲術)、安藤忠(砲術)、武田早之助(柔術)という陣容であった。
最後の黒羽藩主で当時は黒羽藩知事となっていた大関増勤(1852~1905)は、明治4年(1871)、賞典禄1万5千石の内の150石を作新館の経費に充て、前田村郭内951番地に館舎を新築移転した。翌5年秋には、講堂に格天井が設けられ、教官や生徒など27名による27首の漢詩などが書かれたのであり、格天井は黒羽小学校内に現存している。作新館は藩校という性格は失いつつも、大関私立作新館として明治18年まで存続した。黒羽藩最末期の教授科目は国学・洋学・医学など7科目で、蔵書は3,000冊以上であったとされる。
大正4年(1915)11月に黒羽藩主後裔大関家から当時の黒羽町に寄贈されたこれらの蔵書を母体とした書籍群は、作新館文庫と呼ばれ、現在4,400冊以上が確認されるが、藩主大関氏が所持していた書籍も少なからず含まれているため、大関文庫とも称される。内容的には国書・漢籍・洋書・教科書から構成されており、わが国のある時代における総合図書館の姿を示しているとも言えよう。
作新館文庫(大関文庫)は、作新館の流れを汲む黒羽小学校の書庫(土蔵)に収められて、同校では毎年曝書を実施するなど同文庫の保存に尽力してきた。平成9年(1997)3月、同文庫は黒羽町芭蕉の館(現大田原市黒羽芭蕉の館)に移管されて、収蔵庫に収められるところとなり、翌年、黒羽町から黒羽小学校に記念品が贈られ、感謝の気持ちが伝えられた。
〔主要参考文献〕
〇黒羽町誌編さん委員会編『黒羽町誌』黒羽町、1982年
〇大宮司克夫「黒羽藩校―何陋館と作新館における教育(那須)―」
(組本社編『江戸時代人づくり風土記9栃木』農山漁村文化協会、1989年)
〇大宮司克夫「黒羽藩校―何陋館と作新館の教育―」(『黒羽文化』第18号、1998年)
〇黒羽町立黒羽小学校編集・発行『作新の流れ』2002年
〇栃木県立博物館編集・発行『大関増裕―動乱の幕末となぞの死―(図録)』2004年
〇新井敦史『下野国黒羽藩主大関氏と史料保存』随想舎、2007年
〇新井敦史『武士と大名の古文書入門』天野出版工房発行、吉川弘文館発売、2009年
〇栃木県立博物館編集・発行『改革と学問に生きた殿様―黒羽藩主大関増業―(図録)』2010年
〇黒羽芭蕉の館平成22年度企画展運営委員会編『黒羽藩主大関家文書の世界(図録)』大田原市黒羽芭蕉の館、2010年
〇大田原市教育委員会文化振興課編『大田原市の文化財2015』大田原市教育委員会、2015年
〇大田原市黒羽芭蕉の館編集・発行『黒羽藩主大関氏の教養と文化交流(図録)』2016年
校名「阿陋」「作新」の出典と語義 足利大学工学部 講師 大沼美雄
大正4年調成「作新館文庫」(大関文庫)蔵書目録 足利大学工学部 講師 大沼美雄